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母校 枚方第三中学校

最近はオホーツクの哲ちゃんが、昔懐かしい故郷の学校の話をするもんで、ついつい、私も少し回想してみたくなりました。今回は中学時代を採り上げてみたい。

最初の一年は隣駅の御殿山の駅近くにある渚という場所の枚方第一中学校であった。自転車で通学で30分から40分はかかったと思う。牧野から車塚古墳を経由して御殿山丘陵を登る、これが辛かった。帰りは下りなので、楽だが朝が厳しい体育会の世界である。冬は特に辛い、ハンドルに袋のような物を取り付け手を中に入れる。耳には兔か狸の毛で出来た耳覆いをつけた。

二年生からは、新設の第三中学校が牧野と樟葉の中間地点に出来た、徒歩15分でゆける、嬉しかった。養父という地名である。

(一澤万吉先生)

先生は30代前半だっと思うが熱血漢の国語の先生が担任になった。私の中学時代の全てはこの恩師の影響を受けたと思う。厳しい先生でした、殴りはしなかったが怒るとそれに近い行動をとられた。しかし、根は優しい人でなにかと可愛がられた。

しかし、最後まで”国語”は苦手なままで終わった。

むしろ、山登りを教えて頂いた。社会科の林先生とワンゲル部を創設し近畿地方の山に連れていただいた。金剛山、大台ケ原、高野山、伊吹山、比良山、等々である。大きなリュックを背負い、飯盒で飯を炊く、そしてテントで宿泊する。この楽しみがその後延々と続く事になったわけです。

先生は生徒会の役員に立候補しろと命令され、一番苦手な会計をやらされてしまい、お昼にはパンと牛乳を販売する羽目になり、毎日、計算が合わない涙の日々が続いた。当時は生徒会役員が販売していた。

時折、牛乳屋さんがコーヒー牛乳を奢ってくれたのが、役得であった。

勉強は諸田先生という男勝りの関東弁の女性の先生がおられ、これが不幸に気に入られ英語の弁論大会にまで出さされてしまった。兎に角、理由は英語の教科書を直ぐに丸暗記するのが得意だったようだ。
英語と理科と数学が得意だったように思う。

35年振りに中学のクラス会が枚方であり、7~8年前に出席し万吉先生に再会した。先生も大層喜ばれ、時間が一気に35年前に戻った記憶がる。女子生徒は数名を除き殆ど最初はわからなかった。しかし、30分も経過すると思い出すのは不思議である。皆様もご経験と思います。

そして、不思議なのは、女性が私を筒井君と呼ぶ事である。君ずけで女性に呼ばれるのは同窓会だけに許される風習である事に気がついた。今だかつて、このクラス会までは女性に君ずけで呼ばれた経験は無かった。

私達は二期生として卒業する事になり、学区制により寝屋川高校か四条畷高校かどちらかであった。四条畷は遠距離であり寝屋川高校に進学した。一番頭の良かった生徒は国立高専に進学した。

え?浮いた話がないのか?

今と違い、当時の中学生はウブでした。まるでなかったのが、残念である。

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古代の関東

2005_05210012写真は、国土交通省が管理されてる、新横浜近辺での施設で掲載されてる、鶴見川立体図です。写真の下の方の真っ青な部分が新横浜駅です。画面の左上に青が薄くなり、鶴見川中流域となり、画面上の方が上流です。

これで、お判りのように青の部分は縄文海進の時代は海だった場所ですね。私の住まいも新横浜も海の底です。写真上部の茶色の部分が多摩丘陵になりますね。多摩丘陵から張り出した尾根が新横浜の近くまで延びて、突き出ています、これが、市ヶ尾とか荏田とかの丘陵地帯です。


市ヶ尾、荏田には縄文貝塚遺跡が沢山存在しています。今も、発掘が続いている様子です。多摩丘陵にも多くの縄文、弥生の遺跡が点在しています。

荏田には先日Beeさんが記事を掲載されていましたが、4世紀末の前方後円墳の遺跡が存在しますね。稲荷前古墳群です。

実は最近気になるのが、鹿島神宮と埼玉古墳群の稲荷山古墳そして、群馬県から栃木県の上野(こうずけ)、下野(しもつけ)の毛野氏の古代の勢力関係です。

大和朝廷が近畿圏の政権から全国支配に拡張したのが、崇神王朝の景行天皇さまの時代ですね。ヤマトタケルが活躍した時代です。彼は三浦半島から木更津に船で渡っています。大和朝廷は海人族ですから、船で進軍するわけですね。当時の海岸線を詳しく調べたわけではないが、関東平野の多くは海の底であったと考えられます。

関東に於けるヤマト朝廷の拠点は鹿島灘の鹿島神宮と埼玉県の行田の埼玉古墳群の場所であったと想定されます。それは、稲荷山古墳から発掘された鉄剣金象嵌の文字から類推できます。これは、雄略天皇の時代ですが、既にヤマト朝廷の親衛隊として8代も続いていたという、系譜が書かれていたからです。

多分に荒川と利根川が軍用道路であったと思われますが、殆どの今の東京都は海ですからかなり、埼玉の行田近くまで船で行けたと思われます。そして、群馬、栃木の北方にまつろわぬ民、蝦夷である毛野氏を牽制したと思われます。

従来の説では5世紀の河内王朝の時代、所謂、仁徳天皇、雄略天皇の時代では大和朝廷の勢力圏は西日本と言われていたが、埼玉の稲荷山古墳の鉄剣銘が発見され、少なくとも崇神王朝時代には大和朝廷の勢力が関東に及んでいたと考えられることになりました。

鹿島神宮はその中でも、大和朝廷の拠点として重要だったと思われます。祭神はタケミカズチの大神です、天孫族ですね、そして、後世には中臣氏が祭司を担当し中臣鎌足(藤原)がここで誕生し、やがて大和に移り政変を行うのですね。そして、鹿島神宮の御霊を春日大社に分祀する事になりました。

2005_05210013神奈川県を宇宙から観てみるとこんな按配だそうです。左真ん中に富士山がありますね、海岸線がよく判ると思います。古代の早い時期から海人族とりわけ、出雲系の安曇氏は太平洋沿岸の拠点を制圧していた様子です。

渥美半島の渥美は安曇ですし、熱海も安曇です。日本史において、戦後は日本書紀、古事記の文献はかなり批判的な研究が続き、崇神朝以前は神話の扱いであり、大和朝廷の勢力範囲についても畿内がせいぜいであると、言う考えが主流だったそうです。

しかし、稲荷山古墳の鉄剣銘が発見され、大幅に見直す事になり、最近の目覚ましい大和での発掘成果をみると大掛かりな連邦国家が崇神王朝の時代には出来上がっていたと考えられます。

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8万アクセス記念

昨年4月から始めましたJoBlogも1年と2ヶ月が経過し、無事8万アクセスを記録しました。記事の内容は、ラジコン飛行機と古代史関連が中心で時折、アマチュア無線、山登りの話そして、子供時代の北河内、南山城の風俗について記録しています。

今までは、京都のMuBlog先生奈良のそれから(Wdさん)、京都のflower(hisakiさん)等の方々に支えられ記事を書いて来ました。

最近は、友人のふうてん老人が,遂にBlogふうてん老人日記を始められました。

そして、オホーツクの同期の友人テッチャンがBlog道産子 哲を始めた。北海道は最北端オホーツクの昭和20年代の生活について記事が豊富です。貴重な記憶だと思います。

最近はコメントを頂く方が二人おられます。40年前からラジコン飛行機を趣味とされている、京都育ちのYsさんですね、貴重な写真を持って居られます。Ysさんのラジコン
もう一人のお方は日本の広告業界の重鎮で池波正太郎先生の研究家で著書多数のちゅうすけさんです。鬼平の世界の盗人を追い詰める推理Blogが圧巻です。

7万アクセス時の記録・・・・・・・桜満開
6万アクセス時の記録

(最近の検索エンジンから)

先週の記録では、ラジコン関連は別にして、鳩摩羅什11件、破戒僧5件、アルプスの少女ハイジ5件、筍の季節4件、九絵家3件、故郷3件となります。

今週は法隆寺関連の検索で15件アクセスがきています。誰かが御期待している、清掃車は有りません。(笑)

この1年少しBlogを開始し、少しずつ知り合いになれた方々が増え、嬉しく思っています。私の身の回りの変化と言えば、家内の妹が大阪で古着屋を先週から開店した事ですね。ふうてん娘がパリで古着を調達して仕入れている様子です。

これからも宜しく御願い致します。

忘れてました、シーラカンスさん何時もコメント有難う御座います。ところで、ダービーは如何な按配でしたか?

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遂に完成 Aurum 機

2005_05290002完成しましたよ。最大の難関は最後に来ましたな。重心位置の問題です。機体揚力中心点に重心が無ければ飛行機は飛ばない。これが、軽い2サイクルOS32SXの高性能エンジンを搭載したので、頭が軽くなった。これは、最悪なんですね。

およそ、飛行機は設計上の重心位置より前に有れば問題は操縦技術で事故は回避されるが、後ろだと操舵が効かない。そこで、機首部の防火壁に鉛の板を100グラム貼り付け、受信機のバッテリーをエンジン下部に搭載するように工事をした。

2005_05290003この改修工事も大変で、カウルを外し、オイルタンクを外し、メチャ大変でした。オイルタンクは260ccのタンクを搭載した。そして、舵角の調整を行う。主翼動翼(エルロン)は上下各々7ミリ幅、垂直尾翼動翼(エレベータ)は上下各々13ミリである。ラダーは40ミリと設計仕様はそうなっている。

昔はいい加減に設定していたが、このクラスのスタント機ではある程度守らないと、”暴れる”のである。しかし、これで、完璧に仕上がった。多分、初飛行も問題が無い筈である。

最近製作した2機、”バレリーナ3号”と”フラミンゴ”も大成功しているので、自信がある。今度の千葉飛行会ではお披露目である。

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国歌随想

昨夜のサッカー日本代表とUAE代表の親善試合が国立で開催された。バーレーン戦を控えた重要な試合であった。試合開始時に不思議な光景に驚いた、それは日本国歌をスタンドを埋め尽くす人々が歌った事だ。

今まで、あまり経験しない光景に驚いた。どうしたんだろうか?不思議である。

しかし、不思議だ、自国の国歌がかの大戦後はあまり、不遇の扱いを受けて来たように思います。こんな、国も珍しい。自国の国歌と国旗までが不思議なもやもやとした扱いを受けて来た。かの、大戦の心の清算が終わっていないのかも知れない。

しかし、戦争を経験しない国民が80%を占める時代が来てもである。まして、アジア 諸国では?と思う。

日本の国歌を歌う場面は今まであまり、無く、オリンピックの表彰台かサッカーの試合である。オリンピックは海外で行われそこに日本人は少ない、しかし、サッカーの日本での試合では5万人、7万人と日本人の観衆がいる場面で行われる。

若者が国歌を歌う場の設定はサッカーが大きな役目をしている。

しかし、明治維新を行い近代国家の道を歩み始めたときに、日本人は国歌の存在を知らなかった。外国賓客が来た時に演奏しなければ、ならない。私も確かな過去に調べた記憶もうすらいだが、明治のお抱え外人の政府関係者が、”ところで、日本の国歌はどないな按配か?”と政府の高官に聴いたそうだ。

急遽、薩摩に伝わる”君が世”をとりあえず、演奏したと伝えられている。これが、国歌誕生の背景だったそうだ。

今の子供達には難しい古語で成り立っているので、小学校では内容を教えているんだろうか?私の時代は、そんな経験がなかった。何時も何時も訳が判らずに歌わされていた。特に、”さざれ いしの いわおとなりて~”
何のこっちゃ?と教えられないまま大人になった。

(古代史研究で理解)

私が、この部分を理解出来たのは三輪山の勉強を始めてからである。日本では卑弥呼さんの時代から磐座信仰が存在した。三輪山全体が神である。特に、その山の奥深くに鎮座する磐座が信仰の対象である。

沖ノ島は海の正倉院とも言われているが、宗像海人族が守り続けている信仰の島である。此処には、磐座の上で多くの祭祀を行った遺跡が存在する。島全体が信仰の対象であり、航海の無事と民族の安寧を祈願した場所であるそうだ。

昔の人は小さな砂が年代を経るにしたがい、それが固まり、大きな磐になると考えた。これが、さざれ石が磐になる信仰を語っている。

磐信仰は孫悟空でもそうでありますが、命の源と考えたようですね。これが、日本だけではなくMuさんの得意の巨石文明のなごりであると言う人々がおられます。エジプトしかり、イギリスのストーンヘンジしかり、南米のインカからシカン文明しかり、イースター島のアモイしかり、ポリネシア、ミクロネシアに存在する巨石文明。

中国人の貴族は不老不死の源を鉱物資源に求めた。丹ですね。猛毒です、しかし、水銀をはじめ多くの古代人は命の源と考えた歴史があります。死ぬと、棺桶とか身体に朱を塗ったのは世界共通の風習でしたね。

(国歌の起源は)

これは、これから調べたいと思います。今、私が考えている仮説は戦争だと思います。

国と国が戦う場合には軍団の一番前に楽隊がいました。これは、中国の春秋戦国の歴史でも秦の軍隊でもそうですね。ハンニバルの軍隊でもそうです。

蜀の国が楚の国の軍隊を負かしたのは、”四面楚歌”でしたね。故郷が恋しくて兵隊が泣いたそうですね。

さて、日本の国歌に戻りますが、国花が桜だそうですが少なくとも自然発生的に国民が納得して出来上がった歌ではなさそうです、しかし、明治から続いている事も事実ですね。さて、これから、どうするんですかね?

私は、以前、サッカーの日本代表がワールドカップを目指したときに、私達をW杯に連れて行ってと懇願して、スタンドの全ての人々が歌った、”翼を下さい”は印象強かったです。あれ、外人は日本の国歌と間違ったんとちゃうかな?

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ブランド娘と邪馬台国

日本人は女も男もブランドものが好きである。これは、海外諸国を漫遊してきた経験で言えば、”異常”である。

パリのエッフェル塔の近くのルイビトンの本店でも日本人の行列である。五番街の54番ストリートだったかな?会社の近くにあるテイファニーも、私が米国駐在してる頃でも日本人の若い女性がワンサカいました。

私の身の回りにおられた、米国人もイギリス人もフランス人もこのような、ブランドで身を包む風習は見た事がない。これが、長い間の疑問で有りました。最近は、やっと、その理由について納得できる回答を見つける事が出来たのです。

(邪馬台国の起源)

どうやら、この課題は日本の国の成り立ち迄遡らねば、解明出来ないと思うようになりました。邪馬台国から大和王権が誕生する基本的な権力構造の成り立ちと連邦国家の成立過程に謎を解く鍵が有りました。

今までは、政治権力の掌握には土地を支配し収穫物を年貢として収奪し、富を蓄える。当たり前のように考えていた。しかし、古事記、日本書紀、先代旧事本紀、等々の神代の国家創生の話を辿ってゆくと、重商主義であった事に気がついてきた。貿易立国と呼んでもいい。

海人族(海部族)なんですね。神武さんも船に乗り烏(カラス)を乗せて九州から瀬戸内海を経由して大和に入る。
だいたい、当時の航海は陸の山を見ながら沿岸航法ですから、陸地を見失うと船に乗せてる烏(カラス)を放つ。鳩や烏は上昇すると陸地を見つけ、陸地に飛んで行く、これが神武東征神話で道案内をしたヤタガラスの実像である。

中国、朝鮮半島との航海ルートの拠点を抑え、貿易を独占する。ここに政治権力の基盤があった訳です。鉄を抑え銅を抑え、武器、農耕機材の原材料を抑え、大陸の珍しい珍宝を独占する。貿易ルートは瀬戸内海と日本海の二つのルートが存在した。

港、港の部族にはこれらの珍宝を与え、連邦国家の部分を担わせたわけです。物部氏の祖先であるニギハヤヒは天の磐船に乗り淀川を遡上し私市に降臨した、又、ニニギも鹿児島の港に降臨している、皆さん海人、海部族なんですね。

長脛彦と神武さんが対峙したときにお互いに珍宝を見せ合う、要は、高級な舶来品を持っていなければ権力者ではないという風習である。邪馬台国卑弥呼は魏の国から100枚もの銅鏡を貰った、これは連邦国に下賜する為である。それで、自分の政治権力を保つ風習である。

時代は下るが、法隆寺のそばの藤の木古墳から出土した馬具は遥かシルクロードの彼方の中近東の七宝焼きと地中海の木から製造されたコルクが使用されていた。

日本民族は貴重な宝ものに対する特別に畏敬する宗教のようなものが、あったんでしょうね。だから舶来もの、見た事もないものに対する恐れと権力者と同一視する思想が存在した。従い、大陸との交易路を独占した海人族は日本国を連邦国家に出来る鍵を握っていたわけですね。

(卑弥呼に秘密がある)

実は、日本の国を治めたのは女性でありシャーマンである卑弥呼さんでした。神のお告げを民に降す特別なおかたですから、奇跡を起こす必要があります。一般民衆にとり奇跡に見えるモノを見せる必要が有りました。
私は、卑弥呼さんが沢山の珍しい大陸の貴重なものを独占し、人々に見せ、畏敬させ、そして下賜する事で統治国家連邦を維持したと考えます。

だから、今の若い女性が海外のブランドにあこがれるのは、卑弥呼さんの時代からの血を受け継いでいるからですね。世の男性諸氏はかわいそうである。


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2002年 夏のショット

2002年の夏の新横浜、鶴見川堤防の思い出です。私が気に入ってる写真2枚のご紹介です。

CIMG0014電動飛行機を飛ばしていた時代ですね。フライトを終えて帰宅するところを、河岸段丘から息子が撮影してくれました。このショットはとても気に入てまして、印象的です。この頃は、朝6時に起床して、飛行機とフライト用具をリュックに入れて自転車で鶴見川の堤防に出掛けていました。横浜の赤とんぼ仲間二人も何時も週末には車で集まり、早朝フライトをしていました。1時間ほど飛ばして、解散です、三人はそれで別々に帰宅となるのです。

CIMG0008このショットも今から、電動飛行機を飛ばそうとする場面です。朝日が昇って来ましたね、まぶしいです。堤防の草は未だ夜露で、濡れています。
早朝の1時間ばかりのフライトは誰にも、迷惑がかからず安心して、飛ばしておれました。それも、今は鶴見川は工事が延々と続いており、周りにはビルが建ち並び、フライトは難しくなりました。残念です。

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京都からの客人

京都に住む姉夫婦が息子の赤ちゃんを愛でる為に東京に来た。

CIMG0008息子の雄ちゃんが、フランス大使館隣の”リストランテ アガペ”を予約。広尾の閑静な場所にあり、昔はフランス料理のお店だったそうだ。

CIMG0011姉夫婦と雄ちゃんと、たまたま仕事で帰国していた私のフランス在住のふうてん娘も参加。美味いもんが食えるというと、飛んでくる。(娘から勝手にJoBlogに自分の写真は載せるナカレと、禁じられてるので、掲載は出来ない)

前菜はCIMG0010何か判らんけど、魚がスプーンの上に乗っかってる。ガラスコップにもフルーツトマトと生リコッタでしょうか?なんと上品な事かね。

CIMG0013ホワイトアスパラと天然帆立のムースリーヌ
今の季節はフランスでも白いアスパラを皆さん食べますね。これも美味い。

CIMG0014渡り蟹のペペロンチーノである。何時も、ふうてん老人と下北沢のイタリアンでは先ず、ペペロンチーノを最初に食す。今日は、渡り蟹が入っている。

CIMG0015これは、みさよが食したもんだ。とうもろこしとロビオーラチーズのニョッケッテイである。


CIMG0016これは、私のシャラン産鴨のロテイである。

CIMG0017紅茶の種類は沢山あります、試験管の中にお茶の葉が入っていて、匂いを嗅いで決める事が出来るんですね。いいアイデイアですね。

CIMG0018CIMG0019

丁度、姉夫婦はイタリア旅行から帰国したところであり、イタリアンを設定した雄チャンは優しい男である。


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Take Your Own Risk

日本と米国の比較文化論です。

米国の西海岸では、上記のような看板が時折目に付きます。寒流が流れているので、海水は冷たく
泳ぐことは出来ません。サンフランシスコから西海岸を南下しても、無理です。

しかし、泳ぐなとは言わない。泳いで死んでも、自分の責任だよと言う。これが、米国である。

問題は、日本ですね。”泳ぐな”、”立ち入り禁止”とか偉そうに、誰かが命令した看板が存在する。
特に、国家が管理する場所には存在するように思う。

大体、新横浜の鶴見川は国土交通省の管轄かもしれないが、何で、柵をして住民が入れないようにする
権利があるのか?元々は、国民のために管理をしているのが、国土交通省である。河岸段丘に綺麗な花が
咲いているのを、自分のリスクで眺めに行く権利を剥奪する権利が何処にあるのか?

新横浜近くの鶴見川は毎年、延々と工事をしている。私達はビデイオで録画してるので、証拠はある。建設会社
が我が物顔で資材置き場にして、住民が散歩することすら出来ないようにしている。

国家権力をバックに横暴である。誰のための国家であり、誰の為の自然であるのか?この5年間、鶴見川の私の
周りは延々と工事中である。何か、おかしい。

工事をする業者が、資材の置き場にしてるのは許せない。自分の会社の倉庫に置いておけ!と、いいたい。

日本の美しい自然は国民のものである。一部の国家権力と下請け業者のものではない。河川の管理は国民に代行して国家が管理するが、国民のものである。確かに工事中は危険である、立ち入り禁止にするのは、しょうがないが、何年も何年も延々と工事が続くのは不思議である。

日本人も直ぐに、事故があると管理責任者の非を追求する。違うと思う、個人の責任が大きい。ここが、米国のフロンテイア精神で国土を切り開いた文化と犬のように支配された、江戸時代からの日本の民の文化の差がある。

本当の意味の民主主義がまだ、この、日本には根をおろしていない。

ま、要は、自由に自分の責任で国土を愛したいというだけです。

2005_05230022さて、”オーラムスポーツ”がだいぶ出来ました。OS32SXのエンジンを搭載し、サーボモータも搭載した。あとは、リンケージとチューンド・サイレンサーを接続し、メカ類の調整である。これは、スタント機であり、楽しみである。

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Jo貧乏料理 冷やし中華編

2005_05220016昨夜はフランス大使館隣の高級イタリアンにて贅沢したので、今晩は貧乏料理でバランスをとる。

(冷やし中華)

夏になると、食欲が湧かない、そんな時は冷やし中華に限る。昨夜イタリア旅行から帰国した姉夫婦に頂いたワインを飲みながら、ツルツルと冷やし中華を食べる。

料理は簡単で、金糸卵の製作とトマト、キュウリの千切り、ハム、紅生姜があれば済む。夏はこれに限ると思う。

(シーチキンと卵あんかけ)

これは、突然に閃いた料理である。あまりに、卵がふくよかにフライパンで出来たので、金糸だけにするのは可愛そうである。

そこで、蟹缶を探すが貧乏家庭なので、無い、そこでシーチキンのカンズメを使用することにした。卵の板の真ん中にシーチキンを載せ、廻りにキュウリ、トマト、を載せてその上に餡をかければいい。

出汁を作り、酢を入れ、砂糖と日本酒を入れ、醤油少々入れる。片栗粉を水で溶いてレンジの火を止めて流し込む。これで、餡が出来た。これを、かける。

フムフム、見た目はよさそうである。少し、味見をすると、これが美味いのだ。

私はホンマ、老後は創作料理に挑戦していれば、ボケないのではないか?そんな、気がする。


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職人気質 池波正太郎

食卓の情景 

江戸下町生まれ、飾り職人の家庭、母は二度離婚、男勝りの母親の姿、貧乏だけど美味い物は食った、株屋の時代、新国劇の劇作家時代、無我夢中の島田正吾・辰巳柳太郎役者との時代、そして小説の世界へ。

江戸下町の風情を愛し、もはや戦災で失われた江戸の町屋風情を求め京都に足を向けた池波正太郎。こよなく京都の町屋風情を求めた作家。

しかし、彼が自ら描くイラストの自画像は、西洋的である。犬を従え、ハンチング帽子、パイプをくわえ、左の手にはワインのボトルを下げ、脇には長いフランスパンを抱える。これが、この作家の本当の姿ではないだろうか?

この姿と彼の描く小説にはギャップが大きい。そして、彼の没頭した新国劇の芝居小屋の世界も対極にあるようだ。何故か?作家とは不可思議なものだな~~と、思う。池波はんが着流し姿で、暖簾をくぐるイラストならば凡人は”なるほど”と納得する。

彼は、口に入れるエネルギーの基と作家としての苦しい創作活動は密接な関係があったように思う。生半可な物を口に入れると、ろくな作品が湧いて来ない、しかも、いい加減な料理人が作るものは我が肉体には入れない。

頑固なまでの職人気質の料理人と真剣さを料理人に要求した。この気持ちは、私のような凡人でも少し、判るような気がする。妥協は許さない、それは、自分の作品と大いに関係するからである。

そして、年老いた母と嫁の女二人の操縦方法と一家の大黒柱の自覚、これも拍手を送りたい。この責任感が滑稽と思えるほど”食卓の情景”にはでている。

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55歳からの10年が難しい

私が5年間仕えた鬼瓦社長が時折、酒を飲むと私にこう呟いていた。

私の理解では、ビジネスの世界に身を置くものにとり最後の現役としての、楽章なんでしょうね。この期間が今まで積み重ねて来た努力の成果が問われる局面なのかも知れない。

平均年齢50歳の時代は40歳からの10年だったのだろうか?しかし、今は平均年齢が77歳では65歳からの10年なんだろうか?それでは、何時になれば隠居できるんだろうか?

最近の労働省の勧告では、企業は65歳迄は雇用義務があると言っているらしい。これは、年金制度が破綻してるので、しょうがなく言ってるんだろうか?それとも、真面目に少子化時代に備えた国家戦略なんだろうか?

しかし、鬼瓦社長の説で言えば、私は問題の楽章の真ん中である。

どうも、中途半端な局面である。まだまだやり残した仕事とやりたい事がある。しかし、それほどは時間は無いのである。ひとつを選ばねばならない。

昨夜もこの鬼瓦親爺と30年近く仕えた現役社長の親爺と三人で人生を語った。一人は私に起業しろと言う、そし
て投資させろと迫る。もう一人は、joらしい破天荒なエキサイテングな事業を俺に持ち込めと言う。

実にありがたい人生の先輩達である。

しかし、あと何年生きることが出来るか?これも、問題である。死ぬまで働いていていいんだろうか?とも、思う。
ビジネスの世界は戦場である、周りに犠牲者もでる。何時死ぬかを判っていれば、人生設計も出来るがそうはいかない。

多分、鬼瓦社長の説は平均年齢77歳で死ぬ、従いその前の10年を隠居生活なり社会奉仕に充当し、それまでの10年を最後のビジネスマンの楽章としたんでしょうね。

今日は、米国にいる人生の先輩からメールが届いた。今週はニューヨークにいるそうだ、6月中旬頃に米国に来いと言う。日本は梅雨時だから、確かに日本にはいない方がいいかも知れない。

今夜、昔の懐かしい吉永小百合と浜田光夫さんの映画が東京MXテレビで上映されていた。多分昭和30年代でしょうか、舞台はオランダでしたね。衣服を観てると笑っちゃいましたが、まだ、外国が憧れの時代であり日本が高度成長の青春の時代でした。

私も、悔いの無いビジネスマンとしての最後の楽章に挑戦したい。


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チップマンク 登場

2005_05200006中国で生産した飛行機が船荷で到着です。”Super Chipmunk"という飛行機です。

翼幅 1460mm
重量 2600~2700g
身長 1150mm
翼型 Naca 2416
エンジン 2C=40,4C=52
2005_05200008以前に注文を入れていたが、急に入荷したというので宅配された。人気の機体である。

2005_05080002
しかし、まだ”Aurum Sports 30EX"の製作の途中なので、しばらく放置する。気が向いたら、製作する積りである。

最近は、風が強く飛行機を飛ばすには危険である。そして梅雨の季節が来るので、暫くフライトはお預けである。

恒例の”赤とんぼ 夏合宿”は7月中旬を予定されている。今回も、栂池のスキー場で飛ばす予定である。

(平均年齢71歳のラジコンクラブ)

先日、朝の日本テレビのニュースを観てると、御歳よりばかりのラジコンクラブの特集でした。

場所は四国は四万十川のラジコンクラブである。重量80キロを越える、大戦時の練習機”赤とんぼ”である。
実は、有名な老人がおられ実機まで作り上げ、自ら搭乗して操縦したラジコンマニアの老人が昨年12月に製作途中の赤とんぼを残して他界された。

その意思を継いだ老人達が、四万十川で飛ばすのである。操縦は元、F3A世界チャンピオンの吉岡翁である。
見事にタキシングからプレーリングプロセスを経過し、水しぶきを四万十川に落としながら離陸した。

結構感動したニュース番組でしたね。皆さん元気を頂く番組でした。

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新シルクロード 第5集

第5集 天山南路 ラピスラズリの輝き 素晴らしい出来栄えでした。

私を含めて、それ程仏教の教義と歴史に詳しくない人々にとり、今回の番組は良かった。サンスクリットで書かれた仏教の経典を漢字に翻訳した偉大な破戒僧”くまらじゅう(鳩摩羅什)”の存在について知る事が出来た。

(キジ国王子)

天山南路に存在するクチャ地方には、五胡十六国時代には”キジ国(亀慈国)”が存在し大いに栄えた。その国の王子であった彼が若い頃にガンダーラに留学し、サンスクリットと仏典を勉強した。その後、中国の前秦に攻められ捕虜となり、辛酸の日々と破戒僧の道を強要されたそうだ。

晩年、中国において数多くの仏典を漢字に翻訳した。その多くは、現在の日本人に馴染みの経典となっている。
彼が、数奇な運命で破戒僧にさせられ、辛苦の人生を16年間も送った経験が独特の、宗教観を生み出したそうだ。単なる、翻訳ではなく彼の人生観が投影された哲学用語を創造した。

番組では、”色即是空 空即是色”の8文字は彼の創造であり、且つ、末法思想も彼の創造に依るところだそうだ。法華経、般若心経、等々多くの仏典の漢訳を残した。

番組では、鳩摩羅什の翻訳した仏典が中国、朝鮮半島、日本へと伝たわり、現在も精神的に影響を与えていると述べる。従い、シルクロードは単なる物品の交易路だけではなく”思想の道”であったと結論する。

唐王朝時代の三蔵法師がガンダーラから帰国し、仏典の翻訳を始めるまでは、鳩摩羅什の漢語仏典が教科書であったそうだ。

(法華経)

しかし、遥かタクラマカンの北側のオアシス育ちの王子の訳した、法華経が日本に伝わり、聖徳太子さまが法華経を講じ、最澄が天台宗にて妙法華経を講じ、日蓮へと思想が脈々と繋がった。

(石坂ナレーション)

今回は、鳩摩羅什の声を石坂さんが担当した、突然にテレビを観てると、アレ、昔の25年前のシルクロードの雰囲気になった。彼は抜群のナレータである。松平さんが下手と言ってるのではなく、アナウンサーはどうしても今まで客観的にテレビで喋っているので、ニュース番組か”その時歴史は動いた”という番組のイメージを抱いてしまう。

司馬さんの”街道をゆく”の番組をNHKが以前、放送していた。しかし、どうしても司馬節でなければ、語り難い。
司馬さんの作品はそういう意味で、難しい。

宮崎駿さんは毎回、作品の声優を変える。そして、専門の声優ではなく俳優を使ったりする。作品毎にイメージを固定しようとしている。そして、声優から他のイメージが湧いては作品が台無しになる。しかし、リスクもある。

私は、有名な俳優、例えば木村拓哉さんが声優をしても、宮崎駿さんのアニメ映画ではアニメの主人公になり、何時もの彼は思い浮かばない。これが、不思議である。

何れにせよ、今回の番組は良かった、石坂さんの鳩摩羅什は良かった。


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趣味の料理人 Jo

最近は、料理への興味がより強くなり、連休以降は殆ど我が家での料理は、私が担当している。
ともかく、主婦は長年、家族のための料理を毎日毎日と続けて来たわけで、30年もすれば、飽きるでしょうね。

そこで、男が晩年は嫁はんに代わり、料理を担当するのは如何でせうか?嫁はんに働きに出てもらい、男が家で主婦(夫?)を担当する。そして、才能が有れば”小説”を書く。もしくは、”絵”を描く。いやいや、音楽でもよろしいな~~。

(昨夜のメニュー)

昨日は長女のふうてん娘がブルゴーニュから仕事で日本に出張してきてるので、腕によりをかけて料理をした。

娘は肉類は食べないので、季節の野菜が中心でなければ、ならない。昼間に近くの馴染みの”路上八百屋”二件を物色し、季節の野菜を検分する。

殻に入ったグリーンピースが大きな袋に山ほど入り、100円である。これだな!さやえんどうも買う。八百屋の柄の悪い親爺が、しきりにイチゴを勧める、2箱で1箱の値段だと言う、孫の顔が浮かんだので、買う。

里芋は私の、一番の好物であり、煮物は天下一なので、これも買う。小さな人参も安いので買う。京菜もサラダで食べたい、山芋もサラダで食べたい、残りは、お好み焼きに入れれば無駄がないな~~と、主婦の思考方向にて買う。

(ところで、何の料理?)

いかん、料理のメニューを考えていなかった。とりあえず、自宅に買い占めた野菜を運び込み考える。

・ちらし寿司(関西ではバラ寿司と言う)

これは、定番なのと自信があるので、水に漬けて戻してある干しシイタケをベースにちらし寿司の具の煮物作りと里芋とニンジンの煮物の製作に着手する。昆布をいれ、先ず多量の出汁を製作することから始める。沸騰すると昆布を出し、鰹節を多量鍋に投入する、ここで貧乏根性をだしてはいけない。多量投入するのが秘訣である。

この昆布と鰹節はあとで、酒、砂糖、醤油で炒めれば美味しいから、無駄がない。

バラ寿司のネタの煮込み工程と里芋の煮物工程が並行してスタートさせる。出汁に干しシイタケの汁も混ぜ、日本酒を途中から多量に使用するのがコツである。味醂は最近使わない、日本酒を多量に使う事で凌いでいる。

お米を研いで、昆布を入れ、殻から取り出した豆を洗浄して釜に入れ炊飯を開始する。豆ゴハンと寿司飯のチャンポンである。

次に、私の母直伝の豆とさやえんどうの卵和えを作る。バラ寿司の表面にもさやえんどうを、短冊に切ったものをふりかけるので、先ずさやえんどうだけを、軽く熱湯に通過させる。

だし汁にシイタケの戻し汁を加え、豆を入れる、これはフライパンを使用する。そして、酒を入れ、砂糖を入れ、しばし沸騰させる。ころあいを見て、さやえんどうを投入する。そして、醤油を少しいれ塩をパラパラ。

とき卵を2個フライパンを廻しながら投入する。今日も出来が良さそうである。これは、子供の頃から母が私に作ってくれた逸品である。

そうそう、高野豆腐の製作もしておかないと、バラ寿司が美味くない。私は、高野豆腐が好きである。これは、簡単であり、出汁さえ良ければ美味しく煮込める。

(鯛の塩焼き)

野菜ばかりでは、イカンので、鯛の塩焼きを作る。鯛の胴体に十字紋を包丁で入れる。塩を多量ふりかけレンジで焼く。弱火でじっくりと焼く。

(金糸卵の製作)

これが、得意である。卵3個を割り、ボールで軽くかき混ぜ砂糖と少量の塩と薄口醤油をたらす。強火で一気に薄焼き卵をフライパンで仕上げる。油は少量でサラダオイルとゴマ油の混合を使用する。

3枚程度の薄焼き卵が出来るので、これを一枚ずつ丸めて包丁で裁断して行く。綺麗な金糸卵が出来上がる。

(冷奴の製作)

今日は、汁物は無しである、残念だが私以外はあまり、味噌汁を好まない家庭である。したがい、冷奴を作る。
ネギの微塵切りに生姜をすりおろす。

(結果)

大成功でしたね、娘は日頃は洋食(笑)なので、日本の伝統の料理は懐かしいはずである。彼女はハムとかチーズを土産で持参したが、今日は親爺の日本食で久しぶりの孫も入れた大宴会でした。

今回ノバラ寿司は豆御飯と寿司をチャンポンにした製作がJoのオリジナルという事ですね。これ、結構美味しいですよ。(自画自賛)


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東北、北海道を考える

昨夜は、自由が丘の八甲田の親爺に、狐の話で騙されたような気もしたが、調べると、やはり本当のようだ。

しかし、日本は広いのですね、特に関西文化圏に育ち、大和朝廷の歴史しか学んでいない人間には、蝦夷の東北、北海道の歴史について知識が乏しい。これを、大和中心史観というんでしょうかね。

(北海道南部、青森関連)

最近読んだ網野さんの”沈黙の中世”では、北の中世について多くを語っている。”化外の地””文化果つるところ”というイメージが自分にもあったが、実は知らないだけなのかも知れない。彼は、中世の時代において、東北北部から北海道南部にかけて、多くの”館(たて)”が存在した事からその歴史に迫っている。

海や、河川沼沢に面して築かれた城館跡からは、様々な遺構やおびただしい遺物が掘り出されている。鍛冶や鋳物師の工房跡、中国陶磁器をはじめ内外の焼き物、鉄器、漆器、古銭、等々の交易でもたらされた物が埋もれていた。

この地には、豊かな中世が営まれたいた証拠である。

館を紹介すると、函館の東に志苔館(しのり)、同じく函館の西には津軽海峡に面して茂別館、穏内館、松前と続き日本海に面して、勝山館が存在した。

青森には、十三湊、福島城、逢田大館、小館、尻八館、油川城、浪岡城と陸奥湾に面して遺構が残る。

(縄文時代)

縄文時代まで遡ると、東北、北海道は豊かな文明圏を築いていたと思います。青森の三内丸山遺跡を訪問した時に特にその気持ちを強くした。

三内丸山遺跡

縄文時代は大航海時代であった事を再認識した、多くの交易品が発掘されている。栽培技術まで存在した縄文の文明には今までの常識が覆った。歴史は継続しない、途切れることがあるのだ。

東北、北海道には我々が教科書で学んだ、大和中心の日本の歴史以外に、別の国の歴史が存在し且つ文明を誇ったと考えてもいいのではないでしょうか。

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狐の嫁入り

今日は、”アホーツク”のテツチャンと自由が丘で杯を傾けた。CIMG0003
食事のあと、何時もの”八甲田”の御夫婦のお店に顔をだした。八甲田

マスターは66歳である、八甲田山の近くで育った。奥様は函館であり、北海道、テツチャンと同じ国である。

先日の、源氏物語絵巻の復元番組でいたく感動した話をした。源氏物語15帖 蓬生(よもぎ)の場面である。
連日の雨の露が蓬生に残り、月光のもとでの源氏の見た光景について、”熱く”語った。

(狐の嫁入りの話)

マスター(清水清年氏)は突然に、狐の嫁入りの話を始めた。

北河内方面では狐の嫁入りは、日中の、にわか雨、の事を言う。狐の嫁入りだから、直ぐに雨は止むよと。
しかし、彼は思いもよらない話を始めた。

雨が止んだあと、山の麓の里から月光に照らされた、八甲田の山を眺めると斜めになった、いく筋かの光の行列が見える。月の動きと雲の動きでその光の行列は動いて行くそうです。

まるで、提灯行列が移動しているように見えるそうです。これが、”狐の嫁入り”だそうです。

なるほど、子供の頃から私は疑問を今まで抱き続けていた。なんで、昼間のにわか雨が狐の嫁入りか?とね。
私は、黒沢明監督の映画で、確か”狐の嫁入り”の場面を見たが、昼間の場面であった記憶がある。

皆さんの故郷では、どのように説明されていたでしょうか?今日は、本当に感動した。


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対潜哨戒機

同期のオフォーツクの哲ちゃんが、30年前の対潜哨戒機の事に触れている。懐かしいので、少し私も触れます。

当時、田中角栄内閣でした、日本の企業が総力を挙げて海防のシステムを作ろうとプロジェクトが開始された。
私も哲ちゃんもメンバーで選ばれ、対潜哨戒機のコンピュータシステムの開発を担当することになった。

しかし、残念ながら突然にプロジェクトは中止になった。

(当時の潜水艦探査システム)

基本的には現在、現役のP3Cオライオンの機能を実現しようとしていた。JMSDFの対潜哨戒機を参照下さい。

公開されているので、差しさわりがないレベルで30年前のシステムに触れたい。

・磁気探査

P3Cオライオンのお尻に長い棒が出てますね、之はアンテナです。海中を鉄の塊が移動すると地磁気が乱れます。このアンテナで地磁気に乱れが生じているかを検知するわけです。地球そのものが大きな磁性体ですから、南と北で磁力線がでています。こいつの中を鉄の塊が動くと磁気が乱れれます、これを感知するわけです。

・赤外線カメラ

海面を赤外線カメラで写すと、熱源に反応します。暗闇で人間とか動物のような熱をもつものは赤外線カメラで捉える事が出来ますね、同じ原理でスクリューの熱源に反応します。

・ソナーブイ投下

海水電池を搭載したソナーブイを投下します。幾種類も存在し、海面から海底の数メータ迄潜るソナーから幾種類ものソナーブイを投下し、次に爆薬を投下します。海中で爆発させると音波が発生し鉄の塊があると跳ね返りますね。これを、沢山投下したソナーブイがセンスするわけですね。

これで、鉄の塊の位置を特定できるわけです。

(座標軸移動の難しさ)

潜水艦は移動しているし、海流は移動しますので、ブイが流れます。海面上の流れと海面下では流れの速度が異なる。哨戒機も空間を移動しているので、収集データを飛行機が受けて基地局の大型コンピュータに伝送するがこれが難しい。

飛行機に搭載したコンピュータと基地局のコンピュータの機能分担の設計が難しいのですね。当時の飛行機に乗せるコンピュータは環境条件も悪くて、コアメモリの主記憶を使用していた。半導体が使えなかった。従い、主記憶容量が極端に小さく殆ど、現場では処理が出来なかった。

(平和の利用)

海難救助にも対潜哨戒機は利用された。悪天候の中で海難に遭遇した民間の船を探査するにも有効である。

もう、この対潜哨戒機も古くなったのでは、ないでしょうか。これからの対潜哨戒機はラジコン飛行機とラジコンヘリを利用して情報の分析が出来ないでしょうかね。電子機器の発達とGPSとかかなり30年前とは、技術環境が異なります。安価で性能が良い海防のシステムは夢が有ります。

日本はグルリと海に囲まれた列島です。海防は国の自主防衛にとっても大事な課題であると思います。

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40年前のラジコン飛行機

最近、コメントを頂くYsさんの写真集を、マイリストに掲載させて頂きました。(左サイドバーのお尻の方です)

当時の懐かしい、プロポや飛行機、エンジンを観ることが出来ます。結構、高価なものでしたね、どうりで貧乏な
学生には手が出せませんでした。

オールドタイマー機も現在、人気が有りまして回帰現象も有ります。ラジコン飛行機の原点ですね。

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時には昔の話を

確か数週間前に日本テレビは”紅の豚”のアニメ映画を地上波で放送していましたね。
実は、手元にこの映画の歌を歌われた、加藤登紀子さんの詩と宮崎駿さんの絵が織り成す本が有ります。

”時には昔の話を”

著者:加藤登紀子、宮崎駿 
徳間書店 1992年8月31日

時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみに探して
誰もが希望を託した
ゆれていた時代の熱い風に吹かれて
体中で瞬間を感じた
そうだね

道端で眠った事もあったね
何処にも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋に幾人もおしかけ
朝迄騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息が切れるまで 走った
そうだね

一枚残った写真をごらんよ
ひげずらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達も幾人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつずけているよね
どこかで

舞台はイタリアのムッソリーニが政権を握った時代、主人公は戦闘飛行艇の名手パイロット、歴戦の兵。しかし、戦闘場面で神のいたずらか、豚の顔にされてしまう。ポルコ・ロッソが主人公。

同じ時代を生きたジーナは戦闘飛行艇のパイロッツト3人と結婚し、全て死んでゆく。昔の戦闘飛行艇パイロットで仲間のポルコ・ロッソを愛する。顔は豚だけど、”昔”を知っている。今は賞金稼ぎである。

男と女の不思議な戦友の心を描いた作品であり、加藤登紀子の詩とカンツオーネがいい。酒場の愛嬌はあるが、芯がしっかりした”素晴らしい女”を歌で盛り上げた。

この作品は、駿さんと登紀子はんの息があった見事な作品として出来上がった、と、思う。作品の最後で流れるイラストが全て登紀子さんの多くの歌と一緒に収められた、珠玉の本になっている。

参考 サボイアS-21

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都の条件

日本の長い歴史において、都の条件は厳しく風水、四神思想に縛られて来た。そんな中で実は無視した政権もあった。しかし、不思議と短命で終わっているのは、不思議である。

(四神思想)

都を定める場合には厳しいルールが風水では決まっている。北には山がなければならない。玄武が守る世界である。蛇と亀が絡まった紋章で現される。西は道が通じていなければならない。白虎が守る世界である。

東には川が流れ、青竜が守る。南には朱雀が守る。北から吹き降ろす気は宮城近くの泉から吹き出る、そして
朱雀大路を南に流れ京の南門である朱雀門で塞がれ、又、気は逆戻りして都に気を充満させる。

東北東には鬼門があり、守る必要がる。邪気を払う必要あり。

これは、中国の思想である。北方騎馬民族に常に脅かされた漢民族の帝国は宮城を築くにあたり、長年の経験によりこのような思想がうまれたのではないでしょうか。

(平城京、平安京、鎌倉、江戸)

皆さんも御存知のように、これらの都は全て、風水により都が決まっている。そこで、ここからが、本日のメインテーマであります。

実は、国際貿易、貨幣経済という日本を切り開いた、優れた政権が歴史で誕生した。平清盛、織田信長、秀吉である、しかし、残念ながら短命で終わった。

清盛の福原、信長の安土、秀吉の大阪城、であります。

私は彼らは新しい時代を切り開いた、時代を切り開いた指導者であると考えている。共通して貨幣経済と国際貿易によるGDPをあげようとした。清盛などは、初めて物流と貨幣を流通させた訳です。信長は貨幣で家臣を雇った訳で、秀吉も物流の拠点として大阪城を選んだ。

しかし、これらの政権は長く続かなかった。

(貨幣は宇宙である)

話はそれるが、昔の銭は丸くて真ん中に四角い穴があいている。銭は天子のみが持つ権限であり、円は天空をあらわし、四角は地上をあらわす。天と地上を支配する天子の権限、これが、銭である。

皮肉な歴史である、銭を大事にして立国を志した政権が、長く続かず、四神思想に支配された政権と都が長くこの日本の歴史に残ったわけです。

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飛行機だらけになりそう

IMG_0396テッチャンからメールが来た。27~8年前に生地まで製作した、”サンデーアルファ”の機体を贈呈するとの話だ。ヨシオカのバルサキットから製作したもので、白いフィルムが被覆されている。懐かしい、今でも人気のある名機である。

しかし、よく今まで無事に保管されていたものである。テッチャンは結局ラジコン飛行機の操縦までは行かず、諦めた。残念である。しかし、飛行機はこのままでは可愛そうである。大空に飛ばしてあげないと成仏出来ない。

IMG_0394そんな訳でこの飛行機を譲り受ける事になった。OS25FXのエンジンを搭載して飛ばしてあげようと、思う。4サイクルの30エンジンもあるので、どちらでもいい。この飛行機にはこれから、カラーリングが必要なので、赤と黄色を使い綺麗な飛行機に仕上げましょう。

しかし、今週末には”スーパーチンプマンク”が船で到着したので、我が家に到着予定である。これで、10機目である。月末にはブルゴーニュのふうてん娘が帰国してくるので、飛行機をちゃんと整頓しなければ、マズイ。

何んせ、部屋のひとつの壁はこんな按配なんよね。2005_05090005この他に、ノーザンライト、ハミングバード、スプリースポーツ、電動機とあるんです。

さて、皆さんのゴールデンウィークは如何でしたでしょうか?

明日からは、又、頑張って下さい。


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2005年5月5日 千葉飛行会始末

遂に、連休の総決算である千葉フライト。さて、今日はどんなドラマが待ち受けているか?何かがあるのが、赤とんぼの伝統である。本日の、親爺どもの機体概略を紹介する。
わこちゃん、2005_05050010

米国製のキットから製作した、デルタ翼”FORCE ONE"。OS46FX三枚翼プッシャー 格好は何時もの通り素晴らしい。そして、セカンド機として、これも米国製のキットから製作した、07エンジン搭載のラダー機。2005_05050025


岩ちゃんは、引退されているので、毎日が日曜日。週に三回はフライトを楽しまれている。2005_05050056今日は、ヘリが”アミーゴ”と飛行機は、初登場の”カタナ”でOS FS52の4サイクル中型エンジンを搭載し、アクロバットに挑む。
カッチンは何時もの、スタント機”ストリーム25スポーツ”で派手な演技に挑戦する。2005_05050016

千葉の親爺と私は、既に連休とばしていた機体である。私は、”フラミンゴ”を大改造し、本日は雪辱を晴らす覚悟である。2005_05050024

(結論から言うと)

今日はわこちゃんの日になった。先ず、07エンジン搭載の飛行機も整備不良で赤とんぼ技術監視委員会の許可が下りず、全員総がかりで、修理と修復を行い、なんとか飛ばした。

問題は、デルタ翼機である。これも、技術的に問題だらけであった。巨大なエンジンが搭載されているのに、突然に始動中に三枚ペラが吹っ飛ぶ事故があったり、エンジン搭載ボルトが緩んでいたり、そこらじゅうに問題があった。

しかし、全員の総力で離陸できる状態にまでもって来た。離陸は二回目で成功したが、残念な結果が待っていた。2005_05050051先ず、三枚翼のピッチとサイズが小さいので、推力が出ない。エンジンは1万3千回転も出ていた、これは計測した。滑走路が狭く長いタキシングが必要で、速度をあげて離陸出来れば、良かったし、強烈な横風を受け速度がない状態でエルロンも効かない状態で姿勢を崩し、墜落大破した。

墜落といえば、岩ちゃんの”AMIGO"ヘリコプターも川の向こうの田圃に墜落した。

最後に、joの”フラミンゴ”は3回のフライトをしたが、最初から”完璧”でありました。素晴らしい、機体になった、3日のフライトからは、想像も出来ない位に完璧に機体はできあがった。4サイクルの音を響かせて、軽快な飛行を堪能した。難を言えば、エルロンの効きが少し、弱いので、調整する積りである。背面、ロール、ナイフエッジ、全て大丈夫である。

バレリーナも2回、優雅なフライトを披露した。これは、最高に出来上がった機体になった。

今日も楽しかった、岩ちゃん、ラジコン親爺、カトチャン、jo、ワコチャンの5人による飛行会だったが、殆どの時間を”わこちゃん”の機体の整備に時間をとられた半日であった。ホンマアンマ難しい機体を作るなよな!(笑)

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フラミンゴ大改造始まる

昨日の”フラミンゴ”初飛行は散々であった。幸い、無事に着陸はさせたが、反省の多い機体製作であった。

(キットの改造は難しい)

もともと、10から15のエンジン馬力を前提に設計された、機体のキットをFS30の4サイクルエンジンという重いエンジンを積載する事から、綿密な設計が必要であった。家内が言う、何で仕様通りのエンジンを搭載しないのか?
さすれば、問題が無いはずである!

ここからが、女と男の美の哲学の溝の話になる。我が友人のカッチンは15CVAという高性能2サイクルエンジンを搭載して、見事な機体”フラミンゴ”を製作した。私が、同じ機体を製作するにあたり、独自性を何処に発揮するか?ここが、男の勘所となる。

4サイクルは馬力が無い、けれど低速でのトルク力は抜群である。ホバリングも可能かも知れない。赤とんぼでは独自性が要求される。仲間で30年も飛行機をやっていて、人と同じでは駄目である。

結果は、散々で有りました。しかし、負け犬だけにはなりたくない。(笑)今更という声が聴こえそうだ。
昨日は帰宅し、直ぐに大改造にとりかかった。
2005_05040009見て下さい、この哀れな奮闘努力を。胴体の底をメチャメチャに穴をあけられた跡をバルサで塞ぎ、受信機の電池を胴体後方下部に箱を作り収納する工事を行う。

主翼のウィングボルトを取り付けていた、バルサとベニヤは取り外し、新たに、ベニヤを加工し、新規のウィングボルトの金具を使い主翼固定のシステムを開発する。(このボルトは過去のバレリーナのウイングボルトを使用)

此れまでの、改造工程は8時間を要した。小さな飛行機は製作が難しいのである。でかい飛行機は簡単なり。
オイルタンクは過去に使用したものを、流用していたが、調査すると不具合があった。15エンジンでは大丈夫でも30のエンジンではタンク内に強烈な圧力がかかり、タンクが膨らみオイルが漏れた。

新しいオイルタンクに交換し、搭載する。オイルタンクは以前にも記事にしましたが、一番に障害が発生し易い場所である。スタント機は空中でアクロバットな動作をするので、タンク内の給油パイプと錘が激しく振動し、給油パイプの先の錘が暴れる。

(源氏物語絵巻感動)

話は、昨夜のNHKの番組に飛ぶ、この番組は最初から全て観ている。絵を描いた職人の技量と文化的な教養の深さに感動する。単なる、技術屋だけでは駄目だ、背後の文化を深く愛さないと素晴らしい技術は開発されない。

雨が長く降り続いたあとの、月明かりの夜に朽ち果てた彼女の家を久しぶりに訪問する。15帖 蓬生(よもぎ)の場面である。末摘花の悲しい、資金援助が長く途絶え朽ち果てた彼女の庵を訪問する場面である。場面は雑草茂る庭である。

しかし、平安時代の絵巻物が現在よりも色が豊富で、心の中身を表現する美しさは我々、最近は見失っておらんでしょうか。何か、そんな気持ちになりましたね。

さて、明日は連休三度目の千葉遠征である。なんとしても、”フラミンゴ”はちゃんと、飛ばしたい。


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5月3日 フラミンゴ初飛行

今日は、朝から調子が悪い。携帯電話の話である。テッチャンから昨日メールが2通も来ていた。スマン携帯を
放置していました。所で、朝の6時頃に千葉のラジコン親爺に携帯で電話するが、通じない。メールは出来るが音声通信は出来ない。

自宅の固定電話で、連絡をとる。今から、茶漬け納豆を食って千葉に行くよ~~~と。(朝、茶漬けで納豆をかけて、漬物で飯を食うのが好きだ、時間があれば卵焼きを作る)

愛機、”フラミンゴFS30"を透明のプチプチで包んで、背中にリュックを担ぎ自転車で大倉山の駅に向かう。私が思うにラジコン飛行機をやる人間が車を持たないのは、多分全国広しといえど、私ぐらいではないか?不思議だ。

日比谷線で茅場町迄行き、東西線に乗り換えて、八千代緑台まで行く。携帯が使えないので、久しぶりに公衆電話を使用した。懐かしい、やはり、携帯が壊れる奴もいるんでしょうね、駅前に公衆電話が4台も有りました。

(フラミンゴ初飛行)

写真は、2005連休フライトとして、纏めてマイフォトに載せています。

先ず、重心位置が前過ぎるので、ラジコン親爺が鉛の板を二枚、胴体のお尻に貼りつけた。これでも、未だ前である。しかし、もう鉛が無いので、飛ばすしかない。

離陸成功する、機体が右に傾く、ラジコン親爺に頼んで送信機のエルロントリムを左に設定して貰う。私は機体を墜落させないように、操縦するので精一杯であり、トリムどころではない。なんとか、右旋回しながら飛行するが、ピッチングが激しい。(機体が波の上に載ってジェットコースターのように飛ぶ現象)

そうこうするうちに、エンストとなる。無事にエンストでも着陸は完璧であった。どうも、オイルタンクにも異常が有る様子であり、主翼を外そうとウングボルトを左に回しても、下のネジまで一緒に回り埒があかない。

遂に、下のボルトを固定するために胴体下部を破り、そこからドライバーを突っ込む。駄目である、ボルトの頭が壊れていて、ドライバーが刺さらない。今度はラジコン親爺が電気ドリルを持ち出し、ネジの頭に穴をあけようとする。
しかし、この、ラジコン親爺は何時も野原の真ん中迄、電気ドリルを持ち歩いている、不思議な親爺だ。

今度は、瞬間接着剤をネジの頭に落とし、固定する戦略にでた。これも失敗し、遂に諦める事にした。私は、主翼が胴体から離れない飛行機を抱えて、帰路についた。今日は、朝から何か、縁起が悪かった。

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菜の花の好きな親爺

最近、司馬遼太郎さんの編集者として長く文春で担当されていた、和田宏さん(筆名 賀川敦夫さん)が本を出された。

”司馬遼太郎という人” 和田宏  文春新書

10才年下であり、最初は古臭い、名前の司馬遼太郎という親爺をフランス文学を志した青年は戸惑った。
しかし、接するうちに人間的魅力に惹かれ、遂に人生の師とするようになった。

私は作家の私生活に近い部分を知りたくない、幸いこの本では私生活には触れていなかった。師について弟子が日頃の福田定一さんが語る事、旅路での想いで、日頃の世間の人との師の付き合い方、時に人生論、政治論、国家論、歴史観、等々に触れている。

面白かったエピソード

(司馬さん偽者神戸に出没)

ある時期に神戸の飲み屋に司馬さんの偽者が出没するように、なったらしい。知人の作家(藤本義一さん)が編集者に連絡を入れたらしい。和田さんは事実を確認し、司馬さんに電話で連絡を入れた、”司馬さんあなたの偽者が神戸の飲み屋で出没しています、如何致しますか?”

司馬さん曰く、”そいつは飲み屋さんに借金をしてるか?”と答える。”いいえ、借金は有りません。”と答えると、司馬さんは”そんならええがな、機嫌ようやってはんのさかい、ほっておきい”。

(地元には地元の秀才がおる)

司馬さんは、数学が苦手であった。残る教科である英語と国語でゼロ点の数学をかばーしなければならん。
綿密な計算をたてて、旧制弘前高等学校を受験する事になった。

司馬さんは、考えた、”夷蛮の地”、”僻遠の津軽弘前こそ人煙もすくなかろうと考えた”。
しかし、”地元はすでに王化滋く”見事に失敗された。数学が弱いのに、綿密なる計算が出来る筈が無いという笑い話である。

(政治家は嫌いだ)

司馬さんは政治家と一流企業の社長は嫌いでした。この関連のレポートが面白かった。どうしても対談せねばならず、世間も編集者も馬が合ったと安堵した場合でも、ホテルの玄関で相手の対談相手を見つけると、逃げる。

何か、その気持ちはわからんでも有りません。

(庭は雑木林)

司馬さんは、雑木林が好きであった。従い、庭には実をなる木もないし、美しい花も無い。ただ、雑木林風を好まれたそうだ。ただ、菜の花とタンポポは好きであったようだ。飾らない、一人で逞しく生きている草とか木が好きであったようだ。

(自分を点にする)

自分を面積も質量も無い、点のような存在にしないと物が見えて来ない。この作家スタイルは、戦争中の狭いオンボロ戦車の貯金箱の穴のような窓から、外界を覗いていた時まで記憶が遡るそうだ。

司馬さんは、奢る人、傍若無人な人、偉そうな人、嫌いでしたね。これは、関西風というか、関西の人には特有の風土ではないかと思います。

(司馬遼太郎由来)

”司馬遷 遼(はるか)なり”ここから、筆名が出来たそうです。司馬遷は遥か彼方にある、とてもの事遠く及ばない、という意味ですね。私は司馬さんがモンゴル平原で戦車で戦っておられた時に、遥か地平線に遼火を見たのではないか?と、考えていました。

しかし、この本は面白いです、是非、暇が出来れば読んでみては如何でしょうか。


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先輩達の便り

皆さんも昔の仲間とは、メールで仲間から連絡が来るのでは、ないでしょうか。

インターネットのお陰で随分と、便利になりましたね。大学時代のワンゲル仲間のメールも最近は活発です。

引退された話とか、例会の案内とか、ゴルフのお誘いとか、色々です。

(ニュージランドが熱い)

最近の連絡で、頻繁にレポートされるのが、ニュージランドの山歩きのレポートですね。
先輩諸氏が仲間でニュージランドのトレッキングをされている。素晴らしい、経験談と
詳細な山行日誌が報告される。

南半球ですから、季節は日本と逆になりますね。私も、行きたくなる衝動に駆られます。

同期の本岡さんは、今度シルクロードに行くそうだ。初めてはなさそうで、今度は引退もあるので、ゆっくりとプランを練っている様子。

そういえば、大学時代に山小屋を建設するかシルクロードの探検行をするか議論した。
結局は山小屋は、あとに残るので後輩の為にも山小屋建設に落ち着いた。

インターネットのお陰で随分と、60才以降の生活も変わりそうな気がする。昔の仲間と何時でも連絡がとれるし、近況が判る。まだまだホームページとかBlogを初めている
人は少ないが、これからは増えるのではないか?と、思うし増えて欲しい。

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