神河内(上高地) 逍遥記(9)
明神池、穂高神社奥社 神河内聖域参拝について
安曇族が古代日本海を航行する出雲族の一派だったそうですが、糸魚川経由で遡上しフォッサマグナを南下、現在の安曇野を開拓した。そして、里には穂高神社を建立し、聖地奥社としてここが選択されたのだ。
それは、梓川の源流だからでしょうかね。安曇野の野を豊かにする水源はこの神河内であるからです。そして、聳える奥穂高岳頂上にも社が建立された。
この明神池では今でも船を浮かべて神事が執り行われています。明神池にはやはり、神が宿る雰囲気がありますね。荘厳な感じを何時も受けるものです。
上條嘉門次(かみじょう・かもんじ)は明治・大正と活躍した山岳ガイドであり、猟師であり樵でありここに小屋を構えていた。彼の名は、ウエストンを穂高に案内する事で世界に名前が広まったのだ。
今も山小屋、茶店として健在であり、神社の前で明神池を守っている。
明神池の景色であるが、一の池、二の池と二つ存在する。池の縁を散策できるようになっているが、此処は穂高神社の神域である。
池は浅いが透き通り湧き水ではないだろうか?明神岳の懐に抱かれて何時までも神秘な姿を留めています。
子供の頃からボーイスカウトとか中学時代もワンゲル部に籍を置いて山を歩いて来たが、日本人には山は特別な気持ちがあると感じている。
古代より海の近くで生活していた人々も縄文海進で山に入らざるを得ない事態が起こった。山の恵みで命を繋ぎ、そしてその後も海の幸は山によって支えてもらっている事に気がついたのだ。漁師さんが一番知っている大事な事実である。
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Comments
ヒャッとする空気
写真から空気が冷たく感じられたのでGoogleに聴きました。
明神池(標高1530m)とありました。
やはりこのあたりは冬は雪に閉ざされるのでしょうか。
先日、多摩川の様子を見にチャリで出かけ、往復20キロほどでしたが、河原に降り、土手に登りと起伏があるので、強い日差しの下、無帽のせいもあり、ヘトヘトになりましたなあ。
歩いて山道を22キロというのは・・・当方などの想像をこえております。
Posted by: ふうてん | 2006.06.07 04:32 PM
ふうてんさん
多摩川が気になりますか?チャリで20キロですか?
神河内は11月末から来年の4月末までは何処の宿泊施設も閉じます。岳人の避難小屋だけは、緊急避難施設として生きています。
人間が冬は住める場所では有りません、だから、今迄自然と動物は存続できたのではないでしょうかね?
僅かに、嘉門次さんのような岳人というか超人間的な人は暮らしていたかも知れない。計り知れない神と境界の人でしょうね?
西洋人が此処を訪れ、嘉門次さんのような人類に遭遇でき日本という国の底知れない深い精神世界を見たのではないでしょうかね?
日本には未だ未だ、素晴らしい場所が生き残っているようですよ。釧路湿原とやらも是非足を伸ばしたい所ですね。
Posted by: jo | 2006.06.07 05:23 PM