三輪山セミナー2006
8月20日有楽町の読売ホールで三年目の三輪山セミナーが盛大に行われました。主催は大神神社ですが後援は奈良県と桜井市です。
私は三年前の初回からこのセミナーには参加させて貰ってます。今年は随分とお客が来られ超満員でした。
(スケジュール)
・13時 開講 大神神社 宮司 鈴木寛治さん挨拶
・13時10分 講演 ”三輪山と祭祀” 和田 あつむ教授
・15時 講演 ”詩的源郷としての三輪山” 前 登志夫さん
(和田先生のお話)
和田先生は歴史家でもありますが、前 登志夫が主宰されてる”ヤママユ”の同人でもあられるようですね。前さんは吉野にお住まいで、和田さんは奈良は高取町にお住まいだそうです。(和田先生略歴関連)
講演は三輪山と祭祀というテーマでお話をされました。子供の頃から奈良でお住まいの和田先生ですから、内容は郷土愛に包まれた楽しい話でしたね。大和の青垣の山々でも東の三輪山(御諸山)と西の二上山についての古代からの人々の思いを語られていた。
三輪山を眺める最適な場所は水垣郷からだそうですね、稲作が伝わる以前は磐座信仰と湧水地としての三輪が、稲作が伝わり太陽信仰が重なる。三輪山から登る太陽信仰となったそうですね。
現在、神坐日向神社(みわにいます ひむか じんじゃ)は室町時代の頃までは三輪山の山頂に存在したそうです。(注:以前に私も記事を書きましたが神社は山宮、中宮、里宮と存在する事を書きました。三輪山の山宮が日向神社だったんですね。)
太陽が昇る三輪山を朝に拝み、そして田圃を耕す、夕暮れの仕事が終わる頃には西の二上山(ふたがみさん)に夕日が落ちる。この二つの山は大和の人々にとり特別な神聖なものであったようです。
(つばいち由来)
先月、私は近鉄線で奈良から名古屋に旅をしたが、その時に三輪山の南にある”つばいち”を通過した。古代の文明の十字路と呼ばれる事が実感したのであるが、この”つばいち”について面白い話を先生はされました。
”紫は灰指すものぞ つばいちの 八十のちまたに 逢へる児やたれ”万葉集
この歌は当時の市の賑やかな雰囲気と歌垣の世界を表現していますが、つばいちの枕詞が”紫の灰指すものぞ”と有ります。紫は当時、高貴な方しか着ることが許されない、そして紫草から染色する技術が極めて難しいとされたそうです。そして、その染色時に欠かさない触媒が椿の木を燃やした灰だったそうです。
椿の木が沢山植えられていたんでしょうね、現在の地名の椿市というのもこれでしょうね。先生の話では、有名な場所には特徴ある木が纏めて植樹されていたそうです。ケヤキであるとか、神武天皇の樫原宮の樫もそうなんでしょうか?
先生の楽しい脱線ばかりのお話は実に楽しいひと時でした。今度は是非、三輪山の参拝の時には山に登ろうと思いました。狭井神社で申し込みお払いをして登れるそうですから、是非又行きたいものです。
(参考)
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