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jo君のハノイ暮らし(7)

私の住んでる場所の近くを鉄道が走っています。ハノイとホーチミンを繋ぐベトナムの生命線の鉄道です。単線で、ジーゼルなんですけどね。

Tanroniseki_004 Tanroniseki_002  汽笛を鳴らしながら街中を走ります、ハノイ駅はあともう少しで到着なんです。一度は乗って、中部のフエ迄行きたいと考えています。

深夜とか朝方には時折ベッドの中で汽笛の音を聞きます。

 (結婚式が多い日でした)

Tanroniseki_054 Tanroniseki_119 Tanroniseki_120  これらは別々の場所の光景ですが、式を教会でする人もおられるんですね?日本みたいですね?こちらは、大げさにやるそうで、沢山の親戚とか友人とかそれはそれは、豪勢なものです。

この日はとても結婚式が多かったので、大安だったかな?自動車には花束をくくりつけて街中を走ります。華やかでとても気持ちのいいものですね。

 (謎の植物)

Tanroniseki_005  小さなみかんみたいですが、何でしょうね?テトの時の飾りの植物なんだろうか?判りませんが、おじさんは一生懸命運んでいましたね。

今度、ベトナムの人に訊いてみます。

Tanroniseki_052  南京豆の横にあるでかい長芋みたいなもんは何なんだろうか?でかすぎますよね?

これも、今後の調査にご期待下さい。

Tanroniseki_053 これは、薩摩芋ですね、紅芋だと思います。沖縄ではよく見かけましたね。あんま私は好きではありませんけど。

やはり、私は里芋派です。家内は薩摩芋派ですがね。

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ハノイ歴史博物館

 軍事博物館を見学して、お昼となりタクシーに乗りソフィテルメトロポールの向かいにある人気のある小さなレストラン、オーラックカフェに出かけた。私は生春巻きとビールで家内はBLTを注文です。

  グーグルアースで現場紹介

「orattsku-kafe.kmz」をダウンロード残念ながらデジカメは電池が無くなり、写真は有りません。

庭のテーブルには西洋人が沢山食事をしていました。確かに向かいはフランス統治時代からの名門ホテルであるソフィテルメトロポールですからね。

 さて、刺繍の絵を購入したいので、歩いて専門のお店に行き沢山の刺繍絵を見学したが、欲しい大きさのものが無かった。私はベトナムの田園風景の刺繍絵が好きだ。

 ベトナム刺繍絵

素朴で,何処か谷内六郎さんの週刊新潮の表紙のような風情が漂うので私は好きですね。

 さて、歴史博物館でしたね、歩いて行けます。

 「rekishi-hakubutsukan.kmz」をダウンロード

入場料は2000ドンかと思うと、外国人は違いました。

 残念ながらデジカメは電池が切れていましたので、再度、訪問した時に詳細は報告します。ともかく、ドンソン遺跡の巨大な銅鼓には度肝を抜かれました。ここに展示されているものが、自分で理解できるまでは時間がかかりそうです。

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今週末 千葉で飛行会らしい?

 赤とんぼ横浜組と千葉組は今週末に飛行機とヘリを飛ばすらしい?天気が良ければいいのだが。と、ハノイから心配しても始まらない。

 わこちゃん 今週デビュー機

 名前は 大王イカ だそうだ。以前はプッシャー機でしたが、私のアドバイスで燃料タンクを頭に格納して機体が傾くと燃料が後方のエンジンに供給されないという、初歩的設計ミスを犯し墜落大破した。(責任を感じています)

 最近の わこちゃん製作機

 AT802という機体らしい?これは、電動機でリポ電池とブラシレス・モータで駆動する飛行機だ。バルサはレーザカットで作りやすく一気に仕上げた様子です。最近は熱が入っている様子ですね。

 かっちん、ラジコン親父、岩ちゃんの近況は不明だが、さて、週末の報告が待たれる。

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タンロン皇城遺跡が知りたい

 yaaさんの話では現在は公開されていないが、ホーチミン廟の東に国会議事堂建設予定の土地から皇城遺跡が続々と発掘されているらしい。日本も含めた発掘の検討がされているという。

 今回は玄武門とおぼしき場所である鎮武観(真武観)と後楼、五楼門、旗台と公開されている場所だけを見学した。残念ながら東の青龍の場所とおぼしき東寺門(白馬寺)は未見である。タンロン宮殿の東門と想定される場所であるそうだ。

私の家内とか娘、義妹が好んで買い物とか食事に出かけるホアンキエム湖の北にあたる。旧市街地の中だ。西の宮殿の門とおぼしき白虎の場所は動物園の中らしい?未見である。

 長安城とは? 日本の平城京も平安京もモデルは長安の都である。ベトナムが独立して宮都を構えた時に中国の影響は大きいでしょうね。グーグルアースで再度、上空からタンロン宮都を眺めてみよう。

 タンロン皇城跡か?「koujyou-ato.kmz」をダウンロード

 西鎮 白虎門跡? 「byattsuko.kmz」をダウンロード

上空から眺めると西湖(太湖)の南に都が存在していた輪郭が見えませんか?yaaさんの話では、太湖から都に川が流れていた筈だそうだ。鴨川みたいなやつかな?(笑)藤原京だと飛鳥川か?

 実は平城京の時代に阿倍仲麻呂が安南都護府の長官として二年間赴任したのが、この場所だという推測だそうだ。768年の時である。名前は朝衡という中国風な名前になっていた。その頃の遺物も出土しているという。2010年に平城京遷都1300年祭だ、そしてタンロン建都1000年祭だそうだ。夢はふくらみますね?

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旗台と軍事博物館

Tanroniseki_100  旗台です、タンロン皇城の一部ですね?レンガで出来た旗台ですが、今はベトナムの国旗が掲揚されています。昔は、各時代の王朝の旗が掲揚されていたんでしょうね?

グーグルアース 旗台位置(グーグルアース必要です)

「hatadai.kmz」をダウンロード

 今はここは、軍事博物館の一部になっています。二万ドン払い軍事博物館に入りました。軍事博物館の展示は難しいのではないか?その時々の政治に左右されるものでしょうね?歴史博物館の場合よりも政治が絡むでしょうね?

 私はベトナム近世史に詳しく無いし、勉強もあまりしていない。これからベトナムに暮らしてじっくり勉強する予定です。先ずは、軍事博物館を観察して今のベトナムが戦争というものをどう捉えているか?参考にした。

Tanroniseki_102_1 Tanroniseki_103  入り口の右コーナーに古代編がありました。古代の戦争で使われた銅剣とか銅カ、モンゴルと戦い三度戦勝したあの有名な海戦。ベトナムの英雄であるチャン・クォクック・トアン(陳国峻)がバクダン江で元軍を破った絵が飾ってありました。

モンゴル軍を粉砕したのは日本とベトナムである。日本は台風のお陰ですが、ベトナムでは頭を使った。(笑)バクダン江の河床に杭を打ち込み上部を鉄で覆い仰山埋め込んだ。そして満潮時に元軍の船団を誘い込み引き潮時に動けなくなった船団を小さな船で囲い集中砲火した。

 これは、938年に唐王朝が滅びベトナムが独立国家を築こうとした時に南漢軍の戦艦が同じくバクダン(白藤)江に攻めて来たことがある。ゴ・クエン(呉権)はハロン湾からバクダン江に誘い込み元軍をやっつけたと同じ方法で壊滅させた歴史がある。中国軍は二回も同じ方法で海戦を負けている。実は、その後も宋の時代にも同じ方法で負けたらしい。

Tanroniseki_104 Tanroniseki_109  ベトナム戦争時代が中心ですが、撃墜した米軍とかフランス軍の戦闘機の残骸をオブジェとして展示してありますね。

ベトナムは千年の中国の支配から独立し、その後も中国とは朝貢関係を維持しながら独立を続けた。しかし、フランスの侵攻に合い、そして日本、そして私の学生時代のベトナム戦争へと続いた。

 ベトナムは長い外国との戦いの歴史です。独立時代でも現在のベトナム中部のフエ近郊のチャンパ王国と何度にも渡り戦った。

Tanroniseki_118 Tanroniseki_116  この旗台から古代のタンロン宮都を眺め、現実の血なまぐさい軍事博物館を眼下に見下ろして、何時までも今の平和なベトナムが続く事を願うばかりです。

博物館の二階で上映されてるジオラマと映像での1954年のディエン・ビエン・フーの戦いは迫力がありました。何で中国語で説明されてるのか疑問はある。(団体客で中国人が多い?)

しかし、この博物館もタンロン皇城遺跡に建立されている、何時かこれらの軍事施設が取り払らわれ50年計画か100年計画でタンロン皇城遺跡の発掘プロジェクトが開始されるのを楽しみにしています。

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タンロン皇城遺跡へ

 ハノイ北部の巨大な湖である西湖(太湖)の南岸の小島にある鎮国寺(ベトナム最古)を訪問し湖畔を歩いて鎮武観に向かった。そして、又、歩いてタンロン皇城遺跡に向かう。位置関係はグーグルアースがわかりやすいので、グーグルで示します。(グーグルアースのソフトは皆さんダウンロードしておいて下さい、JoBlogでは必須です)

 鎮国寺

「chinkokuji.kmz」をダウンロード

  鎮武観

「chinbukan.kmz」をダウンロード

  タンロン皇城遺跡(端門)

「hamon.kmz」をダウンロード

 (西湖の湖畔散策)

西湖風景

ボートを足で漕ぐ

 鎮国寺に到着したのは、朝の8時半頃でした、のんびり見学し西湖のほとりを歩いて鎮武観に向かう。湖のゴミを拾う係りの人がボートで回収作業です。足でオールを漕いでいました、器用な人々ですね?

鎮武観は大きなお寺でしたから、直ぐに見つける事は可能です。真武観とも呼ばれているんですね?お寺の門にはその文字でした。お寺から発掘されたものも無造作に展示されています。此処がタンロン皇城の北の守護の場所なんですね?

 (後楼?Pagoda of Ladies)

看板を見つけました。女性のお寺?

Tanroniseki_056

 マイフォト タンロン皇城遺跡

 このあたりは軍の施設ばかりで、本来のタンロン皇城遺跡の発掘現場は現在、一般市民は入る事が出来ないようです。歩いていると、女性のパゴダという看板で、入ると大きな楼閣が聳えていました。発掘されたものが、ガラスケースの中に格納されているが、誰も管理する人もいないし説明もありません。

勿論、一般観光客も来ないし掃除のおばちゃんと私たちだけです。ベトナムの人はあまり過去の遺跡には興味が無いのかな~~?立派な楼閣でしたよ。静かだし、楼閣の上にも登れます、祭壇もありました。

 (端門) 五楼門

Tanroniseki_095

 この場所は現地では、Relics of Hanoi Ancient Citadelという説明でした。

巨大な門があり、勿論、中国の長安城の門には負けますが劣らぬ巨大な城郭の門でした。一部発掘現場が公開されています

 楼閣に登ると、遥かホーチミン廟が見渡せます、そして、軍が管轄する建物が沢山見渡せました。

梅の花が咲いていましたよ!

Tanroniseki_099

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今日はハノイ観光です・・・・

 ハノイ赴任以来、土曜日は月に一度だけが休みで、働いている。日曜日だけが休みだ。もう忘れかけていた37年前の新卒で会社勤めした頃を思い出す。そのうち、半ドンになり随分と年月が過ぎてから完全週休二日となった。

ハノイは未だ土曜日は働く時代なのだ。だから、日曜日は思い切り遊ぶのだ。が、ラジコン所長はベトナム人の結婚式だそうで飛行機は断られた。家内をハノイ観光につれて行く事にした。

今日の予定は鎮国寺、鎮武観、タンロン皇城遺跡、軍事博物館、歴史博物館と目白押しである。

 (鎮国寺)

 マイフォト 鎮国寺 鎮武観 参照

 鎮国寺は現在ハノイの一番北にある巨大な湖である西湖の一番南に位置する小さな小島に有ります。元々は6世紀に紅河のほとりに開国寺としてベトナム最古の寺として建立されたものを、ここに17世紀に移築されたそうだ。

Tanroniseki_028 ベトナム北部は仏教の普及が早かったのだ。日本と同じ頃には仏教が伝来していたんですね?庭には須弥山が築かれていました。何か、中国の風情が感じられるお寺でしたね。西湖(太湖)の綺麗な風情に似合う美しいお寺でした。

 (鎮武観)

Tanroniseki_033  次はベトナムが中国から独立して建国した11世紀の李朝時代に皇城の北の守護殿として建立された道教寺院である。yaaさんのブロッグを読んで是非行かねばならないと思いました。 

  yaaさんの宮都研究ブロッグ 四鎮について

yaaさんの推測ではタンロン皇城の京域を考える上でこの北の守護殿は位置的に重要と考えておられます。北を守るのは玄武ですね、亀と蛇の巻きついた想像上の動物です。

(注 四神 キトラ古墳) キトラ古墳玄武

Tanroniseki_044 お寺の説明では、北敵を討って国を守ったという玄天鎮武が祀られているという。重さ4トンの大きな銅像が祭られていました。

足を触ると、ご利益があるというので熱心な信者の女性が足をさすり、お布施をされていました。

一応、私も足がつらないように、さすりました。

さて、これからはタンロン皇城遺跡に向かいます。歩いてゆきます。

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VIET.JOニュース紹介

 最近のベトナムの社会面のニュースをVIET.JOから拾い読みしましょう。  

 15歳の少女の髪の毛から突然煙が・・・え?超能力?

 (続報)専門家の意見では・・・・ホンマかね?

 危機一髪 兄弟千人の乗客救う 良かった!

 空飛ぶタクシーか? 何だそうか

 不発弾解体で事故痛ましい事件だが、戦後日本でも

 温暖化で浸水 他の国でも?

 消火栓部品泥棒 水がもったいない

 電線でバイク事故そう、よく見かける

 紅河最低水位か?異常気象か?

 ココナッツ園とヘルメットハワイでは椰子の実保険!

ベトナムは男女平等 そうやろな~

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ベトナム 新投資法、統一企業法

 ベトナムは昨年末のWTO加盟を果たす為に昨年夏、抜本的な投資法と企業法の改革を起案し国会を通過させ実施した。国営企業もこの法律の配下で取り締まられる。そして、国営企業の多くは今後2010年7月迄には民営企業に移行が必要である。

 昨日、半日をかけて日本語版の法律が現地の弁護士から送付されてきたのを速読した。注意深く肝要と思われる場所を読んだ。特に投資法と統一企業法の中の株式会社法である。実は数年前に設立された古い法律の元で設立された株式会社の事業拡大に伴う定款の変更を考えていたので、実務としても必要なのです。

 速読した印象は全く従来の法律からかけ離れた別世界が構築されたという印象で、西欧自由主義経済圏と同じ法律の精神で貫かれているという印象だ。海外投資家、海外の企業がベトナムに安心して進出し、資本を投下し企業活動をしても安全ですよ!という、内容になっています。

ご興味ある人は、是非この新投資法、統一企業法を読まれることをお勧めする。従来はベトナムに投資をするには障壁が多く、又、利益を海外に持ち出せない縛りが多く存在し何時又、法律が突然変わるか不安の中で海外の企業は活動していたのは事実だ。

 ベトナムに赴任する前に実は本件に関するセミナーを受講してきた。ベトナムに詳しい市川さんの講演でした。今回は、国会を通過した法律そのものを読むことができた。

ベ トナム政府の決断はなみなみならぬ決断だったと思うし、多くの保守派が存在する中で経済政策の大転換だった筈である。これで、中国の東シナ海沿岸に急激な経済拡大した外国資本を南下させる戦略でしょうね。又、政情不安が起こり始めたタイ経済圏からの海外資本の受け皿として今後期待をかけている。

 今、世界中の資本家はこのベトナムを分析しているのではないだろうか?法律の枠組みは完成した、さて、実際にベトナムに進出して問題は他にないだろうか?皆さん情報収集と分析に追われていると思います。

 既に合弁企業として進出して来ている従来の海外企業はこれからの賃金高騰を心配しているでしょうね?インド、タイ、シンガポール、インドネシア、中国、フィリピン等々とベトナムの賃金を比較すると現在ベトナムが最低である。これが、魅力となっているし人口構成も30歳以下が7割以上を占める。8千万人の人口を抱え多くが真面目で頭がよい。

 従来の現地企業と合弁しか許されなかった海外企業では企業利益を本社に転送できなかった。それは、取締役会での全員一致の原則が存在したからだ。ベトナムの利益を代表する役員が拒否権を発動するからだ。これも姿を消してしまった。そして、統一企業法では利益を海外に持ち出せる事をちゃんと書かれている。

紛争の解決も海外資本の企業では現地の企業との紛争で海外の裁判所で解決できる道を与えている。そして、ベトナムが加盟している国際法に従うと明記されいた。

アジアの戦略拠点として今後、ベトナムが益々重要な国になるのは明白でしょうね。この国は政治が安定しているし、仏教徒で殆ど占められている。問題はインフラの整備でしょうね。港も良くないし道路と鉄道も整備されていない。

 ハノイとハイフォン港の高速道路の深夜は命がけだと聞いた。大型トラックが爆走し危険だと言う。鉄道輸送は国営であり問題が多いらしい。これらの課題も今後10年も経過すれば大いに改善されると期待されています。

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懐かしシリーズ 目次編

 2006年には懐かしシリーズの記事を連載しました。古いアルバムも何時かは朽ち果てるので、あまり恥にならない程度で連載した記事です。

皆様も時折古びたアルバムを懐かしく開かれると思います。私はどういう訳か子供の頃のアルバムが全て何処かに消えてしまいました。実家を処分した時のドサクサで失ってしまったようです。niftyさんに預かっていただければそのような事は起こらないと思い少し、デジタルアーカイブ化しました。

 30年前の赤とんぼとアメリカ

 独身時代

 豪州への旅 1986年頃

 ワンゲル新人時代と別れ

 懐かしシリーズ(1) 高校時代、ワンゲル時代

 懐かしシリーズ(2) 高校卒業旅行

 懐かしシリーズ(3) 大學卒業旅行 親友樋口さんと

 懐かしシリーズ(4) ワンゲル時代 屋久島宮之浦岳

 懐かしシリーズ(5) 家族もろもろ

 懐かしシリーズ(6) 26年前の大倉山

 懐かしシリーズ(7) 米国紀行 1999年8月

 懐かしシリーズ(8) ヨセミテ編

 カナデアンロッキーへの旅(1) バンクーバー&車窓編

 カナデイアンロッキーへの旅(2) 湖と氷河へ

 ハム時代の思い出

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私の愛機バレリーナ

 私は今までテトラ製のバルサキットから”バレリーナ”という機体を4機製作してきた。今は5機目を製作しているのだ。ハノイ赴任の時にちゃんとバルサキットを持ってきた。

2004年3月頃のバレリーナ  2003年頃の合宿

バレリーナ2号機製作開始

2004年10月頃のバレリーナ

2004年11月頃の書斎風景

悲惨、2号機、阿蘇山で墜落大破 2004年12月でした

バレリーナ3号製作 2005年4月である

バレリーナ3号だいぶ出来てきた

バレリーナ3号機完成する

斎は飛行機だらけになる 2005年の5月頃

バレリーナ3号 初夏の鶴見川で軽快に飛ぶ

盛夏早朝フライト鶴見川 バレリーナ3号

バレリーナ無残、墜落大破 秋合宿 2005年11月

4機めのバレリーナ製作開始 2006年1月なのだ

バレリーナ4号 完成する 2006年2月には完成!

バレリーナ4号機 雪田に消えるの巻 2006年3月冬合宿

5機目のバレリーナ製作始まる 2006年12月イン ハノイ

同じ飛行機をこれだけ製作する人も珍しい。

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ベトナムでの日本語

 最近のベトナムでの日本語需要について私の経験してる限りの範囲で少し、触れます。

 ベトナムに進出する日本企業は急激に増加しています。昔はホーチミンでしたが最近はハノイが主力です。ハノイにはベトナム政府の意向もあり大規模な日本の製造業が進出してきています。問題は、日本語を喋れるベトナム人が少ない事ですね。

日本語が出来るベトナム人の給料はここに来て急騰しています。これは、過去の中国は上海での状況に似ているのかもしれませんね?

 そこで、大企業の場合は社内で日本語を教えるカリキュラムが組まれ、給料と連動するシステムを採用する企業が増え始めました。

 (製造現場の問題)

 多くの製造関連のマニュアルは日本語で書かれています。正確にベトナム語に翻訳しないとトラブルの原因になります。マニュアルの翻訳には製造業のノウハウが集積されており、企業秘密が多いです。問題はベトナムの機密保持に関する習慣です。

企業内に翻訳部隊を設け、企業内で翻訳するのがベストでしょうね?しかし、製造業の本分は製造ですから、翻訳とか機密保持に関する専門家は少ないのが現状ではないでしょうか?それに、鍛造とか、塗装とか、プレスとか、組み立て製造業のプロセスは専門知識が必要です。

 海外進出企業では常に上記問題が抱えて今まで事業を展開しています。立ち上げ時は日本から仰山の専門家を投入し、立ち上げるが、問題はその後の現地での現地民での確実なフォローです。

 (企業理念の伝道)

 結局、最後に重要なのは企業理念を確実に現地の人々に伝えることが出来るか?創業以来の企業理念は一番重要ですね。言葉、習慣、宗教を超えて普遍のものとして企業理念を現地の従業員、管理者、経営者に伝えることが出来るかに命運がかかっています。

企業は生き物であり、大事なのは企業を支える人々です。単に、正確に、品質の良い安く物を作るだけでは長く企業が続かない。そこで、企業理念が重要になります。早く現地化できた企業が将来は必ず成功すると私は思います。

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Misayoはメキシコです!

 Misayoはブルゴーニュに帰ったと思えば、今はメキシコらしい?フランスは今、寒いのでメキシコに避難してるのかもしれない。

 http://misayonne.exblog.jp/

赤とんぼの、わこちゃんは飛行機の修理と新しい飛行機の製作に入った模様です。

 http://geocities.yahoo.co.jp/gl/mimikabutomyuu/

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ハノイ埋もれた巨大遺跡

 先日ホーチミン廟を訪問したが、実はその東の方角に巨大な皇城跡が埋もれているののが最近判明したそうだ。平城京と中国の長安に匹敵する皇城が眠っているらしい。

http://gissv2.cseas.kyoto-u.ac.jp/kiban-s/index.php/thanhlong

http://gissv2.cseas.kyoto-u.ac.jp/kiban-s/index.php/thanhlong01

 阿倍仲麻呂が安南都護府の長官として任命された頃からの遺跡が重層的に埋もれていると言う。11世紀に中国から独立してベトナムはここに皇城を築いた訳だが19世紀までの王城跡が埋もれているらしい。

実はこの話はひょんなご縁で連絡をとらせて頂いたyaaさんの宮都研究のブロッグからです。

 yaaさんの宮都研究ブロッグ

 厚かましくもyaaさんにメールを入れ、快くご返事を頂きその後メールのやり取りが続いています。yaaさんは既にハノイに4回も日本の調査団として来越し、ハノイの考古学者及び関係者と研究を進めておられるそうだ。

メールによれば、yaaさんは長岡京の発掘を25年間も続けられたそうで、日本の宮都研究では著名なお方だそうだ。

先年、東京大學で開催された国際公開シンポジウム ハノイ千年王城 においても講演をされています。

 私は是非、日本からベトナムを支援するならば、目先の工業化だけでなくこのような文化的な世界の財産を守るプロジェクトに資金も人材も供給すべきではないか?と思います。

2010年にハノイのタンロン(昇龍)皇城建都千年祭、奈良、平城京建都千三百年記念祭これを共同で行うのは如何なもんだろうか?夢は膨らむハノイであります。

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朝市に付き合う 二度目編

 日曜日の朝は又、家内の朝市探訪に付き合った。これで、二度目の朝市である。自宅から歩いて数分なので、便利である。ベトナムでも中国と同じで朝は皆さん外で食事をとる風習らしい。歩いていると皆さん、フォーを食べておられます。多分38円程度で手ごろなんでしょうね?

 マイフォト 朝市は二度目だ編

 今日は、サトイモを食べたくなり購入する事が主目的で出かけた。日本と同じ里芋がちゃんと有ります、先ずは購入して安心だ。紙に金額を書いて貰う、そしてお金を支払うのだ。そのうち、数字を覚えれば紙に書いて貰わなくても大丈夫になるだろう。

今日は思わず、魚を売る場所に遭遇したのだ。鯉とか雷魚とかドジョウの親玉かうなぎの子供か判らんようなもの。沢蟹とか蟹の類、タニシでしょうね?これ、ベトナムでは皆さんが好物だそうです。

 鯖の冷凍も販売していた、多くは淡水の魚介類が中心でしたね。私は鯉はどうも匂いが嫌いで食べれない。子供の頃は鮒を親父が好きで甘露煮にして食べたが、鯉は子供の頃から好きではなかった。

家内は、ふかし芋を見つけ早速購入していました。ホンマ関西人ですから、芋たこなんきんです。(笑)自宅に帰り、私も少し頂いたが美味しい、ふかし芋でした。

 しかし、豚は沢山販売されています、皆さん好きなんでしょうね?そして、早朝に堵殺した豚だから新鮮なんです。お店の人が、豚足を綺麗に磨いていました。

朝市は生きている現場のように思います、夜中の暗いうちから自宅を出て販売に来ている人々には活気があり、買う人も元気です。スーパーでは沢山纏めて買う必要がありますが、ここでは1個でも2個でも買えます、これがいい。

 そのうち、顔見知りになればもっと面白く、楽しくなれるかもしれない。

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ベトナム民族学博物館

 ハノイのホーチミン廟の西北に車で10分程度の場所にベトナム民族学博物館があります。私は民俗学だと思うのだが、博物館が配るパンフには民族学博物館と漢字で表記されていたので、この漢字を使用します。

 ベトナムには政府公認で54の民族が存在することを認めている。多民族国家なのですね?86%は平野に住むキン族だそうで、多くの少数民族は山岳部に住んでいるそうです。日本でもテレビで紹介されている、花族もハノイ北方の山岳部に住む少数民族の一つです。綺麗な刺繍と色鮮やかな色彩の服を着た女性は皆様も御存知と思います。

 マイフォト ベトナム民族学博物館 

 (銅鼓について)

 ベトナムでは古代より祭祀において銅鼓が使用されます。丸い直径30センチ程度のものから、色々の大きさがあります。普段は地中に埋めておき、祭りの時に掘り出し複数の人々がそれを手に持ち輪になり叩く。又は、木にぶら下げ叩く。

以前、記事で長江下流域で発見された磁器製の日本の弥生時代の銅鐸とそっくりな形状をしたものを紹介しましたが、銅鼓は形状が異なります。しかし、使われ方が日本の弥生時代の銅鐸と何処か共通点があるように思えます。

 (色鮮やかな刺繍)

 少数民族の衣装が数多く展示されていますが、どれもこれも色鮮やかで綺麗な手の込んだ刺繍です。日本では”よそいき”にしか着ないようなハレ着が普段に着ておられるんです。女性の美意識の高さには驚かされました。しかも、センスが抜群にいいです。

 (高床式集会所)

 日本の青森の三内丸山遺跡を思い出しました。巨大な高床式の集会所が屋外展示されています。三内丸山の集会所は高床ではなくて、地下に土間を作る構造ですが、物見やぐらのような高床構造物も存在したと言われていますね。

高さが5~6メータあるんです、梯子を登り高床に入ると竹の床に囲炉裏が何箇所かありました。百人や二百人は入れる広さですね。大事な議論をここでしたんでしょうね?

屋根の形状は明らかに、南方系ですジャワとかの写真で見る尖がりの屋根でこれは、日本の古代とは少し異なりますね。

 (竹の暦)

 竹で出来た棒状のものに刻みが入ったものの束がありました。解説を読むとこれは月の暦だそうです。詳しくは私も判りませんが、カレンダーだったようです。

 色んな、ものを見ていると時間がどんどん過ぎてゆきます。今度は、解説をしてくれる学芸員のひとに案内をお願いしたと思いました。先ずは、第一印象だけの訪問記です。

 

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ホーチミン廟とホーおじさんの家

Kanko_054  今日はハノイに赴任して初めて観光?というものをした。先ず最初に顔を出すのはベトナムに敬意を払いホーチミン廟の参拝ではないだろうか? ベトナム独立の父であり今でもホーおじさんとして崇敬されている。

薄暗い部屋で黄色い光に照らされたホーおじさんは未だ生きているようなお姿でした。棺の下では四人の兵士が微動だにせず守っている。今も、かけがえのない、ベトナムの魂を守っているように見受けられた。

 胡志明(ホーチミン)と名乗るのは1942年です、それまでは子供の頃はグエン・タツ・タンであり、フランスでグエン・アイ・クオックと名乗る。地下活動中は数多くの名前を名乗り30以上の名前を持つ人物だったと言われていますね。

 彼は祖国が統一される姿も見ずにこの世を去った。彼の人生は謎に包まれていると言う。ベトナムの人々、世界のジャーナリストが彼の歴史を追いかけているらしい。しかし、未だ謎の多い人物だそうだ。

 しかし、若い頃から苦労をしてフランスの船に乗り込み下働きをしながら、世界中を見聞した事は事実だ。アフリカからフランス、ニューヨーク、ブラジルから南米諸国、第一次世界大戦以降は祖国独立の政治活動に入り、ロシア革命には感銘しレーニンには傾倒した。彼の執務室は今でも残されているが、レーニンの写真と銅像が置かれている。

 自動車の廃材のタイヤで作ったサンダルを何時も履き、サファリ帽子を被り、タバコをくゆらせる姿は皆様の印象に深いと思います。彼は生涯独身だったと言われていますね?あるベトナムに詳しい人の話では、フランスの特派員のジャーナリスト女性とロマンスがあったという噂話を聞きました。

 終生、質素な生活を送り祖国独立の為に一生を捧げた人として世界の歴史が認める人物でしょうね?

  マイフォト ホーチミン廟とホーおじさんの家

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JoBlogアクセス現状(報告)

 JoBlogは2004年の4月にスタートしました。2年9ヶ月の歳月が流れましたが、何人かのblog仲間さんのお陰で此処まで続けて来ました。有難う御座います、これからも続けますので宜しくお願いします。

 私は、ココログのプロを使用していますが、アクセスして頂いた方々の色んな分析が出来るツールが備わっていますので、少し面白い現象を拾いご紹介します。

 ・アクセス数

  累計アクセス数: 300016 1日当たりの平均: 303.97

  累計アクセス数: 181056 1日当たりの平均: 183.44

  上段はサイト全体のアクセス累計で、下段はJoBlog単独記事のアクセス

 ・アクセス推移(一週間)

アクセス推移

アクセス数の推移がわかります。

アクセス数合計: 3,408 (日平均: 487)
訪問者数合計: 490 (日平均: 70)








































































1/12 1/13 1/14 1/15 1/16 1/17 1/18

日付
2007年1月12日(金) 73402
2007年1月13日(土) 66474
2007年1月14日(日) 54403
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2006年を振り返り 総括

 何と言っても”jo君のヨイトマケシリーズ”が一番面白かった。自画自賛です。

 jo君のヨイトマケシリーズ好評連載

 遺跡発掘の最後写真

37年間お世話になった富士通を3月末に退き、4ヶ月間、旧石器時代の大掛かりな遺跡発掘の現場に立てた。全てが新鮮で新しい世界との遭遇の連続でした。

 今、ベトナムはハノイの新天地で仕事を始めましたが、37年前の大學卒業して富士通に入社した頃と世界が似ています。当時は手取りの給料が2万7千円程度ではなかったでしょうか?一ドル360円時代でしたから、75ドルの給料となりますね?

ここベトナムでは現場のワーカーの給料は60ドル程度です、大學でた人でも100ドル程度ではないでしょうか?ですから、37年前の日本と似ているのです。ベトナムはドイモイ政策への変更もあり、且つWTO加盟も果たしましたので、今後は急速に経済も発展すると思います。

 現在の日本は学卒で25万円程度でしょうから、私の時代から10倍成長した事になりますね?ドル換算では今1ドル120円程度だから30倍という換算になります。果たしてベトナムは10年後はどうなっているんでしょうね?楽しみです。

 昨年9月末に還暦を迎え、人生の暦も一巡した訳ですがまだまだ、元気ですので新しいものに挑戦したいと思います。ベトナム語をマスターするのもその一つですが、ベトナムの歴史を勉強したりこちらの若者の教育に携わったり、ベトナムの人々に日本の経営を教えたり、又、逆にベトナムの素晴らしい文化を教えて貰いたいと考えています。

 

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和倉温泉と能登紀行 記事目次編

 家内のご両親が傘寿を迎えられた。娘三人の家族で私の家内が長女である。そんな訳で娘三人の家族が集まり和倉温泉でお祝いをする事になった。義父は80歳でも現役で税理士事務所を構えておられる。

 和倉温泉も能登半島の旅も私は初めての経験なので、楽しみでした。関西在住の人々には馴染みの場所だそうですね?私の家族以外は皆さん関西方面なので、初めてではなさそうでした。長女もブルゴーニュから帰国し、次女も孫を連れての参加、息子は就職試験で横浜自宅待機でした。

加賀屋さんは有名な老舗の旅館だそうで、海岸に建つ湯量豊富な眺め抜群の旅館でくつろげました。傘寿まで元気で現役でおれるのは素晴らしい事だと思います。

 和倉温泉と能登紀行 (1)  加賀屋旅館編

 和倉温泉と能登紀行 (2) 輪島朝市編

 和倉温泉と能登紀行 (3) 巌門ツアー編

 和倉温泉と能登紀行 (4) 兼六園編

 和倉温泉と能登紀行 (5) 二条城編

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小島和人先輩 引退関連記事編

 私の4年先輩で富士通時代に大変お世話になった小島さん(愛称:コジラ)が2006年の6月に富士通を引退された。十数年前に富士通がコンテンツ分野のビジネスに新規参入する時に直接の指導を受けた。

私は当時、古河さんの配下に居りマルチメデイア関連の製品開発の技術部門でATMを利用したCATVのデジタル化機器の開発とかデジタル衛星の関連機器の開発をしていた。まるで、分野の異なるコンテンツという世界に引きずり込まれたのでした。

 CD ROMのコンテンツ開発では台湾の故宮博物院と提携し清明上河図のデジタル化とか故宮にあるドラゴンのデジタル化とか、将棋の世界でのプロの棋譜のデータベース化とか、はたまた、徳間さんに頼まれた映画”ガメラⅡ レギオン襲来”の映画のプロデューサをやらされたり、幼児のパソコン教室を開始したり・・・・・楽しいけど毎日、お金が無くて苦労しました。

 コジラの旦那は大学時代は山岳部で富士通入社して直ぐにヒマラヤ遠征に会社を休んで出かけようとして危うくクビになりそうだったという逸話が残っている。その後、海外事業の畑を専門に歩かれ特に、ドイツのシーメンス社との提携事業では私もオンラインソフト部隊として印象が深い。その後、富士通の副社長を経験された。

 引退後は私はコジラ先輩と一緒に世界中の山を一緒に歩きましょうと約束した。しかし、丹沢の山を一緒に登り私の方が体力が劣る事に気がついた。もう少し、時期を待ちコジラの旦那の体力が衰えたところで、一緒にヒマラヤとかニュージランドのミルフォードトラックに挑戦したいと考えています。(笑)

 小島先輩の歓送会

 愉快な仲間音楽会2006

  丹沢表尾根縦走紀行

 蒲田 勝五郎宴会

 

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神河内逍遥記 記事目次編

 2006年5月末に上高地に滞在し梓川河畔の散策と穂高連峰の山々を眺める旅をした。大學生の頃はワンゲル部でしたので、馴染みの場所です。その頃からもう37年も時間が過ぎ年老いた身体になりましたが、昔懐かしい風景に会いたいと思い家内と二人旅をした。

 学生時代は新島々から歩いて徳本峠を越えて上高地に入ったものだ。釜トンネルも昔は狭いトンネルだったが、今は新しいトンネルが掘削され大型バスも通過可能だ。時代は変わったものだ。横尾から蝶ガ岳へのルート、槍ガ岳へのルート、どれもこれも懐かしい。

  神河内逍遥記 (1)  穂高神社編

  神河内逍遥記 (2)  大正池・焼岳眺望編

  神河内逍遥記 (3)    大正池から田代池へ

  神河内逍遥記 (4)  田代池~ウエストン碑~河童橋へ

  神河内逍遥記 (5)  白樺荘~明神へのもののけの森散策

  神河内逍遥記 (6)    明神から氷壁の宿へ

  神河内逍遥記 (7)  徳沢園より横尾へ

  神河内逍遥記 (8)    横尾より明神への帰還

  神河内逍遥記 (9)  明神池、穂高神社奥社

  神河内逍遥記 (10)   最終回 旅の終わり

 

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2006年の記事整理

 昨年末よりハノイに移住しましたので、アレコレ忙しく2006年の記事の整理が出来ませんでした。そこで、旧正月に合わせて少し整理しています。

 昨年は長年勤めた富士通、及びグループ会社を37年間勤め無事退職し、長年の夢であった遺跡の発掘作業の現場に立つことが出来ました。4ヶ月に及ぶ発掘現場での作業は新しい仲間も出来楽しい期間でした。

旅としては日本最南端の八重山諸島の旅を家内と一緒に出来ました。長年家庭を任せっきりで御苦労さんの気持ちです。現役を退きこれからは、家族の為に色々とやろうと思います。

 しかし、還暦を昨年九月末に迎えまたまた、仕事をする事になりました。しかも、ハノイでの仕事です。これからどうなるか判らないが、毎日を精一杯生きて、楽しく過ごしたいと思います。

Iasaichi_030  (RENのカツカレー)

ところで、ハノイ名物というか、とんかつの美味い店がある。特にカツカレーは絶品である。出前もしてくれるので、一度お願いした事があります。

カツのジューシーさ、サクサクの揚げ具合、コクのあるカレー、日本で食べても何処にも負けないかもしれない。ハノイにも美味い日本食をだす店があるんですね?観光旅行客にはわざわざハノイで日本食は勧めませんが、在住の方には時に日本食としてお勧めです。

Iasaichi_028  会社のバルコニーから眺めた、道路を挟んだお向かいさんの住居です。ハノイはこのような建物ばかりです。フランス統治時代の影響なのかこのような建物ばかりです。

外観はフランス19世紀ですが、建物の形状は間口が狭くうなぎの寝床ばかりですから、これは京都風ですね。どこの建物も間口は狭く奥に異常に長い建物です。ハノイは外観はフランス風と京都町屋風のミックスというのが、今のところの私の印象ですね。

Iasaichi_034 Iasaichi_035 (早朝の湖畔)

 朝は5時頃に起きる毎日が続きます。夜は早めに寝て朝早く起きる年寄り生活が続いている。早朝は気持ちが良いですね。

ハノイの今年は暖冬だそうですが、早朝は流石に肌寒い気候ですね。朝食が美味しいです。

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八重山諸島の旅 シリーズ記事

 2006年6月に琉球大學に在学している息子のオーケストラ部の演奏会もあり、ついでに日本列島の最南端である八重山諸島の旅を企画し実行した。石垣島の港のホテルを確保して八重山諸島の旅でした。

 亜熱帯気候の島々は近畿地方の北河内生まれの私には驚きの連続でした。日本列島は頭では南北に弧のように連なる列島であると認識していたが、実際に行かねば実感は沸かないのだ。日本という国を理解するには、まだまだ経験が足らないことを実感した旅だった。

 八重山諸島の旅 (1)

 八重山諸島の旅 (2)  日本のアマゾン編

  八重山諸島の旅 (3)  自生していた椰子編

  八重山諸島の旅 (4)  水牛さん編

  八重山諸島の旅 (5)  川平(カビラ)湾編

  八重山諸島の旅 (6)  竹富島編

  八重山諸島の旅 (7)  民俗関連編

  八重山諸島の旅 (8)  シーサー編

  八重山諸島の旅 (9)  最終回

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南越雑記帖 シリーズ目次

 ベトナムは越南と漢字では表記されます。しかし、ベトナムの歴史は中国との関係において複雑な歴史を持ちます。秦王朝末期に中華王朝を悩ませたベトナムの建国のルーツである南越国に敬意を表し、南越雑記帖シリーズを記録します。

ベトナム語を学び、ベトナムの歴史を学び、身の回りのベトナムの人々とともにベトナムの国を考えてみたい。

南越雑記帖  (1)

南越雑記帖  (2)

越雑記帖  (3)

南越雑記帖  (4)

南越雑記帖  (5)

南越雑記帖  (6)

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jo君のハノイ暮らし シリーズ

 ベトナムはハノイに暮らす事になったjo君の日々の暮らしの記事です。昭和21年という敗戦の次の年に北河内の招堤村の片田舎で生まれ育ったjo君の奮闘記です。ハノイは漢字で書くと”河内”と書きます。紅河デルタは河内と呼ばれるのですね。

 jo君のハノイ暮らし (1)

 jo君のハノイ暮らし (2)

 jo君のハノイ暮らし (3)

 jo君のハノイ暮らし (4)

 jo君のハノイ暮らし (5)

 jo君のハノイ暮らし (6)

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南越雑記帖 (6) 朝市風景

 今日は日曜日、自宅の近くの朝市に出かけた。場所はハノイ市内から車で15分程度南下したKim Dong 通りの近くです。この前、PARFAITのママが来ていた時に家内が連れてもらったそうだ。今日は、私が付き合った。

 マイフォト ハノイ朝市風景写真集

Iasaichi_018 Iasaichi  この果物はカスタード・アップルで現地ではマンカウという一個50円もする高価な果物だ。食べてみたが、マンゴーに似ているが種が仰山入っている。皮は堅そうだが、簡単に剥けます。三個も買ってしまった。

Iasaichi_010 Iasaichi_011  今度は、卵の購入である。小さい卵を5個と少し大きな卵を2個購入で1万ドン(約70円)ですから、一個が10円です。日本と同じくらいしますね?けど、卵に泥がついていて庭で走り回ってた鶏の卵と違うかな~~~?

Iasaichi_006  野菜は今日は、生椎茸、えのき茸、キャベツ1/4個、香菜いろいろ、でしたね。値段は紙に書いてもらうが、書けない人は懐から札を出しこれと同じだけ払えと言う。なるほど、正確だ。

ま、何回も買い物してれば値段の感覚も判るだろうし、ボラレても百円程度の誤差である。

Iasaichi_015 Iasaichi_024  ハノイ工大に来ている郷端さんのアパート近くでも朝市があるそうで、早朝に豚の悲鳴が聞こえるそうだ。朝に堵殺していろそうだ。新鮮なお肉だという。今年はベトナムでは豚年ですね~~。

Iasaichi_004 Iasaichi_009  この二つの植物が判らない。左は黒竹みたいだけど、何でしょうか?(ひょっとすると砂糖キビかもしれない)右は竹のような節があり、一見竹ですが椰子の木みたいだが、ライチのような実が鈴なりである。

今度、調べてみますが面白いですね~~?

朝市を歩いていると、道端で朝食を食べている人々が居ます。中国と同じで外食する風習があるんでしょうね?

Iasaichi_025  懐かしい練炭ですよ~~~。路上のお店とかとにかく火気は練炭が使用されています。子供の頃は家庭で練炭が主力の炊事火気でした。

冬の暖房も練炭は主力のエネルギーでしたね。今の日本では消えてしまいました。ベトナムでは現役です。

Iasaichi_023  最後にバラの花を買いました、小さな蕾のバラ12本で2000ドン(約15円)という安さですよ~~。

しかし、自宅で飾るとバラの匂いが全くしないのですが~~~?

ハノイ南部のありふれた朝市の模様でした。

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ベトナム土産と散髪

Inaka_008

Inaka_028

 ベトナムに15年も暮らしていた親父が日本に帰る時の土産の紹介ダス。

ニョクマムとカシューナッツです。ニョクマムには色んな種類が有るが、この妙な魚のニョクマムが美味いらしい。

カシューナッツは最近、日本で農薬の問題が発生しベトナムからの輸入品は全て検疫するそうだ。

Inaka_029

 生春巻きの皮だ。こいつが美味いらしい、日本ではどうなんだろうか?本格的な春巻きの皮は販売されているんだろうか?

ベトナム土産で美味いのは、モンキーバナナ、マンゴー、ドランゴン・フルーツ、等々の果物でしょうかね?

 (散髪をした)

 遂に、髪の毛が伸びすぎたので、会社の隣にある青果市場の通りに面した散髪屋で髪の毛を切った。最初は、言葉が通じないと思い、同僚でベトナム語が堪能な人に同行を頼んだ。髪の毛だけを切って下さい。他は何もするな!

混んでいたので、20分後に来なさいというので、今度は一人で出かけた。女性二人でやっている一坪程度の広さの美容院?だ。ドアは無く、通りは青空市場であり、バイクが警笛を鳴らして通りすぎてゆく。

 髪に整髪料がついているから、髪を洗わないとアカンと言うてるらしい?目の前にシャンプーのボトルを持ってきた。ハイハイ、嫌だけど、受ける事にした。

狭い往診台のような上に仰向けに寝かされ、頭からお湯をかけられシャンプーと頭のマッサージが延々と40分程度続いた。会社をサボって来てるので、長居は気になるがベトナム時間である。

 隣では、若い女性客が座っていました。席は二個しかない。一時間半もかかり、やっと終わった。私は長時間の散髪は嫌いだ。けど、今回はベトナムだからしょうがないと思いました。請求額は5万ドンですから350円程度でしょうか?散髪だけなら、25000ドンで200円程度だろうか?

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南越雑記帖 (5) 田園風景

今日はハノイ郊外で紅河を渡り、ドイバイ空港に行く途中の田園風景を楽しんだ。実は近くに日本の某自動車メーカさんのでかい工場があり、私の会社も近くに巨大な倉庫を持つことになった。

Inaka_014  田圃の中に御神木がありました。日本と同じでしょうか?老木ですね、神が宿る存在なのではないだろうか?祭壇が幹にこしらえてありますね。

このあたりは、一面が田圃なのです。二毛作でその間にトウモロコシまで収穫するようです。紅河のデルタは本当に豊かな土地なんですね。

 マイフォト ハノイ郊外田園風景

Inaka_011 Inaka_013  昭和二十年代の私の生まれ育った北河内の招堤村の農村の風景が眼前にあります。牛に鋤を引かせ土地を耕す風景は懐かしいです。

のどかで、ゆっくりとした時間軸がそこには有ります。ベトナムは自給自足が可能な国であり、急いで近代工業化は必要ないのかも知れない。何で国際化をしなければならないのか?自問自答が続く。

Inaka_006 Inaka_007   ベトナムの農村のお墓です。土葬ですが、死後二年間程度は土饅頭を作りお墓は隆起しています。

二年後には掘り起こし、ちゃんとしたお墓に埋葬されるそうです。これは、日本の古代のモガリの風習の原型ではないだろうか?朝鮮半島の西岸にも古代では存在していた風習である。

 昔は各自の田圃の真ん中に先祖のからのお墓をこしらえたそうです。最近は作業効率の問題から、お墓をまとめる指導をしてるそうです。日本でも田舎に行けば田圃の真ん中にお墓がありますよね?

滋賀県の安土に近いオイソ町では未だ田圃にお墓があり、土葬でした。丸い棺おけを身内のものが白装束ではだしで額に三角の布を巻き野辺を担いで歩く。家内の親戚の葬儀は印象に強く残っています。

 ベトナムの古代である越の国の時代は男性は刺青をする風習が有り、女性はお歯黒をしていたという。日本と風習が似ていませんか?その後、千年の中国支配によりこのベトナムの風習は禁じられたそうです。

Inaka_020  子供をあぜ道で見つけました。ベトナムでは子供をとても大事にするそうです。村落共同体で子供達を守るそうです。子供達には笑顔が満ちているのがベトナムの素晴らしさでしょうか。

田舎の風景で感じるのは何が幸せか?という、設問ですね。

Inaka_023  (蛇足ですが・・・)

この田圃の中に、日産3000台のバイクを作る工場があります。凄まじいバイクの群れですね?

近代と古代が混在する田園風景でした。

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南越雑記帖 (4) 悪しき風習

 ベトナム進出する海外企業の頭痛の種がバックマージンの問題だ。5%は公に認められてるそうだが、日本企業も欧米企業も頭痛の種だ。これは、賄賂と同種と考えてもよいがどうもそれだけではこの風土は理解できない。

月収200ドルの大臣から、工場のワーカーは100ドル以下の月収である。しかし、10万円以上するバイクに乗っている。昔は家庭に一台が今や働く人々は各自一台のバイクに乗っている。この国にはローン金融制度は存在しないので、現金で購入しているのだ。

 一体どうやって金が出てくるんやろ?最近はバイク工場のワーカーがホンダシビックの新車、約37000ドルの新車に乗ってくると言う。数年前まではハノイの五っ星ホテルのレストランは欧米人と日本人だけが、今やベトナム人が沢山会食している。

 (表の金と裏の金)

 先ず、ハノイに来て当惑したのが銀行である。日系の銀行に口座を開設したが、手持ちの現金千ドルを預金しょうとしたが、断れた。え?俺の金を預かるのが銀行やろ?問題はその金の出所である。企業から給料として支払われたドルは大丈夫であるが、赴任時に持参したドルは駄目だ。

これは、ブラックマネーの対策である。それだけ、この国では暗黒の資金ルートが存在する証拠である。輸入関税を逃れて中国、ラオス、カンボジア、タイから密輸する連中が多いという証拠でしょうね。

 日本企業とか欧米企業でベトナムに進出してる企業の頭痛の種である不正取引は、こちらの国では異常な事ではない。しかし、WTO加盟を実現したこの国が世界の取引ルールで成長するにはこの悪癖を直さねば未来は暗い。

 (人に仕事を頼むルール)

 日本ではある組織に属する人に仕事を頼む時は、その組織と話を通じてその組織に利益があれば問題なく仕事は頼める。しかし、こちらでは組織が利益を得ようが、その頼まれる人に利益が直接無ければ動かないのが現実だ。

今まで、数箇所でこの事実は確認した。大義だけでは人は動かないのだ。金が動かないと人は動かない。

開発途上国独特の風土なのか、そうでないのか?これから時間をかけて得意の歴史の研究を踏まえて研究したいと思います。

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南越雑記帖 (3) 越語授業始まる

ハノイに赴任し早くも一月と一週間が経過したが、光陰矢の如しであった。何も判らない侭に時間が過ぎてゆく。朝6時前には起床するが、カーテンを開き未だ暗い湖を眺めながら朝食を準備しメールを確認する。

 6時15分からNHKワールドのテレビで”芋たこ なんきん”を観る。日本は既に8時15分ですよね。2時間遅れでハノイは始まるのだ。7時40分には車で会社に向かい約5~6分で到着する。朝市の混雑の狭い道路を抜けながら到着するのだ。

 (越語の勉強が始まる)

 今週から週に一度、月曜日夕方の6時に先生に会社に来て貰い1時間半の越語の勉強を開始した。彼女はハノイの貿易大学を卒業し、日本の早稲田大学に留学した経験があります。現在、ハノイ工大で郷端さんの秘書をしている。

 初日は発音の練習でしたね。これが、難しいのだ。しかし、これをちゃんとマスターしないと全てこれから学ぶことは意味が無い。発音が通じないからだ。越語はフランス植民地時代にローマ字が導入され、越語独特の発音はローマ字の上下に発音変化の記号をつけて同じローマ字でも発音が異なるシステムとした。

 私のパソコンにも越語が入力出来るソフトをインストールしないと駄目ですね。ローマ字の上下に記入される声調は6種あります。越語入力が出来るようになれば、そのうち解説します。概略解説しますと・・・・

 - これは声調を変えずに平板で音が続く

 ~ 記号は二種類あり、二種の声調が存在する。高音に上がり下げて又上がりますもう     一つは下がりながら,再度声調が上がるが低い音のまま

 .   これは急に音を下げます

 /  これは徐徐に音が上がります 逆の記号もありそれは下げます

以上概略6種の声調が存在しローマ字の上下に表記される。だから、誰でもこの表音文字を発音出来る事になる。

 以前、越語の母音は8っ存在すると述べましたが、この声調が存在するからです。同じaでも声調の記号を使い区別します。三種類存在するのだ。

フランスが統治するまでは漢字の文化圏でした。しかし、確認はしていないが独特のベトナム独自の漢字も発明したそうだ。秦王朝がベトナムに侵攻する前は,確認していないがサンスクリット文字を使用していたとベトナム人から聞いた覚えがあります。

還暦を過ぎた親父が新たに新しい言語を学ぶのは難しいかもしれない、重々承知の上だが田舎に行き百姓の爺さんと話をしてみたい。

 

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ベトナム 昼食パーテイ

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ベトナムでの昼食パーテイの模様です。

お店は”com ngoc cuong”というお店の三階です。この店は15年もハノイで暮らしていた、親父が通った美味しいので有名なお店だそうです。

今日は、三社の仕事が成功するようにキックオフ親善昼食会でした。魚の揚げ物、肉の煮込み、しじみのスープ、野菜スープ、なんじゃらかんじゃら・・・・。

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ベトナムの従業員と仲良くなるには、一緒に飯を食う事だそうで、世界共通の真理でしょうね。

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帰りに、ここのお店の経営者の長女の旦那がホンダの新車1800ccを買いたいと言うので、話はまとまりました。

しかし、ベトナム料理は何を食べても美味い。

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PARFAITハノイ仕入れ同行記(2)

私はハノイに赴任して一月が経過したが、街をブラブラ歩くのは初めてです。ホアンキエム湖の西北の旧市街は欧米人の旅行客と日本の若い女性達に人気です。古いハノイの面影が残るエキゾチック?(古い?)な雰囲気なんでしょうね。

_426  民族楽器のお店は面白いです。竹で出来たトロンボーンのミニ版みたいなものとか、竹琴?とか、日本の古代の笙みたいなもんとか、銅鐸みたいなもん、蛙の木製の背中がギザギザでそこを擦る楽器とか・・・・。

民族楽器は遥か古代を連想させるので、私も大いに興味のあるところです。

_435 _438 _428 おしるこ?ぜんざい?食べました。お餅の中に黒胡麻の餡とか黄色い餡が入り、生姜の香りとココナッツの千切りとか、トッピングは選べるんです。

若い女性には人気のお店ではないでしょうか?(え?オバンも楽しめる?)

_430 _431  ハンザ市場の風景ですが、煮干?小魚の干物?とスルメが干してありました。

日本と同じですね、こんな風景を見てると同じアジアなんだな~~と思います。スルメも食べるんですね~~?

_432 _433  一階は野菜とか生鮮食料品のお店で二階は衣料品のお店が仰山並んでいます。所狭しと衣料品が並んでおりアメ横をもっと密集させたような雰囲気ですね。

何がいいものなのか?何がいかさまか?混在と混迷のめちゃめちゃな所ですね。

_439 _440  夜はインドシナで食事でした。西洋人ばかりがお客として来ました。メニューには日本語もあり観光客が来る店なんでしょうか?

今回は、沢山の仕入れに付き合い、とても疲れました。

皆様是非、暇なときに園田の”PARFAIT”にお立ち寄り下さい。今回の一週間で仕入れた面白い楽しいハノイの思い出がお店に並べてあります。

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PARFAITハノイ仕入れ同行記(1)

 家内の妹が大阪は尼崎の園田で雑貨店を開いている。彼女に付き合いハノイでの雑貨仕入れに付き合った。

 大阪は尼崎の園田駅近くの雑貨店 ”PARFAIT”

_398 _399  ハノイの旧市街であるホアンキエム湖の北岸西にあります。沢山の雑貨店が所狭しと建ち並ぶ有名な場所です。

私は、買い物は苦手ですが、今日が最後という事でお付き合いしました。

何も役に立たない存在ですが、荷物を持つ程度の働きはできます。

_400 _401 _402 _404  私は全く興味が無いので周りをウロウロして旧市街の風景を楽しんだ。

ここは西欧人の観光客が多くハノイでは珍しい場所です。彼らはシクロに乗るのが好きなようですね?人力車を自転車で運ぶ乗り物です。

_407 _408  珍しくワンちゃんを見ました。最近は食料としての犬の他にペットとしてのワンちゃんが流行してるそうです。

バッグは22ドル程度です。安いですね~~~?というか、私には判らないけどね。

_409 _412  こちらでは、刺繍が有名です、農家の女性の内職だそうですよ。手ずくりの刺繍はとても味があり温かみがありますね。刺繍の絵も有名です。

ベトナムの田園風景を描いた刺繍はのんびりとしますね。

私は結構、田圃の風景とか水牛との農耕の風景とか青ザイを着た娘さんたちが自転車に乗る構図が大好きですね。

_414 _415  此処は亜熱帯です、ガジュマルが茂っています。その木とお家が共存していますね?このような木が切られずに残っているのを見るとホットしますね。

天秤棒で果物を売り歩く女性の姿はハノイの見慣れた風景です、みかんとかモンキーバナナとかマンゴーを売りあるいておられますね。天秤棒は孟宗竹で出来ていましたね。子供の頃の北河内の招堤村を思い出させてくれます。懐かしい風景なのだ。

_416 _417  家内の妹さんは50歳迄女子高校の先生をしていましたが、早期退職で退き今は電話段相談の仕事と小さな雑貨店を開き自分が好きな雑貨を扱っている。

同じ趣味の私の娘もブルゴーニュから強力(ごうりき)しているようだ。趣味が似てるようですね。

 昼飯はベトナム料理揚げ春巻きとか色んなものを食べた。

_418 _419 _420 _422 ベトナム料理は本当に日本人に合っていると思いますね。

何を食べても美味しいですね。

_423  ともかく葉っぱを沢山食べます。これが、ベトナムの特徴ですね。これで、夏の蚊の攻撃から身を守る事ができるそうだ。

妹さんが注文したベトナム風お好み焼きは葉っぱとハーブで包んで食べるんです。ともかく、葉っぱは沢山食べるんですね?

さて、次回に続きます。

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南越雑記帖 (2) 銅鐸の話

 日本とベトナムの古代に於ける繋がりの可能性についてのお話です。これは、仮説の段階だそうですが興味あるベトナムと日本の古代における繋がりですね。

http://homepage2.nifty.com/LUCKY-DRAGON/kodai-3-1jikitaku.htm

 昨年の記事だそうですが、紀元前470年頃の中国南部の越の国が存在していた場所(現在の江蘇省無錫市)にて磁器の鐸が発見されたというニュースです。中国側の研究者からは,日本の銅鐸は越の国から伝わったのではないか?と仮説が提起されているそうだ。

 古来、弥生時代に近畿を中心に西日本で栄えた銅鐸文化圏の存在は明らかであるが、銅鐸そのものが日本独自の形状をしており且つ、あらゆる歴史書にその存在の記述がない事から謎とされてきた。そして、突然に消えてしまったのだ。

 (越の国の人々が日本に来た)

 越の国は紀元前334年頃に楚の国に滅ぼされてしまうのだ。その時に一部の人々が海外に脱出し出雲から日本海沿岸地域に渡来したという説がある。出雲から出土した賀茂岩倉遺跡から多量の銅鐸が出土しているが、同時に現在の越前、越中、越後一帯に渡来した可能性がある。

邪馬台国の時代になるとこの銅鐸の存在は忘れ去られており、銅鐸を使用した祭祀は終結していたと考えられています。銅鐸が何故、神社とか墳墓から出土せずに、とりとめもない場所の土中に埋められていたのかも謎である。

 越の国では銅鐸は祭祀につかわれていた節があり、日頃は土中に埋めておかれ祭祀が必要な時に掘り出されて祭祀に使用されたと言う。

 (ベトナムは越人である)

 ベトナムの歴史を勉強していると、この越の国が楚に滅ぼされた時に南方に4個の集団に分かれて南下したそうでその一番南に逃げた集団が建国したのがベトナム国の始まりだそうだ。今のハノイから中部のフエにかけて存在したと言う。

残りの集団は中国に併合されてしまったと言う。もしそうであるならば、弥生末期に銅鐸と稲作を携えて日本に渡来した集団とベトナム人は同じだという事になり、日本人とベトナム人は兄弟という話に飛躍してしまう。

 日本はその後、朝鮮半島からの渡来人とか長江下流域から政変によるボートピープルが幾派にも渡り渡来したのではないだろうか?

今回はベトナムと日本との古代に於ける或る可能性についてとりとめもない夢想をしてみました。

 

 

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ハノイ元旦フライト 動画編

 先日の元旦フライトでデジカメで簡単な音無しビデイオを収録していた。追加で二個の動画を記事にします。

 サーマルグライダーを投げる  

「_372.avi」をダウンロード ラジコン所長目が回る編

 自作マジック・エクストラ 初飛行 

「_373.avi」をダウンロード 大成功の巻

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南越雑記帖 (1)

 ハノイに赴任して一ヶ月が早くも経過した。歳をとるとそれでなくても、日々が急速に過ぎ去ってゆくのだが、一段と早い。

こちらに来て、色んな事を考えたり、疑問が生まれたり、感心したり、驚いたり,諸々です。日頃のメモを記録しておく事にした。南越雑記帖とします。ベトナムという国名は皆様御存知の通リ越南と漢字表記されます。

 歴史の本を読んでいると、中国王朝が清の時代にベトナム統一した王様が南越という国号を名乗ることを申請したが、却下され越南となった歴史があるそうです。その理由は中国王朝が秦の時代後半に南越という国が中国南部に生まれ、大いに秦,漢王朝を悩ませた歴史があるそうです。

中華王朝としては決して歴史を忘れない民族ですね、だから、南越国号を認めなかったそうです。現在のベトナムも決して中国抜きには国際戦略を建てる事は出来ないそうです。私は敢えて、雑記帖には南越という言葉を使う事にしました。

(インフラの整備が急務)

 WTO加盟を昨年果たしました、これはベトナムがこれから世界の経済社会の中で生きて行くという表明であり,決意と私は捉えています。その為には従来のベトナムの大事な文化に関わるものは残し、文明に関わる変化させねばならないものを変える必要です。

先ず,インフラの整備が十分ではありません。先ず道路ですが信号が少なく、交通ルールも徹底していません。横断歩道は日本人観光客は絶対渡れないのが現状です。ハイフォンに行く高速道路でも、牛に引かれた荷車が歩いています。

 物流速度は経済の要ですが、十分とは言えませんね。地下鉄も鉄道も有りません、皆さんバイクで通勤です。バイクが道路に溢れ、ハノイの小さな市内はマヒ寸前ですね。社会資本が十分では無いから建設が出来ない。

社会資本を蓄積するには、企業も国民も税金を払わないと社会資本の原資が出ない。もっと税金を払うことが出来る経済を豊かにしなければならない。日本の高度経済成長時には随分と働き、会社も会社員も国民は税金を払い日本の経済成長とインフラを建設出来たのだ。

 この税金を払うのが金持ちだけでいいという、考えは捨てねばベトナムは良くならないと思う。新投資法、新企業法が試行されたので、これからのベトナムは変わってゆくと信じている。

 

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ハノイ元旦フライト 2007

_362 今日はハノイでの初フライトです。朝9時に所長のところに飛行機2機をぶら下げてタクシーを飛ばした。ラジコンはやらないが、暇な単身赴任の会社の同僚も一緒に初飛行に出かけた。バンのタクシーを借り切りハノイの西約40分程度の造成中の工業団地空き地に出かける。

 マイフォト ハノイ元旦フライト2007参照

_332 ハノイのシリコンバレーを目指した工業団地らしいが、未だに入居者は殆どおられません。随分と昔から造成してるそうですが・・・・・。

所長の新作の大型のファンフライ機は完璧な飛行でした、流石ですね。サイトー82のエンジンは快調です。スモークも使用しましたが、何セ、ハノイの空は灰色で太陽が見えないし、青空は見えないので、スモークを吐いてもあまり目立たない。

所長のモータグライダーも手投げのグライダーも快調でした。私の2機は飛びましたが、最後に千葉のラジコン親父から餞別で頂いた飛行機エスパー400は墜落大破した、必ず直します。

 さて、近くの農村から子供達がはだしで出てきました。興味深々で飛行機を眺めていました。

(追伸)

 参考 過去記事 ハノイラジコン三昧記事(1)

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謹賀新年 2007年

 あけましておめでとう御座います。皆様も素晴らしい新年をお迎えと思います。

今年も皆様にとり、素晴らしい年である事をお祈り申し上げます。

昨夕は忘年会があり、夜遅くの帰宅となりました。今日は早朝からラジコン飛行機の初飛行イン ハノイであります。

 さて、成果は如何でしょうかね?

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