神河内(上高地) 逍遥記(3)
大正池から田代池へ・・ 自然研究路と呼ばれ湿原の路である 行程20分
さて、大正池から河童橋を目指し、梓川の左岸を遡上します。まず、田代池をめざしましょう。この路は湿原の上に足場を組み板組みの長い橋の上を歩きます。
大正池が出来た時に川が塞き止められて出来た湿原なのですね。
柳の解説看板が出てきました。(笑)どうも大正池から湿原を歩き始めると柳の木が多いと思うてました。川の流れが塞き止められ湿原になると、先ず最初に柳が自生するようです。
堤防の決壊時の治水工事で古代の中国ではこの柳の枝を編み、土とサンドイッチにして土が流れないようにして堤防を築いた話は以前にしました。川にはつきものの植物だったんですね。
時折、砂の道が出現しますが回りは未だ大木の無い林が続きますね。今度は鳥の解説看板です。
そう言えば、ウグイスの鳴き声が聞かれます。その他、沢山の鳥の種類の泣き声が聞こえてくる路ですね。静寂の中でただ野鳥の鳴き声を満喫できます。
200万年前からこの神河内はこんな景色を大事ににして来た事を思うと何時までも人間に邪魔されずにこの儘存在して欲しいと願うのみです。
湿原を抜けると、田代池に到着しました。今は、土砂が埋まり池と言うよりは湿原の様相を示しています。
誰かが穂高を眺めながら油絵を描いておられました。
田代池からの眺めは左に穂高連山、右には霞沢岳、六百山という徳本峠に続く山並みを眺める事ができます。
田代池の解説板が有りましたよ。田代というと氷壁の彼女(美那子)の苗字ですね?井上靖さんはきっとこの辺りを散策し、穂高を眺めてこの名前を考えられたのではないでしょうか?数回後の記事ではあの氷壁の舞台となった徳沢園が出てきますので、楽しみにして下さい。
あれ、穂高連山の解説板が出ましたね。今迄の穂高の写真はこの解説の通りであります。興味ある人は写真と照らして覚えて下さい。
穂高とは古代の人々はどのように考えてなずけたんでしょうかね?出雲族の一派の安曇族は信濃の国まで日本海の糸魚川から遡上し落ち着いたそうだ。ホックサマグナのバレーを南下したわけですよね。
この山の名前は稲穂というよりも、むしろ、”立て鉾”と表現する方がお似合いですよね。jo君としては軍事力を持った安曇族は武器である鉾を沢山立ち並べた格好の武神の神の山として崇めたのではないか?と、思うております。それが、何れの日かタテホが逆に穂高という平和な名前に変化したのではないかと思いますね。
再度、深田久弥さんの”日本百名山”の本を読み直す必要がありそうですね。
あれあれ、鳥の巣を見つけましたよ!枝の先に巣を作るとは警戒心の強い鳥ですね。
シラカバとダケカンバの解説板がありましたよ。この路を歩くと大層勉強になる路ですね?(笑)
カラマツの解説とここが標高5千尺である事の説明板です。子供達の教育の場にもなりそうな路でしたね。
次はウエストン碑に向かいましょう。
実はこの田代池には帰りの日に再度訪問しました。印象に深い池でした。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- エゾライチョウとクマゲラを見る旅 総括編(2018.07.09)
- 2018年春の渡りの飛島 総括編(2018.07.09)
- 南ゴビ砂漠探鳥紀行(2018年6月15日~20日) 総括(2018.07.06)
- 2017年 春の渡りの飛島記録(2018.05.15)
- 豪州鳥見紀行 ケアンズ・エアーズロック・シドニー チエックリスト(2018.02.21)










Comments
Joさん無事ご帰館おめでとうございます。(笑)
流石、Joさんの読みのとおり静寂の中の上高地を
満喫出来た様ですね。私も独身時代に、今の家内と二人大正池を散策した事を思い出しました。清冽な水と立ち枯れの樹が護岸の無い自然の流れの中に存在する…。きっと太古の昔から営々と受け継がれて来たのでしょうね。自然の偉大さに改めて畏敬の念を抱きます。
ところで、トレンチ堀ですがなんとⅨ層まで行きましたよ。あと僅かです。勝手ながら小生月曜日はのっぴきならない用事があってお休みを戴きますが宜しくお願いを致します。
Posted by: Kazz | 2006.05.29 12:14 AM
kazzさん
そうですか~~~、婚前旅行(古い?)は上高地でしたか~~。きっと、思い出が沢山詰まっているんでしょうね?この際、又、30数年ぶりにご訪問されては如何ですか~~?
季節を外し、週末は避けて行けば静寂の上高地が満喫できますよ!
さて、本日はⅩ層迄到達しましたよ!最後の層を少しkazzさんの為に、佐藤さんと二人で話しをして残しました。私は明日は用事があり遺跡には行けません。
最後のピットの完成をして下さい。
Posted by: jo | 2006.05.29 07:33 PM