小島先輩の歓送会
長年お世話になった小島先輩がこの6月に富士通を引退された。この度、1994年頃より彼の配下でコンテンツビジネスに携わっていた一部の人々が集まり、蒲田のソリューション・スクエアのレストランで宴が開催された。
私は既に3月末に引退していたが、”ついで”という事で私も含めて歓送会という話で幹事の梶山さんから連絡が来た。(笑)
(小島さんの思い出)
小島さんの配下で仕事を始めたのは、1994年の頃であり私は技術部門のマルチメデイア技術開発部門で古河本部長配下で働いていた。古河さんより、お前、今度富士通が始めるコンテンツビジネスの仕事を小島さんの下で働けと言われ、兼務で企画部長として赴任したのが、苦難の始まりでした。(笑)
社内公募で集まった人々と訳の判らないコンテンツビジネスというメーカとしては異色の分野に挑戦する事となった。CATV/インターネット/映画/CD ROM・・・等々の各種メデイアに対して広範囲なビジネスの開拓でした。
小島さんは当時、本職は取締役で経営企画室の親玉でもありました。そして、その後数年間は必死になって色んな事をした。幼児パソコン教室、中野CATV局でのデジタル双方向のコンテンツ作成、高速インターネットの運営、インターネットマガジンの創刊、ガメラⅡレギオン襲来映画制作への参画、各種CD ROMタイトルの製作、音楽配信の試行、等々と今から考えると10年は早い事業への挑戦でした。
殆どの事業は残念ながら失敗に終わったが、寝食を忘れた仕事の楽しさは今も楽しい思い出として残っている。事実当時の仲間は未だに集い戦友としておつきあいが続いている。小島さんの持ち前の明るさと前向きな姿勢が皆さんに伝わったからではないだろうか。
その後、小島さんは富士通の副社長まで経営者として成長?され、海外の営業分野では特に多くの足跡を残された。彼と二人でロンドン・ジュネーブ・カンヌと旅をしたのが楽しい思い出として今も私には残っています。
歓送会は6時半より始まり、10時頃まで続いた。そして、そのまま殆ど皆で昔懐かしい蒲田の居酒屋”勝五郎”に押し寄せ深夜まで宴会は続いたのだ。
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Comments
Joさん
懐かしいお顔がありますね(^O^)v 五反田時代だったでしょうか、遊びに行くといらっしゃいましたね・・・
小島大先輩、富士通と共に40年以上?ですか。シーメンスプロジェクトで、蒲田や小杉ビルの古河さんの席にしょっちゅう現れていたのを思い出します。
Posted by: 哲 | 2006.08.01 06:39 PM