« January 2006 | Main | March 2006 »

トリノ 冬季オリンピック

トリノ冬季オリンピックは終了した。

各国のメダル結果は

ドイツが一位ですね。しかし、韓国は金6銀3銅2個の合計11個です。そして、7位ですね。中国は金2銀4銅5の合計11個で14位です。

何と、日本は惨敗か?と思い過去の冬季オリンピックを調べてみた。

過去冬季オリンピックのメダル

92年のアルベールビルまでは、メダルが一つ程度で、ノルデイックの荻原兄弟とジャンプの団体とスピードスケートの個人能力と女子フィギャの個人能力のみどりさん。

前回のオリンピックでは、銀と銅の二個しか取れていない。もともと、日本という国の実力では一つか二つがいいとこなのだ。

だけど、テレビでは沢山メダルが取れるような煽りをしていた。NHKまでがそのような報道をしていた。そんなにして、視聴率を取りたいのか?本当の実力をどうして事前に視聴者に伝えないのか?怒りが込み上げます。

勿論、回転で4位に入賞した嬉しい事もあります、しかし、役員が何人トリノへ出向いたのか?そして、実力も無いのに大きな口を叩いた選手が大勢いる。指導者は責任を取れといいたいです。

そんな中で、誰も見向きもしなかったカーリングの女性達にメデイアが集中した。ホンマ彼女達は全員が北海道の人間で、場所が無く、青森の人々に支えられ貧乏にも何とかトレーニングを積む事が出来たそうだ。今更、国とメデイアは彼女達をサポートしたのか?

今の、日本という国のカタチがおかしな国の様相をしている。と、感じるのは私だけでしょうか?

せめてもの、救いは荒川選手でしたね。

彼女の気品と優雅さと力の舞は感動を受けました。個人の能力に助けられたトリノでしたね。一見、近寄りがたい感じで友達にはなれそうも無いと感じていた彼女ですが、芯の強い本当にフィギャスケートを愛している、観てる人々を感動させる”プロ”を観ました。

日本は温帯モンスーン地帯に位置する国です、所詮は、緯度の高い国々には冬季オリンピックは勝てないのかも知れない、しかし、個人の能力を引き出す戦略と、お家芸の団体で渡れば怖くないチームプレーで次回のバンクーバは頑張って欲しいです。

しかし、今年の夏のサッカーのワールドカップは心配になりました。今のままでは、1勝も出来ないのではないだろうか?最悪の結果が待っているような気がする。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

雪上機の工夫

私のフラミンゴはフロートが装備され、水上でも雪上でも大丈夫なつもりだ。問題はバレリーナの雪上仕様である。

わが、Blogでお馴染みのYsさんは見事な工夫をされたようである。

Ysさんのソリ仕様

これは、電動飛行機用のソリでしょうね。発泡スチロールか何かの上に板を載せ、その上に金具を工作し、飛行機の主脚を固定する方式の様子である。

電動機に装備模様

見事な工作である。私のバレリーナとは雲泥の差である。

_222 バレリーナ 手抜き工事模様である。スパッツをひっくり返して、車輪の上から被せただけの仕様?である。

ガムテープででも固定しようかな~~~と、いい加減なラジコン親父である。

フロートが装備された本格的なYsさんの飛行機も掲載されていました。

フロート付き、水上機模様

しかし、美しく出来るもんですね?偉い違いです・・・・。(涙)

_191 アタシの、フラミンゴはこれやからね。

さて、Ysさん3月末の信州で飛ばしましょうよ!

ところで、今週末の日曜日は千葉フライトです。冬合宿に備えた最後の調整です。噂では、わこちゃんは、週末には05エンジンを搭載した完全自作の飛行機を持ち込むそうですよ!

予想では、先ずエンジンが始動しないでしょうね?(笑)

私は、バレリーナ4号の初飛行とフラミンゴのテストを予定しています。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

カナデイアンロッキーへの旅(2) 湖と氷河へ

IMG_0049 IMG_0048 バンフから車を借りて、ルイズ湖に到着ですね。

この湖は鏡のような湖で、ロッキーの山の姿を綺麗に写します。桃源郷と呼ぶにふさわしい世界です。

IMG_0052 IMG_0053 湖のそばに、ホテルレイクルイズという有名な、上高地の帝国ホテルのような建物があります。

当時会社の私の秘書で米国人の女性が、アメリカの思い出にロッキーへ行くなら、VIAの列車で個室を取る事と、ホテル・レイクルイズの特別室を私が予約してあげる、任せろと、旅行会社と交渉してくれました。

IMG_0056 ホテルの部屋は湖に面しており、部屋全体がおへそのように突き出ているんですね。だから、周りが見えるんです。

これは、素晴らしい部屋というか、空中の部屋でした。ここ以外では安いモーテルに宿泊しましたが、唯一の贅沢でした。

IMG_0057 IMG_0058

ホテルの周りの模様ですね。

日本からのツアーはどのようになってるか、知らないけれど、是非このホテルで湖に面した部屋を予約されると、素晴らしい思い出になると思います。

この湖では、ボートも乗れますので、のんびりと万年雪の山と氷河を眺めながら過ごすのは素晴らしいと思います。

IMG_0061 IMG_0062 湖には写真のように、夕方には湖面に映ります。神秘的な姿であり、富士五湖の富士のようですね。

部屋からは山と湖が見えますね、この雰囲気が流石に、ロッキー山脈の山の中に来たという気持ちにさせてくれます。

夕焼けに燃える山肌と、湖面に映る姿はこの旅のハイライトに相応しいものでした。

Continue reading "カナデイアンロッキーへの旅(2) 湖と氷河へ"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

カナデアンロッキーへの旅(1) バンクーバー&車窓編

IMG 1984年8月1日から8日の一週間の夏休みを家族でカナデイアンロッキーへの旅をした。

サンフランシスコからバンクーバへ飛行機で飛び、バンクーバを観光して、大陸横断鉄道CPR(カナデアン・パシフィック・レイルウエイ)にてレイクルイズ経由バンフ迄汽車旅行。そして、車でレイクルイズ、ジャスパーへと旅をして、最後はカルガリーにたどり着き、飛行機でサンフランシスコへ帰着する旅でした。

バンクーバでは有名なCAPILANOという吊橋で有名な自然公園があります。

CAPILANOパンフ(1)

CAPILANOパンフ(2)

IMG_0004 IMG_0005 バンクーバ発のモントリオール行きの大陸横断鉄道は夜に出発するので、昼のあいだはCapilanoに遊ぶことにした。

インデイアンの聖地であり、豊かな自然に恵まれた場所だそうですね。昔の住まいが復元され、又、西部開拓時代の思い出が沢山、記念物として展示されており、子供達が遊ぶには素晴らしい場所です。

IMG_0008 IMG_0009 サスペンション・ブリッジ(吊橋)で有名ですね。これは、高所恐怖症の人には怖いでしょうね、なんせ、揺れますからね。

私もちゃんと渡りましたね。四国の祖母カタブキの蔓橋の方が怖いです。何んせその時は30キロほどのリュックを担いでいましたかね。

IMG_0014 IMG_0013 カナダ大陸横断鉄道

バンクーバの駅ですね、VIAと呼びます。ここから大陸横断鉄道(VIA)はトロント、モントリオールへと繋がる鉄道ですね。

私達はコンパートメント(個室)を予約しておきました。夏は予約で一杯になりますので、春頃に予約しておきました。

IMG_0012 さていよいよ、バンフに向けての鉄道の旅が始まります。

バンクーバを夜の9時45分に出発して、明日の夕方6時45分にバンフに到着予定ですね。21時間の旅となりますね。

IMG_0017 IMG_0020 これからは、世界の車窓となります。(笑)

針葉樹に覆われたカナダの自然を満喫しながらの旅です。勿論、夜中に出発ですから翌朝の風景になります。

CPR(カナデイアン・パシフィック・レイルウエイ)でしょうね。

IMG_0021 IMG_0022 ベッドもトイレも付いている個室ですから、安心して気楽な旅が出来ます。

子供達は、車窓に熊とかおお角鹿が現れないか楽しみで眺めていましたが、流石に21時間の汽車の旅は飽きるようですね。列車の中を走り回っていました。

Continue reading "カナデアンロッキーへの旅(1) バンクーバー&車窓編"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

ヨセミテの想い出

IMG_0031 皆さんは上高地へ行かれた事はあるでしょうか?釜トンネルを抜けて、大正池、田代池、明神池をすぎ、梓川を遡ると、仰ぎみる穂高の峰々の素晴らしい光景を。

ヨセミテに入り、まさにその景色が上高地の数倍のスケールで迫る感覚を受けました。写真の一番奥が、有名なハーフドームですね。

米国に駐在になり、次の年の夏に二番目の姉と子供達と、上の姉の子供達がアメリカに遊びにきたのです。そこで、先に来た姉と娘さんを連れて家族でヨセミテに行きました。

IMG_0024 IMG_0023

姉と娘さんです。今は熊取という新大阪国際空港の近くの田舎で玉葱畑に囲まれて暮らしています。旦那さんは弁護士ですが、娘さんは医学部に進み、お医者さんをしていますね。

この頃は未だ小学5年生の頃ですね。姉は料理が得意で、高校時代は卓球部でした、自宅に卓球台があります。

IMG_0020 IMG_0019

ヨセミテでは確か、山火事があっても人工の手では消火をしないと聴きました。あくまで、自然に任せるという話でした。自然環境に手を加え環境が変わる事を避ける為だと思います。

滝もスケールが違いますね、豪快な滝がいくつも、いくつもありました。そして、一番有名なのが、ハーフドームという岩山です。

年末から岩壁を登り始め、正月に岩の上で新年を迎えるクライマーが多いそうです。

IMG_0014 IMG_0015 写真の後ろの山がハーフドームです、豪快な山塊ですね、世界中の山男がこの壁を目指すと聞いていました。

私たちは、気楽にロッジに宿泊して、散策した程度です。未だ、息子が1歳少しでしたからね。

日本から来た、姉も子供達も大変楽しんだ夏休みでした。

Continue reading "ヨセミテの想い出"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

米国紀行 1999年8月

今から7年前に米国に先輩と二人で出張しました。東海岸のワシントンに入りニューヨークを訪れ、最後に西海岸のシリコンバレーへの旅でした。

IMG ワシントンでの写真ですね。ホワイトハウスの前ではないでしょうか?日本からは直行便でワシントンDCに着きますが、12時間程度はかかるでしょうね。

飛行機で疲れたのか、ボケ~としてます。同行の先輩は私より疲れたとおっしゃり、会議を夜にしてもらいました。

それまで、散歩した時の写真ですね。

IMG_0001 私は、先輩がスミソニアン博物館は知らないとおっしゃるので、飛行機を見る為にお連れしたのでないだろうか。

しかし、写真を探したがどうも見当たりませんでした。ワシントンの風景を背に写された写真しか有りません。

この夜は相手企業さんの経営者と蟹をたべました。テーブルに新聞紙を広げバケツに満載された、ストーンクラブをぶちまけ、トンカチで叩いて割りながら食べるんです。

私は、醤油とライスビネガーを注文して、日本風で食べましたが、米国人は溶かしバターとかなんじゃらで食べてました。

IMG_0003 IMG_0002 ニューヨークですね。ブロードウエイはネオンが美しいので、歩いていても退屈しませんね。

残念ながら、ミュージカルを観る事は出来ませんでしたが、マンハッタン島の南端で橋を眺めながら食事はできました。

IMG_0006 IMG_0007 参考Webありました

米国駐在時代には、二ヶ月に一度程度はマンハッタンに出張していました。西海岸からは5時間以上はかかりましたね。

冬のマンハッタンと北部のスカースデールは懐かしい思い出が詰まっています。

Continue reading "米国紀行 1999年8月"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

ラジコン飛行機 最新報告

_222 雪上用のバレリーナを考えているが、スパッツを陸上用のタイヤの上から被せるとどうだろうか?何らかの方法で固定できれば、これで雪上を滑走できないだろうか?

最悪はガムテープで固定して離陸だけでも可能にさせる考えが閃いた!

ソリを製作する考えもあるが、周りに竹が無い!千葉なら沢山の竹薮があるので、素材に困らないと思う。(笑)

来週の日曜は千葉遠征である、冬合宿の調整フライトとしては最後の練習場面である。

_223 この、フラミンゴ水上機は既に完成しているので、重い体をリフト出来るかが検証として残る。離陸時に向かい風があれば、必ず大丈夫ではないだろうか?(いいかげん)

しかし、スタイルが抜群である。格好がいい飛行機に出来上がりましたね。我が家の玄関で頑張っています。(笑)

ぶら下がると言えば、廊下に蝙蝠のようにぶら下がるオーラムスポーツ32SX機がいますよ。

_224 サングラスを肩にかけて、何時でも出動できる態勢にあります。この飛行機は正確ですね。ビシッと飛びます、下手な操縦には下手な飛び方、上手な操縦には上手な飛び方です。

そういえば、電動機はどうなりましたかね?

_226 こいつも元気です、今日の朝にギヤダウンのメカを修理し、部品交換をして何時でも飛行可能です。

しかし、ニッカド電池は健在ですが、例のリポ電池は鶴見川の川に墜落した影響で壊れました。リポは水に弱いそうだす。一応電力は供給してくれるが、時折電力供給が止まります。

これでは、飛行機を飛ばす事はできませんね。しばらくは、ニッカドで飛ばし、金が貯まれば又、リポを買います。(貧乏だからね)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

古代の”霊柩船”出土

2006年2月23日の朝刊には、読売新聞一面で船の側板と棺の蓋の写真が掲載された。

奈良県広陵町の巣山古墳(4世紀後半)の周濠から、表面に文様が刻まれ朱が塗られた前例のない形状の大型木製品が出土したと、同町教委が22日に発表した。

木製品は船の形に復元できる事から、埋葬前に遺体を仮安置する”モガリ”の場から陸路で古墳迄遺体を運んだ”霊柩船”の一部と専門家はみている。古代の葬送儀礼を解明する上で極めて重要な発見であると。

長さ8メートルの船に棺桶が4メートルになる。棺桶の蓋はクスノキであり、側板は杉である。船の先端はそりあがり、ゴンドラの形状である。

読売新聞では、”隋書倭国伝”を引用し、”貴人は三年外でモガリをし、葬に及べば、屍を船上に置きて、陸地にて之を牽く”という記述と一致すると述べる。

巣山古墳は全長220メータの前方後円墳であり、大王級の人の被葬者が眠ると言う。

(モガリについて)

古代の日本においては、貴人が死ぬと何年も棺桶を安置し、祭祀を行い喪に服す習慣がありました。棺桶を獣とか虫から守る為にクスノキとか槇の木を材料に使ったそうです。関西方面では今でも葬式にはシキビを飾る習慣が面々と続いていますね。

さて、このモガリの習慣は他の国ではどうなんでしょうかね?昨年の12月に関連する記事を書きました。

邪馬台国への旅 古本より(2)

実は、南朝鮮半島には古代よりモガリの風習が存在したんですね。古代のヤマト王権はこの風習を受け継いでいるんでしょうかね。しかし、何故そうするのか?今だに私は自分でその理由が解っていません。

どうも、洗骨するプロセスが大事だと考えた節もありますが、謎です。個人的には、権力を握る大王が死ぬと後継者争いとかが起こり、国が乱れるケースが考えられます。数年も喪に服していれば、次の大王もちゃんと推戴できる、冷静なる期間をわざわざ設定したとも考えられますが、どうでしょうね?

いずれにしても、葬送儀礼に船が登場するのはどう考えても、北方系の習俗では有りませんね。巫女さんと船の取り合わせは、ヤマトを解明する上で重要なファクターではないでしょうか。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

オホーツクの豊かな恵み

友人で同期入社のテッチャンがBlogを始めて、丁度、一周年だそうです。

彼のBlogは昭和20年代の豊かな海の幸に囲まれた明るいセピア色の青春が語られています。時折、ヒグマが出没するようですが、恐れず元気に育ったようです。何時までも、オホーツクが豊かな自然に囲まれている事を祈念するばかりです。

そこで、先日放映された”オホーツクのタラバ蟹”という番組に感動しましたので、少し触れさせて頂きます。

(流氷の豊かな植物プランクトン)

オホーツクにはアムール川河口で形成された氷が流氷となり押し寄せてきますね。この流氷には沢山の植物プランクトンが含まれているそうです。そして、その植物プランクトンを食べる動物プランクトンが集まり、それを食べる小魚・・・・と、植物連鎖が起こるそうだ。

それでは、何故にアムール川河口で形成される流氷には豊かな植物プランクトンが発生するのか?という問題になる。

(アムール川基礎知識)

アムール川は皆様ご存知、モンゴル高原を源流とする全長4350キロの世界第8位の大河であります。中国東北部の満州とロシアの国境を流れ、ハバロフスクあたりでオホーツク海に注ぐわけです。

中国の人々はこの大河を黒竜江、黒河、黒水、と呼ぶそうで、茶褐色で黒い色をしているんですね。そこで、この色の原因が実は豊かなオホーツク海を育んでいるそうです。

Continue reading "オホーツクの豊かな恵み"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

ロケットが出てきた

_218 20年以上前に米国で購入したロケットが押入れから出てきた。

アメリカでは人気で、広場ではこの模型のロケットをよく飛ばしている。電気を使いリモートのスイッチで固形燃料をヒートし、発火させ爆発させる仕組みです。

_220 発射台も組み立てればよくて、ロケットも組み立てる。そして、固形燃料をお尻に差し込むのだ。

確か、ダッシュ村の番組でこの固形燃料を使用して大きなロケットを発射する試みが放映されていました。

大きな規模の固形燃料になると、ライセンスが必要なようですね。危険ですから、そのようになっています。

しかし、20年も経過した固形燃料は役に立つでしょうかね?今度の信州での冬合宿に持ってゆきましょう。

子供の頃には、エンピツキャップにマッチの先を削り入れ、飛ばしましたね。セルロイドを刻んで入れたりもしました。懐かしいですが、ホンマ危険な遊びを隠れてしたものですね。

話は突然変わり、同期会の写真。昭和44年入社の市ヶ尾寮中心の集まり。

CIMG0201 総勢27名です、メンバーはコメント欄にあり。

マイフォト 同期会2006/2/21写真集

2002年度 同期会 記念記事(写真)

| | Comments (4) | TrackBack (0)

26年前の大倉山

26年前に海老名から大倉山に引越しました。当時、職場が蒲田でしたが通勤に時間がかかり、激務という事も重なり急性肺炎に罹りました。そこで、職場に近い場所という事で大倉山へ引越したのですね。

早速、新年会で赤とんぼのメンバーが押し寄せて来まして、我が家で宴会となりました。引越しも皆さんにお手伝い、頼みましたね。

IMG_0002 (赤とんぼ新年会1980年)

MISAYOは5歳、次女は3歳でしょうか、赤とんぼ宴会だけには顔をだす、篠原さん、野城さん(現在は西安に駐在中)が相変わらず見受けられます。

この住居に移り、2年後には米国への駐在となってしまいました。この頃はアマチュア無線に凝り、専用バルコニーに大きなアンテナを建設していました。勿論、赤とんぼのメンバーが手伝いに来てくれました。(プラス、篠原、野城さん)

IMG_0003 3.5メガと7メガはワイヤーアンテナです。14メガ、21メガ、28メガのバンドは二台のヤギアンテナを使用していましたね。主に、14メガと21メガでDX(海外通信)をして、28メガでは神奈川の仲間との通信に使用していました。

一番上には144メガの垂直ヤギを設置していました。これは、富士山反射を狙う波長の短い電波を発射します。

この頃は、JL1CHV,JM1OIA,JA1AYC,各ハム仲間と10メータでは通信をしておりました。海外の状況とか電離層の状態とか情報交換をして、如何に海外と交信するか?挑戦していましたね。

IMG_0004 子供達は幸い未だ小さい頃でしたので、危険は有りませんでした。しかし、深夜に海外と交信するために寝不足が続いたのです。

特に、電信での交信は集中しますので、遂に身体を壊してしまいました。そして、のんびりとハムを楽しもうと考え方を変えたのです。

IMG (大倉山記念館)

大倉山梅林の隣に素晴らしい建物があります。当時は未だ大倉山精神文化研究所という名前ではなかったでしょうか。

今は、市民に開放されています、色んなコンサートとか催し物がここで開催されます。静かなので、昔は子供達とよく遊びに行きましたね。

IMG_0001 (26年前の大倉山梅林)

紅梅が満開ですね、素晴らしい梅林でしたが、未だ観光客が来る程は知られておりませんでした。大倉山は本当に環境に恵まれた所ですね。(宣伝)

この1年後には米国の西海岸、サンノゼに移リ住むとは思いもしませんでした。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

家族もろもろ

IMG_0030 二番目の姉の結婚式の一コマですね、京都の学士会館だと思う。

旦那さんは司法研修生?(東京で教育を受けてましたね)を終えた頃ではないでしょうか?私の親父も元気でした。旦那様の父は早く亡くなれていて、ご母堂様はお元気でした。姉も旦那様も元気で関西におります。

私の姉は二人とも、活発な女性で何時も元気溌剌でした。もう私の両親も姉の旦那のご母堂様も亡くなられました。

私の両親ですね

父は佐賀県の唐津生まれで、江戸時代から続く海外貿易を営む貿易商でした。筒というのは歴史が古く、住吉大社の祭神も筒であるように、海人族の伝統を受け継いでいます。

母は山形県の霞町生まれの侍のお家で、もともとは渥美半島の渥美藩の家臣でした。母の旧姓は渥美です。

母と叔母です。叔母は東京在住で就職で私が東京に移り住んでからも、面倒をよく見て頂きました。某有名製薬会社の役員の奥方として、癌で亡くなる迄、私たちの面倒をみて下さいました。

写真の子供は誰か判りませんね。私の母と叔母はとても仲がよくて、私の姉ふたりの面倒もよく見て下さいました。姉妹の仲がいいのはとても素晴らしいと、思いました。

私の父の父(笑)、おじいちゃんの筒井源左衛門さんです

もう一人の姉は今まで、何回も記事と写真で出ていますので、今回は省略します。京都の宇治に住んでいます。

IMG_0001 IMG

息子の七五三の時と、次女と京都の実家の庭掃除をさせられた時の写真です。

何か、悪いことしたんでしょうね、罰で庭掃除。昔の写真です。

_217 大根の栽培を始めた。さて、どないなるやら?

| | Comments (6) | TrackBack (0)

勝五郎 再会

IMGP3316 先日、昔のコンテンツ時代の仲間と会合があった。

蒲田の”勝五郎”という名前の居酒屋です。昔は、夜の10時頃に集まり食事と酒を飲み、仕事の話をしたものです。

当時、いろんなプロジェクトが走っていまして、”Kids Club”という幼児のパソコン教育のプロジェクトが有りました。三歳児、四歳児の子供達にパソコンに接してもらい、能力開発に役立てる試みでした。ホームページも作成し、子供達の作品も掲載しグローバルに展開する計画でした。

コンサルとして当時テレビのキャスターの某女性(現在、某一部上場企業の会長さん)をお願いし、月に一度来ていただき色々と相談にのっていただきました。

女性の方々が中心で推進されていましたね、フィンランドの文部大臣も見学に蒲田迄こられました。当時は珍しいのか、各局のテレビでも採り上げられ注目されていました。写真のえらい女史さま達が頑張りました。

Townsというマルチメデイアパソコンの開発により、音楽、絵、文字、という世界が子供達の能力開発のお手伝いが可能になると確信して進めていました。物つくりが出来るツールとしてのパソコンに無限の可能性を期待していたのです。

もう10年以上前の話ですね。

勝五郎の親爺は面白い親爺でして、数年ぶりに顔をだしても名前は覚えてくれていましたね。愛想は極端に悪いんですが、何処か憎めない素晴らしい親爺です。

居酒屋の二階の端の大きなテーブルを何時も独占して、勝手にビールとかワインとか酒を冷蔵庫から出して、飲んでいました。

IMGP3314

当時、ボスの取締役は何時も、毎日の売上が心配で朝、夕、私は売り上げを、訊かれていました。それが、辛いもんでしたね。(もうからん)

上野の花見、上野の紅葉狩り、各宴会で皆様ともファミリヤーになりましたいつもの面々では、集まると盛り上がるのです。

追加:けんた&アトム パパ

 パール’74 正木邸セッション

 上野ワンワン新年会

 学校ゴッコ 写真のshimizu女史のお友達仲間

 谷中に出来る”ファーブル昆虫館” 写真のshimizuさんのお友達が館長さん

| | Comments (5) | TrackBack (0)

大倉山梅林 二分咲き模様

先週は大倉山梅林の蕾模様をお伝えしましたが、今週の模様は二分咲きです。

大倉山梅林 蕾模様(先週)記事

_215 _212 先週よりは沢山の梅を観賞される人々が多いようですね。梅の香りが先週よりはきつくなりましたね。

紅、白の梅が少しずつ開花を始めました。桜の花は地上高く咲き、梅は比較的低い場所に咲くので身近に感じますね。

_205 _208 この大倉山に移り住み、23年は過ぎました。その当時からこの梅林にはお世話になっています。昔は、手入れされていなくて、まるで、野に咲く梅の様子でしたね。

最近は、整備されて多くの観光客も来られる様子です。勿論お年寄りの方々が多いのですが、カメラを抱えて本当に梅の咲くのを楽しみにされていますね。

_201 _203 桜で八重というと遅く咲く花だと思うのですが、この八重野梅は早く咲くようですね。花びらは桜の八重のような姿をしています。

奈良、平安の時代にはこの梅を眺めて生きている喜びを歌にしたんでしょうね。今日も、残念ながら鶯の姿は見つかりませんでした。

_210 _200 梅の木の老木は不思議と横たわるような、木が多いですね。わざと、そのように剪定するんでしょうかね?

白も紅もどちらも素晴らしい趣です。今週末には6分咲き程度にはなるんではないでしょうか?

最後に、池にはカエルが春を待ちわびていました。

_213 池の中に沢山のおおきなガマガエル?が沢山潜んでいます、時折顔を出しに水面に出てきます。

写真に写っていますね。春にはカエルの卵が沢山できるんでしょうね。

| | Comments (6) | TrackBack (1)

懐かしシリーズ(4)

九州は最高峰の屋久島宮之浦岳登山の思い出です。

以前に、何回か記事は書きましたが、今回は写真編です。

IMG_0045 永田岳(1890メートル)の昭和43年3月の景色ですね。

写真の左隅をわれわれのパーテイが縦走しています。未だ、雪が残る春の屋久島ですね。屋久島には何としても登りたい思いがありました。縄文時代から生き続けた杉がおられるのです。遥か日本の歴史を4千年間見下ろしてこられた木がおられるんですね。

IMG_0046 宮之浦港ですね。鹿児島の開聞岳を遥か眺めながら船出すると、屋久島の宮之浦港に着きます。

屋久島からの帰りの港は湯泊港から鹿児島を目指しました。

IMG_0047 パーテイのメンバーですね。私はもう4年生になっていました。同期の上田さんも一緒でしたね。同じ経済学部で学んでいました。彼は、卒業後は日立に就職しました。

4年生ですから、リーダではありません、オブザーバの資格でパーテイに参加したのです。

IMG_0048

左端が私で、右端が上田さんですね。顔は雪に焼けて真っ黒ですね。この登山は雪に降られ、往生して登りました。

気楽な4年生の立場ですから、のんびりと屋久島の雪景色を楽しんで登りました。

IMG_0049 IMG_0050 永田岳をバックに私の写真ですね。逆光ですから顔は判りませんね。(笑)

しかし、美しい山並みではないでしょうか?これが、海に浮かぶ屋久島の山なのですからね。不思議ですよね。まるで、アルプスにいるようです。

IMG_0051 IMG_0052 雪道の縦走は疲れます、しかしこの素晴らしい景色があります、苦労する連中にしか自然は美しい姿を見せないです。

下級生たちはよく頑張りました、無事に縦走は完遂できました。

Continue reading "懐かしシリーズ(4)"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

懐かしシリーズ(3)

IMG_0026 (利尻富士登山)

高校時代の無二の親友だった樋口さんと、北海道旅行をした。私の大学卒業記念である。

昭和43年8月です。稚内から船で利尻島に渡り登りました。簡単に登れる山ですから、誰でも経験できます。

リスが沢山いた記憶がありますね。

IMG_0027 同行の樋口さんとの、札幌での写真です。青森からフェリーで北海道に渡り札幌に着きました。

ラーメンを食べに出かけた記憶がありますが、何処で食べたかは忘れましたね。

私は、ワンゲルの夏合宿が終わってすぐに、関西を出発しましたので、未だ疲れが残っていました。

IMG_0025 何処の駅か判りませんが、北海道だと思います。(笑)

楽しいヤジキタ道中でしたね。テントは担いで、自炊道具も全て持ち相棒も高校時代はワンゲル部員でしたから、お互い宿はいらない極貧旅行でした。

そして、彼は調理師の免許も持つ本格的な料理人でしたから、食い物に関しては大丈夫。何処でも、テントを張り寝泊り可能でした。

IMG_0034 IMG_0037

利尻富士の風景ですね。

海面近くから一気に登りますが、屋久島の宮之浦岳とひかくするとこちらは、木が少なく本州の2千メータ級の山の植生にすぐになりました。

見晴らしは素晴らしく、直ぐに這い松地帯となります。遥か海面を見下ろしながら眺望は抜群でしたね。

IMG_0036 IMG_0033

(美深の駅近く)

利尻から次は大雪山を目指し、汽車で南下しましたが途中で相棒が出来まして、夜中に美深という駅で下車。

朝起きるとお花畑でした。

大雪山を登り、次に知床へのドライブ旅行と洒落込むつもりでしたが、私のワンゲルの副将の正井君が穂高岳で滑落事故を起こし、死亡。急遽、荼毘のために飛行機で帰りました。

IMG_0028 コロナハードトップの車をレンタルしていたんですが、友人を一人残し帰路についたのです。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

懐かしシリーズ(2)

IMG_0017 (高校卒業旅行)

雲仙での写真です。高校二年生の時に卒業旅行でした。九州への旅で、大阪から瀬戸内海を船で九州までゆきます。多感な頃ですね、当時はまだ真面目でしたね。私は一番後ろの真ん中あたりのメガネ男です。

IMG_0060 瀬戸内海航路でのひとコマです。ご一緒に写る女生徒さんのお名前も忘れました。(すみません)

もうお互い59歳におなりなんでしょうね?(笑)しかし、この頃はあだ名が、”ダルイさん”でした。(笑)

ホンマ、情けない姿と顔でんな。勉強ばかりしてましたからね。(笑)

しかし、人間とは変わるもんですね、ボケーとした男も磨けば国際ビジネスマン(笑)にも変貌可能なのですから、皆さん(若い人達)頑張って下さい。

IMG_0021 阿蘇でしょうかね、卒業旅行の時の写真です。カメラをぶら下げていますので、私も写真を撮影していたんでしょうね。

真ん中の男性は少し、不良の素行がありましたね。無事にその後はお過ごしになったんでしょうか?

学生服での卒業旅行だったんですね。私服ではなかったのだ。

IMG_0040 部屋での木浦君との写真ですね。彼は、元気ものでした。お互いに勉強しましたね。

部屋の中ではどんな過ごし方をしたのか、忘れました。酒は飲まなかったと思います。(笑)

IMG_0041 これも、雲仙でのひとコマでしょうか?後ろで煙がでています。しかし、笑えばいいのに、無愛想な人間だったんです。

それが、今では愛想を売り物で生きているんですから、人間は変わることができるんですね。

IMG_0024 学生証に張られていた写真ではないでしょうか?友人のテッチャンの札幌時代の写真と比較すると、似たようなもんです。(笑)

無愛想で陰気で、嫌な性格に見えますね。多分、そうだったんでしょうね。なんせ、受験時代ですからね。

今のように、ラジコンの楽しみもないし、酒場めぐりもないし、ホンマ砂漠のような毎日だったんでしょうね。(笑)

Continue reading "懐かしシリーズ(2)"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

懐かしシリーズ(1)

懐かしい時代のシリーズを始める事にしました。時折、アルバムを開いて写真を掲載します。あまり、恥にならない程度に配慮して当時の時代を分析しましょう。

IMG (高校二年生)

大阪府立寝屋川高校二年生ですね。仲間の同期との写真です。今は連絡が途絶えていますね。真面目な高校生の時代です。喫茶店に入ると停学か退学でした。舟木一夫さんの歌が流行した頃ですね。

IMG_0001 (赤とんぼ古代)

君島君、わこちゃん、田谷さん、そしてMISAYOが三歳頃でしょうか?当時は海老名プラーザのマンション(厚木)に居た頃です。皆さん、ラジコンカーを持って我が家に集まりました。

IMG_0004 髪がフサフサの会長の中村さんもいます。皆さんは20代の頃ですね。私は31か32歳の頃ですね。飛行機に飽きて、ラジコンカーに凝っていた頃です。田谷さんは、凄い改造車に乗って千葉の夜の高速でブイブイ言わせてた頃です。皆さん若かった。

IMG_0008 (ワンゲル時代)

大学3年生の頃の北アルプスでの写真です。神戸大学体育会ワンダーフォーゲル部の主将をしてた頃ですね。

生活の全てが、ワンゲルでしたね、要するに年間100日は山に入っていた頃です。よく、落第しなかったですね。試験の要領がよかったのか、先輩のノートのお陰かどうでしょうか?

しかし、最近までよく落第した夢でうなされました。(笑)

IMG_0016 (厳冬期の石鎚山登山)

大学二年生の頃の冬の合宿です。四国の石鎚山を縦走した時の写真ですね。この時は吹雪に見舞われ、食料が欠乏し食料責任者の道下さんが責任を感じて腹痛(申告)になったです。

彼は二日間ほど、飯を食わないで無事に下山できました。昭和42年の思い出ですね。雪の山は本当に美しいものでした。剣山から石鎚山を縦走した時の思い出です。

Continue reading "懐かしシリーズ(1)"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

斑鳩 藤ノ木古墳のロマン

昭和63年に橿原考古学研究所は法隆寺からそれほど離れていない斑鳩の、小さな円墳の発掘成果を発表し、日本中を驚かせた。未盗掘であったというのも奇跡ですが、横穴式古墳で巨大な家形石棺と豪華絢爛な馬具等々、驚きの発見でした。

藤ノ木古墳 場所

連日、テレビでは石棺の隙間から挿入されたファイバースコープの映像が放映され、水の中に浮かぶ無数のキラキラした金色の光に驚いた記憶が有ります。男性の20代と想定される貴人と、もう一人、年齢性別不詳の骨が発見され、合葬であると結論ずけられた。

太刀も数本発見されましたが、豪華な太刀でした、橿原考古学研究所に再現されたものがありますが、webでも見れますので、参考にして下さい。

橿原考古学研究所ホーム

そこで、被葬者は誰か?という、話題で当時は持ちきりでしたね。法隆寺の管長の高田さんは、法隆寺に残る古文書より崇峻天皇の陵墓であると図面に記述されているので、崇峻天皇説でした。しかし、崇峻天皇御陵は倉梯岡陵(くらはしのおかみささぎ)と書紀には書かれているので、どうなんでしょうか?

崇峻天皇はご存知のように、聖徳太子さまの叔父にあたる人ですが、蘇我馬子と対立し、暗殺された天皇です。聖徳太子とは関係がありますので、法隆寺の伝説もあながち無視は出来ないと思います。

(邦光史郎さんの説)

邦光史郎さんはその著”藤ノ木古墳の謎”において、被葬者推理においてロマンを語られております。私も事実はどうあれ、邦光さんのストーリならば素晴らしいと感動した思い出が有りました。

Continue reading "斑鳩 藤ノ木古墳のロマン"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

フラミンゴ 水上機完成

_191 遂にフラミンゴ水上機が完成した。

フロートを外せば、陸上機に変身する。フロートはテトラのキットから作成したものである。問題は陸上機の主脚もノーズギアも付けたままなので、重量がかなり増加している。

_192 FS30のエンジンの馬力で離陸できるかどうか?が課題である。向かい風が有れば、大丈夫かも知れないがそこが、心配である。

フロートを外せば、そのまま、陸上機になれるので、手投げで飛ばすか、道路から離陸させるつもりです。

しかし、是非、雪田から離陸させたいと思います。しかし、破損した飛行機をなんとか、修復できたのは嬉しい。

願いを込めて、空を飛んでもらいたいと思います。

_193 さて、結果は3月末の岩岳での冬合宿の結果を楽しみにして下さい。

次の、作業はバレリーナへの橇の取り付けですね。橇から自作するかもしれません。請うご期待!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

萬葉集あれこれ

高校生の頃には皆さん、萬葉集の歌を学ばれたと思います。その後、大学に進学して専門に萬葉集を勉強された人もおられるでしょうね。最近MuBlogではこの萬葉集についての秘話が載せられいますので、是非、勉強になりますので参照下さい。

MuBlog 萬葉集関連記事

大伴家持は萬葉集の編集に際して重要な立場におられたようですね、しかし、藤原氏との権力闘争、長岡京遷都の問題、等々あり家持は東北は最果て、多賀城に左遷され悶死する訳です。死して後も藤原種継暗殺の連座疑惑にて冠位を剥奪され、歌集も没収、あわれな結果になりました。

しかし、その後、桓武天皇の命にて復権します、そして遂に萬葉集が出来るわけですね。その背後の事情について、記事は語られております。世界に誇る日本の文学の宝である萬葉集、4500首にも及ぶ大歌集は成立したんですね。

(教科書で学んだ萬葉集)

・家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る   
      巻第二の142  有間皇子

その後、大学に進学し、ワンゲル活動で野山を彷徨していた時代、この歌を思い起こしました。一応、飯盒の蓋で飯は盛りますが、椎の葉で盛る方が風流だなあと思ったり、謀反の容疑をかけられ護送途中の可哀想な、有間皇子の想いに耽りましたね。

・瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ
                  眼交(まなかひ)に もとなかかりて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ

・銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも

上の二首は教科書で学びましたね? 山上憶良が筑紫の国で詠んだ歌ですよね。素朴で子供達を思う素晴らしい歌だと、学生時代から感動していました。

防人・東歌で思うのですが、何故、防人には東国の人々が徴発されたんでしょうね?確か、昔、鹿島神宮を調査していた時に船で九州の防人として出陣する兵士の話を知りました。

(萬葉集とは?)

この言葉の意味について、昔、調べた事があります。数年前に大神神社主催のセミナーが東京であり、中西進先生が講演されたのを聴きました。その折に萬葉集という言葉が気になり少し、自宅に帰り調べた経験がありました。

幾つか、説がある様ですが、概略は沢山の人々が詠んだ歌という意味か、幾世までも語りついで欲しい歌集とかそんな意味だと記憶に有ります。

Continue reading "萬葉集あれこれ"

| | Comments (6) | TrackBack (1)

フラミンゴ 水陸両用

_187 フラミンゴの改造に取り掛かる。

先週末に着陸で破損した飛行機を破棄せずに、大改造である。水陸両用の飛行機に改造している。

フロートを履いた状態の写真であるが、このフロートは外せることが可能である。フロートを外すと、車輪のついた主脚を下に下ろし離陸可能とする。ホホホ 頭がいいですね?

_188 上からの写真であるが、何か飛びそうですね?主翼は現在、修理中であります。かなり、破損しているが復元中であります。

しかし、エンジンがこの機体としては、オーバーパワーなFS30 の4サイクルエンジンを搭載しているので、重い体重でもリフト可能と思う。

_189 体重は1.6キロである。

大丈夫でしょうね?馬力は0.5ですね。トルクがあるので、大丈夫と思いますが、少し肥満体ですね。いかん、燃料を搭載しないと・・・・・・。

バレリーナは陸上機としては完成したが、車輪を外し、橇を付ける事にする。これで、二機の雪上機は完成する筈である。

_190 最悪の場面ではこの主翼とフロートを登場させる。

念には念を入れるのが、技術屋の心構えである。(笑)

| | Comments (4) | TrackBack (0)

50/60/70歳 談義

CIMG0177久し振りに昔のコンテンツ時代の仲間と宴会した。50歳の水野さん、約60歳のJo、そして70歳の古賀さんである。

何時もの恵比寿のベトナム料理屋”We”での再会である。

三人は同時代にコンテンツの仕事をした仲間である。水野さんは確か、平家物語とか源氏物語のCD ROMを出版されたと思う。古賀さんは、某国営テレビの教育番組のデイレクターをされていて、その後ご一緒にCD ROMを出版させていただいた。

大昔は松竹の撮影所で活躍されたと聴いています。今は、引退され魚釣りと郷土の祭りの無形文化財の映像記録のボランテイアをされてるそうだ。

私が山シリーズのCD ROMを企画した時に女性登山家の田部井淳子さんとか、今井通子さんに協力をお願いをして製作が進んだと記憶する。当時、NHKでは”日本百名山”の番組に人気が有り、製作された人々との話し合いとか、色々と楽しい事が沢山ありました。

古賀さんは”世界の車窓”のCD ROMの製作にエネルギーを集中されていましたね。テレビ番組のコンテンツには静止画が無いんです。そこで、再度、テレコムスタッフの人々とスイスとか現地に飛び静止画の撮影とか、空中からの撮影を敢行した記憶が有ります。

話は映画の話題となり、昔、私が考え出した映画の資金集めの話になった。当時、私は古賀さんたちと、映画製作の趣意書を発表し、企画案に対して株券を発行し、映画の主旨に賛同する人々から金を集め、興行結果で配当する案を真面目に議論した。

○エモンさんと発想は私、似ていたんでしょうかね?要は、文化というものは大衆の支えが無ければ成り立たないのだ。小銭を集め、多数の株券を発行して大衆の思いを集めて映画を作る。そんな事を考えていたと思いますが、その話を古賀翁に追求されてしまった。

しかし、三人で集まると楽しいコンテンツの話で盛り上がる。楽しい事でお金も稼げればこれに越した事は無いんですがね。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

大倉山梅林 蕾模様

_160 建国記念の日はポカポカ陽気でした。早寝して、朝6時前には起床し、トリノ・オリンピック開会式のクライマックスは実況で観た。

心臓の形をした会場の模様が面白いと思いましたね。ヘルメットから火を噴いてローラースケートで走るのは、血液でしょうかね。ローマ人の肉体賛歌でしょうか、伝統ですね。

先ず、エンジン機(フラミンゴ)を鶴見川で飛ばした。風も無く暖かく、早朝でも気持ちよく飛ばす事ができた。が!着陸で失敗し破損してしまった。アレレ・・・。駄目かもしれない。

(大倉山公園梅林)

孫が公園に行きたいというので、家族連れで昼飯を用意してでかけた。

大倉山梅園 梅模様

大倉山梅林参考web

大倉山駅のそばの山の上にある、関東では有名な梅園である。歩いて、15分程度で行けるので便利である。私は登山靴を履いてトレーニングである。

梅は未だ殆どが蕾でしたね。しかし、一週間後には3分咲き程度にはなるのではないでしょうか?是非、ここの梅の模様については逐次、報告したいと思います。

_182 _181 マイフォトで写真を載せましたが、それぞれ代表的な梅の木の開花模様を今後、できれば報告しましょう。

まだ、香りが漂う状況ではないですが、花の近くに行けば香りがしますね。

建国記念の日の大倉山公園梅林の模様でした。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

高速充電器 壊れる

_157 先日、2002年から使用していたニッカド電池の高速充電・放電器が遂に壊れた。画面左端の機械である。

秋葉のASAMIの親父の勧めで購入したもので、わが盟友のわこちゃんも同じ品を買わされた。

そこで、今回は写真の真ん中に写るニッカド電池用の高速充電器を秋葉のチャンプで購入した。1万チョイの値段で大安売り中だったので、即決、購入した。写真は今、エンジンのプラグをヒートするプラグヒータのニッカドを充電中である。約1.5ボルトで充電している。

ちなみに、右端は秋葉のエンルートで購入したリチューム・ポリマー電池をバランス充電できる充電器である。ちなみに、バランス充電とは例えば、3セルで構成されたリポ電池を各々並列に充電し、各セルが均等に充電できるように配慮した充電方法をバランス充電という。

_186 (バレリーナ4号完成する)

バレリーナ4号が完成した。陸上仕様でのバレリーナですが、雪田での飛行が可能なようにもする予定である。キットからの製作には面倒な作業が沢山ありますが、完成すると愛着が湧く。

デザインは今までと同じにした。白と赤がこの飛行機には似合うと思う。背面は黄色である。

(トリノ冬季オリンピックだ)

明日、からオリンピックがイタリア北部、フランスとスイスに接する雪国で始まる。私は、ミラノは数年前に訪問しましたが、トリノまでは足を伸ばしていない。フィアットの本社がある場所だそうですね。

そうそう、サッカーではユベントスの地元である。ここは、イタリアでは三番目の大都市だそうですね、統一イタリアが出来た時は首都だったそうだ。

だいたい、イタリアは産業は北部に集中していると思いますよ。昔、北のミラノから長靴みたいな国をバスで南下したが、南に行くほど産業はあきませんね。段々と南国みたいに気楽な風土になってる”感じ”がしました。

勿論、ローマは異なりますが、そこまでですね。

(金はゼロか?)

テレビの某キャスターは今回は金がゼロでメダルは16個と、予想してましたね。そないに沢山のメダルはいらんけど、金を一つは欲しいです。500メータ・スケート頑張って欲しいですね。

女子のフィギャスケートも頑張って欲しいです。皆さん、早く寝て朝早くおきましょう。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

壬申の乱 前夜の情勢

2006年2月8日 NHKその時歴史は動いた、という番組で”壬申の乱”が取り上げられた。内容は、Muさんが記事にされているので、ご参照下さい。

MuBlog 壬申の乱

内容は教科書通りの内容と思いました。私にはグローバルな視点が十分ではないような感想を持ちました。何故なら、壬申の乱は古代最大の内戦であった訳で、のっぴきならぬ事情が戦う両陣営には存在したと思うのですね。

(日本列島は戦時体制だった)

壬申の乱の前夜はどないな世情であったのか?事実関係を並べるだけで、日本列島は朝鮮半島の動乱の影響を受け異様な戦時状況であったと、想定されます。

・661年 筑紫 朝倉宮にて斎明天皇崩御さる。(暗殺の噂あり)この頃、朝廷の重要人物は全て筑紫に滞在。

・662年 日本が預かっていた百済皇太子、豊ショウに大軍団をつけ、百済遺臣の鬼室福信を目指し上陸させる。

・663年 白村江にて唐・新羅連合軍に大敗する。(約3万5千とも4万ものヤマトの兵派遣)

・664年 5月 唐の百済鎮将 劉仁願の使者である郭務宗が筑紫に到着。

・665年 9月 劉仁願、郭務宗 筑紫到着 10月入京12月帰国

・667年 唐使者 司馬法聡筑紫着、近江遷都挙行

・670年 新羅は唐に対して戦争を仕掛ける

・671年 6月 唐使者 李守眞来日 軍事協力依頼か?

・同年  11月 郭務宗 日本の捕虜1400名を含む2000の軍団到着

・同年  12月 天智天皇崩御さる(46歳)

・672年 3月 唐より書簡届く 5月 郭務宗帰国

・672年 6月 壬申の乱勃発

白村江での大敗北のあと、北九州には水城を築き、瀬戸内海沿岸にも多くの城を築き、飛鳥斑鳩では高安城を築き、近江に強引に遷都している。これは、唐・新羅と戦争する戦時体制であります。

天智天皇の政権では百済救援という軍事行動により大敗北を蒙り、且つ、唐・新羅に攻撃を受ける可能性を開いてしまった。防人が必要になり、北九州を始め国内の重要拠点には国内戦争を想定し多くの城を築き食料を備蓄した。

半島情勢は670年を契機に一転し、新羅と唐の戦争状態に突入始めた。そこで、天智政権がどのような海外政策を考えたたのか?これが、鍵になると考えています。

Continue reading "壬申の乱 前夜の情勢"

| | Comments (6) | TrackBack (2)

ワンゲル新人時代と別れ

IMG_0083 大学一年生。ワンゲル新人時代。

懐かしい顔ぶれですね。何かいじけているようですね。先輩にしごかれたあとでしょうか?吾朗ちゃんと、清ちゃんとは最近もお会いできているが、木村さんは九州で就職して長くお会いしていない。

箕輪はどうしたんだろうか?大昔は綱島におられた。しかし、何か、ホームレスみたいですね。最後まで残ったのは、吾朗、清ちゃん、箕輪、木村の私を入れて5人だ。写真にはいないが、ほぼ同数がワンゲルを4年間続けた。

IMG_0078 1988年8月に家族連れで、鹿島槍ガ岳の山小屋に終結した。

右端が一年先輩の石岡さんで、左は吾朗ちゃん。これが、(故)石岡さんとの最後でした。数カ月後に彼は身罷った。先輩とは、一緒によく山にでかけました。とても優しい先輩でした。

IMG_0079

真ん中の中川先輩も石岡さんと同期で、私はよく青谷の下宿にでかけました。中川さんが建築学科でしたので、彼が図面を引き、石岡さんと三人で鹿島槍ガ岳の山小屋の設計図の構想を語り合いました。

山小屋を建設するのは、先輩諸氏と私たちの夢でした。

IMG_0084 月日は経過し、家族連れで山小屋で苦労をともにした昔の仲間と会うことが出来たのも嬉しい限りでした。

本当に、先輩達と後輩のお陰で山小屋は出来た。そして、もう40年ちかくになろうとする。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

豪州への旅 1986年頃

米国での駐在を終えて帰国した頃に、数回、豪州への旅をしていた。シドニーとキャンベラである。同じ職場の島影君とシステム部門の儘田さんと、海外システムの会沢さんと一緒でしたね。

マイフォト 1986年頃の豪州

米国と同じ英語の文化圏ですから、私も気軽に仕事が出来たと思います。豪州といえば、この動物たちですね。

IMG_0051 IMG_0052 コアラとカンガルーですね。そして南半球ですから南十字星です。渦は北半球とは逆に廻るというので、ホテルで何回も栓を抜いて試験しましたが、不成功でした。

しかし、コアラとカンガルーそして小さめのカンガルーでワラビーと言うのかな?沢山、ゴルフ場にはいましたね。

コアラもカンガルーも臭いが強烈であまり近寄るとあとが、大変ですね。臭いが消えない記憶がありますね。

IMG_0070 ゴルフ場には色んな動物がウロウロしてるんですが、こいつも、やたら見かけましたね。エミューというダチョウみたいな鳥ですが、でかいです。体長2メータほど有り、時速40キロという高速で走ります。

しかし、離陸は出来ない。(笑)だちょうと同じですね。足は速いのだ。

IMG_0032

こいつは、何でしょうね?鳥なんですが、クッカバラでは無いですよね。そうそう、クッカバラという鳥はゴルフ場で松の木の上から巨大な松笠を投げてくるんです。長さ30センチもあろうかという、巨大な松ポックリを投げるんです。

IMG_0061 私も当時はゴルフをやりましたね。下手ですけどゴルフは好きでした。意外とサマになりますね。(自我自讃)

ま、安い料金で出来ますし、他に遊ぶものが無いのでオーストラリアではゴルフでもして、カンガルーとか鳥と遊ぶのが楽しいです。

IMG_0038 島影君と会沢さんですね。鉄板焼きで美味しいオーストラリア牛をたべましたね。お二人は海外通でして、その後も海外を担当されました。

そして、もう一人は儘田さんですね。

IMG_0039 彼もその後も海外を担当されました。以前、三人で集まった時の記事を書きましたね。覚えておられる方々もいると思います。

とても、明るい皆さんでしたね。海外担当の人々はどうも根が明るいようですね。

IMG_0046 子供達に道を訊かれて困りましたね。それと、豪州の英語は少しローカルな発音があるんですね。私は、カリフォルニアの英語だと言われてしまいました。(褒めてはいない)

楽しい、オーストラリアの旅は何回かこのメンバーでやりましたね。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

独身時代 

IMG_0009 今から37年か8年前の写真ですね。同じ大学から入社した経営学部卒の和田浜さんと、井上さんと法坂スキー場に出掛けた時の写真です。

志賀高原ですね、現在はサンバレーという名前のスキー場です。会社の労働組合か何かのスキーだったと思います。この写真は私が見合いで結婚する時に提出した写真の一枚でした。

今でも、お二人とは酒を飲む仲間として続いております。

IMG_0010 職場の連中と弓ヶ浜か何処か?に、海水浴?(ふるい?言い方)に出掛けたときの思い出ですね。

夜は、花火を買い込んで派手にやりましたね。若者達だけの職場でしたね。当時は年上の人々はプログラムを組めないので、勝手にやってました。(笑)

IMG_0013 名古屋です。私は26歳頃ですね、下宿が近くで何時も週末は一緒に遊んでいた同期の加藤さんが、一足先に結婚しましたね。名古屋城の前のホテルです。

独身時代は結婚式の司会をするのが得意で、昔の仲間の結婚式には出掛けて司会をしていました。

IMG_0016 司会の風景ですね。沢山やりました。特に、ワンゲルの仲間の結婚式の司会はよくやりましたね。

どこかに、沢山、写真があると思いますが皆さん元気にお暮らしですね。

Continue reading "独身時代 "

| | Comments (4) | TrackBack (0)

30年前の赤とんぼと、アメリカ

引き出しには、昔の写真が整理されずに仰山、あります。そこで、今日は二つのアルバムを紹介します。

30年近く昔の赤とんぼの生態

1982年頃の米国駐在時代の思い出

IMG (大昔の赤とんぼ)

懐かしい写真は沢山あります。全員でアマチュア無線の資格を取得し、岩岳に無線機と大きなアンテナを持参し、無線交信をしていました。”ちんぐるま”の隣の空き地にアンテナをたてて、楽しく交信したのです。

自宅には全員がハムのアンテナを設置して、日頃は無線で用事も無いのに交信をしていたのです。写真に登場する”赤とんぼファンクラブ”のメンバもハムの免許を取得し、われわれが横浜、東京から中央高速で一路、信州に向う数多くの車を追いかけて、連絡の中継局として支援してくれました。

白銀を抱く、後立山連峰の峰峰の写真とか、山小屋の周りの景色も素晴らしい思い出です。この頃は、若かったのです。小屋の中での宴会でもメチャメチャ酒を飲み干しましたね、今では考えられない光景です。

多摩ニュータウン造成地での、三人(わこちゃん、会長、Jo)の写真は赤とんぼの神話の時代になります。1976年の6月の写真ですから、丁度30年前の記録ですね。写真に76の数字が残っていますね。私が未だ、29歳の時の思い出です。

今後、このての写真をおいおいスキャナーで取り込み記事にしてゆきたいと思います。

Continue reading "30年前の赤とんぼと、アメリカ"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

雲州そろばんと玉造り

NHKの新日本紀行という番組で、出雲のそろばん作りを取り上げていた。

そろばんというと、子供の頃には習字と並んで、そろばん塾が繁盛していた思い出があります。私も習字の塾とそろばん塾には通った。だいたい落ち着きの無い子供は精神修養と集中力を鍛える目的で親はこれらの塾に通わせたと思う。

(雲州そろばん薀蓄)

江戸後期、天保3年の頃に村上吉五郎という人が珠を削る手廻しロクロを開発し、珠のかたちを均一に保つ素晴らしいそろばん作りに成功した。その後、農家の副業としてそろばん作りが栄え、その後も次々と足踏みロクロとかが開発されそろばん製造の中心となった。

珠は梅材、枠は赤ガシ、桁は煤竹を使うそうだが、珠が均一である事と珠のすべりが大事だとか。農家の囲炉裏の屋根裏で長年の間、燻製?になった竹を集め川で洗い、心棒とする。そういえば、日本伝統の横笛も煤竹を使用しますね?歪まないのでしょうか、理由は知りませんが、伝統の素材と技ですね。

珠を削る工具とか珠に穴を穿つ工具を見てると、流石に出雲の鋼が凄いと思いました。工作機械の道具は鋼の本場、出雲ならではですね。日本刀を作る技術のある鍛冶屋さんを訪問して、工具を注文してるそろばん作りの名人の姿が有りました。

今は、タイとか中国に子供の教育用に輸出されているそうです。そろばんは子供の教育には大層効果があるそうですね。足し算、引き算はそろばんが一番だそうです。中国では、そろばんに電卓が付帯し、掛け算、割り算は電卓部分を使用し、足し算、引き算はそろばんを使用する。

ハイブリッドなハイテクそろばんが好まれているそうだ。暗算の訓練もパソコンを使用しそろばんで鍛えた能力を研鑚させていましたね。

Continue reading "雲州そろばんと玉造り"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2006年2月5日 千葉飛行会

_144 早朝、6時起床し6時半にはわこちゃんが迎えに来てくれました。そして、カッチンを載せて、一路、千葉へ。寒い、未だ昨夜の雪が少し残る朝でした。

今日は、この”スーパーチッマンク”のリベンジです。前回の千葉で離陸途中にエンジンが停止し、墜落しました。エンジンマウントをOSの純正部品に変更して再度、搭載した。見事に飛びましたね、FL70 4サイクルのエンジンはパワーが有りますね、真っ白な排気ガスを吐きながら、見事な白い線を引き優雅に飛びました。

_145 ”フラミンゴ機”です、OS FS30の4サイクルエンジンが搭載されていますが、給油パイプが切れていて燃料が漏れ、修理して飛ばしました。

風が強くなり、風の方向に向うと停止するほどの肌を刺す冷気の風でした。これも、無事飛行を終えることが出来た。

_146 _147 ラジコン親父の”ホットリンボー”ですね、OS 32SXエンジンが搭載されいます。リボン切りの競争用に用意された機体で、スピードがでます。

垂直上昇も可能なほど、パワーも有ります。今日は大型機の180クラスは未公開な様子ですね。電動のファンフライ機も新しく購入した模様でした。勿論、リポでブラシレスです。

_148 _149 わこちゃんの二機ですね。ブルーの機体は”カルマート25スポーツ”でOS 25FXエンジンが搭載。オレンジはOS 15LA搭載の寄せ集めの、ななしの権兵衛機です。

今日は、わこちゃんの飛行機3機は無事に飛行するという、奇跡のような日でした。今年は運がいいのでしょうかね?人間、いつかはいい事があるものですね?(笑)

_155 わこちゃんの、3機目の全翼機で電動機です。これは、何回墜落しても壊れません!プロペラが後ろについている、プッシャー機なのですね。何回か墜落しましたが、壊れずに飛びました。

Jo,わこちゃんともに無事故という、奇跡でしたね。節分の夜の恵方巻きを食べたのが良かったのかな?(笑)

Continue reading "2006年2月5日 千葉飛行会"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

日本晴れ 2006/2/4立春

_138 真っ白な富士山が望める、立春の朝である。フィルタにゴミが付いてるのか、申し訳ありません。けど、綺麗な富士である。

昨夜は風が強く、冷え込み夜は1度程度の寒さに襲われた横浜でしたね。恵方巻きを食べて、豆まきをやり、無事、節分の行事は済ませました。

そして、飛行機製作の追い込みに入っています。写真をおいおい、掲載します。昨夜は飛行機を製作しながら、二本のテレビ番組を眺めた。

(風の谷ナウシカ)

もう、何回も観ているが宮崎さんの初期の作品には素晴らしいものが多いですね。この作品は娘も学生時代から好きで、最初は確かアニメージュという雑誌に掲載された筈ですね。家に本があるはずです。

今回のテレビはデジタル化された映像を放映されたそうで、画像に興味があり飛行機にフィルムを被覆しながら、眺めていた。アニメという映画は静止画の連続で動画ではない。昔、狼少年ケンで有名な日本アニメ界の草分けで重鎮の月岡貞夫さんと一緒に仕事をしていた。

お酒は御飲みにならないが、夜遅くまでアニメ論を聴かせていただいた。吉祥寺の近くの居酒屋で何回も何回もお会いし、こちらは酒を飲んでいるが、彼は楽しくアニメについて話をして下さいました。

今も印象的なのが、アニメの命は動きの誇張にある、という話でしたね。自然界の動物、人間、それらの動きを正確に再現しても感動を与えることは出来ないという話でした。お会いしていた頃はコンピュータのアニメソフトで何処まで手書きのアニメに迫ることが出来るか?米国ではどんどん、コンピュータ化が進行していた時代でしたからね。

風の谷ナウシカの巨神兵の場面を作画したのは、確か庵野秀明さんですよね?素晴らしい人材がこの映画作りから生まれたんですね。

動きの誇張の考えは、私は江戸時代の浮世絵にも、もっと昔では絵巻物、鳥獣戯画の世界にルーツは遡れるのではないか?と、今でも考えています。突然に、アニメの世界で日本が突出したわけでは無いと思いますね。

プロのアニメ作家は数秒の画面に拘るそうです。たとえば、”となりのトトロ”のおたまじゃくしの場面ですが、この数秒の画面に果てしない静止画を描いたと聴いています。プロが拘る場面というのは映画の中でいくつかあるんですね。

宮崎さんの作品では必ず、風と飛行機が登場します。彼の拘りではないでしょうかね?大空を翔る世界と風を感じる世界が彼の作品に共通するテーマだと今でも考えています。

Continue reading "日本晴れ 2006/2/4立春"

| | Comments (6) | TrackBack (0)

節分、立春、記念千葉飛行会(予定)

(節分、立春)

節分は我が家でも豆まきと、恵方巻き寿司(注文させられた)行事があります。最近のコンビニでは、節分の日に備え、巻き寿司の予約をおこなっている。ホンマ、のり屋さんの戦略に乗せられて我が家も乗せられている。

立春とは太陽の力が復活する日であり、新しい年が始まるのですね。節分は大晦日という訳ですね。悪い鬼を追い払い、素晴らしい年を祈念する訳ですね。列島の隅々までこの行事が各家庭で行われる。最近は世間では暗いニュースが多いですから、派手に豆まきをやりましょう。

奈良方面での節分

(千葉飛行会、予定)

日曜日は立春を記念し新しい年の開始にあたり、千葉遠征による飛行会が開催される。私は”スーパーチップマンク”を再挑戦する予定で準備は完了した。OS FL70のエンジンが完璧に調整されていれば、無事に飛行できる筈?である。

_134 3月末に予定されている、信州は岩岳での冬合宿に備えた雪上機(水上機)も着々と製作が進んでおり、ほぼ、フィルムを被覆すればよい工程までこぎつけた。主翼の製作はマチ針を多量に使用し根気のいる作業が連日続いたが、無事、生地は歪みもなく正確に完成した。

_136 最近は、見た目だけで僅かな歪みも判るように成長した。人間の目と手でプランクされたバルサ材の翼を触るだけで正確かどうか判る。人間の五感とは凄い性能だなあ、と思う。(自慢)千葉飛行会の結果報告を是非、お楽しみ下さい。

さて、最近の歴史関連の読書と、色々と思い巡らせているのが壬申の乱にまつわる諸々の事実認識です。数ヶ月前には天平時代の国際情勢について、唐、渤海、新羅、日本の緊迫した時代を眺めていましたが、最近は、その前の時代の飛鳥時代の話です。

Continue reading "節分、立春、記念千葉飛行会(予定)"

| | Comments (4) | TrackBack (0)

天平の留学生

 最近、奈良は葛城市歴史博物館が平成元年に発掘した、葛城・竹内遺跡の出土土器に墨書が存在したと発表した。土器に書かれた文字は”井部”でした。

奈良新聞記事 葛城・竹内遺跡

注目されるのは、昨年秋に中国は西安(昔の長安)で出土した日本人、留学生(遣唐使)の墓誌銘 ”井 真成”(せいしんせい、いのまなり)との関係である。

井真成関連記事

この遣唐使の事については、ほかもさんが記事を書かれていました。

異国の地で無くなった遣唐使 ”井 真成” 記事

717年養老元年、阿部仲麻呂、吉備真備とともに19歳で遣唐使に選ばれ、唐に留学した。そして、16年後の733年には日本からの遣唐使船が中国に無事、到着しており、吉備真備はその船で翌年734年に帰国しその後、奈良朝廷で大活躍した。

阿部仲麻呂は既に、科挙の試験に受かっており帰国せずに玄宗皇帝、楊貴妃の下で高級官僚として活躍する道を選んだ。事実、その後、ベトナム(安南)の安南都護の長官として赴任している。

(井 真成は無念なり)

彼が病気で死んだのは、734年である。日本から迎えの遣唐使船は733年に中国に到着しているので、多分、彼は日本からの使節と会っている筈である。翌年に死んでいるので、その時は元気だったのだろうか?16年ぶりに故郷の平城京に帰る喜びに溢れていたのだろうか?それとも、科挙試験に挑戦していたのだろうか?それとも、病床にいたのだろうか?

私も海外駐在の経験がありますが、3年単位で帰国するかどうか本国から訊かれるのですね。真成さんも出身元の大きな期待を背負い唐に留学に来ていた筈である。彼が、平城京に帰れば一族を代表して活躍するのは、約束されていた筈である。

(そこで、彼の出身は?)

ほかもさんも記事に書かれていたように、井上説と葛井説があります。両氏族ともに渡来系ではありますが、学問の分野に強い、そして○成という名前が多いという事で葛井氏が有力でした。

今回の葛城・竹内遺跡から出土した8世紀の土器の墨書の”井部”という文字により、にわかに井 真成の出身氏族が葛城に存在したのではないか?という議論が起こった。

Continue reading "天平の留学生"

| | Comments (6) | TrackBack (0)

« January 2006 | Main | March 2006 »