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30年前の赤とんぼと、アメリカ

引き出しには、昔の写真が整理されずに仰山、あります。そこで、今日は二つのアルバムを紹介します。

30年近く昔の赤とんぼの生態

1982年頃の米国駐在時代の思い出

IMG (大昔の赤とんぼ)

懐かしい写真は沢山あります。全員でアマチュア無線の資格を取得し、岩岳に無線機と大きなアンテナを持参し、無線交信をしていました。”ちんぐるま”の隣の空き地にアンテナをたてて、楽しく交信したのです。

自宅には全員がハムのアンテナを設置して、日頃は無線で用事も無いのに交信をしていたのです。写真に登場する”赤とんぼファンクラブ”のメンバもハムの免許を取得し、われわれが横浜、東京から中央高速で一路、信州に向う数多くの車を追いかけて、連絡の中継局として支援してくれました。

白銀を抱く、後立山連峰の峰峰の写真とか、山小屋の周りの景色も素晴らしい思い出です。この頃は、若かったのです。小屋の中での宴会でもメチャメチャ酒を飲み干しましたね、今では考えられない光景です。

多摩ニュータウン造成地での、三人(わこちゃん、会長、Jo)の写真は赤とんぼの神話の時代になります。1976年の6月の写真ですから、丁度30年前の記録ですね。写真に76の数字が残っていますね。私が未だ、29歳の時の思い出です。

今後、このての写真をおいおいスキャナーで取り込み記事にしてゆきたいと思います。

IMG_0002 (1982年頃の米国)

シリコンバレーに駐在していた頃の写真です。暖炉の前で写した写真はクリスマスカードにして親戚にだしました。この暖炉で、実は、膨大な資料を焼いた経験が有りますがそれは、私が完全に引退および、関係者が安全になった頃に記事にしたいと思います。

写真は当時の富士通アメリカの技術調査部の家族の写真です。真ん中が副社長の本多さまご夫妻を囲んでの宴会ですね。

ガールスカウトに娘二人は入りましたね、楽しい社会活動をしていました。近くの小学校に近所の男の子はスケートボードで通うという、いい加減なアメリカのカリフォルニア時代でしたね。

長女の誕生日がクリスマスなので、自宅にアメリカの友達を呼んで誕生パーテイをやりました。アメリカのケーキは装飾にドギツイ原色を使うので、日本人は食べる気力が生まれません。自宅で製作します。

柱時計は高価でしたが、私の姉が遊びに来た時につられて、買いました。ウエストミンスター教会とか色んな教会の音色を聞く事ができます。

子供たちは、タップダンスを習っていましたね。発表会は大げさでしたね、アメリカ人は好きなんですね。

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Comments

 皆さんお若い!

 赤とんぼメンバー、30年前ですね。シルバーさんなんて呼べません!鳥さんの前に、長髪の人がいますね、誰?

 Joさんの駐在員時代・・・I田さん、C谷さんは分かります。赤い顔はサトルハヤシさんにも似ているような気がしますが・・・チャウか~

Posted by: | 2006.02.08 at 01:32 PM

Joさんの懐かしい写真、拝見しました。
赤とんぼも昔はメンバーが沢山いましたね。
ホンマ楽しい半生をおくって来られたようで、羨ましいね。
そして理想的なご家族、素晴らしいです。

前も申しましたが、僕の兄も アマチュア無線をやっていまして、
兄の時代は、無線機は全て自作で、よくアルミのシャーシに穴を開けたりしていました。最初はもぐりでしたが、25年程前に免許は取得したものの、あまり面白く無くなったのか、今は止めています。

当時は、ラジコンの専門雑誌は無く、無線雑誌に時々ラジコンの記事が載っていましたが、それを見て兄もラジコンに興味を持ったようでした。
その後、航空ファンの記事から 例のスーパータイガー102を兄が少しずつ手作りしていて、途中から僕も協力する事になり、二人で始めて飛ばしたのが、僕がラジコンを始めたきっかけになりました。

画像の"AKATOMBO FLYING TEAM" はQSL(やったかな?)カードですか?
兄のコールサインは、JO1LYNです。Joさんより大分 後ですね。

Posted by: Ys | 2006.02.08 at 02:03 PM

Ysさん

どうも見苦しい昔の写真を,お見せしまして恐縮です。当時の赤とんぼは宴会好きな連中が集まりましたので、ラジコンには興味が無いが、宴会の雰囲気が好きな連中が沢山集まりました。

それを、”赤とんぼファンクラブ””赤とんぼ応援団”と呼んでいました。

彼らは合宿にも時折参加して、宴会だけ楽しんでいました。そして、ハムで自宅からわれわれがが合宿に出掛けるときに、無線でサポートをしてくれました。

ご指摘通りに、写真はQSLカードです。これは、ハム同士が交信した記録として相手に贈るカードですね。

全員がハム免許を取得しましたので、カードは出来ました。とにかく、全員でやるのが赤とんぼの伝統です。(笑)

この風土は全員がプログラマーであった事に起因すると、考えています。一人のプログラムが動かないと全員が苦労するのです。だから、全員が完璧でなければ仕事にならないという職場でした。

Ysさんは、お兄様の影響が大きいようですね、素晴らしい兄貴を持たれて羨ましいですね。

私も、兄貴が鑑でしたが、若く52歳で病気で失いました、残念です。

Posted by: jo | 2006.02.08 at 02:45 PM

テッチャン

鳥さんの前は会長の中村さんですよ!今は髪の毛が消失したようですがね。(笑)

サンノゼの写真は当時の機構設計の松村さん、ソフトの池田さん、CEの宮井さん、そして飛び入りのニューヨーク駐在員の千谷さんです。

懐かしい人々ですね、中尾さんと、サトルハヤシさんは何故か、居ませんね?出張中と違うかな?

Posted by: jo | 2006.02.08 at 02:51 PM

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