« 東京大空襲 M69焼夷弾 | Main | 下北沢界隈 »

故郷の道

誰にでも思い出の、通いなれた道があると思います。嬉しかった時、悲しかった時、病気の時、土砂降りの時、炎天下の時・・・・・・。私にとり故郷の牧野駅から片鉾神社の杜を過ぎ葛神神社を過ぎ招堤村を過ぎ長尾村の王仁博士の場所に通じる道が心の故郷の道である。

(道の有難味)

私はこの道を大学を卒業するまで、歩いた。保育所の頃は姉の自転車に乗せて貰い通い、小学生の頃は小学校に通い、そして、大人の自転車を”となりのトトロ”に登場する小学生の男の子のように、サドルに乗れば足が届かないので、斜めに乗る。

道は考える時間であると思う。誰も何も考えずに歩きはしない。小一時間ほどを考えながら歩く。貴重な人間にものを考えさせる時間である。小学生の頃は悪い成績を貰った時は帰るの嫌だった。おのずと、歩みは遅くなる。言い訳を考えたり、あれやこれやと頭の中は駆け巡る。

幼児の頃には犬のメリーと家の前の道で夕方に兄弟が帰ってくるのを、待ち続ける。座り込んで、少しずつ暗くなり始める、当時は街灯が無いのでいきなり夕闇が迫る。遥か彼方の足音をメリーが聞き分ける、誰かが帰宅するんだと、嬉しくなる。

(土曜の楽しみ)

とりわけ、土曜日は父が帰るのが楽しみであった。竹の皮で包まれたお肉か長崎カステラを下げて、帰宅してくれた。これが、楽しかった。お肉の場合はすき焼きである。週に一度の豪華な食事である。

父は変わっていて、現役を引退するまでこの習性を続けられた。当時私は、大学受験中であったが、猛勉強していると、何時も長崎カステラなのである。他に無いものかと考えるが、明治生まれの父にとり、カステラが一番高級な菓子であったようだ。

土曜日の夜の食事は家族が揃い、6人の家族で楽しい時間が過ぎた。

(冬の夕方の家事)

冬の夕方は忙しい。私の仕事は、先ず炭を燃やしてその上に練炭を載せる。そして、家族6人分の豆炭を真っ赤になるまで、炭火で燃やす。そして、アンカの中に豆炭を入れる。オコタである。それを、布で巻き各自のお布団に入れる。そして、お風呂の薪をくべなければならない。五右衛門風呂でしたが、薪で燃やしていた。

母と私はこの家事仕事を何時も一緒にやっていた。4歳上の兄貴はあまり家事はやらなかった。竹のふいごでお風呂を焚いていたが、この時の経験がその後のワンゲルで役がたつ事になる。

(古代への夢)

この牧野と招堤村、葛葉村、交野村、長尾村、という領域は古代に栄えた場所である。私が古代史に興味を抱き始めたのは、高校生の時代からである。兄の友人が専門は土木工学であったが、古代史が好きでいつもボランテイアで古墳の発掘の測量担当で現場にでかけていた。

私の家が金持ちであれば、間違いなく私は大学は考古学を選んだと思う。しかし、今ではその後悔は無い。趣味で続ける事が出来るし、一生の間、すき放題勉強も出来る。しかも、今の考古学はむしろ理科系の人々が活躍している。これからは、海中考古学とか航空考古学とか益々に技術系が必要になっている。

私の故郷への思いは自分の過ごした時間軸だけでなく、古代にまで広がり素晴らしい世界である。

|

« 東京大空襲 M69焼夷弾 | Main | 下北沢界隈 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

JOさん、アマチュアだと、古代史を一生涯、好き放題に勉強できる、~この台詞はよいですね。

数日前、布団の中で数年前の理系考古学図書を読んでいて、前方後円墳が、円二つに、定規をあてるだけで完成するのを読んで、感動しました。(ただし、高さ、立体の設計はわかりません)
古代なら、棒と縄だけですね。

それにしても、招堤村のととろ的少年時代は、いつ読んでも飽きませんね。Joさんの宝ですぜ。

Posted by: Mu | 2005.03.14 05:33 AM

Muさん

前方後円墳は初期の箸墓古墳あたりの、バチを拡げたような形状から、帆立貝みたいな形状とか、時代とともに変化していますね。

コンパスと定規での縄張りの話は初見ですが、面白そうですね。今だにこの日本独自の墳墓、前方後円墳は世界の謎でありますね。

Posted by: jo | 2005.03.14 08:08 AM

電車の広告で、日能研の中学入試テストが出ているのー。邪馬台国は、九州北部にあった説、近畿地方にあった説。どちらかを選んで、その理由を書くと云うもの。ジョージは、どこにあったと思いますか?与那国の海底に遺跡があるのは、どぉー思いますか?おせーてー!

Posted by: シーラカンス | 2005.03.14 12:26 PM

 「通いなれた道!」なんかロマンチックな響きがする。哲には通い慣れた道はなかった。

 小学校低学年の時は、ドアの向こうに学校だった。小学校高学年から中学にかけては、学校は庭にあるようなもんだった。中学3年になったら、また、ドアの向こうが学校だったもんな~

 札幌の高校に行ったら、バス通学。下宿からバス停までは道と言えるほどの距離もなかった。

 Joさんには一日が始まる道、一日を反省する道、家族を迎える思い出の道があったのだ。羨ましい!

Posted by: テッチャン | 2005.03.14 12:51 PM

シーラカンスさん

邪馬台国論争ですね。最近の考古学での発掘は大和説が有利と思います。最古に近い箸墓古墳の近くのマキムク遺跡の発掘で、時代が過去の土器の編年法が100年古くなり、3世紀となりました。

従い、倭人伝の年代に近くなり、大和説が有利です。
(年輪年代法で発掘された木が3世紀だったんです)

沖縄の海中遺跡は面白いですね、琉球大学の理学部の先生が頑張っておられます。まだ、人工物か自然のものかは、学会で割れています。私は、遺跡であって欲しいですね。ロマンがあるからね。

Posted by: jo | 2005.03.14 10:08 PM

哲ちゃん

あなたには、素晴らしい狩りの道があったではないですか?ヤマメを釣りに行く道、山イチゴを採集に行く道、帆立貝を採集に行く道、・・・・ついでに、ヒグマの道もね。

哲ちゃんには、哲ちゃんの山菜採集、漁労の道があったではないですか。それこそ、素晴らしいと思います。

しかし、獣道はあまり考え事をして、歩いていると危険やね。そこがちゃうか?(笑)

Posted by: jo | 2005.03.14 10:15 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 故郷の道:

« 東京大空襲 M69焼夷弾 | Main | 下北沢界隈 »