« May 2006 | Main | July 2006 »

八重山諸島の旅 水牛さん編(4)

西表島にはモンサンミシェルのように満ち潮になると海水で閉ざされる干潟で繋がる由布島というのがあります。そこの往復は水牛の車に乗らねばいけません。

_1581 _1583 14人乗りの水牛車が来ました。体重は500キロあるそうです。この水牛は昭和の初期に台湾から農耕用に輸入されたそうです。

それから、何代にも子孫が繁栄し今や沢山の水牛がこの由布島には暮らしていました。

_1584 _1585 今は観光用に利用されていますが、沢山お金を稼ぎ島の人々の生活を支えている親孝行ものです。(笑)

のんびりと歩きますが、トルクがあるんですね、浅瀬の海の中を車を引くのですから感心です。

_1587 _1607 家系図?ですね。私は”海(カイ)”というオスの未だ独身の元気な牛さんに乗せてもらいました。

右の写真は、水牛ですから日頃は水の中に潜っているんですね?子供の水牛もみかけました。これから、練習をするんでしょうね?

_1609 _1608 しかし、カバみたいに顔だけ水面からだしている姿はひょうきんなもんです。思わず、笑ってしまいました。

平安時代の牛車の牛はこの種ではありませんね?この牛を輸入していれば、道長も紫式部も川の中でも旅行が出来たのになあ~~~?と、くだらない事を考えてしまいました。

_1611 _1613 牛飼い?の地元のおじさんが三線(さんしん)を弾きながら島歌を歌ってくれました。

歌詞が車には貼られているので、皆で唄いながら島の往復をするんですね。歌に合わせて牛も車を牽いてる様子でした。(笑)

Continue reading "八重山諸島の旅 水牛さん編(4)"

| | Comments (6) | TrackBack (0)

八重山諸島の旅 自生していた椰子(3)

石垣島の米原という場所と西表島には渡来系では無い、自生していた椰子の森があるのだ。種族は固有でヤエヤマ椰子というそうで、最近の考古学の発掘により解明され天然記念物として登録されたそうだ。

石垣島の米原という山の中にその幻の椰子の森を訪問した。椰子というと海岸というイメージがあるが、実は山の中にあるのだ。

_1689 ジャングルの中に踏み入れると、熱帯の森の感覚ですね。看板がでて来ました。固有種だそうですね、親戚はニューギニアだそうですよ!

これは、一体どういう事なんだろうか?八重山諸島でもこの石垣島と西表島は遥か地球の創世紀においてニューギニアからプレートに乗り、此処まで来たのだろうか?(笑)

_1690 _1692 これは、椰子ではなく別の妙な木です。実が幹に出来るんです!ギンランイヌビワというそうですが、マングローブのような木の幹に実が出来るんです。

不思議な話もあるもんですね。益々、ヤエヤマ椰子が付近に存在するような感覚になりました。

_1693 _1694 これがヤエヤマ椰子が自生してる様子です。案内の石垣島の女性が説明してくれています。木が傾くと、幹を支える為に幹の途中から根が出てきて木が傾くのを支えるそうです。とても、頭の良い木ですね?(笑)

_1697 _1696

椰子の上を見て下さい、右二本の木には葉の下に突き出たスリコギのような突起がでていますが、これが雌株だそうです。花をつけてその後、女性の足元にあるような箒のような形で落下します。

この椰子の実は何と、小さなものでした。

_1701 ホレ、これがヤエヤマ椰子の実なんだそうです。私はガイドさんに貰いました。この実を渥美半島に植えてみたい気がしましたね。(笑)

椰子の実といえば、藤村と柳田国男ですね、八重山諸島から椰子の実を実際に海に放流?する試みがされているそうです。

石垣島から椰子実投流 記事

柳田国男の舞台を訪ねて

何か、文学の世界になりましたが、日本という国が黒潮との深い関わりで太古より生きてきた証拠でしょうね。

_1699 日本人のルーツを訪ねる旅でもあるのですが、益々判らなくなるのが旅をする事で感じますね。

しかし、原生林のまま存在してくれていたお陰で色んな事が判るんですね。自然を破壊しては自分達のルーツも判らなくなるんでしょうね。肝に銘じたいです。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

八重山諸島の旅 日本のアマゾン編(2)

今回の紀行は神河内紀行とは異なり、大きな感動を受けた順番に記録したいと思います。先ず、日本にもアマゾンの風景と自然が存在するという西表島の仲間川のマングローブの森と巨木の話です。

_1638 _1639

これが伝説の巨木です。マングローブの森の奥に鎮座していました。独特の板状の根は昔、船の舵として利用されていたそうです。

しかし、この木だけは、あまりにも荘厳であり人々は伐採できなかったんでしょうね?まさに、神が宿る存在です。

_1617 仲間川河口付近の風景です。西表島には私にはアマゾン川ではないか?と思える風景が拡がっているのですね。ここから、川を遡上して巨木に会いにでかけたのです。

そういえば、大河ドラマの女優さん、仲間さんは沖縄出身でしたよね?まさか、この川と関係があるんでしょうかね?(笑)

_1618 _1624 遡上を始めると、両岸にはマングローブの森が迫ります。そして、川の水が茶褐色に変わり本土では見たことが無いような色と雰囲気に襲われます。

この木は海水と真水が混ざる世界でも生きて行くことが出来るんですね。塩は葉っぱから吐き出し、黄色に変わり落葉します。その黄色い葉が茶褐色の川面に浮かんでいるのです。

_1629 _1633 マングローブの森は土砂の流出を止め、又、海の侵食を食い止める役目をしているそうです。そして何より多くの生き物を育てているのです。川岸の木の枝には地元の漁師さんが仕掛けた蟹取りの仕掛けの目印が見受けられました。

_1641 _1645 亜熱帯の豊かなマングローブの巨大な森と河川が存在するのは初めて知りました。海外に出かけなくっても自分の国に豊かな自然が存在するんですね。

1960年代にはこの島のマラリアも撲滅されたと聞きます、しかし、かの大戦では多くの人々がこの島のジャングルに入り、マラリアで死んだのです。

折りしも、この時期に小泉首相が沖縄本土に慰霊祭で来られれていました。マラリアで数千人が死んだ事実をテレビでは報道されていました。

参考までに、関連webをご紹介します。

西表島のマングローブ

沖縄観光 マングローブ

マングローブの写真

仲間川

| | Comments (0) | TrackBack (0)

八重山諸島の旅 (1)

_1442 _1449 今回息子が大学最後の交響楽団の演奏会で参加するので、昨年に引き続き出席することにした。その前に、日本最南端で最西端の諸島である八重山諸島の一部を旅することにした。

皆さんは八重山諸島に出かけられた人々は限られていると思います。そこで、八重山諸島について位置関係の参考地図をwebより探しました。参考にして下さい。

八重山諸島の私的紹介記事

私と家内はその中心の島である石垣島に三泊しそこを基点に高速艇で離島を探訪した。宿泊ホテルは石垣港にある”ホテル イーストチャイナシー”である。名前が東シナ海とは気に入りました。

_1433 ホテルの部屋から眺める夕日です。西表島(いりおもてじま)に沈む夕日ですね。この名前は八重山諸島の中心である石垣島から陽が沈む島という意味だそうです。(太陽の事を表と呼び、西の事をいると言うそうです)。

_1650 日本の最西端の諸島から沈む夕日は一度は見ないといけませんね?位置的には台湾の中部の緯度にあたる訳ですね。しかし、日本列島は南北8千キロと言われているが、世界最大の南北に長い島国ではないだろうか?本当は与那国島から夕日を見たいものだが、今回は石垣島で我慢しました。

_1655 _1651 日の出の景色であります。日の入りは夜の7時30分頃であり、日の出は6時過ぎでしたね。東経123度ですから日本標準時よりは随分と遅いですよね?(お月さん見えるでしょう?)

夜の空は私が子供の頃に見たような素晴らしい星空でした。南十字星も見えるという話も聴きましたが、本当か確認出来ませんでした。

この4日間に渡る八重山諸島の見聞録をシリーズで記事にしたいと思います。楽しみにして下さい。

参考:訪問した島々 石垣島、竹富島、西表島、由布島、でした。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

一週間休載します

明日から、琉球への旅があり暫く休載致します。息子の琉球での最後の交響楽団での演奏会があり観客として参加する為です。

ついでに、八重山諸島を巡る予定です、石垣島を拠点に竹富島とか幾つかを巡ります。

残念ながら、海底遺跡の島には届かないようです。(笑)

琉球は既に梅雨が明け、晴天が続くそうですが、昨年の演奏会の季節ではその灼熱に閉口しました。多分、暑い紀行になると予想します。

今日は哲ちゃんと秋葉の散策を行い、夕方から蕎麦屋で熱燗を飲み、W杯開会式に参加した親爺とビールとワインを飲み、シャモニーの話を聴き、最後は恵比寿で従兄弟の雄ちゃんとベトナム料理を食べるという、宴会の強行軍でした。

そんな訳で、しばし留守にします。琉球の何か面白い話があれば帰り報告します。それでは、皆様も梅雨の季節ですが、身体にカビが生えないように気をつけて下さい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

jo君のヨイトマケ奮戦記(17)

この二日間の30度の気温と湿度100%の状態は遺跡発掘現場では地獄でしたね。毎日、自宅から500ミリリットルのボトルに麦茶&烏龍茶を4個(合計2リットル)を持参するがそれでは足りない状況だ。

現場では氷を入れた麦茶が用意されているが、子供の時から冷たい水とか飲み物は母から禁止されていて、今でもある程度守っている。だから、ビールも常温で飲む変な人間なんです。(ドイツ人もビールは常温で飲むんですよ~~)

3リットル近くお茶を飲んでも、不思議とオシッコが出ないのだ。全部、汗となって全ての汗腺から蒸発してしまうんだろうか?お陰で、身体の表面が掃除され且つ体温が上昇しているので、自宅に帰っても暑くはない。

腎臓が悪い人はこのような生活をしてはいけないそうです。くれぐれも真似をしないようにして下さい。そして、ヘルメットと頭の空間の空気が高熱になるので、必ずタオルを頭には巻くのが常識です。

さてと、炭化物集中部の話です。

_1400_1 _1421

大きさが1ミリ程度の微細な炭化物が集中しています。真ん中に線を引き、掘削を行い地層の断面を分析します。

地下にどのように炭化物が堆積しているか、これから微細な炭化物を探し竹串を断面に刺して行きます。

師匠の宮下君の話では凸レンズのような形状になるのが今迄の経験であると言います。今でも、この炭化物集中部の生成メカニズムは解明されていないそうです。

_1425 _1426 宮下君と小林さんがこれからの炭化物集中部の断面に対する作業について打ち合わせ中です。

断面を虫眼鏡で探さないといけない、そして垂直断面に竹串を刺し、集中度合いを撮影する。

このバックの森には最近カワセミという鳥が巣があるのか?時折声を出し飛んでいるそうです。私も今日は目撃しました。

ピットの地層分析

_1420 _1424 縦横3メータで深さ3メータ20センチのピットの断面地層の写真を撮影して記録します。

基本的にⅩ層までの地層の断面に線を描き各層が正しく存在している事を確認します。

ところで、旧石器時代から縄文時代まで此処では人々が生活をしていた事が判りました。しかし、1万2千ヘクタールの広大な地域で一部の神田川に近い斜面にしか遺物は出ないのだ。これを、どう推理し仮説をたてるか?

彼は、旧石器時代の神田川が浸食した崖を見つけたいと言う。この遺跡から神田川まで直線で延々と巾ニメータ程度の溝を掘り、地層断面を分析すればこの遺跡と神田川との関係が判る可能性がある。

実はⅩ層という3万5千年前の地層から沢山のイモ石がみつかっている。丸い小さな石で河原に存在する石である。神田川が増水し斜面まで川底の石を運んだのかもしれない。

掘れば堀だけ謎が生まれるのだ。これが、考古学かもしれない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

アルゼンチン強し

昨夜のアルゼンチンの戦いは目に見張るものを感じた。可憐なパスワークは殆どワンタッチでの高速パスである。日本もこのようなゲームが出来れば?と、日本中の人々が思ったのではないでしょうか?

特に二点目のシュートはゴール前でクレスポがヒールパスでカンビアッソがシュート。全員で得点したように感じた。それだけ見事なパスサーカスでしたね。

18歳のメッシが最後に登場し、1アシスト1ゴールと結果を出し、世界中を驚かせた。それを観客席で踊り喜ぶマラドーナの姿が印象的であった。時代は、ブラジルから又、アルゼンチンに主役が移るかもしれないという予感を感じた瞬間でしたね。

日本人にはヨーロッパのサッカーは出来ない、何故なら体格が違いすぎる。しかし、アルゼンチンのサッカーではそれほどの体格はいない。メッシでも私より背は低いのだ。重心位置が低く高速で走れるサッカーが日本には合うと思うし、今回のアルゼンチンは悲観的になっていた日本のサッカーに光明を見た瞬間であった。

セルビア・モンテネグロは元々がユーゴスラビアだという、名門である。ヨーロッパ・サッカーに勝利したのだ。

日本のW杯はオーストラリアに敗戦した時点で終わったと思っている。しかし、昨夜のアルゼンチンの試合は日本の代表選手は観戦してる筈である、是非、可憐なパスワークでクロアチアに対抗して欲しい。

ジーコが批判されているようですが、私は日本のJリーグは彼のお陰で此処まで来れたと考えている。日本人には南米のサッカースタイルが適していると今でも思う。それが、昨夜のアルゼンチンの試合でした。

最後に、日本選手も少しはアルゼンチンの選手のような汚さ?も参考にした方がいいかな~~?なんて、思いましたがね。(笑) しかし、眠れない夜が続く今日この頃ダス。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

雨あがりの散歩道

_1404 _1405 本格的な梅雨になった横浜です。雨上がりに散策する道が紫陽花で満開です。

京都、奈良方面から紫陽花の便りがblogで紹介されているので、つられて記録することにしました。明日にでも鎌倉の明月院(紫陽花寺)にでも出向きたいが散歩道にも紫陽花があり、我慢しましょう。

_1406 _1408 この小道はマンション群の中にあり、紫陽花の小道と私はなずけています。

煙草を買いにでかける経路にあり、紫陽花の季節は格別なんです。

_1409 _1410 マンション暮らしの人間には身近にこのような花も道があると心が和むものですね。雨上がりの紫陽花はこれまた、風情があるものですね。アマガエルでもおれば、完璧ですが最近はあまり、見かけなくなりました。

_1412 _1414 紫陽花だけではなくて、今の季節に咲く綺麗な花が花壇に植えてあります。

お年寄りの多いマンションですので、(老人ホームではない)このような季節の花が何時も咲いているのは喜ばれると思いますね。

_1415 _1417 しばし、ベンチに座り煙草を吸っていると優雅な気分になりますね。来週は沖縄へでかけます、息子の学生時代の最後のオーケストラの演奏会がありますので、家内と聴きにいってやろうと考えています。

ついでに、八重山諸島、石垣島、竹富島とか巡る予定です。

_1411 あれ!これは、近くの畑でサトイモを見つけました。

子供の頃には小学校の通学路の畑にはサトイモが沢山有りました。この葉っぱが大きくなり、傘の代用品になるんです。小学生には十分な大きさでしたね。懐かしいです。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

赤とんぼ夏合宿2006(予定)

今年の赤とんぼ夏合宿の予定が決まったようです。山小屋管理人さんからの報告では、来る7月14日から16日という計画だそうです。

場所はいつもの岩岳の山小屋”ちんぐるま”です。

今回もYsさんが参加頂ける様子なので、賑やかな合宿が楽しめそうですね。

参考: 2005年 夏合宿 写真集

参考: 2004年 夏合宿 写真集

参考: 2003年 夏合宿 写真集

しかし、30年近く前からこの岩岳の”ちんぐるま”で赤とんぼは合宿を続けてきたんです。いつの間にか、メンバーは歳をとってしまった。(笑)

参考: 30年前の赤とんぼ合宿風景

何時まで、続けることが出来るんでしょうかね?(笑)

山小屋管理人さんもこの6月で役職離任だそうです。山小屋管理人の役職は永遠で定年は有りませんがね?(笑)

さて、今回の合宿でもどのような面白い出来事が生まれるか?楽しみです。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

ワンゲル・ミニ同期会

大阪に住む大学時代のワンゲル仲間のPonちゃんが東京に来るというので、東京在住の吾朗ちゃんと三人で再会した。

_1402場所は蒲田の”ひもの屋”という庶民的な居酒屋である。

Ponちゃんは同期のワンゲルのマドンナと結婚し幸せな人生を送ったようだ。(笑)彼が、同期の中では一番、山に登っているのではないでしょうか?今年は既に、ヒマラヤのトレッキングに出かけたし、昨年はシルクロードを歩いている。

吾朗ちゃんは、社長業で多忙だけど、この前は出張でスイスにでかけ、ついでにアイガーを訪れる予定が部下が荷物を盗まれ、予定が狂ったと言うてました。(笑)

やはり、会うと山の話が中心になりますね。もう、同期のワンゲル仲間の多くは退職しているので、そろそろ山小屋に集まるとか皆で山歩きをしようとか、色々と話題になった。

そこで、還暦記念イベントとして我々が情熱をかけて建設した鹿島槍ガ岳の逍遥山荘に集まろうという話になった。

しかし、同期は日本各地に散らばった。北九州、四国は愛媛、姫路、大阪、富山、新潟、東京、横浜、千葉、・・・・忘れてる奴はおらんかな~~~?(笑)

そうそう、地元の神戸を忘れていましたね。

今回の会合でショックがあった。私が、自慢して関東でも関西弁を貫いているという話をすると、Ponちゃんが、”お前の関西弁はもはや純粋関西弁とはちゃう!関東訛りがある!それが、一番、関西人には嫌われるんや。”

考えてみれば、大学卒業して37年も関東に住んでいる。関西は22年間だからもう関東の方が長い年月暮らしているんですね。

ホント利害関係の無い、昔の仲間は宜しいもんですね。これからの第二の人生には又、昔の仲間が必要かもしれませんね。

参考: ワンゲル時代の思い出

| | Comments (2) | TrackBack (0)

神河内(上高地) 逍遥記(最終回)

神河内(上高地) 逍遥記も最後になりました。初日の大正池から河童橋への梓川河畔の遡上、そして二日目の横尾までの往復22キロのトレッキング、そして最終日の河童橋から田代池、帝国ホテルの往復で散策は終わりました。

_1203 _1204 河童橋から帝国ホテルに向かいましょう。すぐに、北アルプスで事故により亡くなられた人々の慰霊の碑があります。(故)正井君を偲んで手を合わせました。

河童橋から帝国ホテルまでは一時間程度の散策コースになります。熊笹が生い茂り、林の散策路になります。

_1205 _1206

河童橋のホテルでは早朝に猿の群をみましたが、やはり沢山野生で存在しているんですね。ここでは、古来、餌をやらないルールが守られているんです。

残雪が残る帝国ホテルに到着しました。私は始めて訪問する事になります。我々には縁の無い世界でしたからね。

_1207 _1208 正面玄関の景色です、落ち着いたヨーロッパのアルプス山麓に佇むホテルの雰囲気がありますね。

一昨年前にスイスアルプスの紀行をしましたが、ツエルマットの雰囲気に似てるでしょうか?

_1210 _1214 念願のコーヒーを此処で飲む事が出来ました。落ち着いた雰囲気が予想していた通りでしたね。

何れは、このホテルに宿泊する時が来るかも知れませんが、河童橋のホテルの方が部屋から穂高連山を目の当たりに出来るので多分、私はこのホテルには宿泊しないと思う。

_1219 _1220 さて、ホテルをあとにして田代池まででかけましょう。ホテルの裏手には白樺の林の道が続きますね。

鳥の声しか聞こえず、梓川から流れる風はひんやりとして気持ちのいいものですね。

_1222 _1221 途中、水芭蕉を見つけました。これで、今年は尾瀬に行かなくても良さそうですね。神河内で済ませてしまいました。(笑)

田代池までは湿田の道になります。

_1225 _1226 今回、神河内(上高地)を案内しました家内と私と田代池の風景です。

長い連載になりましたが、少しでもご参考になる所があれば幸せです、是非、一度は混雑の時期を外して訪れて下さい。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

jo君のヨイトマケ奮戦記(16)

炭化物集中部について

今回の遺跡では色んな層において炭化物集中部が発見された。地層は旧石器時代の地層であるが、1ミリ程度の微細な炭化物がごま塩を撒いたように直径2~3メータの範囲で発見された。

_1398 _1399 _1400 何かの燃えカスですが、微細です。一つ一つに竹串を刺して全貌を図面にとります。

左二枚の写真は同じ場所で、右端は異なる場所の炭化物集中部の様子です。師匠の宮下君の話ではこのあと、真ん中で線を引き掘削して断面図を記録するそうです。同時に、炭化物のC14年代測定調査をして絶対年代を調べます。

旧石器時代の地層ですが、礫群と石器が多量に発掘されている場所であり、年代を狭める為には炭化物は有効です。

_1391 _1394 8区から発掘された室です。遺跡発掘途中に突然に天井部分が崩落し危うく調査員は助かりました。

地下に空洞がある場合はベテランだと判るそうです危険の可能性は事前に判っていたという話です。

さて、この室の年代は未だ判りません、何を格納していたのかも不明です。今後の調査により解明されると思いますね。

子供の頃、招堤村のお百姓さんのお家には必ず地下に巨大な室が有りました。梯子で降りるのですが子供には怖いけれど、何かヒミツの部屋のような気がして友人と潜入したものです。野菜とか薩摩芋、じゃが芋、色んな農産物が保管されていましたね。

_1395 _1396 1区 旧石器時代の地層の発掘現場です。

しかし、もう2月半私はこの遺跡の発掘現場に立たせて頂いた。毎日が新しい知識と発見があり、興奮が続いています。

現場の作業は辛いですが、しかし苦有れば楽有りの心境です。

参考: 炭化物研究してる人

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ちゃんこ鍋とベトナム料理

最近、歓送会という宴会が続いています。私の歓送会では無く、同期のメンバーが会社を去るので参加している。道産子哲さんも今月で会社を去る。

_1390 自由が丘の近くのちゃんこ料理屋での歓送会でした。赤とんぼの、わこちゃんも当日関西の日帰り出張の足で駆けつけた。

懐かしいメンバですね、大昔の花の”第五計画課”中心のメンバでしょうかね?

_1383 _1386 わこちゃん、内藤さん、吉浜さん、えらい古い昔の職場の仲間です。有名なちゃんこ料理屋さんだそうです、東急大井町線の緑ヶ丘駅そばの”芝松”さんというお店ですね。

冬でもないのに、何で”ちゃんこ”か判りませんが料理が上等だそうです。確かに、美味しい料理でした。

詳しくは、道産子哲のblog記事にあります。

_1387 哲ちゃんは連日、このような歓送会が続いているそうです。ふうてん翁さんもこの6月で会社を去ります。コジラ先輩も同様ですが、気楽に今はW杯応援に奥様と独逸にでかけてます。

ホンマ、37年も同じ会社に奉公するのはもう我々の時代で終焉を迎えるでしょうね?今朝のメールでは赤とんぼの山小屋管理人さんもこの6月で役職離任とか。

先ほど、米国駐在時代に一緒に過ごした松村さんの奥様から電話があった。彼も、役職離任だそうだ。家内は今、有馬温泉にお母さんを連れて丹波牛200グラムを食べていますと、いいそうになったが、思いとどまり、折り返し帰り次第連絡させますと答えた。(笑)

さて、昨夜は恵比寿のベトナム料理屋”We”でベトナム関係者で宴会があった。

_1401 アタシャ遺跡発掘現場の帰り路でクタクタでしたが、何故かベトナム関係者の集まりなのに、哲ちゃんはいるし、潮来のイタロウではなく藤城さんまで同席している?彼も、この6月の株主総会で専務を退任した。

ベトナム人の物理学者のVuさん、海外経験豊富な忠さんは近々にベトナムへ出張だそうだ。大島親分はこの日は大学で日本語の講義に出席で残念ながら参加できていない。

このような、身内の話をblogの記事に書いても関係者以外には何のご興味も無いと思う。ま、しかし、たまには許して頂きたい。人生で人の出会いというのが一番大事であり、それを大事にするのが過酷な娑婆の世界で生きてゆく意味があると思います。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

本日フライト 中止

残念ながら、雨天の為に本日の千葉フライトは中止です。

折角皆さん、飛行機を準備万端でしたが、順延です。

| | TrackBack (0)

jo君のヨイトマケ奮戦記(15)

旧石器時代の石器及び礫群が発掘される!

遂に、二ヶ月以上経過した遺跡発掘現場では興奮に包まれている。続々と第二区の現場で石器群が発掘され始めたのだ。地層はⅣ層下部からⅤ層上部である。二万年前程度でしょうか?何れにせよ、旧石器時代の遺物の発掘であります。

_1357 _1358

黒曜石のナイフの出土ですね。右端が手に持つ部分か木の柄に固定する部分で左下が刃の部分ですね。

宮下君が懇切に説明してくれます。折れているので、未完成品か失敗作かもしれませんね?

_1360 _1362 緑色凝灰岩の石器の製作途中の剥離か失敗作か?

綺麗な緑色をした石ですね。手のひら以上の大きさでかなり大型でした。

_1364 黒曜石の大きな塊です。加工前の原材料でしょうね?黒曜石の破片と石器と見られる礫群が直径3メータ程度のサークルで数箇所一度に発掘され、同じく、石器の礫群も同じように数箇所発掘されました。

全て二区の現場ですね。これは、かなり考古学会でも重要な意味を持つ発掘になるかも知れません。

_1363 _1365 発掘現場の写真ですが、遺物の三次元位置測定の為と図面とりと、光波による測量が即刻始まりました。

昔ながらの図面取りのようですが、最新のコンピュータを使用したリアルタイムの三次元座標位置測定という方法は無いものだりょうか?三方から写真を撮り、直ぐにコンピュータで画像解析して図面に落とす作業は出来ないのだろうか?

_1366 _1369 _1370 緑色凝灰岩の石器製作途中の遺物である。刃と柄の部分が判りますね?

宮下君の話では長い石器を削りだすのは至難の業だそうです。ハンマー石を手に持ち打ち付ける時の原石に対する打ち付け角度と、力の入れ方が大事だそうです。

_1375 これは、ハンマーヘッドではないだろうか?この石を手に持ち石器を製作していたと考えても不思議はないです。表面が磨耗し、手に握りやすい形をしていますね?割れたので、廃棄されたのではないだろうか?

明らかにここには、石器工房が存在したか?それとも、近くに工房が有りここに遺棄されたのか?と推測されますね。

_1371 _1372 _1380 緑色凝灰岩の石器と黒曜石の石器の関連遺物です。

黒曜石は黒曜石で固まって出土し、不思議に思いますね。しかし、何故遺棄する場所が集中して数メータのサークルで何箇所も近くで発掘されるんだろうか?

誰かが、当時は裸足で生活していたから、適当な場所に破片を捨てると足を負傷するからではないか?という御仁もいましたね。(笑)

_1376 _1378 黒曜石石器群の発掘現場です。土柱をたてて元の位置が判るようにして有ります。一つ一つの石器の位置測定を綿密に行います。

乾くので、時折水をかけてローム層の土が乾燥して砕けるのを防止し、夜はシートを掛け、一つ一つの土柱には土嚢を側に置き守ります。

(発掘基礎知識 スコリアについて)

Continue reading "jo君のヨイトマケ奮戦記(15)"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

今週末 千葉飛行会(予定)

久しぶりに、赤とんぼでは千葉飛行会が週末の日曜日に予定された。

皆さん、忙しくて都合がつかなかったが、やっとスケジュールが調整できた。岩ちゃんはパソコンが修復したでしょうか?最近はセダクション1・2・3を製作して飛ばしておられるそうですね?

雨でなければいいのですが・・・・?

参考: 2005年6月千葉飛行会

(閑話休題)

・先輩のコジラさんが奥様と今日、ワールドカップ開会式に出るために日本を発たれたそうですよ~~~。シャモニーにも寄って帰るそうですよ~~。そういえば、私も2年前にシャモニーには行きましたね~~。

・江戸湾クルーズの動画がアップされましたよ!ケンタ&アトムぱぱのホームページ参照して下さい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

神河内(上高地) 逍遥記(9)

明神池、穂高神社奥社  神河内聖域参拝について

_1173_1 _1183_1 安曇族が古代日本海を航行する出雲族の一派だったそうですが、糸魚川経由で遡上しフォッサマグナを南下、現在の安曇野を開拓した。そして、里には穂高神社を建立し、聖地奥社としてここが選択されたのだ。

それは、梓川の源流だからでしょうかね。安曇野の野を豊かにする水源はこの神河内であるからです。そして、聳える奥穂高岳頂上にも社が建立された。

この明神池では今でも船を浮かべて神事が執り行われています。明神池にはやはり、神が宿る雰囲気がありますね。荘厳な感じを何時も受けるものです。

_1185 _1172 上條嘉門次(かみじょう・かもんじ)は明治・大正と活躍した山岳ガイドであり、猟師であり樵でありここに小屋を構えていた。彼の名は、ウエストンを穂高に案内する事で世界に名前が広まったのだ。

今も山小屋、茶店として健在であり、神社の前で明神池を守っている。

_1179 _1176 _1180 _1177 明神池の景色であるが、一の池、二の池と二つ存在する。池の縁を散策できるようになっているが、此処は穂高神社の神域である。

池は浅いが透き通り湧き水ではないだろうか?明神岳の懐に抱かれて何時までも神秘な姿を留めています。

_1175  _1184 _1182 子供の頃からボーイスカウトとか中学時代もワンゲル部に籍を置いて山を歩いて来たが、日本人には山は特別な気持ちがあると感じている。

古代より海の近くで生活していた人々も縄文海進で山に入らざるを得ない事態が起こった。山の恵みで命を繋ぎ、そしてその後も海の幸は山によって支えてもらっている事に気がついたのだ。漁師さんが一番知っている大事な事実である。

Continue reading "神河内(上高地) 逍遥記(9)"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

jo君のヨイトマケ奮戦記(14)

現場では師匠さんが沢山おられるんですが、今日も宮下さん(院生)に色々と教えて貰いました。先ず、礫群についてです。

_1265_1 _1352 _1354_1 _1343 一番左の写真も礫群です。石が沢山固まり出土しました。

右三枚の写真は場所が離れていますが、Ⅳ層から出土した礫群です。こちらの場合は石が焼かれた痕跡が有ります。割れたものも沢山有ります。

この用に石が集中的に出土する状態を礫群と言うそうです。ところで、これは自然にこのような状態が形成されたわけでは無く、人々が関わったと解釈されているそうだ。

縄文の時代から肉を焼いたり、煮る時に鍋に焼けた石を入れたり、土中に焼き石を入れその上に葉っぱでくるんだ肉を置いて蒸し焼きにするとか・・・。大層、調理において石は活躍したそうだ。

それだけでなく、保温効果が有り、寒さを凌ぐ為に焼き石を使用したのではないのだろうか?左端の礫群は焼けていない石であり、未使用だ。左三枚の写真の礫群は使用済み石ころである。長く使うと割れてしまうのでしょうね。

宮下さんの説明では、左端の写真の解釈では、この礫群を使用する前に何らかの事情で人々は移住したのでは無いか?と言う。右三枚の礫群は近くに数箇所纏まって出土している。これは人々が使用した(定住した)痕跡では無いかと言う。

_1341 ところで、この重機は何か?ご存知でしょうか?コンクリートを粉砕して小さな石ころ状にしてしまう機械です。何と名前が?”ガラパゴス”と言うのだそうだ!(笑)

これは、解体した建物のコンクリート片を粉々にしてしまう便利なものだ。

_1356 kazzさんは二個目の3メータ四方のピットを掘削されました。この穴は最初と最後は私も参加して掘削しました。Ⅹ層迄掘り進むのは大変でしたね。穴の中は灼熱の蒸し風呂状態であり、これに耐える事が出来れば、何でも出来そうです!(笑)

_1355 宮下さんの発掘道具です。壁を削り、地層面を明確にしたり、地層境界線を削り込む道具でもあります。

皆さん、自分で工夫して色んな道具をお持ちですね。

(閑話休題)

私のBlogもお陰様で2004年4月から始めまして、昨日で累計15万アクセスになりました。皆様方及び、コメントしてくださる少数の仲間のお陰と感謝してます。

最近はココログの調子が悪くて、編集途中で記事が消えたり、頭にくる事が続いていますが、頑張って欲しいと思います。

ラジコンと長くご無沙汰していますが、早く再開したいと思います。これからも、宜しくお願いします。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

江戸湾 クルージング

_1337 _1287 今日はケンタ&アトム御夫婦の仲間と江戸湾のクルージングを楽しんだ。

ケンタ&アトムパパ 記事参照

勝どき橋近くのマリーナからクルーザを貸切り、江戸湾から地上の世界を眺める旅にでた。

_1288 マリーナの連中がバーベキューパーテイである。何か、アメリカ生活を思い出させる景色である。皆さん、楽しそうに宴会をしていましたね。

場所は、勝どき橋にあるマリーナです。午後に集まり、クルーザを貸切り遊ぼうという,ケンタ&アトム御夫婦の企画でした。

_1327 今日のメンバー全員です、正木さんのお母さんと、何時もの正木さんの旧友と私、5人プラスケンタ&アトムです。

ケンタが最初から不安そうで、怯えていましたね、船は怖いのでしょうかね?

_1289 _1290 クルーザと釣り船も停泊していました。私は、今だかつて釣り船には乗船した事は有りません。必ず、船酔いすると思うのですね。だから、怖いです。

江戸湾のクルージング程度なら酔わないと思います。ケンタが酔うか?私が酔うか?お互い頑張りましょう。(所で犬は船酔いするんだろうか?)

_1292_1 _1294_1 正木さん御夫婦と派手なお母さんと不安なワンチャン達、そして、マユさんと不安なケンタ。

今日は美味しい神田の御寿司の差し入れが正木さんから有りました。

_1295 _1296 マリーナから離れます、船の乗務員さんは二人でそして我々5人という贅沢な舟遊びの開始です。

もともとは、屋形船でもんじゃ焼きを食べようという企画でしたが、今回はモダン?なクルージングになりました。

_1297 _1299 _1300 _1301 キャビンの様子です。バーは有りますし、アンテイークな調度品が古いアメリカを思い起こさせる雰囲気ですね。

_1303 _1304 お台場の方面の風景と右は築地の海からの光景ですね。東京を海と川から眺めると、又、違う顔が見えるかもしれませんね?何時も、我々は陸からしか街を眺めていない。

_1306 _1307 ともかく、ビールと御寿司でも食べましょう。マユさんとも上野の花見の宴会&音楽会以来の再会ですね。

ケンタ&アトムも元気でしたが、ケンタがとても不安そうで、怯えていました。(犬かきで泳げるから心配ないのにね)

_1309 _1312 東京タワーが見えますね、汐留方面ですね、レインボウブリッジも迫りました。

これから、この橋の下をくぐりフジテレビのあるお台場方面を目指します。

_1315 _1316 幕末にペリーが来航した時に砲台が設けられました。今は、鳥の住みかです。最近は鵜の独壇場です。

まるで、琵琶湖のように東京湾も鵜に占拠され始めました。めちゃめちゃ鵜がいます。

_1320 _1321 日航ホテルとフジテレビの建物に近くなりました。何時もはユリカモメのモノレールでこのあたりは移動していますが、海上から眺める景色も又、異なる趣ですね。

江戸は、本当に海に囲まれた場所である事がよく判りますね。

_1323 _1324 屋形船が停泊して天麩羅でも食べているんでしょうね?ここらで、停泊して宴会をするのが常だそうです。

灯台のようなものも有りますね、夜は風情があるでしょうが昼間ですのでまだ雰囲気が伝わりません。

Continue reading "江戸湾 クルージング"

| | Comments (8) | TrackBack (0)

神河内(上高地) 逍遥記(8)

登山拠点 横尾から明神への帰還  涸沢、槍、蝶ガ岳への登山拠点です

_1144_1 横尾大橋から眺める屏風の頭ですね。この橋を渡れば涸沢へと続きますね。夏は沢山の人々がこの橋を渡ります。今は季節外れですから、時折雪の山をやられる本格的な登山家が行き来する程度です。

一人、降りてきましたね。

_1149 冬山の装備を脱いだところです、ピッケルとアイゼンも外して緊張が解けたところでしょうね。単独行のようです。落ち着いたら、ビールを買いに小屋へ出かけてました。まだ、若い人のようですね。

昔は山登りの連中は沢山いたんですが、最近はマイナーなスポーツになりましたね?地味すぎるんでしょうかね?(笑)

_1146 _1147 横尾は北アルプス南部の登山拠点ですね。涸沢まで6キロ、そして槍ヶ岳へは11キロです。私達が今日歩いてきた道を河童橋迄帰ると11キロです。

穂高、槍、蝶ガ岳、常念、等々の山で遭難があるとここに捜索本部が置かれます。

_1148 _1150 看板ではここは1600メータの標高ですから、河童橋からは100メータしか登ってない事になります。ですから、気軽に散策出来るという事ですね。

横尾山荘です、槍、涸沢、穂高、蝶ガ岳、等々に登される人々が宿泊します。テントをお持ちの方は横尾大橋の下の梓川の河原で野営が出来ます。

_1152 _1153 ここから一番近い山は、蝶ガ岳ですね。3.4キロですから近いですね。私も昔は登りました、そして常念岳、大天井岳を経由して槍ガ岳へ縦走しました。

と、言われても判りませんね?

_1156 _1154 左の写真を見て下さい、赤い部分が横尾です、直下に蝶ガ岳がありますが、字が欠けています。そして、尾根を東方向に辿ると常念岳に到達します。そして、横通岳を通過して、右の写真に移ります。大天井岳(おてんしょうだけ)に到達です。

この大天井岳を西に進路をとると水俣乗越に到着です。そして、槍ヶ岳に向かいます。一方、大天井岳から東に進路をとると、燕岳へと向かい、所謂、表銀座ルートとなります。表銀座ルートは後立山連峰に連なり盟主、鹿島槍が聳えます。

_1155 水俣乗越から槍ヶ岳へのルートはこの写真で判りますね。暇な人はいきなり槍ヶ岳に登らず、蝶ガ岳経由で常念岳の小屋で宿泊して大天井岳を経由して槍に登って槍沢を降りるルートは如何でしょうか?

数日休める暇な人は、槍から三俣蓮華岳に抜けるルートをお勧めですね。雲の平という天空のお花畑で野営でき、夕日を浴びる真っ赤な鷲羽岳を眼前に見れますね。雲の平は北アルプスの秘境中の秘境です。

参考 雲の平

Continue reading "神河内(上高地) 逍遥記(8)"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

神河内(上高地) 逍遥記(7)

徳沢園(氷壁の宿)から横尾へ  岳人の郷の横尾への旅 約3.9キロ 1時間半

_1118 _1119 やっと徳沢園に到着しました。既に、朝、河童橋を出立して6.4キロ歩いたのですね。ほぼ二時間少しの散策でした。

ここは、昭和の初期までは牛馬の放牧地でした。新島々から牛馬を連れてあの徳本峠を越え、初夏から秋迄放牧して牛馬を肥やしたのです。その場所は、今、キャンプ地(野営場として整備されています)。昔はここで、私も野営しました。

_1120 _1121

(氷壁の宿)

ここは、有名な井上靖さんの小説の”氷壁”の舞台になった徳沢園です。ここからは、前穂東壁を望む事ができますね。岳人たちは冬季ここに野営し新村橋を渡り奥又白から前穂東壁をアタックしたのです。

本当の事件は谷川岳で発生した事件でしたが、井上靖さんは小説では舞台をここに設定したのです。NHKではもっと飛躍して、ヒマラヤのK2に場所を設定しましたね。(笑)撮影はニュージランドで挙行されたそうですが、迫力はありました。

_1122_2 _1123 徳沢園の玄関の模様です、一度は宿泊してみたいですが、今回は見るだけです。(笑)

綺麗な宿の様子で、コーヒーラウンジでは誰でもコーヒーを飲めます、ストーブを焚いていました。ここは、河童橋に比べ相当に標高も高くなっていますので、寒いです。

_1124 _1125

さて、一息入れたら横尾を目指しましょう。この神河内では文人と言えば、芥川龍之介も河童橋を舞台に”河童”を書きましたね。この神河内の梓川を覆う霧の小道を歩いていると”河童”のような世界の構想が浮かんだのではないでしょうか?

北杜夫、井上靖、芥川龍之介、深田久弥、彼らもこの神河内に魅せられた人々だったのではないでしょうか?

_1126 _1127 徳沢園をあとにして、横尾を目指しますが歩いてほどなく新村橋に出会います。時間の無い人はこの橋を対岸に渡り梓川の右岸を南下すれば河童橋に戻れますが、今回は道が壊れていて通行止めでした。

_1128 _1129 _1130 新村橋(サスペンションブリッジ)から眺める前穂東壁です。

四季折々の眺めも素晴らしいと思いますね。

_1131 _1132 鳥獣保護区の看板と家内の写真です。とにかく、鳥の鳴き声が煩い程聞こえますし、その種類の豊富さに驚きます。(何の鳥かさっぱり判りませんが・・・笑)

ウグイスとキツツキが穴を穿つ音はわかりますがね。

_1133 _1135

これ見てください、巨木が大きな磐を抱きかかえて締め上げていますよ!植物の生命力というのは本当に凄まじいと思いますね。

これ、夜見ると怖い風景かも知れませんよ!

_1136 _1137 そろそろ、横尾もまじかになりました。奥穂高岳も少し見え始めます。道はところどころで壊れていますが、修理していました。落石の危険な箇所が数箇所ありますので、注意して歩く必要があります。

落石の時は必ず最初に小さな石が落下を始めますので、その時に避難しないと危険です。

Continue reading "神河内(上高地) 逍遥記(7)"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

神河内(上高地) 逍遥記(6)

明神から氷壁の宿へ  引き続きもののけの森を歩きます、約1時間でしょうか?

_1084 _1085 古木と明神岳です。

明神池と神社は帰りに見学するとして、そのまま梓川左岸の森の道を歩きます。古木が多く、もののけ姫にでてきそうな場面です。

_1086 _1088 左の写真は梓川の激流から護岸の為に設けられた”聖牛”という武田信玄が考えた治水設備ではないでしょうか?

道端には高山植物のお花畑が随所に現れ始めました。明神から徳沢園へは足を伸ばす人々は少なく、三脚を担いだ写真マニアの人々を見かける程度です。

_1089 _1090 明神岳と穂高と梓川の風景です。そうそう、梓川で思い出しましたが、これは”梓の木”が沢山自生している所から人々はなずけたのでしょうね。

皆さんは、”梓弓”でご存知の万葉集にも良く出てくる弓の原材料ですし、この弓の弦を引いて鳴らすと悪霊を払えます。平安京の頃では既によく怨霊退治に梓弓を鳴らす光景をみかけますよね。

_1091 明神岳をバックに写真を一枚です。今日は長距離を歩くので小さなリュックが一つです。中には雨具と弁当と非常食とお茶が入っています。

勿論地図は必須です。けど、この路は簡単ですから迷う事は滅多にありません。安心して歩いて下さい。

_1092 _1094 路の周りには高山植物が花を咲かせています。私は、花の名前をいくら覚えようとしても駄目なんです。

判りませんが、小さな花が咲いていて気持ちが和みますね。

_1093 _1095 穂高奥社、明神池に到着ですが帰りに寄るとして、そのまま通過して、徳本峠への分岐に到着です。

新島々から徳本峠を越える道はここに到着します。懐かしいですね。大きなリュックを背負い昔は峠を越えて来ました。

_1097 _1100

Continue reading "神河内(上高地) 逍遥記(6)"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

jo君のヨイトマケ奮戦記(13)

遂にkazzさん、佐藤さん/joで掘削した3メータ四方のピットは完成しました。

_1266 _1267 階段は11段でした。スコップを11回掘り下げた事になりますね。見事な?ピットです、最後のⅩ層からはイモ石が三個発掘されました。旧石器時代の遺物かも知れませんね。

今日は全景写真を撮影するので、一日かけて大掃除(鋤簾をかける)でした。さて、九区からは落とし穴が発掘されました。

_1268 _1281 遠景と近景ですが、石灰の線で囲まれたところですが、これは落とし穴だそうです。

獣を捕獲する為のものだそうですが、落ちると出れない構造です。そういえば、子供の頃に探偵団ゴッコで作りましたがこれほどの大掛かりなものは子供では無理ですね。

_1279 _1280 長さは3メータ程度で深さは2メータ以上有ります。細長いのが特徴です。下には逆茂木を立てていたんでしょうね?

間違って人間が落ちると大変でしたね。時代は何時の頃か未だ判明していません。

_1265 白線内は沢山の石が群集で出現したところです。これも、何なのか?判明していません。これから、調査が続くと思いますね。

回りは綺麗に鋤簾をかけましたので、美しいですね。写真撮影時はこのように綺麗に地層の表面を削ります。

_1269 _1270 撮影の為のヤグラが臨時に作られました。この上から撮影します。右の写真は土柱で築かれた発掘遺物の測量をしている所ですね。

三次元で場所を記録する為にメッシュに糸を張ります。

_1271 このように、二人一組で測量結果を図面に書き込んで行くのですね。何故レーザを使用しないのか?判りません、伝統的手法で計測していました。

土嚢は土柱と遺物を守る為に土柱とか遺物の上に置きます。カラスが黒曜石を持ち逃げしないように防御もあります。(笑)

_1275 _1276

左の写真はベテランの小林さんが土柱の整形をしておられます。最後はベテランが綺麗に整形してくれます。

右は鋤簾をかけ、地層の壁に地層線を奥にいる院生の宮下さんが線を入れています。

たびたび登場し、私に考古学の専門の話をしてくれる宮下さんはこんな人みたいです?

遺跡で活躍する若者

_1264 _1277 撮影前の綺麗に清掃と鋤簾がけをした遺跡風景です。

写真を撮影するために半日はかかりますね、50人以上で一斉にやります。本当に発掘作業は大変ですね。

_1261 _1263 休み時間の風景です。喫煙場所は広い遺跡現場でここしか有りません。今日は暑いので、パラソルが開いています。

ネコと箕、スコップ、鋤簾、等々の発掘用具が出番を待っていますね。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« May 2006 | Main | July 2006 »