« 時には昔の話を | Main | 対潜哨戒機 »

40年前のラジコン飛行機

最近、コメントを頂くYsさんの写真集を、マイリストに掲載させて頂きました。(左サイドバーのお尻の方です)

当時の懐かしい、プロポや飛行機、エンジンを観ることが出来ます。結構、高価なものでしたね、どうりで貧乏な
学生には手が出せませんでした。

オールドタイマー機も現在、人気が有りまして回帰現象も有ります。ラジコン飛行機の原点ですね。

|

« 時には昔の話を | Main | 対潜哨戒機 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Joさん 
どうも ありがとうございます。
感謝感激です。
ところで、マイリストが見つからないのですが。
どこにあるのでしょう…… か?

Posted by: Ys | 2005.05.11 06:23 PM

Ysさん

本文にリンクを入れました。マイリストは左のサイドバーの
最後に有ります。

勝手に、載せまして申し訳有りません。しかし、ラジコン
ファンならば貴重なデータですので、皆さん喜ぶと思い
ました。

これからも、是非、昔の写真と資料を掲載下さい。

Posted by: jo | 2005.05.11 07:28 PM

ありがとうございます。
リンクは確認しました。
マイリストの表示は、こちらMacのためか、
見当たりませんね。

戦前のラジコン機の写真なども、
掲載したいと思います。

Posted by: Ys | 2005.05.11 09:07 PM

戦前ですか?

此れは又、楽しみです。

先ほど、木幡の家内の実家と私の姉の家の
事で話していたんですが、観月橋のすぐ傍
の宇治川で関西模型のラジコン飛行場がある
んですね。

今度、帰省したときに見学に行きます。

Posted by: jo | 2005.05.11 10:58 PM

三島通隆と云う方が戦前にラジコン機を飛ばしておられます。

この人はラジコン界の草分けと云われる方で、30年前ごろまで、沖さん達と一緒にラジコンを楽しんでおられました。
戦前の電波実験誌の切り抜きがあり、先程も探していたのですが、どこかに入り込んで不明です。
そのうち お目にかけます。

たしか、13MHzで、アマチュア無線のように 竿を立てて、アンテナを張り、機体はキャバリエと云う米国製の 翼長3メートル程のもの。イグニッションエンジンでした。
隣のページは、南方のジャングルで活躍する、通信兵の記事でした。(昭和18年頃)
このキャバリエと云う機体、KMAの ゴールデンエイジ&オールドタイマー春期大会(2004)でも登場しています。
 http://www.modelkma.org/

宇治川の関西模型飛行場は、出来て30年ほどになりますが、最近、国道1号線(枚方バイパス)の東側の 新堀川通りの延長工事で、飛行場のすぐ横を通ることになり、以前ほど使用されなくなりました。

Posted by: Ys | 2005.05.12 12:01 AM

観月橋

学生時代から何時も姉の木幡のお家に行く時は
中書島で宇治線に乗り換え、観月橋を通過して
六地蔵で降りていました。

まさか、観月橋の宇治川河川敷にラジコン飛行場
があるとは、知りませんでしたね。

早朝の6時頃でしたら、河川敷の何処でも小型の
ラジコンなら飛ばす事が出来ますね。

キャバリエという飛行機雑誌で拝見していました。
関西は結構、古い人が頑張っていますよね。
京都ラジコンクラブの会長さんなんかもね。

Posted by: jo | 2005.05.12 08:37 AM

関西模型飛行場はKMA(関西模型飛行機連合会)会長の大谷演慧さん達の尽力で出来たそうです。当初は勝手に飛ばしたりしておりました。
宇治川も木津川も、昔は何処でも飛ばせたのですが、最近は河原に入れなくしているため、飛ばせるところは少なくなりましたね。

桃山学園当時、私の兄は、六地蔵から電車に乗り、向島小学校へ通っておりました。
その頃は京都駅から中書島まで、市電が走っていましたね。

Posted by: Ys | 2005.05.12 09:35 AM

例の切り抜きが見つかりましたので、
先程 UPしておきました。
三島氏の設計のMM-13号機となっています。
キャバリエそっくりですが、キャバリエを参考に設計されたのか、キャバリエが同氏の設計なのか、定かでありません。

この三島通隆さんと同様に、戦前から模型航空に貢献された
北村小松さんと云う方がいました。古い模型愛好家の中では、
有名な方ですが、同時に作家、脚本家としても有名な方だそうです。(これは 今日知りました。)
彼の設計のブタ号と云うUコン機は、アメリカの雑誌にも
紹介されました。

Posted by: Ys | 2005.05.12 09:58 PM

しかし、貴重な資料を良く大事に保存されていましたね。
驚きました。

昭和18年のラジコンは真空管が載っていますね。いやはや
驚きです。私も一応ハムなので、無線のことは少しかじり
ました。

大変な手作りの時代ですね。それに比較して、今は何でも
金で手に入る時代。何か、違いますね。

園田官房長官がラジコン趣味だという事は昔、少し知識があり
ました。うれしそうに、飛行機を飛ばしておられますね。

貴重な資料、大事にこれからも保存して下さい。
有難う、御座いました。(これらは、40年前のラジコンで見れます)

Posted by: jo | 2005.05.12 10:43 PM

昭和37、8年頃でも まだ真空管式の送受信機がありました。
3A-5とか3S-4と云う小型の真空管や、ミニチュア管でしたが、徐々にオールトランジスタに変わっていきました。

当時は、機体内の配線も自分でやる必要があり、特にバッテリーは接触不良を嫌って、乾電池に直接ハンダ付けしていましたね。勿論ニッカドはありません。

Posted by: Ys | 2005.05.13 03:34 PM

主幹殿
突然の書込みをお許しください。
小生は横浜で旧日本軍の無線機材、電波兵器の保存、研究を目的とした「横浜旧軍無線通信資料館」を設立、運営しております土居と申します。
この度、三島通隆氏についてnet上を検索中、こちらのページに巡り会いました。

上記の様、現在小生は旧軍無線通信機材の保存に努めておりますが、生立ちはラジオ少年、模型少年であり、少年期には皆様と同様にゴム動力機を毎日のように作り、UコンやRCに強い憧れをもって育ちました。このため、模型航空に対する思入れから、一時期、戦前・戦中の国産模型エンジンや、初期のRCプロポの収集をしておりました。この折、当時はカルト産業の社長であられた故沖宏之氏より関連エンジン各種を譲り受けましたが、この中に三島通隆氏の有名なRC機、MM-13に搭載されていたOK-TWINEも含まれていました。
沖氏は三島氏を尊敬し、人生の師と仰ぎ、この関係でMM-13は後に沖氏に贈られましたが、機体は経年劣化により失われたとのことでした。
その後沖氏のご厚意で、三島氏のRC機に関わる写真アルバムも入手させて頂き、これらは現在も小生の大切なコレクションとなっております。

ところで、文中に元衆議院議員であられた故園田直氏に関わる記述があり感激しました。
偶然にも小生は先般、園田直氏が所蔵したRC送信機を入手し、本件に関わる書込みを当館のHP「掲示板」に行ったところです。
園田氏は元陸軍落下傘部隊の中隊長で、B-29の発進基地であるサイパン島アスリート飛行場への強行突入部隊の指揮官を任されていましたが、終戦により作戦は中止となりました。

最後に、文中にあるMM-13に関わる写真記事の出典は雑誌「無線と実験」第29巻、第3号(昭和17年3月号)で、巻頭の写真記事が「ビルマ戦線の密林・・・」で陸軍通信隊の運用状況、次項が見開きで三島氏とMM-13に関わる写真ですが、これらの元写真は前述の写真アルバムに含まれておりました。

Posted by: Takashi Doi | 2009.10.06 12:01 PM

主幹殿

以下に横浜旧軍無線通信資料館、掲示板のURLを添付しました。
ご迷惑でしたら、削除をお願いします。

http://www.yokohamaradiomuseum.com/cgi-bin/imgboard.cgi

Posted by: Takashi Doi | 2009.10.06 12:16 PM

土居 隆様 JA1STJ OMどの

 ご丁寧なコメント有難う御座います。ホームページを閲覧させて頂きました、戦前の軍関係の無線機に関する保存と収集と資料館の運営をされているのですね、素晴らしいと頭が下がります。

 実は、戦前のラジコン事情には友人のYS氏が詳しく私には殆ど知識が有りません、多分、YS氏は貴兄のホームページの掲示板で掲載された園田氏のプロポとか関連資料を見ると喜ぶと思います。

 戦前の軍関連の無線機は殆ど敗戦により米軍により破棄されたのでしょうね。僅かに残る資料を収集するのは大変な努力であると思います。

 当時はドイツとの軍事同盟により新しい技術はドイツから輸入されていた事も掲示板から推測出来ました。潜水艦に搭載されていた、対価の金塊は今も海に沈んでいるのでしょうか。

 私の父は戦時中は高射砲部隊に属したようですが、戦時中の話は殆ど聞いた事が有りませんでした。今も父が残したアルバムには騎馬から降りられた陛下の写真が残されています。

 私がお世話になった会社では社長が陸軍士官学校卒で隼に乗られていた山本卓真さんでした、常に背筋が通り毅然たる人であり、私欲が無い大人であり、雲の上の人でした。

 一度は、ラジコンで隼を作り、お見せしたいとは考えていましたがそれも叶わないでおります。これからも、頑張ってください。

 もう、QRTをして10年以上になります、有難うございました。

 JL1VZG,N6IHE(サンフランシスコで1982年春 免許取得)
 
  TKS OM 73

 

Posted by: jo | 2009.10.06 04:14 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 40年前のラジコン飛行機:

« 時には昔の話を | Main | 対潜哨戒機 »