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巡礼の旅について

私は母が亡くなった時に四国巡礼の88箇所の印鑑を頂いた着物を被せて、見送りました。姉二人にもこの巡礼の印鑑を頂いた着物を残した。

(ヨーロッパの巡礼)

私の長女が住んでいるフランスはブルゴーニュのベズレーから、千キロ離れたスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラ迄の長い古道(Camino)を人々は歩く。人々は長い杖にほたて貝のマークをつけて歩く。巡礼者を受け入れる場所にはほたて貝のマークがある。

中世にはペストが欧州を蹂躙し、多くの人々が死に絶えた。そんな、不安な世相でこの巡礼は始まったそうです。今は日本の若い女性も数多く、歩かれるそうです。私も一度は、一部分でも歩いてみたいと思います、欧州の田舎の古道であり、歴史の街道でもあります。

(四国の巡礼)

会社の同期会を数年前に、四国支社長をしていた大高さんが主催して、松山で開催してくれた。伊予松山は道後温泉である。宴会の翌日は彼が、3箇所の巡礼寺を案内してくれた。彼は巡礼しているそうである。私はお寺の傍の、みかん売り場で伊予みかんを購入して宅急便で自宅に郵送した。

空海の道である。

同行二人である。空海さんと自分である。手に持つ長い杖は道で行き倒れた時の墓標になる。日本の場合は終着駅は無い。勿論札所に番号はついている。しかし、サンチャゴ・デ・コンポステーラは存在しない。

(山の縦走)

私は学生時代に多い時は年間に100日は日本アルプスの山々を縦走していた。日本には山岳信仰というものがあり、私が巨大な荷物を担いで自宅を出るときに、母は拝んでいました。勿論、息子の無事を祈る心境もあったと思いますが、むしろ、修験者を祈るようにも思えました。

標高三千メーターの稜線をひたすら歩いていると、確かに段々と下界の娑婆の世界が忘れてくる。雲と、霧と、風と、雨と、岩肌だけの世界である。時折、雷鳥に出会うと”美味そうな奴やな~~”と、煩悩が生まれる。しかし、殆どが娑婆の世界から遮断された世界である。

空気も希薄であるので、論理明快とは行かないのである。私は信仰心が殆ど無い人間でありますが、論理回路が働かない世界では何故か、山は美しいとか、朝焼けが美しいとか、稜線を吹き抜ける風が気持ち良いとか、素直になれる。

私は巡礼とは、全てのものを捨てて、無我の境地になりたい、娑婆を捨てたい気持ちがそうさせるのではないか?その為にはやはり、辛苦の千キロ程度は歩いてもらわんと、あかんようにも思います。

肉体を痛めつけない、巡礼などはやはり存在しないのではないでしょうか。それで、救われる人々が世界共通で存在する事を歴史は証明している。

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Comments

 この文章を読んでいて、延暦寺でしたか、千日回峯行のテレビを思い出しました。

 確か普通のサラリーマンかなんかの人が、この荒行に挑戦されているドキュメンタリーでした。

 「巡礼」はそこまでは求められはしないでしょうが、「論理回路が働かない世界では何故か、山は美しいとか、朝焼けが美しいとか、稜線を吹き抜ける風が気持ち良いとか、素直になれる」・・・こんな気持ちをいつか味わってみたいな、と思いました(笑)。

Posted by: wd | 2005.03.04 08:36 AM

私も千日回峰の行の番組は観ました。

7年間で千日、地球一周する程度の距離の山道を走る。
密教の荒行ですね。日本の山岳信仰とうまく、合致しましたね。

義経の鞍馬山での修行もこれらの、比叡山と山岳宗教が混じった神秘の荒行だったんでしょうね。

ワンゲルの山の縦走は修行では有りませんが、危険とは何時も背中あわせの世界でした。

Posted by: jo | 2005.03.04 07:40 PM

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