jo君のハノイ暮らし(2)
今日の昼飯はフォーを食べに行きました。ここのフォーは美味しいと7年もハノイに駐在している同僚が言うのだから間違いは無い。
美味しそうな、鶏肉のフォーが出てきましたよ。スープは澄んだ色で野菜、ハーブが入っています。酢が利いていますね。
トッピングのハーブ類も付いています。これは、あっさりした格別上等のフォーでしたね。これで、300円程度です。高級なフォーだそうです。
PHO24というお店ですが、同僚の話ではチェーン店だそうで、美味しい評判のお店だそうです。
ハノイにお越しの折は、お立ち寄り下さい。
(物語ウ"エトナムの歴史)
会社の同僚が中公新書から出版された上記本を持っていたので、借りて読んでいる。著者は小倉貞男先生です。ウ"? ベトナム語の発音は難しい、VIET NAMのVの発音表記は日本ではべと表記するが本当は違う、日本語の発音には無いですよね?
著者の本を少し読み始めたが、初めてベトナムの歴史に触れる人には難しい。何年かこの国に住み、人々と触れ、習慣を学び、空気を理解できるようになればこの本に書いてある事が少しは理解できるようになるかも知れない。
(越南か南越か?)
VIET NAMとは越南と漢字で書きます、これはベトナムの人が決めた国名では無いそうだ、元々は南越(NAM VIET)と国名を名乗りたいと清王朝に1802年に史上初めてベトナム全土を統一したグエン王朝の王のグエン・フック・アインは申告したが拒否されたそうだ。
仕方ないので、南越という国名にしたと言う。清王朝の拒否理由は、紀元前207年の秦王朝末期の混乱期に中国南部に清王朝に反逆する政権が生まれ国名を南越と呼び秦王朝滅亡後も漢王朝を悩ましたそうだ。この王朝がベトナムの起源であると言われていた。
中華王朝としては絶対認めららない国名だったんですね。現在でも中国と外交を行う時には過去の数千年の歴史を踏まえて話をしないとアカン。
さて、現在のベトナムの国土が統一王朝として纏まったのは以外と歴史は浅いのですね?1802年だったのですね?ベトナム統一の歴史は北部のハノイ近辺の紅河デルタ地帯(トンキンデルタ)に紀元前より成立していた王朝が南下した歴史のようです。
基本的には北部、中部、南部(メコンデルタ)の三箇所の王朝が並立していたんでしょうか?この歴史は現在のベトナムを理解する為には大事な事かも判りません。
ベトナムの歴史は二本の柱があると言う、一つは北部に国境を接する中華帝国、もう一つは西部、南部のインドシナ半島のラオス、カンボジア、タイという国々の民族との攻防ですね。著者はベトナム人は今でも、この二つの柱を軸に物事を考えると断言されていました。やはり、詳細な歴史をこれから数年かけて勉強したい。
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