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駅馬車談義

今日は、西部劇大好きな鹿児島出身のおやじさんと、同じく先輩で米国から帰任された元山男の親爺さんと銀座で会食であった。

米国帰任にあたり、思い出に奥様を連れて、車でシリコンバレーから往復3000キロの旅をされた話になった。場所が悪い、モニュメントバレーからデスバレー、グランドキャニオンという旅である。

あたしゃ、マズイナ~~と、思った。案の定、鹿児島生まれの親爺さんは、”君はよくいい所を訪問した”という、按配になり、その後、延々と西部劇の話になった。

(駅馬車誕生秘話)

映画ファンなら誰でも存じておられるが、John Ford監督の”駅馬車”1939年、を知らない人はない。鹿児島の親爺さんは、あの映画の秘話を話し始めた。

当時、砂漠地帯に押し込められていたナバホ・インデイアンのリザベーションでは天候の関係で飢饉が続き、多くの餓死者をだしていたそうだ。なんとか、したいという時にJohn Ford監督が西部劇の映画を製作するという話をナバホ・インデアンの関係者が聞きつけたそうだ。

馬を飛ばし、数百キロ離れたハリウッドまで何日もかけて駆けつけて、John Ford監督に直訴する行動にでたそうだ。しかし、インデアンの身なりのボロ衣装をまとった人を回りは会わせない。何日も野営をして直訴の日を待ったそうだ。

運良く、John Ford監督が”あの、妙な衣装のボロを着た連中は何か?”と見つけたそうだ。そして、直訴が叶い
ナバホ・インデアンの人が写真を一枚見せたそうだ。あの、”駅馬車”のモニュメント・バレーの風景である。

John Ford監督は即座に、”これだ”と決定し、当時で8万ドルの金をインデアンの人に渡し、撮影隊が到着するまでに設営すべき事、あれこれ指示をしたそうだ。

これで、ナバホ・インデアンの人々は飢餓から救われ、そして映画ではインデアンとして登場したそうだ。

この映画はナチスの絶好の標的となり、アメリカ人はひどい民族であり、原住民を皆殺しにしたひどい連中である、と、宣伝に使われたそうだ。

そこで、鹿児島の親爺は言う、数年前に当時インデアンの首領の役をしていたナバホ・インデアンの人がテレビに登場しもう90歳になっていたそうだが、アメリカ人がしたことは歴史の事実である、しかし、John Fordが悪いわけではない、と、語ったそうだ。John Ford監督は我々を飢餓から救った英雄であると。

(映画屋とファンの絆)

この、鹿児島の親爺の話を聴いていて、本当に西部劇というか、John Ford監督が好きなんだな~~~と、思いましたね。彼は、数年前に奥様を連れて憧れのモニュメント・バレーを訪問されました。帰国後に何回も何回も、駅馬車の話を聞かされました。

これが、古き良きハリウッド映画の時代なんだな~~~、ファンの根性も違うと感動した事を記憶している。

最後に、John Ford監督は”荒野の決闘”、”アパッチ砦”、”黄色いリボン”、”怒りの葡萄”と皆様御馴染みの名画を作りましたね。

今日の、銀座での酒は本当に美味しい酒でした。

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