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2005/10月 帰京録

10月1日、土曜日の朝一番の”のぞみ”で京都に帰省した。前回の帰省は8月で夜行バスという、肉体的に厳しい帰省の旅でしたが、今回は楽であった。

(関が原から野洲あたり)

何時も関が原にさしかかると、京都は近いという思いになります。飛鳥、奈良、京都とヤマト朝廷が関西に都を築いたわけですが、世の中が乱れると必ず関東の武士団がこの狭い山間の道を西に向った。代表的なのが、壬申の乱であり、家康の関が原の戦いですね。

大河ドラマの義経も瀬田に向った。私は、この場所が日本を二分する境界線のような気持ちを以前より抱いております。冬には新幹線もここは徐行になり、のんびりと走りますね。これからの歴史に於いても、又、ここが焦点になる日が来るかもしれない。

野洲に抜けると、田圃の畦道には真っ赤な彼岸花の列が続いているのが印象的でしたね。そして、土饅頭のような形をしたなだらかな山が続いています。

(病院点描)

宇治の病院に出向いたが、仰山な人々でごった返している。順番を待つ老人が椅子に座り座る場所が無いので、私は立ち続けていました。義理の母に家内とお父様とわたしで付き添う形である。この大きな病院は繁盛していて患者の数は膨大である。しかし、義理の父の話では近くの大きな病院は客がいないそうだ。

看護婦さんと思しき人々が多量の書類を抱えて、行き来する。何時間も待たねばならない。未だ、この病院はペーパメデイアが基盤の病院のようですね。何で、あんなに多くの書類を運ぶ必要があるんだろうか?病院のコンピュータシステムはどうなってるんだろうか?

私の周りでは、中国語とか韓国語が飛び交う。患者さんは日本人だけでは無いようである。関西はアジアの人々が多く住む世界になっているんですね。そういえば、奈良にふうてんさんと出かけた時も案内版が韓国語と中国語でしたね。

せっかく、引退したら京都か奈良に住んで英語での通訳で観光案内の仕事でもしようと考えていたのに、英語圏の連中はあまり来ない。関西はアジアに近いのである。

担当医の話を聴いたが、若いが素晴らしい人材でした。今までの検査結果をコンピュータの画面を見ながら解説する。そして、患者に色んな動作をするように的確に指示をする。とても優しいし、誠実である。医者との会話は素人には難しいので、予め質問事項を紙に書いて、回答を求め記述する事を御願いした。

検査結果の分析データと質問回答書を貰い安心して引き揚げた。帰りにふと部屋の看板を見ると精神内科である。アレ?そういえば、私の姉の娘が医者で専門が精神内科だったな~~~と思い出してしまった。

(その後のイタチの動向)

前回の8月に帰省した折に、庭を駆け抜けるイタチに遭遇した。その後、あのイタチはどうしているんだろうか?気になっているので、義理の母に訊いてみた。答えは、”多分に屋根裏で未だ住んでいるんでないか?”とのお話でした。

そして、前回に駆除処置をした”むかで騒動”について、その後の按配を訊くと、やはり未だ”むかで”の旦那は出没するそうだ。私の駆除は全く無効だったようだ。

これから京都には底冷えのする冬が来ます、冬の暖房設備を今回は整備して、又、来月様子をうかがいに参りますと言葉をかけて辞した。

(塚口の入院患者)

実はもう一人、入院して三ヶ月目の義理の妹がいます。例の園田で雑貨のお店”PARFAIT"をやっている妹です。
見舞いに家内と一緒に阪急電車は塚口駅まででかけた。本人は病院を抜け出し、塚口駅近くの、豆腐料理が美味しいお店で再会した。

今回、ドイツで仕入れてきた”エコ・バッグ”を多量にお渡しした。ミサヨがドイツ旅行中、めぼしいスーパーを見つけると”エコ・バッグ”を買い求めた。

そこで、解説ですが、ドイツとかフランスではスーパーで買い物をしても袋もなければ、何もしない。”エコ・バッグ”を皆さんお持ちなんです。綿で出来た手提げの袋ですが、デザインが可愛らしく小さく折りたためるので、ハンドバッグとか手持ちの何処かに皆さん潜ませているんです。

若い美女がエコ・バッグをぶら下げて買い物したものを入れて街中を歩いているんです。これが、今のEUの姿なんですね。是非、関西にお住みの方々で暇な人は”PARFAIT"にお越し頂き、お買い求め下さい。一番高いもので500円程度です。(わたしが、遥遥ドイツから運びました。心がこもっていますよ。(笑))

(料理はどうしたか?)

今回は二泊三日の帰省でしたので、あまり、充実した料理は出来なかった。それと、塚口で入院してる暇な義理の妹が世話好きで勝手に福祉のネットを調べ、宇治にある料理を宅配してくれる人を捜し頼んでいるので、木幡の自宅迄いろいろと運んでくれるのである。

老人相手なので、量は少なく、減塩であり、メニューも沢山あり、料理が出来ない義理の母とかお父さんには都合が良い。私も食べてみたが、結構でしたね。

土曜日は何を制作したか、忘れたが日曜日は水炊きをした。ポン酢と大根おろし、東京ネギ、七味で鳥、鰯ダンゴ、鳥ダンゴ、野菜をふんだんに食べた。

歳をとると、いろいろと大変ですね。

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Comments

 お疲れ様でした。親と遠く離れて住んでいると、何かと大変ですね。元気なうちはいいのですが、年齢と共にお世話をする方の負担が増えます。

 当方も来週、2泊3日で札幌のおふくろの様子を見てきます。88歳になりますが、まだ元気で自分で一人で頑張っています。

Posted by: | 2005.10.03 08:52 PM

哲ちゃん

来週は札幌に帰省ですか?確か7月に帰省されてましたね?

88歳か?私の母は89歳で亡くなりました。何んせ母が42歳の時の子やからね。

何時までも、長生きしてもらうようにせんとあかんね。北海道には哲ちゃんの兄弟が仰山いるから、あまり心配はないでしょうが、行くと喜ぶと思うよ。

お互い、歳をとりましたね。

Posted by: jo | 2005.10.03 09:37 PM

しんみりと

 いつものJoBlogとはトーンが違うのでしんみりとしました。
もともと間口の広い JOさんのブロッグの間口がもう一つ広くなる予感がします。

 関西から流れて関東(彦さん言うところの夷)に住む我々は新幹線で関が原を越えるとき、いつも特別な感情に襲われますね。
東から西のときはいつも、ああ帰ったなあ。
西から東のときはいつも、ああ行くんやなあ。
そのときJOさんは頭の中に(歴史)が渦巻くのでしょうや。

 病院のお話はいちいち身につまされます。
中国、韓国の人が多い、というのは関西ですねえ。
関東ではまだそんな印象はございません。
ホンマ橿原神宮駅では驚きましたね。
中国語とハングルで英語がなかったものねえ。
東大寺へ行っても団体客から聴こえてくるのは中国語か朝鮮語ばかり。

 サンライズ、サンセット。
しみじみとそれを感じる年代になりましたね、お互いに。
今回の帰郷記、帰京記ではイタチとムカデに救われました。

Posted by: ふうてん | 2005.10.04 01:12 AM

ふうてんさん

しんみりさせて、すみませんでした。しかし、現実はこのように病気と闘う場面も登場する訳ですね。諦めず、病気と闘えば活路が開けます。

最近はふうてんさんと関西紀行をしていませんね?当分は無理のようです。京都のフジタホテル、奈良の奈良ホテルが懐かしいです。

だけど、京都は宇治の拠点が国鉄奈良線の六地蔵駅の近くなので、気が向けばヒョイと電車に乗り奈良へ、京都へ行けます。そうそう、Muの旦那のお家もすぐそばでした。

来月も又、帰りますが当分は続くでしょうね。

Posted by: jo | 2005.10.04 10:08 AM

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