« July 2005 | Main | September 2005 »

三輪山セミナ(2005) その参

それでは、最後に菅野雅雄(すがの・まさお)先生の話を記録してこのセミナ報告の最後とします。

(菅野雅雄先生 簡略御紹介)
・昭和7年に岡山県にお生まれで、昭和32年国学院大学御卒業。38年同大学大学院修了。名城大学、東京理科大学、中京大学等にて教授をされ、現在、古事記学会代表理事。

(古事記成立の背景)

・古事記三巻は日本で編述した最も古い歴史書である。天武天皇の意図に従い編述され、元明天皇の5年(712年)に筆録完成・奏上された。天武天皇の史観が強く表出されている事に特色がある。

・日本書紀30巻は古事記に遅れる事8年、元正天皇の4年(720年)に舎人親王らにより筆録・奏上された。古事記をも含め多くの史書を史料として扱っている。大宝律令制定後の新しい国家建設の意識に拠って、文武天皇の頃に舎人の親王以下に編纂の命が下りたものである。

(大物主神の扱い)

古事記においては、大物主神を国作りをされた神とし、出雲の神からは切り離した。初代天皇である神武天皇の皇后はヒメ タタラ イスケ ヨリヒメ(長い名前ですね)さんですが、彼女の父は大物主神となっている。

一方で、日本書紀では彼女の父は事代主神(コトシロヌシ)と記述し、且つ、事代主神の父はオオナムチの神又の名を大物主神と記述。即ち、日本書紀は大物主神を出雲の神と認めている。

先生の説は、天武天皇の意思として天皇の皇后は神の子でなければならないというイデオロギーが存在したと主張されています。従い、古事記では大物主神はヤマト開闢の神であり、その娘だから天皇の皇后になる資格があると考えた。

(余談 大友皇子)

天武天皇は壬申の乱を起こしますが、大友皇子を認めなかった理由を卑母にあるとします。大友皇子はそういえば、伊賀采女宅子娘(やかこのいらつめ)という地位の低い立場のお母さんであり、伊賀皇子と呼ばれていました。

天武さんは天皇の皇后資格については原則を持っておられたようです。そういえば、壬申の乱で大活躍をした高市皇子も不遇でしたね、その子供である長屋王は父の無念をよく存じていたようです。だから、藤原氏が強引に聖武天皇の皇后に光明子を推進した時に反対し、逆に滅ぼされ可哀想な歴史があります。

注:高市皇子 天武第一皇子であるが母が、胸形君徳善の女、尼子娘であり卑母である。第1皇子でありながら身分は10人中8番目であった。壬申の乱では大活躍をした。

(日本書紀の立場)

書紀では大国主神、又の名を、大物主神、又の名を国作大己貴命(おおなむちのみこと)、又の名を、葦原醜男(あしはらしこお)、又の名を八千ホコ神、またの名は大国玉神、又の名は顕国玉神である。沢山の名前を持つ神さんなのだ。子供は181神おられ少彦名命とちからを合わせて国をつくられたのである。

(後代への影響)

第一代皇后を皇后の規範とする。養老令、後宮職員令では 妃は2名 四品以上(しほん) と規定が出来た。
その後、藤原不比等がなしくずしにする。

(講演感想)

天武天皇は日本史のなかでも、豪族連合に擁立されたヤマトの大王の国家体制から大王を中心とする新しい国作りを目指された人であると、私も認識していました。天皇という称号も天武さんの時代からだと、認識しています。

しかし、改めて三輪山の大物主神の偉大さは、記紀ともに認めるところであります。

過去記事 古代幻想 目次編

| | Comments (6) | TrackBack (0)

蜂が巣を作った

巣鴨を歩いていると、黄色のテープが張られ、オジサン二人が虫取り網。何やろな・・

CIMG0001通行人に聴いてみると、蜂が巣を作り学校の女性徒(女子高校)に危険が及ぶ心配らしい。多分、学校の関係者から都に連絡が入り、公園課か、なんか知らんけど所轄の課の人が来て、始末をされてる模様である。

とすると、この木は公道に植えた木なんやろね?都の責任なのかも知れない。

何の蜂か訊かなかったけど、こんな軽装でおじさん二人は大丈夫なんやろか?煙は焚かんでえーのやろか?
外は炎天下なので、私も足早に通過した。あまり関わってると蜂に刺されるかもしれんからね。


| | Comments (7) | TrackBack (0)

三輪山セミナ(2005) その弐

西宮 一民(にしみや かずたみ)先生の話の続きです。

 (3)ヤマトの王宮

第12代景行天皇までの王宮の場所ですが、神武天皇より第9代開化天皇までの期間はヤマト西南部である、橿原、御所、大和高田、等の所謂、秋津洲ヤマトの地であった。それが、第10代崇神天皇から12代景行天皇の王宮の場所はヤマト東南部である、桜井市の三輪山の麓であるマキムクに移った。所謂、磯城島のヤマトである。

ヤマトの枕詞には秋津洲(あきつしま)と磯城島(しきしま)という二種類があるが、これは”葛城のむろの秋津洲宮(孝安天皇宮)”であり、”磯城の瑞垣宮(崇神天皇宮)”に由来がある。枕詞の由来はこの時代を映している。

 (4)崇神天皇は何故三輪山山麓に宮を開いたか

先生はその理由を三輪山の祭祀と深い関係があると言われる。長谷川とマキムク川に囲まれた聖なる瑞垣の宮であった。日本書紀の崇神紀には恐ろしい話が語られている事を多分、御存知かと思う。

国内に疾疫が流行し半数の民が死んだ。(崇神5年) そこで、天照大神とヤマト大国魂の2神を天皇の大殿で祀る。(崇神6年)しかし、疫病はおさまらない。次に、打った手は天照大神をヤマトの笠縫邑に祭り豊鍬入姫命に祭祀をさせた。これはうまく行くが、問題はヤマト大国魂神を淳名城入姫命(ぬなきいりびめ)に祭らすが、髪は抜け落ちやせ細り祭祀を失敗する。

そこで、崇神天皇は三輪山麓にヤマトの80万の神々を集め失敗の理由を占うと、神がヤマトトトヒモモソヒメ(百襲姫)に憑依して曰く、私は大物主神だと名乗ったのだ。そこで、賢者に聞き、大物主神の子孫である大阪は堺に住んでいた(茅ヌ県の陶邑)大田田根子(オオタタネコ)に祭祀を任すと疫病は終息し、五穀も稔り、民は安住した。

この話はヤマトを切り開いた国の魂である大物主神を祭祀できるのは子孫しか出来ないという、祭祀権をいい、天照系の天孫族の後裔である天皇家では祭祀が出来ない事を述べている。

 (4)大神神社の神は何故”ミワ”と訓むのか?

正確を喫する為に先生の言葉を引用します。
”その謎を解くには、ミワという日本語をよく知る事である。漢字”神”の意味は”人間に対して猛威を振るい、恐怖を覚える存在を言う”。殆どは人の目には見えないが、祟りをしたり、憑依し託宣をすることによって、カミたることの存在を知らしめたりするが、中には目に見える”雷””狼””虎””蛇”の如きカミがある。

三輪の神は”大物主神”でモノ(魔物)の神の偉大なる主の神であるが、その正体は”蛇”だとの説話が多い。そして今まで、資料で見てきたように、漢字”神”の意味を十分に持っているモノ神であるが、その上に”三輪の大神”は(大和成す大物主の神・・・崇神紀歌謡15番 ヤマトの国を切り開かれた神であるという意味)である。

この点が、従来”神といえば三輪の大神”といわれる所以であるという事が理解できよう。”

 (講演感想)

・先生は関西人独特の漫才風の面白い語り口で聞いていて退屈させない、話の上手なお方である。御専門は上代語学・文学であり古代史の話に奥行きと幅広さを感じますね。そして、学問の領域は日夜進化するので、自分の説でも間違いとか古くなると直ぐに、改める素直さをお持ちのようですね。

・欠史9代と言うて、世間の学者は神武天皇より開化天皇迄を史実として、認めない風潮がありますが、先生は認めるお立場なんでしょうね。しかし、10代崇神天皇以前と以降は王朝が異なる程変化がありますよね。人によれば9代までを葛城王朝と呼び(王宮の場所が南西部の秋津洲による)、崇神天皇以降を三輪王朝と呼ぶ学者さんもおられます。(第15代応神天皇より河内王朝となる)

・ヤマトの語源については大変に興味が湧きました。面白い発想であると思います。これは、新説ですよ。

・私は崇神天皇は全く新しい系譜の大王ではないかと考えています。ミマキイリヒコイニエと長い名前ですが、イリ彦ですから侵入者ではないでしょうか?

・マキムク、三輪山麓を語る時に邪馬台国と卑弥呼を語れねばならない。しかし、記紀は沈黙している。最新の考古学の発掘成果と研究の進化により、マキムクの巨大前方後円墳の年代が解き明かされ始めた。ヤマト朝廷と前方後円墳の関係は密接である。2世紀末から3世紀中葉に活躍した卑弥呼女王と、記紀が語るヤマト朝廷の関係である。

・私は現在以下のように考えています。
 女王卑弥呼は記紀の記述でいうヤマトトトヒモモソヒメであると確信している。そして、お墓は箸墓古墳である。
 記紀において、崇神天皇に対して神のお告げをあまたする記事がでてきます。卑弥呼を支える弟王が崇神天皇ではないでしょうか。

 過去、卑弥呼と箸墓は年代が合わないと、退けられていましたが、年輪年代法の成果により、マキムクの古墳の年代が100年ほど遡るという説が説得力を持ち始めました。卑弥呼の死、248年に箸墓古墳は近ずいたのです。
 このように考えると、何故、崇神天皇がマキムクで王朝を開いたのか、判りやすいのではないでしょうか?卑弥呼の邪馬台国が存在したからではないでしょうか。

 それでは、神武天皇から開化天皇迄の9代の秋津洲ヤマト王朝はどう考えるか?それについては、まだ私は判りません。ただ、考古学による発掘成果をあまり聴かないのですね。


(尚、三輪山、ヒミコに関する記事はMuBlogに豊富(笑)にあります参照して下さい)

例えば三輪山伝承
まほろばの歌が聞える

三輪山関連
大和は邪馬台国である

沢山、沢山記事があります・・・。

追加疑問記事
・祭祀権の話であるが、三輪明神大神神社の件は理解できたが、それでは出雲大社はどうなんだろうか?
確か、天穂日命が祭祀をして子孫が、出雲の国造として出雲大社の祭祀をされている筈である。これは、天孫族であり出雲系では無い。ハテ?

| | Comments (4) | TrackBack (0)

昨年の悪夢 再び

今日の早朝から、午前中は実に辛い半日であった。昨年の夏の鶴見川での悪夢が今年も巡って来たのである。

昨年の悪夢 今日も墜落 記事

土曜日は千葉に遠征したが、日曜日も別の飛行機”フラミンゴ OS FS30搭載機”を飛ばしたくなり、重い車用のバッテリーをボロチャリの後ろに搭載し、器具類が入ったリュックを前の駕籠に入れ、飛行機をハンドルの上に載せて鶴見川に向った。

(墜落)

多少の風はあるが、大丈夫と飛行させ、二回目の飛行の最後の頃に突然に全ての操舵が効かなくなり、墜落した。
かなり離れた(数百メータ)距離のブッシュに墜落である、墜落時の音でそれは判明した。その瞬間にこれは、回収不可能だと覚悟した。これで、4万から5万円は損したな~~~と、頭をよぎる。

(第一次捜索)

ともかく、全ての荷物を整理して自転車に搭載し、橋を渡り、対岸の状況を観察する。何処にも、飛行機の姿は無い、諦めて自宅に帰る。しかし、悔しさが、こみ上げて来る。一時間ほど休息して、再度捜索に行く事を決めた。

(第二次捜索)

対岸の岸辺のおおぶたくさの茂みを捜索する事に決めた。送信機をオンにして飛行機のサーボモータの音を頼りに捜索を開始した。背丈以上あるブッシュに分け入り、傷だらけになりながら、かすかな音を便りに悪戦苦闘する。

しかし、30分は捜索したが、見つからない。そこで、中洲のおおぶたくさの島を捜索する事に決めた。ホームレスの人々が私は何をしているのか、不思議そうに見守ってくれている。頑張らんとアカンと思い、根性を入れる。

(自然は静かなものだ)

おおぶたくさの森(この表現が適当である)分け入り、送信機の操舵を動かして、飛行機のサーボモータのかすかな音を探す旅である。しかし、自然とは音が静かな世界なのだ、虫の音とか、鳥の声とか、可愛いいものである。
奈良・平安時代の人々の住む環境とは如何に静かな環境だったんだろうか?

なんて、古代の事を考えながらひたすら、薮漕ぎをした。突然に目の前に死体が出てきたどうしょう?とか、マムシが飛んで来たらどうしょうとか?しょうもない事ばかりが頭を駆け巡る。

(遂に機体を発見した)

しかし、遂に、日頃の行いがいいのか、神は私に微笑んだ!サーボのかすかな音を検知したのだ。かすかな音を頼りに進むと機体が無事で存在した。この時の嬉しさは喩えようが無い。朝から大変な一日が開始したのであった。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

三輪山セミナ(2005) その一

2005_08290003昨年、初めて東京で三輪明神大神神社主催の”三輪山セミナー”が開催され、今年が二回目である。昨年は、奈良で毎月開催されている、三輪山セミナー100回記念という事もあり、東京で開催された。私も、昨年より参加させて頂いている。

昨年のセミナ記事 出雲と三輪山

万葉の大和路 三輪山編 記事

古代幻想 目次 記事

(西宮 一民先生 講演感想)

・先生ご紹介
先生は大正13年お生まれで、奈良県桜井市多武峰の談山神社の社家にお生まれだそうです。京都大学文学部を卒業され、その後、帝塚山学院短大助教授、皇學館大学教授、学長を経験され平成12年に勲三等を叙勲された。古事記、日本書紀の研究家として著名である。

・”ヤマト王朝と三輪の大神”講演題目

(1)ヤマト王朝の定義

先生は第一代神武天皇から第十二代景行天皇までの時代を、奈良県内に王宮が営まれた最も古い時代という事でカタカナでヤマト王朝と定義。考古学者とか歴史学者でも色んな説があり、普通私が勉強した先生達は王権という言葉を使います。

朝廷という言葉は中国の律令制度導入以降の朝と庭と法制度の確立が前提という難しい事を言う学者が多いですね。カタカナを使用された理由は、漢字だと、新しい時代のイメージが浮かぶので、又、漢字は意味を持つので、今回は正確に上記時代と場所を限定して、ヤマトと記述。

(2)ヤマトの意味

奈良県を表わすのに何故ヤマトと言うのか?今日のセミナーの新学説であり目玉である。長い研究生活の末に辿り着いた新説である。先生は伊勢にお住まいであり、最近突然に閃いたのは伊勢神宮の遷宮の事からだそうです。

2013年には伊勢神宮の遷宮が予定されております。今般、山口祭が執り行われ、先生はこの山口祭に注目された。
参考 伊勢神宮 神宮司庁 山口祭参照

所で、ヤマトのトは乙類のトだそうですね。山の門(ト)は甲類だそうで、山のある処(ト)も甲類であり、山の本(モト)のトは乙類だそうだ。そうすると、ヤマノモトが源義となり音縮約説によりノ、モが省略されヤマトと発音されるようになった。山の本(山の山麓)という意味であるが、これでは日本列島の何処にでもある風景である。

そこで、山口祭をヒントに山という意味は、住居建築用材を伐出す山の意味ではないか?と、辿り着いた。
延喜式を調べると山口神社は全国に15社存在した。山口神社とは建築用材を伐出す山を祀った神社である。15社のうち14社までがヤマトに集中している。(1社は山城国愛宕郡にある山口神社)

これは、他国に見られないヤマトの特徴であり、大和盆地は青垣山に囲まれ、その山麓に王宮が営まれたのである。しかし、藤原京の時代には近江の田上山(大津市南部上田上カミタナガミ)に頼らざるを得ない状況になった。従い、藤原京の時代より遥か昔の記憶がヤマトの語源ではないかという結論になる。

・・・・・・続く・・・・・・・

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005/8/27 千葉飛行会始末

本日、台風11号一過の千葉で月例、赤とんぼ飛行会があった。

写真参考2005.8.27 千葉飛行会

今回のメインはわこちゃんの、”大王イカ”が飛ぶか?この一点に注目が集まっていた。結論から言うと、やはり設計ミスで離陸を断念した。2005_08270015
Ysさんのご指摘通りに、燃料タンクとエンジンが離れすぎで、機体を傾けるとエンストになる。どうも、私にも責任があるようですね。重心位置を後ろにするには、燃料タンクを後ろにしろと、私が提言したらしい。

(早朝からのフライト)

今日は5時起きで横浜を三人で出発した。現地、八千代には7時頃には到着したが、夏の草木が背丈以上に繁茂し、草の森の中を車で分け入りながら荒地(飛行場)に到着である。昨日は台風11号が千葉に上陸した関係で地面は至る所に水溜りである。

しかし、こういう局面はヘボのフライヤーにとり有り難いのである。墜落しても地面がぬかるんでいるので、機体が壊れないのである。やはり、私も最初のフライトで墜落したが、無傷であった。しかし、機体回収後にはだしの状態で水溜りで転倒し、泥沼風呂に入ってしまった。幸い、着替えを一式持参してきてたので、フルチンになり、全部着替えた。

(岩ちゃん、車ぶっける)

今日は朝一番から、アクシデントがあり、岩ちゃんが二日酔いが覚めないのか(実は前夜、岩ちゃん、哲ちゃん、jo、藤城の四人で新橋で宴会をしていた)、飛行場に到着したときにラジコン親爺の車のお尻に追突して、バンパーを二台とも破損した。

どうも、アクセルとブレーキを間違えて踏んだようだ。ホンマ二日酔いが覚めていないようだ。

(皆さん機体を損傷する)

カッチンは着陸時に風向きが変わっている事に気がつかず、追い風で着陸し、速度が落ちずにメインの脚を破損する。岩ちゃんは、エンストで草むらに墜落。私は、飛行途中でチューンド・パイプが外れ、僅かに、マフラープレッシャーのシリコン・チューブで機体と繋がった状態で緊急着陸でありました。

ラジコン親爺は相変わらず、快調にファンフライ機を飛ばし、カッチンは昔の電動機NOVAを修復して持参し、3フライト楽しんだ。これで、新横浜でも電動機で遊べそうだ。

(テッチャンの自宅近く迄行く)

テッチャンが30年前に制作した”サンデーアルファ”を私に、譲るというので、八千代を10時半頃に飛行会を終了し、松戸近く迄、約1時間のドライブをした。

2005_08270029
テッチャンが高級車で現れ、飛行機とお土産のスイカ3個を横浜組三人は頂いた。ホンマこちらがお土産持参しなければならないのに、テッチャン申し訳有りませんでした。

テッチャンと別れ、一路横浜に向うが、葛飾の虎さんの地元とか金町とか江戸下町の渋滞に巻き込まれ、やっと、レストランを見つけ、私は天丼プラスうどんの定食と生ビールを飲んで、帰宅は2時でありました。

ホンマ、今日は疲れた、昼寝を3時間もしたぞ。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

台風一過 関東直撃

関東直撃のノロノロ台風11号が仰山の雨を降らし、おお暴れをして通過した。金曜日の朝には千葉に上陸して太平洋に抜けそうである。朝の6時頃には我が家のバルコニーからは、少し雲がかかるけれど、綺麗な澄み切った富士山を眺める事が出来た。

台風の通過後の空は、ゴミが吹き飛ばされ、何時も澄み切った透明感があり、私は好きである。昨日の木曜日は一日中強風と豪雨に悩まされた一日でした。

(公証人役場)

バケツをひっくり返したような雨の中、横浜の公証人役場に出掛けた。多分に法学関連を勉強された方なら、御存知でしょうが、あまり庶民には関係薄い場所でしょうね。

全国の公証人役場には550人の公証人の方々がおられます、多分7割以上が30年以上、検事か裁判官を経験された方々ですね。公証人は法務局、地方法務局に所属する公務員であり、公正証書の作成とか会社の定款とか私文書認証を行ってくれる機関です。

参考 公証人連合会web

私は法律の専門家ではありませんが、皆さんに身近に関係するかも知れない例を掲げます。
遺言公正証書、契約公正証書、賃貸借に関する公正証書、離婚に関する公正証書、etcですかね。勿論、認証には手数料が必要ですが、公正証書にしておくと、いざという時に便利です。裁判所の判決を待たずに、強制執行手続きが出来ます。

私は、今まで会社の設立時の定款に関わる認証で、何回か足を運んでおります。別に誰かと民事係争ででかけている訳では有りません、念の為。

(公証制度とは)

公証人という言葉は確か、イタリアのフィレンチェ生まれのレオナルド・ダビンチさんの親爺が公証人であったという事を存じている人々が多いのでは?と、思います。法律専門家の話では世界にはラテン系とアングロサクソン系の二つの歴史が存在するそうです。

日本はラテン系(明治初めにフランス制度を導入し、その後ドイツ制度を加味し現在に至る)だそうで、フランス・イタリア・スペインに似てるそうだ。公証人の地位は高く法律文書作成に重点が置かれているらしい。確かに、米国ではNortary(ノータリ)という人が公証人であるが、煙草屋の親爺でもなれて州には10万人くらい仰山いましたね。法律文書作成は弁護士が行い、公証人の仕事では有りませんでした。

(台風の話でした)

台風の話が関係ない、公証人の話になりましたが、私の二番目の姉の旦那が弁護士をしてるので、法曹界の話は身近な話題でありました。関西方面で弁護士が必要になられましたら、メールを頂ければご紹介致します。但し社会派弁護士なので、離婚とかはやらんようです、好きな事件は倒産事件とか。

ベランダの植木も無事でしたし、土曜日は千葉での月例フライト、日曜は九段で大神神社のセミナーとサントリーホールでの音楽会と週末は多忙である。
CIMG0010CIMG0012

| | Comments (4) | TrackBack (0)

大王のひつぎ実験航海 遂に

以前、記事にしましたが、大王のひつぎ 実験航海が遂に、最後のフェーズに入った。

大王のひつぎ 実験航海 Web

23日に遂に明石海峡を通過し、芦屋港に到着した模様である。残り14キロの行程を残すのみである。
1000キロの九州から,瀬戸内海を旅した訳である。

無事、継体大王の今城塚古墳に到着する事を祈りたい。

前回記事参考

| | Comments (2) | TrackBack (0)

無人偵察機 グローバル・ホーク

最近日本の国防議論でも米国の無人偵察機Global Hawkの導入を巡り賑やかになってきた。さて、この飛行機とはどんなものなのでしょうか?

参考Web グローバル・ホーク

サイズ比較参考

コンセプト参考

(概要)

・高度1万9千メータという高高度で飛行する。(普通のジャンボ機は1万メータの高度を飛ぶ)
・偵察ハードウエアとしてレーダ、カメラ、赤外線カメラを搭載する。
・時速600キロで32時間無給油で飛ぶ事が出来る。
・高度約2万メータからゴムボートのサイズを識別する。
・21ノットの船舶を追跡できる。
・地上固定局、移動局、航空機、衛星、間で通信する。
・1機2千万ドル

記事情報によると、1998年に初飛行をしており、今まで7年間をかけて実戦訓練と改造をしてきたようだ。既に、米国から豪州の基地まで無人で飛行した実績もあり、海で囲まれた豪州ではこの偵察機に期待をかけているそうだ。

日本では勿論、コーストガードの他に、弾道ミサイル検知の為にこの飛行機を常時、日本海上空に飛ばし、弾道ミサイル検知と迎撃システムの連動を期待している風に思える。

(日本の技術開発が必要)

このままでは、又、米国の技術に依存する事になるでしょうが、是非、長い目で日本の技術開発も戦略上必要だと思います。

何故かというと、将来のジャンボ機は無人操縦で飛ぶ可能性が高いからです。現在の飛行機の運行コストに占めるパイロットほか人件費は油より高く、益々高騰している訳です。真剣に無人操縦飛行機は世界中で研究されてる課題であり、日本が遅れてはならないと思います。

現在のジャンボ機でも殆どがコンピュータ制御で飛んでいます、いざという時には地上からの誘導でお客さんが、操作して着陸させる事が出来るレベルまで技術が進化する可能性があります。しかし、現実には一人くらいは操縦者が乗るでしょうけどね。

防衛関連では大変な人件費の削減になるでしょうね。毎日24時間偵察飛行を行い、海で囲まれた国の海岸線を監視するのはコストがかかります。

これほど、大掛かりな偵察機ではなくて、小さな小型の無人偵察機を沢山飛ばした方が、コスト面では安くならないでしょうかね?監視業務は地方単位でリタイアした暇な年寄りに委託して、パソコンの画面で監視する、市民防衛構想というのは、如何でしょうかね。

監視ついでに、漁業関連の仕事も出来ませんかね?魚の群れの監視とか・・・・。偵察は多くの人々が関わった方が精度があがるのでは?と思います。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

日本の人口と歴史

鬼頭宏先生という経済学者がおられる。”人口から読む日本の歴史”という本を書かれ、経済学者として人口に注目した日本の歴史を語られている。

日本は海外の国に侵略された経験が無いので、閉鎖された空間として人口の推移を検討すれば、色んな事が見えてくるのかも知れない。特に、地球環境の変化は人口の増減に大いに影響を与えるだろうし、土木技術、耕作技術の進化等は人口に影響を与えたと、考えられますね。

(縄文から弥生時代)

どのようにして、縄文時代の人口を推測したのかは、私には未だ勉強不足で判りませんが、遺跡の集落の数と大きさから、人口を推定されたと思う。 平均年齢も今までの研究からかなり、各時代の事が推定されていると思う。

約8千年前の縄文早期は2万人で、地球が温暖化に向かい6千年前の縄文前期には11万人に人口が増加した。今より温度は1度程度高く東日本は暖温帯落葉樹のコナラ・クリという栄養価の高い食料に恵まれ人口が増加したそうである。

そして、縄文中期で26万人とピークを迎えた。その後、寒冷化が始まり縄文後期16万人、晩期には8万人に激減したそうだ。縄文時代の平均寿命は14.6歳だそうで、静止人口実現のギリギリだったと。即ち、人間の限界出生力(2年に一度子供を産む)から換算するとそうなるという。

随分と、子供の死亡率が高かった訳ですね。

それが、稲作の伝播による農耕の普及により、弥生時代に入ると一気に人口は59万人と急増したのです。

(律令時代から明治維新)

・大宝律令時代 451万人
・平安時代    550万人
・鎌倉時代    684万人
・関が原     1227万人
・江戸時代    3000万人

江戸時代になると、記録が豊富になり色んなデータがとれている。死産率は10%-15%であり、江戸後期の出生児の1歳未満死亡率は20%近い。出生児10人のうち16歳まで生きるのは、5人から6人だったそうです。

(近代工業化社会と激減の道へ)

明治維新後は近代工業化社会の幕開けであった。人口は急増し、2006年をピークに1.27億人となる。そして、現在の予測では100年以内に7千万人に激減すると予測。65歳以上の人口が今や2千5百万人を超え5人に一人が65歳以上である。

この人口激減の問題と老齢化の問題は日本が抱える、最大の国家危機の課題である。今度の選挙ではこの大きな問題に誰が国家戦略をだしてくれるのか、注目したい。


| | Comments (2) | TrackBack (0)

わこちゃん戦闘機 変貌する

以前、blogの記事と写真で紹介しました、わこちゃんの三角翼戦闘機ですが、このような飛行機でした。akatonnbo_058ところが、エンジンに強力な大きなエンジンOS46FXエンジンを搭載した為に、重心が機首方面に移動してしまい、これでは、飛ばない。
そこで、重心を後ろに移動するには、機体後方に錘を積載するか、機首部にある重いものを、後ろに移動すればよい。
そこで、わこちゃんは考えた、燃料タンクを後方に移動する、工事をする事である。燃料タンクを後方のエレベータのギリギリまでずらし、格納工事をする。
IMG_0062

そこで、重心位置を計測すると、まだ機首部が重いそうだ。これだけでは、解決しない事が判明したそうだ。どうすれば、機首部をもっと軽くできるか?である。そこで、彼が考えた、アイデイアはカナード翼の構想である。
帝国陸海軍の戦闘機においては、このカナード翼の機体は唯一、九州で開発された”震電”である。

当時としては、ユニークな発想であり、将来のジェットエンジンを搭載する構想でありました。ラジコン仲間では、この震電は人気が有ります。

震電参考Web

米国のかの大戦後の戦闘機においても、このカナード翼の戦闘機は私は知らない、しかし、ヨーロッパでは存在しますね。わこちゃんが、考えたカナード翼(先尾翼)の効果により機首部に浮力を起こし、重心を後ろに後退させる戦略である。
IMG_0066強引に、カナード翼を設計し、彼は改造を始めた。写真はバルサ材を使い、カナードを取り付けている機首部の写真である。しかし、浮力計算は何処まで真面目にしたかが、問題である。

IMG_0069これが、完成した先尾翼デルタ戦闘機である。
さて、実際には飛ばしてみないと判らんでしょうね。今週末の千葉での飛行会の結果をお楽しみください。
私は、アカンと思います。(笑)


| | Comments (4) | TrackBack (0)

盛夏の早朝フライト 鶴見川

今日は、久しぶりに早朝フライトである。お盆休みでは帰省し、料理人として多忙を極めていたので、久しぶりに一人でのんびり、飛行機を飛ばした。

2005_08200001
2005_08200002

離陸すると、飛行機がおかしい、左の翼の端からテープが1メータ程度引っ張っている。アレ・・・・・?又、前回の飛行で剥がれた、左主翼のエルロン(動翼)下面に修理して貼りつけた黄色のフィルムが剥がれたようだ。

世間の人は、左翼にリボン・テープを付けて、美しく飛行機を見せて飛ばしていると勘違いするやろ?と、思い関係なく15分程度、大空をとばした。

(又、やってしまった)

滑走路に着陸させて、飛行機を点検すると、”ガビ~~ン”である。又、昔のストリップ事件の再現をしてしまった事に気がついた。前回、修理した黄色のエルロン補修フィルムには糊面を被覆している、透明のフィルムを剥がしていない!アイロンの熱で接着したように見えても、実は接着していないのである。(アタリマエ)

こんな事があるんだろうか?一人で飛ばしたから、恥はかかないが、誰かがいれば、穴が有れば入らんとアカン。

普通はここで、飛行は取りやめて、帰るのだが、又、オイルを満タンにして離陸させた。リボンをヒラヒラさせながら、優雅な飛行を楽しんだ。誰も判りはしない。ただ、左舷の端から1メートル程度の黄色のリボンを引っ張りながら美しく飛んでいる飛行機である。

(エンスト緊急着陸)

派手な演技をやりすぎたのか、ループ途中でエンスト(エンジン停止)してしまった。最悪である、強風中の風上でのエンストである。風の吹く、順方向で狭い滑走路に下ろす必要がある。これは、最悪である、普通は風に向かい着陸させねば、浮力は出ないし機速は落ちないのである。

ここで、一瞬に判断しなければならない。其のまま降ろすか、風下に回りこみなんとか風に向かって着陸を行うかである。しかし、鶴見川の上をかなり旋回しなければ、無理であり、川の上で失速するとオサラバである。そこで、困難ではあるが、風と順方向で着陸させる決断をした。

ナムサン、なるようになれ!ゴルフ練習してる親爺に声をかけ、緊急着陸させるので、避難するように声をかける。もはや、エンジンは停止しているので、一発で着陸を決めねばならない。しかも、風と順方向であるので、機速が落ちない、凄い速度で降下してくる、このような場合は操縦している自分を目掛けてぶっつける感覚で操縦するのがコツである。

残念ながら、滑走路はオーバランし、私の傍2メータ程度を地上1メータ50センチ程度の高度で草木に激突し、スピンナが吹っ飛び機体は停止した。外傷は無いが、機体内のサーボモータとリンケージ関係が壊れたようだ。

来週は、恒例の月例千葉フライトである、操縦感覚を磨いておかねば、大型機を飛ばすので、墜落させると損害が大きい。明日も、今度は違う飛行機で練習である。メゲナイところが、私の長所である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

お盆もおわりましたね

昨夜は久しぶりに琉球から息子が帰省して来たので、一緒に食事をした。やっと試験も終わり、帰省が出来たそうだが、私の大学時代を振り返ると、7月中旬から夏合宿でアルプスに入山していましたね。

最近の大学は8月のお盆の頃迄、試験があり大変なんですね。久しぶりに再会して、これからの進路について、ゆっくりと相談にのってあげた。今は3年生ですから、進路を決めないといけない時期なんですね。

(ふうてん娘から電話)

家内と息子と三人で来月の、独逸紀行についてスケジュールの相談をした。今回は息子の意見が優先で、バッハの史跡を辿る旅とコンサートを梯子する旅である。フランクフルトからベルリンまでの東西の鉄道の旅であり、世間ではゲーテ街道の旅と言う。

フランクフルト往復の格安チケットは既に取得しており、鉄道のフリーパスも申し込んである。ベルリンフィルのコンサートも予約してあるが、さて、何処に宿をとりながら、紀行するかを決めねばならぬ。

その役目は、現地のふうてん娘に任すが、丁度、電話があり、息子と家内で色々計画を相談している様子である。私は、コンサートには余り興味は無いが、ドイツの歴史について今回は調べて、自分の足で確かめてみたい。

今回は、フランクフルト、ワイマール、ライプチッヒ、ベルリンである。ドイツを東西に貫く歴史的な幹線である。古代ゲルマン民族はどのような歴史を辿ったのか、そして、ローマ時代から中世にかけての歩みを調べ、悲劇的な近代の歴史に辿り、奇跡の復興を成し遂げたドイツの断片をこの目で確かめて来たい。

(平井さんが亡くなった)

今回の、帰省には実は複数の身内の入院事件とか老齢によるサポートの課題と対策が有りました。このような事は同時に起こるのが、世の常なんでしょうかね。出来る限りのことはやりたいと、思いますね。

そんな時に、私の一つ先輩の平井さんが、突然に亡くなった。社長を辞めて、最近は顧問をしていたが、元気でつい先日までマレーシアの別荘で一ヶ月、気楽に滞在されていたと聴いていた。お盆で日本に帰国し、突然の訃報である。

最近は訃報が多く、何か気が滅入る毎日であります。先日の中原大先輩の件では、今度、関係者で偲ぶ会をしようと、私も幹事のはしくれで動き始めたとこでの訃報でした。

(しかし、満月である)

昨日、ベランダにでると満月である。巨大な月がでていますね、デジカメで撮影して掲載しようとしたが、何枚撮影しても駄目でしたね。本格的なカメラと望遠レンズが必要なのでしょうかね。

元気をだして、頑張りましょう、明日も早朝には飛行機を飛ばすぞ!

閑話休題
遂に、高校野球では京都と北海道の決戦になったそうやね?大阪は残念でしたね、怪物の平田君?残念。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

お盆始末記(2005) その4

料理人jo奮戦記 

今回の御蔵山寓居における4日間のレシピは以下のような按配でした。もう既に、忘れかけているので、思い出すものだけを記述する。

(野菜粥)

父が野菜粥が好きだとおっしゃるので、数回は膳に出した。キャベツの微塵切りに大根の微塵切りを混ぜて、コトコトと煮る。これは、キャベツの甘味が溶け出して、美味しい、少し塩は入れておくが、老人相手なので、少なめにする事が肝要。

(根菜の煮物、色々)

私の得意は煮物である。出汁をちゃんととり、日本酒をふんだんに惜しげも無く使うのが特徴であり、味醂は使わない。醤油は薄口を使用する。

筍、さといも、ニンジン、こんにゃく(短冊に切り真中に包丁を入れ片方をひっくり返しリング状にする)、最後にインゲンを入れて、青の色彩を添える。

砂糖は4人前の量であれば、大匙3杯程度でしょうか。焦げ付かないように、御酒を追加しながら、弱火で気長に煮るのがコツ。

(お吸い物、二種)

京都はこの季節、はもが美味しい。既に、小骨を切断したはも二匹がパックされたものが、売られているので、簡単に調理が可能。3センチから4センチ程度に切断し、出し汁に日本酒を加え、生姜の微塵切りに薄口醤油で整えた沸騰したベースに、はもを一気に入れ2分程度で火を止める。

最後に三つ葉を浮かべて出来上がり。父はみょうがが好きなので、父にはみょうがを少し入れてあげる。

はまぐりのお吸い物。上記吸い物のベースは同じです、今の季節は美味しいです。あらかじめ、砂抜きが必要なので、ボールにはまぐりを入れて、1時間程は時間をかけましょう。

(茄子三昧 三種)

父がなすが大好物とおっしゃるので、茄子三昧 三種を用意した。

先ず、茄子ときゅうりとおおばの酢の物。茄子ときゅうりを千切りにして、おおばも千切りにして塩を多めにふる。胡瓜は2本、茄子2個、おおば4枚程度で3人前は出来る。これが、実に美味いのだ、赤とんぼ総料理長である三浦さんの直伝である。

茄子焼き。オーブンで焼いて、皮を剥きおろし生姜にポン酢をかけて食べる。夏はこれが美味い。茄子は焼いてる途中で一度は焼き面が偏らないように、回転させる。

茄子とベーコンの炒めもの。茄子と油は相性が良いので、フライパンでサラダオイルを使用してベーコンと炒めて下さい。少し、砂糖と薄口醤油と日本酒と出汁を加えて下さい。

(鯛の塩焼き 姿焼き)

母が誕生日でしたので、大きな鯛を購入した。お店でうろこの処理とはらわたは切開して貰い購入して下さい。
焼く、30分前には鯛を皿にのせシンクの中に置いて、上空より塩を振り撒く。シッポとか背びれとか、胸びれには塩を塗りこめて、焼け落ちないようにするのがコツです。

奉書焼きにしたい気持ちもありましたが、今回はオーソドックスな塩焼きにしました。弱火でゆっくり遠赤外線で焼きましょう。綺麗に出来上がりますよ。

(親子どんぶり)

父が親子どんぶりを食したいと、のたまうので、製作した。4人前を一気にフライパンで製造する。鳥のもも肉を一口サイズに切り、フライパンですばやく両面を焼き旨さを封じ込める。塩、胡椒をかけて、たまねぎを入れる。そして、出し汁と日本酒を投入し砂糖を大匙3杯入れる。

最後に三つ葉と九条ねぎを入れ薄口醤油を小匙で数杯、味をみながら投入する。仕上げは、とき卵6個分をフライパン全面に満遍なく被せ、30秒ほどで火を止める。余熱でタマゴが半熟になる。

(胡瓜の酢のもの)

今は胡瓜が美味い、酢の物にして、ちりめんじゃこをかけて食べると美味い。

(讃岐焼きうどん)

父の故郷が讃岐ですので、讃岐うどんが豊富に台所に存在した。そこで、私の得意の焼きうどんを昼飯に作る。
豚肉を塩コショウして炒め、キャベツと人参、ピーマン、茄子を入れ炒める。あらかじめ固めに茹でた讃岐うどんを入れて、みょうがを入れ炒め焦げ付かないように注意して日本酒で炒める。

最後に讃岐の出汁醤油が沢山、台所に存在したので使用した。香りをつけて紅しょうがをふり出来上がり。何時もながら、実に美味く出来る。

(雑感)

4日間、朝、昼、晩と全て台所は私が始末した。三輪そうめん、讃岐そうめん、播州そうめん、10箱くらい木の箱に入ったものが存在した。しかし、賞味期限が切れたものが多く、開封すると駄目なものが存在した。

京都の南座の松葉のにしん蕎麦のセットが台所にありましたので、食べたがこれも美味い、にしんが実に美味いのである。

とまとを多量に使用した茄子カレーを製作したが、これも好評でしたね。出来れば、トマトを5個ほどあらかじめ熱湯に入れて、皮を剥いて、カレー鍋に投入して下さい。鳥のもも肉とのカレーで讃岐うどんの釜揚げにかけて食べるとこれが、美味であります。

みょうが三昧料理もそういえば、製作した、砂糖少々と酒と酢と味噌で酢味噌を作り食べましたね。残念ながら私の一番得意な冷やし中華は作れませんでした。

山ほど、製作したがとても美味しいと絶賛を受けたので、やりがいがありました。

| | Comments (14) | TrackBack (0)

イランに勝利 国民新党旗上げ

今日は、忙しい日になった。私の家から眺める新横浜国際競技場(日産スタジアム)は7万人の観客が詰めかけ熱気で燃えている。今日は、サッカーのW杯予選の最終戦、前回敵地で負けたイランとの最後の決戦である。

自宅のバルコニーから眺めると、その熱気が伝わる感じがする。明かりが煌々と夜空を焦がし、歓声が聞こえる。

お互い、W杯への出場は決めているので、消化試合ではあるが、日本が勝てばグループ一位でドイツに行ける。プライドの戦いである。しかし、今回レッドカードを貰うとW杯初戦には出れない。一位で勝ちたいが、戦力の温存もしなければならない。監督は悩むところだ。

海外組は誰も呼ばなかった、東アジア選手権では無様な結果を出した、国内組。国内組にとり各個人は、今回の試合は崖っぷちの試合であり、勝つことしか明日の無い追い込まれた試合であった。

素晴らしい試合でしたね。やれば出来る。加地、大黒のゴールで2点を獲得し、相手にPKで1点はとられたが、いい試合であった。

メンバーの息が実に合い、全体が一つの生命体のように動いていた、理想の戦型である。7万人の応援に力を得たのであろうが、素晴らしい試合でありました。

(綿貫新党生まれる)

政治の世界でも、遂に新党が生まれた。郵政民営化反対陣営の新党である。結党主意を読むと、小泉恨み節新党に聞こえる。民主党参議院の小沢派から一人参加したのが、不気味である。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

お盆始末記(2005) その3

御蔵山寓居 奮闘記

宇治の木幡という古代栄えた場所に、御蔵山という山があります。古代に於いては、陵が多く存在する場所でして、今も宇治陵が存在しています。

実は、家内の御両親(元官僚)と私の姉夫婦(元官僚既に引退)の寓居がこの御蔵山に存在します。家内の父は享年80歳になられるが、官僚を引退後、未だ税理士事務所を大阪で構えておられます。私の姉も既に70歳を超えており、体力が衰えてきております。家内の御両親はここ数年は大阪の事務所兼住居でお暮らしで、宇治の自宅は空家の状態が続いていた。

しかし、お母様の体調も勝れず隠居の場所として宇治の家に戻られる公算が大きくなり、色々と問題点調査と修理に出向いた。

(ムカデ退治の巻き)

母屋は築40年が経過した木造建築であり、老朽化がすすんでいる。おまけに、庭には沢山の植木が存在し、ムカデとか、ヤモリとか、色んな虫が生息している。或る部屋にムカデが出たというので、家内と一緒にバルサンと家の周りに虫を寄せ付けない粉末の薬、それと虫を見つけた時に殺すスプレー缶を買いに出掛けた。

早朝4時半頃、御両親が離れの家で睡眠されてる時期にバルサンを部屋に設置して、消毒作戦開始である。2時間は密閉して消毒・殺虫作戦が継続要である。その間、虫が部屋から逃げてこないか、スプレー缶を持ち、待ち伏せ監視の始まりである。

3時間ほど、監視したが、虫が出てこないので、私は手ぬぐいでマスクをして部屋に突入し、換気の為に窓を全開にする。そして、又、息を殺したまま部屋を飛び出し、新鮮な空気を吸う。私が、虫になっては台無しである。

今度は、母屋の家の周りの土台部分と虫が入りそうな穴に粉末の薬を撒く。昔のDDTみたいな奴ではないでしょうか?しかし、家の中に生息していて、バルサンで死ななかったムカデがおれば、今度は家に閉じ込める事になるな・・・・と、矛盾を感じながら撒く。

(トユは落ち葉で詰まる)

母屋の屋根のトユには落ち葉が堆積し、腐葉土に変化している。ところどころで、草木が生えている程である。家内の妹夫婦がやってきて、半日かけてトユ掃除である。おまけに、屋根の上に設置した温水器が壊れていて、水漏れがする。この大掃除作戦は大変でしたね。梯子を支えていた妹は突然、トユから泥水をかぶる災難に遭遇していました。

(冷暖房機が利用できない)

冷暖房機を三台注文した、母屋に設置する為である、一台は存在していたそうだが老朽化で動かない。工事関係者が見積もりに来たが、40年前の配電盤と低容量配線ではこれ以上の、電化製品の設置は不能という。新たに配電盤を設置し、関西電力の許可をとり新しい配線をしないとクーラーは設置できないときた。

この40年のあいだに世間では、大いに電化が進化・普及し、大きな電力を消費する生活になっているようだ。この家は40年前に化石のように閉じた侭だ。私と家内の一存では決めれないので、後日連絡するという事で工事見積もりの人にはお引取りいただいた。

(テンが走る)

母屋の老朽家屋はボロだけど、庭は素晴らしい。おまけに、道路を隔てた向かいは修道院の森である。縁側の傍のガラス窓を通して庭を見つめていた。セミが煩く、又、鳥が沢山飛んでくる。突然に庭を横切るリスの大型の獣を見た。リスにして大きい、タヌキにしてはスマートである、狐の顔はしていない、明らかに私のデータベース検索では”テン”である。

テンといえば、学生時代に山登りで使用していた尻皮はテンでしたね。御両親に聞くと、昔からこの家に住み着いているそうです。

(エコ生活も大変だ)

5日間クーラーが無い生活を送った、但し、扇風機は存在する。風呂掃除もしたが、雨が降ると風呂釜に点火しない。今回の御蔵山寓居の点検では多くの問題が露呈した、今後、どうするか課題である。

しかし、暑ければ暑いなりの生活を子供の頃は送って来た、扇風機も無い時代に育った訳だ。一日中、庭を眺めていると実に、気持ちいいものだ。

さて、料理人joは5日間シェフとして大活躍をしました、その話は次回に続きます。


| | Comments (4) | TrackBack (0)

お盆始末記(2005) その2

さて、京都駅で朝食をしっかりとカツ丼と蕎麦を腹にしまい、戦闘開始である。所で、今日のスケジュールの按配を家内に聴く。先ず、我が家の墓参りを済ませろと指示がでる。

京都駅から近鉄に乗り、丹波橋駅で京阪電車に乗り換え、一路、特急電車で枚方駅を目指し南下する。途中、子供の頃に水遊びをした木津川を通過し、石清水八幡宮を左手に淀川に沿い南下する。右手にはサントリーの山崎の工場である、昔、斎藤道三は山崎の油座の免許を持ち京都で油を行商していたのだ。

そして、私の故郷の牧野駅を通過し、くらわんか船で有名な枚方駅に到着である。ここで、解説が必要でしょうね、江戸時代に京都、大阪の主要交通路は淀川水系であった。この枚方には大きな船着場があり、宿も多かった、旅行客に地元の人々は”くらわんか!くらわんか!”と、呼びかけながら餅を販売した。

現在、タイ旅行をした友人の話では、同じような船で旅行客に販売する人々が多いそうだ、多分に同じような風景が繰り広げられていたんでしょうね。

枚方駅で下車をして、バスで長尾駅を目指す。途中で百済王神社の前の細い道を通過する。懐かしい場所である、家内も一時、子供の頃に枚方で生活していたそうだ。一時期は同じ環境で育ったんですね。

3~40分で長尾駅に到着する。横浜から持参したお供えの花束をきずかいながら、炎天下の墓参となる。お寺で、バケツ、スコップ、雑巾、柄杓を借りてお墓の掃除の開始である。お隣さんが、本格的に掃除をしているので、いい加減な草むしりは出来ない雰囲気になり、1時間ほど草むしりと掃除に明け暮れる。

親爺と兄貴にタバコを吸わせて、自分も最後に喫煙して休憩する。ホンマ灼熱の熱さである。出来れば、お盆はもっと季節がまろやかな頃にして欲しいものだ。

次はバスで樟葉駅を目指す。お盆で道は渋滞であり、バスは遅れる、私の子供の頃の遊び場である招堤村を通過し、家内に洞ヶ峠に通じる山を指差し、あそこあたりで、兔狩りをしたと教える。家内の兔狩りは京都の伏見界隈のポンポン山でやったそうだ。小学校の年中行事として、冬に山で兔を捕まえる行事をする学校は珍しいかもしれない。

樟葉の村も様変わりしたものだ、昔は寂れた小さな村でありました。樟葉の役場に出かけて、戸籍謄本の写しを貰いにでかけた。話は変わるが、戸籍謄本とか抄本とか日本とは珍しい国であるものよ。大化の改新以来、中央集権国家の確立を目指し、大宝律令の701年全国で戸籍が制作された。

当時の戸籍で残存するのは、確か正倉院文書で残るのみと聴いている。その後、律令制度は崩壊するが、江戸時代の五人組組織、明治5年の戸籍作成となった。この、日本の戸籍の問題については、天皇との関係が深く、複雑であり、いずれは一度、記事にしてみたいと考えています。

基本的には苗字は天皇が与える事になっており、藤原氏も豊臣も天皇が与えている。我々は天皇の子孫であるという、古の氏神様国家の歴史が背景にありますね。与える側の天皇さまには、だから苗字が存在しない。

しかし、今の御時世に戸籍なんかいるんでしょうかね?国民にとり、どんなご利益があるんでしょうかね?私も早く、戸籍謄本を現住所に移す必要がありそうです。何かと、不便なことばかりである。

樟葉のデパートで食料を買い込み、宇治の家内の実家を目指した。


| | Comments (8) | TrackBack (0)

お盆始末記(2005) その1

8月11日(木)夜9時30分に横浜駅近くで大阪行き深夜バスに乗り込む。新宿経由、東京駅経由で渋滞に巻き込まれ、東名高速に乗る頃は深夜12時をまわっていた。初めての、江戸と京都のバス旅行である。この按配では、何時頃京都に着くんだろうか?不安に襲われる。

折りしも、お盆の帰省ラッシュが始まっている。最初のトイレ休憩は海老名PAでした。東京駅から乗車した人はいいけど、私と家内は9時30分からバスに乗り込んでいる。深夜12時をまわり、やっとトイレ休憩でした。駐車場は車であふれかえっている。

カーテンを閉めて、走行するので、まるで護送車である。何か、今から監獄に運ばれる気持ちに襲われていた。
乗客は学生風の若者達が殆どである、私の周りの青年達が煩く喋り捲る。話の内容を聴いていたが、ショウモナイ事ばかりである。日本はこれから、大丈夫かいな~~~?と、老人のようなグチになる。

運転者さんは年配の方と若い運転者のペアでした。休憩の度にこのお二人と、車の外でタバコを吸いながら雑談をする事になった。昔は見知らぬ人と話をするのは、億劫でしたが、最近は性格が変わったのか、やたら、話をするようになった。

予定より、2時間遅れで走行し、栗東のパーキングに最後の休憩に停車した。折りしも、甲子園である、応援のバスが10台は停車している。土岐商の学生諸君がジャージ姿で沢山見かけた。皆元気である、あたしゃ、クタクタである。

瀬田を越えた、関東から京都に入るには、やはりここを通過するんやな~~と思いつつ、六波羅を通過し、京都駅に8時に到着である。横浜から11時間の旅であった、これは、飛行機でヨーロッパに到着する苦悩と同じだ。

しかし、バスで陸路京都に入ったが、六波羅は戦略上重要だと改めて感じた。関東、尾張、美濃の軍勢を迎撃する拠点としては、六波羅が位置的に重要である。そして、御所にも直ぐに防備につける、そして、鳥羽・伏見から北上する淀川水系からの軍勢にも俊敏に対応できる位置である。

近鉄の1階の何時も、ふうてん老人と徘徊する食堂街でカツどんと蕎麦の定食を食べて、一息ついた。京都にかえるとホットするのは、しょうがないですね。

| | Comments (7) | TrackBack (0)

熱いお盆の故郷

お盆が始まりましたね、皆さん帰郷が始まったと思います。衆院の解散を受けて、議員さんも決死の選挙で帰省です。例年に無い熱いお盆となりましたね。

(不思議な東証)

4年振りに東京株式市場は株が1万2200円台に乗せた。これは、小泉さんへの海外金融機関からの応援メッセジーなんだろうか?IMFも郵政民営化に賛成・歓迎のコメントをだしている。ブッシュは小泉さんが倒れると、シナリオが崩れると懸念なのか?ブッシュさんは裏で国際金融機関に呼びかけしてるのか?

ともかく、熱いお盆になりましたね。先祖さまも、えらい賑やかなお盆やな~~~と、思われているんでしょうね。

(将門首塚、お岩稲荷危なし)

東京都は”旧跡”に指定している歴史文化財約230件の約9割について、史実んP裏ずけ乏しいと、指定廃止を視野に総点検を始めたそうだ。はとバスの夏の怪談ツアーはどうなるんだろうか?皆さん、心配が始まった。

ともかく、お盆が終われば又、再会しましょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

お盆休みします

皆さん、しばらくお盆休みします。酷暑続きますが、皆様もお腹を冷やさないように、ご先祖様に恥をかかないようにお過ごし下さい。

CIMG0001
CIMG0002
我が家のベランダ栽培のヒマワリもちゃんと、花が咲きました。フランスのふうてん娘が置いていきました、苔玉がベランダに置いておいたら、わけの判らん木が生えてきて、花が咲きました。ヒマワリは孫娘の家に引越しです。
苔玉から生えてきて、紫の花を咲かせたお方は誰なんでしょうか?

ベルリンのコンサートの予約が難しく、私はトライしたけど、出来ない。娘がフランスからやって、くれましたが、本人もドイツ語なので、不安だそうだ。しかし、郵政民営化なんて言う時代に今は、インターネットでドイツのコンサートホールの予約と切符が買える時代だ。

会社を創設しようとしても、会社名のダブリをチェックするのに、わざわざ、管轄の法務局に台帳を見に行かねばならない日本のお役所は縄文時代かと思う。インターネットで自宅で何処からでも調べる事が出来るのが、当たり前の時代なのに、日本の役所は何を考えているのか?

日本の経済の速度にブレーキかけてる、邪魔な奴は誰だ!と言いたいですね。それでいて、窓口には沢山の役所の窓口の人々が存在する。そして、偉そうに対応する、誰の税金で働かせてもらってるんや?と、言いたいね。

米国では、毎日どれだけのベンチャー企業が生まれているか?そして、それを支える仕組みがあるか?来年から有限会社も無くなり、明治以来の会社法も大幅に改正されるが、ホンマ遅い!こんな事では共産党の中国に負けてしまうと心配だ。

と、言いつつ私の周りの親戚は官僚さんが多いので、余り、いい加減な事を言うと関西に帰れないので、JoBlogだけにしておく。(けど、親戚の皆さんは既にリタイアしていて、昔の国家をちゃんと考えた人々だとは、思いますがね、と、フォローする)

今、頭を抱えているのは義経の時代背景の謎である。

というのも、頼朝が似仁王の宣旨(せんじ)に応じて挙兵し、平氏の軍勢を富士川で撃破したあと、鎌倉に政府を樹立するが、その後3年間は(治承7年まで)京都の王朝の養和・寿永の改元を無視し治承の年号を続けた事実である。明らかに、平将門以来の新皇として似仁王をたてることで東国の王としたのではないか。

要は、日本が東西に分裂する危機的状況に遭遇していたのではないか?結果的には壇ノ浦で平家を滅亡させ、征夷大将軍と取引で京都の天皇の元号を使う事になるが、義経が戦争していた真っ只中は実は、東西日本国が分裂するかもしれない、状況であったのかもしれない。

義経は、東国の事情と歴史は全く知らないし、地盤も無い訳ですから京都の天皇以外には、おかみは存在しないという意識だっつたんでしょうかね。そして、義経は日本国が分裂する犠牲者として自ら道を選んだとしか思えない。そうでなければ、東国と西日本の京都王朝が折り合いがつかなかったのかも、知れない。

と、考えながらお盆は来てしまいましたね。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

衆院解散

政治の事は記事にしない方針でJoBlogは続けて来た。しかし、今回の解散は何なんでしょうか?衆院で可決した法案が参院で否決されたので、衆院を解散すると言う。

元々が現首相は郵政民営化をすると言うし、小さな政府を作ると言うし、膨大な国の借金を減らさないと国が滅ぶと言った。自民党が反対するなら、ぶっ潰すと言うた。近年にない長期政権が続いた。ブッシュと仲良くして、イラクにも派兵した。

自分の政党内の反逆により、衆院を解散する。首相は今まで、党に利用されただけなのか?それが、頭に来たから解散なのか?であれば、今回の選挙は党を壊して新規政党で選挙に出るのか?反対派の自民党の先生達は勿論新党で戦うんでしょうね。

民主党にも郵政民営化には賛成の連中が多い。小さな政府を目指す連中は圧倒的に多い筈である。

国民は税収入の二倍も予算が計上される、この国はこの侭では倒産する事を理解している。というか、既に瀕死の特設ポストまじかの国の財政である事を知っている。

私は今回程、わけの判らん選挙は今だ経験した事がない。このさい、小さな政府を目指す政党と従来の大きな政府を目指す政党の二つについて、先ず、国民にどちらを選ぶかを決めてもらい、それから、政策の評価で細かい党を選ぶ選挙にして貰うか?何か、判りやすくしてもらいたい。

郵便そのものは素晴らしい制度である。民間企業に移行しなければいけない理由は無い。問題は、郵政の他の事業である。これは、国際的にみて厳しいフェアー競争の観点で文句はあるでしょうね。そして、集めた金の利用方法が問題であった筈だ。

何か、訳がわからず選挙になった。これから、どうなるのか注意深く政党の動きを監察して投票したい。

けど、9月11日は私は日本にいない、だから、不在者投票である。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

8月7日 猛暑新横浜(フライト)

2005_08070002
2005_08070003

今日は久しぶりに横浜三人組で新横浜、鶴見川でフライトをした。1年以上は河川工事をしていたと、思いますね。元通りになり、又、小さな飛行機なら早朝の人がいない時には川の上空で静かに飛ばす事は出来る。

私は土曜も早朝の6時から出かけ、1度だけ飛行機を飛ばした。早朝の堤防は気持ちがいいですね。犬を連れて散歩する人、ジョギングする人、夫婦で歩いておられる人々、朝餉の準備をするホームレスの人、様々である。

日曜日は同じく、私は早朝の6時過ぎにでかけ、軽く飛行機を飛ばし、河原の階段で缶コーヒーを飲み、タバコを喫煙していた。今日は、二人のリタイアした初老の二人とじっくりお話が出来た。

一人は元銀行マンだった人であり、昨年は北イタリアのアルプス旅行をされたらしく、ヨーロッパのアルプスの話にはなが咲いた。もう一人のリタイアした人は魚釣りでこのあたりをウロウロされていて、地元で古くからお住まいらしく、古い時代の鶴見川と新横浜のお話を聴く事ができた。

9時頃にわこちゃん、カッチンが来たので、軽く1~2回飛ばして、終了する。この時間になると、猛烈な暑さとなり、我慢出来ない。ヘリのおじさん達、二人に挨拶して家路についた。

今、韓国とのサッカーの試合が終了した。1対0で勝利であり、中国が優勝である。新しいメンバーでの日本代表、層の厚さを感じた。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

邪馬台国の考古学

石野博信先生の歴史文化ライブラリー113

吉川弘文館より2001年3月に発行された”邪馬台国の考古学”という本があります。先生は長く橿原考古学研究所におられ、その後、徳島文理大学教授で教鞭をとられている考古学の専門家だと聴いています。

卑弥呼の時代について、学者らしく墓の形態、鏡の形態、土器分析、居館と鬼道について冷静に日本全土を俎板の上に載せ、分析された。 地味ですが、基礎を押さえる意味では、考古学、古代学の素人でもよく判る本に出来上がっています。自分なりに重要な箇所のメモをとりたい。

(三世紀中葉の鏡)

3世紀中葉に副葬・廃棄された鏡の分析である。女王、卑弥呼は景初三年(239年)に魏に使いをだし、正始元年(240年)に多くの品々とともに”銅鏡百枚”を下賜された。そして、248年に卑弥呼は没したのである。240年に輸入し、248年頃に埋納された銅鏡が”卑弥呼の鏡”となる。

卑弥呼没後もしばらくは銅鏡が流布していた可能性があるので、240年から270年頃まで使用されていた銅鏡を徹底的に調べる。銅鏡の時代判定は土器による。

jo解説:考古学は土器に始まり土器に終わると言われる程、基礎的な最重要知識である。土器は生活とともにあり、ある時代のある集団の特徴を現す。人が移動したり集団が移動すると、土器もともに移動する。しかも、その土地の身近な土を使うので特定し易いし、燃焼温度により特徴がでる。又、文様にも特徴がありますので、10年単位のレベルまで今は特定されている。

考古学者の長年の発掘成果により、土器の比較年代(どの土器よりどの土器が古い地層からでたので、この両者の土器の古い、新しいの判別が出来る)が詳細に土器年代表が出来上がっている。

石野先生の方法論は、240年から270年という物理年代の土器は、マキムク三類(旧マキムク二式新)とマキムク四類古(旧マキムク三式古)の土器と共伴する銅鏡を探した。

(筑豊地域)

九州は弥生中期から古墳初期には銅鏡の出土数が全国一であり300面に達する。しかし、240年から270年の頃の銅鏡は10面しか出土していない。

(丹但地域)

出土は7面である。丹後・丹波・但馬地域は弥生後期の1~2世紀以来玉・鉄器・鏡などの副葬品の豊かな地域で、大和・山城地域とは明らかに異なる文化をもつ地域である。

(瀬戸内中・西部地域)

16面の出土であり、内訳は山陽側が5面、四国側が11面で鏡の種類に差異がある。山陽側の鏡の種類は播磨や大阪湾岸と共通する。四国側は讃岐の6面を中心に伊予3面、阿波2面であり、神獣鏡が多いのが特徴である。

(大阪湾岸地域)

湾岸部(摂河泉と紀伊・播磨)は、9面出土でそのうち、7面が内行花文鏡である。内行花文鏡は三世紀中葉の列島で最も多い鏡種であり、その中心は大阪湾岸である。

近畿内陸部(大和・山城・近江)は出土8面であり、そのうち5面が四獣鏡や神獣鏡である。

(関東・東北南部地域)

上総(木更津)獣帯鏡と神獣鏡が出土し、大和・山城か阿波・讃岐文化圏と共通である。そして、上野(高崎)と会津から内行花文鏡二面が出土し、上野・会津は大阪湾岸文化圏と関係が深い事が判明した。

(石野先生の結論)

・三世紀中葉の土器と共伴する銅鏡は60面出土している。
・60面のうち内行花文鏡が20面であり、後漢鏡系の方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)8面を加えると28面であり、全体の46.7%を占める。
・他方、獣帯鏡などの神獣鏡系の鏡が16面であり、26.7%である。これは、1~2世紀までの鏡種との違いを際立たせている。
・三世紀中葉の後漢式鏡と神獣鏡の対比
 (後漢式鏡)筑豊6 丹但4 芸備4 大阪湾岸9  近畿内陸2 四国北部4 会津2

(神獣鏡)筑豊2 近畿内陸5 四国北部5 上総2

・北部九州から瀬戸内北岸・大阪湾岸に及ぶ地域は1,2世紀以来の伝統的鏡群を保有するのに対して、四国北部と大和・山城は4世紀に継続する新式鏡群を選択した地域である。
・新式鏡群の選択は阿波・讃岐で始まった。
・女王卑弥呼の鏡は、遣魏使が帰国した240年以降に急増する鏡種でなければならない。卑弥呼は直ちに国中に配布を始めた筈である。
・伝統的な中国鏡とともに、新たに始まった”鬼道”にふさわしい新式鏡が加わっている方が理解しやすい。

・卑弥呼の鏡は阿波・讃岐と大和・山城の神獣鏡群を中心とする一群である。なかでも、三世紀中葉のホケノ山古墳と四世紀初頭の大和・黒塚古墳の頭辺に納置されていた画文帯神獣鏡が主要な役割を果たしていた。

(joメモ)

卑弥呼の鏡の問題は今だ学会では解決されていません。以前は三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡であるという、説が主流を占めていました。その後、森浩一先生を筆頭に反論が始まり、中国で一枚も出土していない三角縁神獣鏡は日本で製造された鏡である。という、説があり中国はニンポウの越の工人が日本に渡り、製造したと論陣を張っておられます。

石野先生は鏡の製造が何処でされたかを議論するのではなく、物理的な絶対年表に於いて埋納された時期に焦点をあてておられます。そして、卑弥呼の鬼道に注目し神獣鏡そのものが神仙思想ですからこのような結論になったと思います。

依然として、魏の鏡は何なのか?は未踏であります。最近は、鏡の成分分析により銅鏡の素材の採取土地の特定研究が始まっています。華北か華南なのかもわかるそうです。

いずれにせよ、石野先生は他の古墳形態の分析からも、邪馬台国はおおやまとの中でも特にマキムクと結論ずけておられます。


| | Comments (2) | TrackBack (0)

炎天下 倒れそう、猛暑

ホンマ勘弁して欲しい、とにかく今日も猛暑である。京都のMuの旦那が帽子を被ると10度は頭の温度が下がるとおっしゃるので、帽子を被る。(これ、ホンマですかね?帽子の中にアイスノンを入れてるんや、ないやろな?)

(お盆の帰省)

来週末には帰省をするので、飛行機、新幹線を検索するが、全てソールド・アウトである。ゲ!日本のお盆の季節は横浜から関西に向かうのは至難の技である。考えてみれば、来週の話である。

そこで、青春18キップでも購入して、昔懐かしい東海道線で帰る、ロマンチック?帰省も考えたたが、鈍行で何時到着するか判らん運送ルートも不安になり、若者が利用するという、高速深夜バスを思いついた。

一番安いバスで目的の日に三席の余裕があった。何も考えずに家内と二人の席を衝動的に、しかも往復で予約してしまった。何と、往復で二人分の料金があわせて、1万9千円という超破格の値段である。新幹線で6万円を覚悟していたが、こんなに安い料金で関西の往復が出来るのだ。

(不安がよぎる)

トイレが無いバスである。新宿を夜中の11時頃にでて朝7時頃に大阪に到着する。まるで、護送車のような雰囲気ではないだろうな?別に、法は犯していないけど、カーテンが閉まったバスがひたすら走る。大丈夫だろうか?

ともかく、バスに乗れば寝ればいい。この日本民族が大移動する時期に今まで、予約をしていなかった罰である。
しかし、若者は安いこのような旅をする訳であるから、私も若者に負けず頑張りたい。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

東京猛暑なり

今日は関東を中心に高気圧が覆い、石垣島にある台風が熱い風を高気圧に放り込むので、酷暑の日となった。

日中にオフィスの外に出ると、サウナ風呂の状況でありました。皆さん、大丈夫ですか?関東北部の高崎などは35度を勿論超えていたと思います。東京も35度でしたね。

関西方面は未だ、少しはましだと思いますが、京都は大変だったと思います。明日も、この酷暑は続くそうですね。皆さん、熱中症には気をつけて下さい。水分を摂取しましょう、私はとにかく、ペットボトルのお茶を飲み続けています。

我が家も、今日からはクーラーを稼動させました、比較的高層マンションで、且つ、三方から風が入りますので、クーラー無しで生活が出来るのですが、今日は無理ですね。

ホンマこんな季節は日本を脱出したいです。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

日本史 脇役の人々

日本の国土は8割が山岳地帯であり、2割が平野だそうだ。

山折哲雄さんが面白事を書いていました。”標高3千メータの高さから撮影された日本列島のビデイオを観ると、何処まで行っても森又森、山又山の風景が続いていると。日本というのは、今もって森林社会、山岳社会であることを改めて、感じさせられた。”と。

”ところが、二千メートルあたりに降りてみると、今度は、田畑が広がる平野が見えて来ます。稲作農耕社会の風景に変わります。更に、五百メートルに迄降下すると、工場地帯や都市のビル群が眼下に広がり、近代工業社会の風景になる。”と。

(三つの意識)

山折さんの説は、日本人の意識にはこの三層の意識が存在すると述べる。意識の一番下には縄文時代の森の生活の意識がある。森と山の生活の意識である。山の恵みで生活していた時代の自然に感謝する記憶である。

そして、二番目には弥生の時代から始まる稲作農耕時代の思い出であり世界観である。最後に明治以降の近代文明の考えであると。現代に於いて我々は近代文明の世界観の中で生活をしている。しかし、大事件が起こると、一番奥底にある古代から受け継がれている意識、つまり、日本の風土や自然の中で育まれた最深層が立ち現れてくるのである。

私も全く賛成ですね、山折先生が語る世界はその通りでは無いかと思う。昔から山が好きで大学時代は特に年間百日もアルプスで生活していた、自分としては、大事件が起こらんでも、何時も縄文時代の記憶で生きている気持ちでありました。

(標高ゼロメートルの世界)

しかし、である。日本列島は以前から記事にしていますが、もっと巨視的に見るとユーラシア大陸の東端に連なる島の連続なのですね。陸地だけを眺むれば、そうだが、陸地以上に巨大な面積は海である。海を生活基盤として生きて来た縄文時代からの、もう一つの生活基盤が存在していたと思います。

これも忘れてはいけない、深層意識として日本人には存在していると思います。

(日本の歴史を支えた脇役)

さて、本日は何の為に記事を書いてるかというと、学校で学んだ日本史は都市文明史観ではなかったか?という、素朴な疑問であります。

律令制度を整え国家のかたちを整備し、飛鳥時代から始まった日本の歴史。国家は税金を納める連中がいて初めて成立するわけです。生産性の高い稲作農耕を中心に国のかたちは整備された。しかし、国土の8割を占める山岳地帯で生きる人々と、広大な海で生活する人々も存在した訳です。

両者の強みは列島を覆う情報網からの情報ですね。飛鳥時代から関が原までの通史を考えると、実は、今まで私が学んだ歴史はこの大事な、山岳で暮らす人々と、海で暮らす人々の役割が何だったのか?あまり、明確には学んでいなかったと思う。もう少し、視点を多角的に捉えないと本質が見えてこないのでは?と、最近思うようになりました。おいおい、具体的な歴史について両者の歴史に果たした役割を取り上げてみたいと思います。


| | Comments (2) | TrackBack (1)

出光丸 番組感想

昨夜、NHKではプロジェクトXで”出光丸”を放送していました。これは、再放送ですかね?
昭和41年の話ですから、私が大学二年生の時になります。昭和36年頃より日本経済は重化学工業が軽工業を追い抜き、エネルギーも石炭から石油に比重が転換した時期でしたね。

出光佐三氏は唯一の民族資本として海外から石油を輸入していました。そして、戦勝国のメジャー資本から苛められながら、何とか日本の経済の基盤になる石油を確保しようとされていました。佐三氏は大学の先輩でもあり、東京のOB会のクラブ施設を寄贈されていました。そんな関係もあり、興味深く彼の動向を学生ながらに関心を抱いていました。

(出光丸建造)

昭和41年に世界最大のタンカー、20万トン級の342メートルの巨大船の建造に着手しました。製造は石川島播磨重工業でした。全国の千社36万人を動員した大プロジェクトでありました。

番組での主役は、現場責任者の南崎邦夫さん38歳でしたね。東大工学部船舶工学科を卒業して、旧播磨造船に入社し、船殻工作部門の現場育ちの人であり、若くして現場の事故で右足を失っていた。

巨大な鋼鉄のブロックを組み立てる現場である。スクリューシャフトを製造するのに、戦後始めてGHQに封印されていた戦艦大和の砲身を製造した室蘭製鉄所の1万4千トンプレスが再度、日の目を見た。

直径7.8メータのスクリューの製造、大馬力エンジンは発電所のタービンを改造する。鋼板も特殊な強度を持つハイテンション鋼を製造する。

そういえば、元々が海軍に於いて世界先端のバトルシップを製造していた実績があるんですね。製造現場での創意工夫の場面が沢山出てきました。そして、若者を現場で指導する南崎さんの姿。

(何が凄いか)

日本の経済の為に油が必須である。メジャーに苛められている。世界最大のタンカーが必要だという佐三さん。それを、受けて、世界最大のタンカーを造ろうと挑戦する船のプロ達。それを、支える現場の努力と工夫と達成感の喜び。

南崎さんの言葉は共感しましたね、”納期を死守しなければ達成感も喜びも沸かない”。これが、物つくり屋のプロ意識ですね。

(エネルギー問題)

この当時のエネルギー問題は今も続いているし、むしろ、お隣の中国のエネルギー曝食が深刻に発生しており、海底ガス田の問題も含めて、深刻な事態に遭遇している。今度は、タンカーではなくて、エネルギーを確保する為には何が必要になるんでしょうね?考えさせられる、番組でした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

お盆(盂蘭盆)がちかい

そろそろ、お盆が近くなりましたね。皆様も土地固有の風習でお迎えになると存じております。私も今年は故郷に帰り、お墓参りをしようと考えています。

このお盆の風習は、縄文・弥生の頃からの先祖崇拝とその後の仏教の伝来による盂蘭盆の風習が合わさり、日本各地にそれぞれ、固有の風習として現在まで守られているのではないでしょうか。

(先祖が遊びにお帰りになる)

13日には迎え火を焚きますね、胡瓜で馬を作り、茄子で牛を作り先祖様がそれに乗り還って来られる。地方により何処から来られるか、考え方が違う場合があるようですね。琉球のように海の彼方から海岸に来られる場合もあれば、一般的にはお墓をヘリポートとして舞い降りるご先祖様が多いのではないでしょうか?

特になくなられた、初盆(新盆)のお方の場合は盛大なお迎えとお盆の行事を行うのが普通でしょうね。地方によっては、先ずご先祖を家の庭にお迎えする場合があるそうです。先祖がご近所の人々に挨拶に廻られるので、一晩はお庭にお迎えの場を設定するそうです。(数年前のNHKのお盆特集番組で拝見しました。)

(何故、胡瓜と茄子か)

どちらも、元々はヤマトには存在しない大陸より伝わった野菜です。昔は夏といえば、台風、旱魃、疫病、の災難に見舞われる季節であり、ここを乗り切れば一年が安泰であると、自然に考えたでしょうね。邪気を鎮める行事が必要であり、先祖の霊にお願いをして鎮まって頂くように考えたのでしょうか。

私はお供え物として夏の典型的な野菜が選ばれたのではないか?と、思います。収穫祭の意味もあると思いますが如何でしょうか。両野菜ともに舶来のものですから、遠いあの世と行き来するには舶来のものが良かったんでしょうかね。

元々の仏教でいう盂蘭盆は亡くなられた人々が万が一地獄で苦しんでいるのではないか?何とか、成仏して貰えないか?と考えて、供物を用意しお坊さんにも饗応を行い、成仏を祈るお祭りであった訳ですが、これが、日本では、先祖崇拝の風習と合流し、お盆の行事となったようですね。

(西洋ではお盆はあるか?)

どうもヨーロッパの先住民族である、ケルト人には似たような風習があるそうです。ハロインの原型となった10月31日の夜にあの世の連中が家に押し寄せるそうです。これが、キリストの聖者の祭りの前夜祭である、ハロインになり、オバケの格好をして人の家にいたずらをする祭りになったそうですね。

私の家族も西海岸のサンノゼでは、ハロインに参加いたしました。迎え火はカボチャのランタンですね。これを、玄関に置いていないお家にはいたずらで、訪問してはいけないルールです。”Trick or Treat"飴玉くれないと悪さするよ!といいます。

(最後に)

しかし、年に一度は先祖とお会いできるのですから、我々、もいずれはこの世とおさらばです。しかし、年に一度はお盆に自宅に帰れるし、友達と遊べるわけですから安心して、あの世に行けるわけです。素晴らしい、システムを考えたもんですね。素晴らしい、知恵である。

| | Comments (14) | TrackBack (2)

« July 2005 | Main | September 2005 »