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ドイツ紀行(ゲーテ街道)心の旅(9)

今回のドイツ鉄道の旅で感じた、日頃の日本での生活環境とは違う幾つかを述べてみます。

(社会人としてのマナー)

長い鉄道の旅をした訳ですが、皆さんとてもマナーがいい事に感心した。超特急にも特急にも鈍行にも乗ったが日本とは少し、違います。先ず、うるさくない!私語が無い!静かである。若者の礼儀が正しい。学生風の連中は部厚いハードカバーの本をしきりに読んでいる。

これは、国民性なんだろうか?それとも、モラルとしてドイツに定着したものなんだろうか?最近の日本の朝の通勤電車では女学生のウルサイのが目立つ。

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(女性は強い?)

フランクフルトからワイマール迄の超特急に2時間半ほど乗車したが、その時の出来事を述べます。車両の真中あたりに向かい合う4人掛けの席があり、私の家族はそこに陣取り、通路を挟んだ隣に同じく4人掛けの席に老夫婦が向かい合いお座りになった。

フランクフルトを出る頃には、お隣の老夫婦の隣の席に見知らぬ誰かが座った、一時間ほど経過し、とある駅でその見知らぬ誰かは下車し、又、老夫婦のみになった。すると、やおら袋から日本の瓶ビールの倍はあろうかというでかい瓶(最初は一升瓶と見間違えたほど)を二本、向かい合うテーブルの上に置かれた。

それから、老夫婦はラッパ飲みが始まったのである。みるみる顔は赤くなり、少し陽気な声が聞こえるようになった。同じ大きさの瓶ビールをお飲みである。この時にドイツの女性は強いな・・・・・と、本当に思いました。

(旧東ドイツの印象)

ワイマール、ライプチッヒ、ドレスデン、ベルリンと旧東ドイツの地を訪問したが、まだまだ経済復興の最中にある感じがしました。至るところで、建設工事であり、交通機関も市電のようなトラムという電車とバスである。回数も少ないし、お店のサービスも少し違うような気がする。

社会主義国家の残影が色濃く残り、世代が交代しないと駄目かも知れないな・・・・と、思ったり、ドイツは大変だな・・・・と、思った。旧東ドイツの経済復興の為にどれぐらい出費しているんだろうか?そういえば、中国でも文化大革命時代の人々は上海の西側の企業では使えない、と、日本から長く上海に駐在していた人が言うてましたね。

ドイツは20年は昔、ミュンヘンという南部の西ドイツの地域を訪れた経験はあったが、今回、旧東ドイツの地域を歩いて初めて、ドイツの苦悩の一部を感じた。

(ハイヒールは履けない?)

街の歩道は至るところが石畳である。10センチ程度四方の石が埋め込まれ、石畳である。これでは、ハイヒールが石と石の間に挟まれてひっくり返る?のでは?と心配になった。けど、自然には優しい優れものなんでしょうね。靴の底がツルツルだと、雨の時は気をつけないと滑りそうですね。

(意外と親切である)

ドイツ人というと、日本の皆様はアメリカの戦争映画の影響で融通の利かないドイツ兵みたいだと考えておられるのでは?と、思いますが現実は優しい親切な人々が多いですね。片言のドイツ語を喋ると本当に嬉しそうな顔をするんですね。安ホテルに夜に到着し、私はビールが飲みたくてフロントの中年の男性に”何処に行けばビールが買えるか?”と質問すると、”自分のビールをあげるから、それを飲め”と言うんですね。

(冷房設備が無い)

ドイツでは冷房設備のある建物とか交通機関は殆ど有りません。しかし、近年の地球温暖化の影響を受け、32度程度の暑さなのです。これでも、冷房は有りませんので、ともかく暑いです。夜は、流石に大陸ですから少しは冷えますが日中は暑くて大変でしたね。

(喫煙に寛大である)

これは、私のような喫煙家にとり有り難い話でした。何処でも、喫煙が出来ますし、パイプを吸っている人もおられました。これは、フランスでも同じですね。長く続いた生活習慣を簡単には変えないヨーロッパの風習でしょうか?

(黒人を見かけない)

フランスでは沢山の黒人をみかけましたが、ドイツでは殆ど見かけませんね。植民地を持たないからでしょうか?
それとも、ゲルマン民族の中には入れないのでしょうか?

以上、気のついた幾つかを述べました。


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Comments

 梁瀬自動車にお勤めだった人を知っています。彼の話ですが、ベルリンの壁が崩壊したあと、ベンツ自動車の品質が落ちたと言ってました。

 メルセデスはドイツ統一後、東ドイツ人の雇用と東ドイツの部品メーカーの採用を積極的に始めたそうです。その結果が品質の低下だったそうです。

 でも、ドイツは一つということで?、品質の向上に努力しているらしいですね。現時点で評価してはいけないのでしょうね・・・

Posted by: | 2005.09.27 09:24 PM

テツチャン

今回のドイツ紀行では駅という駅で自動車が展示されてました。なんせ、ふうてん老師が身近におられるので、素人のアタシが記事にするのをはばかっています。

例えば、バッハの生誕地であるアイゼナッハを訪問しましたが、此処はミュンヘンにある戦闘機とか高速艇のエンジンを開発していたBMWが始めて買収した自動車工場のある場所なんです。

そして、ベルリンからフランクフルトに帰る汽車でハノーバー経由で帰りましたが、ハノーバー近くの駅、WOLFSBURGという駅を通過したが、延々とフォルクスワーゲンの本社工場の建物が続いていたのには驚きました。

その、ワーゲンもポルシェが株の20%を買収し時代の移り変わりを感じます。ドイツは本当に自動車の国ですね。

Posted by: jo | 2005.09.27 09:52 PM

 そういえば、ドイツはアウトバーンでしたね。アウトバーンが自動車を育てたんでしょうね。

 それにしても、ポルシェって国立技工さんなみのマニアックな会社ではなかったですか?その会社が大衆車の会社の株を20%も保有・・・どうなるのでしょう?

 玉井さんに、ドイツと自動車を語ってもらわなければなりませんな。チト、玉井さんにドイツ旅行をしてもらいましょう!

Posted by: | 2005.09.27 11:04 PM

ポルシェとフォルクスワーゲン

 フォルクスワーゲン(ビートル)はポルシェ博士の設計でした。
Googleに聴くと以下のような記事があります。

「フォルクルワーゲンが生まれる最初のきっかけは、1933年9月にヒットラーがフェルディナント・ポルシェ博士と対談したときにあります。このとき、ポルシェとヒットラーは全く同じ国民車構想を考えていて、ポルシェはヒットラーに国民車の概要をメモにして送ることを約束しました。
そして1934年6月22日に、ドイツの自動車生産を統括するドイツ自動車工業全国連盟(RDA)が、ポルシェに全面的に協力するという契約を交わしました。
 ここからフォルクスワーゲンの開発が正式にスタートしたといえます。スポーツカーで有名なポルシェは、フォルクスワーゲンの生みの親であるポルシェ博士の息子、通称フェリー・ポルシェによって作られました。そして今でもフォルクスワーゲンとポルシェは深い関係にあります。」

 このポルシェの最初のシリーズが356というスポーツカーでフォルクスワーゲン・ビートルをベースに作られました。
空冷水平対抗4気筒のエンジンも同じです。
これが6気筒になったのがいわゆる911で、これが一般的には(スポーツカー ポルシェ)のイメージになっています。

 この古い356シリーズはデザイン(車体)はビートルとは大幅に変えられ非常にカッコイイのです。
オープン・ツー・シーターもあり、ふうてんもロシナンテを買う前に欲しかった車です。
京都の中古屋さんでエンジンをかけさせて貰ったこともありました。
今、東京の友人でこの356を持っているやつがいます。

 初代ビートルから356、911と全て空冷水平対抗・リアエンジン・リアドライブです。
ゲルマンは頑固な民族やねえ。

Posted by: ふうてん | 2005.09.27 11:54 PM

ふうてんさん

詳しいコメントというか記事、有難う御座いました。なるほど、VWとポルシェの関係についてよく理解できました。

カブトムシがポルシェ博士の設計とは知りませんでしたね、日本でも、私が学生時代お医者さんとか、弁護士とかインテリ・ゲンチャ?(古い表現か)が好んで乗っていましたね。

ワーゲンの思い出は、1982年に米国に赴任した頃に評判が悪かった思い出が有ります。確か、ブラジルに工場を建設し米国向け車を製造したそうですが、それが品質が最悪で問題になっていて市場を失っていました。

ゲルマンの車はゲルマンが製造しないと駄目なようですね。

ポルシェはラジコン自動車に凝っていた頃に一台持っていました。勿論ラジコン・ポルシェですがね。小杉の会社の屋上で昼休みとか夕方、赤とんぼメンバーで競走していました。
(今なら懲戒ですね、古き良き時代でした。)

Posted by: jo | 2005.09.28 11:17 AM

長い旅路だったんですね。
ビールをたくさん飲んだり、ついでにソーセージ。
タフだなぁ。
そろそろ、JoBlogに寄せてもらいます。よろしく。

Posted by: Mu | 2005.09.28 01:29 PM

Muの旦那

論文の執筆が無事修了したようですね。暫くは、静養して下さい。

今回の旅は一度もタクシーは使用していません。公共の交通機関だけで旅をし、一泊朝食付きで4人で一万円程度でした。

昼飯とか晩飯は美味しいものを食べ、私はビールさえ飲んでいればそれで、良かったです。

途中から私は風邪を引き、娘は最後の方で風邪をひき、息子と家内だけが最後まで元気でした。

Posted by: jo | 2005.09.28 03:43 PM

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