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アンコール遺跡の旅 (その4)

Angkor_183  バイヨン寺院の本殿をご案内しましょう。ジャヤバルマン7世は大乗仏教の寺院と環濠都市をアンコールワットの北に建造したのです。その中心に位置するのがバイヨン寺院です。様式は観音菩薩の顔を四面持つ堂塔を49体が四方を見つめる寺院です。

高さ42メータの中央本殿を2つの回廊と33の尖塔が重なりながら取り囲んでいる。回廊のレリーフは前回の記事で報告しましたね。

 写真集 アンコール・トム バイヨン寺院編

Angkor_148  (クメールの微笑)

代表的な観音菩薩さんのお顔です。微笑みがクメールの微笑みと美術の世界では呼ばれているそうですね。高校生の美術の授業で学んだ、アルカイックスマイルを思い出しました。

Angkor_150  日本の仏像、私の好きな広隆寺の弥勒菩薩さんの微笑みとか、モナリザの微笑みとか、何処か似てる雰囲気を感じますね。最終日に此処から、北東40キロに位置する寺院におられる東洋のモナリザと呼ばれる女神にもお会いできました。

 3メータの大きさの観音菩薩の像を49体も建立したその凄まじい執念を感じる寺院ですね。高い位置から四方八方の国々を観音さまが目を向け国を守る国家鎮護の意味も感じました。平城京の聖武天皇が東大寺を建立した思いと同じではないでしょうか。

   (ピミアナカス 天上の宮殿)

Angkor_168  クメールには蛇神信仰というのがヒンドゥー教伝わる前から土着の信仰として存在したそうだ。蛇神は変身が得意で特に美女に変身するのが得意だったそうです。

伝説では、王は夜、皇后とか妾さんと床をともにする前に、必ず毎日館の一番上におられる蛇神さんが変身した美女と交わらないと、国に災難が来るという話があるそうです。この宮殿の前でその話を思い出しました。

   (象のテラス)

Angkor_176  広大な広場の前に長さ350メータの象のテラスと呼ばれる高さ4メータの壇があります。ここで、閲兵式とか戦争から帰国した軍団を迎えたのではないでしょうか。この壇には象とかガルーダの彫刻が施されています。

このテラスからは、遥か彼方に塔がある間隔で建ち並びその間を綱で結び、綱渡りをする人々をこのテラスから眺めて楽しんだようです。

Angkor_178 又、聖火台も存在しますので此処でスポーツ競技(オリンピック)を競ったそうですね。軍隊の閲兵式だけに使用したのではないそうです。進んでいたのですね。

  (ライ王のテラス)

Angkor_182   此処が一番、謎に満ちた場所なのです。発掘されたときに顔とか身体がとても痛んだ坐像が発見された。伝説のライ王ではないか?と言われています。伝説の王はこの都を建造した王であり、毒蛇との戦いでライ病(ハンセン病)をうつされたというんです。

しかし、顔には牙があり閻魔大王ではないかという説が最近では有力だとも言われています。此処で裁判が行われた場所だという伝説が背景です。又、此処で王を火葬にした場所であるという説もあるそうで、未だ謎に満ちたばしょだそうだ。

Angkor_183_1  発掘されたあと、遺跡修復でテラスは内部に古いレリーフが施された壁が幅1メータの間隔で存在する事が判明し発掘された。不気味な蛇神ナーガが存在しています。

 さて、作家 三島由紀夫はこの場所を訪れ深く感銘し、戯曲”ライ王のテラス”を書いたそうですね。私は広場の前ですから裁判の場所と考えました、だから閻魔大王がいるのではないでしょうか。

いずれにせよ、クメールの太古より存在した蛇神信仰とその後、インドより渡来したヒンドゥー教とか仏教と重層的な葛藤を感じました。尚、本物の坐像はプノンペンの博物館にあるそうです。

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アンコール遺跡の旅 (その3)

 アンコール・トムの環濠寺院都市はアンコールワットが建造された30年後あたりに、5倍の規模で建造されたようだ。宿敵のチャンパを倒しクメール最盛期の頃だろうか。インドシナ半島の殆どを領土とした頃なのだ。

 アンコールワットがヒンドゥー教の寺院にたいしてアンコール・トムは仏教の寺である。しかし、わが国における神仏習合に似た雰囲気を感じた。南大門の阿修羅と蛇神の乳海攪拌神話はヒンドゥー教である。

 (アンコール・トムのレリーフ群)

 私はアンコールワットのレリーフ群よりもここのレリーフの方が興味を持ちました。神話とか王様の権力とか戦勝記念の自慢だけでなく、庶民の暮らしが生き生きと自由に描かれている。写真を一部とりましたが、自分なりに感じた写真集として収録しました。

 アンコール・トム レリーフ群写真集

 レリーフ群はクメール軍がチャンパ軍を破る戦争絵巻がメインですが、クメールの人の特徴は耳が長く、ふんどし姿にタスキで裸です。これが、クメール人の特徴として描かれていますね。

 クメール軍には中国の人々も参戦しています。そして、当時の戦争には家族全員で参加している事が判ります。女房子供を引き連れ、家畜も引き連れ食料を持参しての遠征だったのですね。

 陸を進む軍隊には森の鳥や猿が驚いています、水軍が進む川では水中の魚や鰐やすっぽんが描かれています。とても漫画チックな描き方で自由な余裕を感じますね。

 当時の遠征は大変だっと思います、森では吹き矢で鳥を射止めて食料としたり、大きな鍋で豚を煮てる画面も面白いですね。当時のチャンパ王国は現在のベトナムの中部からホーチミン辺りまで細長く海岸に沿い存在した国でした。

 メ コン大河を渡り東に遠征したのでしょうね。何頭の戦闘象を使用したのでしょうかね。象の上から次々と槍を投げ下ろし戦う戦争ではなかったでしょうか。ハンニバルの軍団と同じでしょうね。

 膨大なレリーフを眺めているだけで、一日が過ぎ去ってしまいそうです。しかし、当時のクメールの人は体格はでかくて今のカンボジアの人と少し異なるように見えます。ガイドさんの話でも昔の人は色が黒くて、体格も立派だったと話されてました。

Angkor_123 Angkor_120

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アンコール遺跡の旅 (その2)

 アンコール遺跡への拠点は遺跡の近くにある、シェムリアップ(Siem Reap)空港に入らねばなりません。タイのバンコクから入るか、カンボジアの首都プノンペンから入るか、ベトナムのホーチミン、ハノイから入るかでしょうね。

Angkor_006 Angkor_007  (空港にて)

 日本人にはシェムリアップは馴染みの無い名前ですが、シャム リアップと発音すれば昔のタイの国、シャムは馴染みですね。タイに勝利した町という名前です。

 空港では25ドルと写真6x4一枚があれば、入国ビザがその場で貰えます。私も今回は入国前に貰えました。写真はもう一枚、アンコール遺跡に出入りする為に用意して持ってゆきましょう。6x4の大きさで結構です。

 (アンコール遺跡とは)

 アンコール遺跡とは9世紀から14世紀までインドシナ半島のど真ん中で栄えたクメール人の巨大な国家が残した遺跡群を指します。西はシャム王国と東はチャンパ王国と接しチャンパとは戦争の連続でした。

 アンコールワットとアンコールトム中心の地図

 栄えた都も15世紀頃から見捨てられ1860年にフランスの植物学者により発見されるまではジャングルに埋もれていたのですね。いかばかりの感動であったでしょうか。実にアンコールから東北40キロに位置するバンティアイスレ遺跡は1930年代に地元の人々の焼畑により発見されたそうだ。この遺跡は別途報告記事を書きますが、東洋のモナリザと呼ばれる美しいレリーフ像が発見されたのです。

 (先ずはアンコールトムからのご案内)

 アンコールトムの地図

 アンコールトムとはアンコールがサンスクリット語で都、トムはクメール語で大きなという意味ですから、大きな都という事になります。周囲12キロの環濠で覆われ高さ8メータの城壁で囲まれた都です。

 12世紀後半から13世紀にかけてジャヤーヴァルマン7世がチャンパ王国に勝利し建造した仏教の寺院を中心とした都市です。其れまでは、ヒンドゥー教でしたが彼は大乗仏教を採択した。しかし、クメール人には早い時期に伝道されたヒンドゥー教に馴染みが深く、アンコールトムの建設にも折衷のイメージが沢山あります。

  それではアンコールトムへのご案内ですね。

 マイフォト アンコール・トム (1)

写真集で見ていただきながらアンコールトムを歩いてみましょう。先ずは南大門ですね。Angkor_048 Angkor_055 平城京、平安京では朱雀門という按配でしょうか。

南大門の前には二列で阿修羅が蛇神ナーガの胴をを引き乳海撹乱の創生神話を表現している。

門の上には大きな3メータの観音菩薩のお顔は4面供えた独特のバイヨン様式の堂塔が聳えている。先ずは、入り口から度肝を抜かれる遺跡でありますね。

 南大門を潜ると次は中心に存在するバイヨン寺院に向かいましょう。

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アンコール遺跡の旅(その1)

Angkor_137_2  2007426日より二泊三日のアンコール遺跡の旅を無時終わりました。家内と二人でハノイのスケッチ旅行会社(青ザイツアー)さんにお願いした。結果は我々二人に、現地のカンボジア人の若い日本語が出来る女性のガイドさんと運転手さんが我々二人を三日間面倒をみて下さいました。

  全ての遺跡の旅が終わり、突然のスコールの中、シェムリアップ空港で名残惜しいお別れを二人としました。彼女は婚約をしておられます、是非又、来て下さいと家内と握手をしていました。短い期間でしたが、毎日朝から晩までお付き合いしましたので、名残が惜しい気持ちでした。

Angkor_008_1  彼女からは遺跡とは関係の無いカンボジアの現状について沢山、沢山お話を伺いました。少しはカンボジアを理解する事が出来たのが幸いでした。お客は我々二人だけでしたので、団体旅行では無くプライベートな密度の濃い旅でした。

 又、偶然でしたが最終日のお昼御飯を食べに入ったお店で懐かしい林あつむ先生Angkor2_052_1 のご夫婦と遭遇できました。バンコック旅行からアンコールにこの日に入られた所だったようです。先生、最近出版した本が20万部売れたと喜んでおられました。(注)本は”餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか”27万部のベストセラー。

 ともかく、内戦を含めるとカンボジアに平和が訪れたのは2000年からだそうですから、未だ7年しか経過していないのですね。日本で言えば、昭和Angkor_329_1 27年頃の状況なんでしょうね。市内から一時間も離れると電気も病院も無い村が点在しています、否、市内でも街灯は殆どなく多くの人々はローソクで暮らしておられます。

それでも、明るさと笑顔を忘れない人々の姿をみると如何に平和というものが、貴重なものであるか、戦争だけは絶対してならぬ、阻止せねばならない事だと強く思いました。

アンコールの遺跡はどれだけ、カンボジアの人々に勇気を与える存在であるか、今回の旅では感じました。しかし、その遺跡が近年の戦争で大いに破壊された。世界各国が今分担して修復に協力を開始しています。これから修復には100年以上はかかるでしょうね。

 (注)

 ・最初の写真はアンコールトムのシュメールの微笑みと呼ばれる、観世音菩薩さんです。バイヨン様式の仏像です。

 ・二枚目の写真は今回のガイドをしていただいた日本語を喋れるカンボジアの女性です。真面目なもの静かな素晴らしい女性でした。

 ・三枚目は林あつむ先生御夫妻との劇的再会の場面です。先生とは製造業の原価計算のシステムについてそのパッケージの開発でも色々と教えて頂きました。

 ・最後の写真は、郊外のスイカを売る露天です。

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今日からカンボジア紀行

 東南アジアに於ける貧困国と言えば、カンボジアとラオスだそうだ。ほんの数年前まで戦争をしていた国だから仕方がないのだろうか。このインドシナ半島の国々はフランスが長く植民地化した国々である。

 最近、考えているのが世界に植民地を作り経営した国々の事である。私はローマ帝国とモンゴル帝国と七つの海を支配した英国の植民地政策の共通点である。この三国以外に多くの国々が植民地政策を展開した歴史があるが、どうも何処か違いがあるように思う。

 (英国の植民地支配政策)

 英国が植民地にした世界の国でアフリカを除いて見て見るとインド、マレーシア、香港、米国、等々があるが現在、最貧国ではない。英国はアジアに関しては東インド会社に経営をやらせた。植民地に産業を興し特産品を作らせ貿易を独占する事で本国に利益を本国にもたらした。

 英国はその国の人々の宗教とか習俗とか文化には興味は無い、金が稼げればいいし、貿易により大いに金が稼げる殖産興業を展開した形跡がある。国際競争力のある産業を育成したのだ。インドの綿花、胡椒、マレーのゴム園、錫鉱石、等々である。

(モンゴルの支配形態)

 モンゴルは世界中から人材を本国に集め登用した。支配形態は植民地の宗教、文化、は認め税金を徴収した。世界最大の版図を手にした帝国の植民地支配のやり方である。世界の国々の伝達網を発達させたので、植民地間では情報が行き渡った。

 ローマは文明を伝えた、土木技術による道路、上水道、下水道等々の技術とインフラを植民地に伝えた。明らかに三国の植民地支配にはグローバルな情報とその中での個別植民地の存在理由というか位置を教えたと思う。

 (フランス、スペインが支配した国)

 インドシナ半島もメキシコ、南米の国々は何処も貧乏なのは何故なんだろうか?フィリピンも貧乏だ。今日から訪問するカンボジアの貧困はクメールルージュの最近の政策の影響が大きいと思う、文化大革命の影響を受け通貨まで廃止し、原始農業社会への復帰政策は根が深い。インテリを全て殺してしまったのだ。

カンボジアは一人300ドル年収の世界であり、ベトナムは640ドルだという。マレーシアは12000ドルである。GDPで国の豊かさは比較できないが、尺度ではある。

ベトナム戦争の末期にサイゴン陥落の折りには多くの南ベトナムの人々がカンボジアに逃亡したという。彼らも、その後のベトナムのカンボジア解放戦争では塗炭の苦しみだったに違いない。

 12世紀のクメール王朝の栄華を見学にゆくのだが、同時にこの目でカンボジアの現在の断片を体感してきたい。

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クアラルンプールへの旅

 今日、ハノイからクアラルンプールへの往復の航空券を予約した。5月5日、6日の土日の一泊での旅になる。これは私的な旅です。魅惑のマレーシア広告

 (マレーシアは初めてだ)

 考えてみると、東南アジアで訪問した国は僅かです、フィリピンに二回仕事で出かけただけで、ベトナムも今回の仕事で初めて来た程度。それ以外の国は知らない。マレーシアという国はどないな国なのか?わくわくしますね。

 「kuala_lumpur.kmz」をダウンロード グーグルアースで位置を確認

なるほど、マレー半島の先端がシンガポールであり、その途中にあるんだ。目の前の海峡はマラッカ海峡ではないのだろうか。

 (マレーシアという国)

 最近の私の身の周りの人で退職後はマレーシアでのんびり長期滞在するという話を聞く。そのような施設とか歓迎の施策がマレーシアではとられているんでしょうね。この国はマレー半島南部とボルネオ島の北部を領土とする連邦国家のようだ。

 人口2600万人程度でマレー人6割、中華系3割、インド系1割という按配で公用語はマレー語だが学校では英語もちゃんと教えている。長い英国の植民地でしたから今でも英国の連邦に属しているらしい。

 GDPは一人あたり12000ドルあるので、随分と豊かな国であるようだ。植民地時代には我々はマレー半島と言えばゴムの栽培と錫鉱石の採取で有名でしたね。今は、随分とIT産業に力を入れDELLの拠点工場もあれば、首都のクアラルンプールにはITインフラの整備されたマルチメデイア・スーパーコリドーと呼ぶ地域があるそうだ。

 (マレー人って何?)

 狭義にマレー人というとマレー半島、スマトラ島東海岸、ボルネオ島沿岸部などに住んでマレー語を話す人々を指すらしい。しかし、広義で言うと、東南アジアの島々の国の人々からマダカスカルの人々、台湾の高砂族まで含めるモンゴロイドだそうだ。

ともかく、今回の旅は私的ですが遊びではないので、真面目にマレーシアのIT産業をこの目で見てきます。

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フォークグループ”赤とんぼ”

 赤とんぼメンバーに山小屋管理人より近況を知らせよ!と、メールが届いた。私はJoBlogで日々の生活を伝えているので今更なのだが、公開出来ない事柄をメールした。

 (青春時代の楽器を開く)

 ・山小屋管理人編

 最近、押し入れで埃まみれになったフォークギターのケースを取り出し、中身を開いたそうだ。ギターとともに予備弦もちゃんと格納され、音叉も出てきたそうだ。弦を張りなおし、調律しようとしたが、あまりの久しぶりで音叉の使い方も忘れていたと。

 なんとか、弾くまでに持ち込んだが音がしっくりしないらしい。爪を切り、なんとか少しは満足できる音が出るまでに持ち込んだそうだ。彼は、若い頃会社の労働組合の活動とか色んなイベントにでて司会とか歌を唄う集まりの指導者をしていた。

 その後、30歳になり蒲田の”早乙女”の親父、お袋さんに勧められ三味線を6年間修行したらしい。その後、仕事の関係で三島方面に転勤となり三味線の修行は途絶えたと思う。60歳近い年齢がだんだんと近くなると又、昔を思い出すのですね。

 ・岩ちゃん編

 岩ちゃんは、昔はハワイアンバンドに属しウクレレから始まり、その後ジャズバンドに転進しエレキギターをやっていたそうだ。最近は毎晩ジャズを聞いて楽しんでいるという。悠悠自適の生活で昼はテニスとか好きなラジコン飛行機を千葉のクラブで飛ばしている。時折、奥様を連れて山登りという生活だそうだ。(連れて行かれてるという噂もあり)

 ・カッチン編

 彼も、テレビで昔のフォーク番組が放映されると思い出して、ギターを取り出し弾いている様子です。多分、日本では沢山の団塊の世代が同じような行動をとっているのではないだろうか。子供も成長し、がむしゃらに仕事で走りぬけた世代も定年をまじかに控え、第二の人生の選択をするポイントでは、一度昔の青春時代を回顧する気がする。

 ・わこちゃん編

 彼はオーデイオ機器の製作に興味が行き、アンプとか色んなオーデイオ機器の自作をして青春を過ごしたそうだ。そういえば、若い頃、スピーカを製作してる連中とかアンプを自作してる連中が周りには沢山いましたね。けど、ちゃんと物は出来たのだろうか。

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アンコール・ワット旅行準備

 以前、カンボジアへの旅について記事を書いた。

  カンボジア王国への旅(基礎知識)

 この記事でお分かりのように、グーグルで見ると、現在テッチャンが滞在しているバンコクとほぼ同じ緯度にあるようですね。これは、蒸し風呂が待っていますね。

 4月26日よりカンボジアのアンコールワットへ観光で出かける事にした。二泊三日の旅である。旅行会社はハノイにあるSketchのアオザイツアーです。

 Sketch ツアー アンコールワット

 飛行機代 二人で860ドル(え~~高いな~~)、ホテル代及びツアー料金が630ドルで合計が1490ドルであります。飛行機はハノイからシェムリアップ空港までベトナム航空で2時間だそうだ。

日本からだと、多分バンコク経由かホーチミン経由で行かれるのでしょうか。多分、バンコク経由の方が安そうですね。判りませんが調べて下さい。名古屋空港から直行便があるという噂もありますが。

 (ホテルはVictoria Angkor)

 最高級ではないが、それなりのホテルのようです。

 Hotel Victoria Angkor 参照

  English Version

 日頃はベトナムで質素な昼飯30円の生活をしているので、たまには贅沢をしてみますかね。Flight4gatsu      24日の昼飯です。きゅうりの酢の物、豚肉、とうもろこし、何かのひき肉、ビールで140円と贅沢してしまった。

 ところで、VISAが必要らしい。知らんかった。明後日に出かけるのにVISAが無いではないか。訊いてみると、写真4X6センチを二枚用意してればシェムリアップ空港で入国前に簡単に取得できるそうだ。20ドル必要らしい。

 アンコールワット参考記事1

 アンコールワット参考記事2

 しかし、蒸し風呂の状況で広大な寺院を見学するのは辛そうですね。もっと涼しい時期を選べばよかったです。後の祭り。

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ベトナム語と日本語どこか発音が

 今日は1ヶ月ぶりにベトナム語の先生に来て頂いた。長らくのご無沙汰でしたね。

 過去記事 越語授業始まる

 最近は疑問文の作り方とその答えかたの文法を学んでいます。文法は簡単でして、普通文の最後に、co phao khong? コ ファイ コン?(文字は正確では有りません、未だベトナム文字を入力できないのです、すみません)と繋げばいいのです。

 場所を訊く場合は最後に o dau? オ ドウ?と繋げば良い。職業訊く時は nghe gi?という按配ですね。要するに最後まで聞かないと疑問文か普通文か判らんようですね。これ、英語とは随分と違うように思います。

司馬さんが言う膠着語に属すんではないでしょうか。要すに、言葉を糊でペタペタ引っ付けて行く感じに思いました。

 (発音が日本語と似ている)

 漢字をベトナム語でどう発音するのか聞いていると、日本語の発音と何処か似ているものを発見します。

 ・中国ーーーTrung  Quoc(チュン コク) 

 ・アメリカは美国 美(My) ミー

 ・ドイツは独国 独(Duc)  ドゥク

 ・フランスは法国 法(Phap) ハップ 御法度の発音

 ・婆ちゃんーーba  バー

 ・兄  ---anh アン

 ・姉 ---chi  チ

 どうですか?発音が似てますよね。これは、漢字の発音が日本は呉音である事と、越の国が長江下流域に存在していたのと関係があるのではないでしょうか。北京語とは異なりますよね。

 しかし、相変わらず発音は難しいですね。ベトナム人の発音を真似るしかありません。

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久々のフライト in Hanoi

 今日は久しぶりにラジコン所長とハノイラジコンクラブの会長とのフライトである。最近は週末になると雨が降り、飛ばす事ができなかった。

 ハノイフライト日誌 2007年4月22日

 ラジコン所長ブログ記事 2007年4月22日

  ラジコン所長写真集 2007年4月22日

Flight4gatsu_001 Flight4gatsu_008  会長はハノイで会社を経営されています、学校とか研究所に色んなもんを販売されているんです。顕微鏡とかフラスコとか・・・・けど、お店の中はラジコン飛行機が大きな顔をして飾られています。

ハノイにはラジコンショップが無いので、此処が唯一の相談場所なんでしょうね。何でも何処からか取り寄せてくれるそうです。

友人で70歳近いリタイヤしたクラブの友人が今日は一緒です。会長の友人だそうです。飛行機作るのも飛ばすのも会長よりは上手そうですね。

Flight4gatsu_016  今日の私の飛行機はこの二機です。電動機は前回のフライトで墜落したのを修理しました。

結果は、電動機は修理が悪くモータが左向いてました(笑)、離陸するとふらふらで飛行中止です。

頼りはバレリーナですね、これは完璧でした。が!着陸時に失速墜落でした。

Flight4gatsu_019 エルロンのフィルムが又、剥がれてました。何でやろ?前回は水平尾翼の片側の下の部分が剥がれてましたね。

ともかく、フィルムは無くとも飛ぶ訳ですから、壊れた部分をエポキシで固めて再挑戦する事にしました。

Flight4gatsu_024 ホレ!完璧ですね、これなら飛行可能です。そこで又飛ばしました、見事な飛行でしたね。何時、エポキシで固めた部分が分解するか心配でしたが、大丈夫、エルロンの片側もバルサむき出しで頑張ってくれました。

最初は、修理するのを止めようと決断したが、ベトナム人二人が許してくれなかった。これぐらいの破損で止めるのか?そうですよね、日本人の恥だよな~~、と考え直し再挑戦したわけです。

Flight4gatsu_017 ベトナム人二人が飛ばします、70歳近いおじいちゃんは低空飛行が好きで最後まで低空飛行で飛ばしておられましたね。

ただ、頭の真上を飛ばすのは止めて欲しいな~~と、思います。しかも、5~6メータ上空だからね、少し怖いです。

Flight4gatsu_025 所長は風邪を引いておられましたが、今日も快調でした。今月末はベトナムは連休がありますから、それが楽しみのようでした。

何時ものモータグライダーを飛ばして、快調!最近の激務もなんのその、バンバン出張して寝ずに仕事しても大丈夫、38歳の若さです。

 今日も楽しいフライトでした、次回は二週間後だそうです。蒸し暑く30度程度ですが次回は早朝と決まりました。で・・・・・

Flight4gatsu_042  ジェットエンジンの制御回路の開発中ですが、これ以上はオシロがないと難しいそうです。エンジンは今は扇風機みたいです。

次回もがんばりましょう。

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大倉山&新橋駅 春模様

Chibimaruko_030  2007年3月末の東横線大倉山駅フォームの桜です。

 この桜を何回見て会社に通勤しただろうか。大倉山に引っ越したのが28年前だから随分と長くこの桜を眺めて出勤したものだ。途中、4年間ほどは留守にしたが、けどお世話になった。

今年からは、私に代わり息子が就職となりこの桜を眺めて通勤する事になった。桜は変わらないが、人間はバトンタッチして継いでゆく。

Chibimaruko_031  大倉山の桜はここから山を登ると、大倉山梅園に繋がっている。この坂道には桜が沢山あり見事なものである。

 梅の季節も素晴らしいし、桜の季節も格別な大倉山駅周辺であります。何か大倉山の不動産屋みたいですね。娘が住んでいたマンションに若い夫婦が入居してくれたそうだ。

Chibimaruko_032  (新橋駅)

Fsol時代の友人と汽車ポッポの前で待ち合わせた。丁度、東京都知事選挙の真っ最中の時で、ハノイに帰国して結果を知った。

この汽車ポッポの前ではよく待ち合わせをしたものです。待ち合わせの後は、焼き鳥屋の”鳥清”か、いわしの店かうどんすきの”美々卯”でしたね。

Chibimaruko_033 汐留方面も高層ビルが建ち並び、昔とは様相が一変してしまった。

新橋の”鳥清”のママも引退、カラオケの”夢幻”も店を閉めたという噂だ。団塊の世代とともに活気があった街も次の世代へとバトンタッチなんでしょうね。

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ソフト関連技術者の将来

 団塊の世代が今後二年間程度のあいだに、多くが定年を迎えるという話を聞いた。私は団塊の先駆けというか、1946年生まれだから団塊の世代には入らない。昔お世話になった会社では今後の二年間で随分と会社を去る仲間がいる。

 38年前に未だコンピュータがメーカの一部の技術者だけがソフトを開発出来た時代も終焉を迎えている。誰れでもがコンピュータのソフトを開発出来る時代になった。従い、世界中で競争が激化している。

 (日本の若いソフト技術者は生き残れるか)

 ベトナムに来て思うのは、長いフランスとの戦争、日本軍の侵攻、米国との戦争、カンボジア介入、中国との戦争と戦ってきた国、やっと平和が訪れ国作りが始まっている。70%が三十代以下だとするとこれからが楽しみな国だ。

 友人がホーチミンで日本のソフトハウスの子会社として開発拠点の会社を創設した。私の知り合いの人が社長で赴任した。ホーチミン市立工大の優秀な人材を10名以上雇用したそうだ。英語とC言語が出来るのが条件。

日本語の教育と組み込みソフトに関する技術教育が始まっている。給料はホーチミンは高騰してるので、少し高いが300ドル程度ではないだろうか。GDP640ドル(年収)の国で、ハノイのワーカーが100ドルに比較すると高給取りである。

 GDPが低いのは圧倒的に農民が多い理由によるので、あまり参考にはならないと思う。大學教授を定年になった人の年金が月に40ドル程度と聞いている。従い、今後ベトナムでは多くの技術系の学生がソフト業界に就職してゆくのは自明の理である。

 (インドが凄まじいらしい)

 米国企業、日本企業でソフトの開発拠点を中国、インドに移転する速度が加速してるようだ。富士通もインドで1万人規模のソフト開発拠点を展開すると公表している。現在、インドでのソフト関連の規模は2兆円規模で数年以内に8兆円になるだろうと予測もある。

富士通とかIBMのようにグローバルな企業は英語が社内用語だから問題ないかもしれないが、日本語が社内用語の企業では大丈夫なんだろうか。失敗した話を結構聞いている。ただソフト技術が高く、賃金が安いだけでは成功しないようですね。

 (ベトナムの技術者とやれないか)

 ベトナムに来て5ヶ月しか経過していないが、ここは仏教国であり何処か日本の古い時代にスリップしたような感慨に襲われる。理屈、論理の世界ではないが何処か言葉に出して言わなくても判り合える何かがありそうです。

ソフトの世界は仕様書に書いていない事が多い。暗黙知のような事が多いのではないでしょうか。私自身昔を振り返ると仕様書には最低の事柄しか書かなかったような気がする。文化を共用していないと、とんでもない間違いが起こる。

 日本のソフト技術者はハード屋さんと一緒にいち早く製品を開発する仕事とか、マーケテングの人といち早く一緒に製品の開発を行い、付加価値の高い領域で活路を開いて生き残るのでしょうか。そして、ベトナムのソフト技術者とのブリッジになり両者で世界を相手に活躍できる時代が来るといいな~~~と、思う今日この頃です。

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ハノイ便について

 ハノイ便についてお話し致します。

 先日、関西の財界の代表がベトナムの首相と会談し、現在、関西とハノイ間の週三便の運行を毎日にする要望が受け入れられたようだ。 ニュース参照

成田からは毎日、ハノイ便は存在します。ベトナム航空と日本航空のコードシェア便です。関西も同じようですが、5月半ばからは週四便になるそうですね。

 (成田からハノイへ)

 ベトナム航空の場合は朝の11時頃に飛び立ち、ハノイに午後3時頃に到着します。日本航空の場合は夕方6時頃に飛び立ちハノイには夜の10時頃に到着します。5時間半程度でハノイには到着可能ですから身近な旅ですね。

 時間に追われるビジネスマンは深夜到着する便が便利でしょうか、翌日の朝から仕事が出来ます。観光でハノイを訪問される時間に余裕のある人は、午後三時に到着の便が楽ではないでしょうか。初めてハノイを訪問される人は深夜だと何かと不安かもしれません。

 ノイバイ空港からハノイ市内へは1時間半程度ではないでしょうかね。時間帯にもよりますが空いてると1時間少しで到着です。タクシーの経験は無いですが、多分10ドル程度で乗る前に金額を決めないといけないそうです。(市内の場合はメータですが、空港と市内間はメータでは有りません)

レンタカーに慣れてる国際ビジネスマンでも絶対自分で運転しない方がいいと思います。私が見る限り無理です。

 (ハノイから成田へ)

 ハノイから成田に行く便はベトナム航空でも日本航空でも出発は深夜の零時頃になります。成田には朝の7時前頃に到着となります。深夜便ですね。4時間半程度で到着しますのであまり苦痛ではありません。関空だともっと時間は短いですね。

 (海の道が理解できる)

 最近の飛行機では画面上に現在航行中の飛行機の位置と地図が表示され現在の高度、速度、機外温度、到着地までの所要時間、等々が表示されます。何時もこれが、楽しみで眺めていますね。

ハノイと成田の往復便で感じたことは、海の道という感想です。

 本州に沿って南下し沖縄諸島の上空を飛び台湾の北を南下し長江下流域の上空を飛びトンキン湾を目指すのだ。地図というのは不思議なもので見る視点を変えると全く違うものが見える事がありますね。

  環日本海諸国図 参照

 この地図については以前に記事を書きました。大陸から見た日本列島の地図ですが、従来の見方が変わりました。中国、韓国の人々はこの地図のように見ていたのではないでしょうか。日本海は内海のようですね。

 地図は何時も同じ方向から見るのではなく、時折異なる角度から見てみましょう。何か新しいものを発見出来るかも知れませんね。

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海外出張と携帯電話

 海外に出張する人は海外でも使用できる携帯を持参される人が多いですね。私が昔使用していたメーカーはそのまま海外で使用できましたが、全て日本経由になるので料金が高いですね。

 海外では、SIMカード(シムカード、Subscriber Identity Module Card)を携帯電話に差し込んで使用するのが通常なのだが、日本では3Gから各社で各社の呼び名のカードで使用するようになるそうですね。

 (電話が安くならないか)

 インターネット網を使用して音声サービスをするのが、Skipeというのがあるそうですが、固定のアドレスですから携帯電話では使用出来ない。元々が電話というのは通話する者同士を繋ぐ通信路を確保して全2重(双方向)通信する方式なんですが、インターネットのアーキではそれが完璧には出来ない。

何か、昔を思い出すが38年前にデ本さんと一緒に全銀手順というのをやりましたね。その後も長くデータ通信の世界ではこの規約が残っていたそうだ。(今もあるかもしれない)

 ともかく、完璧ではないがインターネットのデータ通信網を利用した音声を圧縮して電話サービスをする事で格安を実現してるサービスがある。

 (FMCとは何でしょう)

 FMC(Fixed_Mobile_Convergence)という事業が世の中では始まっているらしい。固定網と移動網の収束という意味らしいが、要は無線LANとかBluetoothを経由して固定IPアドレスに接続してサービスを供給しようという考えだ。

何処の国も今まで電話網の建設に巨額の投資をしてきた。インターネット時代になりこれ等の設備の償却が問題なんでしょうね。しかし、電話機能に関しては携帯も固定電話も同じですから無駄ではない。

 問題は、インターネット技術で電話サービスが格安で実現してしまい、且つ、携帯電話からもインターネット技術で実現してしまうと今の電話料金体系は崩壊する。しかし、世界では始まったようだ。

 (ベトナムでは動画は困難)

 ハノイの自宅ではADSLと言われて接続してるが、動画は困難だし写真すら時間がかかる。先日、横浜の自宅で光で接続されたパソコンの速いこと、驚きでしたね。娘の話ではフランスでも遅いらしい、日本とか韓国とかシンガポールは進んでいるんですね。

だから、インターネットで電話をやるとベトナムでは聞きにくいかも知れませんね。ともかく、早くベトナムも光ファイバーを施設して欲しいものだ。

 

 

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ブログ紹介します

 皆様御馴染みの上野の森のケンタ&アトム パパが遂に満をじしてブログを始められました。今までのブログのプラットフォームでは、彼のやりたい事が出来なかったのでしょうね。

 ケンタ&アトム パパ ブログ新登場

 (彼からのメッセージです)

 Myspaceは現在172,094,592登録です。メール・アドレスがあれば登録可なので半分以下とは思いますが... これからの音楽の中心になると予想します。Friend登録したアーティストから毎日、情報メールが届きます。今日もBob Dylanから新
しい写真集の発売お知らせがありました。
<http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=35755282>

10年かかりましたが、MyspaceとYouTubeでほぼMusicCityと中野CATV・VODでやりたいことができています。

Myspaceにはファン登録とアーティスト登録があります。
勉強と思い昔の素材を使ってアーティストページを作りました。
http://www.myspace.com/supercommunicationbreakdownband
覗いてみてください。

では... ほたらです。
正木 

 この言葉を受けて、感動を受けました。1995年頃でしょうか梶山君とか正木さんとかが集まり夢を語った。Music Cityプロジェクトではインターネット時代での電子空間に音楽の街を作る事でした、未だレコード業界がレコード媒体にこだわっておられた時代です。

 中野CATVプロジェクトは当時の富士通の通信、コンピュータ、システム、研究所、あらゆる人々が集結しデジタル高速網による双方向システムを世界初でやる実験プロジェクトでした。正木さんは両方に参画され夢をかたちにする事に挑戦した。

 10年の歳月を経て今はインフラも整い可能になったのだ。音楽アーテイストとしての正木さんが渾身を込めて始めたブログに注目したいです。

 この頃は私も映画業界にも首を突っ込んでいました。今は亡き徳間さんとの関係でしたね、ガメラⅡレギオン襲来の映画作りでした。

  (考古学者 怒る)

 今回の米国の大学における悲惨な銃撃事件と長崎における平和主義者市長への銃撃事件に関して涙の記事を書かれた考古学者さんがおられます。

  yaaさん大いに涙するの記事

 弥生時代以降、戦争は絶えないと同じく考古学者の(故)佐原真さんはおっしゃっていました。縄文時代には人を殺す武器が存在しなかったそうだ。鏃の大きさ、とか狩猟の武器の研究成果である。佐原さんは戦争が始まったのは、農耕による富の蓄積と宗教の二つを人間が発明したからだと結論されていましたね。

私は60年間戦争のない極めて稀な日本史の中で生活する事ができました。経済の発達により世界とどうしても関係しないと生きてゆけない時代が開幕した明治以降、稀な歴史であると認識しています。

 鎖国をすれば良いという議論があるが、そのケースは超大国が鎖国をした時にのみ許される戦略だと思う。アジアにおける超大国であった中国が鎖国をした時代は日本も平和でしたね。近世史は世界中の大国が鎖国を許さない。

話が発散するので、止めますが最近は悲しい事件が多すぎませんか。

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ドンソン ドラム レストラン

 参考 ドンソン ドラム レストラン記事1

 参考 ドンソン ドラム レストラン記事2

 昨夜は昔私が長年お世話になっていた会社の後輩がハノイに来越したのを祝う会と、ハノイを去る後輩の送別会だった。ハノイを去る後輩は今週末に日本に帰るそうだ。2年半の駐在だったそうですね。ご苦労さまでした。

  ドンソン文化 ドンソン ドラム(銅鼓)

 最近出来た三階建ての立派な中国料理とベトナム料理のミックスした高級レストランでした。店内には古代にハノイ近郊の紅河流域で栄えた古代文明であるドンソン文化の代表格である巨大な銅鼓が飾れていた。

 参考 ドンソン ドラム(銅鼓)

 数ヶ月前に国立歴史博物館に出かけた時に、その巨大な銅鼓に度肝を抜かれました。紀元前4世紀から1世紀の頃まで栄えた紅河流域の青銅器文化を代表するものなんですね。この巨大な銅器を眺めていると中国の長江流域の文化との関係が気になりますね。

   星堆 中国古代文明

  鳳凰と長江稲作文明

  南越雑記帖 銅鐸の話

 紅河流域のベトナムは古代に於いて、中国北部の黄河文化よりも長江流域の文化の影響を大いに受けたのではないでしょうか。

 銅鼓が巨大化した背景には何があったのでしょうね、祭祀で使われたのでしょうが、日本の弥生時代の銅鐸の巨大化と何処か繋がりはしないでしょうか。日本の銅鐸も最初は小さいものでしたが、そのうちどんどんと巨大化しましたね。これも謎ではないでしょうか。

そして、突然に銅鐸は姿を消した訳ですね。ベトナムの銅鼓の文化は今でも中国南部の山岳地帯の少数民族に残っているそうです。

  原始の銅鼓 参考記事

(追記)少数民族の銅鼓と祭祀の関係を読んでいると、何処か物は違うが日本の銅鐸と類似を推測させるのですね。

 ・日頃は土中に銅鼓を埋めておき、祭祀の時に掘り出して使用する。日本の銅鐸の発掘現場でも何故埋めたのか?と言うのが、長年の謎でした。

 ・銅鼓には大きい男と小さい女が存在するという話も興味がありますね。銅鐸も時折入    れ子の状態で発掘されているのではないでしょうか。

 そうそう、三人の宴会は楽しいひと時でした。これからアジアで活躍する人、日本に帰る人それぞれ頑張って欲しいと思いました。

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嵐山 日中友好記念の地

  過去記事 井戸を掘った人

 先日、温家宝中国首相が日本訪問時に京都、嵐山を訪問された。日中友好の井戸を掘った周恩来首相の詩碑に挨拶をする為だった。中国首脳がこられると、この嵐山にある周恩来さんの碑に挨拶に来られるそうですね。私は今まで詩碑の事も周恩来さんが京都に住んでおられた事も知りませんでした。

 参考になる素晴らしい紹介記事がありましたので、参考にして下さい。

 雨中嵐山 参考記事

 (日本留学時代の周恩来さん)

 大正時代に周恩来さんは二年間、日本に留学されていたんですね。そして、最後の半年間は友人が住む京都に滞在されていたのだ。そしてこよなく嵐山、嵯峨野を愛したのですね。雨の嵐山は若い学徒の悩みを包んでくれた場所なのだ。

 私も学生時代には少しは、経済学をかじった学徒でしたが、周恩来さんは当時の京都大学の経済学者である河上肇に傾倒されたそうだ。マルクスの資本論については当時、河上教授が著名な学者として知られていたそうだ。

私の恩師で仲人でもある神戸大学の(故)則武保夫教授も若い頃は資本論をむさぼり読んだそうだ。ゼミではケインズを読まされたが、依然として経済学者の主流はマルクス経済学だったと思う。当時はマル経、近経と学生は呼んでいました。

 周恩来さんの若い頃のこの詩は何処か、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」に通じるような雰囲気を感じ、当時の学徒の雰囲気が伝わります。彼は詩人であり、哲学者だったのかも知れない。

  参考過去記事 ゲーテ街道の旅(目次編)

 次回、嵐山に行く時は是非、この詩碑を訪ねてみたいと思います。

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昼飯も命がけ

 今日も昼飯は近くの学生が集まるベトナムの飯屋にした。お店の中は六畳程度の広さで、多くは外の道路に置かれたテーブルで食べる。バイキング風で御飯に豆を煮たもの、卵焼き、空芯菜の炒め物、豚肉、そしてスープがついて1万ドン(70円程度か)。

 (色んな人が声をかけてくる)

 先ず定番は靴磨きのお兄さんである。スリッパみたいなものを持ち、靴を脱ぎ渡すと近くで靴を磨いてくれる。これは、店の中の床が汚いので靴が汚れるので、謂わば、靴の避難である。

 英字新聞を売りに来るおばちゃん、宝くじを売りにくるお姉さん、お金をせびりに来る人、時に坊さんまでがこられるので、お布施が必要だ。狭い道路で小さな机で小さな椅子で青空の下で食べる。

 (大音響がした)

 食堂の中の方で大音響がしたのだ。みると、床に天井で回っていたでかいプロペラが落下してるではないか。羽根が一つ曲がってしまっている。一人の客が頭を抱えている、血だらけだ。シーリングファンと呼ぶ天井扇が落下したのだ。

 被害者は打ち所が幸い良かったのか、騒ぎもしないし落ち着いている。店の関係者がタオルで静かに血をぬぐっている。何事もなかったように店員が落下したプロペラを何処かに持ち去った。大丈夫なんだろうか。

  (暑くなってきた)

 ハノイも数日前から気温が30度になった、湿度は75%以上だろうか、ホーチミンは36度だそうで、明日から哲ちゃんが出張するバンコックは35度だから、ホーチミンの方が暑いのだ。これからベトナムは灼熱の世界になるんだろうか。

ともかく、ハノイは湿度が高いのが難儀である、背広は何処か湿っている感じだ。これからの季節が恐怖である。

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組み込みソフト調べています

 最近の情報家電とか自動車とか普通の家電でも、そうそうラジコン飛行機でも仰山のマイコンが搭載され、膨大なソフトがそのマイコンで作動している。このようなソフトを組み込みソフトと呼ぶそうだ。日本ではこのソフトを開発出来るソフト技術者が不足してると聞く。

そういえば、近所のラジコン所長が自作のラジコン用のジェットエンジン開発で、各種制御用にマイコンを使用してそのプログラムを開発中だ。これは、組み込みソフトそのものですね。フリーソフトを使用して、随分と苦労されている様子だ。

  所長のマイコン奮闘記

 考えてみると、現在は携帯電話とかゲーム機とかデジカメとかレーザプリンタとか個人の身の回りの情報機器には沢山のマイコンとかLSIが搭載され多分、膨大なソフトが動いているんでしょうね。

  (jo君の経験では)

 39年前に初めて対面したのは、F230-15というメモリが32キロバイトしかないコンピュータでした。こいつを中継コンピュータとして仕立て上げ日本の都市銀行のメインフレームコンピュータを結合する仕事でした。存在したのは、ハードとアセンブラだけ、リアルタイムOSから入出力制御ソフトから全部一から開発が必要でしたね。

その後U200というマシーンに出会うがこいつに、15で開発したリアルタイムOSを搭載した。そして、最後に出会ったのがTownsでした。これも、最初は玉井さんのハードしか無かった。

 昔、高炉メーカさんの24時間稼動のオンラインシステムを手がけていた頃に、プロセスコンピュータというものに出会った。製鉄のプロセスで各現場のセンサーとしての役目をしているコンピュータでこれらを繋ぎシステム化した。

私は蓄積交換のオンラインには通じていたが、このプロセス制御のコンピュータはある割り込みに対して限られた時間内にレポンスしないと価値はゼロなのですね。システムの考え方の違いを学んだ。

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昭和20年代 殿山第二小学校

(過去記事) jo君の故郷 グーグルアース 

        殿山第二小学校ホームページ

 ハノイに赴任後何回か日本人学校を仕事で訪問させて頂いています。APECの折には首相の奥様がご訪問されました。小学生と中学生が通っています。学生さんと先生方を眺めていると、ついつい自分の小学生時代を思い出してしまいました。

 (明治5年創立)

 ”河内国第七区郷学校として創立 招堤村敬応寺を校舎とした。”と沿革にあります。1872年創立ですから135年の歴史を持つ小学校でした。

 今の校舎は既に建て替えられています、昔は木造で玄関には定番の二宮金次郎の銅像がありました。 参考 二宮金次郎銅像

最近の小学校ではみかけませんね。江戸時代に農民の家に生まれ苦学をして一生を農民の生活向上に貢献した尊徳さんと愛された人ですよね。ハノイの日本人学校に建立すればベトナム人に共感を得るのではないだろうか。

 ところで、昔、多くの小学校の玄関で薪を背負った金次郎さんの銅像は何処へ行かれたんでしょうかね。撤去した理由は何だったんだろうか。日本の農業の荒廃とだぶってしまいます。

 (校歌は懐かしい)

 殿山第二小学校校歌

 ・弓ずるの響 勇ましく 古人の あけくれに 

  心を鍛え 身を練りし みかりのあとに

  光あり

これは一番の歌詞です、今でも歌う事ができますね。ホームページでは伴奏がついていましたので、懐かしく唄いました。ところで、今の大人も子供もこの歌詞が判るのだろうか?

 招堤村、牧野村のあたりの古代史を知らないと理解できない歌詞なのだ。実は今も禁野という地名とか御狩野神社とが残っていますが、継体天皇の時代より河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)が支配していた牧場地帯であり、大王専用の狩場だったのです。

 ーJO君解説校歌一番

   ・私達が学ぶこの学び舎一帯は古代より由緒ある場所なのだ

    御狩野を駆け巡る大王とともに武人達は心身を鍛えたのだ

    馬上より弓を引き獲物を狙ったのだ

    そんな古代の人々が暮らした場所で勉強できるのです

    この学び舎と古代の人々と我々に光があるのだ

流石に130年の歴史のある小学校ですね。子供の頃は歌詞の意味も判らず還暦を過ぎやっと意味らしきものに辿りつけましたね。校歌とはこうあるべしと思いましたね。

 一番の歌詞は身体を鍛えましょうという部分を受け持ち、二番は遥か比叡の山延暦寺の学僧から勉強をしましょうと、勉学を示唆しています。淀川の流れは商業を勉強するという風にも意味がとれます。

三番は日本人の心を教えています、それは桜です。

 ・三番

  交野の原の 若桜 嵐をしのぎ 霜に耐え

  春の日陰に 咲き匂う

  花の力に 栄えあれ

 この三番の歌詞は校章を桜の花にしたのだと理解しています。今でも校章は桜の花ですよね。

 校歌というのは、卒業して50年以上経過しないと意味が理解できない。しかし、それが伝統というものではないだろうか。よくぞ今まで、殿山第二小学校はこの校歌を死守してきたのか関係者には感謝したいですね。

 殿二小学校入学記念写真

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線路を走る車

 日経ニュース 記事

 読売ニュース 記事

 これは面白い、テッチャンの故郷である、オホーツク方面で線路の上でも、道路の上でも走れる車が試運転したそうだ。どないな構造なんだろうか?

 JR北海道記事 参照

この車はDMV デュアル・モード・ビークルと呼ぶそうだ。

 線路を走る時は、前輪の前に格納した鉄道車輪を下ろして、タイヤの車輪が線路に接触しないようになる。後輪であるがタイヤが左右二個ついているそうで、内側のタイヤを線路に載せる。タイヤが外れないようにガイド用に鉄道車輪を下ろす。

なるほどな~~、タイヤで線路を走るんだ~~。勿論、前と後ろに鉄道用の車輪がガイドしているが、動力ではない。

 単線の線路と道路を組み合わせて柔軟な輸送が出来るんでしょうかね。だけど、オホーツクは雪が降るのではないだろうか。線路の上をタイヤで走れるのかな~~。

DMVと聴くと、アメリカ時代に出かけた免許書発行とか運転免許試験をする場所を連想してしまった。(department mortor vehicles)

 さて、ラジコンの世界では水陸空をこなす飛行機がありますが、あまり使用頻度の低い線路をもっと活用できないですかね。

線路の上を車が走るなら、道路と考えて、線路を滑走路にさせて貰うとか、線路を走る自転車とか、線路を走るバイクとか・・・・・。

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ココログ検索機能は便利だ!

 最近、私とかMuBlogのサイドバーに検索の仕掛けが出来ました。ココログの機能です。私のように既に1200個以上の記事を書いた者には過去記事を探すのにとても、便利です。

 又、よくコメントする友人のブログもココログだと自分のコメントを探す上でも便利である。ブログは連歌だとのたまったのは、ふうてん老人だった記憶があります。

   (漫才コメント合戦)

 MuBlogのブログで検索エンジンをブログ内に指定し”虎ノ門 蕎麦”と指定すると、昔懐かしい記事とは関係ないコメント合戦の記事が出てきた。

  MuBlog記事 小川珈琲本店記事

 確かこの記事が書かれたのは、休日の日で私も数名のコメンテイターも偶然に暇だった。この記事とは関係ない虎ノ門の砂場という有名な司馬さんも愛した大正時代からそのままあるような、木造の建物の蕎麦屋さんの話に展開した。

 記事の目次を作るよりも、このような検索が出来る方が便利ですよね。それにしても検索エンジンの技術は進化したものだと思った。

 (追伸です)

 MuBlogさんに関しての面白い記事を昔書きました。そして、初めての出会いとして、ほかもどりさんがコメントをされました。これが、初めての出会いでしたね。

  関西人研究 初期記事

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中学時代は丸坊主だった。

 先日、横浜の自宅に帰ると私の子供の頃のアルバムと母、叔母のアルバムがドッサリと発掘されたと、家内より告げられた。

 理由は、北海道に嫁ぐ娘の荷物の一部を我が家で引き取るので、我が家の開かずの押し入れを数十年振りに整理した時に発掘されたようだ。

 (中学時代の写真集)

 マイフォト 中学時代の思い出

 中学二年生になる時に、それまで通学していた枚方第一中学高から新設の第三中学高に通うようになった。集合写真は、二年生の時と卒業の時の写真ですね。担任は一澤万吉先生でした。

 この万吉先生が山登りが好きで、学校にワンゲル部を創設されました。私は運動神経は鈍くて、山を歩く位なら誰でもできるやろ~~、という甘い考えで入部してしまった。

 山の写真はワンゲル時代に近畿の山に合宿で出かけた時の写真です。当時は丸坊主でしたね。金剛山、比良山、大台ケ原、というような近畿の山に連れて行って貰いました。

 (万吉先生の思い出)

 厳しい先生でしたね、けど、生徒会活動とかワンゲル部活動には積極的にリーダーシップを発揮して生徒の指導をされていました。お陰で、私は両方をやらされました。

 時は過ぎ、35年振りの頃に突然に同窓会の知らせがあり、枚方の駅の近くの居酒屋で開催され、帰省してでかけた。先生に懐かしくご挨拶をして、当時のクラスの仲間と近況を話し合いました。

 母校 枚方第三中学校記事

 山行後のケア記事(中学時代の思い出あり)

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中国首相来日

 ハノイから喜んでいます、中国と日本の首脳は毎日話をするほど大事だと考えていました。経済界ではお互いなくてはならない存在になっていますよね。

 中国も政治的に安定し始めた証拠かもしれませんね。個人的には早く黄砂の問題とか空気汚染が偏西風で東に流され、日本の桜を枯らすのを早く防止したいものですね。

 NHKの解説者さんが、今回の訪問の件でエネルギー問題を掲げておられました、特に気になったのがエネルギー効率です。中国は日本の8倍効率が悪いという解説でした。ホンマかいな~~、と思い少しネットで調べました、報告です。

 (エネルギー効率国際比較)

 ・エネルギー効率国際比較 参考資料

 ・エネルギー利用効率 参考資料

 なるほど、98年調査資料からはエネルギー利用効率は8倍だ。しかしこの数値は エネルギー消費量(石油換算kg)÷名目GDP㌦ なんやね。

 中国の名目GDPは多分低いのでしょうね、なんせ黄土高原で畑耕してる人が沢山いますからね。 中国GDP参考資料 によれば、一人千ドル程度なんですね。

 日本の名目GDPはいくらでしょうか。資料日本の名目GDPによると年代が異なるが概略3万6千㌦なんですね。これでは発展途上国には不利な数字の出し方ですよね。むしろ、最初の資料の各種産業の個別の単位でのエネルギー効率を云々しないと可哀相ですね。

 しかし、最初の資料でわかる通リ日本はあらゆる分野でエネルギー効率では西欧とともに頑張っていますね。

 (経済力国際比較)

 ・GDP国際比較資料

 ・一人あたりの名目GDP国際比較

 数字でみると日本は確かに世界二位の経済大国であるが、一人あたりの経済力でいうと、13位ですね。上位は欧州諸国です。やっぱり大航海時代からの富の蓄積が大きいのでしょうか。

 アジアは日本を除いて、江戸末期の頃から植民地化されてしまいましたので、富を蓄積するには100年以上かかるでしょうね。

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スイス紀行 回想編 です

 どうも先日の水晶岳の事故のニュースから山が気になりだした。山と言えばスイスですよね、過去の記事からお勧めの写真を披露します。

 No.1は 氷河特急でしょうね。 氷河特急記事

 この写真はMuBlogのMuの旦那、それからのほかもさんから絶賛を頂いた写真です。多分に素材が良かっただけだと思っています。スイスに旅をされる方は是非ともこの氷河特急にお乗り下さい。

 No.2は シヨン城でしたね。  シヨン城記事

 この写真はほかもさんから佳作を頂いた作品です。

追伸:ほかもはんのご要望で 熊と一緒の写真

 スイス紀行の記録は以下まとめて目次にしてありますので、今年の夏に行かれる人は参考にしてください。

  スイス紀行記事目次編

しかし、スイスなのに山の写真が一枚も選ばれなかったのが残念でした。(笑)

 (スイス紀行写真集のご紹介)

 ・氷河特急写真集

 ・ユリア峠、サンモリッツ写真集

 ・インターラーケン写真集

 ・モンブラン写真集

 ・シヨン城写真集

 ・ツエルマット写真集 

 ・シャモニー写真集

 ・ハイジの里編写真集

 ・ユングフラウヨッホ写真集

 ・不思議なホテル写真集

 その後、世間様からよくアクセスを頂いた記事と写真はゴミ収集車でした。

  ゴミ収集車記事(不思議とアクセスが多いのです)

 私が予想するに、スイスは環境問題に真剣に取り組んでいる国です。観光にゆくにはいい国だが、住むとなると環境問題がうるさくて面倒という話を聴きました。

 スイスは必ず又、行きます、それ程素晴らしいところでした。

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定年を考える

      定年を考える

 私の周りの仲間が年内に定年を迎えるという人が多い。55歳とか56歳で役職離任という名の定年であり、職場に席は無いという。何時からこんな会社の制度になったのだ。管理職は組合も無いから無防備ですね、可哀想だ。

 昔は定年はその人が厚生年金が貰える歳まで雇用していたと思う。噂では、団塊の世代が退職すると会社は賃金面で随分と助かるそうだ。

  (家臣としての雇用制度)

 終身雇用と呼ぶそうだが、昔はそうだった。私が入社した昭和44年の頃は疑いも無く会社と言う藩に召抱えられたという気持ちだった。藩士だという気概がだれにもあった。だから、会社生活が生活の場でもあった。忠義という言葉も滅私奉公という気持ちがありました。

  (米国赴任で驚いた)

 北河内の田舎で育ち、神戸のハイカラな場所で青春を過ごしたjo君は花のお江戸で藩士となり、遂に米国に移住した。米国人のビジネスマンに私は何処何処藩のjo

だと名乗りをあげると、相手は、自分の名前を真っ先に言う、今、こんな会社に属してるという。

 そうなんだ、アメリカには可哀想に歴史が無く、藩ちゅうもんが無かったんだ。と、考えた。しかし、そのうち、どうやら米国は日本と違うらしいと気がついた。

 自分を生かす会社を選択してゆくという考えだ、終身雇用という概念が無い。正確には違います、当時のIBM,GEという会社は終身雇用にに近い会社だったが、マイナーな存在であった。

 シリコンバレーのベンチャー企業とばかりお付き合いしていたので、ショックは大きかったのかもしれない。

  (日本は貧乏だった)

 私が入社した頃は日本は貧乏でベトナムみたいだった。手取り2万円少しで1ドル360円時代ですから60ドルでベトナムのワーカーと同じだ。

 仕事が出来ようが出来まいが給料は同じだ、仕事が出来る人は仕事で恵まれる制度だった。出来の悪い連中は村落共同体だから面倒みないといけないと、誰も考えていた。

 Jo君はプログラムが下手だったから、随分と出来のよいテッチャンみたいな優秀な連中に助けられた。何時かは借りを返さないといけないと、考えていた。特に高卒の人々に随分と助けられた記憶がある。

 国が貧乏な時は優秀な人間が富を独占してはいけないと思う。今のベトナムは私はそれを心配している。皆で外貨を貯めないと駄目だし、GDPを上げないといけない。

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雲の平の思い出 再掲

雲の平 思い出 記事

 昨日、北アルプス水晶岳でヘリの大きな事故が報道された。痛ましい事故で言葉がでません。

以前に、水晶岳についての記事を書いた事を思い出し、懐かしく読みましたが未だ、ブログを書き始めた頃ですから読み難いですね、再度、段落をつけて改装します。

 ”雲の平の思い出”

 参考Web 雲の平  参考 北アルプス地図

 北アルプスの名所、空中庭園の想いでについてお話しします。

 (地獄の特訓)

 大学一年生のクラブ(ワンゲル)夏合宿は北アルプスの縦走でした。春からトレ‐ニングを積み、地獄の猛訓練でした。六甲台のキャンパスから山を下り、三ノ宮迄マラソンです、途中女子大が沢山あるんですが道草はご法度!

ヘタヘタで大学に到着すると、リュックに砂を入れて今度は六甲山を走って登るんです。これがきつい、車が通る道ではなく、登山道を走るのです。

 (夏合宿は雲の平へ)

 夏合宿迄かろうじて私は訓練を耐え抜き参加できました。後立山連峰に聳える、烏帽子岳の直登ル‐トを攻めます。

 30~40キロの荷物を背負い一気に登ります、これが有名なブナタテ尾根の登りです。8時間位かけて登れるル‐トですが14時間位でしょうか?途中で目が眩み、意識が無くなってきます。足だけが何か動くようです、段々視界が消えてきます。前を歩く人のお尻しか見えない。

 稜線に出ると霧が下から吹いて来ます、野口五郎岳を越え、鷲羽岳を越え、右手に真っ黒な水晶岳を眺め三俣蓮華岳のコルに到着します。二日間かかりました。念願の雲の平に到着です。

 (台風の雲の平)

 本来ならお花畑が迎えてくれる筈が天気が悪く、何も見えない。設営してキャンプに入る。そこからが悲劇でした、夜になるとシュラフが浮くんです、耳に水が入り込む、川の中で設営したようです。全員起き上がり、肩を組んで唄を唄うしかないんですね。ここはチトウでした。

地下数十センチは川なんです、折りしも台風が北アルプスをかすめており、台風に巻き込まれてしまいました。3~4日は動けず、夜は立った侭過ごしました。

 日に数回、ラジオの天気予報を聴き、天気図をつけます、南鳥島風力3、北北西の風何ミリバ‐ル・・・・・これが先輩がうまく描くんですね、最後に等高線をどう引くかで、まともな天気図になるかが決まる。訓練に訓練を重ねなければ天気図は描けない。

 (薬師岳へ向かう)

 ともあれ、1週間雲の平に閉じ込められました。笠ガ岳も槍ガ岳もピストンが出来ず、一旦千メ-トル下り、又馬鹿尾根を千メ‐トル登り黒部五郎を経由して薬師岳に登り下山しました。

 (そして)

 この時の初めてのアルプスの経験が私をその後、毎年百日は山に入る生活を四年間続けさせました。雲の平は私の山登りの原点です、夕日が赤牛岳を真っ赤に染め、三百六十度の展望は見事であります。

 その後、何回もここを訪れ、お花畑を愛で、黒部の源流に降下して針の木沢で岩魚を釣り、マスを釣り上げ(虹鱒)ムニエルにして食べ、黒部の渡しを過ぎ黒部ダムに到着する。是非お勧めです。

 (追伸)

 その後、何回も北アルプスにでかけましたが、水晶岳の山小屋の近くの雪田でテントを張り幕営しました。学生時代には一度も山小屋に宿泊した経験はありません。ヘリが離陸したあたりに幕営していたのでしょうか。

  確か、水晶小屋の近くは水場が無く、料理は雪を融かしてて使用したが、水は千メータ近く下り汲んできた記憶です。若くして亡くなられた先輩の石岡さんがジャンケンで負けて行かれた記憶です。

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桂林紀行の思い出

 数年前に年末の休みから正月にかけて桂林にでかけた事がある。この世とは思えない幻想的な世界であった。

  桂林紀行写真集 水墨画の世界

  桂林紀行写真集 桂林舟遊び

    桂林紀行写真集 続編

  桂林紀行写真集 少数民族編

  桂林紀行写真集  jo君

 食事をしながら酒を飲み、窓の外は神仙の世界だ。悠久の歴史を感じながら、ほろ酔いで甲板にでる。この桂林の世界は独特の世界に連れて行ってくれる。是非又、でかけてみたい場所の一つです。

 広州名物 子豚の丸焼き

 桂林紀行の時に広州に一泊した。食は広州にありと言われる程、食材が豊富なところらしい。子豚の丸焼きが名物だ。先日、ハノイのラジコン所長が広州にでかけ美味しいものを沢山食べてこられたそうだ。

時折、過去の記事を振り返ってみるのも楽しいと思いました。3年前の記事ですね。相変わらず同じような内容の記事を書き、一向に進歩しない事も判りますね。

 

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おもしろニュース

 4月8日ハノイ発、成田行きベトナム航空で以下の事件があり3時間遅れたそうだ。

 ネズミが飛行機を遅らせる

飛行機にネズミ持ち込むなよね!本当に迷惑かけるベトナム人がいるものだ。しかし、何故にネズミを持ち込んだのだろう?疑問が湧く。

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今日は雨です・・・・・

 昨夜は今日のフライトに備えて電動機二機の為にバッテリー4個を充電した、しかし今日は雨。早朝に所長から電話があり、早朝5時頃に凄まじい雨の音で目が覚めたそうです。何で日曜日に雨が降るんでしょうね。

 しょうがないので(暇だから)、この前に帰国した時に秋葉で購入したテトラ製のラジコン飛行機のキットを製作する事にした。飛行機は”サーカス20SR”という飛行機の製作です。

  サーカス20SR 参考

 機長1メータで主翼が1.2メータ、低翼で完全対称翼だからパイロン機に近いかも知れませんね。これはスピードがでそうですね。本当はかっちんの飛行機である、セダクションを購入したかったが在庫が無かった。

キットを見ると、バルサ板の数も少なく、簡単そうですね。これだと直ぐに出来てしまいそうです。もう一つのキットは”フラミンゴ10SR”という機体です。これは、電動機に改造するか考えています。

 (日本は選挙ですかね)

 都知事選挙の投票日のようですね、さてどうなるんでしょうか。私は神奈川県に在住ですから関係ありませんが、今は住民票もハノイに移していますので権利が有りません。

 最近の選挙ではインターネットは重要なんでしょうね、各候補に関する記事の数とかアクセス数とか随分と分析がされているんでしょう。私は経験有りませんが、大昔にコンピュータが普及始めた頃にTBSさんと富士通では選挙予測をリアルタイムでやりましたね。

私の仲間とか先輩でこのプロジェクトに参画された人が沢山おられました。プログラムを直前まで開発しているので、本番では緊張の連続でシステムダウンすると真っ青で、テレビは放映されているので、大変だったそうです。

 今は、開票1%程度で当確がつくケースもありますね、余程の接戦でなければ出口調査とか色んな事前の調査結果から予測が出来てしまうのですね。統一地方選挙第一弾だそうで、今日の夜の日本は深夜まで忙しそうですね。そうそう、大河ドラマは早まるのでしょうかね。

 (里芋と南京を煮る)

 今日の昼は里芋と南京の煮物にする事にした。里芋は一度あく抜きで煮て水を捨て、再度、昆布出汁で煮る、酒を多く入れ煮て砂糖、醤油で味付けをして最後に南京を入れて煮た。ハノイの里芋も南京も美味しい。

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ベトナムでこんな人材を育てたい

 ベトナムに来て数ヶ月が経過し、ベトナムの大学、日本企業の現地法人の現場、私の所属する会社、日本企業を辞めたベトナムのワーカーさん、青空市場で青果を販売するおばちゃん、共産党指導者の方、大学の先生達、掃除のおばちゃん、素晴らしい人々とお会いできた事を感謝している。

 さて、今日は珍しく、経済界というか、実業の世界と人材について考えてみます。特に日本企業にとりベトナムの人材でこういう人がいれば、助かるのではないかという仮説について、特にコンピュータソフト業界に的を絞り考えてみます。

 (企業にとって一番だいじな事)

 よく勘違いされている事に、外国に進出するとその国の風土を受け入れその国のやりかたで現地人を社長にしてあたかもグローバル企業であり、あらゆるものを受け入れる度量があるような経営のやり方は、私は好きではありません。

 企業には企業理念があり、国が変わろうが、何が変わろうが断固曲げてはいけないものが企業理念であり、会社が存立する柱だと考えています。ベトナムに来て成功している日本の製造業の現場に入ると、まさにこの事が守られています。

 会社というものは、自由競争の中で企業理念の旗のもとに人々が集まり、社(やしろ)を構えて生活してゆくベトナム風に言うと、村落共同体なのです。社ですから信仰があります。この目に見えない信仰を企業風土と経営学では定義してるのではないだろうか。

 この企業風土は国が変わろうが、代えては社が崩壊する。厳しい製造業の現場に入ると日本の製造現場の指導者が手取り足取り教え込んでいる。日本の品質に対する考えは従業員の命と同じだけ重い存在だ。

 (酒見さんの本)

 先日、ホンダで品質管理に35年従事されたという酒見和行さんの゛段違い品質を実現する現場力”という本を読んだ。91か条にわたる品質の十戒を読んで、これはまさに信仰であると思った。これは、世界のホンダの企業風土の一部なのだ。開祖は宗一郎さんなんでしょうね。

 あたりまえのことが書かれている。この当たり前の事は現場でしか伝えることは出来ない。そして一番難しいと思う。ソフトウエア開発については、私の先輩で尊敬する三浦亮一という日本のオンライン制御プログラムの開祖といっていい人の書かれた本を読んだ。内容は不思議と酒見さんと共通するものがある。

 (仕事のやり方が肝心だ)

 先日、日本の製造業で世界一の会社のCAD本部長とご一緒し、ハノイ工大を訪問した。大學のカリキュラムの調査と人材の調査である。印象的だったのは、”CADとかソフト分野なんて難しくないんですよね~~。それより、仕事のやり方が大事なんだよな~~。”

 このオジサン、車の中で10年かけてベトナムで人材を育てると決意をされていました。そうなんです、日本の企業が強いのは大學に期待せず、人材は会社で育てるという風土があるからなのだと思った。ベトナムには会社は今まで存在しなかった、国営企業は官僚機構そのもだから、自由市場での企業はあまり存在しなかった。

 (企業で働ける人材の基礎育成)

 私は今更、ベトナムで起業する気持ちはありません。しかし、若者で起業したい人がいれば私はサポートしたいと考えています、それでベトナムが近代化出来れば幸いだ。

私は日本の企業を相手にした、日本の企業で働ける人材の基礎育成をしたいと思うようになりました。特にターゲットはソフト開発できる人材です。重視するのは以下の通り。

 ・礼儀作法を教える

 ・日本語を教える

 ・仕事のやり方を教える

以上ですが、これで、100ドルの給料の人材を300ドル、500ドル、1000ドルの給料が貰える人材を育成し日本の企業に送り込む。

 

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ベトナム最新情報(2007-4)

 最近のベトナム関連ニュースをみて見ましょう。

 日本からの円借款950億円

 VIET.JOニュース

 JBICの詳細情報

 今回の内容は火力発電所、ホーチミンの鉄道、南北鉄道関連、そして私がよく通う日本の企業の工業団地がある地域の整備だ。ハノイから空港への高速道路から日本の工業団地への道は舗装されていなくて、おおきなトラックが行き交いメチャメチャ。これで、舗装してくれるのかな~~。

 1993年以降の日本政府による対ベトナム円借款供与額は総額1兆1000億円以上に達する。え~~仰山な金がベトナムに流れているんですね~~。ベトナムか借金を返せるんやろか。

 ベトナム経済成長率は8%で大丈夫

 世界銀行(WB)はこのほど、最新の「東アジア・大洋州地域半期経済報告書」を公表した。それによると、ベトナムは2007-2008年の2年間、8%の高い経済成長率を維持すると予測している。WTO加盟も果たしたので、加速するでしょうね。

 そうそうパナソニックがソフトの開発部隊を立ち上げるニュースが日本のテレビでも報道されていました、ハノイです。200人規模を目指すようですね、情報家電の組み込みソフトの開発でしょうかね。

 妻から告発され国営企業副社長辞職

 妻で元警察幹部のチャン・ティ・キム・フオンさんが、夫の不倫と国家予算の不正使用を告発したことに端を発している。国家監査機関が調査を行ったところ、Transerco社が無計画なホテル経営を行って2641万1000米ドル(約31億円)もの巨額の累積赤字を抱えていることなど、深刻な問題が発覚した。ベトナムの女性は怖いですよ、ご用心。

 魚獲り用電気銃で感電死

 沼に魚を取りに来ていたチエウさん、クックさん夫妻は22日朝、誤って魚獲り用の電気銃に感電して死亡した。夫妻はアルミ製の椅子に座っていたため、自らの電気銃が発した高電圧が水中から椅子に伝わって感電したものと見られる。悲劇ですね、子供の頃自転車を一生懸命こいで、ライト用の電気で魚を取ろうとした経験あるな~~。

 水不足の恐れがあるそうだ

 今後5年以内に深刻な水不足に陥るとの調査結果を発表した。ベトナムの水資源は平均的に分布しておらず、60%以上がメコンデルタ地方に集中している。残りの約40%が国民の約80%の生活用水と工業・生産分野の活動に充てられている。

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4ヶ月ぶりの日本で感じた事

 ハノイにはたった4ヶ月しか滞在していないので、日本に帰国しても感動は無いと考えていたが、意外と違う。日本が又、新鮮に思えたのだ。

 (人間の活動範囲が広い)

 ベトナムでは1時間半もかかり空港近くの工業団地に到着する。約40キロの距離だ。時速30キロ程度だ。これでも一番早い自動車と高速道路を利用してだ。日本では、鉄道もあれば、高速道路を時速100キロ程度で走れる距離に到達できる。

と、考えると日本はベトナムに対して3倍近いロジステック分野では効率が良い。大げさに言えば3倍の速度で経済を回転できる勘定だ。それと、人間が3倍の距離の範囲を移動する事が可能という按配だろうか。

 事実ハノイでは普通のサラリーマンは40キロも離れた家からは通勤出来ない。日本では新幹線を利用して通勤してる人もいますよね。新横浜の事務所に三島から通勤してる人はザラにいる。ベトナムでは考えられない事だ。

 と言うことは、ある会社が必要な人材は日本だと三倍の半径の円の面積で集める事ができますね、だとするとπRの二乗だから9πで28倍以上の面積から調達できる勘定だ。新幹線を考慮すると天文学的な数字になるな~~~。

 日本の高度経済成長と新幹線との深い関係という事が言われて来たが、やはり交通インフラは人、物を運べるから重要なんでしょうね。是非、ベトナムも交通インフラを整備しないと経済の発展は難しいのでしょうね。

 (人間生活と文化面はどうか)

 しかし、何ですな~~ハノイでは昼も夜も仰山な人間がたむろしている。東京都心なんぞは、夜になれば人がいなくなる。通りすがりの文化しかうまれんのと違うかな~~。その点ハノイで人間の移動距離が限られているから土地と人間の密着した文化が生まれそうな気がするがどうなんだろうか。

 江戸時代に話は飛ぶが、下町の文化と呼ばれるのは近所の人間関係が深い連中で出来上がった文化なんだろうな~~と、思う。話は又、飛ぶが欧州の都会を歩いていてもハノイのように仰山な人々に出会いませんね。何でだろうか?

そして、欧州の街は静かですよね、ハノイは一日中ウルサイのは何でだろうか。アジア人はウルサイ訳ではないですよね、日本は静かだ。ハノイはウルサイ。声がでかいのか、バイクもウルサイ、警笛もウルサイ、物売りも演歌を流す。

 (ハノイの家は一階は解放区)

 旧正月にアパートの周りをウロウロしたが、皆さん個人の二階建てか三階建てのお家の一階は道路に向かい開けっ放しなんやね。誰でも、や~~元気?と声をかける事が出来るのだ。昭和二十年年代の日本の下町と同じじゃないだろうか。新横のラーメン博物館に行けば昭和三十年年代の下町が再現されていますね、同じ雰囲気です。

二階、三階は寝室で何世帯も住んでいる、夏の夜は蚊帳を吊るそうだ。タン君の家もそうらしい、懐かしいね~~。近所が助け合いながら生きてゆく世界が未だ存在するのだ。

 ハノイでは家父長制が歴然と残っているそうで、父親の権限と長男の権限は絶大らしい。しかし、そのうち近代工業化が進むと核家族化と若者の権限が大きくなるんでしょうね。老後はハノイの老人ホームで暮らすのがブームになるかも知れんな~~。

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蓬莱島と箸墓古墳

  蓬莱島と箸墓古墳

 唐突ですが、蓬莱島とは何だかご存知ですか?実は、成田空港で購入した気軽な文庫版の“日本地図の謎 おもしろ島々地図”という本で知りました。地図ミステリー愛好会編という、少し怪しい(失礼)編者なので早速購入、機中で読んじゃいました。

 その中で、皆様ご存知の富山湾の魚津沖に出来る蜃気楼の話です、この蜃気楼で出来る映像を蓬莱島と呼ぶそうです。例の秦の始皇帝が東シナ海彼方に存在すると信じた蓬莱山の伝説に由来します。神仙思想ですね。

 伝説によると渤海の東の彼方に蓬莱山とか蓬壷と呼ばれる壷形の山があり、そこが不老長寿の仙人が住むユートピアと考えられていました。この本によれば、“この蓬莱山伝説が日本にも伝わり、庭園の池に蓬莱山に見立てた島を作る伝統が生まれた。実は、古い時代の前方後円墳も、蓬莱山伝説にもとずき生み出されたという説が有ります。”

 (ヒミコの時代)

 この本ではここで終わっているが、まてよ、ヒミコは魏志倭人伝によれば鬼道に長けた巫女さんでしたね、これは神仙思想に通じる指導者の姿です。中国人が一番憧れ且つ日本の位置が蓬莱山方面に存在する事実をヒミコの後継者が利用した可能性は無いか?

 当時は大国中国と周辺諸国は緊張状態にありました、朝鮮半島の公孫氏は滅ぼされ、翌年にヒミコは魏に使いを出しています、極めてグローバルな時代です。日本の大王は蓬莱山の仙人であると中国人に思わせる戦略は外交戦略としては最高だ。

 箸墓古墳を横から眺めると海に浮かぶ壷島、ひょうたん島だ。(ひょうたんについては此処で述べないが、これも中国人が信じる神仙思想と関係が深い)

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ハノイに帰りました

 ハノイに帰りました!

  渡航直前に又、歯痛が起こり且つ上顎の数本纏めた義歯が笑った瞬間に床に落ち(大笑)そいつもついでに接着して貰い先生に、“早くハノイの大学の先生に治療をして貰いなさい!”と、きつく指導されました。

どうもハノイに行く直前には何時も歯痛が起こり、飛行機の中では気圧が下がるので、化膿した歯はメチャ痛くなると脅かされています。医者さんに酒は少し程度なら大丈夫?と訊くと、何を考えているんですか!激怒でしたね。

 無事、ベトナム航空のビジネスクラスで品行方正に酒も飲まずスッチーに悪戯もせず、真面目な空の旅となった。ガラガラでしたね、多分隔日で飛ぶJALが人気なんでしょうか?(コードシェア;即ちベトナム航空とJALが共同運航)

 (ハノイは寒い)

 

 12日ぶりにハノイに帰りましたが、日本のように寒いのには驚きました。空港からハノイへの高速道路から眺める田圃の稲は随分と生長していましたね。やはりベトナムの良さはこの田園風景にあります。

会社に寄り、挨拶をして自宅に戻り居ない間にヤモリ君が我が物顔で占拠していないか、心配でしたが、見当たりませんでした。全ての窓ガラスを開け放ち空気を入れ替えて換気の為にクーラーを全て全開で空気の入れ替えです。

 

 帰宅すると玄関ロビーで直ぐに受け付けの女性から飲料水とか電気代とかの請求書を手渡された。ADSL20ドル飲料水6ドル、洗濯代5ドル・・・ホンマまともに繋がりもしないインターネットに20ドルも毎月払わんとアカンのや。洗濯代てなんやろか?

 ま、あんま訳が判らんのがベトナムです。細かく突き詰めるとくたびれるだけです。

  (日本最終日の宴会)

 42日の夕方、新横浜でふうてん老人と明石の君と宴会でした。私は傘をさしママチャリでお店に乗りつけた。歯医者帰りなので、酒は飲めずお茶ばかり10杯以上飲んだ。明石の君もこの6月で現役を退くそうだ。御苦労様でしたね、週に一度は東京と明石を往復する日々が何年間続いたのだろうか?常務さん御苦労でした。

 ふうてん老人は今後、明石の君は播州方面に隠居し、Jo君は南越の河内に生息することで一緒に酒を飲めなくなるのを寂しがっておられました。これも世の定めと諦めたまに集まり杯を傾けるのも楽しみと考えましょう。

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明日ハノイに帰りますよ~~

 明日帰る段になると、又、歯が痛くなった。昨年12月4日の赴任日の朝、自宅そばの歯医者に駆け込んだ記憶が蘇る。今から歯医者に行き薬を貰います。

さて、今回の帰省で久しぶりに日本を満喫した。何をするにも金がかかるという印象、しかも高い。金持ちにはいい国だろうが、貧乏人には不便な国だ。

 (信州は良かった)

 日本と言えばやはり山ですね。白馬村での数日は実にのんびり、美味しい蕎麦を食べ、好きな料理を自炊してラジコン飛行機を飛ばし、数名はスキーを楽しみ実に充実した数日間でした。白馬村と後立山連峰の景色は四季異なる、この30年間定点観測してきてるが実に素晴らしい。気兼ねのない友人とともに田舎で過ごすのは格別だ。

 (それぞれの旅立ち)

 次女の結婚式と息子の会社の入社式も終わった。今日の朝は私も5時半に起き、息子のパンを焼き、ソーセージを茹で、送り出した。出来れば、このまま真面目に働いて、成長して欲しいですね。娘と孫も元気で新天地、北海道で頑張って欲しいです。これで、今後、北海道の美味いものが届くのではないか?期待できますね。

 (友人の闘病)

 今日は、闘病中の友人と一緒に仕事をしていた某、財務会計のプロの友人と新橋の第一ホテルで昼食をともにした。友人とか身内の病気は辛いものがありますね。何とか、病魔に打ち勝ち快復される事を祈るばかりです。病室から桜が見れないのが辛いと思います。

 (芋タコ・ナンキン終わった)

 ハノイでも朝6時15分から楽しませていただいた。最終回には原作者と、多分、秘書さんがチラッと登場されていましたね。役者が良かったのか、原作がいいのか、演出が良かったのか、ともかく楽しかったです。大阪のいい部分が堪能できた感じです。

 (次回は7月下旬だ)

 赤とんぼの合宿は4ヶ月間隔で合宿があります。私の次回の帰国もそれに合わせて帰ります。夏合宿ですね、昨年は連日、雨にたたられましたが、その時は宴会すればいいので、特に気になりません。雨の白馬村も素晴らしいものがあります。

 それでは、桜満開の横浜をあとに明日、ハノイに帰ります。

 

 

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