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Google地図・写真で遊ぶ(2)

 前回は日本列島の北部方面とフォッサマグナについて眺めてみましたね。今回は南方方面と朝鮮半島方面を眺めてみましょうか?

石垣島方面 写真  石垣島方面 地図

鹿児島から、大隈諸島(屋久島、種子島)、トカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島、先島諸島(サキシマ)、宮古諸島、八重山諸島と延々と続いてるんですね。そして、与那国島の目と鼻の先には台湾です。

 この列島の東側にはフィリピン海プレートが沈み込む沖縄海溝が連続している。これらの島々はユーラシアプレートの端になる訳ですね。今年の夏に八重山諸島の旅をしましたが、亜熱帯のマングローブの森に驚き日本にもこのような自然がある事に驚いた記憶があります。

 この島々を経由してどれだけの文明が日本に伝えられたか?しかも、黒潮が南から北に流れているわけですか必然的に流れ着いたんでしょうね。昨晩は渥美半島の伊良湖岬出身の藤城さんと酒場で飲んでいた。彼は石垣島で椰子の実に名前を書いて海に投げ入れた経験を語っていました。

 椰子の実の話は、当時の航海する時には沢山の椰子の実を船に積み込み真水の確保としたのではないか?というような、議論になりました。石器があれば、椰子の実を割り喉の渇きをうろおし、後は土器として雨水を溜める役目に使うという推論でした。

 さて、朝鮮半島とはどうなんでしょうかね?

 対馬 写真  対馬 地図

 博多に旅をする度に、一度はフェリーで壱岐、対馬経由で釜山に船旅をしてみたいと思っており未だ実現していないの実情である。天気の良い日には対馬から朝鮮半島が見えるそうですね、目と鼻の先にある。

悠久の歴史の中でこのルートを使いどれだけの大陸の文化文明が日本に伝えられたんだろうか?以前、昭和50年にNHKが企画した大プロジェクトが有りましたね、魏志倭人伝の邪馬台国への旅を実際に古代船を作り実験してみようという番組でした。

 日本放送出版協会が昭和51年に放送ライブラリー6として”邪馬台国への旅”として出版されている。私も一度この本を紹介した事が有りますが、ロマン溢れるプロジェクトでしたね。

 勿論、揚子江(長江下流域)から北九州への海のハイウエイも有りました。中国で政変とか天変地異が発生すると江南の人々はこのルートで日本に文化文明を伝えたのでしょうね?

(最後に)

 Google Earthで航空写真を眺めていると我が日本列島は如何に島々が南北に連なり海に囲まれた特異な島の連合国家であるかがお判りになると思う。そして、至る所で異なる国々と接しているかが再度認識されたのではないだろうか?

 先日放送されたハワイの大王”カラカウア”さんが明治天皇に提案されたアジア・ハワイ安全保障連合構想には驚いた。そんな歴史が存在した事自体を今迄知らなかった。当時の欧州諸国に出遅れた米国がハワイからグアム、フィリピンと植民地化を進めた時代の歴史を真面目に学んではいなかった。

 時折、Google Earthで地球を空から眺めて見るのは必要かもしれない。何か、違うもの、新しい生きるヒントが生れるかも知れないと思った。

 追記

 邪馬台国への旅(1) 邪馬台国への旅(2)

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Google地図・写真で遊ぶ(1)

 最近、MuBlogではグーグルの航空写真が記事の説明資料として多用されている。触発されて私も時折グーグル航空写真(衛星写真?)で遊んでいます。今回は日本列島を眺めてみましょうか?

日本列島 航空写真

 列島近くの海溝がよく見えますね?日本列島のホックサマグナから東方面から北海道地域はカムチャッカ半島から千島列島そして、樺太から南下する北米プレートに乗っかっているんですね?知ってました?

 太平洋プレートはカムチャッカ半島、千島列島、北日本東海岸、伊豆諸島の東で沈み込んでいるんですよ。そうそう、ハワイはこのプレートに乗り西へ西へと移動してるんですね。 ハワイ諸島近辺

 ハワイ諸島から西の方面には沈下した昔の島々が写真では判りますね、そして不思議とカムチャッカ半島方面にその島々は北上してるでしょう?これは、大昔は太平洋プレートが北に移動していたそうで、ハワイ諸島で生れた島々は(ホットスポット)北に移動していたからだそうです。それが、その後太平洋プレートは西に移動するようになった訳で折れ曲がったような沈下島の景色になるんですね。

 間宮海峡 地図

 世界地図でもマミヤ海峡と名前がついているそうですね?地図で見ると明らかに海峡なんですが、航空写真を見ると陸続きみたいです。

 間宮海峡 航空写真

 先日のテレビ番組では真冬にこの海峡は氷で閉ざされ橇に荷物を載せて二人が歩いて渡っていました。この映像は衝撃でしたね。これでは、シベリアと樺太は陸で繋がっているのと同じではないですか?

 日本列島にはマンモスを追いかけて、細石刃(骨に細かくした石器の刃を埋め込んだ狩猟道具)を持った民族が南下したのは当たり前ですね。その頃は宗谷海峡も氷結していたので簡単に北海道には移動できた訳です。

 しかし、氷河期が終わっても宗谷海峡さえ渡航出来ればオホーツクに辿り着けるんですね。関西生まれの私は文明は何時も朝鮮半島と長江流域からの渡航ばかりに目を向けていたが、北方ルートは明らかに存在したんでしょう。

フォッサマグナ 航空写真 フォッサマグナ地図

 さて、ユーラシアプレートと北米プレートが衝突してる場所がフォッサマグナですね。折れ曲がる列島の西側はユーラシアプレートに乗っかっています。再度、最初の列島の航空写真を見て下さい。東京から伊豆諸島方面に伸びた海溝と、九州南部から沖縄方面に伸びた海溝がありますね。この北に三角形のプレートはフィリピン海プレートです。

 伊豆半島は元々が遥か南方に生れた島だったそうですが、フィリピン海プレートに乗り北上し衝突し富士山を作ったという話を学生時代に聴きましたね。日本は世界でも珍しい4つのプレートが衝突してる場所なんですね。

フォッサマグナ博物館 先日のテレビの番組ではこの博物館が紹介されていましたが、西と東のプレートが衝突してる地表の岩石を見せていました。衝突場所の岩石は溶けているんですね。

 どうも、阿呆・馬鹿分布(知ってますか?)のルーツは奥が深いと思いましたね。(笑)

さて、面白いので、次回は南方方面と朝鮮半島方面です。 

 (参考)日本の4つのプレート

(追記) zapさんのご指摘のように、Google Earthの無料版をダウンロードして見て頂くともっと迫力があります。画面の右上にGet Google Earth をクリックすればダウンロードできますよ。

 

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木鋤・大島さんに感謝する会

 昨夜、小島先輩の発案で”ウイサーブジャパン”の会社の創設から基盤作りに功績があり事業を軌道に乗せられた木鍬・大島両氏の健闘を讃える会が恵比寿Weで開催された。

2006ooizumilee_008  大島さんは、社長として活躍され管理部門は木鋤女史が全て取り仕切り大車輪の活躍でした。今回、大島さんは社長を退任され、木鋤さんは旦那さんの米国赴任に付き添われナッシュビルに移住される事になった。

この”ウイサーブ”という会社は本社がフィリピンに存在する富士通系の会社ですが日本での事業拡大に日本の法人が設立されたのだった。

 私は、佐藤忠さん、Vuさん(欠席)の指導の元で翻訳の仕事を昨年頂き、三人で1600頁の技術資料を翻訳させて頂いた。今でも、大島さんの依頼で翻訳の仕事は出来る体制になっています。

 そんな折、今年の春に大島さんから海外での仕事の打診を受け、今年の秋に目掛けて準備を進めて来ました。6月には京都の某大学より客員教授の辞令を頂き海外で教鞭をとる準備がすすんでいました。色んな政府間の話とか予算の話とか累積し、現在は視界不良になっていますが、崇高なプロジェクトですので、まだまだ根気強く前進するように努力しなければいけないと、考えています。

 小島先輩も富士通は引退されたが、新天地で又、始動を始められ昨夜も大いに元気を頂いた訳です。皆さんは一生現役という考えの方々であり、一緒にいるだけでパワーを頂けるので感謝しています。

 大島さんも、自分の会社、その他の会社の仕事をこなされ多忙である。ホンマ元気な人々の集まりでした。これからの、大島さん、木鋤さんのご活躍をお祈り致します。

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早朝フライト 再開

2006ooizumilee_003  最近は又、以前のように早朝フライトを再開した。

電動機で以前はムサシノ540モータを搭載し、ニッカド10セルで飛ばしていた”ハミングカブ号”を改装し、ブラシレスモータ・リチュームポリマー電池で飛ばしている。

数ヶ月前にモータを壊し、Ysさんに郵送すると巻線をやり直して、又、再生されたと聞く。Ysさんが送って下さったブラシレスモータを搭載し最近は又、早朝に鶴見川で飛ばしている。もう、ボロボロの飛行機なんですが、それでも飛んでいます。

2006ooizumilee_004 夏草が生い茂る鶴見川の堤防まで、自転車で5分程度でしょうか?エンジン機と異なり、即刻飛ばす事が可能なのだ。

 先日は、プロペラが空中で飛んでしまい、清掃局のゴミ収集車の駐車場に不時着し、ゴミ収集車の荷台に着陸し、其のままゴミにされそうになった。(笑)プロペラは探したが、行方不明になりましたが、清掃局の人々は親切で怒られなかった。

 Ysさんに修理していた頂いたサーボモータが7個も有り、全てミニ・マイクロサーボなので電動機でも作ろうかと考えている。リポ電池は長時間放電し続けてくれるので、20分程度は連続して飛ばす事が可能だ。

哲ちゃんの、サンデーα号も修理が完了し来週末の千葉飛行会で飛ばそうと考えている。久し振りの千葉飛行会が予定されている。

 鶴見川と新横浜国際競技場 鶴見川が右の方で大きく急激に蛇行してる場所で飛ばしてるんです。

2006ooizumilee  テッチャンのサンデーα号が再生しました。玄関に吊るしてあります。(笑) 胴体は真っ二つに割れた機体を修理しました。サーボも再度マウントしました。尾翼系統、エルロン系統の舵角も小さく修正し暴れないようにしたつもりです。

さて、来週末の千葉で飛ぶか?面白いですね。

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邪馬台国やっぱり畿内?

読売新聞8月22日夕刊には掲題の記事が記されていたので、メモを残しておきます。

 畿内大和説をに有利な証拠が最近の発掘成果で沢山出てきているという記事ですね。その具体的な一例として邪馬台国が存在した3世紀前半から後半の時期の大和の古墳群と瀬戸内地東部の古墳とに強い結びつきがある証拠が発掘されたという話である。

 (概説)

・奈良県桜井市にホケノ山古墳があります。2000年に発掘され

①前方後円墳である。②木郭内に木棺を納めた二重構造の埋葬施設。③画文帯神獣鏡など中国鏡の副葬。 古墳築造時期は3世紀中葉である。この三点の特徴を持つ古墳が以下順次発掘された。

・2006年3月徳島県鳴門市の萩原2号墳は全長25メータの前方後円墳で3世紀前半築造。南50メータにある1号墳では79年、80年の発掘で②、③の発掘されている。

・兵庫県たつの市綾部山39号墳では2003年9月の発掘にて①、②、③が確認された。

・京都府南丹市の黒田古墳、岡山県総社市の宮山古墳、兵庫県加古川市の西条52号墳など近畿や瀬戸内東部で十数基に達する。

・立命館大名誉教授の山尾先生の話として、”共通する墳形や埋葬施設、副葬品は同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠である。その中心が邪馬台国であり、後の大和王権につながる。”

 勿論、九州説の人々も反論されている、大和地方と東瀬戸内海諸国が纏まった連合国ではあっても、九州を含めた連合国では無い。未だ、西日本全土は統一されていないから邪馬台国と決めることは出来ないと主張。

 (感想)

 注目は画文帯神獣鏡という中国鏡は長江流域と朝鮮半島の楽浪郡あたりからも出土しているので、大和・東瀬戸内海連合王権は大陸と交渉していた事は紛れも無い事実でしょうね。さすれば、何故、魏志倭人伝には日本には九州と畿内という二つの国が存在した事を書かなかったのだろうか?という、疑問がでますね。

 九州説の場合は呉の国と楽浪の公孫氏が畿内王権と提携し、魏はそれに対抗する九州連合国である邪馬台国と提携する事で呉・公孫氏の分断を画策したという筋書きなんだろうか?しかし、少し無理があるように思いますがね。

 記事以外でも、最近は畿内説に有利な発掘成果がでています。以前、何回か記事を書きましたが一度そのうち整理したと思います。

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三輪山セミナー2006

2006ooizumilee_001  8月20日有楽町の読売ホールで三年目の三輪山セミナーが盛大に行われました。主催は大神神社ですが後援は奈良県と桜井市です。

私は三年前の初回からこのセミナーには参加させて貰ってます。今年は随分とお客が来られ超満員でした。

 (スケジュール)

・13時 開講 大神神社 宮司 鈴木寛治さん挨拶

・13時10分 講演 ”三輪山と祭祀” 和田 あつむ教授

・15時    講演 ”詩的源郷としての三輪山” 前 登志夫さん

 (和田先生のお話)

 和田先生は歴史家でもありますが、前 登志夫が主宰されてる”ヤママユ”の同人でもあられるようですね。前さんは吉野にお住まいで、和田さんは奈良は高取町にお住まいだそうです。(和田先生略歴関連)

講演は三輪山と祭祀というテーマでお話をされました。子供の頃から奈良でお住まいの和田先生ですから、内容は郷土愛に包まれた楽しい話でしたね。大和の青垣の山々でも東の三輪山(御諸山)と西の二上山についての古代からの人々の思いを語られていた。

 三輪山を眺める最適な場所は水垣郷からだそうですね、稲作が伝わる以前は磐座信仰と湧水地としての三輪が、稲作が伝わり太陽信仰が重なる。三輪山から登る太陽信仰となったそうですね。

 現在、神坐日向神社(みわにいます ひむか じんじゃ)は室町時代の頃までは三輪山の山頂に存在したそうです。(注:以前に私も記事を書きましたが神社は山宮、中宮、里宮と存在する事を書きました。三輪山の山宮が日向神社だったんですね。)

 太陽が昇る三輪山を朝に拝み、そして田圃を耕す、夕暮れの仕事が終わる頃には西の二上山(ふたがみさん)に夕日が落ちる。この二つの山は大和の人々にとり特別な神聖なものであったようです。

 (つばいち由来)

 先月、私は近鉄線で奈良から名古屋に旅をしたが、その時に三輪山の南にある”つばいち”を通過した。古代の文明の十字路と呼ばれる事が実感したのであるが、この”つばいち”について面白い話を先生はされました。

  ”紫は灰指すものぞ つばいちの 八十のちまたに 逢へる児やたれ”万葉集

 この歌は当時の市の賑やかな雰囲気と歌垣の世界を表現していますが、つばいちの枕詞が”紫の灰指すものぞ”と有ります。紫は当時、高貴な方しか着ることが許されない、そして紫草から染色する技術が極めて難しいとされたそうです。そして、その染色時に欠かさない触媒が椿の木を燃やした灰だったそうです。

 椿の木が沢山植えられていたんでしょうね、現在の地名の椿市というのもこれでしょうね。先生の話では、有名な場所には特徴ある木が纏めて植樹されていたそうです。ケヤキであるとか、神武天皇の樫原宮の樫もそうなんでしょうか?

 先生の楽しい脱線ばかりのお話は実に楽しいひと時でした。今度は是非、三輪山の参拝の時には山に登ろうと思いました。狭井神社で申し込みお払いをして登れるそうですから、是非又行きたいものです。

(参考)

万葉集 ”紫の・・・・”

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仲人二人

2006ooizumilee_007 昨夜は、久しぶりに私が仲人した二人と宴会した。

 会社生活37年の期間で仲人したのは、この二組しかない。昔の人は随分と多く頼まれ仲人をしたと聞くが、私は少ない方でしょうね。

 松永君は昔、パソ通オタクの青年で随分と世間を騒がせた記憶が有ります。(笑)おとなしそうだが、根がきつく過激なところが多かった。しかし、新しもの好きで今のインターネットのハシリの先端を走っていた。随分と沢山の事を教えていただき、仕事では助けてもらったものだ。

 彼は、今でも先端の技術を使ったプログラミングをしているそうだ。業界では彼を知る人々は多いのではないでしょうか?顔は典型的な縄文人の顔だけど、先祖はツングースの遊牧民だそうだ。

 遊牧民と言えば大泉君も何分の一かはシベリアの先祖の血を受け継いでいるそうだ。昨夜は、会社の名刺とは別に音楽家としての名刺も頂いた。アットレック・レコードの代表でmetalとあった。

 http://www.atrec.net/

大泉君とは随分とTowns時代に一緒に苦労した思い出があります。職場では会社の方針に反旗を翻し、私は管理職を追われ流浪の身になり新百合でふうてん老人に庇護された歴史があるが、その時も彼と二人で行動した。

 今は二人とも、ネットの世界で活躍されているがソフト技術者としては一級でしたね。過去形だと思っていたが、松永君は今でも技術屋としてがんばっているらしい?考えてみると彼らは未だ40代半ばですから、私とは随分と年齢が離れていたのだ。(笑)

 これからは、年に一度程度は奥さんもご招待して夫婦が無事なのか?確認宴会をするのは面白いと思った。

 

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お盆の季節2006

今年お盆は何処にも出かけず、テレビを観たり、料理をしたり、自宅の周りをウロウロしていた。次女が孫娘も猫二匹も連れて北海道に1ヶ月も長期休暇で出かけてしまったので、暇だから、家内と二人で掃除で出かけ、アースのゴキブリ、ダニ退治の煙の出る装置を仕掛け二日間メンテナンスをした。

 昔は、火が出て煙りがモウモウとでるのだが、最近は水の中に薬を入れるのだ。玄関のドアには”バルサン中”とい張り紙をして一晩消毒をした。あくる日には朝、一人で出かけ薬を吸うと危険なので、泥棒のような格好でドアを開けて一目散、窓ガラスを全て全開にした。半日ほど、時間を置き部屋の空気が外に出た頃に又、掃除夫二人で掃除に出かけた。

 残念ながら、ゴキブリの死骸も無く、目立つ虫は居なかった。帰りに娘の自転車を見ると空気が抜けているので、ドンキホーテに空気入れのマシーンと虫を買いに出かけた。自転車の空気入れは孫がこの前にポンプの押す部分を抜いてしまい、私がピストンを入れようとしても二度と入らないのだ。破棄した。

 新しいポンプを購入し、ついでに空気が抜けた娘の自転車を修理する為に若い女性のレジの係りの人に訊いた。”虫は置いてありますか?” ”え?虫?何の虫ですか?”要領を得ないので、クドクド説明した。最近の若い女性は自転車の虫を知らんようだ。

 娘の車も長く放置するとバッテリーが駄目になるかもしれないので、ついでにエンジンを始動させ無事を確認する。大丈夫な様子である。

 (高校野球は面白い)

 今年の甲子園は面白い。9回が終わらないと結果は判らないのだ。しかし、九回表に8点も入れて逆転し、その裏に5点も入れられて負けたチームもあった。面白いのは、ピッチャーを使い切り、野手が突然投手にさせられたのは面白かった。

 今回は、石垣島への旅行で八重山の代表校の学校を訪問していたので、特に応援した。彼らの顔を見てると”新鮮だ”。最近はプロの野球は殆ど観ないけれど、甲子園は面白いし感動が深い。何故なんだろうか?

 野球と言えば、先日、黒柳さんの番組に張本御大がでておられた。彼は被爆者手帳を持っておられる事もショックでしたが、右手の指が内側に曲がった儘だったという話には涙がでた。それを現役引退するまで隠していた事だ。彼は初めて尊敬する川上さんにその手を他人としては始めて見せたと言う、川上さんはその手を見て涙を流したそうだ。

 一流を極める人は違うものだと感動が大きかった。そして、彼が二回広島の原爆記念館を訪問したそうだが、玄関で足が震え、身体が震えどうしても中には入れなかった話をした。戦争の悲惨さを語る体験者はどんどん減少してゆく。

 甲子園に響く黙祷のサイレンを聞く度に、若者に戦争がこの国に存在したのだ、そして二百数十万人の人々が犠牲になった事を語り続けてくれる。

 (補足)

・自転車のムシについて関連記事が有りました。英国の自転車工場でworm(虫)と

言われていたのが日本語に訳されたという記事です。

 自転車のムシ(虫)のいわれ

 

 

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三輪山セミナー 2006

私の心の故郷の一つである三輪山の大神神社主催の東京セミナーも三回目を迎えます。来る8月20日(日) 有楽町の読売ホールで午後1時から開催予定です。

 ・挨拶: 宮司 鈴木寛治さん

 ・講演 ”三輪山と祭祀” 和田 あつむ教授(京都教育大学)

 ・講演 ”詩的原郷としての三輪山” 前 登志夫さん(歌人)

 私はこのセミナーは欠かさず、出席して来た。内容が素晴らしいのだ。

 三輪山セミナー(2005)その壱

 三輪山セミナー(2005)その弐

 三輪山セミナー(2005)その参

 今、世間では首相の神社参拝について国論が割れている、神社は日本という国には古代よりあまたと存在する。各地の歴史ある場所であろうが、歴史無き場所であろうがその土地の神社は存在する。

 数えた事は無いが幾多の神社が日本には存在するのだろうか?先月訪問した八重山諸島にも本土の神社では無いが、大和の原型かもしれない御嶽(うたき)は小さな竹富島にも無数に存在した。

 私は北河内に生まれ育ち、回りには幾多の古墳に囲まれ、自然と古代史に興味を持つようになり、三輪山に辿りついた。歴史書で辿れる私の心の故郷は三輪山です。しかし、もっと過去を辿れば八重山の竹富島の御嶽かもしれないし、朝鮮半島かもしれないし、長江下流域かもしれないし、カスピ海かもしれない。

 日本の近世史において、戊辰戦争で戦死した会津藩の武士は何処で祭られているんだろうか?新選組の連中も何処で祭られているんだろうか?西郷隆盛さんは鹿児島で祭られているんだろうな~~。私は、敗軍即ち賊軍の兵士達はどのように祭られているのか、近世史における処遇が気になります。

 古代においては、勝者が敗者の御霊を鎮める為に沢山の神社を建立してきた歴史がある。祟りが怖いからでしょうね。死ねば勝者と敗者も無いというのであれば、この近世史の100年は敗者に対する思いやりはどうなんだろうか?

 池田屋事件で新撰組に殺された勤皇の志士たちを、当時、世間の厳しい目があるのに弔ったという私の、縁故の小川てい婆さんは偉いと思う。今では官軍かも知れないが、当時は徳川幕藩体制では賊軍である。

 今年も、三輪山セミナーが楽しみです。

 

 

 

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Honda's family の思い出

Img_0001  米国の富士通アメリカに1982年1月から85年6月まで駐在していました。

当時、本多さんは副社長で技術部門の親玉でした。この写真は帰任まじかの頃ではないだろうか?本多さん御夫婦を真ん中に当時の技術調査部の家族が集まっています。

 機構設計から派遣された松村さんご家族、ソフト事業部からの池田さん、CE部門からの宮井さんご家族、そして、ニューヨーク駐在員の千谷さん(同期)も駆けつけている。

 場所はサンノゼの某、日本食レストランではないだろうか?何故集まったのかは、忘れてしまったが懐かしいメンバで家族の写真なので、躊躇したが、もう二十数年前の出来事なので時効という事で許して頂きたい。

 本多さんはアムダール社の立ち上げの頃から現地で指揮をとられていたので、随分と長くグリーンカードも取得されアメリカに永住された頼りになる上司でした。駐在員の家族を奥様が中心となりよく面倒をみられたものだ。

 米国に赴任した当座に言われたのは、”ここはアメリカです。日本では有りません。皆さんはアメリカの法律で裁かれるので、早くアメリカを勉強して下さい。最後に、会社は二の次です、先ず個人がアメリカの良き市民として生きる事を考えて下さい。”と訓示があった。

 この言葉のお陰で実は私は、日米を揺るがした大きな産業スパイ事件に巻き込まれる災難から回避できたのです。本多さんがおられなかったら?と考えると、今も感謝の気持ちで一杯です。

 何れは、この事件について記録を書きたいと考えていますが未だ、世の中には関係者もおられるので、黙しておきたいと思います。しかし、半年間程は生きた心地がしない恐怖との戦いでした。関係者とは路上で歩きながらしか、本当の話が出来ない恐怖を味わったのもこのサンノゼというハイテク先端の場所でした。

 そんな、過酷な情報戦のなかで家族が集まり楽しく団欒する世界はひと時の安らぎでした。多分、今もサンノゼで活躍している日本の駐在員の人々は日々、戦い続けているのではないでしょうか?

 帰国後、松村さん、千谷さんは再度米国に赴任され二度の米国での駐在生活を経験された。皆さんもそろそろ定年が近い年齢ですが、サンノゼでの思いでは沢山残っていると思います。千谷さんは今は富士通を去り大学の教授をされているが、懐かしいメンバです。

 企業が海外で根を下ろして活動するには、本多さん御夫婦のような本当にその国の市民になられた幹部が現地では指揮をとらないと、成功しないのでしょうね。今も、それは変わらない真実だと思います。

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横浜港、東京湾クルーズ

2006kurujinngu_002 2006kurujinngu_014  横浜港、東京湾クルーズにでかけた。

客船はロイヤルウイングという船です。夕方5時過ぎに出港し7時頃に帰還した。

2006kurujinngu_049 まじかに、かもめが飛んでくるのが、楽しかった。最近ラジコン飛行機を飛ばしていないので、姿を見てると早く飛ばしたい気持ちになった。

素晴らしい飛行の姿にビールを飲みながら惚れ惚れした。

 横浜港・東京湾クルーズ写真集

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久しぶりのカラオケBOX

 先日、都内某所で仕事関連の大会議があり、その後、富士通関係者と大宴会があった。

 最後に、二次会という事で同期のオホーツクの哲ちゃんと、伊良湖岬出身の藤城君と三人で八重洲のカラオケ・BOXにでかけた。

 哲ちゃんもこの6月に定年退職され、伊良湖の親爺も関係会社の専務を退任した。初老の三人でカラオケBOXに出かけるのは、何か侘しいし、色気もないし、気が進まなかったがこれが意外と盛り上がり楽しかった。(笑)

2006nara_060 哲ちゃんとは入社以来37年間のお付き合い、伊良湖の親爺とはFsol時代に5~6年間一緒に新規事業を立ち上げた戦友である。昔のレーザーデイスク盤の演歌を得意とし、哲ちゃんは玄人肌の演歌歌手である。(笑)

今迄、何処で覚えたのか、沢山の歌を歌うのである。二時間程度、三人で順番に唄いまくり宴会は終わった。

2006nara_061 最近はカラオケも下火でこの業界も苦労していると思うのだが、結構繁盛していたのには驚いた。各部屋からは元気な若者の歌声が廊下に響いていた。

我々の世代は落ち着いたバーとか美人ママがいるお店で歌うのが慣例であるのだが、今回の試みは珍しく面白かった。

 (閑話休題)

 初老と言えば、以前Blog記事にもしましたが、米国時代にお世話になった先輩の鵜飼さん(池田敏雄さんの一番弟子、アムダール立ち上げの親爺)の消息である。以下メール

趣味が将棋という会員がおられるかどうか不明のため
IT会員各位にこのメールを出しております.

私の趣味の一つが将棋です.とは言っても,53歳から
始めて16年,いまだに道場では初段です.
強い上手に飛車と角とを落として貰う「二枚落ち」の
歴史研究で将棋ペン倶楽部から「大賞」を頂いた実績
があって,先日,日本将棋連盟から「テレビに出ろ」
との話がありました.
興味ある方はご覧頂きたく思います.
以下は,富士通将棋部宛のメールです.

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UKAI Naoya さんのコメントを転送します:
富士通将棋部部員各位

先日将棋会館で収録された囲碁将棋チャンネルの放映は
以下の通りです.
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二枚落対局
上手  :蛸島彰子女流五段
下手  :鵜飼直哉
解説  :勝又清和五段
放送日時:8月26日(土) 前10:00から
再放送 :8月27日(日) 後10:00から
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 この囲碁将棋チャンネルが判らない。ケーブルテレビか衛星の有料チャンネルでしょうかね?しかし、蛸島元女流名人とは懐かしいものですね。

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春日大社 参詣記

2006nara_033  鳥居から眺める御蓋山(ミカサヤマ)

 これが、本来の御神体です。三輪山と同じく春日大社の御神体は山そのものなのだ。平城京への遷都時に藤原不比等はこの地を乗っ取り、国家鎮護と藤原氏の氏神として春日社を建設した。

2006nara_020 不比等は先祖の中臣氏の氏神である鹿島神宮のタケミカズチノミコト神と香取神宮のフツヌシノミコト神を祭り、同時に河内国枚岡神社からアメノコヤネノミコト神と比売神さんを祭った。

これらの神々は天照の臣下として出雲成敗に貢献のあった連中であります。ほぼ不比等が成立させた記紀神話を具現化するような4柱の祭りである。ここで、藤原氏は神話に沿って天照系天皇を支える確固たる氏族であると天下に示したのでは、ないでしょうかね。

 (和邇・春日・阿倍氏族)

 盾並古墳群から春日山一帯は元々が和邇氏・土師氏の拠点でした。出雲出身の土師氏と和邇氏が大きな勢力としてこの一帯を支配していた。しかし、その後、和邇氏は春日氏と名前を変えそして、7世紀には阿倍氏に変化するのだ。

 遣唐使として活躍した阿倍仲麻呂が望郷の念で歌う”あまのはら ふりさけみれは かすがなる みかさの山に いてし月かも”という歌は特別な阿倍氏族の聖地を歌ったわけです。

 最近の考古学の発掘によりこの地は古代より祭祀が行われてという遺構が発掘されています。奈良時代でも遣唐使が派遣される時にはここで、航海の無事と国家使命を完遂できるように祭祀が行われた。

 このように歴史をひもとくと大和朝廷が生れる頃から古神道の形で御蓋山が御神体として地元の人々から崇められていた事が判りますね。日露戦争の連合艦隊旗艦の名前が三笠というのもやはり、波涛を支配し国家鎮護の思いからきたのではないでしょうか。

2006nara_015 2006nara_016

  (林檎の木と庭)

ガイドさんのお話では、古来ここには林檎の木が植わっており、その実の結実状態で豊作か凶作を占ったそうです。そして、この庭では舞が催されたそうだ。

奈良時代には既に林檎の木が存在したのには、驚愕でしたが、日本固有の種なのかどうか今は判りません。

2006nara_025 2006nara_026 (七種寄木・なないろのやどりぎ)

不思議な木があるものですね、ハコノキを母樹として沢山の木が接ぎ木されたんでしょうか?国家繁栄を願ったものなのか?今は妊婦さんのお守り木だそうです。

2006nara_028 2006nara_032 (吊り燈籠)

春日大社といえば吊り燈籠と石燈籠ではないでしょうか。奈良地元のほかもさんのBlogでは詳細な報告記事を読ませて頂いています。

一度は万燈籠の行事に参加してみたい気持ちですね。自分で燈籠に火をつける事が出来るそうです。

2006nara_031 (砂ずりの藤)

残念ながら季節外れですから、地面まで垂れ下がる藤の姿は有りませんでした。ほかもさんの記事(砂ずりの藤)を参考にして下さい。

 春日大社については色々と書きたい事があるんですが、又の機会にしたいと思います。

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夕焼け空 台風?

 台風が紀伊半島に接近してるそうだ。今日は朝から珍しく雨で気温も上がらない。高校野球は接近戦の素晴らしいゲームが続いた。ふうてん老師の故郷であり愛媛の今治も勝ち、最近訪問した石垣島の八重山の高校も勝ち進んだ。

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 素晴らしい夕焼けに、しばし、バルコニーで空を眺めていた。

千葉方面のタマちゃんも撮影

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東大寺 石畳

 久しぶりに、東大寺境内に入りお参りをした。この辺りの鹿は観光客に慣れていて、頭も良くて知らぬ間に私のズボンのポケットに顔を突っ込んでいた。(笑)ホンマ、油断も隙もないものだ。危うく、ポケット内の一万円札を食べられるところだった。(冗談だだけど、私はサイフを持たないでお金は其のまま何時もポケットに突っ込んでいる)

 昔、ふうてん老師、Muの旦那と参拝した思い出があります。確か、境内の何処かの茶店で、うどんを食べた記憶がある。

 今回は客三人に対してガイドさんが一人、贅沢な案内付きの観光だった。春日大社の案内では私が鎌足と鹿島神宮の関係、春日大社との関係を色々質問するのに、一生懸命答えてくれた。流石に観光案内する人は歴史を勉強しているものだと感心した。

 ところで、今回の話題は東大寺の石畳の由緒についてのお話です。

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 南大門から大仏殿に向かう道は綺麗な石畳である。

ガイドさんの話では、真ん中の黒っぽい石がインド産、その両隣が赤っぽくて中国産、その外側の白っぽい石が韓国産だそうで、その両端にひし形で敷設されている石が日本産だそうだ。

 これは、仏教の伝来を伝え感謝する気持ちからそうされてるそうだ。そういえば、観光客には色の黒いインド人らしき人々、中国語、韓国語が聞こえて来る。楽しそうに、シルクロードから来た観光客(笑)が柱の穴抜けに興じている。笑が絶えない風景を眺めていて、この東大寺さん、大仏さんは国際親善に貢献してるな~~と、思った。

 日本という国が如何にローマからインド、中国、朝鮮半島の人々から文化・文明を教えて貰ったか?感謝の気持ちと彼らの文化・文明に対する尊敬の念があるか。この東大寺と大仏を見学していて改めて感動した。

 シルクロードの皆さん、皆さんの国々では滅びてしまった文化・文明はちゃんとこの古都奈良では今でも大事に日本人は守っている事を知って貰えた。これが、お返しである。

2006nara_051 この八角大燈籠は創建時のままだ、大仏殿は政争により何回も焼き討ちに遭遇したが、日本人はその度に再興してきたしつこい民族だ。

最近ではバーミヤンの大仏がタリバンにより破壊された。今、日本人の文化財保護スペシャリストがかの地で活躍してるという報道がNHKではありましたね。

2006nara_052 この大仏さんを眺めていると、幾多の苦難に遭遇しても修理復元してきた日本人の優しい心が伝わります。今も、守り続けている私達の心を海外から来る人々に伝わると思いました。

逆に、シルクロードの道は大仏殿から逆に彼らの祖国に伝えているように思えたが如何なもんでしょうか?

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 広目天、多聞天の立像ですが、とりわけ、筆と巻物を手に持ち西方の守護神 広目天は鋭い目でシルクロードの彼方を睨んでいる。

バラモンの神まで取り込んだ大仏は武力だけでは無く、情報と学問の世界でも今もシルクロードの彼方を睨んでいるのだ。

久しぶりの、大仏さんとの再会は又、今の政治や経済の事々に沢山の啓示を与えてくれていると感動した。

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元興寺(がんごうじ) 拝観

奈良での定宿である、奈良ホテルのそばに”元興寺”があります。ガイドさんがついて拝観する事となった。

2006nara_036 2006nara_037 この寺は元々が、飛鳥時代に蘇我馬子が日本で始めて建造した”法興寺”を平城京遷都時に(718年)この場所に移設し、”元興寺”と名前を変えた由緒正しいお寺です。

奈良時代は東大寺に次ぐ巨大な伽藍と敷地を抱えたお寺だったそうです。(東大寺は四千町、元興寺は二千町、興福・大安・薬師寺各千町)

2006nara_038 (国宝 極楽堂)

別名、曼荼羅堂とも言うそうです、奈良時代後期に智光という偉い坊さんが出現し浄土宗をこの場所から始め、有名な智光曼荼羅を本尊として、この堂を極楽房としたそうです。

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 右側の建物が極楽堂で左の大きな建物が国宝の禅室(僧坊)ですね。屋根の瓦に注目です、右側の瓦は飛鳥時代の瓦であり、今も数千枚使用してるのには驚愕です。

 丸瓦が重なるように葺いてありますが、これが行基葺きと言うそうです、左側の瓦は重なりあっていませんね。新しい瓦なのだ。

 平安時代の前半期までは、南都七大寺として栄えたが、平安時代後期より中央政府の権力が衰え、パトロンを失った寺は庶民に支えられた寺へと変貌を遂げたそうだ。地蔵信仰、聖徳太子信仰、弘法大師の真言信仰という渾然とした状態で群集を集めたと寺の案内カタログでは歴史を述べています。

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2006nara_044 2006nara_045 2006nara_046_1 本来は官寺にはお墓は有りませんが、不思議とこの寺にはお墓があります。四季折々に綺麗な花を咲かせるそうで、カメラ好きの人には絶好の場所だそうです。

 寺の敷地は今は狭いものになっていますが、元興寺文化財研究所が併設されて国宝の五重小塔とか聖徳太子立像とか貴重な文化財を拝観できます。

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 最後に、極楽坊の内部の模様です。平城京の時代には平城(なら)の飛鳥と呼ばれ広大な敷地と伽藍を誇ったこの寺も今はひっそりとして、それでいて、日本最古の寺の気品を今も伝えるありがたいお寺なのだ。

 参考 マイフォト奈良観光記録写真

 参考 元興寺文化財研究所

 参考 元興寺

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jo君のヨイトマケ奮戦記 (最終章)

 2006年4月4日より都内の遺跡発掘の作業員として4ヶ月間参加した。古代史を生涯の趣味としてきた私は一度は、発掘の現場に立つのが夢でありました。幸い、現場と機会に恵まれた事に感謝したい。

 最後の日の模様はマイフォトに写真掲載しましたが、素晴らしい仲間との楽しい思い出の締めくくりの日にふさわしい写真の数々と思います。

 遺跡発掘最終日の模様(写真集)

 今回、感動した一番は遺跡発掘に参画している人々との心の触れ合いでした。新人の私を優しく時には厳しく指導して下さったこの道の先輩の方々、そして、辛い時、特に炎天下での塹壕掘削でお互い励ましあって支えて下さった仲間の人々ですね。

 考古学の専門の道を進む若い学生諸君との交流も新しい刺激として、私には感動が蘇った。考古学というのは本を読むだけでは駄目だ、現場に立たねば開拓出来ないという事も改めて感じた4ヶ月でした。

 週に4日間は毎晩、弁当を作り、麦茶と烏龍茶を2リットル製作しペットボトルに詰め、着替えや手ぬぐい4枚を大きなリュックに詰め込んで通った生活は感動の日々でした。

 出来れば、今回の海外での仕事が終われば又、何処かの遺跡に立ちたいと思います。それは、何年後になるか判らないが、はたまた、海外の仕事の合間に週末は遺跡発掘に参加しているかも知れないが、是非、今後も続けたいという気持ちが有ります。

2006iseki_004  (特にkazzさん、佐藤さん有難う)

何時も一緒だったお二人には感謝の気持ちが有ります。是非これからも遺跡の発掘を続けて頂きたいし、又、何処かの遺跡でお会いしましょう。その時を楽しみにしています。

_1420_1 宮下さん、沢山教えていただきました。貴方のお陰で関東ローム層の歴史と特に旧石器時代には興味が湧きました。これからも、考古学の世界で頑張って欲しいです。

一年後の発掘成果報告書が出来るのが楽しみです。身体には気をつけて海外の考古学者との共同研究も楽しみにしています。

 最後に、これまで20回に渡り掲載しました奮戦記を掲示して終わります。長い間、有難う御座いました。稚拙な記事でしたが、読者さんに感謝です。

  jo君のヨイトマケ奮戦記 (1)

  jo君のヨイトマケ奮戦記 (2)

  jo君のヨイトマケ奮戦記 (3)

  jo君のヨイトマケ奮戦記 (4

  jo君のヨイトマケ奮戦記 (5)

  

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24万アクセス

 ココログに新機能が追加されました。アクセスカウンターが新しくなりました。

Joblog全体のアクセス総数 24万2303アクセス,平均 295.49/日

JoBlog記事のアクセス総数 15万6458アクセス、平均 190.8/日

 随分と写真へのアクセスもあるんですね?今度、一度調べてみようと思います。

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2006年度 墓参帰省無事終了

 昨年のお盆帰省は夜行高速バスで東京・京都を往復した。早朝に京都駅に到着してその足で片町線の長尾駅近くの菩提寺に参詣した。今年は、新幹線を利用したが、帰りは近鉄線で奈良を観光して名古屋経由でのんびり帰還したのだ。

 今年は母の13回忌だそうで、宇治の姉夫婦と二番目の熊取の姉と兄弟姉妹が集まり両親と兄貴の冥福を祈った。京阪樟葉の駅近くのレストランで精進落しをしたが、きっと母も父も兄貴も喜んでいると思う。

 (関西は蒸し暑い)

 家内の実家では早朝から庭で蝉がうるさく鳴き、家内と二人で汗だくで掃除、荷物の整理、クーラー購入、照明器具の取替え工事、食事の準備、等々と出稼ぎ家政婦の大車輪であった。クーラーが壊れていたので、汗ダクでまるで遺跡の発掘作業をしてるようだった。(笑)しかし、これで、当分は家内の実家も安心して快適に義父義母ともにお住まいが出来ると思う。

 (奈良観光)

 最後の日は朝早く木幡の実家を出発し、六地蔵の駅から区間快速で奈良駅に向かった。しかし、単線で随分と時間は要したようだ。(笑)しかし、木津川が奈良の喉元まで迫っている事実を発見したのは成果でしたね。

 奈良駅で急いで観光バスに乗り込み客は三人しかいないが(笑)、春日大社、元興寺、東大寺の三箇所を目まぐるしく観光した。ガイドさんがついて奈良観光は初めての経験ではないだろうか?(笑)後日、記事を書きたいと思います。

 大和八木駅から近鉄の特急に乗り、一路名古屋経由で帰還した。ここでも、三輪山麓から名古屋迄通じる道がある事を発見し、何故、ツバ市が発達したのか古代の都の思いに浸る事が出来た。

2006nara_005 樟葉駅近くのレストランにて、精進落し。木幡の姉も元気が回復したものだ、随分と歩けるようになった。温水プールでのリハビリ効果がでたようだ。熊取の姉はフランス帰りで元気そのものだった。

2006nara_046 元興寺石仏と桔梗でしょうか?素晴らしい風情でしたね。別途、記事にします。

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今日から帰省します

2006iseki_007 2006iseki_021  昨日で4ヶ月間働いた遺跡の発掘を去りました、現場そのものもあと一週間程度で全て終了する予定です。ほぼ全工程に参画できたのが、幸せでした。後日、jo君のヨイトマケ奮戦記の最後の章を記録する予定です。

 そして昨夜は、遺跡の発掘現場を終え駆けつけた築地での宴会も楽し2006iseki_024 2006iseki_023 い仲間の歓送会でした。後日記事を書きたいと思います。

 昨夜自宅に帰り、メールをチェックすると先日の小島先輩の歓送会の素晴らしいムービーが”けんた&アトムパパ”から届いていました。流石に、専門家が作ると違う事が判りますね。期間限定、数日間しばし楽しかった宴会の模様を掲載します。(パパいいですよね?)

 それから、9月1日の上野の森の豪邸での音楽会楽しみです!私、巻き寿司沢山製作して持参します!ヘビメタのステージも楽しみです。私も一曲歌います私まだ59歳ダス。

 けんた&アトム パパ 製作ビデイオ

幹事さんの記事もありましたね。

 幹事さん記事

ヘビメタの記事も有りましたね

 ヘビメタ記事

 それでは、墓参りに帰省します。

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