琉球紀行(7) 最終回
琉球村には写真の製糖工場(サーターヤー)が有りました。柵で囲われた円形の真ん中にキビを絞る機械を置いて、水牛の動力でキビを絞ります。
実は、飛鳥時代にも大和に牛の力を利用した同様の石臼のシステムが伝来したそうです。しかし、当時の大和では粉を利用する食生活があまり普及せずに、廃れてしまったそうですね。
琉球村では御馴染みの、水車の動力を利用したキビ絞りの機械が有りました。絞ったキビの液を大きな釜で煮詰めて砂糖をつくるんですね。
女性の方々には貸し衣装があり、紅型衣装で記念撮影をしてもらえますよ。カラフルな衣装で記念になるでしょうね。確か、京都でもこんなサービスがありましたね。
チャンプルー劇場というのもあり、琉球の踊りと歌を楽しむ事が出来ます。
真夏の琉球は結構暑くて辛かったですが、日陰に入れば風がありますので、涼しいです。しかし、無人島は日陰が無いので、これは海で泳いで暑さをしのぐしかないです。
羽田から2時間少しで那覇まで行けますので、便利ですね、是非、皆様も一度”琉球の旅”をされては如何でしょうか。とても、楽しいと思います。
最後に、冗談ですが、こんな土人形が木の上で昼寝をしていました。
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Comments
楽しい琉球紀行ありがとうございました。
羽田から2時間ですか。近いんですね。
数年前、夏休みに沖縄旅行を計画したのですが、台風が来て、泣く泣く前日にキャンセルしました。翌日からのテレビで、空港に足止めされた観光客の姿とか、木々がなぎ倒されている様子が映し出されて、あきらめがつきましたが、沖縄の文化や歴史についてはもっと知りたいと思っています。
この時期なら、台風は大丈夫そうですね(笑)。
とても勉強になりました。
Posted by: wd | 2005.07.11 02:13 PM
wdはん
残念でしたね、台風さえ来なければ行けていたのにね。
今回の紀行記事では一度も沖縄という言葉を使いませんでした。私は琉球という言葉が好きなんです、明治の新政府が命名した都道府県の名前も気に入らないのが沢山あります。
北は奄美諸島から南は八重山諸島まで連なる、宝石のような島々を表現するのに、沖縄は無いだろう?と、昔から思っていました。
しかし、今回、ギネスブックに載る世界一の綱を見まして、縄という言葉には神聖な気持ちが沸きました。ヤマトにおける縄文時代から縄は重要であった事も鑑みると沖縄という言葉が古いヤマトを含めた名前として、恥じない、むしろ神聖な名前かもしれないと思いました。ユーラシア大陸から見れば、北海道から沖縄まで含めて"沖縄”ですね。
しかし、今回の紀行文は訪問前の私の気持ちのままに表現させていただきました。
3万年以上前から人類が住み着いた琉球の悠久の歴史は日本が世界に誇れる歴史であると思います。息子が琉球大学に行かなければ、こんなに琉球の事を知ろうとは思わなかったかも、知れませんね。
Posted by: jo | 2005.07.11 03:36 PM
息子さんは親孝行されたわけです。Joさんは良い息子さんをもたれて羨ましい。私など、このよなこと未だ経験していません。長女は未だ学生していますので、このお話しを聞かせてやろうと思っています。
沖縄は25年ほど前に一度だけ行ったことがあります。楽しく読ませていただきました。
Posted by: | 2005.07.12 08:39 PM
onさん
始めまして、コメント有難う御座います。
誤解があります、私の馬鹿息子は単に、琉球におるだけです。貴兄の娘さまより何も優れたところは有りません。
今回の紀行中も身体をこわして、伏せていただけです。しかし、息子がきっかけで、琉球に感心が深まったは事実ですね。
25年前といえば、私が米国に転勤する2年前ですね、今とは相当異なる琉球だったでしょうね。いい経験をされましたね。
Posted by: jo | 2005.07.12 10:26 PM
JO さん
先のコメントをさせていただいたのは、flowerのhisakiでございます。私のミスでご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ありませんでした。これにこりられず、今後ともよろしくお願いします。
子供を通じて、新しいことを知ることが、これから多くなるような気がしてきました。
Posted by: hisaki | 2005.07.12 11:07 PM
hisakiさんでしたか?
どうも、失礼致しました。
琉球の人々はとても、優しいですね。昔の日本人はこのように、優しかったんではないでしょうか?
昔、ハワイとか米国の西海岸で日本人のお年寄りにお会いすると、とても優しくて礼儀正しい、美しい日本人の姿に感動した事がありました。
これからも、よろしく。
Posted by: jo | 2005.07.13 10:23 AM
Joさん、「琉球紀行」あっという間の最終回でしたね。何と早いアップ速度!なんでしょう。
琉球には(那覇市)仕事で2度行きました。土田さんがOKSの社長やってましたが、2度とも会えませんでしたがね。泡盛のウコン割で痛飲しました。
2002年3月1日~3日。2泊3日、家族で琉球の旅もしました。名護市になるのでしょうか、沖縄サミットが行われた部瀬名とう所に泊まって、レンタカーを借りて。あちこちいきましたが・・・
色々と思い出す前に、最終編になってしまいました。
Posted by: 哲 | 2005.07.13 11:30 AM
哲ちゃん
はよ書かんと、忘れるよ!なんせ、寄る年波には勝てないからね。(笑)
哲ちゃんも、二回行かれましたか?私も仕事では一度だけ、行きましたが、何の為に出掛けたのか忘れました。覚えているのは、国際通りの近くの市場の二階で宴会した事だけです。
琉球は鉄道が無いので、レンタカーでもしないと身動きがとれんね。ホンマ米軍のお陰で道路社会というか、車社会を作られ、不便でしょうがない。
オホーツク紀行は始まりましたね、楽しみです。
Posted by: jo | 2005.07.13 11:39 AM
宗谷ねん、忘れてしまうんじゃないかと不安です・・・でも、書き始めると、つい膨大化し次回への繰り越しが発生します。
北海道の地名はアイヌの言葉に漢字を当てはめた地名が多いですが、沖縄の場合はどうなんですかね?沖縄には日本語とも違う言葉が存在したのでしょうか。
沖縄の地名、読めないですよね→http://www.asahi-net.or.jp/~qk3m-knk/oki-zatu01.htm
Posted by: 哲 | 2005.07.13 01:15 PM
哲ちゃん
50年ぶりの故郷訪問。感激ひとしおだったでしょうね?しかも、場所が日本の最北端オホーツクやもんね。
これからの、紀行文を楽しみにしています。
沖縄ですけど、詳しくは古代史を知りませんけど、漢民族ではないですよね。倭人にちかいのと違いますか?確か台湾においても、高砂族という先住民族は倭人と似てますよね。
言葉も古代の日本語が残っているんと違います?一度、本を読んで調べてみます。城=グスク、村=ソン、は簡単に覚えられました。
日本語にも南方の言語が沢山残っていますよね。繰り返しの言葉は南方系だと昔読んだ本で書かれていました。
プクプク、ノコノコ、ピチャピチャ、テクテク、・・・・等の類の言葉は南方系、ポリネシア系統の言葉だと記憶にあります。
Posted by: jo | 2005.07.13 03:00 PM