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駅馬車談義

今日は、西部劇大好きな鹿児島出身のおやじさんと、同じく先輩で米国から帰任された元山男の親爺さんと銀座で会食であった。

米国帰任にあたり、思い出に奥様を連れて、車でシリコンバレーから往復3000キロの旅をされた話になった。場所が悪い、モニュメントバレーからデスバレー、グランドキャニオンという旅である。

あたしゃ、マズイナ~~と、思った。案の定、鹿児島生まれの親爺さんは、”君はよくいい所を訪問した”という、按配になり、その後、延々と西部劇の話になった。

(駅馬車誕生秘話)

映画ファンなら誰でも存じておられるが、John Ford監督の”駅馬車”1939年、を知らない人はない。鹿児島の親爺さんは、あの映画の秘話を話し始めた。

当時、砂漠地帯に押し込められていたナバホ・インデイアンのリザベーションでは天候の関係で飢饉が続き、多くの餓死者をだしていたそうだ。なんとか、したいという時にJohn Ford監督が西部劇の映画を製作するという話をナバホ・インデアンの関係者が聞きつけたそうだ。

馬を飛ばし、数百キロ離れたハリウッドまで何日もかけて駆けつけて、John Ford監督に直訴する行動にでたそうだ。しかし、インデアンの身なりのボロ衣装をまとった人を回りは会わせない。何日も野営をして直訴の日を待ったそうだ。

運良く、John Ford監督が”あの、妙な衣装のボロを着た連中は何か?”と見つけたそうだ。そして、直訴が叶い
ナバホ・インデアンの人が写真を一枚見せたそうだ。あの、”駅馬車”のモニュメント・バレーの風景である。

John Ford監督は即座に、”これだ”と決定し、当時で8万ドルの金をインデアンの人に渡し、撮影隊が到着するまでに設営すべき事、あれこれ指示をしたそうだ。

これで、ナバホ・インデアンの人々は飢餓から救われ、そして映画ではインデアンとして登場したそうだ。

この映画はナチスの絶好の標的となり、アメリカ人はひどい民族であり、原住民を皆殺しにしたひどい連中である、と、宣伝に使われたそうだ。

そこで、鹿児島の親爺は言う、数年前に当時インデアンの首領の役をしていたナバホ・インデアンの人がテレビに登場しもう90歳になっていたそうだが、アメリカ人がしたことは歴史の事実である、しかし、John Fordが悪いわけではない、と、語ったそうだ。John Ford監督は我々を飢餓から救った英雄であると。

(映画屋とファンの絆)

この、鹿児島の親爺の話を聴いていて、本当に西部劇というか、John Ford監督が好きなんだな~~~と、思いましたね。彼は、数年前に奥様を連れて憧れのモニュメント・バレーを訪問されました。帰国後に何回も何回も、駅馬車の話を聞かされました。

これが、古き良きハリウッド映画の時代なんだな~~~、ファンの根性も違うと感動した事を記憶している。

最後に、John Ford監督は”荒野の決闘”、”アパッチ砦”、”黄色いリボン”、”怒りの葡萄”と皆様御馴染みの名画を作りましたね。

今日の、銀座での酒は本当に美味しい酒でした。

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700番目の記事

Blogを初めて丁度、1年半経過した、記事が700番目となりました。毎日一件の記事が日記とすると、日記以上に記事を書いた事になりますね。

最近のインターネット文化で気になることがあります、それは匿名の怖さですね。私は、自分を明らかにして逃げも隠れも出来ない立場にして、blogを始めました。しかし、私のようにして、blogをされてる人は少ないですね。

NHKの子供ニュースでは、Blogが採り上げられていました。危険を避けるために、色んな自分の事とか家族の事とかプライバシーに関するイロハを教えていました。大事ですね、子供がインターネット始めると不安ですね、無防備ですから、世の中の危険に丸腰で臨んでいるようになります。

(インターネットがまともなメデイアになるには?)

まだまだ、これからですね。身の回りの新聞とかテレビとか雑誌とか他の出版物にしても、責任者は明確です。しかし、インターネットの世界は責任者が明確でない情報が氾濫している。江戸時代の瓦版ですら、版元は明確でしたね。

しかも、インターネットを代表するように世間で見られている、○○モンさんとか、△△たにさんとか、やる事が私の生き方とは異なる奇異に感じる哲学のようだ。別に非難する積りはないが、私だって10年以上前にインターネットの世界でビジネスをした端くれです。

私はGoogleに期待しています。米国の著名な大学の図書館の蔵書を検索出来るプロジェクトを起しているからですね。中身がない情報は所詮は淘汰されるのが歴史ですね。便利だけでは、駄目だと思います。

それと、企業が一番情報処理では遅れているような気がします。前線の営業現場でお客様の質問で判らない事を言われたたら、どうしてるんだろうか?

会社に帰り先輩に訊くでしょうね、それでも判らない時にどうしてるのか?人脈と組織図を調べて、各セクションのデータベースにアクセスするんでしょうね。何で、Googleのように社内の知的財産物にいきなりアクセス出来ないんだろうか?素朴な疑問があります。

いろいろと、心配ごとはありますが、このインターネットは21世紀の大革命になる事は明らかでだと思います。だから、大事に育ててゆきたいと思います。

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三機はエンジン始動ok

2005_10300073今日は、専用バルコニーで三機のエンジンテストをした。一応、全て完璧ですね。残りの、バレリーナも完璧ですから、合宿には4機がスタンバイできました。

AURUMスポーツの32SXエンジンは敏感で繊細ですね。しかし、完璧に昔の力がでるようになった。200ccのタンクに切り替えた、フラミンゴも給油系統は大丈夫ですね。にぶい、4サイクルエンジンのサウンドをだしていました。

これで、一応、秋合宿の準備は整いましたね。安心しました。
2005_10300074テッチャン あんたのサンデーα機にエンヤ19Ⅳのエンジンが搭載されたよ。このエンジンはわこちゃん、マフラーは千葉のラジコン親爺のものです。何や、赤とんぼの総力が結集したみたいやな?(笑)

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飛行機の修理完了

今日は、朝から”バレリーナ”を飛行させた。2回飛ばしたが何時もながら、安定した飛行でしたね。この飛行機は本当に良く出来たものだ。

2005_10290069(フラミンゴ改造)
この飛行機にはFS30の4サイクルエンジンが搭載されている。問題は、場所の関係で小さな100cc程度のオイルタンクしか搭載できなかった。従い、難点は飛行時間が極端に短く、安心して飛ばす事が出来なかった。

そこで、今日は、200ccのオイルタンクに置き換える、工事をした。以前より、縦方向に長くなり重心が心配ですが、何とかなるでしょう。この機体はカッチンがOS15CVAエンジンで素晴らしい飛びをされています。

2005_10290070(チップマンク修理)
大阪の小川精機さんから、FL70エンジンが送り返されてきた。異常は無いそうですので、再度、機首部に取り付けを行い、今度は金属製のスピンナーを取りつけた。これで、大丈夫な筈である。

明日は、チップマンクとAURUMスポーツ、二機のエンジン始動テストを行う積りである。


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土曜朝 夜半の雨もやむ

昨夜は何時もの通り早く寝る。早朝に飛行機を飛ばす為に飛行機のバッテリーの充電とスターターのブースターの充電を行い、就寝する。これが、週末の日課となっている。

(残念ながら未だ霧雨)

朝の5時半には起床する、読売新聞を寝床で読み今日の天気の按配を点検する。未だ、霧雨である、飛行機を飛ばすには無理だ。下のゴミ置き場ではカチャカチャと煩い、今日はビールの缶を出す日であり、ホームレス風の人が缶を集めている。

時折、早朝から飛行機を自転車に搭載して出かけると、缶集めのおじさんに出会い、飛行機の事を訊かれる。どうも、仲間のように思われているようで、色々と話をする。早朝から、お互い御苦労さんである。

ホームレスの人とのコミュニケーションは、ふうてん老人が得意とする。お互い仲間のような直感が働くんだろうか?昔、シカゴに一緒に旅した時とか、町田での女性のホームレス風の人との会話が想い出される。

男とは、所詮、人生はふうてん生活なようなものであり、何時、河原でテント生活をするか判らない。私も、子供の頃からテントを担いで、野山を彷徨った経歴がありテントでの生活は一度経験すると止められない麻薬のようなものがある。

(雨ふる野山のテント生活)

これが、素晴らしい。夜テントの中で布一枚外では雨が降っている。雨の粒がテントを叩く。しかし、テントの中は無事平穏なのだ。雨粒の音が1/fの揺らぎで動物には素晴らしい音楽に聞こえるんですね。虫の音もそうですね。

バイオリンも人間が弦を引くから、揺らいでいる、これが気持ちいいらしい。機械で音をだしては、この1/fの揺らぎが出ない。鈴虫もセミも蛙も皆さん揺らいでいるそうだ。だから、自然と布一枚隔てて生活してると、もっと密接な関係が保たれるのだ。

小学生の頃に古い木造家屋の自宅で寝てると、雨の日が一番好きでしたね。庇が桧葺きで出来ていて、雨があたると柔らかい音がするんですね。昔、瓦が高価で寺院しか葺かれていない時代に庶民の家は桧か板で葺かれていた。

伝飛鳥板葺きの宮と言いますね、天皇がお住まいの宮でも板で葺かれていた。多分、雨のリズムは気持ち良い睡眠を誘ったんでしょうね。コンクリートで固められたマンションでは1/fの揺らぎが遮断されている、だから動物は住みにくい。

な~~~んて、とりとめもない事を考えていると、カラスが鳴いているので、外を見ると雨も上がりましたね。太陽の光もさしたようです。

今日は、昨日、秋葉原で買い集めた飛行機の部品を使用して、修理作業とフライトを行いたい。未だ、修理に出したエンジンは戻っていないが、今日明日には到着するだろう。

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31年前に読んだ本

2005_10280068今日は電車の中で昔懐かしい本を読んだ。書庫に31年前、私が未だ28歳の時に読んでいた本である。しかも、栞(しおり)に挟んであったのが何と、IBMカードである。

紙は赤茶けているが、松本清張さんの歴史学の権威との対談集である。青木書店”松本清張対談 古代史の謎”という本である。対談は、水野祐、和歌森太郎、井上光貞先生たちである。

(IBMカードが懐かしい)

何といいましても、IBMカードが懐かしい。プログラムをこれにパンチして穴をあけて、カードリーダで読み込みコード化していたのだ。縦10列、横80欄である。入社の頃は紙テープも使用していたが、直ぐにIBMカードでコーデイングする事になった。全てアセンブラ言語でプログラムしていた。

ハードウエアにデイペンドしたレジスターを操作するコマンドを打ち込むのだ。230-20/30,50,15,60,45,U200等々と沢山の計算機に携わってきた。8進法の計算機から16進法へと時代は推移したが、永く8進法の計算機も存在した。

この侭では、この本はなおざりになりそうですね。いけません、今日は水野先生のパートを再読した。

(三王朝交代説)

古代史ファンなら、誰でも御存知でしょうが、水野先生は三王朝交代説を述べられて有名です。今でも、この説は有力であり、31年前の説ですが、十分通用する学説です。

少し、紹介しますと、第一王朝は崇神王朝である。しかし、最後の大王である仲哀大王が九州遠征で破れ、クナ国に敗れ滅びる。そして、九州北部にあった邪馬台国の卑弥呼を破り九州を制圧する。応神大王が九州の覇権を握り仁徳大王が東進し難波に、仁徳王朝を開く。これが、第二王朝である。

仁徳王朝も最後に雄略大王が崩御して、壊滅し、新たに大伴氏が擁立した新羅系統の継体大王の王朝が起こる。これが、第三王朝であり継体王朝と呼び樟葉で即位する。概略、水野せんせいの説は以上の通りである。

(神武東征神話の理由)

水野先生の説に私は同調しませんが、何故九州の勢力が東に進出しなければ、ならなかったのか?この疑問に対して、彼は高句麗の好太王との5万人規模での戦争にあると述べる。4世紀終わりに二度の激烈な戦いが朝鮮半島であった。

倭国は一度は敗退するが、4年後に再度朝鮮半島に大軍を送り戦うのだ。戦争をするには、人と物が必要であり、且つ、広大な南朝鮮の領土の大半を失った九州の応神・仁徳王朝は東に拠点を移す事となった。というのが、水野さんの意見ですね。

私は、卑弥呼は崇神王朝の成立前に大和に存在したと、考えています。しかし、確かに崇神王朝は仲哀大王が九州での戦いで敗北し新しい、応神王朝が難波に成立したと考えています。これには、朝鮮半島の情勢が大いに関係してると考えるのは、私も水野さんに賛成です。

ともかく、古い本の31年前から私も全く変わっていないと思いました。


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急に寒くなった

10月も、そろそろ終わりである。急に寒くなり、夜は厚着をして寝ている。夕方の草むらではもう、すっかり虫の音が聞こえない。もう冬支度なのだろうか?

近所の中学校の庭に沢山出来ていた、リンゴの実が今日は無くなっている。一つ位は失敬しようと考えていたのに、残念である。しかし、毎年沢山の実をつけるのである。

(MS WORD少しは覚えた)

今時、WORDを知らない人は貴重ではないだろうか?実は私はOASYSに操をたてて、今までWORDを使わなかった。しかし、事情があり納品物はWORDで作成が必要だった。

毎日、玉耳さんの特訓に耐えてだいぶ覚えた。しかし、勝手に編集されてしまうので、苦労もした。図形もグラフも段落も、色んな事を教えてもらった。次は、エクセルを覚えないといけない。

(翻訳もした)

久しぶりに、100ページ位の英国人の技術屋が作った技術資料を翻訳した。しかし、最近は辞書を引く速度が昔に較べて格段に落ちたものだ。そして、簡単な英語の訳が一番難しい事にこの歳になって理解できた。

しかも、米国英語とは異なる気取る文体が少し、鼻にかかった。ま、英国が英語の本家ですから許しましょう。
しかし、辞書を引いている話をすると、仲間の二人がインターネットのALCを利用されているそうだ。これは、便利であることに私も驚いた。

(関西方面は快方に向う)

阪神の虎さんは、残念な結果になりましたが、義理の妹ももうすぐ退院が出来そうだし、義母も退院された。なによりの朗報である。これから、冬に向うのでまわりを温かくしておかないと、又、ぶり返してはいけない。

幸いなことに我が家で病気になった連中はいない、しかし、油断大敵ですね。健康には気をつけたいと思いますが、酒もタバコも止められない私であります。

ブルゴーニュ方面から先ほど電話があったそうで、MISAYOの相棒が大腸ポリープをとったそうだ。歳をとると誰でも出来るそうですね。私の同僚も定期的にとっていますね。

さて、来週の3日はラジコン航空ショーである、楽しみですね。


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FL70は無事だそうだ

週末の千葉にて壊れた?エンジンを月曜日に宅配便で大阪のメーカに送付しました。早速に今日携帯電話に修理担当の方から電話があった。

(エンジンは無事だそうだ)

親爺さんの話では、私のプロペラを包んでいたスピンナーが壊れていて、エンジンの動力を伝えるシャフトとスピンナーが空回りしたそうだ。安物のスピンナーを使用したのが、いけないのかも知れない。金属製であれば、こんな事はなかったかもしれない。

しかも、プロペラを締め付けていた二つのタンデムで締め付けたナットが外れず、プロペラをつけたまま、修理にだした。それも、外して頂いたようです。懇切丁寧に説明があった。

自宅に帰り、知ったが、先ず自宅に電話があり、私の携帯電話の番号を訊いて、かけて下さったようです。本当に有難う御座いました。

(顧客第一主義)

私は感心しましたね、多分に火曜日にエンジンがメーカに到着したでしょう、そして次の日には結果を伝える。既に、エンジンの稼動テストも済ませたそうだ。そして、偉いと思うのは自宅の家内では話が判らないと判断し、あくまで当人に伝える行動をとられている。

これが、大事ですね。今やメールだけで要件を済ませる若者が多いが、年寄りのサポートは木目が細かい。小川精機のFL70修理担当の方から、改めて、顧客サポートの本来の姿を教えて頂いた。

これで、合宿には間に合いそうである。

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ドンマインさまのご結婚

昔から”皇室アルバム”の大ファンというミーハーな所が有りました。清子内親王殿下のご結婚もまじかに迫りました。運転免許もとられたそうですね。

(ドンマインさん)

彼女は、皇后美智子さまが、落ち込んでいると、何時も”Don't mind!"と明るく、お声をかけられていたそうですね。いつのまにか、陛下は”ドンマイン”さんと、呼ばれるように、なったそうです。ほほえましい、温かさが伝わるいい話ですね。

何時も、皇后さまの傍におられ、病気のときも、励まされたそうです。国母さまの、お気持ちはいかばかりかと、推察されますね。

(結婚式は)

帝国ホテルだそうですが、陛下と皇后さまも御主席だそうで、受付は宮内庁の職員がされるそうです。黒田さんの主賓は石原都知事で”ドンマイン”さんの方は鳥類研究所の所長さんでしょうか?

ウエデイングケーキはあるんだろうか?私の予想では、洋装ではないか?と考えています。皇族離脱ですから、一般庶民の暮らしというか、風習に合わせるお考えではないか?と、思います。

しかし、誰が呼ばれているかは、極秘だそうですね。安全保障の問題なんでしょうね。

(料理は大丈夫か?)

皇后さまは、内親王に料理の本を贈呈されたそうですね。これから、料理をしなければならない。まさか、インターネットでblogを調べて、”肉うどんレシピ”とか”鮭のフォイル焼き”なんぞ、参考にはされないだろうな?(笑)

黒田さんは、やはり、料理の手伝いをするんでしょうね。内親王に恥をかかす訳にはいきませんからね。

持参金は1億5千万だそうですが、それでは、大変でしょうね。ところで、結納金は幾らくらいだったんでしょうか?
テレビでは、世間並みと皇室事情に詳しい記者さんがいうてましたね。

(心配は皇后さま)

サーヤがいなくなると、寂しくなるでしょうね。我が家の孫もサーヤと言うだけど、こちらは煩いだけなので、ホットするだけやけどね。(笑)

しかし、久しぶりの目出度い話ですね、末永く御幸せである事を祈ります。

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アジアからの留学生

文京区の本駒込には国の施設として、アジアからの留学生を受け入れ、日本語を教え、そして、日本の大学、大学院、企業へと送り出す施設が有ります。アジア文化会館といいまして、私は7年前に文京グリーンコートに職場が変わって以来、時折、昼飯を食べにでかけています。

園遊会風景 2005年10月22日(土曜)夕方

この日は仕事で、文京のオフィスに出掛け、仕事をしてると夕刻になり、外で音楽が聞こえる。窓から、下を見下ろすとアジア文化会館の留学生が園遊会を開いているではないですか?

毎年、彼らは園遊会を開き、地元の人々との交流を深めています。私は、以前、園遊会に参加し楽しませてもらいました。

地下に食堂があり、我々でも入れます。名物はチキンカレーですね、本場の辛いスープのようなカレーですが、美味しいです。500円程度で食べれますので、安上がりですね。

教室と宿泊施設と卓球台とくつろぎの場と、色々とあります。アジアの生きた言葉を聞く事が可能ですね。時折、ウロウロとしています。別に怪しい人間では有りませんので、誰も私を怪しみません。(笑)

楽しい園遊会でした。

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千葉遠征 散々なる顛末

早朝より、千葉遠征する。散々なる結果でした。ま、駄目ダシと思えばよろしいか。

OSFL70エンジンは簡単に始動し、第一回目のブレークインでオイルタンク満タンのフル運転に入った。千葉のラジコン親爺も付き添いで、ピーク近くを出して試運転になった。

途中で、一度は回転を落とし、最高ピークでオイル切れを起こすと、エンジンに損傷を与えるという事で、スローにする。再度、オイルがまだまだ存在するので、ピークに上げて、ブレークインを続行した。突然に、バッシ!という骨が折れたような音がして、エンジンが停止。

あれ~~~~!クランクが折れたようだ。南無阿弥陀仏・・・・・・。(涙)

自宅に帰還後、すぐに、修理依頼の伝票をつけ、メーカーに送る事にした。

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わこちゃんも、相変わらず不調でしたね。写真を見れば判りますね。私と同様に、駄目でしたね。
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私の、もう一機のAURUMスポーツはタンク内の問題が発生し、エンジン始動が出来ずに終わりました。結局今日は、千葉に行けど、一度も飛行機を飛ばさずに帰還となりました。合宿前に、駄目ダシとしては、成果が有ったと前向きに考えましょう。しかし、疲れました。トホホ・・・・・・ホ。

(ええはなし)

デイープインパクト無敗三冠馬 達成、21年ぶり、菊花賞イン淀競馬場。ナリタブライアンからそないな、時間が経過したんですね。ところで、阪神はどないな按配か?五里霧中?また、負けたみたい。これは、残念やね、どないしたんやろ?

そうそう、川崎フロンターレが6連勝です。遂に、5位になったぞ!ええはなしだ。


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昨夜は昔の仲間に会う

横浜馬車道通りの居酒屋で昔、懐かしい仲間と杯を傾けた。四人だったが、一人は巣鴨時代の部下で、もう一人は米国駐在時代に出張で来られた小型機担当のソフト屋さん。そして、最後にコンテンツ時代に一緒にCD ROM
のソフトを企画・販売していたM君でした。

(M君との思い出)

彼は将棋が好きで、彼が企画して出版迄持ち込めたのが、”ザ・プロ将棋”シリーズでした。中原誠さんに監修を頂き、プロの棋士が指された棋譜をデータベース化し、幾つかの対戦形式に分類して高度な戦術研究書として出版した。

将棋が好きな方ならお判りだと思いますが、将棋には戦いの基本パターンが有ります。居飛車同士で戦う戦形とか居飛車と振り飛車で戦うパターンとか。これも、詳細に分類されるが、三間飛車、四間飛車、中飛車、と振った飛車の場所で戦形が異なり、名前がついています。

プロの棋士は新しい定跡を開発するのが仕事ですね、勿論、それが勝ちに繋がるのです。終盤は誰が指しても同じですが、序盤から中盤の戦形が大事なのです。そこでの一手が勝負を決める事が多いのですね。

私も、33歳の頃に突然に将棋の魅力にとりつかれ、日本将棋連盟に通い初段を頂いた。其れまでは、駒の動かし方すら、知りませんでした。将棋世界と近代将棋の月刊誌を購読し、膨大な戦術本を読み漁り、そして、実戦を行う日々が続きました。

(将棋のルーツ)

当時、大内八段が将棋の歴史にご興味が強く、色々と自ら海外に飛び研究されていましたね。古い資料を調べればわかりますが、今、手元にないので確かでは有りませんが、確かインドがルーツであったと記憶しますね。ヨーロッパにはチエスとして伝わり、中国経由の象棋と東南アジア経由と二種類のルートで広まったと記憶しています。

これは、仏教の伝来と似ていますね、小乗仏教と大乗仏教の伝来と類似です。

(CD ROMソフトの立ち上げ)

M君が五反田に設置したCD ROMアプリ開発センターの話をしだした。私は所長をしましたが、当時の事は殆ど忘れている。彼は、世界初CD ROM内臓パソコンはハードの話であるが、それを支えるアプリをどう用意するのか?当時の苦労話を始めた。

当時はフロッピーの時代です、540メガのアプリをどう開発するのか、日本のソフトメーカさんでは、経験がゼロでした。それと、開発したアプリの物理的運搬手段が存在しませんでした。大容量ハードデイスク(500MB)はしかも高価で運送屋に頼むと、巨額の保険料の支払いとなる。

結論は、M君達の若者が全国津々浦々に飛び、手持ちで五反田に運送したのだ。このあたりの、正確で詳細な記録は日本のCD ROMソフト開発歴史として記録しておかねばいけないと考えています。

私は、主に米国での開発を担当していたので、日本での苦労話はM君達の若手の連中から資料を集め、記録しておきたいと考えています。

楽しい、同窓会でした。


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日曜は久しぶり千葉遠征

横浜組は久しぶりに千葉遠征です。合宿前の最後の調整ですね。

(FL70の調整)

千葉のラジコン親爺の情報では、私の今回の”チップマンク”搭載のOS FL70エンジンは難しいエンジンらしい。
ポンプがついていないので、燃料の供給系統に神経を使う必要があるとの事です。燃料タンクとエンジンの位置関係が重要だそうだ。

それに、馬力が凄いのでくれぐれも、プロペラの締め付けナットを緩まないように。二個のナットをタンデムでペラを締め付ける訳だが、親の敵のように締めるように指示。それと、エンジン始動後はプロペラの前には居てはいけない。万が一プロペラが前に飛ぶ場合がある。

(AURUMスポーツ)

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OS 32SXエンジンを搭載し、今まで千葉では実績のある、クセの無い機体です。しかし、エンジンとチューンド・サイレンサの接続が不良で、騒音が激しい。修理工事は完了している、これも修理が完全に出来ているのか、チェックをしたい。

(ラジコン日程が続く)

11月3日は群馬県 尾島でラジコン航空ショーがある。横浜三人組みは早朝の電車で出かける積りだ。そして、11日からは信州での合宿である。日程が詰まっていますね。

YSさんは尾島に来られますか?秋合宿には参加される予定なので、楽しみにしていますよ!

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ついでに、何時でも出撃可能機

2005_10210073おっと。こいつもいたな。
2005_10210074お前は、夏まで、待っとけ!

イカン、玄関にぶら下げていた、こいつ。2005_10210075そろそろ、引退するか?もう、ボロボロやし、玄関がみすぼらしいからな~~~。

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何時かは書きたい事 父母

blogを初めて未だ、1年半しか経過していない、自分の子供の頃については、少しずつ書き始めました。しかし、大事な父母の事については、未だ、書いていない。

しかし、今の自分が存在しているのも、父母のおかげなんですね。何時かはじっくり、記録を残したいと考えています。何故、今の自分が存在しているか?という、少し、オーバーだけど、哲学的な話になります。

現在、若い夫婦の方々がおられて、子育てをされている人が偶然に読んでいただければ、少しは、反面教師になるのか、同情をえるのか、何も参考にならないのか、馬鹿らしい話なのか、わかりませんが参考になれば、と、思います。

(何故書きたいのか)

結論から先に述べますと、二人とも明治生まれの、明治の凛たる精神を持っていた人々である。司馬さんが好きな明治の時代の人々ですね。残念ながら、私は両親の精神を自分の子供達にはちゃんと、伝える事が出来なかったと後悔しています。

やはり、是非、生きてる間にblogでもいいから、残したいと強く考えています。最近、同期のオホーツク育ちのテッチャンが昭和20年代の極寒の最果ての、生活について記録が始まりました。夏には奥様も連れて訪問されましたね。

読んでいて、感じるのはテッチャンの事では無く、御両親の事ばかりが、強い印象として残るんですね。沢山の子供達を育てあげた親の苦労というか、エネルギーを凄まじく感じたのです。今は子供一人位を育てているのが平均的日本人ですね?

食料もまともに無い戦後の荒廃した焦土の日本で沢山の子供達を育てたわけです。テッツチャンが故郷を数十年ぶりに訪ねても、学校には校長先生時代の額が飾ってあり、その息子だという事で地元の人々は歓待してくれる。偉大な両親ではないですか?

さて、

私の父は佐賀県唐津の生まれ、母は山形県霞町生まれ、遥か離れた場所で生まれて、何が因果か関西で家庭を持った。私は、姉二人、兄貴一人の4人兄弟の末っ子として生まれた。

父の優しさと母の厳しい躾でjo少年は、北河内の村で育つ訳です。

シリーズとして、書いてゆく積りですが今だ姉二人は健在なので、亡くなった兄貴と両親に主に登場していただきます。

しかし、母は厳しかった、けど、息子が何があっても正しいと信じていた。盲目の信頼を私には寄せていた、これが母なんだな~~と、思います。これは、息子にとり、大変なプレッシャーになるんです。そして、おまけに、母の妹が東京に在住し、当時の働く女性のハシリのような厳しい人が居り、就職してからの私を厳しく躾てくれました。

先日、東銀座の料亭街を歩いていると叔母によく連れてゆかれた、”米村”という料亭の前に出くわした。懐かしい思い出が湧き上がりました。


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富士山が噴火したら?

これ又、文芸春秋のネタです。火山学者の権威の鎌田浩毅(ひろき)教授の記事です。しかし、内容はここでは紹介しません。ただ、記事を読んでいて少し、メモを残す気持ちになった。

(火山と日本)

私が今、住んでいるのは横浜です、関東ローム層の上かな?否、この新横浜は昔は海底でした。しかし、殆どの関東エリアは関東ローム層の上で生活している。これは、火山灰の上に生活してるんですね。

誰が噴火して灰を撒き散らしたんだろう?箱根の山、筑波の山、草津方面、いやいや、一番沢山に灰を積もらせたお方は富士山ではないだろうか?(joの勝手な考え)なんせ、3千8百メートルというノッポですから、偏西風に乗ると丁度、関東あたりに灰が積もるという按配ではないか?

江戸時代の宝永噴火では横浜で10センチ、江戸で5センチの火山灰が積もったそうだ。(新井白石さんの日記)
先ず噴火すると、10日間は飛行機は飛べないし、ガラスの微細破片ですから吸い込むと危険だし、何処にも侵入するだろうから、コンピュータが一番危ないそうだ。

(古代の鬼界カルデラ大噴火)

今から6500年前に南九州の鬼界カルデラが大爆発した、西日本は数千年間は壊滅した状態になったそうだ。これは、三内丸山遺跡を訪問した時に知った。縄文遺跡が東日本に集中するのは、この理由によるのかもしれない。

考えてみれば、80%が山岳に覆われた我が祖国である、しかも、火山列島である。マグマの上に薄皮の上で生活しているのだ。しかも、幾多のプレートが衝突する地震の巣窟の列島だから、地震があると、誘発噴火も起こる。ホンマ因果な場所で我が祖国はあるんですね。

(東京一極集中で大丈夫か?)

やはり、賢明な読者ならすぐにお判りでしょうね、東京だけに全てを集中させては危険ですね。

あ~~~、ホンマ今、大きな地震が発生です。こんな記事書いていたら、リアルタイムで大きな地震に見舞われました。永い永い横揺れが続いている。と、言いつつ、失礼、柱時計が倒れないように走る。

大丈夫です、収まりましたね。茨城県南部で震度5だそうだ。

結論を急ぎましょう、我が大和朝廷は火山の存在しない奈良・山城に都を設置したんですね。ま、国家安全保障の為に富士山の西と東に二つの都を置くのが賢明と存じます。

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これはどうなるのか?

2005_10190068息子の稟議書にサインして、10万円で買い集めたパソコンのキットである。モニターは現行のトリニトロンを使用する。買い集めたら、沖縄に帰ってしまった。今年の、冬休みまでこのままなんだろうか?

私は今、色々と忙しく、手をつけれない、というか、判らん!メモリーも1ギガあるそうで、かなり高性能マシーンになると稟議書では書いてあったな。ホンマかどうか判らない。

とにかく、この筐体が届くのが遅れに遅れ、時間切れで息子は大学に戻ってしまった。ま、息子の勉強になるだろうと考えての処置では有りました。

私は秋合宿を控えているので、後ろにある飛行機の製作で忙しい。それに、色々あって忙しいのだ。

(文芸春秋の記事)

11月号を電車の中で読んでいるが、塩野七生さんの記事が面白かった。小泉さんに宛てた手紙というか、記事である。基本的にはエールを送られているが、自分の退任時期を言うのは止めたほうがいいと。国益に反すると述べておられましたね。

それと、男の美学に殉じるとか、潔く身を引くとか、優雅なリタイアを愉しむとかは、”あなたのように、高い地位と強大な権力を与えられている人の言うことではなく、それらには恵まれなかった、一般の人々のためのものだ”と。とにかく、刀折れ矢尽き満身創痍になるまで責務を果たし続けよと。

幾多のローマの歴史を研究し、カエサルに惚れた女史は怖いですね。(笑)

まとまりのない記事でした。週末は天気が回復する事を祈るばかりです。

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近代登山と山信仰

昨日、NHKの番組で観たい番組があり、仕事も切り上げて待っていた。ところが、突然に横浜は震度4の地震が襲った。番組は地球の生命の番組で、何故海の生物が陸上に進出したのか?という、私も是非知りたいテーマでした、期待を込めて待っていた。

突然に、番組は切り替わり地震のニュースとなった。仕方ないですね、公共放送ですから、地震の方が超古代の魚が陸上に進出する話より大事なんでしょうね。ニュースのあとは、突然に、日本アルプスは剣岳の剣沢の幻の滝の番組に切り替った。

日本のアルピニストの間でも未だ200人程度しか、現場を見た人は存在しないという秘境の滝の話である。2週間はかけないと、現場には到達出来ない秘境であり、絶壁をハーケンを打ち込みながら岩壁をトラバースしなければ辿りつけない世界である。

山岳写真家のA氏は感激で一杯である。確か剣沢D滝だったと記憶する。その時のA氏の感動と画像が凄まじい迫力であった。何故このような場面に感動するんだろうか?

(近代登山は英国)

上高地にはウエストン碑があります。彼は英国の宣教師でこよなく日本の山々を愛し、著書で世界に”日本アルプス”の名前を広めました。毎年、この碑の前でウエストン祭が日本山岳会の主催で開催されます。彼は、日本のアルピニストの父とも呼ばれていますね。

さて、日本は8割を山で覆われた国なのですね、そして、古代より山を尊ぶ信仰が有りました。葛城山に住む役小角(えんのおつ”ぬ)さんに始まり、密教伝来に伴い山岳信仰に発展しました。だから、別にヨーロッパ人に教えを頂く義理はなかったんですね。

しかし、空気は日頃ありがたく感じないのと同じで、日本の素晴らしい自然環境を皮肉に外人に教えてもらった事になりました。

(英国、フランス、ドイツ)

私の感想では、英国は車で行けども丘ばかり、フランスも今回のドイツ紀行も平坦な場所ばかりなんです。山が無い!本当に山が存在しないのだ。考えてみれば、昔は海底だったんですね。それが、隆起しただけだ。

英国山岳会の発祥が世界初の近代登山の起こりであると理解している。カラビナ、ハーケン、ボルト、ハンマー、ザイル、ピッケル、テント、火器、アイゼン、等々の近代登山工具を発明し、果敢に未踏峰を”征服”する挑戦に挑んだ。彼等の風土としては、山は存在しない訳ですから、山には神が住むという思想は無い。

だから、平気でヒマラヤの山にも人の名前である、エベレストという名前をつけてしまった。チベットではチョモランマ(世界の母神という意味)と崇める山である。

別に欧州の近代登山を否定する積りはないし、日本人に素晴らしい環境をもっているのを、もっと大事に思いなさいと教えて頂いた事は感謝である。

(私達は日本の空気を忘れかけてないか?)

空気は目に見えない、良さが判らない。最近、ドイツを旅していても、何かこの数十年で日本の目に見えない大事なものを見捨てていないか?という、漠然とした思いが有ります。

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チップマンク製作苦闘記

飛行機の製作は難しい。殆ど完成に近いと考えていた飛行機の製作が最後の方になり悪戦苦闘となった。
テッチャンにほめられたけど、やはり、失敗をしました。

(主翼と胴体の接合部)

この機体は低翼機であり、二本のウイング・ボルトで胴体と接合する仕様である。設計図では二本の爪付きナットを胴体下部に埋め込み、翼からボルトを差し込み飛行時に締め付ける仕様である。この、爪付きナットの埋め込みが今まであまり成功したためしが無い。やはり、今回も失敗でしたね。

2005_10180066
そこで、近くの大工センターに走り、何種類かの長さのボルトとナットを探し、ついでにエポキシを購入し、ついでにビールも購入する。(大工センターでビールを買う人も珍しいが、売る人も珍しい?)

自宅に帰り、ビールを飲んで、元気をつけて、又、改造にとりかかる。今度はボルトを胴体に埋め込み、そのボルトに主翼を取り付ける方式に変更する。そして、埋め込みボルトをエポキシで固めるのだ。

実は、片方のボルトは既に仕様を変更して胴体に埋め込んであったが主翼の穴と場所が合わず、そのまま放置してあった。仕方ないので、片側には追加でもう1本のボルトを新たに埋め込んだ。(抜けばいいと思われるでしょうが、抜くと、胴体の強度が落ちるのと新しいボルトの埋め込み作業が難しくなる)

(スロットル制御で、てこずる)

エンジンは機首部の外に取り付ける訳ですが、そのスロットルレバーを針金で連結し、機体胴体内のエンジン制御用のサーボモータ迄つなぐ必要がある。エンジン搭載現場の複雑なエンジンの外側を廻り、防火壁を突き破り、オイルタンクを迂回して、クネクネしてサーボに到達する。

硬い針金をクネクネ曲げながら、それでいて、正確に動作が伝わるように連結しなければならない。スケール機はこういう面で製作の難しさが有る。もっとでかい飛行機ならば、サーボモータをエンジンと同じ場所に搭載し、簡単に連結する事が可能なのだ。

(不吉な情報が伝わる)

千葉の岩ちゃんが、先日、”エクストラ”を飛行中にアクシデントに見舞われ、キリモミで森に墜落し、行方不明だそうだ。多分に森の木の上に引っかかり落ちて来ないのだろう。原因は片方の翼のエルロン・サーボの取り付けにガタが来ていたそうで、飛行中に何らかの衝撃で片方の翼のエルロンが操舵不能になったんでしょうね。

中型機以上では飛行機の製作と整備は細心の注意を払わないと事故に繋がりますね。馬力の強いエンジンを搭載していますので、危険です。

(今後の展開)

チップマンクはあと、主翼の左右のバランス調整があり、鉛板を片方の主翼先端に貼ります。動翼の動作角度の調整があり、全ての動翼を調整します。(これをしないと暴れる)
エンジンの試運転を開始します。そして、プロペラを選びます。現在12x7のサイズを搭載している。

信州の合宿には”バレリーナ25FX”、”チップマンクFL70"、”フラミンゴFS30"、”オーラムスポーツ32SX"のうちどれか3機を持参する積もりです。


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フィンランドからの客人

CIMG0090CIMG0089佐藤さんの旧友、同士のフィンランドからの客人です。今回は息子さんを連れての来日です。場所は、銀座のしゃぶしゃぶのお店です。

私は今回初めてお目にかかりました、明るい陽気なフン族の末裔親子さんでした。昨日は竹芝の某、研究所のセミナーで私も、彼の講演を拝聴しました。テレコムの専門家ですね、昔は、ヘルシンキ大学のコンピュータ・サイエンス学部の教授を長くされていたそうです。実業界にも顔が広く今は自分の会社を作り、広く世界を相手に活躍されています。

御存知、フィンランドは経済の面でも立派でして、国際競争力は遥か日本を抜いて、確か5位以内であった筈ですね。経済を支える社会インフラが整備されており、教育にも熱心です。大学迄、無料で受ける事が出来るそうですよ、驚きですね。けど、日本だって私の時代は大学の月謝は千円でした。誰でも、貧乏人の子弟が学べた素晴らしい時代でしたね。

Karila博士はとても日本びいきで、今回も息子さんを連れての訪問でした。息子さんは父親と同じヘルシンキ大学でコンピュータ・サイエンスを学んでいる19歳です。日本が好きで日本語を勉強し、且つ、日本の武道の修練を積んでいるそうです。

そういえば、フィンランド人は元は、草原にいた我々と同じく遊牧民でありフン族として恐れられ、ヨーロッパに進出し現在のフィンランドに定住したのですね。という事は、この客人達は子供の頃にはお尻に青い斑があったんだろうか?今度、訊いてみよう。(笑)

(シベリウスとスメタナ)

学生時代にシベリウスの”フィンランデイア”という曲とスメタナの”我が祖国 モルダウ”を好きで聴いていました。シベリウスの若い時代の民族主義を代表する曲が”フィンランデイア”だそうですが、何処か、同じくオーストリアに支配されていたチェコのスメタナが作った”モルダウ”は似ているのです。共通して言えるのは、圧制をはね返す民族団結の湧き上がる力ではないでしょうか?祖国愛でしょうね。

来年の夏には是非、サンクト・ペテルブルグから海を渡りヘルシンキからフィンランドの国々を訪問したくなりました。


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スーパーチップマンク だいぶ、でけた!

2005_101400632005_10140064秋合宿に持ってゆこうと考えている”スーパーチップマンク”が殆ど完成した。エンジンはFL70という4サイクルの10CCクラスを搭載した。
機首部のカウルの整形は未だなので、エンジンが剥き出しの状況である。プロペラは13X6を取り付けた。

重心位置は完璧であるが、左右のバランスが悪いので、鉛の板を片方の主翼先端に取り付ける予定である。
動翼の制御はラダー、エレベータ(両引き)、エルロン(2個のサーボで制御)、エンコン以上5個のサーボ・モータで制御する。

2005_10140065お尻から眺めた姿である。なかなか眺めが宜しいようですね。さて、これからの作業は、細かい調整作業が沢山あります。各、動翼の動作角度の調整がありますし、エンジンの調整が有ります。馬力があるので、細心の注意で扱います。

さて、秋合宿では飛ぶでしょうか?乞う、ご期待のほど!

(11月3日はラジコンショウー)

群馬県尾島飛行場にて、ラジコン飛行機仲間では大きなイベントがあります。ラジコン・ショウーがあるんですね。
横浜三人組と千葉の岩ちゃんも参加します。群馬のセッタの親爺もくるそうですね。これも、楽しみです。


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八甲田の親爺の話 蚕編

通いなれた、60歳以上の馴染みの客しか入れない、自由が丘のBAR"八甲田”で久し振りにマスターと無駄話をした。連れはお馴染みテツチャンである。

(金田で食事)

何時もの、定番のカニ団子とか肉ドーフとか、しめ鯖を食べ、熱燗になった頃にテッチャンが面白いものを注文した。”柿のしろ和え”と”銀杏の包み揚げ”である。こいつが、実に美味いのである。しかし、何時も何時も満員である。カウンター席は殆ど満員である。

(カイコの話)

八甲田のドアを開けると、親爺が客と将棋を指している。ホンマ暇な店である。

この親爺は以前にも御紹介しましたが、雑学で頭の中は一杯である。雪虫の話については、以前ここで紹介しましたね。今日は、蚕の話になった。

私も子供の頃は蚕を自宅で飼育していましたので、生態についてはある程度存じている積もりでした。しかし、繭を茹でて糸を紡ぐ方法は知らなかった。親爺が言うには、茹でると臭いらしいが、桑の葉で浮いて湯だっている繭を擦ると糸口が引っ付いて来るらしい。

そして、中身の蛹を食べるそうだ。へ・・・・・・?食べるんですか?そうだと言う。

しかし、蚕は外側から繭を作り始めだんだんと内側まで繭を作る。キチキチに繭を作るが何時、前後ひっくり返るのか?謎である。そして、何で、繭を作るのか?蝶々などは繭を作らず蛹になる。蛾の種類はかなり、繭相当を作るようだ。

天蚕(てんさん)とか山蚕と呼ばれる日本列島に古くからお住まいの、蚕は栗の木とかナラの木の葉っぱを食べて、繭は、うす緑だそうだ。これは、擬態でイモ虫みたいな頃も、うす緑で危険を察知すると、葉っぱの格好に見えるポーズをとるらしい。

しかし、蛹の期間に敵から身を守る為でしょうが、不思議な事をするようになったんですね。しかし、何でイモムシみたいなもんが、蛹になり、蛾という飛行物体になるんだろうか?同じ場所では餌が無くなる危険性と近親での受精では弱い個体しか残らない危険性を知っているからなんだろうか?

そういえば、先日、NHKでは”田ガメ”の生態について番組をしていましたね。アイツは夜に4キロも飛翔するんですね。そして、相手を見つけて子供を作るそうだ。そして、番組のハイライトは田ガメに発信機をつけて、冬の間は何処で過ごしているのか?謎の解明が出来たんですね。

何と、田圃ではなくて里山の落ち葉の重なった暖かい場所で冬眠していたんですね。これで、里山の重要性が又、再確認されたそうです。

(蜘蛛もそうだ)

親爺が又、田舎時代(八甲田山麓で産れ育つ)の体験談を語る。蜘蛛もそうだと言う。子供が産れると、無数の蜘蛛の赤ちゃんが一斉に四方八方に逃げるように、散らばるそうだ。所謂”蜘蛛の子を散らす”の語源である。

そして、蜘蛛は風の強い日にお尻から、どんどん糸を出してグライダーにぶら下がるようにして、風に吹かれて何処かへ飛び去る。新天地を見つけるのだ。

そこで、テッチャンが言うには、元々が人間とは定住せずに移動する動物ではなかったんだろうか?と言う。
我々の今の感覚では、定住が当たり前のように考えるがそうではないのでは?いい子孫を残すには、身近な同士では駄目だ。彼は、そういう説を語っていましたね。

悠久の地球の歴史の中で、彼らは色んな事を考え生き延びる方法を見つけてきたんですね。今日は何故か、蚕の話で盛り上がりましたね。

過去記事 キツネの嫁入り

過去記事 雪虫の話

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雨の三連休

この三連休は雨でしたね。急に寒くなったので、風邪をひいた人も多いのでは?我が家でも、家内は風邪をひき、孫も娘も風邪模様である。

娘が働いているので、孫は学童に預けている。土曜日は私が孫の学童への送り迎えを任された。朝は9時から預かってくれ、夕方は6時に迎えに行く必要がある。晩飯の買出しをして、子供の好きなハンバーグの材料を買い、ひき肉とナスのトマト煮のスパゲッテイを作ろうと、アレコレ買出しをして向えに行く。

(ハンバーグとパスタ)

経済学部出身の私はハンバーグとパスタの材料の共通性に着目し、合挽きの肉を半分ずつ使う事にした。先ず、ボウルを二個用意し、ひき肉を半分ずつ分けて、ボウルに入れる。タマネギの微塵きりを制作し、これも半分ずつ分けて二つのボウルに投入する。

そして、先ず、ハンバーグから制作に入る。ナツメグ、パン粉、牛乳、塩、胡椒、を入れて手でこねる。手が脂まみれになるが、ここは手を使わないと駄目です。ゴマ油を少したらして素材の完成です。フライパンを熱して、ごま油とサラダオイルの混合油を引いてハンバーグの小判型に整形したものを投入する。

蓋をして、とろ火でじっくりと焼く。その間に、ナスを3個用意してそれを、縦に8等分する。表面は8割り程度皮を剥く。最後にまとめて縦型のナスを半分に切断する。ニンジンの細かく切ったものも用意する。ニンニクを細かく切る。

トマト3個を用意する、これも細かく切る。

ハンバーグが焼けると、次に、ひき肉とナスのパスタの制作工程に入る。フライパンを熱して、オリーブオイルを入れ、にんにくを投入する。そして、ニンジンと玉ネギの細かく切ったものを入れる。ある程度焼き目がつくと、ナスをドバっと投入する。そこで、白ワインを投入する。

トマトを投入し、コンソメを投入し、塩、胡椒を投入し蓋をして、しばし待つ。

そこで、ミートソースの缶詰を一缶入れるのがjo流のやり方である。これで、コクがでるのだ。缶詰だけでは、缶の匂いがして美味くも何も無い。しかし、新鮮な素材で制作した材料に少し、缶詰を入れるだけで、一段と美味しいものが出来るのだ。

ナスとひき肉のパスタとハンバーグは素晴らしい評価を頂きましたね。(風邪ぎみの孫とその他、風邪ぎみの大人約二名、味が判らんという声もある)

(翻訳をやっている)

久しぶりに、英文の技術資料の翻訳を約百ページやっている。久しぶりなのと、翻訳そのものが始めてなので、戸惑いが多い。仲間のお二人はベテランであり、一人はスペインとフィンランドで仕事をしていた人で、もう一人はベトナム人でベトナム戦争がはじまる前に東大に留学し工学博士号をとられたリモートセンシングの専門家である。奥様が日本人で今は、母国も無くなり、日本の国籍である。

昔は、英文の技術資料は当たり前のように読んでいたが、翻訳する技術は身につけていなかった。英文を読み、中身を理解すると翻訳できたと考えていた。しかし、理解したことを第三者に伝える作業は始めての事なので、戸惑いが多い。

このお二人は、フィンランド、ベトナムの企業と日本の掛け橋になる仕事をするのが夢である。実はもう一人の仲間の先輩は既にフィリピンと我が国の掛け橋の仕事をされている。私を入れて4人のメンバーが今、些細ではあるが外国と日本の掛け橋の分野で何かをしようと動き始めた。


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ドイツ紀行(ゲーテ街道) 記事目次

2005年夏、念願のドイツ紀行をしました。なずけて、ドイツ紀行(ゲーテ街道) 心の旅シリーズです。

(目次)

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(1) きっかけ編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(2)フランクフルト編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(3)ハイデルベルグ編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(4)リューデスハイム編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(5)バッハの故郷編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(6)ワイマールとゲーテ編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(7)ユダヤ民族編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(8)ドイツ点描編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(9)日本との比較編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(10)ベルリン編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(11)ドレスデン編

・ドイツ紀行 番外編 ソウル

・ドイツ紀行 番外編 食い物

・ドイツ紀行 何だろ?写真編

・ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(最終章)

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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(最終章)

遂にこれで、今回のドイツ紀行を終わります。私が何故に青春時代に大学に行きたかったのか?その謎に迫る旅でした。

高校生の時代に憧れた旧制高校のバンカラな世界、北杜夫さんが描いた松本高校の寮の世界、映画”ダウンタウンヒーローズ”が描いた世界。そして、ワンダーフォーゲル部に入り野山を彷徨った充実した4年間の時代。

このルーツはドイツのハイデルベルグにあると信じていました。青春時代の心の聖地を訪問する旅がこの、ドイツ紀行でした。願いは叶い満足しています。

ドイツと日本は環境が似ています、資源の無い国であり、植民地も持たない国で、敗戦国であります。しかし、戦後の歩みがかなり違うように思います。近隣諸国に対する戦後の対応、エネルギーに対する考え方、伝統あるゲルマン魂のありよう、EUでのリーダーとしての立場、等々、比較検討するには十分な国である筈ですね。

今回の紀行記では、折に触れこのようなテーマについて触れた積りです。たまたま、今日の日経新聞にドイツの風力発電についての記事がありました。参考になると思いますので、少し、紹介します。

(地球回覧 独風力発電)

磯山友幸記者(記) 
・ドイツには風力発電用の風車が1万6千基以上ある。
・発電量の11%を風力発電で賄う世界一の風力発電大国である。
・2000年に制定した再生エネルギー法により、市場価格より高い値段で買いとり20年間保証する。
・欧州エネルギー取引所では二酸化炭素排出権の価格が急騰している。
3月に排出権1トン=9ユーロが今23ユーロである。
・欧州では今年1月から国別の排出削減目標に従い、工場などに排出量を割り当てる制度が動き出した。
・2007年末迄に目標以上に削減すれば、その排出権を他の企業に転売できる。削減できねば、排出権を買わねばならない。
・風力発電は二酸化炭素を排出しない。化石燃料を使用して発電した場合の二酸化炭素排出量が”削減分”として計算される。
・1メガワットの風力発電の場合年間2500トンの排出削減になる。今の取引価格なら780万円に相当する。採算性が一段と向上する。

これは、EUの戦略でありドイツだけの話ではない。政治に未来の地球環境に対する危機感がある。新聞報道によると近い将来に北極の氷は全て溶けてしまうそうだ。北極熊はどうなるんだろうか?地球の深層海流の沈み込みの現場が無くなると、地球の環境はどうなるのか?

もう、50年か100年くらいしかもたない埋蔵量の石油に依存し、経済大国と謳歌しても、空しい。

色々と、考えさせてくれる貧乏旅行でした。


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アメフトの試合観戦記

CIMG0090(久しぶりのアメフト観戦)
先月迄、北米総支配人をされていた先輩が日本に帰還されたので、一杯やりましょうとお誘いすると、東京ドームで会おうという事になりました。

この先輩はそういえば、昔、フロンテイアーズ(富士通のアメフト部)の部長をされていましたね。私は久しぶりのアメフトの観戦になりますが、キツネうどんを食べて東京ドームに出掛けた。

夜の7時にキックオフですが、今日の対戦相手はオンワード・スカイラークスである。その時間にピッタリに先輩は外人を連れてドームに姿を現した。

(気になるチアリーダーズ)

ロンテイアーズ・チアリーダーズ参照 メンバー紹介をクリックすると美人がでます!

やっぱり、アメフトの華はこれですね。けなげに、一生懸命踊り応援する姿には頭が下がりますね。応援の甲斐もなく敗れましたが、彼女達は頑張りました。13対7のスコアで負けました。

最後は残り1秒でロングパス、1ヤード届かず敗戦でした。これは、最後に盛り上がりましたね、同点のところでした。

(アメフトの思い出)

1982年1月にサンノゼに駐在員として赴任しましたが、その時にサンフランシスコはアメフトで街中が燃えていました。サンフランシスコ・フォーテイナイナーズが優勝したんですね。

歴史に残る名クオーターバックであるジョー・モンタナがいたんです。彼の投げるパスは神業のようでした。楕円のボールが弾丸のように遥か彼方のレシーバに飛んでゆくのですね。これは、芸術でした。

未だ、定住する家が決っていなかった期間なので、安いモーテルに滞在していましたが、優勝を決めた瞬間にはモーテルがお祭り騒ぎとなり、誰かまわず抱き合って祝宴でした。サンフランシスコのダウンタウンでは夜に熱気で盛り上がり、発砲騒ぎまでエスカレートし確か死人がでました。

タイガース優勝で燃える道頓堀みたいなもんですね。サンフランシスコには川が無いので、飛び込む連中はいませんが一晩中大騒ぎでした。

チアガールといい、毎回の攻撃で戦略をたてて、相手を騙す戦いはホンマ、アメリカ人が好むスポーツだと思いますね。なんせ、チームは60人くらいがフィールドに入れる筈ですよね。攻撃専門、防御専門、投げる専門、と、作業分担と細分化した専門家のやり方・・・・・不思議なスポーツである。

しかし、何と言ってもチアガールズがいないと盛り上がりません。

(関係ないけどテレビドラマ)

今晩、”白線流し”最後の番組になります。久しぶりの放映ですね。スピッツの歌もすきだけど、白線流しのドラマは素晴らしい。美しい信州の風景とともに。

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LACALACA更新

今回のドイツ紀行の案内をお願いしたMISAYOがLACALACA日誌を更新しました。

一部、私のドイツ紀行の写真と重複しますが、彼女のものがオリジナルです。そして、コメントもやはり私とは随分と異なりますので、面白いです。是非、覗いて下さい。

それから、園田駅近くで開業している、雑貨屋さん”PARFAIT"の経営者の、のりちゃんが闘病記を始めましたので、御紹介します。

のりちゃんの闘病記

早く元気になって欲しいです。

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秋合宿の準備

秋合宿も一ヵ月後に迫りましたので、飛行機の準備が必要です。既に、飛ばせる機体は仰山あります。

・フラミンゴ10・・・・FS304サイクルエンジン搭載小型高翼機
・バレリーナ20・・・OS25FXエンジン搭載 小型低翼機
・オーラムスポーツ・・・OS32SXエンジン搭載 中型低翼スタント機
・カルマート25・・・・OS25FXエンジン搭載 小型高翼練習機
・ノーザンライト・・・OS46FXエンジン搭載 中型低翼スケール機
・電動機2機、水上機1機

以上である。製作を待っているのが、哲ちゃんのサンデーα古代機、と、スーパーチップマンク機である。

CIMG0090(スーパーチップマンク機)
一月前頃より製作に取り掛かり、サーボモータの搭載とか足回りの取り付けとか動翼のヒンジの取り付けとか、既に終了していた。

OS FL70エンジンを購入したので、飛行機への搭載を敢行した。この作業は3時間は必要でありましたね。ここは肝心要であります。エンジンのプロペラ位置と機首部の距離は120ミリに正確にアジャスト必要であり、エンジンの主軸が正確に設計図通りに設置しないと、機体に癖がでるんですね。

エンジン・マウントに正確にドリルで穴を穿ち、ボルトで締める。右サイドスラスト2度、ダウンスラスト1度程度で設計されている筈である。機体の中心線より右に向けてエンジンを搭載するのはプロペラが進行方向に向かい右廻りに回転させるので、反動トルクが左向きに発生します。従い、少し、右向きにエンジン主軸を設定するんです。

(合宿迄のイベント)

10月中には一度、千葉での飛行会を開催し、11月3日には尾島でラジコンショウーがあり観戦に行く予定ですね。
それに、今回の合宿にはJoBlogのコメントで有名なYsさんが初参加される予定です。

さて、どんな秋合宿になるでしょうか?楽しみですね。紅葉と白銀を抱く後立山連峰が待っています。

多分、又、わこちゃんの変な飛行機が話題を集めるでしょうね?それと、リボン切りの空中戦も楽しみです。
千葉のラジコン親爺の新作、”赤とんぼ”スケール機は間に合うでしょうか?

昔の電気屋さんも娘さんを連れての富山からの参加が予定されています。群馬のセッタのトリ親爺は村の秋祭りで参加できないんだろうか?会長は未だ、生きているんだろうか?


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Jo君の役に立たない資産運用

皆さん、資産運用はところで、どないされてますか?資産は身体しか、”アラヘン”と言う声も聞こえてきそうです。しかし、多少の虎の子とか、ヘソクリは額縁の後ろに隠しておられる主婦の方々も多いのではないでせうか?

しかし、銀行の預金は雀の涙ほどしかつきませんね、郵便局の定期預金でも同じようなもんです。何か面白く無い世の中ですね。ところが、昨年の夏にスイス旅行をした時にある御夫婦と知り合いましたが、奥さんが株で儲けてその金で旅行費用を捻出したと申されていました。

雑誌記者さんに会うと、最近は金儲けに関する雑誌が飛ぶように売れるそうですよ。時代は勤勉・貯蓄志向から、欧米のように投資志向に変化が現れているんでしょうね。

そこで、私も余裕は有りませんが、どないな資産運用をしているか、計画してるか、触れてみる事にします。この記事により、破綻しホームレスになられても、責任は一切負いませんので、あしからず。

(株式投資)

素人さんが株式に投資しても確実に儲かるシナリオは有りません。御存知のようにアメリカの年金資金とか中東のオイルマネーとか巨大金融資本が仕掛けてきますので、雀の涙の投資は吹き飛んでしまいます。プロの世界と考えていいのでは、ないでしょうか?

それより、好きな会社を徹底的に調べる事をお勧めします。以前、記事にしたかも知れませんが、会社を調べる事は簡単では有りません。経済学、経営学の知識が必要になります。しかし、徐々に勉強して覚える事が出来ます。そうすると、会社を通じて世の中が見えるようになるんではないでせうか?

私は現在株式を持っていません、全て売りさばきました。以前、ブッシュ大統領が日本を訪問する時点で全て売却しました。これは、理由が有り、アメリカの巨額の短期資本が東証に流れ始めたのです。ブッシュの訪日に合わせてね。今回の小泉さんの選挙でも、何か判りませんが巨額の海外資金が東証に流れましたね。

私は、株を買う場合は余程その会社を知り尽くしてからでないと、買いません。最近迄保有していた独立系SI会社の株は社長を良く知っていたので、信頼して買いました。結果は配当が年率4%程度の換算で、株価の変動は有りませんでした。

(外貨預金)

最近、ある銀行から貴方の誕生日に特別に○%にしますという勧誘に乗せられ、ニュージランド・ドルの外貨定期預金を少し、してしまった。期間は1年で毎月利子が振り込まれる、しかし、1年後にニュージランド・ドルが円に対して暴落していれば、その為替分は損します。ま、その時はそのままニュージランドの国民でもないのに、定期を延長しておればよろしい。人間の数より羊の数の方が多い田舎のニュージランドですから、あまり世の中は変わらんと思いました。

(海外投資信託)

投資信託というのは、株式投信と債権投信の二種類が有り、国内企業対象と海外企業対象と有ります。私は、今度これに挑戦してみようと考えている。友人は米国企業の債権に投資するファンドに参加した。ハイリスクとミデイアムリスクの二種類を購入し、ハイリスクは米国のランクBBBの企業債権を購入するファンドでしたね。

年利は二つのファンドを合わせて平均約6%でしょうか、二ヶ月ごとに利子が振り込まれる。この投資信託は日々、市場価格が変動しますので、買った時の元本が戻るかどうかの保証は有りません。しかし、このファンドは訊いてみると、5千億円の巨大ファンドですから、先ず、紙切れになる可能性は少ないでしょうね。

ところで、投資信託は多分最初に3%程度の手数料が取られますので、(最初だけ)忘れないないように。

(定期預金)

実は私は少しの額ですが、某銀行の定期預金に誘われてやりました。これが、一番確実ですが、5年間は解約も出来ない定期でした。少しの、額で良かったですね。しかし、少しは利率がいいんですね。

これからの時代は単に貯蓄をするだけの人生ではなく、色んなリスクはあるが面白い金融商品を研究して組み合わせて資産運用する時代になると思います。そうすると、企業や経済の事を勉強する事になり、世の中の政治までが見えてくる事になるのでは?と考えています。

お金の事を色々と考えるのは”よくない”という風習が日本にはありますが、守銭奴はいけないが、健全な金儲けは決して下賎な事ではないと思います。

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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(11)


ドレスデン逍遥 世界遺産都市(古都)

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マイフォト ゲーテ街道(ドレスデン)

ドイツ屈指の古都である、”エルベ川のフィレンツエ”と言われたザクセン王国の首都であったドレスデンへの旅です。しかし、第二次大戦では西側の激しい攻撃により、都は灰燼に喫した。永く、東ドイツ時代も捨て置かれ、統一ドイツになってから復興の運動が始まった。来年には一区切り復興、再現が実現するんですね。

最初の動画はエルベ川の風景です。二番目の動画はツウ”インガー宮殿の風景であります。後期バロック様式の建築物としては世界最高峰と誉れが高いですね。

実は、私は風邪でダウンしていまして、ライプチッヒで寝込んでいました。だから、記事には出来ませんが、ミサヨの撮影した写真を拝見して下さい。

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32年前の課員名簿

先日、富士通の現在のシステム本部の礎を築かれた大御所、(故)中原啓一さんの葬儀がとりおこなわれた。
霊南坂教会にはあまたの関係者の方々が参列された。私も、はしくれに参列した。

その後、(故)中原さんの直下で指揮をとられていた方々より、偲ぶ会を挙行するので、色んな人々に分担して幹事の指示が下った。

(32年前の課員名簿が届く)

大先輩のT氏より私に、メールが送られて来た。32年前の課員名簿をデジカメで撮影した史料である。これは、もはや古文書の写しと言えるでしょうね。中身は・・・・

電子システム開発部 第三システム部第二システム課  48年9月21日
課長 技師 加藤栄護(兼)

以下、108名の課員の名前と資格と入社年度、等々が記述されていた。そして、管理職と書記の女性一人を加えて110名とある。

名前を追いかけてゆくと、なんと懐かしさがこみ上げてくるか?この時は場所は蒲田シスラボであり、私は入社して4年目ですから26歳という訳ですね。未だ独身です。

課長直下のT氏でも未だ33歳であり、以下若手が続いて平均年齢は多分に20代前半ではないでしょうか?そして、全員、野郎ばかりのむさくるしい集団でした。

しかし、加藤さんは兼務の課長ですから、本務の第一システム課があった筈ですから200人の部下を直接みていた訳ですね。今時、課長が100人、200人とみる組織は無いでしょうね。

当時の課長は強大な権力を持っていたんですね。

(第二システム課は何をしてた?)

幾つかのグループに分かれて、開発をしていました。もうかなり昔の話なので、忘れてしまいました。思い出せるのは以下の通りですね。

オンライン言語開発グループ。という連中がいた、COPTRANというオンライン用の言語を開発していた。そして、又、オンラインCOBOLの開発も始まっていたと記憶する。

OSⅡ COP-Fというオンライン・パッケージの開発部隊。そして、少し小規模なROS COP-Fの開発部隊も存在した。私は確か、OSⅡ COP-Lという製鉄所向けのパッケージの開発に従事していた記憶がある。

そして、小型のM15 COPも存在したと思う。回線廻りのグループも存在していたのではないでしょうか?端末の開発部隊は何処にいたんだろうか?

ともかく、哲ちゃんと相談してOBリストを作成して行きたいと思います。

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2005秋合宿 予告

恒例の赤とんぼの2005年度の秋合宿は昨年より一週間遅れた、11月11日(金)-13日(日)と決った。

昨年の秋合宿の模様

 記事: 2004年秋合宿 初日
 記事: 2004年秋合宿 終了
 写真: joさん写真
 写真: wakoちゃん写真

幹事は山小屋管理人さんですが、今のところは富山の昔の電気屋さん父子の連絡は無いが、それ以外は昨年と同じメンバーのようです。

さらに、このblogでお会いできた、Ysさんが参加される可能性が有ります、大歓迎ですので宜しく。

(この季節の岩岳は寒い)

山小屋”ちんぐるま”は岩岳のスキー場の麓に有りますが、とても寒いです。その年の天候にもよりますが、寒い時はみぞれが降りますので、防寒具は必須になります。

刈り入れが終わった、佐の坂の田圃で飛ばしますが、滑走路は狭い農道になりますので、あまり大型の飛行機の滑走は難しいです。

この場所で、もう29年間も秋合宿では飛ばしています。時折、学校が終わった小学生とか、近所の親子連れの皆様が観客としてお見えになります。赤とんぼは地元の人々との交流も大事な活動と捉えていますので、安全第一で飛行会の運営をして来ました。

(昔の記録映画)

大昔の記録映画も残していますので、それをビデイオに変換したものを山小屋で観るのが恒例です。28年前の第一作から始まり、延々と記録映画を観戦します。これが、楽しいですね。毎回、動画で記録映像を撮っていますので、折々にかっちん、管理人が中心になり映画の製作をして来ました。

それでは、皆さん結果を楽しみにしておいて下さい。

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2005/10月 帰京録

10月1日、土曜日の朝一番の”のぞみ”で京都に帰省した。前回の帰省は8月で夜行バスという、肉体的に厳しい帰省の旅でしたが、今回は楽であった。

(関が原から野洲あたり)

何時も関が原にさしかかると、京都は近いという思いになります。飛鳥、奈良、京都とヤマト朝廷が関西に都を築いたわけですが、世の中が乱れると必ず関東の武士団がこの狭い山間の道を西に向った。代表的なのが、壬申の乱であり、家康の関が原の戦いですね。

大河ドラマの義経も瀬田に向った。私は、この場所が日本を二分する境界線のような気持ちを以前より抱いております。冬には新幹線もここは徐行になり、のんびりと走りますね。これからの歴史に於いても、又、ここが焦点になる日が来るかもしれない。

野洲に抜けると、田圃の畦道には真っ赤な彼岸花の列が続いているのが印象的でしたね。そして、土饅頭のような形をしたなだらかな山が続いています。

(病院点描)

宇治の病院に出向いたが、仰山な人々でごった返している。順番を待つ老人が椅子に座り座る場所が無いので、私は立ち続けていました。義理の母に家内とお父様とわたしで付き添う形である。この大きな病院は繁盛していて患者の数は膨大である。しかし、義理の父の話では近くの大きな病院は客がいないそうだ。

看護婦さんと思しき人々が多量の書類を抱えて、行き来する。何時間も待たねばならない。未だ、この病院はペーパメデイアが基盤の病院のようですね。何で、あんなに多くの書類を運ぶ必要があるんだろうか?病院のコンピュータシステムはどうなってるんだろうか?

私の周りでは、中国語とか韓国語が飛び交う。患者さんは日本人だけでは無いようである。関西はアジアの人々が多く住む世界になっているんですね。そういえば、奈良にふうてんさんと出かけた時も案内版が韓国語と中国語でしたね。

せっかく、引退したら京都か奈良に住んで英語での通訳で観光案内の仕事でもしようと考えていたのに、英語圏の連中はあまり来ない。関西はアジアに近いのである。

担当医の話を聴いたが、若いが素晴らしい人材でした。今までの検査結果をコンピュータの画面を見ながら解説する。そして、患者に色んな動作をするように的確に指示をする。とても優しいし、誠実である。医者との会話は素人には難しいので、予め質問事項を紙に書いて、回答を求め記述する事を御願いした。

検査結果の分析データと質問回答書を貰い安心して引き揚げた。帰りにふと部屋の看板を見ると精神内科である。アレ?そういえば、私の姉の娘が医者で専門が精神内科だったな~~~と思い出してしまった。

(その後のイタチの動向)

前回の8月に帰省した折に、庭を駆け抜けるイタチに遭遇した。その後、あのイタチはどうしているんだろうか?気になっているので、義理の母に訊いてみた。答えは、”多分に屋根裏で未だ住んでいるんでないか?”とのお話でした。

そして、前回に駆除処置をした”むかで騒動”について、その後の按配を訊くと、やはり未だ”むかで”の旦那は出没するそうだ。私の駆除は全く無効だったようだ。

これから京都には底冷えのする冬が来ます、冬の暖房設備を今回は整備して、又、来月様子をうかがいに参りますと言葉をかけて辞した。

(塚口の入院患者)

実はもう一人、入院して三ヶ月目の義理の妹がいます。例の園田で雑貨のお店”PARFAIT"をやっている妹です。
見舞いに家内と一緒に阪急電車は塚口駅まででかけた。本人は病院を抜け出し、塚口駅近くの、豆腐料理が美味しいお店で再会した。

今回、ドイツで仕入れてきた”エコ・バッグ”を多量にお渡しした。ミサヨがドイツ旅行中、めぼしいスーパーを見つけると”エコ・バッグ”を買い求めた。

そこで、解説ですが、ドイツとかフランスではスーパーで買い物をしても袋もなければ、何もしない。”エコ・バッグ”を皆さんお持ちなんです。綿で出来た手提げの袋ですが、デザインが可愛らしく小さく折りたためるので、ハンドバッグとか手持ちの何処かに皆さん潜ませているんです。

若い美女がエコ・バッグをぶら下げて買い物したものを入れて街中を歩いているんです。これが、今のEUの姿なんですね。是非、関西にお住みの方々で暇な人は”PARFAIT"にお越し頂き、お買い求め下さい。一番高いもので500円程度です。(わたしが、遥遥ドイツから運びました。心がこもっていますよ。(笑))

(料理はどうしたか?)

今回は二泊三日の帰省でしたので、あまり、充実した料理は出来なかった。それと、塚口で入院してる暇な義理の妹が世話好きで勝手に福祉のネットを調べ、宇治にある料理を宅配してくれる人を捜し頼んでいるので、木幡の自宅迄いろいろと運んでくれるのである。

老人相手なので、量は少なく、減塩であり、メニューも沢山あり、料理が出来ない義理の母とかお父さんには都合が良い。私も食べてみたが、結構でしたね。

土曜日は何を制作したか、忘れたが日曜日は水炊きをした。ポン酢と大根おろし、東京ネギ、七味で鳥、鰯ダンゴ、鳥ダンゴ、野菜をふんだんに食べた。

歳をとると、いろいろと大変ですね。

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