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菜の花の好きな親爺

最近、司馬遼太郎さんの編集者として長く文春で担当されていた、和田宏さん(筆名 賀川敦夫さん)が本を出された。

”司馬遼太郎という人” 和田宏  文春新書

10才年下であり、最初は古臭い、名前の司馬遼太郎という親爺をフランス文学を志した青年は戸惑った。
しかし、接するうちに人間的魅力に惹かれ、遂に人生の師とするようになった。

私は作家の私生活に近い部分を知りたくない、幸いこの本では私生活には触れていなかった。師について弟子が日頃の福田定一さんが語る事、旅路での想いで、日頃の世間の人との師の付き合い方、時に人生論、政治論、国家論、歴史観、等々に触れている。

面白かったエピソード

(司馬さん偽者神戸に出没)

ある時期に神戸の飲み屋に司馬さんの偽者が出没するように、なったらしい。知人の作家(藤本義一さん)が編集者に連絡を入れたらしい。和田さんは事実を確認し、司馬さんに電話で連絡を入れた、”司馬さんあなたの偽者が神戸の飲み屋で出没しています、如何致しますか?”

司馬さん曰く、”そいつは飲み屋さんに借金をしてるか?”と答える。”いいえ、借金は有りません。”と答えると、司馬さんは”そんならええがな、機嫌ようやってはんのさかい、ほっておきい”。

(地元には地元の秀才がおる)

司馬さんは、数学が苦手であった。残る教科である英語と国語でゼロ点の数学をかばーしなければならん。
綿密な計算をたてて、旧制弘前高等学校を受験する事になった。

司馬さんは、考えた、”夷蛮の地”、”僻遠の津軽弘前こそ人煙もすくなかろうと考えた”。
しかし、”地元はすでに王化滋く”見事に失敗された。数学が弱いのに、綿密なる計算が出来る筈が無いという笑い話である。

(政治家は嫌いだ)

司馬さんは政治家と一流企業の社長は嫌いでした。この関連のレポートが面白かった。どうしても対談せねばならず、世間も編集者も馬が合ったと安堵した場合でも、ホテルの玄関で相手の対談相手を見つけると、逃げる。

何か、その気持ちはわからんでも有りません。

(庭は雑木林)

司馬さんは、雑木林が好きであった。従い、庭には実をなる木もないし、美しい花も無い。ただ、雑木林風を好まれたそうだ。ただ、菜の花とタンポポは好きであったようだ。飾らない、一人で逞しく生きている草とか木が好きであったようだ。

(自分を点にする)

自分を面積も質量も無い、点のような存在にしないと物が見えて来ない。この作家スタイルは、戦争中の狭いオンボロ戦車の貯金箱の穴のような窓から、外界を覗いていた時まで記憶が遡るそうだ。

司馬さんは、奢る人、傍若無人な人、偉そうな人、嫌いでしたね。これは、関西風というか、関西の人には特有の風土ではないかと思います。

(司馬遼太郎由来)

”司馬遷 遼(はるか)なり”ここから、筆名が出来たそうです。司馬遷は遥か彼方にある、とてもの事遠く及ばない、という意味ですね。私は司馬さんがモンゴル平原で戦車で戦っておられた時に、遥か地平線に遼火を見たのではないか?と、考えていました。

しかし、この本は面白いです、是非、暇が出来れば読んでみては如何でしょうか。


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Comments

JOさん
 産経新聞でね、ときどき(一ヶ月から2ヶ月間隔かな)、司馬さんの奥さんが、「司馬さんは夢の中」とかなんとか、書いていはります。
 これが、めっぽうおもしろい。
 主に交友録なんだけど、この奥さん相当な文章家で、司馬さんやその知り合いが目に浮かんでくるのです。先年にそれまでの分が図書になったはずだから、書店にあるとは思いますが。まだ続いています。

 実はこの記事で、司馬さんが一番大事にしたのが「空海の風景」だって、知ったのです。

 この和田さんという人も、Joさんの解説を読んでいると、なんとなく、わかる気がします。

 似たような人が集まるんでしょうね。
 風雪梅安一家も、内部ではお互いに個性というか、独自性を発揮したふりしてますが、外からみたら、あはは、みんな同じ穴の狢にみられてるのとちゃうやろか。

 JOの古代日本史観とMuのそれは、明確に異なる。
 ふうてんの日本文化論とMuのそれは、全く別物。
 ……
 と、いくらMuが言うても、アカンかなぁ。

とまあ、司馬さんには失礼なオチになったけど、司馬さんの読者が多いのは、ひとつには、なんとなく苦労人が苦労人を大事にする、そういう点を、いまおもいだしました、とさ。

Posted by: Mu | 2005.05.03 02:25 PM

Muさん

そうですか、奥様が随想録をお書きですか。出版されれば
読ましてもらいます。

”空海の風景”については、本人が語っていました。これは
一度、私も記事にしましたが、今までに作品で一作だけ選べ
と問われると、”空海の風景”であると述べておられました。

私は、司馬さんが若い頃の記者時代に、文化部か何かを担当
し京大の考古学教室と龍谷大学の図書館でお寺担当だから、
やたらに、仏教に関する書物を読みふけった。

若い頃の精神的基盤作りの頃の生活が司馬さんの、その後の
作家生活に大きな影響を与えたと考えています。

今彼が、自分の筆名をつけるなら、さしずめ”空海遼太郎”
かも知れませんね。

Posted by: jo | 2005.05.03 07:50 PM

Joさん
面白いエピソードですね。
私の父も、生前 司馬さんを尊敬しておりました。
父は 奈良県五條の出身で、幕末の天誅組の話しを
小説に描きたかったようで、原稿を見て戴こうと、
司馬さんのお宅へも何度かお邪魔したようです。

司馬さんに戴いた色紙が実家に有ります。
「厚情必ずしも 人情に非ず、薄情の道 忘るる勿れ 遼」
たしか、竜馬がゆく の中の言葉だったと思います。

Posted by: Ys | 2005.05.04 05:10 PM

Ysさん

そうですか、確かお父様は小説家を目指して
おられたと言われてましたね。

天誅組ですか、昨年の新選組でも出てきました
ね。

新選組と言えば、姉が嫁いだお家が司馬さん
の”新選組血風録”にでてきます。幕末京都で
の勤皇方の女傑としてです。

Posted by: jo | 2005.05.04 05:27 PM

そうでしたか。
新撰組血風録、新撰組始末記、懐かしいですね。
土方役の栗塚旭さんが、昨年の新撰組に出ておりましたね。
哲学の道で喫茶店をなさっていましたが。

天誅組は、中山忠光(公家)を担いだ勤王の志士達の、
五條代官所の焼き討ちに始まる事件ですが、
時期が早かったために悲劇に終わった話です。

Posted by: Ys | 2005.05.04 05:58 PM

Ysさん

幕末の日本動転の時期には、未だ後世の我々が
知らない、沢山の事件と人々がいたんでしょうね。

歴史小説家はそんな、人、を探して光を当てる。
そして、その人の目から歴史を観る。

素晴らしい仕事ですね、生まれ変わったら、挑戦
したい気持ちも有ります。

Posted by: jo | 2005.05.05 06:08 AM

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