« June 2006 | Main | August 2006 »

Working Poorの現実

 先日NHKでは特番で”働く貧困層(Working Poor)”の番組に衝撃を受けられた人は多いのではないでしょうか?番組では1/10の人々、約400万人の人々が生活保護レベル以下であるという報告であり、東京では1/4が正規社員ではない労働条件で働いているという。

 平均年収で一番高いのは東京で約400万円、ビリは私の息子がいる沖縄で約200万円だそうだ。OECDの発表では先進国で日本は二番目に貧困層が多い国だそうだ。番組で地方の商店街でテーラーをされている技術のある老人は年収20万で年金は全て奥様の病院に消えてゆき、一回の食事が百円で済ませないと生きてゆけない。

 それが、今度は医療費負担が上がるという。死ねという事を国家はこの善良な老人に宣告しているように聞こえた。都市部でも、30代になるとアルバイトの仕事もなかなか見つからないそうだ、そして路上生活者にやむなく行く。

 統計によれば、この数年で2千万を越える所得者が倍増したそうだ、しかし、生活保護レベル以下の人々は25%増えたと言う。明らかに格差社会が急速に進行しているのだ。

 (身近な実感)

 私のこの4ヶ月のアルバイトは日給が6400円です。月に8万円程度収入ですね。頑張れば10万少しにはなる。私の周りでは一部屋に三人で暮らし家賃と食事代で10万円という人々がいる。ギリギリの生活なのだ。

 建設現場では日給がバブルの頃は2万円も貰えた時代があったそうだが、何の保証も無い。そして、危険な職場であり、怪我とか負傷し障害者手帳を持つ人が側にいます。その人々は働きたくても建設現場は無理だ、だから遺跡発掘の補助員として安いアルバイトで仕事をやるしかない。(未だ職場があるだけで素晴らしい)

 (地方の犯罪が多発している)

 穏やかな平和な地方の風景で凶悪な犯罪が多発している、そしてある大企業である自動車会社の役員は年収が2億を越えると言う。東芝の土光さんは毎朝めざしを食べ質素な清貧な生活を旨とされた。私が教育を受けた明治生まれの母は貧乏なこの国で給料よりも人の為に尽くせと教えた。

 この数年間の日本丸の進路は間違いがなかったんだろうか?私が育った会社では給料は安い会社で有りました、しかし、優秀な人材には仕事で答えてくれたと思う。金ではない。金は皆でわけるのだ。二割が引っ張り八割がリーダについてゆく世界は古代より変わらない。リーダーには名誉で答えるのが素晴らしい知恵だ。

 (日本は又、アジアを捨てるのか?)

 明治維新により日本は近代化を行い、アジアの人々からは尊敬の念を受け日露戦争に勝利した。多くのアジアの人々は日本に期待をしたのだ、そして多くのアジアの留学生は日本に来た。しかし、その後は第二次日英同盟により欧米諸国と同じアジアの植民地戦略を選んだのだ。アジアの人々は失望したのだ。

 太平洋戦争以降、日本は復興しGDP世界第二位に短期間で上り詰めた。アジアの人々は過去の日本の近世史を知っているので、警戒している。この数年の日本の針路は日露戦争以降と同じく欧米諸国と手を結ぶ事に優先順位があるように思えますね?

 日本のリーダが変わる節目になりましたね、論点は足元の日本のこの400万人に及ぶワーキングプアーの元凶は何処にあるのか?真剣に目を向ける事と二度とアジアの人々から欧米中心の”異国の国”にならないような、姿勢が必要ではないでしょうか?

2006_018_1 蛇足です: 最近のヨイトマケ弁当です

焼き魚、肉ジャガ、ほうれん草とチリメンジャコ、玉子焼き(定番)、でんぶ、昆布煮しめ、ジャコ佃煮、梅干 ダス。

Continue reading "Working Poorの現実"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

小島先輩の歓送会

 長年お世話になった小島先輩がこの6月に富士通を引退された。この度、1994年頃より彼の配下でコンテンツビジネスに携わっていた一部の人々が集まり、蒲田のソリューション・スクエアのレストランで宴が開催された。

 私は既に3月末に引退していたが、”ついで”という事で私も含めて歓送会という話で幹事の梶山さんから連絡が来た。(笑)

 小島さん&jo 歓送会 マイフォト

 (小島さんの思い出)

 小島さんの配下で仕事を始めたのは、1994年の頃であり私は技術部門のマルチメデイア技術開発部門で古河本部長配下で働いていた。古河さんより、お前、今度富士通が始めるコンテンツビジネスの仕事を小島さんの下で働けと言われ、兼務で企画部長として赴任したのが、苦難の始まりでした。(笑)

 社内公募で集まった人々と訳の判らないコンテンツビジネスというメーカとしては異色の分野に挑戦する事となった。CATV/インターネット/映画/CD ROM・・・等々の各種メデイアに対して広範囲なビジネスの開拓でした。

 小島さんは当時、本職は取締役で経営企画室の親玉でもありました。そして、その後数年間は必死になって色んな事をした。幼児パソコン教室、中野CATV局でのデジタル双方向のコンテンツ作成、高速インターネットの運営、インターネットマガジンの創刊、ガメラⅡレギオン襲来映画制作への参画、各種CD ROMタイトルの製作、音楽配信の試行、等々と今から考えると10年は早い事業への挑戦でした。

 殆どの事業は残念ながら失敗に終わったが、寝食を忘れた仕事の楽しさは今も楽しい思い出として残っている。事実当時の仲間は未だに集い戦友としておつきあいが続いている。小島さんの持ち前の明るさと前向きな姿勢が皆さんに伝わったからではないだろうか。

 その後、小島さんは富士通の副社長まで経営者として成長?され、海外の営業分野では特に多くの足跡を残された。彼と二人でロンドン・ジュネーブ・カンヌと旅をしたのが楽しい思い出として今も私には残っています。

2006_015_1  歓送会は6時半より始まり、10時頃まで続いた。そして、そのまま殆ど皆で昔懐かしい蒲田の居酒屋”勝五郎”に押し寄せ深夜まで宴会は続いたのだ。

| | Comments (1) | TrackBack (1)

六本木のIZUMI オーナー隠居

 六本木のライブJAZZバーとして随分とお世話になったオーナー、吉井さん御夫婦が39年間のお店を引退され、北海道に転居された。

六本木 IZUMI(ジャズバー)の思い出

 札幌から車で20分程度離れた郊外に隠居されたようだ。懐かしいメールが届きました。そういえば、閉店の挨拶が来ており、何とか顔をだそうと考えていたが、それも叶わないでいた。大変失礼な事をしたものだ。

 吉井さん御夫婦との出会いは、確か1986年か87年の頃に米国駐在を終えて帰国し先輩の小野部長に連れられて伺ったのが初めてだと思う。その後、深夜によくお邪魔して朝方近くにタクシーで帰宅した記憶が多いですね。

 とても、優しい御夫婦で生き馬の目を抜く六本木で異色のオアシスのようなお店でした。このような、素晴らしい人々が引退される歳になりました。そういえば、自由が丘の素晴らしい酒場のオーナーが引退されてゆく。これも、私が歳をとったせいかもしれない。

 吉井さん御夫婦の北海道での第二の人生に幸あれとエールを送りたい。

追伸

 六本木”IZUMI”新しいホームページ開設

| | Comments (0) | TrackBack (0)

巻き寿司を試す

 食欲があまり無いので、家内の注文で巻き寿司を作る事にした。台所に手巻き寿司用のすだれは見つけたが、巻き寿司用の”巻きすだれ”が見つからない。近所の大工センターに買いに走る。

 昆布を入れて、ご飯を炊く。具材は干ししいたけを先ず、お湯で戻す、1時間程度で戻す事が出来る。高野とうふと戻した椎茸を煮る為のだし汁を作る。昆布と鰹で出しをとるが、その時に干し椎茸の戻しに使用したものも入れる。

 高野豆腐と椎茸を面倒なので、一緒に煮る。高野豆腐4個に椎茸6個程度か?椎茸は予め細く切っておく。だし汁4カップ程度に砂糖、みりん、醤油、塩で味付ける。

 卵焼きも必要なので、フライパンで卵二個を使用して薄焼き卵を製作した。本当は玉子焼きを作り短冊に切る方がいいかも知れない。三つ葉も茹でておく。干瓢は市販のものが有りましたので、それを使う事にした。

 2006_053 そうそう、蒲鉾も適当に棒状に切り、軽く火を通しておいた。でんぶは市販のものを使用したが、何と胡瓜を使うのを忘れてしまった。(笑)

三つ葉の量が少ないので、再度追加して茹でた。

そして、最後に巻きに入る。寿司飯しに市販の寿司酢を大きなボールの中で飯を切りながら入れる。

2006_055 最初の作品で二本出来た。嬉しいので、近所に住む次女に電話して在宅を確認して自転車で宅配した。

そして、次は我が家用の巻きに入るのだ。三本作るだけの飯が残っていた。二合しか炊かないので、これが限界である。

2006_056_1 三本出来ましたね。初めての巻き寿司にしては上出来である。(自画自賛)

包丁をガスコンロで刃を焼きながら、寿司を切る。毎回、ふきんで刃をぬぐいながら、刃を焼いて切る。

2006_057 2006_058 出来ました~~~。二本分を切り、お皿に盛りました。何か、へたくそな出来栄えですが、まずまずで、味は良かったのだ。

次回は、胡瓜とデンブを忘れずに入れないと・・・・・・。

初めての、巻き寿司への挑戦でした。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

ラーメン博物館 探訪記

 新横浜には有名なラーメン博物館がある。歩いて10分程度の距離に住んでいるのに今回初めて訪問する事になった。身近にあると何時でも行けると思い、ついつい未踏であった。家内がしばらくこの場所ともオサラバなので、見納めにどうですか?と言う。(笑)

2006_002_4 2006_003 館内に入ると夕焼けの昭和30年代でしょうか?懐かしい町並みが復元されていました。団塊の世代以上の年寄りにはたまらない世界です。

当時の映画の看板、”嵐を呼ぶ男”、”喜びも悲しみも幾歳月”、”大菩薩峠”懐かしい看板があります。昔は、このように絵を描く職人がいたのだ。

2006_010 2006_011  路地裏の下駄履き店舗も懐かしい、二階の住居のベランダ?には子供の服が干してある。芸が細かいのだ。

浴衣姿の爺さんの風景も懐かしい、又、この路地裏にはピッタリだ。素晴らしく再現されている。

2006_012 2006_014  風呂屋の代金は15円である。昔は各家庭に風呂は無かったのだ。特に都市生活者に、内風呂は余程の金持ちでないと無かった。

ブロマイドが300円とは贅沢なものだ。風呂代の20倍もする!それでも、買う人々がいたのだ。如何に今の時代とスターという存在が光り輝く存在であったかが判るのだ。

2006_013 2006_015  駄菓子屋の風景である。お宝探偵団に出てきそうなホーローで作られたペコチャンの看板。ミルキーの飴と懐かしいグリコのおまけ付きキャラメルだ。

私も、グリコのおまけは沢山収集したものだ。当時の懐かしい駄菓子が沢山販売されていた。しかも、若い女性達が沢山買っていたのには驚いたのだ。今の若者を惹きつける、何かがあるんだろうか?

2006_017 2006_018 当時の白黒テレビに当時の番組が放映されていた、そしてテレビの上には鉄腕アトムの人形が載っている。路地を歩きながら家の中が丸見えなのも懐かしい。

そして、路地の塀には必ず”小便スルベカラズ”の看板をよく見かけたものだ。心憎い演出だ。

Continue reading "ラーメン博物館 探訪記"

| | Comments (6) | TrackBack (0)

冷やし狸中華?

 雨でヨイトマケが出来ない、九州と長野は旧約聖書のノアの伝説の如き惨状である。

 最近読んだ本では、旧約聖書の伝説はメソポタミアの伝説をバビロンに幽閉されていたユダヤの人々がパクッた話であるという本を読んだ。そういえば、旧約聖書に出てくる地名がメソポタミアである。今から6千年前の縄文海進の時代であり、三内丸山遺跡の時代だ。

 考えてみれば、洪水伝説はメソポタミアにふさわしい話だと思う。多分、世界的に気候変動が起こり世界中で大変な艱難辛苦の時代が到来していたのだろう?九州、長野その他で大変な被害に遭遇されている人々には気持ちで応援するしかない。

 旧約聖書の話は専門外ですから、これ以上は触れる知識もないし責任ある発言は出来ないが、それだけ大事にな歴史ある土地にアメリカが戦争を仕掛けたのは歴史的に許されないでしょうね?石油などなければよかったと思う。

 さて、今晩は冷蔵庫に1玉の冷やし中華しかない、丁度うどんも1玉ありましたので、日中友好冷やし麺を作る事にした。(笑)

(二色冷やし麺)

 何時もの具を製作しておいて、中華麺とうどんを1玉ずつ茹でる。中華麺とうどんを大皿に半分ずつ盛り中華麺には味噌味、うどんには昆布・かつお出汁に醤油味で生姜を摺りおろし入れる。半分で境界線には胡瓜の千切りで境界を作る。

2006_078 二人分の冷やし、狸中華が出来た。これに、ちりめんジャコを振りかけそして、味噌汁を作り晩飯が出来た。

 何か、変な料理で心配でしたが、一度に二度楽しめるお子様仕様の冷やし麺でした。(笑)

 主婦は冷蔵庫の材料で料理を決めないといけないと思うのだが、頭を柔軟に(笑)すれば無謀と思う料理も結構楽しめる事を発見した。ホホホ

(注)

写真では判らないけど、具の下には中華麺の世界とうどんの世界の二つが存在するのだ。ハハハ

| | Comments (2) | TrackBack (0)

恐竜と哺乳類の戦い

 NHKでは掲題の番組を二日間に渡り放映した。

第1回放映番組

第2回放映番組

 今回の感動は私が4ヶ月に渡り旧石器時代からの遺跡を発掘している関係から、恐竜の研究している人々の艱難辛苦の発掘現場の映像でした。40度を越す砂漠で頁岩から6年の歳月をかけて発掘している姿でしたね。

 学者にも二種類存在するんでしょうか?象牙の塔で日夜理論を考えている学者と日々、炎天下で肉体労働をして夜に考えている学者。面白いですね?

 今回の放映で面白かったのは、恐竜の巨大化の理由とCO2が多い世界で如何に効率よく酸素を吸収するかの進化過程でした。又、ネズミのような大きさの哺乳類が巨大化せず、短命で世代を交代し進化速度を高める戦略ですね。

 夜の世界で活躍せざるを得ない哺乳類が聴覚の進化を高め大脳皮質を進化させたプロセスですね。圧倒的に不利な立場でも、生き残るピンポイントの進化に集中するプロセスは企業の生き残り戦略にも役立つ発想でしたし、世界で生き残る国の戦略とも関係がありますね?

 そして、最後に羽毛恐竜との戦いで哺乳類が胎盤を持ち胎生の機能を取得したのは驚きでした。確実に子孫を残す決定的な進化でした。

 地球の歴史を考えると、哺乳類の頂点に立つ人間も何時かは恐竜のように絶滅する日がくるんでしょうね?そして、どんな生物がその後の地球では頂点に立つんだろうか?

 今人間と一番戦っているひ弱な生物が頂点に立つ可能性があるんでしょうかね?夏の夢でした。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

毎日雨ですね~~

 先週末の金曜日に赤とんぼの合宿で信州は岩岳にでかけたが、岩岳、栂池、白馬は連日雨ばかし。横浜に帰ると、又、雨の連続。諏訪湖の近くの中央高速の橋げたに土石流が押し寄せ、多くの人々が被災された。自然の猛威を目の当たりにした思いだ。

 雨のお陰で、ヨイトマケは休業である。多分、ピット(塹壕)には満々と水が溜まっているだろうな~?この季節の土木作業は日本全国、お休み状態なんだろうな~~?と思う。

2006_056  昨夜は、久しぶりにふうてん老師と明石の人麻呂さんと宴会だった。場所は二子玉川の高島屋10階の”てきざん”という日本料理屋。大分にある的山荘の経営だそうで、関サバ、関アジ、城下カレイが有名なおしながきだ。季節がサバでないので、関アジ、城下カレイの造り、から揚げを食した。

久しぶりの高級料理であった。(笑)

 (礫群と炭化物分析)

Cid_a0001 Cid_a0002

 さて、話は変わり遺跡の事に触れましょう。第8区の遺跡の写真が二枚です。携帯電話の写真ですので、見難いですがご勘弁。この区からは第Ⅹ層である3万年前の地層から石器が複数出土した。そのすぐ側の1万8千年前の地層から出土した礫群である。

 焼かれた石が多量にまとまって出土したのだ。そして、中心部の断面を掘削し、礫群の下層に存在する炭化物を調べ、竹串をさした状態だ。

 先ず、この礫群がゴミ捨て場として破棄されたものか?それとも、台所?(笑)調理場?(笑)だったのか?残留磁気の専門家の先生達が来られ、これらの石を持ち帰られ残留磁気を調べるそうだ。

 師匠の話では、石は焼かれると磁気を帯びるそうだ、そしてこれらの石が同じ方向に磁気化されていれば、同時に何らかの目的でここに人間が意図を持って石を使用したとなり、ゴミ捨て場論は消えるそうだ。

 礫群の下層の炭化物も専門家が調査するそうだ、C14法で年代を測定するとともに、木の種類を特定するという。又、この場所に人々が暮らしていた年月も判るわけだ。直ぐ側のⅩ層からは石器がでているので、慎重である。地層に撹乱が無いか、慎重な調査が続いている。

 しかし、9区からも大きな石斧がⅩ層から出土しており、旧石器時代の解明にはこの遺跡は将来、教科書に載る可能性があると思います。しかし、慎重な分析が今後1年間は学者の間で研究されるので、その結果によるでしょうね。

 

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

八重山諸島の旅 最終回(9)

 この八重山諸島の感動の旅も最終回を迎えました。この旅で得た感動は頭では理解していたが日本という国の南北8千キロにわたる長大な列島国家のスケールの大きさでした。

 大学時代に北は利尻島の利尻富士に登り、遥か樺太とリマン海流の彼方にシベリア方面を眺め亜寒帯の自然に思いを馳せた。今回は日本最南端である八重山諸島を巡り、台湾を目の前にし亜熱帯のガジュマルの森を経験した。

 今だ経験していないが、小笠原諸島から南鳥島方面への広大な島々を日本は抱えている。如何に日本という国が広大な範囲で海の領海を抱えた豊かな資源国であるか?将来は海という領域の資源が重要になる時代が来るかもしれないが、その可能性は大きい。

 太古より、異なる人種と文化と自然環境を持つ島々の人々が海というハイウエイで結ばれ連合国家を作り上げてきたのが日本なのだ。明治以降日本が懸命に近代国家を目指した姿は欧米大陸文明中央集権国家であった。しかし、と思う?何処かで無理をして来たのではないでしょうかね?

 教科書を統一し、標準語を定め、春と言えばサクラサクラと国語の教科書であった。琉球、八重山諸島ではサクラは無い、デイエゴの花だ。この豊かな異なる自然環境に育まれた文化を大事にして、地域の言葉を大事にし、千差万別の錦を織るが如き文化文明を目指すのが日本の本来の国のかたちではなかったんでしょうか?

 (旅の最後は那覇)

 _1720 息子の最後の琉球大学でのオーケストラの演奏会に参加した。最初の演目?は私が大好きな”フィンランデイア”だった。あの、フィンランドの北の大地の豊かな自然を描いたこのスオミの曲を聴いて今回の旅は終わった。この曲は日本列島の豊かな自然環境にも当てはまるのではないか?そんな気持ちで聴いていた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

JoBlogの再編について(お知らせ)

JoBlogの中核部分で有りました、ラジコンクラブである”赤とんぼと愉快な仲間たち”は来月中に移転いたします。責任者はお馴染みの”わこちゃん”が担当されます。

現在準備中ですが、近々には整備されてオープンしますので、是非今後ともに宜しくお願い申し上げます。

赤とんぼと愉快な仲間たち(準備中 blog)

理由は、私の第二の人生と関係がありまして、現在は詳細について未だ未決の部分があり公表できないのですが、ベトナムはハノイに移住する事になるからです。(多分?)

赤とんぼは私にとり大事な人生の仲間であり、私が留守にしている5年間?是非、頑張って欲しいと考えていました。合宿での議論の結果、わこちゃんが責任を持ってやると言う結果になり、準備に入りました。

動画部門はカッチンがいますので、皆で協力して盛り立ててもらえると確信します。私は、海外に赴任してもJoBlogは継続しますが、赤とんぼについてはわこちゃんに任せたいと思います。

今後とも、宜しくお願い申し上げます。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

jo君のヨイトマケ奮戦記(19)

今回の遺跡発掘の記事もこれで残り1回の記事を残し最後となりました。今回は遺跡のことでは無く現場で働く人々の模様についてお話したいと思います。

現場の発掘主体は某文化財研究所が担当しています。そして、区からは教育委員会の立場で二人の考古学専門の院生が参加しています。(毎日参加)そして、下請け業者として沢山の土木業者が参加しているんですね。

文化財研究所の社員が15名程度、そして、土方専門家の業者が25名程度、そして私のようなアルバイト発掘補助員が30名程度ですね。

(一日の勤務風景)

朝8時頃に現場に到着する。土方専門の土建業者さんは7時過ぎには全員が車で飯場から現場に向かい到着している。ともかく、朝が早いのだ。出勤すると先ず、タイムカードに時間を打刻するのと、”出面(でずら)”帳面に名前を記入する事から始まる。

大きなリュックから着替えを取り出し、作業着に着替え、頭にタオルを巻いて首にタオルを巻いて、腰にタオルをぶら下げヘルメットを被る。持参したペットボトルのお茶を4本取り出し作業用の細かい工具入れの袋に入れ作業開始を待つ。

9時10分前にはラジオ体操が始まる。そして、現場監督から今日の作業指示を受けるのだ。そして、鋤簾、剣スコ、角スコ、箕、をネコの上に載せ現場に向かう。日差しがきつい、私は4ヶ月の現場作業で顔、首筋、腕、手、真っ黒になってしまった。(笑)

一番きつい仕事は、トレンチ掘削である。3メータ四方で深さ3メータの穴を正確に水平垂直に掘る仕事である。スコップは角スコを使うが、グラインダーと砥石で先端は刀のように研磨し堅い土壌を切るのだ。

初日はこの作業で、帰りの電車では座席に座れない程、足腰と腕が疲れクタクタで帰宅した記憶がある。最初の数日間は厳しいのだ、これで、アルバイトの人は殆ど辞めるのだ。続けて勤めることが出来る人は文化財に興味のある人か、元、建設現場で働いていて年老いたか、何らかの事故に遭遇し本職の土方としては働けなくなった人々だけが残るのだ。

私は遥か昔、山登りをしていたので、基礎体力が僅かであるが残っていたので、何とかついて行く事ができた。それと、仲間に恵まれた事ですね。元銀行員だったkazzさんとか、同じ大倉山から通う元建設現場で働いていた専門の佐藤さんと出会う事ができたからだと思います。お互いに励ましあい、厳しい炎天下での穴掘りの過酷な作業に耐える事が出来ました。

(現場の規律)

企業でも工場の現場では整理・整頓・清潔が事故防止には一番大事な事であるが、ここでも同じでしたね。ついつい、事務職の経験者には判らない規律の厳しさが有りました。そして、何より大事なのは仕事に対する責任です。現場の上司から作業場を移れと言われても、現在している作業の後始末をちゃんとしてから移るというモラルが今の企業現場では薄れている職人のプライドというものを感じた。

(土と格闘した)

4ヶ月間、土と格闘して思うのは、百姓という職業の奥の深さを連想した。土を掘る仕事ですから、堅い土もあれば、砂のような土もあり、根っこもあり、カステラみたいな土もあり、千差万別である事だ。しかも、深さにより異なるのだ。百姓が土とともに生きるという話を昔聴いた覚えがあるが、まさにそうだろうな~~と、身体で感じる事が出来た。

Continue reading "jo君のヨイトマケ奮戦記(19)"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2006年 夏合宿 報告

Pict0815 7月14日、15日、16日と恒例の赤とんぼ夏合宿が信州は岩岳の山小屋(ちんぐるま)で開催された。

写真集にはコメントを入れましたので、模様は写真で一部がお判りと思います。残念ながら連日雨模様であり、僅かに土曜日に2時間程度、飛行機を飛ばす事が出来た程度でした。折りしも日本海側が強い梅雨であり、しかも標高の高い場所での飛行会ですから、しょうがない状況でした。

Pict0818 土曜日の昼頃にカッチンが遅れて参加され、総勢9名での合宿でした。私はテッチャンの飛行機を墜落大破させ、もう一機の電動機はモータが動作しない最悪のコンデションに終わりましたが、ま、何時もの事と諦めました。

岩岳では一昨年から、ゆり園が開園したそうですが、雨の為に見学は諦めました。

岩岳 ゆり園情報

しかし、山小屋の近くを早朝に散策すると沢山の美しい”百合”に道端で出会う事も出来ます。そして、今、紫陽花も満開でしたね。

2006_048 2006_052 岩岳では百合を名物にする積もりなんでしょうかね?開園前日に下見に出かけると、若い地元の人々が懸命に準備をされていました。

夏にお客を呼ぶ戦略なんでしょうかね?

さて、今回は宴会が中心となりましたので、4ヶ月振りに皆さんと近況の報告と美味しい手作り料理を楽しみました。

14日夜 料理メニュー

 ・豚の冷シャブと新鮮サラダ

 ・ゴーヤの炒め物(三浦さん沖縄旅行で仕入れた知識)

 ・もやしとザーサイの炒め物(joさん)

 ・ポテトサラダ(三浦さんの得意料理)

 ・焼き鳥の鉄板焼き(岩ちゃん奮闘)

 ・枝豆

Continue reading "2006年 夏合宿 報告"

| | Comments (6) | TrackBack (0)

2006年夏合宿無事終了する

2006_002_3 2006 年度の赤とんぼ夏合宿は無事、楽しい思い出を詰めて終了した。

マイフォト2006夏合宿

今回は残念ながら、金曜、土曜、日曜と全て雨に見舞われフライトは一度のチャンスに僅か一時間程度飛ばせた程度でした。しかし、切り替えの早い我々は直ぐに気持ちを切り替え、宴会を楽しむ事が出来ました。

夕方から自炊で宴会を始めるものですから、夜は10時頃には皆さん酔っ払い就寝していました。夜間に雨の音を聞きながら寝るのは久しぶりで、マンション暮らしの人間には久しぶりの落ち着く時間を経験させてもらいました。

合宿内容については、後刻、報告させて頂きます。

赤とんぼの皆様もお疲れさまでした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

明日から夏合宿

遂に、明日から赤とんぼ夏合宿である。朝6時30分にはわこちゃんが迎えに来てくれる。

又、今日はハノイから緊急の特別なメールが来た。

今回の合宿が私の送別会になるかもしれない。しかし、赤とんぼは何時も心は一緒だから、私が海外に赴任しても何時かは日本に帰国するだろうと?何時までも待ってくれる仲間である。

私の今回の新たな挑戦については、近いうちに記事に書きたいと思います。なんせ、国同士が絡んでいるし、大学関係者が多いので、今はお話出来ないのです、勘弁して下さい。

さて、遺跡の発掘も佳境に入り、今日は34度という強烈な環境で戦いました。3リットル以上は飲みました。午前3回、午後3回の休憩時間は頭の後ろを冷やしていました。この遺跡発掘の経験は3カ月を越えましたが、本当に色んな人々とコミュニケーションが出来てたのしかったです。

それでは、明日から岩岳の山小屋で三日間自炊の親爺どもの合宿を満喫してきます。

(蛇足)

フランスのミサヨが又、記事を書きました、暇な人は読んでね。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

蒸し暑い日が続く

連日の蒸し暑さで閉口している。西日本は大雨が続いて土砂崩れの被害がでている。テレビでみると木が生えてない場所が崩れている。自然のままだと、土砂災害の被害も少ないように思えるがそうでもないのだろうか?

遺跡の発掘でⅩ層という深い場所まで掘削してる経験では、木の根は実に深い場所まで根を張ることに感心している。この根が土を抱きかかえている。植物の生命力には驚かされるものだ。現場にはトチの巨木が沢山聳えている。もう、葉が少し黄色くなり始めた。

_950_1 この実を食べたのは、土器が発明されて以降なんだろうな~~と、旧石器時代の遺物を掘りながら考える。土器の発明は縄文時代からだ。約1万1千年くらい前から土器が出現する。縄文土器だが、何故先祖さんは土器を必要としたのだろうか?

3万3千年前の地層から続々と石器を掘り出している。確かに人々の痕跡が存在する。しかし、彼らは土器を持たなかった。必要が無かったのだ。大型哺乳類が仰山回りにいたんでしょうね?

それが、地球が急激に温暖化が始まり氷が融け世界的な海面上昇が起こり、所謂、縄文海進という危機が起こった。メソポタミアでも大洪水が起こり、旧約聖書の伝説が生まれたそうだ。世界の人類は危機に直面したそうだ。日本でも同じで、温暖化により植生が変わり大型哺乳類は死滅し、食料ピンチになった。

ここで、土器の発明をして小型の哺乳類、魚、木の実、アクの強い植物、等々を食料として摂取できる術を獲得し生き延びたのが、縄文人だそうだ。旧石器時代では穴を掘り石を焼きその上に獲物を載せて又、焼き石を載せ土を被せて蒸し焼きにして食べていたそうだ。だから、沢山の焼き石が発掘される。

その後、ユーラシアでは須恵器とか磁器とか陶器とかが発明され、日本に輸入された。しかし、縄文の昔からセラミックの高度な技術を持っていたので、簡単に輸入し自分のものにしたんでしょうね。これは、弥生の頃の話しだ。

その技術伝統のお陰で、今や、半導体技術で世界の先端を走れているのだ。(笑)ルーツは世界に冠たる縄文土器の発明のお陰なのだ。この世界初の縄文土器を発明した縄文人は船を使い大航海をしたのは、青森の三内丸山遺跡をはじめ多くの縄文遺跡が語っている。

NHKでは7月16日、17日と二日間にわたり恐竜と哺乳類の戦いの歴史番組を放送するそうだが、今から楽しみにしている。是非皆さんも観て下さい、CGを駆使して画像を製作したようだし、最新の中国で発掘された羽毛恐竜も出現します。

Continue reading "蒸し暑い日が続く"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

騒がしい早朝だった

朝4時起床。今日は遺跡の発掘に向かう日であるが、外は雨である。昨夜は宴会だったので、未だ酒が少しからだに残っている。

そうそう、ドイツ対イタリアの試合が有るはずだ、テレビをつけると北朝鮮がミサイルを発射したという臨時ニュースでNHKは大騒ぎである。その後、偶然であるが、延長戦の後半にイタリアが二本のゴールを得る場面を観てしまった。ドイツはよく頑張ったと思う。

France0626 そうそう、W杯と言えばフランスの娘から便りがあった。スペインに勝利した夜の馬鹿騒ぎの様子です。

携帯に電話が小林さんからあり、今日は遺跡の発掘作業は中止という連絡が入る。お弁当が無駄?になった。しかし、自宅で食べれば良い。

安倍官房長官が二回目の記者発表してるさなかに、6発目のミサイルが発射されたそうだ。折りしも、米国は独立記念日だし、ブッシュの60歳の誕生日である。(え?私と同じ歳なんやね?笑)

そして、竹島で韓国の護衛艦に守られた調査船が日本・韓国両者が排他的経済水域と呼ぶ場所に入り緊張が高まっている。何で、こないに同じ時期にやるんだろうか?

1発目の発射は3時半ころだとか?沖縄から弾道ミサイル追尾機”コブラ・ボール”が飛び発ったのが4時過ぎだそうで、米軍も予想外であったようだ。

2発目から6発目まではコブラボールが追尾できているし、打ち上げ後は日本のイージス艦が追尾できているので、正確に情報はつかめているはずである。3発目のミサイルは当局の発表と米国の発表ではテポドン2号であったらしい。しかし、32秒後に失敗(爆破)してしまったと。

新潟沖500キロに落下しているらしいが、同じ新潟沖1.5キロに自国の万景峰号が停泊していたのだ。ミサイルの落下物に当たったらどないするんや?

ホンマ、困りましたね。

さて、昨夜も宴会でしたね。37年前の入社当時の同じ職場の同期が中心の集まりでした。銀座ライオン7丁目店でした。わざわざ、名古屋から中国出張のスケジュールを変更して鈴木健吾さんも来た。懐かしいメンバーですね、大型オンライン金融班の仲間なんですね。楽しいひと時でした。

_010 060704doukifj_20060704_01 今回の幹事は浅岡さんで、私を励ます会だったそうで、参加費用は無料でした。(あとが怖そうですね?笑)

右の写真がテッチャンの写真機です、高級機は違うな~~(涙)。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

八重山諸島の旅 シーサー編(8)

沖縄本島、八重山諸島を旅していると、至る所でシーサーに出会う。伝説の獣で悪霊を払ってくれるという。家の門、屋根の上、村落の大事な場所、沢山の所で鎮座する。

日本の神社にも狛犬というのがいますし、エジプトではスフインクス、原型はライオンだそうだ。遥かオリエントから伝わった神獣なんでしょうね。

_1580 シーサーの姿、表情は実に豊かであり沖縄の人々の想像力豊かな精神世界を感じました。ヤマトであれば直ぐに標準化?画一化が進むんでしょうが、ここでは独自性が尊ばれるようです。

実に表情が豊かで、眺めているだけで楽しくなります。

_1646 サングラスをかけたシーサーまでいました。笑ってしまいますね。仏教伝来後はシーサーには阿吽(口を開いたものと閉じたもの)の二対の形が出来上がったそうだ。

口を開いたものは、男性で幸運の気を吸い込むそうだ。そして、口を閉ざしたのが女性でその気を逃げないように口を閉じる。そんな説明を受けました。

_1686 _1687 _1688 石垣島で芸術的なシーサーを製作しているアーテイストがおられるようです。ユニークなシーサーをバスの車窓から眺める事ができました。

_1728 _1729 那覇のホテルで見かけた、ひょうきんなシーサーでした。悪霊を笑いで撥ね返す考えなんでしょうかね?このあたりにも、心の優しい琉球、八重山の人々の精神世界を感じました。

さて、入表島と言えば、入表山猫ですよね?

_1573 なんとかわいい顔をしてるんですね。しかし、夜行性で肉食でありイノシシまで襲うそうです。顔で騙されてはいけませんね?(笑)

貴重な宝を沢山、日本列島には存在する事を学びましたね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

夏合宿まじかに迫る

赤とんぼ恒例の夏合宿が、来週末に迫った。7月14日から16日の予定で挙行される。

ほぼ昨年と同じメンバーだそうだが、昨年の秋合宿より参加頂いているYsさんも参加頂けるようだ。毎年同じ行事を繰り返していると、いつの間にか歴史になります。

2005年 赤とんぼ合宿記録

昨年は7月15日(金曜)から合宿は始まった、今年もほぼ同じ時期である。この一年で変わった事と言えば、ベテランのYsさんが加わった事と、私が富士通から去った事と山小屋管理人さんも6月に役職離任した事だろうか?

昨年夏合宿ではワコチャンの全翼機(無尾翼機)が注目でした。今年も、アメリカから取り寄せた電動機を準備しているそうだが、仕事が忙しく間に合わないらしい。

頼りは岩ちゃんとYsさんでしょうかね?最近はラジコン親爺も忙しく飛行機からは疎遠なようだ。(笑)

私も、穴掘りで忙しく飛行機の製作をしていない。(涙)

そんな訳ですので、飛行機関連ではあまり目新しい期待は出来ないが、さて、それ以外でどのようなハプニングがあるか?ご期待下さい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

八重山諸島の旅 民俗関連(7)

昨年は沖縄本島にある琉球村を訪問した。今回は八重山諸島の民俗についてです。

_1500 _1501 石垣島にある民俗園を訪問した。琉球村と同じような趣向で古い民家が移築されている。

先ずはウミンチュウ(漁師)のお家ですね。漁に必要な道具とか獲物の剥製などが展示されている。とにかく、雨戸は開き放ち四方八方から風が入るしかけです。夜もそのままだそうだ。

_1505 _1506 しかし、八重山のエビとか蟹のでかいこと!ホンマこれでは、一匹で大家族が十分お腹満腹になりますね?(笑)

豊かな海の幸に恵まれているんですね。一度でよいから食べてみたいものです。(笑)

_1705 _1706 台所ですね。竈が有ります。大事な食料は籠に入れて天井から吊るすのですが、途中に針千本の魚のトゲトゲが装置されています。

これは、ネズミが食料を食べないようにする仕掛けだそうです。ネズミ返しの一種ですね。それと、いざと言うときの武器になるそうです。これを投げられたら、身体に針が刺さり大怪我しますね。(時折、夫婦喧嘩で旦那が被害に会うそうです。笑)

_1707 _1708 八重山のシジミはでかいのだ!蟹に攻撃されハサミで傷をつけられた痕が有りますね。ちょうつがいの部分を攻めるそうですよ。(蟹は頭が良い)

ハブですね、怖いです。地元ではハブ情報というのがあるそうで、警察官が捕まえてくれるそうです。警察官の大事な仕事だそうです。

_1710 _1711 お医者さんの金持ちのお家です。一応玄関が立派に有りました。けど、裏に廻ると台所、先祖の間、客間とありそれぞれ縁側から部屋に入れます。年寄り、女性、若者とそれぞれが目的の部屋にアクセスできるようになっているんですね。

_1712 _1713 _1714 _1715 最後は農民のお家ですね。砂糖を作る機械があります。牛の力を利用してサトウキビを搾ったんでしょうね。シンプルなお家で無駄なものは何も無く、本当は現代人は要らないものを沢山買わされているんです。(笑)

しかし、金目のものは何も有りませんから、泥棒に入っても盗むものが無い!これが一番の防犯手法かも知れないと思った。(笑)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

jo君のヨイトマケ奮戦記(18)

連日30度を越す暑さが続き現場での作業は厳しい状況です。湿度も高くて頭に巻いたタオルが1時間で汗によりビショビショです。ヘルメットと頭の間にタオルをしていないと、頭がおかしくなりそうです。

戦国時代の武将は頭を剃ったのは何か、判る気がします。兜は重くて焼けた鍋を被っているようなもんでしょうからね?(笑)

遺跡発掘作業に参加して、早くも3ヶ月を経過しました。終盤に来て重要な発掘が目白押しとなりました。ベテランのお話ですと、何時も終盤に重要な遺物が見つかるそうです。

異なる二箇所の発掘現場のⅩ層(3万5千年前~)から石器が発掘されました。多分、1年後には詳細な報告資料が提出されるはずです。旧石器時代の専門家にとり注目を浴びる事になると予想されますね。

_001 _005 連日、専門家の諸先生達が訪れこれから研究されると思います。しかし、3万5千年前といえば未だモンゴリアンが南北アメリカに渡る以前の時期ですよね。

日本列島は未だユーラシア大陸と陸続きの時期ではないでしょうか?

_006 _007 現場の師匠の話では、モンゴリアンがアメリカ大陸に移動を始めたのは1万8千年前だという話です。NHKの番組ではカナダ北部に大きな氷の塊が存在し南下できない状態が長く続いたと。しかし、その頃に一筋の道が開け大型動物が南下を始めたそうです。

その動物を追いかけて、モンゴリアンがアメリカ大陸を南下したそうです。話はそれますが、米国駐在時代にマンハッタンの北の公園(セントラル・パーク)に巨大な石が鎮座しています。この石達は遥か氷河期にカナダから氷河で運ばれた石だと聴きましたね。

さて、もう一箇所からもⅩ層から石器がでました。

_008 _009 トレンチを拡大掘削途中に発見されました。長さ20センチ程度の石の棒です。未だ取り上げていないので、何かは判りませんが、石器である事は間違いが無いそうです。

そして、昨日はその近くから又、大型の石器が発見されました。明らかに3万5千年前に人間がここに居たのでしょうね。どんな人々だったんでしょうか?彼らは土器を持たない人々だったようです。

(礫群と炭化物集中部)

残念ながら、携帯電話のカメラから撮影した画像がココログでは使用できないようです。礫群の下部の地層に堆積した炭化物の年代測定とその種類の分析、そして、礫群の残留磁気の分析が始まりました。

師匠の話では、このⅣ層下部の礫群(1万8千年前か?)の成り立ちを科学的に分析するそうです。此処がゴミ捨て場なのか炉跡なのか調査するのに、残留磁気を調べるそうです。

石を焼くと磁気化するそうですね、沢山の集積した石を調べ磁気化された方向でこれらが、適当に捨てられたバラバラの石なのかどうかを調べると言う。

まさに、考古学は総合科学なのですね?

(蛇足ですが・・・)

昨日は午後3時頃雷雨があり、遺跡ちかくに落雷した。クワバラクワバラ!(笑)そして夜は恵比寿で宴会だった。 恵比寿宴会模様はテッチャンのBlogでどうぞ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

八重山諸島の旅 竹富島(6)

石垣島から船で10分程度の距離にさんご礁で出来た小さな島があります。竹富島です。グラスボートでさんご礁の海を観賞したあと、民芸館と御嶽に立ち寄りました。

御嶽(みたけ)は覚えていますか?昨年の沖縄旅行で勉強しました。

_1562 _1569 _1567 _1568 世持(ユームチ)とは琉球王朝時代の庄屋さんみたいな役職だったそうです。

当時は士族と平民に別れていたそうで、平民の地域の親玉が世持(ユームチ)と呼ばれたそうです。

この場所は神聖で火の神(士族)と農耕の神(平民)の両者が降臨する神域です。此処では、国の重要無形民俗文化財になっている種子取祭が執り行われる場所でもあるそうです。

日本の古代の神社を考える上でも、何かルーツを見る思いがするのですね。元々住んでいた人々が祭祀する神とその後、政治的に支配した人々が祭る神を共存させる考えは重要な知恵ではないだろうか?

_1564 _1571

聖域には沖縄の県花でもあるデイゴの巨木が茂っていました。本土では桜の花が季節の節目ですが、同じ時期の咲くデイゴが沖縄では桜なのだ。

学校の入学式がある頃には真っ赤な花を咲かせて沖縄の人々を祝福してくれるそうだ。

_1558 _1560

御嶽のそばに民芸館があり覗いてみた。芭蕉の繊維から織り上げる、芭蕉布を実際に織る現場を見学できた。

亜熱帯では麻と芭蕉布は涼しくて、汗も吸い取ってくれる素晴らしい織物素材なのかも知れない。

さて、御嶽ですが、石垣島にも沢山ありました。

_1683 _1684 川平(かびら)湾を見下ろす山の上にも御嶽はあります。

遥か羽田から飛行機で那覇に2時間半も飛び、那覇から40分も飛行機で南下した島々の人々の信仰の場に触れる事が出来てよかった。違和感がないのが不思議でした。(笑)

参考文献 竹富島

参考文献 御嶽とは何だ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

八重山諸島の旅 川平(カビラ)湾 (5)

石垣島には日本百景の一つだそうですが、美しい湾が有ります。米原のヤエヤマヤシ群落の近くです。位置関係は写真を見ていただきたい。

川平(カビラ)湾の位置とヤエヤマヤシ群落

_1677 _1675 川平をカビラと読めるのは、私はテレビで人気のサッカー好きの兄弟タレントの影響です。彼らは石垣島と関係があるんでしょうかね?(笑)

高台から眺める湾は松島の風景に似てるように思いますが、海の色が多彩なのが異なりますね。さんご礁の宝庫であり、遊泳は禁止です。グラスボート(船底がガラスで作られた遊覧船で海底の様子を眺める事が出来る)でさんご礁を観察出来ました。

_1659 _1662 船底がさんご礁に触れると思える程の距離関係で船底を眺める事が可能です。沢山のカラフルな熱帯魚が大きな魚もさんご礁にはいるんです。

デズニーのアニメ映画で有名になった”クマノミ”も多数観る事ができました。すこし、川平湾のさんご礁を観てみましょう。

_1664 _1667 所で、宝石として珍重されている珊瑚はこのような浅瀬にいるものではなく、海底20メータという深い場所で何十年、何百年かけて成長した貴重な珊瑚だそうです。

グラスボートとさんご礁と言えば、今回の旅で石垣島から高速艇で10分程度の距離にある竹富島でも遊覧しました。

_1474 _1476 竹富島への渡航です。この島はさんご礁で出来た島の様子ですね。竹など何処にも見当たりませんが、竹富島といいます。(笑)

私の解釈は竹はタキで嶽だと思います。その話は別途です。

_1477 _1482 _1483 _1495 _1507 _1523 竹富島のさんご礁も綺麗ですね?何時も思うが、綺麗なさんご礁と魚の群を眺めていると、浦島太郎の竜宮城の伝説は自然な発想ではないか?と思いますね。(笑)

さんご礁には小さな魚が隠れる場所が豊富に有り、それを狙う大きな魚が集まる。肴では無い(笑い)魚の宝庫なのだ。

話を戻して、川平湾に戻りましょう。

_1679 _1680 再度、高台から眺めるカビラ湾です。実に美しい風景ですね。ここでは、黒真珠の養殖が初めて成功した場所でもあるそうです。綺麗な海でなければ出来ないそうです。

かけがえの無い自然を何時までも守らねばならないと、本当に思いました。

参考サイト カビラ湾

美ら島物語 カビラ湾

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« June 2006 | Main | August 2006 »