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jo君のヨイトマケ奮戦記(12)

ほぼ二ヶ月間遺跡の発掘作業に従事した。少しは、知識も増え、体力も向上した。

_1239これは二代目の皮手袋で1カ月しか使用していないが、ご覧のようにボロボロである。如何に、作業が過酷か判りますね?(笑)

最初は気楽に始めたけれど、段々と真剣にやるようになりました。それだけ、魅力があるという事ですね。

相棒のkazzさんと掘り始めたピット(3メータ四方の塹壕)もそろそろ最終局面にさしかかりました。もう一週間以上掘り進んでいた作品?です。私が、神河内に遊びに出かけている間もkazzさんと、大倉山の相棒の佐藤さんで掘り進んでいました。

_1240 _1248 深さは約2.5メータ程度でしょうか?今日はkazzさんが休みなので、相棒の佐藤さんと二人で掘り進みました。

既にⅨ層まで掘り進んでいますので、あと2スコ程度の深さを掘ればⅩ層に到達できるはずです。

塹壕を掘る時に、階段を残しておかないと、深く掘れば出入りと土を運び出す事が出来ません。当たり前ですね?(笑)

_1257 _1259 この階段を九つ作りました。掘削した土をミに入れて階段を登りネコに入れて溜まると、捨てに行きます。

面倒なので、私が穴の中から掘削しながらスコップでえいや~と放り上げ、相棒の佐藤さんが上で土を集めてネコに入れ捨てる分担で作業しました。これが、いけなかった、二時間ほどすると私の右肩は痛みが走り歯が痛くなり始めました。

日頃使わない筋肉を急激に使うと駄目なようですね、その後も歯痛が続くこととなり週末は歯医者さんに行きます。(笑)

_1244 _1241 院生の宮下さんが出来上がったピットに入り、壁を削りながら地層の切れ目の線を入れています。

これが、素人の私には難しいものです。何処が地層の切れ目の線なのか判りません。経験を積むと判るんでしょうね、感心します。

_1252 _1255 今日は私は用事があり、発掘はサボリました、多分、kazzさんと佐藤さんでこのピットは完成したと思います。明日、是非完成したピットを確認したい。

しかし、暑さと紫外線が強くなりました厳しい炎天下の肉体労働は辛くなりましたね。(笑)

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神河内(上高地) 逍遥記(5)

白樺荘~明神へのもののけの森散策 白樺荘のご紹介と明神への森の道 約1時間

_1230 河童橋たもとの梓川右岸にある老舗の宿です。穂高には一番近い宿ではないでしょうか?部屋から穂高連峰が眼前に迫る迫力ある部屋が特徴でしょうね。

たまたま、この宿を予約しましたが、対岸には五千尺ホテルも有ります。しかし、私はこの宿の方が好みですね。

_1046 _1047 晩飯です。数の子粕漬け、川海老・鱒桜寿司、蛍烏賊佃煮・赤梅、アマゴ南蛮漬け、一寸豆石垣寄せ、大鱒の洗い造り、吸い物は魚素麺と熱燗を飲むには宜しい肴です。

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岩魚の塩焼き杏添え、胡麻豆乳豆腐も出てきました。写真は掲載しませんが、山の幸三種盛鉢、炊き合わせ、山菜の揚げ物、山独活等々の山菜、漬物が豊富にいただけましたね。

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宿には読書・談話部屋が設けられています。沢山の山の関連本が蔵書されています。

私の好きな北杜夫さんの本も有りましたね。高校生の頃にはよく読みました。彼が信州の旧制高校時代の話は特に興味があり、大学でもワンゲルに進んだのは彼の影響が、少しあるかも知れません。

_1056 早朝ですが、窓を眺めると猿が来てました。(笑)何か木の上で食べているんでしょうかね?対岸の五千尺ホテルの前には猿の群が沢山歩いていました。特に何も悪さはしませんし、彼らに餌を与えないので、野生の儘過ごしているそうです。

マナーが問題ですが、神河内ではそのマナーが守られているのが嬉しいですね。

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朝飯ですね。今日は往復22キロのトレッキングです。沢山食べておかねばへたります。昼飯はサンドウイッチとお稲荷さんを近くで購入し、ペットボトルには部屋のお茶を入れてリュックに入れました。

チョコとか飴とか非常食の類も必ずリュックには入れましょう。何があるか判らないし、山の天気は急変しますので、雨具の用意も忘れてはいけません。

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早朝の部屋から眺める穂高は今日も素晴らしい。

本当に天気が良いのが続くものだ。私達が来る前日までは雨と霧に覆われていたのが、嘘のようである。日頃の行いが良いからでしょうね?(笑)

_1059 _1060 河童橋とお向かいさんの、五千尺ホテルさんともしばしのお別れですね。ここから梓川左岸を往復22キロトレッキングします。

アルプス一万尺という歌がありますが、それは三千メータですから、五千尺は約千五百メータという事でしょうね。神河内は千五百メータの標高に位置する場所でしたよね。

_1061 _1062 (小梨平 野営場)

少し歩くと直ぐにキャンプ場が有ります。設備は整っている様子ですので、家族とか友人同士でも楽しめると思います。静かな森の中にありますからお勧めですね。

_1064 _1065 既に、一組の方々がキャンプをされていましたね。テントも貸してくれると思います。炊事場とか水場とか完備した施設が見えました。私はここでは経験が有りませんが、徳沢園では学生時代経験が有ります。

河童橋の繁華街?も近いので、何かと便利と思いますよ。

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神河内(上高地) 逍遥記(4)

田代橋~ウエストン碑~河童橋  約30分行程

_1016 _1017

田代池を過ぎると田代橋に到着です。トイレが有りますのでご安心下さい。特に女性の方々はトイレがご心配だと思いますが、30分から40分も歩けば必ず綺麗なトイレが用意されております。

写真は田代橋から眺める穂高連峰遠望の風景です。梓川の清らかな流れの上に鎮座していますね。

さて、ここから梓川の右岸を遡りウエストン碑を眺めて河童橋に向かいます。

_1019 _1021 田代橋を渡り梓川右岸から東の方面を眺めると六百山と霞沢岳の眺めが目に入ります。

実は神河内はこの山々から徳本峠、蝶ガ岳、常念岳、と続く山脈と穂高連峰に挟まれた渓谷に出来た場所なのです。そして、槍ガ岳から流れる川が梓川なのですね。梓川は最後は信濃川となり日本最大の流域と長さを持つ川であり、日本海に注ぐわけです。

_1023 _1025

山桜のような花が咲いていました。花にはうとい私ですので、ここでは神河内桜二種としておきます。(すまんです)

けど、清楚でいじらしくて偉そうでなくて、控えめで、山の花は宜しいですね~~。

_1024 _1026 白樺の林から眺める穂高とコバルトブルーの梓川の悠久の流れです。

梓川右岸を歩いています、右手に梓川と六百山を眺めて歩きます。穂高の上にぽっかりと雲が出ましたね。

_1028 _1027 ウエストン碑です。6月4日、5日ウエストン祭が行われますね。明治24年に宣教師として来日し、こよなく神河内を愛し日本アルプスの名前をつけ世界に紹介した人です。

山の世界における小泉八雲みたいな人ですね。(笑)

_1029 一応私も記念写真です。

ウエストン祭に関して参考

今年は徳本峠越えのルートが壊れているので、心配ですね。皆さんは昔の我々と同じ新島々から丸一日をかけて二千メータの徳本峠を越えて集まります。

_1030 _1042 河童橋に着きましたよ!ここが、神河内の中心地です。宿泊施設も売店も俗世間の連中が便利なものが揃っています。それは、穂高連峰の眺めが最高に望める場所だからです。

_1036_1 _1035 写真は河童橋のそばの白樺荘の部屋の椅子に座り撮影した写真です。穂高連峰を椅子に座りビールを飲みながら一日中飽きる事なく過ごせます。(私は歩き回りましたがね 貧乏性だから)

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神河内(上高地) 逍遥記(3)

大正池から田代池へ・・ 自然研究路と呼ばれ湿原の路である 行程20分

_991 _992_1 さて、大正池から河童橋を目指し、梓川の左岸を遡上します。まず、田代池をめざしましょう。この路は湿原の上に足場を組み板組みの長い橋の上を歩きます。

大正池が出来た時に川が塞き止められて出来た湿原なのですね。

_994 _995 柳の解説看板が出てきました。(笑)どうも大正池から湿原を歩き始めると柳の木が多いと思うてました。川の流れが塞き止められ湿原になると、先ず最初に柳が自生するようです。

堤防の決壊時の治水工事で古代の中国ではこの柳の枝を編み、土とサンドイッチにして土が流れないようにして堤防を築いた話は以前にしました。川にはつきものの植物だったんですね。

_996 _997 時折、砂の道が出現しますが回りは未だ大木の無い林が続きますね。今度は鳥の解説看板です。

そう言えば、ウグイスの鳴き声が聞かれます。その他、沢山の鳥の種類の泣き声が聞こえてくる路ですね。静寂の中でただ野鳥の鳴き声を満喫できます。

_998 _999 時折、湿原の林の前が開き穂高の山並みを眺める事が出来ます。

200万年前からこの神河内はこんな景色を大事ににして来た事を思うと何時までも人間に邪魔されずにこの儘存在して欲しいと願うのみです。

_1001 _1002 湿原を抜けると、田代池に到着しました。今は、土砂が埋まり池と言うよりは湿原の様相を示しています。

誰かが穂高を眺めながら油絵を描いておられました。

_1003 _1004 _1005 _1006

田代池からの眺めは左に穂高連山、右には霞沢岳、六百山という徳本峠に続く山並みを眺める事ができます。

_1007 田代池の解説板が有りましたよ。田代というと氷壁の彼女(美那子)の苗字ですね?井上靖さんはきっとこの辺りを散策し、穂高を眺めてこの名前を考えられたのではないでしょうか?数回後の記事ではあの氷壁の舞台となった徳沢園が出てきますので、楽しみにして下さい。

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神河内(上高地) 逍遥記(2)

今回は神河内の入口である大正池、焼岳眺望までの行程を記録します。東京から行かれる人には参考になると思いますね。

新横浜を朝の6時過ぎに八王子に向かい、特急”あずさ”に乗り換え一路、松本を目指します。週末には横浜から松本に向かう直行の特急”はまかいじ”がありますが、ウイークデイには運行されていません。

_967 早朝なので、姿も顔もひどい状態ですが、松本駅から松本電鉄の高原列車に乗り換え、一路、新島々駅終点に向かいます。ここから、30分程度で終点の駅に到着します。

このプラットフオームの端には40年前から営業されている立ち食い蕎麦屋が営業してますので、昔懐かしい人は一杯の山菜とろろ蕎麦でも食べて乗車されるのが宜しいと思います。(笑)

_1235 つぃでですが、立ち食い蕎麦のそばの端には便所が有ります。昔ながらのプラットフォームの端には便所を構えるというのが、信州の伝統でしょうか?昔から変わらない。

そして、便所のそばには必ず花壇があり草花が咲いているんですね。この風習は随分と昔から受け継がれているんですね。綺麗なもんですね。信州の人々の優しさが伝わりますね。

学生時代は、大阪駅を夜の9時頃に”ちくま”に乗り込み大きなザックを担いで夜行列車で松本駅を目指し、朝の5時過ぎに到着していました。勿論、当時は直江津経由、大糸線を南下して松本駅に辿り着いていました。今はどうなのか?知りません。

_968 新島々に向かう途中の駅に北新駅という駅がありこんな看板があります。

ものぐさ太郎の案内板ですね。

(参考 ものぐさ太郎とは? 訪問参考記

ご興味のある人は是非、下車して訪問して下さい。ものぐさな人でも一芸に秀でると出世出来るという話ですよね?羨ましいです。(笑)

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さて、新島々の駅に到着です。ここでも駅には綺麗な草花の花壇がありました。そして、写真の駅は大昔の駅が保存され今は地元で採れた野菜などが売られている場所です。現在の駅では有りません。

_1231 駅にはツバメの巣のようなものが有りましたが、どうやら今の季節は異なる鳥が巣にしている様子です。写真で判りますか?巣の材料を銜えた小さな鳥がいますよね?明らかに燕尾服を着たツバメでは無いです。(笑)

さて、ここから低公害バスに乗り換え、一路、神河内を目指しますが約1時間と少しで到着します。ここはスイスと同じで一般の車は乗り入れが禁じられており自然保護が徹底されています。

_1234 あれあれ、徳本峠(とくごうとうげ)越えの登山ルートは現在禁止の様子ですね。学生時代はこの登山ルートで神河内に入山したんですよ!標高二千メータの峠越えルートは山をやる人なら一度は経験されたと思いますが、苦しいけれど、極めて感動的なルートです。

しかし、心配なのは確か6月4日の神河内のウエストン祭りにはイベントとしてこのルートで人々が入山する予定ですが、登山道修理は間に合うのだろうか?心配ですね。

バスで神河内に入るのは、私は始めての経験なのです。このルートは梓川に大きなダムを建設する時に新しく作られた道路ではないでしょうかね?途中までは昔からありましたね、皆さんよくご存知の野麦峠です。

飛騨・信州の悲しい思い出ルート 野麦峠

今回の旅では野麦峠を越える訳では有りませんが、ほぼ途中までは同じルートを通過します。この峠を越えて飛騨の若い女性達は松本を経由して岡谷の製糸工場に向かったんでしょうか。

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神河内(上高地) 逍遥記(1)

_1173 _1174 現在、誰でも上高地という山岳秘境の地を存じておられると思います。しかし、上高地という地名は明治以降の事であり、昔は神河内(又は、垣内)と呼ばれていたのはご存知でしょうか?

槍ヶ岳を源とする梓川の河床は穂高連山の麓を流れ神々しい雰囲気を湛えている。ここ上高地の中心部である明神池には穂高神社の奥宮が鎮座しています。

以前、blog記事を書きましたが、普通神社は山の上、中腹、里と三箇所に存在しています。奥宮、中宮、里宮とも言いますし、峰宮、奥宮、里宮とも言います。この穂高神社は安曇野平野に存在し、古代この場所を支配していた出雲族(海人族)の祭神ですね。

要するに、安曇平野を支配していた人々の神聖な場所が上高地(神河内)であり奥社が置かれ、穂高連峰の盟主である奥穂高岳頂上に穂高神社の峰宮が置かれたのだ。

何故、このような歴史を最初に述べるかというと、上高地を一言で表現するにはどうしても近代の上高地では雰囲気が伝わらないと思い、古代からの地元の人々の信仰について触れねばならないと思うたからです。

(参考 神河内逍遥地図)

_1036 _1183

左の写真は私が二泊した河童橋たもとの白樺荘の部屋の窓から眺めた穂高連山であり、右は穂高神社の奥宮がある明神池の神秘的な風景です。

これから10回に渡り神河内紀行を記録しますが、まさに神が宿る素晴らしい自然に囲まれた場所なのです。

幸いに国立公園であり、自然保護地域ですので、野生の鳥や猿や悠久の自然林が今も守られているのは素晴らしいと思いました。

河童橋の拠点から二日目は往復約22キロの道のりを家内と二人で歩きました。歩き始めると40年前にワンゲル時代に歩いた思い出が蘇りました。この季節は未だ訪れる人々も少なく静かな散策を楽しめたのは幸いでした。

_979 _1144

左の写真は神河内最南端の大正池と焼岳です、右の写真は最北端の横尾からの穂高の眺めです。南北片道歩いて約5時間半でしょうか、私は河童橋を拠点に歩きました。

次回より10回にわたり神河内 逍遥記としてご案内したいと思います。

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数日間blog休載します

明日から、上高地にでかけます。従い、ヨイトマケもblogも休載させていただきます。

今の季節 穂高岳

朝夕は5度程度で寒いですが、人は少なく昼間は15度程度まで上昇するので素晴らしい。

昔懐かしい上高地に出かけて、梓川のほとりを歩き、焼岳を眺め帝国ホテルでコーヒを飲み、そして昔、大学時代の副将をしてくれていた(故)正井が滑落死亡した穂高を眺め、区切りをつけたいと思います。そして、歩けるところまで涸沢を登る積もりです。

もう直ぐ、又、新しい人生を異国で挑戦することになりそうですので故郷の山にご挨拶という訳です。

そんな、按配ですので、又、週末からは元気にblogは再会させて貰います。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(11)

そろそろ、この遺跡発掘の記事もフィナーレが近い。それは、私が働けなくなるからなのだ。けど、最後までこの記録は続けてゆきたいと思う。

(今日の穴堀りは?)

_961 _962 小林さんと二人で二日間掘り進み、そして三日目は小林さんが一人で堀り、今日は4日目で彼は定休日なので、同じ大倉山から通勤してる佐藤さんと二人で掘り進みました。

私が角スコで一段掘り進み、佐藤さんは同時に私が掘削した面から更に剣先スコでもう一段掘り進むという妙な掘削になりました。

佐藤さんは昔、ダムの建設現場で日当が2万8千円もらっていたそうです。人に歴史あるものですね。

(在田さんプロなり)

_963 _964 毎日、自転車で深大寺から通われている元気な在田さんはプロですね。もう、第Ⅸ層まで掘り進みました。土は黒くてコンクリートのように堅いのだ。

それを削り、えいや~~と穴の外に投げ捨てる。それを、相棒が集めてネコに集めるのだ。

_958 _959 この爺さん、昔はエンジニアだったそうだ。船のスクリューの設計などをされていたそうだ。今は、自宅では畑を耕し好きな遺跡発掘のプロとして活躍されている。素晴らしい人生だと思う。

この穴堀りの技術はとても難しいのだ。正確に垂直に掘り、底を水平に保つ技術は知識の塊なのです。

_957 _960

左の写真は私の師匠の”喫茶店の髭のマスター”赤シャツおじさんである。今もラガーマンであり監督されてる。

皆さん、穴掘りに懸命である。

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もう梅雨ではないのか?

毎日雨が降る。どうも梅雨に突入したんではないだろうか?気象庁は未だ梅雨入りを宣言していない。遺跡発掘は雨が降ると作業は中断し工程が遅れ気味である。

昨年の今頃は何をしていたのか?blogを振り返ると一年前に宇治の姉夫婦が東京に来ていました。息子のbabyの顔を眺めに来ていましたね。美味しいフランス料理をご馳走になった。

昨年の宇治の姉夫婦のご招待(フランス料理)

さて、それでは一昨年前(2004年の5月23日)は?というと、電動機のムサシノ模型のハミングカブ号を飛ばしていた。

電動機ハミングカブ鶴見川(2004年5月23日)

この頃はニッカド電池10セルのブラシモータ(ムサシノモータ)540クラスで飛ばしていた。さて、それが2年後はどうなのか?

_952 _953 飛行機は健在である。しかし、中身が全く進化している。右の写真のようにルチュームポリマー電池と充電器であり、モータはブラシレスモータである。

アンプもブラシレス専用に進化している。これが、ラジコンの世界なのだ。変わらないのは人間だけだ。(笑)

いや、人間も変わらないようで、変わっているのかも知れない。(退化?)

このように、Blogは未だ3年程度しか続けていないが、時折、過去の同じ時期を振り返ると何をしていたのか面白い発見がある。

(ダ・ビンチ・コード映画化)

2004年夏にMuBlogに触発されて”ダ・ビンチ・コード”を読んだ、そして感動してフランスにいる娘に本二冊を航空便で送付してあげた。それから、二年の歳月が過ぎ映画が封切られたそうである。

メデイアの報道によればカンヌ映画祭では散々な評価だと伝え聞く。神として崇められ約二千年が経過したこの時期に覆すのは不可能なんだろうと思う。宗教という世界は理屈では説得できないものだろうと思う。

しかし、民放テレビでダ・ビンチ・コードの特番が二時間放映され忘れていた本の中身が蘇る事となった。こんなにミステリー小説の中身をテレビで放映していいのか?Muの旦那には怒られそうな気がしたが、ま、映画と小説の両者の合意は勿論取得済みなのだろう。

テレビで新たに、驚愕したのは”最後の晩餐”のダ・ビンチの絵である。修復され綺麗に昔の色彩と絵が浮かび上がると確かに、イエスの向かって左の弟子は女性に見える。これは、説得力があると感じた。

さて、日本でのこの映画の評判はどうなんだろうか?本は大層面白い作品であったと思うが。

(昔の山の仲間消息)

同期の阿知羅君は又、関西方面のロジステイックス会社の社長になったようだ。メールで激励すると65歳までは現役でやりたいと言う、元気だ。ポンちゃんは毎年シルクロードへの旅とヒマラヤに出掛けている様子である。

ホンマ我々の世代は60歳になれど、元気なものだ、安心した。そこで、私も明日は発掘作業をして明後日からは上高地に入る。そこで二泊する予定であり天気も良さそうだ。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(10)

今日は遺跡全体と取り巻く環境をセスナ機から撮影するという。従い、午前中は遺跡のジョレンがけ(表面を削る、清掃する)作業で半日過ごした。全員で午前中必要とした。

凄い労力をかけて撮影なのだ。お昼の12時30分に飛行して来るというので、午前の休みは抜きで働いた。

_935 _936 どないですか?綺麗なもんでしょう?ホンマ感心するほど綺麗になるんです。

奥に写る地層が大層重要なんだそうです。科学的に発掘しているそうなので、地層が乱れていない事を確認しながら遺物を担保する訳ですね。

_937 _938 遺跡全体は10区に分かれています。左の写真は2区であり、右は1区の写真です。

写真の奥あたりに黒曜石、水晶、縄文土器破片、等々の遺物が纏まって発掘されています。

まだまだ、これで、3層のレベルですからまだまだ掘り下げて行きます。基本的には10層まで掘り下げる予定です。

_939 (自作弁当)

毎日、弁当とお茶はペットボトル3本に麦茶+ウーロン茶を持参する。今日の弁当は自分が製作し詰め込んだ。

牛肉とウインナーの甘辛煮。鶏肉と筍、ゴボウ、椎茸、ジャガ、新タマネギの煮物。玉子焼き。昆布の佃煮と黒豆、梅干は市販もの。茄子の焼き物に生姜ピリリは自作です。

梅干は熊取の姉が送ってくれた、和歌山の田舎梅特製。

ホンマ昼飯が肉体労働のあとには、どれだけ美味しいと感じるか!毎日昼飯が楽しみなのだ。

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五人の会合 築地界隈

昨夕から築地の某所にて5人で会合があった。

黒幕:大島さん 指令参謀:会沢さん 行動隊隊員:オホーツクの哲 渥美半島の藤城 北河内のjo 以上である。

多分、この謀議はこの先数年後に記念の会合として歴史に残るかも知れない。(笑)

大事な謀議中に携帯電話がなり、一時会議は中断する。電話の相手は、わこちゃんである。現在秋葉を徘徊中だという、エンルートの店の所在が判らんという。ホンマ勘弁して欲しいのだ、現在、大事な密談中である。

しょうがないので、道順を教える。どうも、彼は最新の電動機への設備投資を考えているようだ。ブラシレスモータとリチューム・ポリマー電池とアンプの進化と低価格化は激しいのだ。

さて、謀議が進むが膨大な英文の資料は黒幕の大島親分が自らコピー機の操作をされている。気の利かない行動隊の隊員である。しかし、哲ちゃんはちゃんと、茶うけの菓子として私の大好きなシュークリームを持参して来た。

私は醤油ダンゴを持参した、未だ、未熟の渥美半島の藤やんは手ぶらで参加であった。これも将来歴史になるかも知れないので、記述しておく。

謀議の内容はヒミツであるが、東アジアの国々との共存平和に関する具体的行動である。21世紀はアジアが巨大な力を持つ時代が来る。日本、中国、インド、ベトナム、韓国、タイ、その他アジア諸国である。

石油はいずれ枯渇するであろうから、東アジアの中国とインドは大きな経済力を持つ事になる。EUキリスト教経済防衛圏と米国アメリカ大陸キリスト教経済防衛圏とこの東アジアのヒンズー・仏教・儒教経済圏は鼎立する事になる。

これは、紛れも無い事実になるであろうと想定できる。そこで、日本のビジョンである。今後数年間はGDPで世界第二位は米国の傘の元で可能だろうが、さて、中国、インドの経済成長率から考えて彼らの経済成長の圏内で活躍出来ねば将来は無い。

(アジアと日本の歴史)

先日、地味なテレビ番組で明治以降の日本とアジアの諸国との関係について報道されていた。明治維新と日露戦争まではアジアの人々を勇気ずけ、黄色人種が白人の帝国主義に勝利したと称えた。自分達の理想は日本にあると考え、多くの優秀な若い人材は日本に留学した。

しかし、日本政府は第二次日英同盟を締結しアジア諸国を裏切る行為にでたとテレビでは解説していた。結局は日本は欧米帝国主義の仲間に入ったのだ。英国のアジアでの権益を認める代わりに日本の権益も認めよという按配である。

ここから、日本はアジア諸国を敵にまわしたのだ。さて、現在の政治状況はこの歴史に照らしてどうなんでしょうかね?

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古代の土木建築集団

先日、宇治の姉夫婦の家に寄宿させて頂いていた。何時も私が泊めていただく部屋には本棚があり義兄の父が生前に読まれていた古代史に関する書籍が山のようにある。

今回は、直木幸次郎著”日本古代の氏族と天皇”という学術書があり面白いので二晩、半分程度は読む事が出来た。古代史の専門家でもない人が読む本ではないのでしょうが、実に面白い本でした。

その中で、土師氏(はじし)に関する研究は大変面白いと思う。一度はちゃんとこの本で書かれた内容についてメモを書きたいと思う。

(何故面白いか?)

現在私は遺跡の発掘現場で働いているが、建設現場でもあります。多くの労働者が集まり土と格闘しています。これだけ多くの肉体労働者を抱えた集団は古代ではどんな職業があったのだろうか?と考えた。商品経済が成立する以前では運送業も未だ発達していないと思う。勿論、中世になり商品経済が活発になれば楠木正成のような運送業・流通業の集団がうまれるであろうが、古代では無い。

そこで、巨大な古墳を建造する専門家集団、今で言えば大手ゼネコンの元祖のような職業集団が思いついた。それは、出雲族の系統である土師氏である。彼らは埴輪の製造とか葬送儀礼を取り扱いそして、巨大な古墳を建造した。

多分に土木工事を行うには土木工学の高度な技術と知恵が必要であり、鉄器に関する製造能力もかなり持っていたはずである。そして、多くの労働者を抱え現場を統括しているのだ。これは、何時でも戦争が出来る集団ではないのだろうか?

垂仁天皇の時代から殉死は禁じられ埴輪が登場したと記紀は述べる。土師氏の活躍の時期と合致するのだ。私は、戦闘集団を何時でも発動できる体制としてはこの土師氏のような職業集団が大王の武力を支えたのではないか?と、思うようになりました。

日頃は建設現場は巨大古墳の建造であるが、いざ、戦闘というとこの労働者の集団が手に持つものが武器に変わり、戦闘をしたのではないだろうか?

古墳時代以前においては、我が祖国は縄文時代より海洋貿易(略奪を含む)の倭人の時代でした。船団を組み荒くれ男達が手に武器を持ち交易をした。この連中は戦闘集団でもありますから、最大の武力集団であったんでしょうね。

歴史をこのように解釈すると又、面白いものが見えてくるかも知れませんね。あくまで仮説ですが、想像するのは自由ですから面白いです。古墳の建造が禁止というか廃れるのは、仏教寺院の建造がきっかけといいます。飛鳥時代からは又、異なる連中が武力集団になったんでしょうね。

 

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上高地は今

上高地が懐かしいですね、来週ちょいと出かけ、上高地で二泊する事にした。

上高地散策地図

地図を眺めて下さい、上高地に入るルートは二箇所知っています。普通の観光客が入るルートとしてポピュラーなのが、一番南部の釜トンネルを抜けて大正池近辺に入るルートですね。

山登りの経験者ならば徳本峠(とくごうとうげ)を越えて明神に入るルートですね。このルートの面白さは汗をかいて約二千メータの徳本峠にたどり着くと、眼前に上高地の絶景が開ける醍醐味なんですね。これが、山の仲間では伝説になっています。(笑)

学生時代には徳本峠越えを何回かやりました。上高地に下らずにそのまま蝶ガ岳経由で槍ガ岳に稜線を歩くルートも景色が素晴らしいですね。槍ガ岳を経由して雲の平に向かう稜線の縦走は楽しいです。

何度か記事で書きましたが、上高地とヨセミテはよく似た地形で雰囲気が同じような気がしますね。ただ、ヨセミテはスケールが数倍大きいですがね。雰囲気は同じです。

近いうちに宿泊しょうと思うのは河童橋近くのロッジです。本当は私の姉(熊取在住)のように帝国ホテルに宿泊したいが、軍資金が足りないのだ。(笑)学生時代にはテント生活でしたから、ロッジに宿泊出来るだけで出世したものだと考えている。(笑)

上高地 帝国ホテル

施設概要 赤い三角屋根

(河童橋界隈)

河童橋ライブカメラ

上高地公式サイト

上高地と言えば河童橋が有名です。別に河童をみかけた記憶は有りませんが、昔からこの名前ですね。ここから涸沢カールへ数時間かけて登れば槍ガ岳が眺望できます。

穂高連峰、焼岳、と眺望素晴らしく清らかな梓川のほとりを歩くのは本当に生きていて良かったと思えますよ。

雨上がりの大正池

河童橋

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この世は狭いですね~~?

先日仕事の件で京都に帰省していたが、ある人々と会合を持つ事であった。東京からは昔オーストラリアで一緒に仕事をした水戸藩の学問所(弘道館)の後胤の会沢さんが駆けつけるので、京都駅中央口の近くのカフェでビールを飲んでいた。

暇なので、Muの旦那に電話するとゼミの最中の模様である、学生に取り囲まれている様子でした。

お会いした人の中に、何と、Muさんの大昔の同僚がおられたのです。数年前になくなられた原田先生とも旧知だそうだ。宴会は盛り上がり、二次会、三次会となった。

京都の営業の部長さんは、おまけに私の学部の後輩と来たもんだ。ホンマ不思議な出会いに遭遇し夜遅くまで酒盃を傾けていた。

人間60年近く生きていると、色んな出会いがあるもんなんですね?

MuBlogにてお会いした人 原田先生の後ろに立つ人

ふうてんさんのお陰で昔、Muさんと出会え、又、原田先生とも出会えた。そして、又、今回もその人の環で出会う事が出来ました。

追記

(故)原田先生は昔東京の工業高校在籍時、何とわが赤とんぼの大岩先輩と同じクラスのワルだったそうです。(笑)

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雨では仕事にならん

天候に左右される職業というのは沢山あるんでしょうね?たまたま、現在遺跡の発掘の仕事をしていますが、雨では仕事が出来ません。これから、日本は梅雨を迎えますが、心配ですね。

しかし、この梅雨のお陰で田畑は力を貰い秋の実りに向かい植物の生命は育まれる訳ですよね。現場は困るけど、恵みの雨は日本列島に幸せを与えてくれるんですよね。

今日は、午後、雨になり作業は中断したので、休みです。そこで、最近の四方山話をしたい。

(久保が外れる)

私は久保が好きなのだ、あの、言葉を殆ど話さない原始人のような戦士はどこか惹かれる存在でした。ただ、相手ゴールにボールを蹴り込む男は昔から気になっていた。そして、彼は殆どまともなインタビューに答えた記憶が無い。

そんな、彼には特別に興味を抱いていた。しかし、我々には知らない体調の問題が存在したんでしょうか?ドイツW杯のメンバから外れていた。2002年の時は俊輔に涙したが、今回は又、悲しい人がでてしまった。

久保は、外れたインタビューでは真面目に答えていた、仲間を応援する言葉であった。どれほど、ドイツに行きたかったか?涙を見せない男の姿がそこにあった。

(憲法九条について)

Blogでは政治的発言をしない事にして記事を書いてきた。しかし、最近の米軍再編問題では将来の日本についてとても気になるので書かねばならない。

先日、京都に帰省し義兄と宇治十帖の世界を散策していたが、彼がひょっと漏らした言葉があった。”日本は憲法九条でどれだけ助かったか!”という言葉である。

彼は、京都大学の法学部出身であり長く官僚の道を歩いた人物です。意外な言葉に驚いた。引退した年寄りには未来の若者の世界がとても心配なのだ。朝鮮動乱、ベトナム戦争、湾岸戦争、と世界は戦火にまみれた。ベトナム戦争ではどれだけの韓国の兵士が死んだか!

ロスに行けば判るが、ベトナム戦争の終結後に米国は韓国の為にサンタモニカに行く道筋に場所を割譲したと聞く。サンノゼに住んでいたが、ベトナムの人々を米国は受け入れた。米国の大義の戦争に巻き込まれた国の当時の姿である。

日本に米国の陸軍の指令部が来ると言う、これは植民地ではないのか?と、思うが私だけの懸念でしょうかね?何故、もっとアジアの一員として日本は針路を示さないのだろうか?と思いますね。別に、私は社会党では無いし、自民党でも民社党でもない勿論共産党でもない。

国際間の紛争を武力で解決しないという日本の憲法は素晴らしいと今でも思う。日米安保は重要である事も重々承知であるが、米国の僕になる事ではない。我々は恐れ多くも海に囲まれたヤマトの国である。自分のことは自分で決めるべきである。

一部では、中国を仮想敵国という人がいるが、漢民族は長い歴史で日本を攻めてきた事がありますか?モンゴル帝国は攻めてきた、けど、あれは漢民族ではない。

津々浦々連合で仲良く暮らす世界を何故、今、政治が出来ないのだろうか?そんなに、経済大国を維持するのに米国に隷属する必要があるんだろうか?石油がそんなに大事なのか?新しいエネルギーを頭の良い日本の若者は必ず発明してくれるかも知れない。

日本が将来戦火の地に若者が銃を持ち出かける事だけは、して欲しくないと歳がとればとるだけ強く思う。そんな事をさせない政治が必要だと思います。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(9)

5月1日に遺跡発掘作業をして、2日は雨で休みで、連休。そして、京都に事情で帰省していましたので、久しぶりの現場復帰である。発掘仲間は皆さん元気にしておられました。

今日からは、縄文層の掘削ですが、早くも私は黒曜石の破片を見つけました。

_926 _927 三層を掘削し、四層の頭出し作業ですね。この黒曜石は色が黒いので、箱根方面の黒曜石だそうです。一緒に作業を指導してくれている”髭の喫茶店のマスター”は先に黒曜石を見つけました。

右の写真でビニール袋に黒曜石は格納して現場に保存します。割れた石の破片も多数出土しました。その度に土柱を作る必要が有り作業は大変なんですね。

と、自慢してると何と、私と同じく新人の相棒の元銀行員のおじさんも黒曜石を見つけました。

_929 _930 小林さん、小さい黒曜石だけど、私と同様で初めての記念すべき日になりましたね!嬉しそうな顔ですね。

縄文時代に人が箱根から運ばれた黒曜石を加工した破片か何かでしょうね。明らかに、これで、縄文時代の人が触った石で現代が繋がりました。これは、夢でしょうね。

何と、又、小林さんの大きな声が聞こえました。でかい、黒曜石を又、発掘したのだ。

_931 _932 毎日、深大寺から自転車で通勤してる考古学爺さんの在田(ありた)さんと、ともに喜ぶ姿です。

わりと大きな黒曜石でしたね。先ほど発掘された石と同じものかもしれません。すぐ側で見つかりましたからね。

今日は久しぶりの発掘作業でしたが、初めて黒曜石を相棒の小林さんと二人が発掘出来たのは大きな喜びでした。

_928 _933 参考に私が留守中に発掘された、黒曜石のナイフと遺物群の土柱です。水晶もかなり出ました。

さて、明日は何が見つかるでしょうか?四層の表面は、かなり期待できます。しかし、今日は疲れた!

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宇治上神社界隈

三室戸寺の参拝を終わりのんびりと源氏物語ミュージアムに向かった。山から下る散策ですから20分程度歩いても気にならない散策です。

ミュージアムでは映画”浮舟”を観賞しましたが、人形を使う幻想的で悲劇的な浮舟の物語が語られていた。瀬戸内寂聴さんのプロヂュースだそうですね、原稿用紙4千枚の源氏の元原稿が展示されていました。

(宇治上神社)

_916 _917 宇治上神社はMuBlogで詳しく記事がありましたね?世界遺産です。写真は拝殿ですが、前の清めの砂は神の依代だそうです。料亭の玄関にある清めの塩と同じなんでしょうか?

余談ですが、確か清めの塩は昔、高貴な人が牛車で通過するときに牛が塩に惹きつかれ立ち止まるので、客を呼べる方法として定着したという、話を聴きましたね。商売繁盛の呪いですが、平安時代は旦那を待つ女性の知恵だったんでしょうね。(笑)

_918 _919 神社の大きな”けやき”の木と”桐原水”(宇治七名水)です。今は飲んではいけませんと、注意書きがありました。昔は、名水だったんでしょうね。

私も手で水を汲みましたが澄んだ水でした。

_921 _922 本殿、国宝です。覆屋の中に神社が三個あります。真ん中が応神大王、右が兎道稚郎子(うじのわけいらっこ)=宇治天皇、左が仁徳大王です。

応神大王は弟の兎道稚郎子を可愛がり、大王を継がしたかったそうですね。歴史は仁徳さんの兄が継いだ事になっているが、実は、大王になり宇治天皇と呼ばれた説があります。結果は悲劇が待っていました。

_923 _924 早蕨(さわらび)の記念碑と宇治橋ですね。

宇治十帖の世界の一部を満喫して、橋の袂の茶屋でニシン蕎麦(茶蕎麦)をご馳走になりました。

幸いに天気が崩れずに、折りたたみ傘は不要でしたが、楽しい散策でした。

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三室戸寺(みむろとじ)を訪ねる

仕事の関係もあり宇治の姉夫婦の家に寄宿していた。打合せが夜なので、昼間は暇だったので、姉の旦那さんの案内で二人で三室戸寺を訪問する事になった。姉はリハビリで温水プールに出かけており暇な二人が出かける事になった。

地図参考

御蔵山から片手に折りたたみの傘を持ち、老人と初老の二人が源氏物語のゆかりを歩く旅にでた。京阪六地蔵駅迄歩き電車で三室戸寺駅で下車、15分程度歩いてお寺に到着した。

_897 _898 姉が言うには昔は拝観料が必要なく、気軽に浮き舟の碑を訪ねる事が出来たそうだ。今は、アジサイ、つつじ、シャクナゲと植樹され拝観料500円が必要だ。

しかし、三室戸寺とは妙な名前である。私の勝手な想像ではここに室(むろ)が三箇所あり氷なのか、食料貯蔵庫か、発酵場所か判らんがそんなもんが存在したのではないでしょうか?多分に藤原氏関連の施設が多いので、ヒョットすると平安時代に紫式部はここの室から上納された氷で真夏は手足を冷やしたかも知れませんね?

_900 _901 まだアジサイは咲いていませんでしたが、シャクナゲとつつじは最盛期でした。

山奥にあるので、結構登り道なのでハイヒールでは難しいでしょうね?けど、健康には良さそうな散策になります。

_902 _903 _904 _905 西国十番札所であるそうですね。

(縁起は?)

約1200年前の(宝亀元年)光仁天皇の勅願により三室戸寺の置く、岩渕より出現された千手観世音菩薩を本尊として創建されたそうです。

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それぞれの旅立ち

連日、昔の仲間との会合が続いています。そして、彼らの第二の旅立ちを祝福する会合になっている。

(二人の若者の旅立ち)

二人の若者は昔同じ職場にいました、大学は違うが院生時代から存じていて私の職場に来てもらった二人でした。一人は、今度アメリカに渡るというし、一人は外資系のコンサルファームに転進する。

今の時代は終身雇用の時代でもないし、多分、私が彼らと同じ立場なら転進したであろうと考えて彼らの新たな船出を祝福した。まだ若いし、これからも新しい世界に挑戦して切磋琢磨をしてもらいたい。

昔の私がお世話になった会社では、色んな新しい世界に挑戦する機会を与えてもらったが、そのような機会を与えてもらえない職場なら、自己防衛で自らが新しい世界に飛び込むしかない。少し、寂しい気持ちもあるが、しょうがない世の中である。

(先輩の旅立ち)

入社した時に同じ職場で世話になった先輩も、今度、新たな旅立ちをされるそうだ。昨夜は37年前に同じ職場で戦った4名が大先輩の奢りで寿司屋に集まった。皆さん、社長をしているが旅立ちの彼を祝福した。

彼の思い出は忘れもしない、入社した年の年末に京都に遊びに行くとおっしゃるので一緒に京都まで旅をした。(私は帰省)

しかし、彼(先輩)は何処にも行かず遂に私の実家迄付いてきて私の家を旅館がわりにした。母は驚いて、会社の先輩が来るなら事前にちゃんと連絡しなさいと叱られた思い出がある。

そんな、面白い先輩ともその後37年間も職場が離れても酒場を一緒に渡り歩く関係が続いた。長く教育関連の仕事をされ、グローバルに活躍されていた。今度の旅立ちもアジアの諸国との関連のおしごとのようでこれからも私は彼と関係が続きそうだ。

(しばし帰省する)

今日からしばし帰省することにした。仕事の関係で京都に用事がある事と何か一人旅をしたい気持ちになった。私も彼らと同じく新しい世界に挑戦するにあたり何か区切りをつけたいのではないかと心を分析する。(笑)

何か区切りの時は人間は故郷に帰るもんだろうか?新幹線は止めて、出来れば鈍行の列車でのんびりと東海道を満喫したいものだ。

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古代の治水は?

遺跡の発掘現場を少し経験した訳ですが、土嚢(布の袋に土を詰めたもの)について特に興味を持ちました。

(土嚢は便利である)

遺跡を保護する為にビニールシートを被せるが、その隅に土嚢を載せてシートが飛ばないようにする。掘り進んだ遺跡に雨水が入り込まないように水の流入経路に土嚢を積む。穴を深く掘ると、出入りの階段として土嚢を穴の中に積む。掘削した土を保護する為にシートを毎日、作業が終わるとシート被せその上の土嚢を積む。

土木工学には、ずぶの素人である私には万能の土嚢に驚いてしまった。そういえば、風水害が起こるとテレビの画面には何時も土嚢を積み上げる映像が映し出されていましたね。土木技術にとり土嚢は基本中の基本なんだろうか?

国土交通省の資料によると、二人で一日かかり出来る土嚢の数は100個が単価だそうだ。一人が袋を開き手に持ち、もう一人が土を入れる。大層コストがかかる話である。

(袋の素材は?)

話は古代に飛ぶが、さてこの袋は何で製作していたんだろうか?と疑問が浮かんだ。飛鳥川、大和川、鴨川、宇治川、木津川、淀川を制御するのに土嚢の袋は何で製作したのか?と、思います。魏志倭人伝によれば、倭人は貫頭衣を着ていたと書いてあり、多分に麻の布は存在した。

しかし、そんなに土嚢に使うほど多量には存在しないでしょうね。そこで、治水は何故必要か?と考えました。それは、稲作ではないだろうか?湿地帯を開墾し稲田を作るには治水が必要になる。住居は丘の高台に作れば良い。

稲作であれば、藁が無尽蔵近く手に入るので、俵を使い土嚢にしたのではないか?と推測できますね。我が祖国の治水は稲田を作るために稲の藁を使い治水が始まったのではないか?と推論を進めました。(笑)

(治水の元祖は中国らしい?)

中国には巨大な河川が二つある、黄河と長江ですね。現在の中国史では黄河文明に光が当たっており詳しく歴史が語られている。尭、舜のあとを継いで夏王朝を開闢した兎(う)は治水の天才と伝えられていますね。

確か頑強な堤防を築く時に柳の木の枝を層にして土が逃げないようにしたと言う話を聴きましたね。今でも、川のほとりに柳の木を植えるのは決壊した時に柳を使う為だそうです。幽霊の為でもなく、カエルが飛びつく為でもないのですね。(笑)

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プラネットアース

昨夜から5年の歳月をかけて英国BBC放送とNHKが共同で製作した自然に関する番組がスタートした。NHKは最近の新シルクロードの番組ではモータパラグライダーを駆使した映像を目玉にしていたが、今度はヘリからの映像である。

NHKプラネットアースWeb 番組予告動画を参考にして下さい。

解説では、ヘリの振動を吸収する特殊な装置にカメラを収納してブレ無い映像が撮れるそうだ。巨大な望遠レンズを搭載して遠隔から地上の動物の動きを撮影していましたね。

迫力ある場面としてアフリカの狼”リカオン”の集団が”インパラ”を襲撃する場面でした。集団で狩りをする場面が克明に空中から撮影されていた。先ず二手に別れ包み込むように集団で狩りをする。

人間も同じように集団でマンモスを狩猟したそうだ、そして言語を発達させたと何処かで読んだ。しかし、リカオンは人間のようには複雑な言語を発達させるまでは進化しなかった。何故だろうか?なんて、考えながら観ていた。リカオンは狼だから、犬の先祖ですよね、狩猟で犬を集団で人間は利用するが先祖の血が受け継がれているんでしょうね?

面白いのは、インパラは川に逃げ込んだが、リカオンは泳げないのですね?岸でインパラが疲れて岸に戻るのを待ち構えていました。犬は犬掻きで泳げんるんだけどな~~?と、不思議でしたね。(笑)

泳ぎといえば、アフリカ象がオカバンゴの湿地帯の池で泳ぐ姿が水中から撮影していました。見事な映像でしたが、危険な撮影であったと思います。命がけの撮影の苦労をかいまみました。

泳ぎのついでに、ホオジロサメがオットセイを捕獲する場面は迫力満点です、海面から数メータも巨体を大ジャンプしている。高速度カメラを駆使してスローで観る事ができました。

(四季の植物の変化)

半年、一年とかけて同じ風景を季節が変わる模様をまるでCGのように観れました。青から紅葉してゆく森の姿、そして、山桜が開花してゆく姿が綺麗に眺める事が出来た。これは、解説では同じ場所にカメラをセットしてコンピュータで撮影角度・方向を記憶させ半年、一年をかけて撮影したそうだ。

1990年の初期の頃に仕事でNHKさんとBBCさんとはお付き合いをした。英国のBBCさんには何回かNHKさんと訪問しました。自然のドキュメンタリー番組に関しては歴史を持つ放送局です。こだわり方が違いますね、民放では出来ない番組を制作する事が出来る。

さて、しばらく連日放映されますので、是非、暇な人は観て下さい。別に私はNHKとBBCの回し者では有りません。

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連休も今日で終わりだそうだ

何もせず、ただ寝床で臥していた連休であった。このような、連休は初めての経験である。しかし、blog仲間とか友人とかが色んな場所に出かけて、その報告がある。

自分が出かけなくても、各地の連休の様子が判り、それはそれで楽しいものですね。ある友人は足利の有名な”藤”とか、館林の”白藤”の動画を携帯からパソコンに送付してくれたりしてくれた。娘は鎌倉から様子を携帯で写真をメールしてくれた。

昔は考えられない便利な時代になりましたね?リアルタイムで情景が共有できるわけですからね。インターネットと携帯電話とデジカメのお陰ですね。

(友人夫婦がアルゼンチンから帰国)

同期入社の池田さん御夫婦が、シニアボランテイアでアルゼンチンのブエノスアイレスに赴任されていたが、帰国されたようだ。帰国の挨拶の葉書が届いた。確か、2年前に出かけられたのではないだろうか?

葉書では、言葉の問題と生活習慣の違いから当初は戸惑いがあったそうだが、新しい世界を見たり、現地の人との交流を深めたりして貴重な体験をしたそうだ。これからの人生への新たなる活力を得たという素晴らしいメッセージでしたね。

私の同期の人々は多くが第二の人生に旅立たれようとしていますね。人それぞれの人生観があるので、是非、皆さんの希望に添えるような世界に飛び込まれる事を期待しています。

(宇治から新茶が到着)

宇治に在住の姉夫婦から毎年、新茶を頂いている。昨日一人で床に臥していると、宅配便屋さんが届けてくれた。八十八夜の季節感と故郷の香りを届けて頂くのはとても嬉しいものですね。急いで、お礼の電話をするとご主人が出てきて、姉は”俳句の会”に出かけて留守だと伝えられた。

今週中ごろには所用が有り、京都に出かける予定ですが姉のお家で泊めて頂く予定です。旦那さんも高齢ではあるが、何時も私が泊まりに行くと歓迎して頂いている。

さて、今週は毎夜宴会が続く予定ですが、今日中に体力を回復しておかないといけませんね。

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静養の連休なり

体調がすぐれずに休養の連休となった。別にヨイトマケで疲れた訳ではないが、急激な生活の変化が起こると時折こうなる。二日間随分と睡眠をとった。

家族には申し訳ないけど、鎌倉へのハイキングは断念した。話では、電車が凄い混みようだそうだ、皆さん出掛けておられるんですね。私は、一人で布団に入り惰眠を貪っていた。

体調が悪い時は”カリアゲ君”とか”コボちゃん”、”おとぼけ課長”の漫画を読みながら静養するのが良い。と言いつつ、昔読んだ井沢元彦さんの”歴史謎物語”を読み直した。

特に柿本人麻呂さんに関する、梅原猛さんに関する学会の反応に対する彼の疑問は私も同じだ。”水底の歌”に関する学会の反応に対して彼は疑問を持っていますね。

しかし、万葉集の研究家である、中西進先生は人麻呂刑死説には賛成されているそうだ。それで、学会から批判されているという。中西進先生は梅原さんの説を全て賛成してる訳ではない、ただ、刑死説は有りえると賛同しただけだ。

梅原説のサルという名前に変更させられた説は、現状では難しいかもしれない。続日本紀に”柿本朝臣佐留卒”という記事があるので、もし、人麻呂が人権を回復していれば本名で書かれた筈である。

サルというのは、梅原さんが考えたような”恥ずかしい”名前ではなくて人麻呂の本名であった可能性は高いと私も思う。当時は三位以上はコウ、五位以上は卒、六位以下は死と表記されるそうだが、万葉集では死という言葉がつかわれている。

しかし、古今集序文の紀貫之の文では人麻呂は正三位と書かれている。ここに人麻呂の立場が古来紛糾していた、江戸時代から現在も人麻呂は六位以下という説が主流らしい。しかし、そんな低いくらいの人がどうして持統天皇、文武天皇の宮廷歌人として活躍出来たか?無理筋だと思う。

私は、人麻呂は本名がサル(佐留)といい、死後に復権して三位を与えられたと考えるのが無理の無い筋ではないかと思いますね。

いずれにせよ、歌聖と言われた人麻呂さんは千年近く歴史が経過しても話題になる、あの世では笑っておられるんでしょうね。馬鹿な連中が未だ私の事を詮索しとる!と、ね。

しかし、人麻呂さんの長歌は迫力が有りますね。高市皇子の挽歌は素晴らしいと思いますね。確かに、人麻呂さんの凄いのは長歌に有るかも知れませんね。

壬申の乱では一番活躍された皇子ですが、母の身分が低いが為に出世は出来なかった。人麻呂はんはよく人物をみていたんですね!本当は天武さんの次は高市皇子が大王を継いでおかしくなかった。

寝床で昼間から臥せていると、ついつい人麻呂さんを応援したくなりますね。(笑)

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海外在住女性のレポート

ミサヨが二回目の記事を Fe-MAILに投稿したようですね。

ブルゴーニュ・レポート ミサヨ記事

ミサヨの案内するブルゴーニュ(一度、フランスの田舎を経験しますか?)

彼女は一応アーテイストとして日本の企業を中心にイラストを描く仕事をしているようですが、詳細は知りません。最近は仕事も軌道に乗っているようです。インターネットのお陰で外国に住んでいても仕事が出来るんですね。素晴らしいと思います。

昔は考えられない時代になったもんです。それでも、年に一度は帰国してお客さんと打合せをしてるようです。日本の若い女性がグローバルに仕事をする時代が本当に実現しているんですね?

さて、日本は連休ですが、私は何も予定が無いので、暇にしています、しばしの休養というところです。次女の車のバッテリーが駄目になり、昨日は私のラジコン用のバッテリーを繋いでエンジン始動を試みたが、駄目でした。

カッチンの出動を待つか、新しいバッテリーを購入して再度トライするか?そんな按配です。

ところで、昨日、孫が早めの母の日のケーキを作りました。(字を書いただけ)

_895 ”かっか”とは私の家内の事です。おばあちゃんとは呼ばせないんですね。孫はいつも、”かっか”と呼んでいます。

さて、連休どうするかですね。昨日は大工センターと100円ショップに連れて行きました。(笑)

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ラジコン飛行機とご無沙汰

3月末の冬合宿以来、ラジコン飛行機を飛ばしてもいないし、製作もしていない。ご無沙汰である。先週末の日曜に千葉遠征が企画していたが、わこちゃんの都合がつかずにキャンセルになった。

私も遺跡の発掘現場が忙しくて、飛ばす暇が無かった。毎日の肉体労働で疲れるので、自宅で製作する気力もでないのが現状である。時折、飛行機のメンテは行いエンジン回りの整備とか電池関連のチェックはしている。

さて昨年の連休はどうしていたのか?

2005年5月3日 一人で千葉に行く

一人で飛行機を担いで、電車で千葉の八千代まで出かけて”フラミンゴ”の初飛行をさせていたんですね。そして、墜落させて壊していた。

2005年5月4日 フラミンゴの大改造

重心位置が前過ぎてバッテリーを後方胴体下部に移す改造をしていました。早速、改造作業をしていたんですね。

2005年5月5日 千葉飛行会

改造したフラミンゴとバレリーナを千葉で飛ばしていたんですね。連休の三が日は全部、飛行機関連で遊んでいたんですね。

さて、今年はどうするか?もう3日である、そろそろ鶴見川にでも行き、飛行機を飛ばしましょう!さて、あてのない連休はどうなるのか?

_891 あかん、工事中ダス。(涙)

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これからの人生について

一部の人には内示を受けた時にご相談をしましたが、私はどうやらこの夏からアジアの某国に赴任する事になりそうです。

3月に先輩の大島さんと後輩の会沢君からお話があり、関係者とご相談申し上げていました。私は、4月以降の第二の人生は趣味と自分の会社で好きなことをやる考えでしたが、素晴らしいご提案でしたので、お受けする事にしました。

実業界からは離れる事になりますが、今度は今までの自分の経験を若者達に伝える仕事をする事になります。しかも、日本ではなくてアジアの学生達に将来のアジアの発展と戦争の無い世界を目指した優しい国と国の関係を築いて頂く、少しのお手伝いです。

教育の分野は素人ですので、先輩諸氏から教えて頂く積もりですが、私なりの独自の世界を構築したいと考えています。年間120名の学科ですが10年すれば1200名の卒業生が巣立つ事になりその国のリーダとして活躍して貰えると考えています。

私は5年間やるつもりですが、600名の学生と接する事が出来る事になりますね。そして、ラジコンクラブを大学に創設して仲間を更に、広める積もりです。一応、工科系ですので飛行機のメカの修理は勉強になると思うのですね。(笑)

日本の大学、二校と産業界から二社が協業し某国の国立大学と学位の共通化を進める新しい試みなのですね。今の日本の大学も改革に真剣に取り組んでおられます、これからのグローバルな時代に生き残る若者を育てる高等教育が模索されているのですね。

私は以前、今後の日本の戦略として”津々浦々連合経済国家”を提唱しました、まさに今回のお話はそれに沿う話であると考えております。

今の日本の政治ではアジア戦略があまり見えて来ないと思っていました、近隣諸国の人々とちゃんと尊敬される付き合いが不十分ではないでしょうか?私は最適とは思いませんが、日本の歴史とアジアの少しは歴史を理解してる積もりですし、過去を踏まえ将来のアジアの世界を考えたいと思います。

波乱のjo君の人生は還暦を迎える歳になっても波乱が続くようですが、私は有り難い天の啓示と受け止め新たな挑戦の世界に飛び込みたいと思います。夏までには正式なことも決まり赴任しますが、blogは続けますので、宜しくお願いします。ただ、私の立場は国の公の立場になりますので、jo君という個人的な人格だけで、運営させていただきます。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(8)

いや~昨日 5月1日は暑かった!予報では28度でしたが、遺跡発掘現場ではそれ以上に感じた。毎日、夜にやかん一杯に水を入れ、沸騰させて麦茶と娘が以前に購入してくれていた、ウーロン茶を入れjoスペシャル茶を作る。

500ミリペットボトル2本に特製茶を入れてリュックに入れて、着替えと弁当と一緒に持っていっている。昨日はこの茶は午前中で無くなり、新たに2本飲んだので2リットルは飲んだ勘定である。

_890 あまりに暑いので、土柱が乾燥して崩壊する可能性があるので、発掘遺跡に水も撒くのだ。全景写真を撮影する場合も全員で鋤簾で再度清掃して水を撒き撮影するのだ。

撮影は、櫓を組んで高い位置から撮影する、光学カメラとデジタルカメラの二種類で撮影するそうです。

_887 現場で一番偉い人が櫓に昇り撮影しています。今日の午前中は一部の発掘地域の撮影の為に全員42名で鋤簾清掃をした。

発掘という作業は本当に人手と時間とがかかるものですね。この撮影地域は未だ縄文層なので、まだまだ掘り下げてゆくので、時間がかかる。基本的にはⅩ層(3万5千年前の地層 関東地域では今までの研究成果でⅩ層までが全て定義されているそうだ。しかし、昨日の元銀行員の方の話ではⅧ層は存在しない。)

昔、ある学者がⅧ層を定義したが、一部の地域の特性であるらしく全ての関東の土質調査の結果と照らし合わせ、認められなくⅧ層は幻となって欠番である。だから、関東地域の地層はⅦ層の次はⅨ層なのだそうだ。

_888 一緒に塹壕を掘り始めた同僚の二日目の成果です。3スコまで3メータ四方の塹壕を堀りました。ご苦労さんですね!これで、体重が4キロ痩せたそうですが、実は私も74キロが70キロに体重が減り、おなかも気持ちへこみました。(笑)

_889 jo君の活躍風景ダス。同僚が撮影してくれました。何時もは作業服を着ていますが洗濯して乾かないので、今日はTシャツでやりました。手袋は今迄軍手をしていたが、土が爪の間に入り真っ黒になるのでラジコンで使用している皮の手袋に変更しました。

夜に遂に左足のくるぶしが痛みを覚えるようになり、消炎剤を塗りました。

ところで、昨日は何時も大倉山駅から出かける同僚の福島出身のオジサンが午後に倒れてしまい、現場の飯場で氷枕で寝てしまいました。体調不良の様子で、折りしも熱射で倒れてしまったようです。何ともなければいいのですがね。心配です。

(髭のマスター)

背が高くて無口なダンデイーな髭のマスターが私の教育係?ですが、昨日休憩時間に少し話が出来ました。彼はラガーマンであることが判明しました、どうりで平尾さんに少し似ていますし、彼を尊敬しているようでした。今は、何処かのラグビークラブの監督をしてるそうです。

伏見工業高校の話をしましたが、東京でも同じような高校が沢山存在したそうです。荒くれ学生にラグビーをやらせて、矯正したそうですね。今はどうなんだろうか?

さて、今日はうって変わり雷雨で寒い日となった。奇妙な天気が続く今日この頃である。

(余談ですが)

先日、穴掘りをしていた人が現場監督に山芋のプレゼントをしていました。穴を掘削していて出てきたそうです。長さ30センチ程度の山芋が三本でした。良く観察するとあまり太くはないし黒ずんでいますね。

これは、自然の自然薯ではないですか?滅多に手に入らない貴重な食材ですね!私も少し欲しかったドス!私の穴からも出てこないかな~~~!

(追記)

2006年5月9日 本文一部修正しました。関東地層の定義においてⅨ層が存在しないと記述してありましたが、存在しない層はⅧ層でしたので、修正しました、改めてお詫び申し上げます。(kazzさん有難う)

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kajiさんblog始める

昔の職場の仲間で後輩だった梶山さんがblogを始めました。音楽、とりわけビートルズとかジャズ、そして映画、そして鉄道の旅、カメラ、写真と芸域は広いです。

梶山さんのblog

是非みなさま、楽しみにして下さい。面白い人です~~~!

今から、遺跡の発掘現場に向うので、又、記事を追加します。

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