« 横浜大桟橋界隈 | Main | 雪上機のソリ試作 »

都の造営について

先日のテレビ番組で、面白いクイズ番組がありました。場所は確か中国だったと思うのですが、一人で一時間で町を清掃してしまう人?何故出来るか? そんな質問でしたね。

答えは簡単、町が斜面に造営されていて斜面の一番上に導水路の水門があり、その水門を開き、一斉に道路に水を流し、路上のゴミを流してしまう。なるほど!関心して眺めていました。

そこで、思い出したのが我が祖国、平安京です。子供の頃に道に迷うと、立小便をすれば流れる方向が南だと誰かに教えられた。これは、実は奥が深い話なのか?今更思うのでありますね。

(古都時代は水洗便所)

平安京 朱雀大路構造

藤原京 トイレ遺構

古代では、川屋というように水洗でした。勿論、貴族のお家では、おまるが使用され下女が下水(川屋)で流したんでしょうね。貴族の男性は縁側で下男が竹筒を差し出しそこに用を足したと何処かで聴きました。(笑)

何れにせよ、都全体がスロープになっていないと、下水は流れない訳ですよね。上水は井戸ですから水脈が有ればよい。

都の条件は風水、四禽図に合うのが条件ですが、東は青竜ですから川が流れていないといけない。都の下水を最終的には川に流したんでしょうね。

やはり、都造りで一番重要なのは、井戸から水が出る事と下水が流れる斜面という事と最終排水の川が存在する事ですね。

平安京は鴨川であり、長岡京は桂川であり、飛鳥京は飛鳥川ですね。平城京はどうなんでしょうか?網の目のように下水溝が整備されていたそうですね。それと確か奈良坂と呼ぶように斜面に都は築かれていますね?

下水の歴史

(都市は坂に出来る)

日本の都市を考えると、一部の例外を除き概ね海岸沿いか大河川の近くで成立している。これは、世界共通の現象であるそうです。パリはセーヌ川、ニューヨークは海とハドソン川、サンフランシスコは港、ロンドンはテムズ川、上海・香港は港。

海運の便と伏流水があること、そして、下水溝が流れる斜面というのが都の条件のようですね。

実は、京都のMu先生が長岡京について記事を書かれており、ついつい都の造営についてわき道にそれました。

|

« 横浜大桟橋界隈 | Main | 雪上機のソリ試作 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

 (地元人間情報)

 平城京を流れているのは、(佐保川)です。
http://www.aqua-sphere.net/mizu-navi-backnumbere/kiko/mn-kiko-10.html

のホームページによれば、佐保川はゆるやかな流れの川だったので、ゴミ捨て場として利用されてきた川は、人口が増えるにつれて、そこでは処理できなくなり(佐保川は水源でもあったので)、都が平安京に移されたとあります。本当かな~?。

Posted by: wd | 2006.03.07 11:56 AM

地元特派員 WDさん

有難う御座います。佐保川ですか?なるほどね。

平城京の大極殿あたりから、興福寺、寺町と下ると地面が段々と低くなりますよね?

佐保川というと、二番目の姉の娘さんが佐保という名前なんやけど、ゴミ川になったら、可愛そうでんね。

Posted by: jo | 2006.03.07 12:13 PM

自然水洗便所都市説、よろしいなぁ。毎日のことですから、人のあつまるところでは必須でしょうね。

ところで、平安京は鴨川、長岡京は桂川、平城京は佐保川との、JoWd共同説ですが、一言。

だ・か・ら、長岡京を長岡京市からみるから、半分見落とすのですよ。つまり、長岡京は、大山崎町を港として、宇治川に連接し、これこそ琵琶湖、敦賀への巨大パイプなんです。桂川の意義は大阪直結だけでしょうね。

鴨川も桂川も宇治川も、淀川になって大阪へいくのは事実としても、鴨川も桂川も源流はなんもない(笑)山中です。唯一、宇治川だけが琵琶湖に直結しとります。これこそが、不肖MUの長岡京狂い咲きの発端なんです。

まあ、ゆるゆると20年間程度、これから考察します。

Posted by: mu | 2006.03.07 08:42 PM

長岡京博士はん

御説ごもっともですね。反論は無いですね。ただ、当時は巨椋池が巨大で今の京都競馬場も池の底でしたよね。宇治川が巨椋池に注ぐあたりは何処だったんでしょうか?

この巨大な巨椋池が船舶の停泊できる港だったのではないですか?
淀川経由瀬戸内海、大和川経由奈良、それに木津川から奈良北部へのルートですね。

宇治川は琵琶湖へそして、おっしゃる通りの日本海ルート、そして北国、東国へのルートですね。

ここは、継体大王が都とされた長岡京(弟国宮、乙訓宮)の調査分析を是非、お願いします。

Posted by: jo | 2006.03.08 10:23 AM

すみませんでした。
巨椋池のこと、ちっと、亡失。
巨椋池から宇治川を上がって琵琶湖ですよね。

弟国宮、これ、ほんとはようわかりません(笑)
ゆるゆると、毎日発掘しようかね。

Posted by: mu | 2006.03.08 11:07 AM

Muの旦那

ついつい、オグラというと小椋さんという知人を思い出し、漢字を間違えました。申し訳ないです、巨椋(オグラ)池でしたね。

姉夫婦と家内の実家のある御蔵山(オグラヤマ)というのは、昔は巨椋山と呼んだんでせうか?多分、巨大な湖を眺める事が出来たと思うのですがね。

お互い、このあたりは今後地元ですから、よく調査しましょう。

Posted by: jo | 2006.03.08 11:33 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 都の造営について:

» 平城京、長岡京、平安京:三都の南北標高差 [MuBlog]
 最近、旧都の南北勾配というか、昔の都市基盤についてJoBlogで話題になった。具体的にいうと、水洗トイレのことである。平安京など都は、人口密集地で町が汚れるものだが、ある程度傾斜があるから、ゴミや糞尿が大雨などで綺麗さっぱり流されて掃除されたという、趣旨の話だった。  私は、そういうことは事実だったと軽く考えたのだが... [Read More]

Tracked on 2006.03.16 01:01 AM

» 平城京、長岡京、平安京:三都の南北標高差 [MuBlog]
 最近、旧都の南北勾配というか、昔の都市基盤についてJoBlog(参考)で話題になった。具体的にいうと、水洗トイレのことである。平安京など都は、人口密集地で町が汚れるものだが、ある程度傾斜があるから、ゴミや糞尿が大雨などで綺麗さっぱり流されて掃除されたという、趣旨の話だった。  私は、そういうことは事実だったと軽く考え... [Read More]

Tracked on 2006.03.16 06:49 AM

« 横浜大桟橋界隈 | Main | 雪上機のソリ試作 »