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日本史 脇役の人々

日本の国土は8割が山岳地帯であり、2割が平野だそうだ。

山折哲雄さんが面白事を書いていました。”標高3千メータの高さから撮影された日本列島のビデイオを観ると、何処まで行っても森又森、山又山の風景が続いていると。日本というのは、今もって森林社会、山岳社会であることを改めて、感じさせられた。”と。

”ところが、二千メートルあたりに降りてみると、今度は、田畑が広がる平野が見えて来ます。稲作農耕社会の風景に変わります。更に、五百メートルに迄降下すると、工場地帯や都市のビル群が眼下に広がり、近代工業社会の風景になる。”と。

(三つの意識)

山折さんの説は、日本人の意識にはこの三層の意識が存在すると述べる。意識の一番下には縄文時代の森の生活の意識がある。森と山の生活の意識である。山の恵みで生活していた時代の自然に感謝する記憶である。

そして、二番目には弥生の時代から始まる稲作農耕時代の思い出であり世界観である。最後に明治以降の近代文明の考えであると。現代に於いて我々は近代文明の世界観の中で生活をしている。しかし、大事件が起こると、一番奥底にある古代から受け継がれている意識、つまり、日本の風土や自然の中で育まれた最深層が立ち現れてくるのである。

私も全く賛成ですね、山折先生が語る世界はその通りでは無いかと思う。昔から山が好きで大学時代は特に年間百日もアルプスで生活していた、自分としては、大事件が起こらんでも、何時も縄文時代の記憶で生きている気持ちでありました。

(標高ゼロメートルの世界)

しかし、である。日本列島は以前から記事にしていますが、もっと巨視的に見るとユーラシア大陸の東端に連なる島の連続なのですね。陸地だけを眺むれば、そうだが、陸地以上に巨大な面積は海である。海を生活基盤として生きて来た縄文時代からの、もう一つの生活基盤が存在していたと思います。

これも忘れてはいけない、深層意識として日本人には存在していると思います。

(日本の歴史を支えた脇役)

さて、本日は何の為に記事を書いてるかというと、学校で学んだ日本史は都市文明史観ではなかったか?という、素朴な疑問であります。

律令制度を整え国家のかたちを整備し、飛鳥時代から始まった日本の歴史。国家は税金を納める連中がいて初めて成立するわけです。生産性の高い稲作農耕を中心に国のかたちは整備された。しかし、国土の8割を占める山岳地帯で生きる人々と、広大な海で生活する人々も存在した訳です。

両者の強みは列島を覆う情報網からの情報ですね。飛鳥時代から関が原までの通史を考えると、実は、今まで私が学んだ歴史はこの大事な、山岳で暮らす人々と、海で暮らす人々の役割が何だったのか?あまり、明確には学んでいなかったと思う。もう少し、視点を多角的に捉えないと本質が見えてこないのでは?と、最近思うようになりました。おいおい、具体的な歴史について両者の歴史に果たした役割を取り上げてみたいと思います。


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Comments

ご高説拝聴。
素晴らしいです。

海と山。
これが日本の総てかも知れない。
となると、都振りも、なにやら霞んできますね。

Posted by: Mu | 2005.08.04 09:26 PM

ホホホホ。そんなこと、あらしゃいません。

都ぶりは、それはそれ、よろしゅうおます。

金剛杖を持った岳人に刺青の海部の民も大事な歴史を担った事をいいたいだけどすえ。

はよ、学校は終わらんのどすか?好きな、古代史とミステリー、お待ち申し上げておりますよ。

Posted by: jo | 2005.08.04 09:39 PM

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