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巨星 中原さんの思い出

昨日、中原啓一さまが身罷れたという報を受けた。享年86歳である。心よりお悔やみ申し上げます。

(先月の新橋は鳥清での会話)

同期の友人と先月、新橋の”鳥清”という烏森口の老舗、焼き鳥屋さんを訪れた。このお店には、早い時間には時折、中原さんがお見えでしたね。多分、このお店が蒲田にある頃から40年近く中原さんは通われたのではないかと、ご推察する。

このお店の女将さんと、中原さんのお話をするのがとても楽しかったですね。厳しい人でしたが、何処か人に優しいところがあり、部下からは好かれていた人だと思います。

女将さんは、最近の中原さんの健康状態についてとてもご心配の御様子でした。

(米国時代の思い出)

私が1982年の1月に米国のシリコンバレーに赴任しました。未だ、右も左もわからん頃で英語もまともには話せない状況でした。そんな折、赴任1ヶ月後の2月だと思いますが、中原さんが米国視察の旅をされるので、当時、同じ駐在仲間の林君と分担して面倒を見ろとの指示が何処からか来た。

ともかく、真冬の雪のシカゴに飛んだ訳ですね。中原さん(当時は天皇と仲間うちでは呼ばれていました)は日本開発銀行のニューヨーク駐在員の山田文道氏(その後開銀を辞され初代 富士通総研の社長に就任、現在、理科大学教授)と御一緒でありました。

当時、中原さんがどのような会社のお立場か忘れましたが、私が入社した部門である今のシステム本部の前身の部署の親玉であり、ハードの池田敏雄さんと双璧のSE部門を立ち上げ蒲田に拠点の城を築いた人でした。

私が、駐在する以前には恐れ多くも御前でお話など出来ない雲の上の偉い、まさに、天皇のようなお方でした。

(通訳を命じられる)

レンタカーを借り、お二人を乗せてアポを取った有名な某銀行に御案内した。即座に通訳を命じられ、まるで門外漢の銀行の話の通訳をしなければならない。相手の話す英語も皆目判らないし、内容も判らない。冷や汗がタラタラと流れる。相手が100程喋り、1か2ほど通訳したフリをする。

この時に感じたことは、これは大変である、必死に英会話の勉強と知識をつけないといけないと。数年後に判明したのだが、これは中原さんの駐在員の教育だったようだ。年に2回は米国にこられるので、毎回、定点観測されるわけですね、どれだけ米国で成長したかを判定されるのです。

(自分のスタイルを持つ人)

料理は中華のスペアリブ、ウイスキーはJB、飛行機はパンナムでした。これを、最後まで頑として変えない人でした。お陰で、中原御大が来られると林君と私はその後、1ヶ月は中華料理は見たくも無い日々が続いたものだ。

常に米国の地図を持参されていた。そして、レンタカーで米国の色んな地方とか企業を訪問するわけですが、その航路を全て色エンピツでマーキングをされていました。記録魔だったようですね。

常に、米国の最先端の技術開発とシステムの動向を自ら調査され、怠りがないように勉強されていた。だから、突然にドコソコの会社とか技術について責任者と話をしたいから、アポを取れと指示を受けても、駐在員は日頃から勉強していないと対応できない訳です。

(義理堅い人)

日本に帰国されると必ず駐在員にはお礼の手紙が来ました、お世話になったと。この話を、鳥清の女将さんにすると、次のようなお答えが返りましたね。

”それはね、生まれ育ちがいいんです。中原さんのお父様は東大の教授をされ立派なご家庭でお育ちになりました。私ども庶民とは異なります。”と、女将さんはお答えでした。

その後、時折は中原さん主催の沼津でのゴルフコンペには招待されるようになりました。最後まで会社の事を心配されていたように思います。


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Comments

古河総合ビルの時代でした。イヤーもう中原さんがいらっしゃた頃の光景は忘れられません。当時の野田課長、林課長代理、山村課長代理が中原さんに大きな声で怒られて自分の席に戻ってくる。

とにかく厳しい眼で、実装技術の本物度チェックをしていたのでしょうね。だから、COP開発部隊の僕らも、待ち合わせ理論・ディレイテーブルの使い方をマスターできたんだと思います。

オンラインシステムの原理原則をマスターできたのは、中原天皇がいたからだと思っています。 合掌!

Posted by: | 2005.07.22 02:44 PM

テッチャン

新人の頃の話やね。私の上司はN課長さんで、何時も怒られていたようですね。

J.マーチンのオンライン・リアルタイムを読まされ、当時の新人の大型オンライン・ユーザ班のメンバは徹底的に待ち合わせ理論を勉強させられた。

思うに、目は常に世界を向いていましたね。データ通信だけは誰にも負けないと。

Posted by: jo | 2005.07.22 03:12 PM

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