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jo君のヨイトマケ奮戦記(7)

穴を掘る!初めての経験である、同僚の元銀行員の方と一緒に掘る事となった。トレンチというが日本語では、塹壕であるそうだ。しかし、これは、大変難しい仕事であるとは、最初は判らなかった。

_857 _859 そうですね、四畳半程度の広さを二人で掘る事になりました。予め地上に線が張ってありその線に沿い正確に掘り下げてゆかねばなりません。

剣先スコップで先ず粗堀りを行う。完全に1スコの深さに入れないと後で苦労する。掘った深さが不均一になるからだ。

_855 ところで、プロのトレンチ掘削を見てみよう。背の高さ以上に掘り進むのだ。階段をつけて掘る、これが見事である。

スコップは真っ直ぐ垂直に入れた積もりが、実は曲がるのだ。この按配が判るまで時間がかかる。写真のトレンチは既に7層あたりであり土がとても堅いのです。10層になれば成田層ですので海底時代の堅い土となります。

_881 _882 _883 _884 トレンチの周りの人たちの穴掘り状況です。皆さん上手に掘り下げていますね。

私と、同僚の始めての穴掘りペアは頑張らないといけません。一日、かけて深さ50センチのトレンチが出来ました。顔から、頭から汗が滝のように流れ、ただひたすら穴を掘る作業が続いたのだ。

_886 どないだす?見事なもんでしょう?この壁を垂直に作るのが難しいのです。何回も先輩が来て教えてくれました。実は、遺跡発掘のトレンチは一番大事だそうです。壁の地層の層を写真で撮影しますので、証拠として大事です。

周りの発掘物がいくら立派でも、このトレンチの地層で確実に地層何々でしたと証明しないと学会では認められない。まだまだ、明日もふたりでこのトレンチの掘削が続きます。

しかし、現場の一番偉い人から二人は褒められました。掘削速度と品質ですね!使用した道具は剣先スコップと角スコップ、そして鋤簾です。角スコで壁を垂直にするノウハウを先輩から教えてもらいました。(ヒミツです。鋤簾も使いますがね)

_853 さて、私が前日に作成した土柱の掘り出しです。これは、苦労しました。いたるところに石があるのです。そして、全てが割れている。縄文地層ですが、現在ここが何か判らない。

考えられるのは、先ずは食堂ではないか?縄文時代に煮炊きは石を焼いて鍋に入れますので、何回も同じ石を使用すると割れるのです。石とともに縄文土器の破片が多量にでていますので、可能性はあります。

もう一つの推理は石器工場です。石を割り石器を製作しますので、その可能性もありますが、完成品とか半完成品が出ないと証明は難しい。

しかし、ほぼ一ヶ月が経過しましたが、奥が深い現場での経験が楽しいです。皆さん、やりませんか?

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ヨイトマケの世界

現代の若者はヨイトマケの言葉を知らないのではないでしょうか?我々の世代では美輪さんの唄で存じている人も多いのではないでしょうか?そこで、ヨイトマケをGoogleに訊いてみました。

苫小牧説 製紙工場への丸太の運搬

この説では、苫小牧の勇払原野で馬車に引かれる丸太を”よいたア まいたア、よいたア まいたア”と掛け声を掛けて運搬した労働者を指す。

整地作業をする道具 櫓を組み丸太を使い整地

どうも、この方が関西出身の私としては馴染みが有ります。多くの女性が参加していたんですね。掛け声を掛けて綱を引っ張り丸太を落とす。そして整地するんですね。

しかし、美輪さんの唄が有名になりました、”よいとまけの唄”ですね。

朝、出勤すると出面・出頬(デズラ)という帳面に名前を書きます。日雇い労働者の世界では常識の世界だそうです。遺跡発掘現場の同僚で元、銀行にお勤めの方から聴きました。顔を出すことによって金銭を得る仕組みですね。

実はこの同僚は発掘現場用語集をパソコンで写真を入れて製作されています。いくつか面白いものをご紹介です。

(如雨露 ジョウロ)

植木などに水をやる道具ですが、Jorro,でポルトガル語なんですね。しかし、彼曰く見事な漢字を当てはめたものだと感心しておられました。

(ユンボ)

削岩機・掘削機などを載せた大型台車のことですが、これは商標名だそうでJumboで英語読みはジャンボ、フランス語だそうです。現場ではユンボと言います。

(ワンスコ・ハンスコ・2スコ)

現場では土の掘り下げの度合いをスコップの掘削距離で表現します。ワンスコはスコップ一つ分であり、ハンスコは半分、2スコはスコップの長さ二倍を掘削する事ですね。

(鋤簾 ジョレン)

既に記事では紹介しましたが、こんな漢字を書くんですね。発掘現場ではこれで、地面を平らにします。刃先を鋭くしておかないと削れません。これが、何回も何回もやらされますが、腰が痛くなります。スコップで土の面を平らにすることは禁じられています。

(地下足袋 ジカタビ)

これが、素晴らしい、遺跡の発掘現場の土の面を傷つけないのだ。靴だと足跡がつくのでよくない。土木作業員必須のアイテムである。足音もしない!滑らない!実は山男も沢登りでは使う必須アイテムである。

朝はラジオ体操から始まる、子供の頃の夏休みを思い出す。子供の頃は2番迄やりましたが、現場では1番だけだ。ハンコはくれない。(笑)しかし、これが、必須ですね。体をほぐして、これから肉体労働を始めるにはいい準備運動である。

専門の土方の方は垂直に穴を数メータでも掘る事が出来ます。これが、出来ないのだ、スコップは垂直に降ろした積もりでも曲がるのだ。プロはそこが違う。感心する。

職場には色んな経歴の人々が集まっています。発掘のプロの人々、大学の考古学院生、学生、退職された人々、元建設現場で働いていた人々、主婦のアルバイト、建設会社の人々、国・都・区から依頼された遺跡調査専門家、等々である。

規律が厳しいので、タバコの量は激減し、健康には最高のトレーニング場なのです。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(6)

カラスについてである。

遺跡発掘現場は森と隣接しており、沢山のカラスが棲家としている。今日は、午前11時頃に突然にカラスが鳴き始め、遺跡の周りに空が黒くなる程、仰山のカラスが突然に終結し始めた。何事が起こったか?不思議でした。

一時間後、凄まじい雷と豪雨が襲いましたね。どうやら、カラスはこの事態を予知して仲間を呼び集めたのではないか?という、結論に達しました。実は先週も同じように雨が降る30分前にカラスが騒ぎ始め、仰山のカラスが集まり始めたのです。

カラスの言葉を翻訳するソフトは未だ開発されていないのだろうか?遺跡発掘現場では雨は大敵なのだ、ビニールシートをかけたり、水が穴に入らないように土嚢を積み上げないと大変なことになります。掘って積み上げた土にも(残土)ビニールシートをかけないと、土が流れてしまう。

結局、雷と大雨の時間帯は昼飯の時間帯と、重なり、濡れずにすみました。けど、折角に写真撮影の為に整地した遺跡現場は水溜りが出来て、午前の仕事は無駄になりました。

(石器工房か?)

私が担当した縄文遺跡のある一角は石器が出るは出るは・・・・、大変です。少し掘ると直ぐに石器がでるのです。割れた石とか製造途中の石器がでるのです。

_850 _851 左の写真は今日、私が発掘した石器です。少し、石器の角度を変えて撮影しました。鋭角に石を割っていますね。同じ石を動かして撮影しました。

こんな石が12畳程度の空間に密集して出てきます。これは、工房だったんではないでしょうかね?

_852 このように、沢山でてくると、掘削作業は大変なんです。土柱を立てないといけませんので、スコップと移植ゴテで細かな作業が必要なのだ。

石が出た標高を守り、回りを掘削して土柱を作るのですね。これは、慣れないと土柱が崩壊するのだ。

さて、旧石器時代の遺跡からは、”炭化集積物”がでたそうだ。直径4メータ程度のサークルでその中に炭化したものがぶつぶつで出てきたのだ。院生の若者が綺麗に鏡のようにジョレンで削り、箒で掃き清めた。

私が、それは囲炉裏の跡ではないのですか?と、尋ねると、土が焼けていなので、違うとの答えでしたね。最新の考古学会でも理由が判らんそうです。炭素14法で年代を確定するそうですが、これからこの層を掘削する筈です。

毎日が知らない事に遭遇します、そして周りの人に質問してそして、議論があります。ホンマ面白い現場ですから、疲れが何処かに吹っ飛びますね。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(5)

_849 _848 今日、私の直ぐ近くの人が縄文土器の大きな破片を発掘しました。タバコの箱二個分程度の大きさでしょうか?

残念ながら、真ん中で割れていますが、模様が珍しいのですね。上下に凸状の帯がありその中に左側に目のような線刻画があり、その目から放射状に線が引かれています。そして、右側には縦の線が数本引かれている。

私は魚の絵ではないか?と推測しますが、判りません。亀だという人もいました。

_846 石の槍先でしょうか?10センチ程度の長さがありますが、途中で折れていますね。これも、縄文時代の地層からの発掘です。周りには、縄文土器の破片が数多く発掘されています。

石器は江戸時代まで使われていたそうですから、縄文時代に石器がでても不思議では有りません。

私達は発掘してる現場ですから、誰かが興味あるものにスコップが当たると、回りに集まります。誰かが偽装してもそれは不可能だと思いますね。何故かというと、土に埋もれた状態で確認しますので、人が埋め込んでも判ります。土の濡れ方で判ります。

誰かが、故意に埋めても周りの土は乾いてしまう、だから偽装は難しい。発掘時点が一番重要でしょうね。

毎日がどの発掘現場で何が出土するのか?まるで、子供の宝探しみたいですね。(笑)

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jo君のヨイトマケ奮戦記(4)

_841 今日も夕焼けの富士が素晴らしい。遺跡発掘の作業からヨレヨレで帰宅して風呂に入り、ビールを飲む!疲れ果てた身体にキューとビールが染みる。そして、こんな素晴らしい富士を眺めることが出来る私は今、幸せの絶頂ではないでしょうか?

4月5日から始めた遺跡発掘のヨイトマケ人生も佳境に入りましたね。昨日は石器の槍の先とおぼしき物を発掘しました。折れた部分もそばで出現しました。

_825_1 右の写真が石槍の先で左が折れた部分です。同僚の4歳年下の元銀行でお勤めの方と検証しました。縄文土器の破片は数多く発掘しているんですが、珍しく石器を発見できました。

ここは、縄文時代の層を発掘しているのです。そばでは、同僚の話では黒曜石が数多く発掘されたそうです。

_838 _839 このあたりの黒曜石は伊豆半島のものか、和田峠のものか二箇所がルートだそうです。ビニールの袋に入れて最後の写真撮影と測量が終わるまで放置されます。

石器が発見される場合は多く、尖った方が上の状態です。刃先が上で発見されるそうです。その理由は判らないけど、長い年月の間に重い部分が下になるんでしょうかね?このあたりの細かい描写が小説を書かれるお方には参考になると思います。(笑)

_835 _836 旧石器時代の発掘現場です。地層は岩盤のように堅くて現在専門の土木作業員の方々が担当しています。そして、大学の院生の若者が調査しています。

院生の話では、台形石器が発掘されたとの話でした。そこで解説です。石器には二種類あり、北方系統と西部系統が存在するそうです。西部とは西日本のことで東の限界がこの関東です。台形石器は西部系統の石器であるそうです。

西側から押し寄せた人々と北方から南下した人々がここ関東で衝突したんでしょうね。

_832 _833 これは、畑の跡です。どうも畝があり根菜を植えた跡です。江戸時代にここは畑だったようです。土壌が異なるもんが混じり、明らかに撹乱があるのですね。

丁寧に撹乱土壌を剥いでゆくとこのような畝が出現するのです。ホンマ考古学とは根気が必要な地味な作業の上で成り立つ学問なんですね?

_834 _837 これも、縄文時代の遺跡です。縄文土器と石器が発掘され小山の上に存在します。これは、スコップで掘削した時にカチンと音がして、直ぐにスコップを止め、周囲数十センチの場所を残して掘削するのです。

すると、写真のように土器片を載せた土の山が残ります。そして、この平面を後に測量するのです。ほぼ同じ高さであることが判りますね。当時の生活面なのです。

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富士通を卒業するについて

            富士通を卒業するにあたり

                 私の思い出

 37年間お世話になった富士通を無事、卒業することになりました。素晴らしい仲間と

先輩と後輩に恵まれた事を本当に感謝したい。そして、なにより亡き母に感謝したと思います。

 (入社の動機)

 学生時代は体育会ワンダーフォーゲル部に属し、山歩きに夢中になり年間百日も山の中で生活をしており、仲間と昂じて遂に日本アルプスの鹿島槍ヶ岳に山小屋を建設するほど夢中でした。

 しかし、就職の季節が訪れ、私は専門が国際金融論でしたので先生からは銀行を勧められました。又、華やかそうな航空会社とか化粧品会社に行きたいと考えたのです。しかし、明治生まれの厳しい母に一喝され、“男たるもの、物作りの会社に奉公し日本を支える気概で一生を送りなさい”と厳しく諭されました。

 たまたま、富士通からゼミの先生に二人、富士通に来ないか?と打診があり、先生は物好きな奴で大企業では無いが将来性は有るかも知れない、誰かいるか?と問いかけられ、私と同じく、ラグビー部で毎日グラウンドを走り回っていた浅野君と富士通に入社する事になりました。

 (第三市ヶ尾寮の思い出)

 人事部の採用担当の偉い人から、面接があり、“君の売りは何か?”と問われ、持ち前のファイトと何処でも寝ることが出来る体力です!と答え、笑って採用となりました。そんな、いい加減な?時代だったのかも知れません。

 最初に、落ち着いたのが、第三市ヶ尾寮でした。未だ、外壁を塗ってるような、にわか作りの建設現場の飯場のようなバラックでした。六畳一間に二人押し込められ、相撲をすると壁に穴が空き急遽、外壁を塗ってる職人さんが塞ぎに来てくれました。

 風呂に同僚と入っていると、突然壁が崩れ泥だらけになる有様で、これからの会社生活が大いに不安になった記憶が有ります。

しかし、この時の寮の仲間とその後、37年間、苦楽をともにするとは思いもよりませんでした。

 (オンライン時代の挑戦)

 最初の職場は大型金融ユーザ班でした。毎日徹夜で証券会社に提案書を書かされました。当時、乾式のコピー機でアンモニアを使うので、朝方は頭がおかしくなっていました。けど、全滅でした。当時のUNIVAC494に全ての商談を負けた記憶です。

 しかし、我々は商談を獲得しないと、次の仕事が無いのです。必死でほぼ獲得まで辿りついたのが東京証券取引所の大型オンライン商談でした。当時、メモリは高価でした、しかし比較的安価でLCMというメモリを持つF230-60は取引所の板を展開するのに最適なシステムであったのです。しかし、政治的に敗退しました。この時の恨みは後世残り数年後には奪還したのです。

 やっと、全銀協オンラインシステムの大型商談が獲得できました。私は中継コンピュータを担当させられました。F230-15という計算機ですが、ハードウエアしか存在せず、オンライン専用のOSの開発から始める必要がありました。今のように、全てが揃っていてアプリを開発すれば良い次代ではなかったのですね。

 ハードの設計者と毎日打合せをして、OSの開発に着手しました。一年先輩の人とあとはオンラインの神様と呼ばれた三浦さんの書かれた汚い癖のある字で書かれたメモしかない時代です。文科系出身の私が何でハードウエアのインターフェース仕様書でOSが作れるのか?しかし、周りを見渡すと高校卒業の人々が黙々と制御プログラムを作っている。

 ここで、考えました、どうせ大学では勉強していなかったのだから高校卒業した人と変わりは無いのだから、一から勉強すれば彼らに追いつけると。猛勉強を始め寮に帰るのは週末だけという日々が続きました。

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雨の日は読書

_805_2 雨の日は”よいとまけ”は休みである。晴耕雨読とは素晴らしい生き様である。今の私はまさに、それだ。

それにしても、激しい嵐のような風と雨が吹きつける日となりましたね。そして、時折、太陽が顔を出す妙な天気である。

写真は汐留のビル群である、日夜激しいビジネスの戦いがおこなわれている場所である。私はこの世界から足を洗いました。そして、新天地を又、還暦を機会に新たに開拓・挑戦するのだ。しばし、晴耕雨読で充電している。

(音楽の事)

昨夜NHKでは団塊の世代と音楽の関わりに関して、特集が組まれていた。ビートルズ・フォークソングに代表される当時の若者の生き様と音楽との密接な関係についてである。

考えてみると、学生時代にはよく山の歌とかフォークソングを唄ったものだ。そして、何より自分でギターを弾いて唄うのが当たり前の時代であった。音楽家が雲の上に居る人ではなくて、身近な水平線上にいたように思う。

先日、上野花見会・音楽会では5人で沢山のビートルズの曲を中心に演奏して貰いましたが、とても懐かしいし、音楽が身近な存在である事を再認識しましたね。その、演奏会の模様がDVDとCDに編集され、正木さんが自宅に送付してくれました。

”Joさん Graduation Day” 愉快な仲間達 新春花見大会 in 上野

というタイトルで装丁された素晴らしいものでした、有難う御座いました。

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ベトナムの人々と会食する

_824 昨夜は富士通時代の恩師の大島社長のお声がけでベトナムの人々との会食に招待された。 

大島さんは富士通時代には長く教育の分野と海外関連のお仕事をされており、私が入社した頃からお世話になっている。今は独立され、数社の会社の経営に参加されご活躍である。

昨夜は、ベトナムから彼の会社の関連で教育実習で来られているベトナムの5名の若い社員の方々との会食でした。大島さんのパートナーで今は日本に帰化された斉藤さん(学生時代に東大に留学で来られ、大学院博士課程を卒業される時にはベトナム戦争で国が消滅していた)も交えての心温まる会合でした。

全員日本語が達者で、学生時代に大阪外国語大学に留学されていたそうだ。皆さん、ハノイ出身という事で、ハノイについて色々と教えていただいた。日本に来て半年、かなりホームシックの様子ですが、8月には一時帰国が出来るそうで、首を長くしてその日を待っている様子です。

_819 久しぶりのベトナム料理と先輩とのベトナム語での会話に心が安らいだ様子でした。大島社長の粋な計らいで皆さん、本当に楽しそうでしたね。

私がベトナムの歴史を本格的に勉強したいと言うと、斉藤さんは”今の若いベトナムの人々は漢字を読み書きできないので、チャンスかも知れませんよ?”とのお言葉でした。ハノイは古代において長く中国の支配下にありました。

面白いかもしれない、外国の歴史をその国では失われた言語で解明してゆくのも面白いですよね。ベトナムには国が三個あるという。北部のハノイ、中部のフエ、南部のサイゴン(ホーチミン)である。ベトナムは南下征服の歴史である。

私が一番興味があるのは、中部のチャンパ王国の歴史である。平城京の時代に唐と新羅と渤海国が対立し、日本も戦争の危機に直面した頃、遣唐使の一行は帰路船は暴風雨に見舞われ、このチャンパ王国に流れ着いた記録がある。

長く、日本人街も存在したそうで、まだまだ歴史の解明が待たれているはずである。

最後に、皆さんのスナップで楽しかった会合のフィナーレです。

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_823 _820 ベトナムコーヒーです。

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ソウル駐在某氏一時帰国

昨夕は新宿の東口にある、”かに道楽”個室にてソウル駐在の同僚の某氏を囲む宴会があった。幹事は某新聞社の幹部の方でした。

私は、”チャングムの誓い”にはまっておりソウルの事情を聴きたいので、彼の1年ぶりの帰国を待ちに待っていた。単身赴任で私とそれほど違わない年齢の紳士で、京都の祇園の置屋の息子として生まれた真面目な技術屋である。(笑)

彼の赴任先はソウルであり、メールでは街はチェジウに似た女性が仰山、ウヨウヨという話でした。整形美人が氾濫してるとうホンマか嘘か判らんような話だったので、帰国が楽しみでした。

席に座るなり、今、ソウルは花が一斉に咲き誇りました!との話です。コブシをはじめ色んな花の名前を言うてましたね。そんな話はさておき、3LDKのマンションでの一人暮らしはどないな按配か?気になりますよね?

鼻を鳴らして、血走った目の私の質問に彼は悠然と、韓国1年間の滞在苦労話を始めました。(少し落胆する)

(雑貨屋でシャンプーが判らん)

ハングル文字が読めない彼は、シャンプーかリンスか区別が出来ないので、適当に二種類を買い自宅の豪華マンションで使用すると、両方はシャンプーだったとか、しょうもない話ばかりが続く。

最初は日常生活に於いて、色々と苦労があったんだな~~と、思う。多分、食事も苦労があったのでないか?飲み仲間の某新聞社の人が最近、北京に駐在しblogを始め乾杯のルールについて苦労してる話をすると、韓国でも同じであるという。

目上の人とか相手を尊敬する付き合い方として、乾杯の時の盃は相手の盃より少し下で”カチン”と衝突させねばならない。このタイミングの取り方が難しいらしい。記事を読んでいて思わず、笑いましたね。

周恩来さんと田中角栄さんの乾杯の写真を分析すると面白い発見があるかも知れませんね?

(縦型組織だそうだ)

会社で、あるテーマでワークショップを開催して、色んな組織から人を集め議論をさせると議論にならないそうだ。各自は属する組織がありそこのボスの配下で仕事をしている。そのボスを抜きに、人を集めて問題解決を図ろうとしても誰も意見を言わないそうだ。

小さなピラミッドが縦型に重層したのが、組織なようだ。そういえば、”チャングムの誓い”を観てるとそんな気がする。遊牧民型の組織とでも言うのでしょうかね?私の職場では、上司がいくら命令しても部下は自分の判断でその命令が間違いだと判断すると、仲間と相談して反旗を翻すことが常時あったような気がする。

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記事888回記念 

気がつくと記事数が何と、888とあるではないですか?コメント数2734、アクセス14万3千、DISK容量442メガとあります。随分と記事を書いたもんですね~~~。(笑)

そして、今日は、ほかもさんのBlog記事によると、Muさんの還暦記念日だそうです。ふうてん老人は1月5日に還暦を既に迎えられています。私は9月30日ですから三人揃って還暦Blogになりますね?(笑)

Muさんは、まだまだ現役の教授を続けておられるが、遂に、第二の人生?Blogで小説の連載を始められました。還暦を意識された行動かも知れませんね?

私もこの4月から第二の人生がスタートしました。これからの10年をどう生きるか?目標が必要であると感じていますが、昨夜は20年の目標を持たないと10年は続ける事が出来ないと先輩にお叱りをうけました。

4月5日から縄文遺跡の発掘現場でヨイトマケを開始しましたが、先輩諸氏からは賛否両論です、しかし、もはやこの歳になり自分の夢は曲げることはしません。これは、趣味の世界の話ですので、ラジコン飛行機、古代史、歴史学、発掘、山登り、等々はもっともっと極めて行きたいと考えています。

一方で、本業の方については、自分の会社を設立しましたが、幸い、先輩と昔の仲間のお陰で暖かい手がさしのべられました。海外に移住して活躍する本業の話です。

未だ、最終的に決まっていませんので具体的な内容は国家機密でもありますので(笑)、言えませんが、仰天動地な行動であることは確かです。しかし、今迄の私が本業で築き上げてきた世界と無縁の話では有りません。

”風のように生きる”と、ふうてんさんが私を評されていますが、理想の生き方であると私は思います。執着からは醜いものしか生まれない。我々のDNAには遥かバイカル湖をルーツとするユーラシアの大陸を駆け巡って何も残さなかった先祖の血を受け継いでいるのですからね。

いやいや、最新の礼文島の船泊遺跡のコールタールの分析からも、又、青森三内丸山遺跡、等々の縄文遺跡からも縄文人は遥かな海をハイウエイとした大航海をしていた事実が明らかになっています。

即ち、大陸の風の民と大航海の風の民を我々は先祖として持っているわけですね。農耕民というのは国土の20%しかない南北8千キロのわが祖国ではマイナーな世界でした。

最近の大学生の就職戦線をNHKが番組で取り上げていましたが、益々、大企業、勝ち組?の企業を目指す学生が多いと指摘していました。情けない話だと本当に思いますね。何が大企業だ、勝ち組だ!そんなものは”淀みに浮かぶうたかた?”です。

明日はどうなるか判らないのが企業のおかれている立場です、否、国そのもが明日はどうなるか判らない不安定な世界なのです。だから、生き残りを賭けて企業も各国々も努力をしている。風の民の本質を忘れた学生が多いという現状は許しがたいと思いますが、どない思いますか?

な~~~んて、ぼやくのは還暦まじかの親父のセリフですね。いかんいかん、老兵自ら行動をして範を垂れる必要がありそうです。

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大倉山 花の風景2006/4

_803 _802 _793 _794 _795 _799 _797 _798 _796 _800 _801 大倉山は花に囲まれた素晴らしい静かな町です。

自宅から、東急東横線の大倉山駅までの道には花が一杯です。

素晴らしい人々が住んでいるんですね?きっと心優しい人々ではないだろうか?この町を愛する私としては、自慢の駅までの心安らぐ道なのです。

素晴らしい、小さなケーキ屋さんがあるんです。

_804 何時もは、誕生日の人の名前が玄関に掲示されているんです。とても美味しいケーキ屋さんです。

大倉山は自慢の町です。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(3)

_787 発掘現場の地層です。一番下のⅩ層(10層)が3万5千年前の地層です。

Ⅵ層(6層)は真ん中あたりで2万5千年前の地層になるんですね。典型的な火山灰堆積による関東ローム層の土質です。

この辺りは標高50メータ程度の高台にあたります。近くには三つの川が流れ、代表的な川は神田川です。遺跡が沢山存在する場所なのだそうです。石器時代から人々はこのあたりに住んでいたという話です。

_781 縄文土器の破片を見つけました。スコップを刺すと、カチンと音がしました。土器片の存在する場所から上の土を取り除き、土器片の側に竹串を刺します。そして、これからこの土器片を中心として縦横20センチ程度で削ります。

_782 このように、表土を剥がしてゆきます。ミノに削った土を入れてネコに入れます。これが、腰を痛めるのだ。スコップで削りながら、片足で削った土を要領よくミノに投げ入れるのがコツなのだ。

今日で5日目なので、随分と上達したものだ。(笑)

_783 _784

左の写真に表土を削る”じょれん”が写っていますね。沢山の土の柱が立っていますが、これらは頂に発掘した石か縄文土器の破片とか黒曜石の破片があるはずです。

これを、測量し立体図形を製作してゆきます。写真にも収める訳です。見事な縄文地層の発掘現場の状況ですね。

_785 _786 今日は、雨の予想で発掘は中止の予定でしたが、私と他三名が現場に来てしまい、4人で発掘でした。勿論専門家の人々は今日も来ていました。何時もは40名程度で発掘をしています。

このおじさんの向こう側は撹乱土壌がありました。縄文地層に江戸時代に畠を作ったらしく黒い土壌が混じり、土壌分析の結果、江戸時代の畠をする為に混入された腐葉土だそうだ。

畝の発掘をしている。何を植えていたか?どうも根菜のよそうであるが、化学分析の結果が待たれる。

_788 _789 見事な桜の木が沢山あります。そろそろ、桜も終わりですね。掘り出した土を山のように積み上げています。そして、ビニールシートを被せておきます。

5日間は続ける事が出来ました。この分では大丈夫ではないでしょうか?発掘作業により体力が昔のように戻るかも知れない。そうすれば、ニュージランドのトレッキングもヒマラヤも行けるかもしれないのだ。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(2)

二日目、曇り空であるが雨は大丈夫である。風は強く寒いので雨合羽を上下で着る。今日の発掘現場は旧石器時代の地層の発掘である。

(発掘作業の概要)

先の尖っていないスコップを使い指定された地層の表面を剥いでゆく。ここは概略高さ20センチ程度である。まっすぐにスコップを地表に突き刺し、足で押して20センチ程度で止める。巾2センチ程度で、横一直線で削いでゆく感じである。

削った土はみの(塵取りのでかいやつ)の中に、じょれんを使い入れ、ネコに入れる。この一連の作業は腰を曲げるのでとても辛い作業である。お百姓さんが畠仕事をするのと同じではないでしょうか?長いサラリーマン生活で力仕事とは無縁であったので、この作業は辛い。ネコに土が満載におなると捨て場までネコを押して行く。

みるみる汗が噴出してくるのだ。首の周りとヘルメットのしたにはタオルをしているが、汗が噴出す。こんなきつい作業を毎日続けることが出来るだろうか?不安になる。腹は長年の美食?と怠惰な生活で太鼓腹である。

朝9時に作業を開始して、10時30分に休憩の時間となる。すると、現場を離れてプレハブ小屋に戻り休息となる。現場で休息することは許されないのだ。現場は大事な発掘場所であり、食い物、飲み物、タバコ、一切の持ち込みは当たり前だが厳禁である。

一日のスケジュールは朝の休みが一度で、10時30分から30分間、そしてお昼休みで食事、午後1時から作業を開始して3時30分に午後の休み時間30分ある。そして、夕方の4時40分に作業を終了し、あとかたずけをして、5時頃に現場を離れる生活である。

昼休みに雨具を脱ぐと、下の作業着とズボンは汗で水浸しの状況でした。凄まじい汗の量である。これで、相当のダイエットは出来たのではないだろうか?昼弁当が美味い、こんなに昼飯が美味いのは何年ぶりだろうか?自分で作った弁当は美味い。(笑)

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この場所は元、公園でしたので大きな桜の木が沢山あります。立派な桜の木である。弁当を食べながらこの桜を眺め、ほうじ茶を飲む。

この桜の木の下の大地には幾層にも歴史は刻まれている、3万5千年という気が遠くなる時間軸が横たわっているのだ。

富士・箱根火山帯は幾度となく噴火を繰り返し、火山灰が関東ローム層を形成したのだ。そういえば、白根山とか筑波山も噴火を繰り返したでしょうね。筑波山は確か、標高4千8百メートルという日本一の巨大な山であったそうだ。

そして、人々の歴史を灰で覆い尽くしたのだ。残念ながら日本の土地は酸性土だそうで、人骨が残る事は殆ど無い、溶けてしまうのだ。過去の歴史を地表から一枚一枚剥いでゆく作業は地味な作業である。しかし、このような作業が無ければ過去の歴史は判らない。

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jo君のヨイトマケ奮戦記(1)

37年間の会社人としての生活にピリオドを打ち、遂に念願の一度は経験してみたかった、古代遺跡の発掘作業現場に参加出来る事となった。

考古学について今迄は知識として本やセミナーとか所謂、机上の論理で私の頭の中に古代世界は存在していた。一方、現場主義という言葉が存在するように、実はこれらの知識は発掘という現場から長い年月をかけて先人が発掘してきた成果の上に成り立っているのである。

今迄企業人として全力で仕事に邁進してきたが、何時かは、発掘現場に一作業員として立ってみたいという夢があった。その夢が叶えられたのである。そこで、発掘現場の作業員としては新人であり、幾多の厳しい現実に直面する事実の記録を残してみたいと思います。

(準備段階)

先ず服装の準備である。足元は長靴とか、地下足袋とかスニーカとか必要ですね。雨の日には地面がぬかるんでいるので、長靴が最適であり、快晴の時は地下足袋が最適かもしれない。私は、軽登山靴で参加する事にした。

雨合羽も必要です、多少の雨でも発掘は進行するので、上下の雨合羽は必要ですので、購入した。作業着も必要ですね、これも大工センターで購入する。軍手は一ダースくらいは持ちましょう、安いものですから一度に購入する。

(初日の記録)

前日に弁当のおかずを作り、夜のうちにご飯は別に、おかずは弁当に詰め冷蔵庫にしまう。お茶もペットボトル2本から3本程度は製造しておく。私はほうじ茶を作る。夏は麦茶に塩を入れたのがいいだろう。

朝5時半に起床、新聞を読み弁当にご飯を詰めリュックに全ての衣服、ペットボトル等々とおやつのチョコレートとか菓子を入れ6時40分に自宅を出る。現場には8時頃には到着しておく。現場は8月末からは大型のマンション群が建設が始まるので、緊急発掘である。

8時には建設現場の人々のラジオ体操が始まる。現場は何時も早いのだ。我々の発掘現場は9時から開始されるので、ラジオ体操は8時50分頃から始まる。着替えをしてヘルメットを被り雨合羽を着て待機する。今日は生憎の小雨である。

ネコ(一輪車)の上にスコップ二種類とじょれんと移植コテ、竹串の束、等々を載せて現場に向う。そこで、皆様は道具の名前をご存知無いだろうから、参考Webで確認下さい。

じょれんとは 参考

ネコとは 参考

私の指導員の方は”喫茶店の髭マスター”と呼びましょう。物静かで男前の初老の方です。エプロンをしてなかなか発掘現場がでは絵になる親父さんです。

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空太郎さん北京に駐在する

突然に、飲み仲間の”空太郎”親父からメールが来た。北京駐在の辞令らしい。

本人の意思では無いようだ、しかし、案外面白いかもしれないと私は思った。型破りな御仁だし、自分の意見をちゃんと持っている面白い人物だから、日本よりは海外の方が水が合うのでは?と、以前より思っていた。

会社は私と異なり、最初は仕事の関係でお付き合いを始めた。しかし、その後は仕事は関係なく宴会をする間柄となりました。類は友を呼ぶと言いますが、彼の部下にプロレスファンがいる。自ら、大学時代からプロレスクラブに所属して、今でも大学祭では演技を披露している。

空太郎は”食うたろ!”という意味だそうだ。面白いblogを北京から発信している。

中国、食うぞ、飲むぞ blog

中国語は皆目出来ないそうだが、毎日食べるものを記事にするそうだ。私も始めて米国に駐在した時には英語もあまり出来ない状況でしたから、多くの失敗をしました。

彼は、私以上に数多くの失敗をするのではないか?と、期待をしています。是非、皆様、中国の食事に興味がある人は覗いて下さい。

おもろいです。

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上野花見2006年4月

Imgp3458 今年も恒例の濃い~~メンバーによる上野花見大会&正木邸音楽会が開催された。

あたしゃ、前日からバラ寿司の製作と当日にはポテトサラダの製作を行い重箱4個とポテトサラダをタッパーウエアに格納して宴会に出かけた。

写真は最後に解散直前に自動で撮影された映像であります。カメラは梶山さんのものです。

ところで、話は変わりますが、私の次女の大倉山のマンションの部屋は花見座敷がついているんです。(笑)

_759 この桜は私の次女のマンションの部屋から撮影したものです。二部屋から目の前に桜の大木があり花見をするには最高なんです。

世の中広しといえど、贅沢三昧な娘のマンションですね。けど、ケムンパの季節には洗濯物はベランダにだせまんせね?(笑)

_760 上野の夜桜ですね。仰山の人々が宴会をやっていましたね。この日は、強風が吹き荒れ、寒く、おまけに寒むそうな上弦の月がでており且つ、星が沢山みられました。

東京で星空が見れるのは、限られた時だけでしょうね。素晴らしい星空でした。

_765 _767 正木の旦那は今日も快調の様子です。梶山さんは事前に正木邸に来てリハーサルをしたそうです。今日はビートルズの曲が中心なんでしょうか?えらく張り切ってます。

ピアニカは正木さんの奥様の職場の後輩だそうです。とてもお上手でした。

_768 _769 4人によるセッションが始まりました。梶山さんが唄い始めましたね。時折、中断して打ち合わせをしてどんどん音楽は乗って来ました。見事なもんですね。

ホンマ、音楽が出来るというのは素晴らしい!私も是非又、学生時代のフォークソングとギターでもやり始めますかね?バイオリンは小学生の低学年で止めてしまったので、駄目だろうけど、ハーモニカとかギターなら?少し、可能性が・・・・・・・?

_771 _774 奥様のピアノも加わり、5人によるセッションが始まりました。

ピアニカがこんなに素晴らしいとは初めて知りました。素晴らしい音色でしたね。驚きです。

_775 楽しい音楽会は何時までも続くのですが、私は大倉山まで帰る必要があり、11時前にお邪魔しました。

今年も、楽しい花見&音楽会でした。

正木さんからのメールです

愉快な仲間たちのみなさまへ

風が強めですが... 満開の楽しい寒中花見大会でした。ありがとうございます。
Joシェフの美味しいバラ寿司、ポテサラダ、難波さんからオリジナルの梅酒、ピ
ザ屋さんから差し入れ等...ゲストの倉持さんのピアニカのおかげで音楽会らし
くなりました。感謝!!

今回はベースに初挑戦で忙しく写真が取れませんでした。詳しくはJo Blogの報
告を待ってください。
http://akatonbo-jo.cocolog-nifty.com/

音楽会のビデオ期間限定でUpしました。(後日30秒バージョンに変更予定)
http://ww3.sunnyday.jp/sakuranohana/

今回、ステージがなかったマユさんは秘蔵ビデオで楽しんでください。
http://ww3.sunnyday.jp/mayusan/

次回企画は『ワンちゃんといっしょに屋形船』5月13日(土)or 14日(日)
お願いしているのはジョーカ・綱吉の湯の『ワンちゃんといっしょに屋形船』企画

http://www.tsunayoshi.jp/event/yakata.ht

お台場集合、司会、弁当、飲み物飲み放題、天ぷら、WANちゃんにはお土産、WAN
ちゃんゲーム付き
最低20名、参加費8800円、WANちゃんも5000から6000円ぐらいお土産・企画付き
ですので参加費が必要です。詳しくは後日...
みなさんの参加、よろしくお願いいたします。

正木

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和倉温泉と能登紀行(5)完結編

遂に和倉温泉と能登紀行も最終章になりました。やはり、最後は平安京で終わるのが宜しいようですね。

(朝はイノダコーヒー)

_720 _721 能登半島の旅も終わり、のんびり京都で花見と考えていました。けど、桜は咲いておらん!

ま、定番ですがイノダコーヒで朝食です。セットメニューを全部注文して大人4人とガキ一人で丁度4人前です。

しかし、人気があるんですね、満員でした。何時も、Muの旦那、ふうてん老人と来るのですが、満員だったのは初めてでしたね。

(二条城を見聞する)

_723 _726 おのぼりさんの如く、二条城を見学する。もとは、離宮だったのを江戸時代に幕府の拠点として都には似合わない城を築いた。

ホンマ、六波羅あたりでひっそりしてればいいのに、伏見城の建材を運んで関東武士は城を築いた。

_736 _739

狩野派の大胆な襖絵を見学するには最高でしょうね。西欧の画家が驚嘆した構図と力強い絵は圧倒しますね。

僅かに、桜が咲いてました。板張りの冷たい鶯張りの廊下で冷えて、便所を探しまくると偶然にかわいい桜に出会いましたね。(笑)

今の季節はライトアップされてるそうだが、桜は未だ咲いていないけど、客は怒らないのだろうか?

(池波正太郎さんゆかりのお菓子)

娘がどうしても、欲しい本を置いている本屋と老舗のクッキー屋さんに行きたいというので、市役所近く迄電車で出かけた。

_744 _745 本屋の向かいに、老舗のクッキー屋(村上開新堂)さんがあり、娘達がクッキーを購入している。何気なく、私も店に入ると何と、池波正太郎はんがこよなく愛した、菓子があるではないか?

好事福ろ(こうずぶくろ)菓子参考

季節限定、紀州のみかんを使い手作りで製作したミカンゼリーではないですか。494円です。思わず、買いましたね。みかんの中を刳り貫き、そこに、みかんから製造したミカンゼリーを詰め込んだ逸品である。

この旅を完結させるにはやはり、素晴らしい出会いが有りました。これにて、終わりよければ全て良しでした。

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和倉温泉と能登紀行(4)

_714 兼六園といえば、ことじ灯篭と琴橋でしょうね。この二本足で片方の足を池に突っ込んだ姿は動きがあり見事ですね。

四季のこの風景は兼六園の代名詞ではないでしょうか?

兼六園地図参照

_704 根上がりの松です。松を植えるときに盛り土をして植え、序々に盛り土を剥離させてゆくとこのような独特のガジュマルみたな姿になるそうです。

昔の人は色んな事を考えるものですね。盆栽感覚で庭を作る感覚なんでしょうかね?松が力強く感じますね。

_702 花見橋でしょうか?ガイドさんの説明では兼六園は日本の有名な各地の景色をここに再現したそうです。

この橋は京都は鴨川に架かる橋を再現したと説明されていましたね。

_703 金沢城築城時の話として、水の確保が重要であったと昔、何処かの本で読みました。犀川というここから11キロも離れた場所から用水路を掘削したんですね。

流石に、百万石の前田家ですね。利家とまつの大河ドラマを思い出しますね。

_709 _708 唐崎の松です。有名な松ですね。琵琶湖の唐崎松から黒松の種子を取り寄せ植えたそうです。

冬は雪吊りで有名ですよね。既に取り払われていました。この霞池は琵琶湖を想定したんでしょうかね?

_700 _701 兼六園入り口近くに有ります、竜石と雪見灯篭です。

兼六園という名前は寛政の改革で有名な松平定信が命名したそうですね。其れまでは、名前が違ったそうです。

水戸の偕楽園と後楽園と並び日本三庭園と呼ばれています。

_705 何でヤマトタケルの銅像があるんだろうか?どうも、明治以降に建設されたそうです。明治初期の内戦で戦死した官軍の将兵を弔う為だそうです。

巨大なヤマトタケルに兼六園でお会いできるとは思いもよりませんでしたね。

雪が降り積もった季節とか紅葉の季節とか是非、ゆっくりと訪問してみたい気持ちになりました。

参考web 兼六園案内

参考web 兼六園・金沢城

参考web 兼六園

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和倉温泉と能登紀行(3)

_690 今迄の整理と位置関係です。和倉温泉は内海の底の位置にありますね。そこから北上して能登半島の北端あたりに輪島朝市の場所がありました。

能登半島の西側を南下して日本海側の海岸線を楽しんだのです。そして、今は巌門洞に辿りつきました。

巌門付近詳細地図

_681 _682 海の浪が巌を刳り貫きました。断崖を下ると洞窟に辿り着けます。凄まじい波の破壊力ですね、巌に穴が開いており波しぶきを浴びながら潜り抜けできます。

海岸では浪の華ができつつある状態でしたね。

_689 _685 Muの旦那が気にするであろう、看板を見つけました。義経ゆかりの場所だそうです。

平泉に落ち延びるときに船でこのあたりを通過したんだそうです。へ~知らんかったです。やはり、現場に足を運ばねば判らん事が多いですね。

_696 _697 江戸時代の北前船の為の当時の木造の灯台がありました。そして、このあたりの海岸は異国、とりわけ韓国の漂着物が打ち上げられる場所だそうだ。

対馬海流に乗り、冬の大陸からの激しい風を煽られてこの能登半島の西海岸に打ち寄せられるんでしょうね。と、言うことは太古より朝鮮半島の人々はこのあたりに沢山の人々が辿りついたんでしょうね。

_691 _692 (しろながす鯨とシャボン)

体長30メータのしろながす鯨の上顎の骨が茶店の前に無造作に置いてありました。子供達は興味が無いのかシャボン玉であそんでいました。

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和倉温泉と能登紀行(2)

_632 _649 輪島の朝市は吹雪に遭遇でした。トンビが上空を常に舞っていますので、朝市での買い物時は気をつけてください。

幸い私達の一行では被害が有りませんでした。しかし、雪が降る中で海産物を販売する屋台では、お年寄りのおばあちゃん達が元気な声を出しておられました。

_641 _645 ともかく安いですね。新鮮な海産物を安く買う事が出来ます。娘は民芸品の木のしゃもじを三個も購入していました。”木肌のままのしゃもじ、探し求めていたんです~~!

嬉しい~~、店の親父はおだてられて、安くしとくから持って行きな~~。”

あたしゃ、剣先スルメとこの地方の記念切手を買いましたね。ともかく寒い!

_636 _650 この寂れたような漁村の路地の趣がいいですね~~。

輪島の女性は働き者だそうですね。物売りは女性が行うという風習は中世の時代からあるんですが、それが延々と続いているんでしょうか?

_644_1 _654 子供達は飽きてしまいましたね。たまごっちで遊んでいます。一人で何個も持って遊んでいます。

今回の旅行ですっかり友達になりました。そして、私の孫は帰る頃にはすっかり、関西弁になりました。恐るべし、関西弁の感染力!

_666 _670 (荒れる日本海と夫婦岩)

冬の日本海は荒れるんですね、浪の華が見れるそうです。すこし、なりかけと所は観れました。お伊勢さんだけでなくて、ここでも夫婦岩があるんですね。

_673 _674 お伊勢さんよりも、大きな夫婦岩でした。けど、夕日しか見れませんね、能登半島の西側ですからね。

しかし、日本海と伊勢湾は同じ海人族という海の民で繋がっていたんですね。この話は、又の機会にお話します。

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和倉温泉と能登紀行(1)

_604 _585 和倉温泉の加賀屋に宿泊した。北陸では有名な温泉宿だそうだ。関西からは近く3時間程度で金沢経由で到着する。

能登半島は左手かざした様な格好をしているが、和倉温泉は親指の付け根で内海に面している。生憎の、雪模様で寒く風も強い日に遭遇してしまいました。

温泉は塩水みたいで私はあまり、好きではないが、宿の大浴場は温泉の滝があり修行者の如く肩から滝を受けて肩こりをほぐしました。又、客がたまたま大浴場にはいないので、泳ぎました。(昔からの癖です)

_594 _596 部屋は海に面しており抜群の眺めを楽しむ事が出来ますね。日本海の今の季節は数分でガラリと変わり暗くなったり、明るくなったり、強風に襲われたり、吹雪に襲われたり、大変です。

遥か彼方には風力発電の羽根が何基も遠望出来ました。橋も見れましたね。

_610 _629 流石に加賀屋さんですね、料理は抜群に美味しいものでした。夕食と朝食は写真ですが、夕食は3時間かかりました。

我々は義理の父の傘寿の祝いの団体で13名でまとまって食事も出来ました。楽しい温泉宿でした。私は2回お温泉に入りました。

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