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ドイツ紀行 何だろ?写真編

ドイツ紀行における、何だろ?と思うものを集めました。

CIMG8546(便所で頭乾かすか?)
手を乾かすのは判るが、便所で頭も洗うのだろうか?謎である。

CIMG8557(歩道に巨大な本)
これは、本ですよね?歩道で邪魔にならんやろか?これは、何なんだろうか?ページが沢山あるから中身も色々ありそうだ。

CIMG8567(電気自転車?)
ドイツ鉄道のマークがついている。電気自転車の様子である。駅員の人が乗るのか?貸してくれるのか?何で電気自転車なんだろうか?

CIMG8581(汚いポストだ)
ドイツ郵便局のポストである。結構汚れている様子である。昔のドイツの郵便局の配達人は角笛を吹いて配達したそうですね。マークに残影があり。

CIMG8597(ダイエットおじさん)
ビールを飲みすぎたんでしょうか?自転車に乗ってダイエットに励みましょう。しかし、でかい腹でんな。

CIMG8613(ボロイ、ケーブルカー)
しかし、江戸時代の便所のようなケーブルカーだ。大丈夫なんだろうか?壊れないのだろうか?

CIMG8702(豚のプレゼント)
日本ではキーホルダーに名前が書いてあり、見つけて土産にするがこちらは豚の置物に名前が書いてある。私も友人に土産にしようと考えたが、日本人の名前は無かった。(アタリマエ?)

CIMG8821(河童のハム?)
アレ?カッパに似てません?これ、ハムなんだけど面白いですね。子供が喜びそうですね。

CIMG8822(お化けケーキ?)
何か判らんけど、不気味なケーキである。何やろな~~~?

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FL70エンジンを購入する

今日は私の誕生日、シーラカンスさんからお祝いの楽しいアニメのメールを頂きました。テツチャンが教えたんでしょうね。明日は早朝に新幹線で帰省ですから、今日は、お祝いをしたいという多くの方々の御好意を振り切り、秋葉原に走りました。(冗談です)
自分で自分に誕生祝いを買いました。

2005_10010103(OS FL70エンジンだ~~)

こいつを買いました。これは最新の廉価版の4サイクルエンジンでありまして、お得なんです。

性能緒元

・工程体積 11.45CC
・ボア 27.7mm
・ストローク 19.0mm
・実用回転数 2300~12000r.p.m.
・出力 1.1ps/11000r.p.m.
・重量  467g

OSのWeb紹介

そして、プロペラは12x7,13x6を使用する。

最近は騒音問題があり、4サイクル・エンジンであればかなり音が静かですから、好まれます。70クラスとなると、馬力がでますので中規模の飛行機を持ち上げる事が可能です。

2005_10010104(こいつに搭載する)

先日より、スーパーチップマンクの制作に取り掛かりました。主翼、本体のサーボモータの搭載とか足回りの接続とか、ヒンジ接続とか工程が進んでいた。問題は搭載するエンジンであり、OS46FXエンジンは持っているが、2サイクル・エンジンであり騒音問題がある。そこで、4サイクルエンジンを新たに購入した。

今度の秋合宿までに、完成させて白馬で飛ばす予定である。最近の赤とんぼ情報によると、わこちゃんは”スローポーク”という座布団みたいな飛行機を製作中と聞くし、千葉のラジコン親爺は”赤とんぼ”というスケール機を製作中と聞いている。

さて、どうなるか楽しみですね。


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秋晴れ浜便り

今日は天高く馬肥ゆる秋晴れ!素晴らしい季節が始まった。昨夜は銀座で先輩諸氏三名と秘書の方が宴席を設けて下さった。皆さん、海外経験の永い国際派で、お一人はベトナム出身のお方でした。楽しい、イタリアンでした、本当に有難う。

CIMG0089(横浜合同庁舎)

横浜法務局も入っておられる合同庁舎で馬車道駅のすぐ傍である。タバコを吸いに外に出ると素晴らしい秋の空である。見上げると素晴らしい景色であり、思わず一枚撮りました。
あくまで天高く昇って行きたい気持ち、というか、吸い込まれる感じでしたね。

CIMG0088(馬車道駅)

最近、横浜駅から中華街に繋がる地下鉄が開通した。みなとみらい線といいます。馬車道駅の風景です。近くには横浜県立歴史博物館、商店街、ガス灯、等々、明治の面影が残る素晴らしい場所ですね。高級な酒場も沢山あります。

CIMG0090(こんなポスターも)

ふうてんさんとか、シーラカンスさんの弟が喜びそうなポスターが駅に貼ってありました。何か古い時代のサーキットの王者でしょうか?葉巻型と言うんですか?フォーミュラーでしょうか、公道を走るので勿論、時速300キロはださんでしょうね。

横浜は馬車道駅の点描でした。

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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(10)

夕方にベルリンに到着した。ライプチッヒからICEで一時間半位だったでしょうか?ベルリンという駅は無い。車内のアナウンスがどうやらベルリンと言うているようだし、多くの人々が下車するので降りた。
駅の名前はOstbahnhofという駅のようだ。マイフォトの写真ではベルリン駅とコメントしましたが、正確にはこの名前の駅です。

ホテルはベルリンから離れているので、大きな荷物はコインロッカーに預ける事にした。そして、BVGにベルリンの鉄道の一日乗れるキップを買うのと、鉄道、地下鉄の地図を貰いに娘が走る。鉄道の地図を調べて今晩宿泊するホテルの駅を探す。二回乗り換えれば行けそうである。先ず、Alexanderplatzという駅を目指す。

判りにくい、ホームが何処なのか?何とか、人に訊いて電車に急いで飛び乗る。何か変だ?誰も乗っていない、しかし扉は閉まりました。案の定、電車は車庫に向かいました。暫く廻りの景色を眺めていると、車掌が来たので安心したが、そのまま乗っていなさいとの事、元の駅に戻りました。

再度、確認して電車に乗り今度は無事目的の駅に到着である。そして、乗り換えて、Pankow駅に辿り着いた。しかし、ホームに向かうとその路線は工事中で動いていない。廻りに訊くとバスかTRAMで行くしかない。

今度も娘が走り、Tramの一日券を買いに走る。風邪を引いているのに御苦労な事である。市電のようなものに乗り、ホテルのある駅を目指し無事ホテルに到着した。

CIMG9009CIMG9011CIMG9012


(娘と私はダウン)

遂に、娘も風邪でダウンし私は数日前から風邪をひいているので、二人はダウンしてしまった。問題は今晩のベルリンフィルの演奏会である。夕方6時までにベルリン市内のベルリンフィルの劇場に到着し、インターネットで予約したキップを確定しなければならない。二人分の切符を購入してるので、息子が家内を連れてゆく事になった。

さて、この郊外のホテルからベルリン市内の劇場まで到着出来るか?切符を確定出来るか?無事、ホテルに帰還出来るか?息子の実力が試される事になりました。

(夜の12時頃に帰還する)

ホテルの部屋の真下がトラムの駅である、折りしも雨が夕刻より降り始めた。夜の9時頃より下の駅を眺めては無事帰還して来たか?チェックを始めた。10時になっても、11時になっても帰って来ない。時折、タクシーが到着するが我が家の二人連れではない。

やっと、12時頃にトラムから降りてきた時はホットした。深夜であるし、ベルリンは危険なので心配した。

何と、三時間の演奏会であったそうだ。コンサート・マスターは日本人だったそうだ。念願のベルリンフィルの演奏を本場のベルリンで聴けて、息子は満足である。家内は疲労が溜まったようだ。

息子の話ではドイツの人は金が無くても、何とか工面して演奏会には聴きに行くそうだ。音楽の文化が根ずいているんですね。

ホテルのオーナーは陽気な禿げのドイツ人で奥様はスエーデンの人らしい。朝食込みで4人一部屋でベッドが4つで81ユーロであった。4人で1万円程度でしょうか。

来年はワールドカップである、フランクフルトもライプチッヒもベルリンもハノーバーもケルンも大会会場となる。今から、安い宿を予約するか、ユースを予約しておくと安く済むと思います。


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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(9)

今回のドイツ鉄道の旅で感じた、日頃の日本での生活環境とは違う幾つかを述べてみます。

(社会人としてのマナー)

長い鉄道の旅をした訳ですが、皆さんとてもマナーがいい事に感心した。超特急にも特急にも鈍行にも乗ったが日本とは少し、違います。先ず、うるさくない!私語が無い!静かである。若者の礼儀が正しい。学生風の連中は部厚いハードカバーの本をしきりに読んでいる。

これは、国民性なんだろうか?それとも、モラルとしてドイツに定着したものなんだろうか?最近の日本の朝の通勤電車では女学生のウルサイのが目立つ。

CIMG8683
(女性は強い?)

フランクフルトからワイマール迄の超特急に2時間半ほど乗車したが、その時の出来事を述べます。車両の真中あたりに向かい合う4人掛けの席があり、私の家族はそこに陣取り、通路を挟んだ隣に同じく4人掛けの席に老夫婦が向かい合いお座りになった。

フランクフルトを出る頃には、お隣の老夫婦の隣の席に見知らぬ誰かが座った、一時間ほど経過し、とある駅でその見知らぬ誰かは下車し、又、老夫婦のみになった。すると、やおら袋から日本の瓶ビールの倍はあろうかというでかい瓶(最初は一升瓶と見間違えたほど)を二本、向かい合うテーブルの上に置かれた。

それから、老夫婦はラッパ飲みが始まったのである。みるみる顔は赤くなり、少し陽気な声が聞こえるようになった。同じ大きさの瓶ビールをお飲みである。この時にドイツの女性は強いな・・・・・と、本当に思いました。

(旧東ドイツの印象)

ワイマール、ライプチッヒ、ドレスデン、ベルリンと旧東ドイツの地を訪問したが、まだまだ経済復興の最中にある感じがしました。至るところで、建設工事であり、交通機関も市電のようなトラムという電車とバスである。回数も少ないし、お店のサービスも少し違うような気がする。

社会主義国家の残影が色濃く残り、世代が交代しないと駄目かも知れないな・・・・と、思ったり、ドイツは大変だな・・・・と、思った。旧東ドイツの経済復興の為にどれぐらい出費しているんだろうか?そういえば、中国でも文化大革命時代の人々は上海の西側の企業では使えない、と、日本から長く上海に駐在していた人が言うてましたね。

ドイツは20年は昔、ミュンヘンという南部の西ドイツの地域を訪れた経験はあったが、今回、旧東ドイツの地域を歩いて初めて、ドイツの苦悩の一部を感じた。

(ハイヒールは履けない?)

街の歩道は至るところが石畳である。10センチ程度四方の石が埋め込まれ、石畳である。これでは、ハイヒールが石と石の間に挟まれてひっくり返る?のでは?と心配になった。けど、自然には優しい優れものなんでしょうね。靴の底がツルツルだと、雨の時は気をつけないと滑りそうですね。

(意外と親切である)

ドイツ人というと、日本の皆様はアメリカの戦争映画の影響で融通の利かないドイツ兵みたいだと考えておられるのでは?と、思いますが現実は優しい親切な人々が多いですね。片言のドイツ語を喋ると本当に嬉しそうな顔をするんですね。安ホテルに夜に到着し、私はビールが飲みたくてフロントの中年の男性に”何処に行けばビールが買えるか?”と質問すると、”自分のビールをあげるから、それを飲め”と言うんですね。

(冷房設備が無い)

ドイツでは冷房設備のある建物とか交通機関は殆ど有りません。しかし、近年の地球温暖化の影響を受け、32度程度の暑さなのです。これでも、冷房は有りませんので、ともかく暑いです。夜は、流石に大陸ですから少しは冷えますが日中は暑くて大変でしたね。

(喫煙に寛大である)

これは、私のような喫煙家にとり有り難い話でした。何処でも、喫煙が出来ますし、パイプを吸っている人もおられました。これは、フランスでも同じですね。長く続いた生活習慣を簡単には変えないヨーロッパの風習でしょうか?

(黒人を見かけない)

フランスでは沢山の黒人をみかけましたが、ドイツでは殆ど見かけませんね。植民地を持たないからでしょうか?
それとも、ゲルマン民族の中には入れないのでしょうか?

以上、気のついた幾つかを述べました。


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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(8)

今回のドイツ紀行で気になったもの、妙なものとの遭遇、諸々について少し、触れます。

CIMG0058(駅での出迎えはバラ一輪)

ドイツの駅には必ずといっていいほど、花屋さんがあります。そして、愛する人を出迎える人はバラの花一輪を手に持ち待っておられます。写真はベルリン駅の風景ですが、既に再会した直後の様子ですね。
実は電車の中に素晴らしい美人が乗り合わせていました。理知的で清楚で素晴らしい美人でした。偶然に我々と同じワイマールの駅で下車されたのです。

CIMG8894
そこで、我々家族ではどんな男性が待っているのか?ワクワクでした。
何と、待っていたのはバラの花一本を持ったモデルのような美男子ではないですか?安堵の気持ちが全員に湧き上がりましたね。これが、吉本風のおにいさんがお待ちでは、絵にならないのです。

CIMG0057(ベルリンにドンキホーテ?)

娘が見つけました、ベルリンの駅の傍の路上自転車です。サドルのカバーがお馴染み、ドンキの袋です。まさか、ドンキの支店がベルリンに有り安売りをしているとは聴いていない。何故、ここベルリンの自転車のカバーになっているんだろうか?

CIMG0046(猿?何だろう?)

ベルリンの壁博物館の傍の信号にこんな猿が描かれているんですが?何なんでしょうか?
壁を攀じ登る猿をめがけて銃口が向けられているように、理解しましたが?冷戦時代に東ドイツ側が描いた絵なんでしょうか?判りません。

CIMG0033(風力発電をよくみかける)

汽車の窓を眺めていると、ところどころに風車を見つける事が出来ます。脱石油社会に向けてドイツは一番積極的に手を打っている国であると聞いています。同じ敗戦国だし、中東に権益は無い国だし、自国に石油資源は無いし、日本と同じですね。

ドイツはEUに於いて気候変動防止プログラム、エネルギー消費効率改善、再生可能エネルギーの利用、持続可能な開発の推進という環境・エネルギー問題についてEUを先頭で引っ張ってる国だそうですね。
参考迄に少し古いようですが、参考になるWebをリンクします。


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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(7)

ドイツ紀行では二箇所、ユダヤ民族に対する過去の記念碑とも言うべき場所を訪れた。詳しくは判らないが、ドイツ国内には沢山このような場所が有るのではないか?と、想像されます。ドイツ人が過去の重大な過ちをどのように捕らえているか?どのように、歴史に残しているか?断片の一部であろうが紹介します。

ライプチッヒでの記念碑

CIMG0022CIMG0023ライプチッヒに滞在していた時に訪れた、ユダヤ教会跡における記念碑です。宿泊していたユースをでて息子と二人で早朝のトーマス教会を訪問しようと歩いていた時に偶然に遭遇しました。
最初は整然と並べられた椅子だけが、広場にある。廻りの空気が静まり返っているんです。何だろう?と、少し不気味ですが近寄り其れが、教会の椅子である事が判りました。記念碑にはドイツ語と英語で書かれていたので、幸いにここが何なのか?判りました。

ここに、ユダヤ教会が存在していたのです。そして、このライプチッヒでは1万7千人のユダヤ人が殺害されたのです。整然と並んだ椅子を眺めていると、涙がとめどもなく流れてくるのですね。

廻りに囲いも何も無い、椅子も固定されているとは思えない、雨ざらしの広場にただ並んでいる。これは、毎日誰かが面倒をみないと維持出来ないのでは?誰かが悪さをしないのだろうか?永遠に私達はここで過去に起こった事を忘れませんよ!この椅子一つ、誰かが壊したら街の人々みんなの責任ですよ!何か、そんな気持ちになりました。

ユダヤ民族博物館(ベルリン)

CIMG0050CIMG0053ベルリンでは是非、ユダヤ民族博物館を訪問したかった。写真の建物は旧ベルリン博物館ですが、今はユダヤ民族博物館の入り口になっており、隣に近代的な建物が建っている。この1999年9月9日に竣工した博物館はポーランド生まれのユダヤ人建築家ダニエル・リベスキンド氏により設計された。彼は、家族をホロコーストで亡くしている。

この博物館ではベルリンとユダヤ民族との関係について語っている。私のいくつかの印象について述べてみます。

(亡命と移住の間)

当時ドイツには50万人のユダヤ人が存在したが、終戦時には1万人強しか存在しなかったそうです。多くはホロコーストに送られたり、他国に亡命したのですね。床が斜めになった部屋には当時の亡命した人々のパスポートとか、写真とか手紙が展示されています。床が斜めですので、三半規管がおかしくなり、不安と目の前のものが正常には見えない錯覚に陥ります。ユダヤの人々の当時の不安と絶望を感じさせます。

(ホロコーストの塔)

門番がいて数名しか同時に入れない部屋が有ります。鉄の大きな重い扉を開くと、狭い空間でコンクリートの打ちっぱなしの壁が、四方から斜めに10メートル聳えており、明かりは上部にあるスリットから差し込む僅かな光しか有りません。恐ろしい強迫観念と不安に襲われる気持ちになりました。

CIMG0052(ホフマンの庭)
斜めの斜面に高さ6メートルのコンクリートの柱が49本建ち並ぶ庭が有ります。柱のてっぺんにはオリーブの木が植えられており、真中の柱にエルサレムの土、周りはベルリンの土で育てられています。迷路のような柱の間を歩くことが出来ます。

(シャレヘース) 落ち葉の部屋

この部屋が一番、感動しました。床一面に分厚い鉄板から刳り貫いた顔を踏みつける部屋なのです。部屋は長方形で先に進むとだんだん狭くなり暗くなります。踏みつけると鉄の顔同士が擦れて、音がするのです。顔はさまざまですし、子供と思われる顔もあります。歩いていると、なんだか涙が止まらなく、直ぐに部屋を出ました。

鉄で出来たもの、人間が文明として作り上げたもの、その悲劇なのでしょうか?あの顔の人々は生きた木から枯れ落ちたののかも知れないが、枯れても、鉄の意志で語り継ぐというメッセージなようなものを感じました。

確かこの建物を設計した建築家はニューヨークのグランドゼロの記念碑の建物を設計されるそうですね。私は、過去の悲惨な出来事をこれほど、レベルを高く表現というか、芸術の極地まで昇華した記念館は初めての経験でした。

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台風17号襲来

この連休は信州の鹿島槍に行く予定でした。ドイツ紀行で悪性の風邪をひいたので、体調が万全でなくキャンセルした。先輩諸氏と同期の吾朗ちゃんには迷惑をかけた。

折りしも、台風17号が襲来したので、多分に信州の山も豪雨と強風であったと思いますね。山小屋がありますから、大丈夫と思います。

さて、息子も明日は沖縄に帰るので、今日は送別会で娘と孫も一緒に近所の回転寿司に連れて行った。午後の3時過ぎなので、客は少なく注文生産のモードであり、孫が期待していたクルクル周るお寿司の風景はなかった。
残念そうに、卵焼きとか数種のお寿司を食べるだけで、可愛そうでしたね。

息子が自作パソコンを制作して沖縄に帰る予定が、注文した筐体と電源が今日になっても宅配されず、遂に、全ての部品を我が家に残したまま、沖縄へ。私に、全ての部品と虎の巻の本を置いて、説明していた。

と、いう事は?私が、制作しなければならないのか?ハードは組み立てる事が出来ても、問題は面倒くさいインストール作業である。ホンマ、12月迄ほっとくか?どうするか、悩んでいる。

この三連休は朝に飛行機を飛ばし、三機の飛行機の修理を行い、且つ、新しい秋合宿用の”スーパーチップマンク”の制作にとりかかった。忙しいのだ。

息子の10万少しのパソコンの稟議書に許可を出したし、新しい飛行機の為に50クラスの4サイクルエンジンの購入が必要だ。2サイクルのエンジンなら有るが、最近は騒音問題で4サイクルにしないと、肩身が狭い。2万円は必要である。

今週末は、又、京都にトンボ帰りである。今度は夜行バスは止めて、のぞみで帰省予定である。歳をとると、色々と忙しいものである。

そうそう、台風17号ですが、関東には上陸せずに東に去りました、午前中に少し雨風が強い感じでしたが、たいした事もなく過ぎ去りました。アメリカは大変ですね。

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ドイツ紀行 番外編 食い物(1)

CIMG8570CIMG8737Misayoは食い物に目が無い。彼女が撮影したドイツでの食い物についてご紹介します。左は、伝統的なパンですね。
この形は中世から変わっていないそうですよ。有機栽培の麦から作ったパンですね。
右はケーキを頼むと、フォークが突き刺した状態でお客に出されます。これは、不思議ですね、早く食べろという意味か便利なようにそうしてるんでしょうか?不明ですね。
CIMG8740CIMG8741左は紅茶で右は、バッハのケーキです。ここは、バッハハウスの近くのカフェですので、地元名産?のケーキとなります。

CIMG8592CIMG8649CIMG8650CIMG8652白いソーセージは美味しいですよ。ま、何でも美味いです。

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三機の修理完了

2005_09220102この数日で三機の修理を完了した。
一番の大型機のオーラムスポーツはチューンドパイプとエンジンの接続が正確ではない為に排気ガスが漏れ、且つ前回の千葉飛行会でチューンドパイプが途中から脱落する事故に遭遇した。本体部分を削り、エンジンとの接続を完璧にした。そして、パイプを支える主翼部分の補強処理を実施した。

一番小さなフラミンゴ機はこの前、新横浜の鶴見川でエンストにより墜落し、主翼左舷一部破損、前輪破損の損傷があり、これも修復したが、丸、三日間の工程で以外に手間隙が必要であった。

バレリーナは破損は無いが、着陸時の石ころへの衝突でプロペラ破損があり、今度は10X6にレベルをあげた。

専用バルコニーで先日、エンジンの始動テストとプロペラの適合テストをしたが、万全の仕上がりである。

さて、制作しなければならない飛行機は2機存在する。一機はテツチャンから譲り受けた25年前のサンデーα機であり、もう一機はスーパーチップマンクの50機である。

昨夜、償却機に搭載されていたOS FS30の4サイクルエンジンを取り外したが、油だらけで、清掃に一晩必要でしたね。エンジンはホンマ、手間隙がかかりますね。それに、ボタボタと油を部屋に落すと、怒りの言葉が何処からともなく、飛んできます。

明日から、又、飛ばすぞ!Ysさん、飛ばしませんか?

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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(6)

ワイマールという土地とゲーテについてです。

参考写真 ドイツ紀行(ワイマール)マイフォト

参考写真 ドイツ紀行(ライプチッヒ)マイフォト

実はこの小さな古都で二泊しました。折りしもきつい風邪を引いてしまい、丁度、静養するには良かったです。
今回の紀行文では難しいのはドイツ語表記ですね、日本ではワイマールと発音しますが、Weimarの発音は下唇を噛んで破裂音で音を出すので、実際の現地ではブアイマールと言うのが近いでしょうか。

さて、この土地はドイツの国土の中央に位置し、日本ではドイツ最初の共和国、ワイマール共和国の憲法で有名ですね。中学か高校で学んだと思います。1918年に成立した世界初の民主的憲法を掲げた国でしたね。しかし、18年でヒットラー政権に倒されてしまいます。

(ゲーテ活躍の地)

さて、少しワイマールの歴史を振り返りましょう。16世紀にはここはザクセン・ワイマール公国の首都で有りました。その後、18世紀初頭にはバッハが宮廷オルガニスト、コンサートマスターとして宮廷に招聘されていました。文化の華を育む土地だったんですね。

その後、1775年に既に文人として頭角を現した26歳のゲーテは当時、ワイマール公国の摂政であったアンナ・アマルア候爵夫人に大臣として招聘されます。その後、50年間この小さな公国の大臣として、政治・文化両面で活躍した訳ですね。

CIMG0196銅像はゲーテと詩人シラーとのコンビの姿ですね。宮廷劇場において数多くの作品を上演し、ドイツ一番の文化都市を建設したのです。
昔の日本の旧制高校の学生ならば、必ず読んだという”若きウ”エルテルの悩み”、”ファウスト”等は日本でもお馴染みですし、シラーの”ウイリアムテル”も有名ですね。大阪大学医学部を卒業した手塚治虫さんも、若い頃はドイツの文学・哲学に傾倒され漫画”ファスト”を創作されたそうです。

CIMG0197その後、近代になり工業化時代に必要な芸術とデザインを学ぶバウハウス大学が創設され、世界的にバウハウス運動と呼ばれる近代建築・都市工学・デザインの旋風を巻き起こしました。今も5000人の学生がこの大学で研究し、成果である博物館も存在します。
娘が大学時代にバウハウスの流れを勉強した経緯もあり、武蔵野美術大学の”武蔵野美術”雑誌では昔から馴染みでした。

CIMG0202ゲーテ博物館です。ゲーテが住んでいた場所が博物館になっております。彼の集めた世界の芸術作品の他に、苦労した鉱山開発時代の鉱物資源も展示されておりました。貧乏な小国経営に奔走したんですね。しかし、芸術と政治の両方をこなすゲーテは才能豊かな人だった訳ですね。
裏庭には綺麗な花壇があり、しばしの休息をさせて貰いました。

CIMG0218先史博物館
 アタシャ一人で、家族を離れ、先史博物館を覗いてきました。有史以前のガリアの土地の考古学資料館なのです。石器時代から青銅器時代、鉄器時代へとジオラマ形式で大層面白い展示でしたね。
私以外では、一組の客しかおりませんでしたが、静かで、実に結構でした。

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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(5)

ドイツ紀行は先ず、フランクフルト往復便を予約したので、初日はフランクフルトに宿泊し、二日目はハイデルベルグへのピストン旅行にし、夜に、ICE(高速鉄道)で2時間少し、乗り北東方面にあるワイマールを目指した。
ワイマールに二泊する事にして、ここを基点に次の日はアイゼナハのピストン旅行をした。

アイゼナハはバッハの故郷であり、彼はこの地で育ったのであり、彼が住んでいた家が残されている。ついでに、ワーグナーの博物館もあるので、見学し、最後にグアルトブルグ(Wartburg)城、世界遺産を訪ねる旅になります。若き日のルターやバッハが過ごした中世に栄えた町である。

参照マイフォト ドイツ紀行(アイゼナハ)

CIMG0123 バッハハウス 
これは、バッハハウスである。多分、昨年の夏にスイス紀行で訪れた、ハイジの家と同様でバッハが若い頃に過ごした家のイメージが湧くような、当時の家を保存しただけであろう。バッハが生きていた時代は随分と今の楽器とは異なるものだ。ピアノは存在しなくハープシコード(チェンバロ)である。笛関係も木管が多く今のような金属では出来ていなかった。
だから、このバッハハウスでは専門家が当時のバッハ存命時代の音楽を聴かせてくれた。私は、ピアノよりチェンバロの方が好きなので、とても気分が良かった。


CIMG0127昔の楽器 
写真に昔の楽器が並んでいますね、貴重なものだそうです。笛も木管ですから、優しい感じの音に聞こえましたね。と、いう事はバッハの曲を現代のオーケストラが現代の楽器を使い演奏しているが、バッハが意図した音楽では無いのでしょうか?時代の演奏家、音楽家が古典をベースに日夜、新しいバッハを創作しているんでしょうか?
昨夜も、ワイマールでバッハの新曲が発見されたニュースがテレビで流れていましたね。

CIMG0148裏庭の花畑
バッハハウスの裏庭の様子です。花が沢山植えてあり、ミツバチが飛び交っていました。
音楽を聴いて、花のある庭でのんびり出来るのは天国のようですね。
素晴らしい、です。息子は大学のオケ部でバイオリンを弾いていますが、実は、私も小学生になる前にバイオリンを習い始め低学年の頃迄やっていたんです。(挫折、涙)
息子は、ここで数点の土産物を購入していました。ネクタイとかTシャツ(楽譜がデザインされている)とかね。

CIMG0153昼下がりのビール
疲れたので、近くの広場にあるお店でお茶です。虫が多くて驚きですね、菓子が納められたショーケースの中まで、ミツバチとか虫が飛んでいるんです!
信じられない光景ですが、地元の人達はなんともないようです。(まるで、オーストラリアと同じですね)
女子供はケーキにお茶ですが、アタシャ好物のビールです。やはり、昼間から飲むビールは美味いもんですね。廻りの席のお歳よりもビールを勿論、飲んでいました。

CIMG0156ロイター・ワーグナー博物館
これは Reuter-Wagner-Museumですね。バッハハウスから歩いて10分位の場所に有りました。
ドイツの詩人ロイターが19世中葉に住んでいた場所であり、ワーグナーの直筆楽譜”タンホイザー”を見る事ができますし、ワーグナーに関する遺品が沢山収納されていました。この場所から、坂道を登り詰めると山の上に11世紀に建造された、現在の世界遺産”Wart'Berg”が有ります。あの、タンホイザーの舞台になったお城ですね。

CIMG0170年寄りに城巡りはキツイ
外は32度を越える猛暑であり、まさか歩いて山を登る訳にゆかず、バスの停留所を探した。幸い、バスが通りがかり無理やり乗せて、頂いた。お城ではガイドつきでないと参観出来ない仕組みで、今日が始めての英語でのガイドをするという、若いドイツの女性の案内で城見物をした。騎士達の歌合戦の広間が有り、これに刺激されてワーグナーは”タンホイザー”を創作出来たそうです。16世紀初頭には宗教改革で有名な、ルターはこの城に隠れて8ヶ月間で新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳し、現在のドイツ語の基礎を作ったそうですよ。
参考web wartburg

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友人の息子の国際結婚

昨日は大学同期で同社入社の友人の息子の結婚式であった。お互いに見合い結婚で偶然に、海老名プラーザというマンションで数年間、一緒の場所で過した経験があり、その時に息子さんは生まれた。

おとなしい、明るい性格で奥様に似て、性格のいい男のお子さんでした。私の長女のすぐあとに生まれたと記憶しています。その後、私は大倉山に転居し、彼の家族も鎌倉の方面に転居となった。

数年前に彼の息子に偶然に再会する機会があり、立派に成長した姿をみて感動した。

今回、縁があり、息子さん晋作君の結婚式に呼ばれた。相手の女性は我が家と同じで国際結婚である。中国の女性であり、美人である。西安より未だ西の方だそうで、ウイグル系統だそうだ。

2005_09190083場所は葉山の御用邸の近くのホテル・リゾートで行われ、夕日が落ちる海を眺めながらの素晴らしい、結婚式と披露宴でした。久しぶりに、同期の奥様とも再会し、昔懐かしい思いがしましたね。同じ時期に子育てをした仲間でしたからね。
彼も、私も、あかんたれで、見合い結婚でしたが、息子さんは何処で見つけたのか、国際結婚で羨ましい超美人を射止めました。

2005_09190097彼女は師範大学をご卒業されたそうですが、毎日、旦那お弁当を作るそうで、行動そのものが昔の明治の日本のやまとなでしこみたいでした。

最近の日本の若い女性も、うかうかすると、海外の女性に日本の男性は奪われてゆくかも知れません。国際競争力をつけないとあきませんね。(笑)

2005_091900842005_09190095葉山の海岸に夕日は落ちてゆきますが、かすかに夕日の右に富士山のシルエットが見えます、お判りですか?電信柱が邪魔ですね、けど綺麗に見えます。

同期の親爺の彼は経営学部を卒業し、人事・勤労の世界で苦労をして明石の工場長とか、熊谷の工場長とか色々と経験し今は、同巣の会社を離れ或る会社の経営幹部をしている。しかし、私と同様に子弟が国際結婚という同じ、立場になったようだ。

出来れば、新婦の故郷である、ウイグル自治区に招待して欲しいものだ。そして、同期の親爺と一緒に、西域の酒を飲みたいと思いました。

(カッチンと早朝フライト)

今日は、カッチンと鶴見川で早朝フライトです。ホンマ、我ながらタフやね。

2005_09190113カッチンの飛行機を何気なく撮影していたら、何と、カラスが2匹彼のの飛行機を追いかけていたんですね。現場では判りませんでした。彼は電動機のフラミンゴでした。私はエンジン機を飛ばしましたね。

もう、秋が来た、そろそろ、秋合宿の飛行機の準備が必要になりましたね。今日は、終日、飛行機の修理作業で一日が終わりました。息子は自作パソコンに挑戦です、さて、Muさんのように、ちゃんとできるでしょうか?

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連休早朝フライト

2005_09180076連休は初日から早朝フライトを再会した。しばらく、ドイツにでかけていたので、久しぶりである。
朝の日差しは強いが空は秋模様である。河原を吹く風も涼しく、バッタが飛び跳ねたり虫の鳴き声も大きくなりましたね。本格的な秋が到来しそうです。

一年中同じ場所で飛行機を飛ばしていると、草むらと鶴見川の流れと空と虫と鳥の動きで四季を感じますね。
夕方などは、すっかり秋の気配です、虫の鳴き声が煩いですね、秋の証拠です。虫たちにとり短い命の夏はもう、終わりなんですね、少し物悲しく感じます。

昨日は孫の運動会、小学一年生です。前の晩には、鳥の唐揚とエビフライと卵焼きを作りました。運動会というと、子供の頃を思いだします。必ず巻き寿司と卵焼きは有りましたね。未だ、卵が高価な時代です、ゆで卵も有りましたね。子供のハレの日に親は一生懸命お弁当を作ったんですね。

入賞すると、エンピツとかノートを貰いました。娘が綱引きにでてタオルをもらってました。今回面白かったのは、騎馬戦でした。
2005_09180070特に女子の騎馬戦です、お互いの陣営に大将が派手な勝負服を着て戦いますが、お互い大将が残ると、兵卒から一騎討ちの勝ち抜き戦になります。
一人の小さな女の子が5人抜きして、遂に相手の大将を倒しましたが、圧巻でしたね。この小さな女の子は将来どないな女性になるのか?楽しみです。

日本恒例の伝統行事の運動会も終わりました、暑かったです。

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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(4)

旅行最後の日、ソウルに向う最終日にフランクフルトで一日余裕があった。
元気があったので、汽車で1時間の距離にあるライン川の川辺の古都、”リューデスハイム”に向う事にした。

写真はマイフォト ドイツ紀行(リューデスハイム)を参照下さい。

リューデスハイムはライン川の川くだりの起点にあたり、多くの観光客がここからローレライの像を眺める船旅にでます。参考 ライン川の地図

2005_09140053あいにくの雨でしたが、ワインシャトーがありライン川を挟む丘には葡萄畑がつらなり、美しい風景であります。
ここには、ブラームスの散歩道というのがあり、小高い丘の上迄、ブドウ畑の小道を歩きます。眼下にはライン川を行き交う船を見下ろせて素敵ですね。

(リューデスハイム・コーヒー)

2005_09140032隣の席の御婦人がお飲みなのが、名物、リューデスハイム・コヒーです。地元産の香りの高いブランデー”アスバッハ”を最初に入れて火を点けます。そこにコーヒーを入れて、最後にホイップクリームを載せるんですね。ブランデーの香りがコーヒーにマッチするそうですよ。私は飲みませんでした。

2005_09140031
2005_09140033腹が減ってるので、ビールとソーセージを頂き、女子供は甘いお菓子を食べていました。あいにく、たびの途中からひどい風邪をひいてしまい、体調が万全ではないが、ビールを飲むと元気がでるもんです。
この街は素晴らしい、是非、フランクフルトなど都会に泊まらず此処をお勧めですね。眺めもいいし、静かだし、古い街なので落ち着きます。

数枚、写真をご紹介しておきます。

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ドイツ紀行 番外編(ソウル)

ドイツ紀行番外編です。実は、安い航空券を購入したので、ソウル経由であり、且つ、ソウルで一泊しなければならないという、暇人しか買わないチケットでした。フランクフルト往復、7万7千円程度ですから、しょうがないですね。

ソウルの不安

しかし、成田空港ではASIANA航空のチケットしか貰えず、ソウルは何処に宿泊できるのか?誰も知らない不安の旅立ちでした。韓国に入国するのか、しないのか?それも判らない侭、成田から飛行機に搭乗した。

高級ホテルに泊まる

インチョム空港に降りて、入国処理をしてASIANA航空のカウンターに覗い、”俺はフランクフルトに行きたいのに、何故かソウル空港で降ろされ、貴方の航空会社の都合で私は不本意に宿泊せねばならない。”と告げた。

リムジンが10分後に来ますので、ご家族でお乗り下さい、ソウル市内のホテルにご案内します。”との、返答でした。空港からソウル市内迄は約1時間かかりますね、昔は金浦空港(キンポ空港)は市内に近い場所でしたが、韓国の世界戦略でアジアのハブ空港を建設するという、長期戦略からこの不便な巨大空港を建設した。

バブルは崩壊し、さて、この空港は如何な按配なんだろうか?空港の設備は素晴らしいし、巨大であるが、コンセプトが時代遅れと感じている。ロッテ資本が独占し、土産物屋とかブランドのお店が至る所に綺麗な店を開いている。

何か、寂しい気持ちである。それより、インターネットが出来る場所をつくるとか、世界の情報にアクセス出きる場所を用意するとか、仕事が出来る場所を作るとか、本を読める場所を作るとか、何か旅をする人々の気持ちに本当に応えているのか?残念であります。

高級ホテルに案内される

2005_091400112005_09140009到着すると、そこは明洞(ミョンドン)のROYALホテルのエグテイブルームでした。素晴らしい部屋であり、申し訳ないと思いましたね。晩飯と朝飯もついて全て無料です。飛行機のチケットは目的地までの時間を顧客が買う、しかし、途中で一泊しないと駄目な飛行機はこのような特典を顧客に与えないと商売が出来ない。
私の家族のように暇人グループにとり、意外と、面白い航空券の買い方だったかも知れない。

明洞(ミョンドン)風景

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2005_09140006明洞は若者の街である、夜に散歩をしたが、大阪の下町の10年前のような光景である。
日曜の夜なので、若者が多く集まり賑やかな風景でありました。顔が日本人と同じなので、まるで、日本にいるような錯覚になりますね。
屋台も沢山でており、アジアの雑踏の妖しい独特の雰囲気を感じることが出来ます。

夕食を頂く

2005_09140010洋食でしたね、鳥か肉の選択でした。しかし、御飯を丸く盛るのは面白いですね。お子様ランチみたいです。

ま、只でソウルの夜を過しましたが、暇人の人にとり意外とこのような航空券を買うのは面白いかも知れませんね。

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ドイツ紀行(ゲーテ街道) 心の旅(3)

今日は、憧れのハイデルベルグに行きましょう。6時に起床し6時30分には朝食。7時前にはフランクフルトの駅に到着です。荷物は夕方まで、ホテルで預かって貰う事にしました。

フランクフルトから南に約1時間程南下した路線にハイデルベルグ駅は有ります、時刻表を見て出発です。ここで、あらかじめ、ライン川の配置を説明すると、ライン川はアルプスを源流にドイツの西側を南北に流れています。南がアルプスですね。

フランクフルト近郊においてMainという川がライン川に注いでいます。フランクフルトはそのMain川の合流近辺に出来た都であり、ライン川を再度南下遡上すると、そこにNeckar(ネッカー)川がライン川に合流します。その合流近辺に出来た都がハイデルベルグなんですね。

さて、写真はマイフォトを参照して下さい。ドイツ紀行 ハイデルベルグ編

CIMG0051この写真はハイデルベルグ城からネッカー川とハイデルベルグの街並みを見下ろした景色です。
何かイタリアのフィレンチェを思い出す風景ですね、しかし橋はベッキオ橋ではなく、カール・テオドール橋です。
この城は14世紀から建造されているので、約800年間は見下ろしている勘定になりますね。この街にドイツ最古の大学がこの城と同じ頃に創建されあまたの研究者と芸術家を生み出したのです。

CIMG0054城は、一人3ユーロで入れますし、日本語の携帯説明器具は3.5ユーロで借りる事が出来ます。すこし、しつこい説明ですがグループで一台借りると便利です。
この城は14世紀から幾度となく増築、改築されロマネスク、ゴシック、色んな様式がごちゃ混ぜですね。しかし、巨大な砦の塔の中ではシェクスピア劇が演じられ、ネッカー川を見下ろすバルコニーでは毎夜、宴が催されたそうです。

CIMG0064巨大なワインの樽が城の中に有りました。これだけあれば、我が家では何年もつでしょうか?説明では、あまり美味しくなかったそうです。
しかし、中世の権力者はとてつもない事を考えるようですね。戦争しても毎日、酒だけは豊富にある!心に余裕が出来るんでしょうかね?
日本の城ではどうだったんでしょうか?信長はお酒が飲めないから駄目ですね、秀吉は大阪城で巨大な酒樽を備蓄していたとは聴きませんね。

CIMG0077さて、ハイデルベルグ大学の旧校舎ですね。今も図書館とか宿舎とかに使われているそうです。あまたの、日本人の大学関係者はここで学んだわけですね。必死に勉強したんでしょうね。使命感があったと思います、遣唐使とか空海、最澄が長安に学んだのと同じでしょうね。
それとも、毎日、ビールばかり飲んでいたんでしょうか?私ならきっと遊んでばかり、していたでしょうね。

ここには哲学者の道(Philosophenweg)という名前の小道が有りますが、京都の哲学の道もここがルーツなんでしょうかね?

CIMG0083これは、学生牢の内部です。
大学は治外法権であり、自治組織で管理されていました。したがい、悪い事をした学生はここに閉じ込められたわけです。学生の気風としては、一度は牢屋に入らないと箔がつかないそうで、競って、牢屋に入ったそうです。そして、記念の落書きをしたそうですよ。机も、小刀で彫り込んでありましたね。
旧制高校の寮を見る思いですね。まさに、”ダウンタウン・ヒーローズ”の世界です。

このネッカー川のほとりに育まれた古都、ハイデルベルグは何処か京都に精神的には共通するものを感じましたね。お寺の代わりに教会があり、御所の代わりに城があり、賀茂川の代わりにネッカー川があり、先斗町の代わりにハウプト通りのビヤホールがあり、盆地の代わりにバレーがある。

素晴らしい、予想通りの古都でした、これで今回の旅行はこれで十分であり、終わりましたね。ビールは美味かったです。

注記:貧乏旅行者の為に費用概算
   ・ハイデルベルグ市内自由バス券 8ユーロ(5人迄一日中利用可能)
   ・ケーブルカー 5人迄利用可能 13ユーロ
   ・城の入場料金 一人 3ユーロ
   ・城の説明器具 一台 3.5ユーロ
   ・昼飯 一人 6ユーロ(プラス、ビール代 3ユーロ)
 ハイデルベルグ地図参考

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ドイツ紀行(ゲーテ街道) 心の旅(2)

今回はフランクフルト駅の風景と汽車、電車のキップについてです。

写真による風景はマイフォトを参考にして下さい。

ジャーマン・レイルパスを日本で購入

旅行代理店かHISなどでドイツ レイルパスを予め購入しておきましょう。私は、二人ペアのチケットを二枚、合計4人分を購入しておきました。二人分で6日間ドイツのDB(Die Bahn)が運営する鉄道を2等列車で乗り放題です。342ドルで購入しました。

割安で、日本で言えば新幹線の”のぞみ”の自由席から在来線の鈍行まで乗り放題です。滞在期間中の1ヶ月間で汽車に乗る日が6回(6日)可能という意味です。期間により、金額が異なりますので、Webを参考にして下さい。

ICE(Inter City Express)は時速250キロで走行します。ホンマ、ドイツは車も速く走るけど、汽車も凄いですね。鈍行でも直線では200キロ近い速度で走るんと違うかな~~。驚きました。

利点はキップを買う手間がかからないのと、割安です。その他、遊覧船の割引とか、バスとか、色んな特典がついていますので、良く調べて下さい。

先ず、ドイツで使用する日の最初に日本で購入したチケットを駅の窓口にパスポートも持参して有効処理をして下さい。鉄道関係者は誰でも知っています。

空港からフランクフルト迄の地下鉄

写真でmisayoが購入していますね。行きたい駅の番号を入力して、一人分のボタンを押すと、金額が表示されます。そしたらユーロコインを投入して下さい。紙幣でもいいです。そうすれば、キップが出て来ます。

キップを買わずに電車に乗り、もし、検札の人に見つかると法外な金額を要求されますから、絶対にキップは購入して電車に乗るようにしましょう。

初日の夜は駅の売店というか、スーパーというかそんな所で、ビールと桃とサンドイッチを買い、足の踏み場も無い部屋で食べました。MISAYOは日本から土産で持参した大福と納豆二つを平らげていた。

そうそう、ホテルの親爺にビールは何処で販売してるか訊いたところ、自分のビールをあげると言われた。ドイツではMy Beerを人にあげる風習があるんだろうか?初日から、変な親爺で出会ったものだ。

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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(1)

ドイツ紀行のきっかけ

毎年一度は海外に旅行をする事にしている。昨年はスイス紀行であったが、今年はどうするか?考えていたが、突然にライン川とドナウ川の船旅を思いついた。船旅は酒を飲みながら、風にふかれ気分よく景色は勝手に変わってくれるので、グーダラな私の性質に合っていると考えたからだ。

そこで、少し講釈をすると、二つの川の源流はスイスアルプスに源を発し、ライン川はドイツ西部を南から北に流れ幾多の文明を築いた重要な川である。今も、マンハイム、フランクフルト、ボン、ケルン、デユッセルドルフ、エッセンと大きな都が栄えている。

一方、ドナウ川はドイツ南部の西から東に流れる川であり、ミュンヘンが大都市としては有名である。三番目の川としてはドイツ東部を南北に流れるエルベ川があるがドレスデン、ベルリン、ハンブルグと大きな都市を育んだ。
このように、世界共通であるが川が交通手段であった時代がつい最近迄存在し多くの都市を成立させたのである。

大学時代の思い出とドイツ

私は中学生の頃からワンダーフォーゲル(Wander Vogel 渡り鳥)部に所属し山歩きをし、大学時代に本格的に活動をした履歴を持つ。そして、ドイツ語を第二外国語に選んだ。そこで、ここで少し、日本の皆様には馴染みが薄いと思いますので、ワンゲルについてその産みの親であるドイツでの歴史を紹介します。

ドイツでは中世の時代から遍歴学生という考えが存在したそうで、優秀な先生を求めて学生が遍歴した。最古の大学は勿論、ドイツ西南部にあるハイデルベルグ大学である。遍歴学生の教養とモラルは高く、質実剛健な精神と自由を信条とした。

1894年にヘルマン・ホフマンがシュテグリッツ高校で始めた”速記術研究会”では遠足をはじめ、集団で野山を旅する行動をとり始めたのがワンゲルの始まりと言われています。1951年にはワンゲルは組織化され青年の行動規範が出来上がり、1908年に歌集が成立した。

折りしも、近代文明が都市で躍動し祖国の野山を破壊し、素晴らしい伝統文化の破壊も始まり”森への退却”運動をはじめたのである。祖国愛、国際主義、平和と自由を憲章としてモラルの高い青年の運動となった。

しかし、ドイツが第一次世界大戦で敗れ、この運動はヒットラーの手の中に落ち壊滅した。しかし、日本では明治の日本の大学制度創設からドイツ制度を学び、基礎的制度と精神をドイツに学んだ。ワンゲルも実はこの時にハイデルベルグ大学から学んだ精神なのである。

ワンゲル精神には野山を彷徨い歩き、都市文明を批判し伝統の祖国の文化と自然を愛し、異なる地域の人々と交流し自由と平和を勝ち取る運動なのですね。ドイツでは多くの民謡を発掘し、歌集として纏めてゆく運動も起こりました。

従い、私の入学した頃のワンゲルではテントの中での先輩の議論はヘーゲルやニーチェ、サルトルといった哲学に関する議論が戦わされ、ドイツのハイデルベルグの歌を歌っていたのが印象深いです。

今回、ライプチッヒの街でユスホステルに二泊したが、バックパッカー(Backpacker)と呼ばれる背中に大きなリュックを背負い旅をする若者達とともに過ごし、昔の、ワンゲル精神が今もドイツに存在している事を実感した。

ゲーテ街道の車窓に変更

川の旅は今回は止めて、ドイツ西南部から東北部を縦断往復する車窓の旅に変更した。所謂、ゲーテ街道の旅である。フランクフルトを拠点にハイデルベルグ、ルーデンシャイムを訪問し、順次東北に移動する旅である。フルダ、アイゼナッハ、エアフルト、ワイマール、ライプチッヒ、ドレスデン、ベルリンへと移動し、再度フランクフルトに戻る旅である。

CIMG0019写真はライププチッヒのバッハが眠るトーマス教会の隣のバッハ博物館前のテラスで朝からビールを飲むjo。やはり、ドイツといえばビールである。

バッハもいいが、ビールもいい。


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帰国しました

2005_09140020おカエルなさい、では無く、無事ドイツ紀行より戻りました。貧乏旅行でしたが、楽しい旅でした。娘のMISAYOのお陰です。

日本では選挙も終わり、小泉さんの大勝で決着したようですね。ドイツでは、CNNニュースとかヨーロッパのテレビでは小泉さんが快勝すると、報道してました。

今回の旅は旧西ドイツと東ドイツの両方を縦断した訳で、共産主義国家の残影もこの目で見てきました。そして、ユダヤ民族の博物館でも涙が止まらんかったです。過去の歴史にドイツがどう対面しているか、断面を見る思いであり、記事にしたいと思います。

ともかく、私の憧れの場所、ハイデルベルグの古都に始まり、音楽の故郷を巡る旅でもあり、ハプニングも沢山あり、楽しい旅でした。

毎日気温32度という熱さで、快晴が続き、冷房が全く設備されていない公共の場所の移動では疲れました。貧乏旅行で、毎晩が4人で1万円以下の宿泊施設を利用しましたので、大学時代のワンゲル時代を思い出しましたね。

写真は、最終日のライン川ほとりの古都、リューデスハイム(フランクフルトから汽車で1時間)の土産物屋の風景です。

今後、長い時間をかけてドイツ紀行の心の旅を報告します。写真は300枚程ありますが、面白いのを選び家族のプライバシーには配慮をします。

最後に、フランスから夜行バスで9時間もかけて、往複して旅の一切の面倒をみてくれたMISAYOに感謝です。しかも最後に、旅の毎日の記念のあらゆるキップ、メニュー、入場券、等々をノートにぎっしりと貼り付けて、記録帳を制作して別れで、頂いた記録ノートは感動でした。

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10万件アクセス記念

JoBlogは皆様のお陰で本日、10万件アクセス達成となりました。ドイツ紀行中にこの記念は成立するかと観測しておりましたが、最近は暇なお方が多いとみえ、毎日のアクセスが増えました。

2005年9月3日 朝8時 10万4件 
一日平均 206.6件
早朝フライトかから帰宅して、Blogをみるとこのようでした。

2005_09030001そんな訳で、息子に記念写真を撮影して貰いました。何か、色が飛んで変ですが、ま、JoBlogらしいので我慢して下さい。

1年半前にBlogを始めまして、MuBlogの旦那、ふうてん老師方々の文章指導を受け、少しずつ人さまに読んでいただける研鑚を積みました。
そして、奈良のwdさん、京都のflowerのhisakiさまにも支えられ、又、京都出身のラジコン歴40年のYsさま、最近Blogを始めたオホーツクのテツチャン、古代魚のシーラカンスさま、皆様の応援で10万アクセスとなりました。

そして、JoBlogの副題であります、”赤とんぼと愉快な仲間たち”のお陰で楽しい、ラジコンライフを楽しませて頂いております。とりわけ、赤とんぼの、わこちゃんはJoBlogの美術監督でありまして、彼の趣味で時折、派手な画面になります。

皆様のお陰で10万アクセスという記念が出来ました、感謝致します。

(統計データについて)

・記事総数 649件 コメント 1911件
・先週のアクセス記録 総数 1843アクセス
 月曜日 346
 火曜日 248
水曜日 299
木曜日 285
金曜日 319
土曜日 170
日曜日 176

・先週の検索ワード
 東京大空襲 26
ラジコン    21
飛行機の飛ぶ原理 10
縄文時代の武器  10
虎ノ門         9
歴史      8
蘇我入鹿   7
奥沢神社   7
シヨン城    6
グライダー   6
写真      6
スーパーチップマンク 6
砂場      6
2005     6
赤とんぼ    6
動画       6
奈良      5
中国      5
JoBLog 5
カルマート  5
法隆寺    5
スケール機 5
ラジコン飛行機 5

これからも、宜しく御願い致します。

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独逸紀行企画 ハイデルベルグ

今年の夏の旅は独逸に決めた。昨年はスイスの山を巡る旅でしたが、今回はライン川の遊覧をしたいと思い決断した。しかし、その後気持ちが変わり、あまり興味がうせてしまったのである。

しかし、独逸に決めていたので、どうするか現地の娘から指示を仰ぐ矢の催促が来るようになった。幸い、息子が独逸といえば音楽の故郷でもあり、ベルリンフィルを聴きたいとか、バッハの故郷を巡りたいと言い出したので、私は今回の企画からは、距離をおいて横から眺める事にした。

結論はフランクフルトからベルリンへの往復の鉄道の旅という事になった。所謂、ゲーテ街道の旅である。
独逸を東西に横断する街道である、ゲーテ街道の史跡を巡り、音楽を聴く旅になった。飛行機のチケットは安いものを、インターネットで入手し一人往復料金で7万円台である。三人でも20万少しで済んだ。

あとは、鉄道のフリーパスの購入予約をして、滞在期間中は自由に鉄道の旅が出来るようにした。宿は、全て現地の娘にお願いしてインターネットで安い、学生が泊まるような民宿をお願いした。

私が、今回楽しみにしている場所が一つ有ります。それは、ハイデルベルグの街であります。

(日本の大学の原点)

私は大学時代にワンダーフォーゲル部(ドイツ語で渡り鳥という意味)に属したが、当時の学生の理想郷はハイデルベルグであった記憶が有ります。ドイツ語でわざとメッチェンと呼んだりしてまるで、”ダウンタウン・ヒローズ”の世界でした。

明治政府はドイツの憲法を学び医学、法学、哲学、工学、等々はこのドイツのハイデルベルグ大学に学んだのですね。多くの帝国大学の指導者は留学し、又、かの大学から招聘した教授が日本の明治の帝国大学で教鞭をとりました。大学の自治権というか治外法権制度はまさに、この、ハイデルベルグ大学から学んだ制度です。

この大学には学生の牢屋も存在していたそうです。そして、私達はマイヤー・フェルスターの戯曲”アルト・ハイデルベルグ”に感動したものです。青春のロマンはまさに、ネッカー川のほとりのハイデルベルグの街でありました。

山ではよく、この歌を皆で唄いましたね、ネッカーのほとりで・・・♪ なんちゃら。(アルト・ハイデルベルグ歌)

この大学と街では多くの学者や芸術家が集いました。シューマン、ブラームスそして経済学者のマックスウエーバ(大学時代はこの社会経済学者の本を読まされました)、哲学者ヘーゲル、・・・・。ノーベル賞、受賞者を7人も輩出した大学ですね。

ま、そんな訳で、今回は私の青春時代の憧れの街、ハイデルベルグ訪問が楽しみなのです。

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期日前投票

衆院選挙の案内はがきが来たので、不在者投票を行う事にした。はがきでは、期日前投票と書いてある。
投票日の前日迄、毎日、8時30分から午後8時迄、投票可能である。

今回の選挙はメデイアの報道によると、国民の関心が高いようですね。さて、その通り投票率は高くなるんでしょうかね?期待しています。

(選挙運動風景)

昨日も帰宅途中の自宅の近くでは、自民党の候補者が車を降りて、公園に集まっていた若い主婦と子供達の輪に入り握手をしていましたね。初めてこの候補者の顔を身近で観ました。確か前回は小選挙区で落選し、比例で当選した人と違うかな?

(郵政民営化)

郵政民営化論で自民党というか小泉さんは国政選挙にでた。以前にblog記事を書いたけど、郵政の問題は三個あるね。郵便事業と銀行業と保険屋事業ですな。誰が考えても、国が銀行業務と保険屋をやるのは時代遅れだし、民間の銀行が束になってもかなわない、預金額。世界中の金融機関は不思議な目でこの共産国家のような日本の仕組みを見ていますね。

郵便事業は何やろね、明治も頃なら判るけど今やインターネットの時代でんがな。黒猫やペリカンや飛脚や沢山の民間業者も荷物を運んでくれている。今更、手紙と葉書と電報?(今でもあるんやろか?)を民営化とか議論して何になるんでしょうね。

(株高が続く)

この選挙のおかげで、東京証券取引所には多量の短期資本移動で外資が流れ込んでいる。異常な株高である。ブッシユさん始め海外の応援団が応援してるとしか思えない金融事情ですね。日本の政権はもはや日本一国だけの問題ではないんですね。

(ハリケーンと女性名)

こんな時にアメリカは台風ではない、ハリケーンで未曾有の被害であり、報道では数千人が死んでいるという。
自然災害の恐ろしさを目の当たりにする思いですね。今でも、アメリカはハリケーンに女性の名前をつける風習を続けているようです。戦後しばらく日本も米国の言う通りに外人の女性の名前をつけていましたね。これは、どういう理由なんでしょうね。

西洋人はそういえば、山の名前も人の名前をつけたがる傾向がありますね。昔、百名山の深田久弥さんが嘆いていました、ヒマラヤの山にも人の名前をつけよると。自然を畏敬し崇めるアジアの人々と何処か、自然に対して向き合う心が違うんやね。

しかし、西洋の文明が自然破壊の歴史であったとしても、最近のヨーロッパは少し違って来てるように思う。特にドイツは環境破壊に対しては厳しい政策と国民運動が起きているように推察する。テツチャンの話ではドイツは女性議員が38.2%だそうだ。何か関係があるかも知れませんね。

(ドイツ紀行迫る)

今度のドイツ紀行では、ビールばかり毎日飲んでないで、色々と見聞を広めて来たい。民宿みたいな所に安く宿泊する貧乏旅ですから、民宿では色んな旅行客と話ができそうである。本当は日本からうどん、とか蕎麦を持ち込み自炊でヨーロッパ特にゲルマン民族に関西風うどん文明のすばらしさを、伝授したいところだ。

馬鹿な事ばかり考えてないで、不在者投票に出掛けてきます。

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