元興寺(がんごうじ) 拝観
奈良での定宿である、奈良ホテルのそばに”元興寺”があります。ガイドさんがついて拝観する事となった。
この寺は元々が、飛鳥時代に蘇我馬子が日本で始めて建造した”法興寺”を平城京遷都時に(718年)この場所に移設し、”元興寺”と名前を変えた由緒正しいお寺です。
奈良時代は東大寺に次ぐ巨大な伽藍と敷地を抱えたお寺だったそうです。(東大寺は四千町、元興寺は二千町、興福・大安・薬師寺各千町)
別名、曼荼羅堂とも言うそうです、奈良時代後期に智光という偉い坊さんが出現し浄土宗をこの場所から始め、有名な智光曼荼羅を本尊として、この堂を極楽房としたそうです。
右側の建物が極楽堂で左の大きな建物が国宝の禅室(僧坊)ですね。屋根の瓦に注目です、右側の瓦は飛鳥時代の瓦であり、今も数千枚使用してるのには驚愕です。
丸瓦が重なるように葺いてありますが、これが行基葺きと言うそうです、左側の瓦は重なりあっていませんね。新しい瓦なのだ。
平安時代の前半期までは、南都七大寺として栄えたが、平安時代後期より中央政府の権力が衰え、パトロンを失った寺は庶民に支えられた寺へと変貌を遂げたそうだ。地蔵信仰、聖徳太子信仰、弘法大師の真言信仰という渾然とした状態で群集を集めたと寺の案内カタログでは歴史を述べています。
本来は官寺にはお墓は有りませんが、不思議とこの寺にはお墓があります。四季折々に綺麗な花を咲かせるそうで、カメラ好きの人には絶好の場所だそうです。
寺の敷地は今は狭いものになっていますが、元興寺文化財研究所が併設されて国宝の五重小塔とか聖徳太子立像とか貴重な文化財を拝観できます。
最後に、極楽坊の内部の模様です。平城京の時代には平城(なら)の飛鳥と呼ばれ広大な敷地と伽藍を誇ったこの寺も今はひっそりとして、それでいて、日本最古の寺の気品を今も伝えるありがたいお寺なのだ。
参考 元興寺文化財研究所
参考 元興寺
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Comments
ガンゴジ、とか言うそうですね。
中にはまだ入っておりません。とおりすがりなら何十回も。
官寺については一度、興味をもったことがあります。
官寺には、お墓がない。こういう常識を知りませんでした。無意識に分かってはいたはずなので、指摘されて、はっとしました。
官寺は、国家鎮護だったから、人の死とは無縁かもしれないし、さらに昔の大学の機能もあったんでしょうな。
奈良は、いろいろ。(飛鳥寺は行きました、また、行くつもりです)
Posted by: mu | 2006.08.10 11:37 AM
muさん
灼熱の京都、ご苦労さまです。日中は炎天下に出られないようにして、乗り切って下さい。
寺の呼び方ですが、寺のカタログにも読み方が掲載されていなかったので、横浜に帰りわざわざ(笑)元興寺文化財研究所に電話をして、確認しました。ガンゴウジと呼ぶそうダス。
ご指摘の通り官寺にはお墓は有りません。国家鎮護と学問をする場所(現在の大学?)でしたからね。だから、檀家は居ません。
飛鳥寺(元は法興寺)にも又、行きたいですね。
Posted by: jo | 2006.08.10 11:59 AM