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アンコール遺跡の旅 (その5)

 アンコール・トムの近くの森の中にジャヤバルマン7世が母の冥福を祈り建立した霊廟寺院、タプロム(Ta Prohm)があります。皆さんはガジュマルの根っこが寺院全体を包み込んだ写真を何処かで見られた記憶があると思います。

 1186年バイヨン様式で建立された大乗仏教の寺院で、当時は僧侶と舞姫が1万2千人も住んでいたそうです。その後放置されガジュマルの森に包まれ殆ど飲み込まれてしまいました。

 マイフォト タプロム寺院 参照

 (油が採取できる木)

Angkor_185 Angkor2_044  左の木は鉈でキズをつけて油を採取した痕跡ですが、今は封鎖され採取できないようにしてあります。右の写真はここから40キロ東北に離れた場所にある、東洋のモナリザが存在する寺院にある同じ油の木です。

幹が白く、一本から三軒の家が出来て磨けばピカピカになる最上等の建築材料でもあるそうだ。今は、伐採は厳禁だそうです。

 そういえば、アンコール王朝が開花する前史では中国名で真臘(しんろう)という国名でカンボジアは呼ばれていましたね。

 カンボジアの歴史 参考 真臘国

 カンボジアの歴史 参考 アンコール王朝歴史

 カンボジアの歴史 参考 真臘風土記

 6世紀にメコン川中流域に真臘という国が勃興し扶南国を倒し、9世紀にクメール王朝にとって代われるわけですね。その後クメールは隣のシャム(タイ)国により15世紀に滅ぼされる。クメール王朝は500年間インドシナ半島の盟主として繁栄を誇ったのですね。

 油の木から真臘を思い出し、真臘風土記に繋がりました。13世紀の元の時代に中国人の周達観がクメールに滞在して書いた見聞録だそうです。この本を一度読んだ方がいいようですね。どうも魏志倭人伝のような雰囲気で中国人の偏見もあるだろうが、クメールの様子を描いているそうです。

 クメールの王はクメール人の男性と蛇神との間で生まれた話とか、ピミアナカスのところで記事にした話はどうもこの風土記が原典のようですね。中国人はメモ魔だから後世の我々は助かりますね。梁書、隋書などでもクメール、真臘の事は書かれているそうです。

 本格的には 上智大学アンコール遺跡国際調査団 文献

 上記、上智大学のアンコール遺跡調査団の関連資料が本格的に勉強するにはいいかもしれません。NHKのプロジェクトXでも採り上げられた事があります。

  アンコールワットに誓う師弟の絆 参考

 寄り道に逸れましたね、タプロム遺跡の続きですね。

  (天空の城 ラピュタ)

Angkor_188 Angkor_189

 この光景を見て、思わず宮崎駿さんの作品”天空の城 ラピュタ”を想起してしまいました。文明というものが如何に自然の前で無力であるのか。

残念ながら、デジカメの電源が此処で切れてしまい、数枚しか撮影できませんでした。しかし、撮影しても意味が無いような無力感に襲われましたね。この遺跡はもはやガジュマルを切ると崩壊するそうです、今が共存しているのですね。

 アンコール・トムの遺跡の最後に訪れたタプロム遺跡は我々に文明とは何なのか?問いかける場所でありました。

 参考 タプロム遺跡(1)

 参考 タプロム遺跡(2)

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