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大王のひつぎ実験航海

昨年の春より素晴らしい夢のあるプロジェクトが進行している、”大王のひつぎ実験航海”プロジェクトである。

読売新聞関連Web 昨年春ー今年夏迄

(古代史の謎のひとつ)

近畿に存在する大王墓には遺体を収めた石棺が存在する。その石棺の材料が熊本で産する凝灰岩(ピンク石)で出来ている古墳が存在する。数基は存在するはずである。しかし、何でわざわざ熊本から数トンもする巨大な重い石棺を大和まで運ぶ必要があったのでしょうか?

特に継体天皇の墳墓と言われる今城塚古墳とか推古天皇と竹田皇子の合葬墓と言われる植山古墳は熊本の凝灰岩で石棺は出来ていた。

(プロジェクト概要)

主催は”石棺文化研究会”、”読売新聞西部本社”が中心になり、大掛かりなプロジェクトが昨年春より開始した。
石棺は熊本県宇土市で切り出され、約20トンの石から石棺が製作され約7トンの石棺が製作復元された。

又、石棺を地上で運ぶ木の橇である”修羅”も巨木より製作復元された。(かつて確か難波の遺跡で発掘された)
そして、有明海から長崎、佐賀、福岡、関門海峡、周防灘を経由し大阪湾まで運ぶ、古代船と台船(石棺を載せる船)の復元である。

石棺を運ぶ動力船は”海王”となずけられ、全長11.9メートル、幅2メートルの木造古代船が埴輪を参考に製作復元され(西都原古墳群)、大学生が手漕ぎで巨大石棺の台船を引っ張るのである。

うまく行けば、8月28日には摂津の今城塚古墳の特別会場で修羅に乗った石棺を皆さん運べるかも知れない。

(何故わざわざ九州から運んだのか?)

これは、謎ですね、学会でも定説が存在するとは聞いていません。ただ、有明海から延々と瀬戸内海という重要な海のハイウエイを運ぶには各地の豪族の協力が無ければ実現できないでしょうし、大規模な船団によるイベントは大王の権力の誇示というデモンストレーションにはなったでしょうね。

河内王朝を倒した継体天皇の石棺がこの熊本の凝灰岩であるのは、527年に九州で火の手を上げた内乱”磐井の乱”との関係があるんでしょうか。継体天皇は磐井を制圧するが、北部九州は大和朝廷には反旗を揚げたわけですよね。(一部、新羅と磐井の連携をいう説があります)

熊本は火の国ですから、北部九州を封じ込める大デモンストレーションが必要だったんでしょうかね?

まるで、ナイル川を船で巨大な石を運び、ピラミッドを築いたエジプトのファラオーみたいですね。ちなみに、卑弥呼の箸墓古墳の石は昼は人々が二上山麓迄並んで手送りで石を運び、夜は神は築造したと。

ともあれ、古代船団の船出が開始されたようです、無事に大阪湾に到着する事を祈るばかりです。
読売サイトではこのプロジェクトの模様が刻々と報道されていますので、是非、今後も注目して下さい。


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Comments

大変なニュースですね。
しかし、Joさん記事と、リンク記事を読んでいると、日本人は全員古代史マニアに見えてきた。

Posted by: Mu | 2005.07.26 05:54 AM

継体大王の時代と言えば、6世紀ですから、今から千五百年も昔に7トンの石を熊本から船で遥か瀬戸内海を運んだんですよ!

大和の大王の権力が如何ほど巨大であったか?
ですね。

日本人だけでなく、何処の国の人も皆さん自国の歴史には興味があると思います。

Posted by: jo | 2005.07.26 09:56 AM

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