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W杯 バーレーン戦観戦

今日は、ワールドカップの最終予選の天王山、バーレーン戦の埼玉スタジアム。ジーコと中田は崖っぷちである。
何としても、引き分けか勝って欲しい。

前半戦はゼロ対ゼロである。

サッカーは難しい。今日は中田は守りの要の役目であり、隙があればスルーパスを前線に送る役目である。何が何でも負けない試合の陣形である。所謂、ボランチの役目である。

攻撃の要は中村俊輔である。前回のイラン戦では中田と中村の役目が曖昧であった。今回ははっきりしている。中村が点をとる要であり、中田が防御から攻撃への要であり、最後のデイフェンスは男前の宮本である。

さて、前半戦では日本が優位である。相手のカウンター攻撃の芽を早い寄せで防いでいる。このまま、我慢すればチャンスが生まれると期待する。

(日本は勝つた)

オウンゴールではあるが、いいでしょう。サントスの活躍が目立つ試合でありました。だけど、中田はよくデフェンスをした。中村までイエローカードを貰う活躍した。このような地味な活躍が大事だ。

今日の布陣では小野がイエロー2枚で出れなかったが、彼も加われば最強のチームである。しかし、今日の殊勲はサントスである。イラン戦では参加できなかったのが、悔やまれる。

中田の姿は眩しい、中村も素晴らしい、高原も素晴らしい、鈴木はファールをとるのが上手い、彼らは海外の市場で頑張っている。グローバルな活躍をジーコは信頼している。この気持ちは出稼ぎ経験の無い人間には理解出来ない。

良かった、とにかく勝ち点は取れた。明日に繋がる試合でありました。

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2005 冬合宿始末記(2)

2005_03280014好評の写真を記事に掲載しました。顧客志向なので、早速に実行です。早朝に誰よりも早く起床し(単に年寄りで早く目が覚めるだけ?)山小屋の周りを散策するのが好きなのです。

早朝の岩岳の森は静寂で、鳥の鳴き声だけが聴こえ、風の流れと霧の佇まいが素晴らしい世界をかもし出している。歩いていると、木々の間から朝日が立ち昇り光を放ち命を感じる。

私は、学生時代に山で明け暮れた生活をした。山の上も山麓もどちらも好きだ。人の気配が嫌いである、自然の中でしょうもない人間である自分を置かせて貰う幸福が何より安心する。

(子供の頃の環境)

北河内の招堤村の外れで、人家からは遥か離れた場所で昼は母と犬と三人で生活していた。筍の缶詰工場であり、お茶の製造工場だから年に一度しか人々と接しない。何時もは、自然の中で育った。言葉も5歳迄は喋れなかったので、少し人間としては知恵が遅れていたのかも知れない。

少年時代からボーイスカウトに入り、中学からはワンゲル部に入り野山をさまよう生活が始まった。これが、大学時代迄続くのである。生きるために始めた仕事が面白く、その後はのめり込んでしまった。饒舌にもなった、英語を話しても饒舌になった。しかし、根は人間世界が嫌いで自然の中に静かに生活したい。

(岩ちゃんの昔話)

今回は4人という少数での合宿であり、30年間聴けなかった子供の頃の話を、管理人も、岩ちゃんも、ラジコン親爺も初めて開陳した。

4人位の生活ではこれが可能なのである。管理人の北海道はビバイという炭鉱町での子供時代の話、ラジコン親爺の岐阜の田舎での6人兄弟での貧乏な生活の話、岩ちゃんの資産家から破産して貧乏なドン底への転落の中でも楽しかった子供時代の話。真珠の輝きの話を初めて聴けた。

その中でも、岩ちゃんの子供時代の都市生活者の話は新鮮であった。東京の下町でのガキ大将生活の実態を初めて知り得た。貧乏人の子供がベー独楽を勝負で勝ち取ると、親まで出てきて彼が悪者になる。そんな、時代があったのだ。ただ、女の子のスカートをめくるのは彼が悪い。

(花粉症の管理人)

彼は今まで人と喧嘩をした事が無い。若い頃から、労働組合とか音協とか会社でのサークル活動の幹事として活躍し、蒲田の酒場の”早乙女”の息子同然の待遇で人の和を作るのに一生を捧げて来た。今は会社の重要幹部として経営にあたっているが、根底は働く人々の若い人々の為に何が出来るかを実践している。

これは、彼のビバイでの炭鉱町での生活が根底に常にあると感じている。人の苦しみを知らない人は上に立っても難しい。この優しさが最近の経営幹部には私を含めて乏しいと感じる。子供の頃を思い出すべきである。

(人に歴史あり)

今回の合宿は少数であるが故の素晴らしい、発見が沢山あった。30年も付き合いをしていても、初めて聴く話が多かった。これが、今回の合宿で私の得た成果である。人は素晴らしい歴史を持っている、簡単には知ることは出来ない。そしてより、深くお互いを理解し合える。赤とんぼは終わりが無い。

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2005 冬合宿始末記(1)

2005_032800342005_03280025急に雪の上で飛行機を飛ばしたくなり、赤とんぼは、冬合宿を強行した。2005年3月26日(土曜)より三日間開催された。この模様の写真は”2005 冬合宿”マイフォトに収録されている。

(初日は吹雪に見舞われる)

木崎湖、青木湖あたりから路面は雪に覆われ、吹雪の様相である。四輪駆動のスタッドレス・タイヤでも危険な走行となった。私は、三島駅で山小屋管理人の車に乗り、快晴で富士山を身近に眺めながら、朝霧高原を経由して鼻歌交じりで信州に入った、が、世界は真冬だった。

千葉から来た、暇なラジコン親爺と岩ちゃんの二人も真っ青である。山小屋管理人は30年間、この岩岳・白馬の山小屋のオーナーをしているが、この時期にこの積雪と吹雪は始めての経験だそうだ。

(飛行場偵察)

吹雪の中、佐野坂という長野オリンピックのクロスカントリー会場の場所を偵察する。1メータ以上の積雪で膝のくるぶし迄沈み込む。雪を踏み均し、飛行機を駐機する場所を作らねば飛行は出来ない。今日は、吹雪がひどく山小屋にひとまず、避難することにした。

(快晴のフライト日和)

あくる、日曜日は快晴の小春日和に恵まれる。4名は気合十分に昨日偵察した、飛行会場に出向く。しかし、会場近くのメイン道路でワゴン車が横転事故をしており、交通規制で、なんと、我々の飛行場の周りはスキー客の車が渋滞し、普段は誰も近ずかない場所が車で埋まっている。

これは、アカン、と諦め事故現場が回復される午後まで山小屋に引き返し、待機する。山小屋管理人は、さればと、スキーを履き、山小屋の前の岩岳スキー場のリフト乗り場に行ってしまった。

暇な親爺3人は、取り残され、千葉のラジコン親爺の水上機の整備を眺める。

(ラジコン親爺失態)

先ず、水上機の受信機を忘れて来た。又、サーボモータが動作しない。数週間前に、印旛沼でこの水上機を飛ばし、沼に墜落させたそうだ。その時にサーボに水が入り、電子部分をやられていたようだ。結局、この水上機は飛ばす事が出来ない結論となった。

この親爺は、合宿前に私に送信機を忘れるなとか、主翼を忘れるな、とか色々と指示していた当人である。ホンマ阿呆な親爺である。

(大破無し、無事成功)

私の水上機は垂直尾翼が、水面下に入る仕様であり、雪面の中に食い込む。従い、タキシングを雪面で行うと、尾翼の垂直舵が錨(いかり)の役目となり、飛行機が滑走する速度にブレーキをかける。且つ、機首が上を向こうとすると、つっかえ棒の役目をして迎え角を作れず浮力がでない、理論的に離陸出来ない事が判明した。(阿呆やね、考えれば判る話、やらねば判らん駄目な親爺ども)

ともかく、雪田で雪の上を走らせる遊びをして、最後は手投げで飛行させた。私がこの重い機体を投げ、ラジコン親爺が操縦した。じゃじゃ馬で危なく、離陸時に墜落しそうになるが、エンジンの馬力でなんとか、親爺は飛ばした。

管理人の20年前の”サンデーα”と同じく、20年前の骨董的送信機で無事、飛行出来た。ラジコン博物館から、持ち出したような、嘘のような、本当の出来事でした。物は、大事にしましょう。

今回の、結論は、雪の上での飛行会では大破がゼロになるという事実である。墜落しても、機体は衝撃を雪が吸収するので、傷がつかない。赤とんぼ、合宿では大破ゼロは始めての歴史的偉業であった。

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デザイン変わりました

え~~と、知らない間にデザインが変わりました。当blogの美術担当のわこちゃんが、気分が変わり、ミツバチ・ハッチにしてしまいました。

私は、コンテンツに責任を持ちますが、デザインはわこちゃんが担当しています。

何か、突然に頭がおかしくなった訳では、ありません。しかし、かわいい雰囲気になりました。記事もデザインに合わせて、書かねばならんでしょうか。

わこちゃん、それでは、初老の4人頑張ってきます。楽しいレポート期待していてください。

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冬合宿準備

2005_03240002冬合宿が迫った。雪の白馬・栂池である。山小屋”ちんぐるま”の廻りの状況は、先週のレポータの情報(玉ミミ)によれば、周りは雪で覆われているそうだ。

今回、参加者は少なく4名の予定である。三島の山小屋管理人と千葉のラジコン親爺と千葉の岩ちゃんそして、joである。今回の合宿は、突然企画が持ち上がり、決行することとなった。赤とんぼは何時も、このように突然企画が持ち上がり、突然決行される。

私は、写真の水上機を雪田で飛ばす予定である。佐野坂という長野オリンピックでクロスカントリーの現場となった、場所である。この飛行機は元々が水上で飛ばす飛行機である。しかし、今回は雪上で飛ばす。雪の質が問題であり、新雪かべた雪か、氷雪かで条件は異なる。

最悪は氷雪の場合である。多分この飛行機では離陸は操舵が効かず何処に飛んでゆくか判らない。しかし、この季節ではその条件にはならにであろうと、想定している。

千葉の親爺二人は、セミプロなので、何を飛ばすか楽しみで期待している。ヘリコプターも登場するかも知れない。

今回は、4人と少数なので、夜はゆっくりと話ができそうである。山小屋の前の温泉でのんびりと風呂に入り、美味いもんを自炊して、初老の4人で心行くまで、雪の夜を楽しみたい。

こんな生活を始めて、早や28年にもなる。同じメンバーでよく飽きないものだ。


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もののけパソコン 幻想

私は米国にいた頃の1982年時代のパソコンから、この23年の間に飛躍的に進化し、且つ、環境も使われ方も激変した。インターネットの普及と社会インフラでのファイバーの展開により、ネットワークによるコンピューテイングという事がかなり、面白くなるのではないか?と、思う。

(夜間での企業のパソコン)

パソコンというのは、個人の為にあるものである。しかし、性能の向上と外部記憶装置が大容量で安くなり、もはや昔のメインフレーム並である。このコンピュータが夜間はなにもせず、眠っている。貧乏性のjoとしては、勿体無いと考える。2000人の従業員の会社であれば、2000台の高性能パソコンが夜は、遊んでいる。

昼間も、席に居ない時は遊んでいる。そこで、joが考えたのは”もののけOS”である。

この”もののけOS”は会社の中のパソコンを常に監視し、稼働率の低いパソンの余裕のパワーと外部記憶装置の空きスペースを確保して、仕事を始める。多分に夜間は人がいないので、ふんだんにパソコンを使いまくる。

仮想的に巨大なコンピュータを動的に構築し、会社の基幹システムの一部を受け持ち、コストダウンを図る。この技術は今まで、色々あるようだが、例えばGRIDコンピューテングというのも、同じ方向であろう。しかし、分野が科学計算の分野とか未だビジネスの世界では端緒についたところであると認識している。

(社会レベル)

この考え方を、社会レベルに拡大すると、世界中のパソコンの暇な時間を借り受け、巨大なコンピュータの一部に組み込み、大きな仕事をさせることも可能である。地球シュミレータというものは、巨大なスーパーコンピュータである。しかし、ジャンルを変えて、色んな科学計算だけではない分野でもパソコンを繋いで巨大計算機にする事も可能な筈である。

100メガが家庭に入りました、この事が決定的にこのような、構想を夢想にさせない環境の出現ではないでしょうか。

近日中にふうてん翁と研究所の森田さんと会食がある、是非、お二人の意見を聴いてみたい。

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500番目の記事

遂に、500番目の記事になりました。昨年の3月に始めたので、1年での成果である。私は記事を書く速度が人並み外れて高速である。だから、間違いを沢山犯す。Muさん、ふうてん翁さんから数多く注意、指導、を受けて来た。

別に記念記事を書く積りはありません。今日は天気も良く、千葉に何時ものメンバーで飛行機を飛ばしに出かけた。
朝の6時30分にわこちゃんが迎えに来てくれた、かっちんをピックアップして8時に千葉飛行場に到着である。

本日の飛行会の模様は、マイフォトを参照して下さい。 2005/3/20 千葉飛行会

大岩さんも来られ、久々にヘリコプターを飛ばされた。今日は先月の飛行会で飛ばなかった、わこちゃんの2機の飛行機を総合力で飛ばす事となった。貨物機のようなでかい飛行機にOS 48サーパスという4サイクルエンジン搭載された飛行機と、水上機のフロートを外し4輪車に変貌した”アメンボー”みたいな変な飛行機、2機である。

わこちゃんの飛行機2機とも数多くの問題が存在したが、赤とんぼの総合力で解決し無事、大空に飛び立った。ここが、赤とんぼクラブの凄いところである。会社でもこのようなチームがいれば、安心して仕事を任せることが出来ると思う。(笑)

私は、まともな飛行機の在庫が乏しくなり、又、”バレリーナ”の製作を開始した。これで、3機目の飛行機となる。
今日も、岩ちゃんが”バレリーナ”を飛ばされたが、姿が美しい、惚れ惚れする飛行機である。

フライトの終わり頃に近くに住む、大学時代のワンゲルの同期の田中清さんが陣中見舞いに来た。昨年12月にリタイアして農業をしている。今度は、彼に会いに来てゆっくり話しをしたい。

写真の番外で、闘牛のTシャツはスペインはグラナダの土産である。2週間の旅を終えて、先日、家内と息子は帰国してきた。

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本橋さん ソウルに赴任する

2005_031900052005_03190004今日は、本橋さんがソウルに赴任するので、歓送会を自由が丘の”八甲田”で開催された。

参加者は、加藤、哲、永田、藤城、jo、本橋さん本人の6名である。(ママダ氏は風邪でダウン残念なり)

どうやら、単身赴任のようであるが、マンションは3LDKで20万/月程度のお家なので、我々が訪問しても宿泊が可能なようだ。もっぱら、何時ソウルに皆で押しかけるかの議論をした。

50歳の半ばで海外赴任も楽しそうである、会社生活の最後を海外で締めくくるのも、悪くはない。日本とは離れていないし、羽田から直ぐである。

哲ちゃんは、今日は盛り立て役を買い激励の歌を披露した。

楽しい、楽しい歓送会も無事終了した。多分に”道産子 哲 Blog”でもこの模様は記事が掲載される筈である。

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下北沢界隈

友人のふうてん親爺と待ち合わせる場所は、殆ど下北沢である。およそ、親爺どもとは無関係な若者の世界である。

(待ち合わせは北口)

何時の間にか、北口で待ち合わせる習慣が出来てしまった。昔はこの北口の前に酒屋があり、暇な時間にはワインの物色をしていた。今は、時代ですね、コンビニに変貌した。

ここから、4~5分の距離の所に素敵な地下のレストラン&バーがある。ここで、何時も先ずビールとワインを飲み少し、小腹の足しをして歓談する。周りは、若者と中年の女性陣ばかりである。そこで、場にそぐわない初老の二人は飲んでいる。先日は蝦夷地の哲ちゃんも参加していた。

(劇団の街)

古くからの知人に劇団”京”の代表をされている人がいる。以前、ふうてん翁とスタジオを表敬訪問した記録がある。その他、”本多劇場”とか、色々ある。路地は狭く、元気な若者達で満ち溢れた元気な街だ。

(めるか~と) 原文では:メルカトーレと間違い表記しました

ふうてん親爺が好きなレストランがイタリアンの”メルカトール”(名前は多分この名前と思うが不確かである)である。
注:間違いでした、本当は”めるか~と”でした。
店の二階からは、大きなイタリアの国旗が出ているので判りやすい。隣がたこ焼き屋というのが、下北沢らしい。

ここのマスターとふうてん翁は仲が良い。いつもニコニコして、客が来る前に早い時間に訪れ会話を楽しむ。これが、ふうてん翁の流儀である。軽くビールを一杯飲んで、次はワインである。元気な時は白のボトルを飲むが最近はグラスの白ワインを飲み、赤のボトルを注文する。

マスターはふうてん翁のワイン好きを熟知しており、安くて美味いワインボトルを出す。最初の料理は必ず、ペペロンチーノから始める。この料理は簡単で且つ一番難しいスパゲッテイの料理だ。唐辛子とニンニクとオリーブ・オイルだけの素材で塩加減と胡椒で如何に美味いスパゲッテイを作るか。

私は、観測するにふうてん翁は先ずシェフに緊張をさせて、今日の晩餐会の開会を告げる。そんな気持ちではないかと、私は何時も観測している。joは週末はシェフである、このペペロンチーノだけは、今まで上手に出来た事はない。

(イタリア料理について)

イタリア8日間の旅を家族でした事があるが、日本人の好みに合う料理が多い。地中海の豊富な魚貝類が中心であり、それにローマ帝国という文化文明を築いた国であるので、料理は奥が深い。およそ、文化文明の歴史の無い国では料理が貧相である。

イタリアンの要はオリーブオイルとトマトである。オリーブオイルだけは、ピンキリであり高級なものは実に値段がはる。ふうてん翁はあまりトマトを食されないので、何時も季節の魚貝類の注文となる。

三陸の岩牡蠣とか白子がお好きであり、季節には必ず注文する。私はいつもこのレストランで料理の勉強をする。シェフが大きな分厚い鉄板の上で料理をする。イタリアンは鉄板料理である。この分厚い鉄板が無ければ、出来ない。

イタリアという国は訪問して初めて知ったが、彼らにはイタリアというひとつの国の意識が殆ど無い事実である。これは、衝撃でありました。都市国家だったわけで、フィレンチェ、パルマ、ベネッチア、ローマ、等々と昔の日本の幕藩体制下の諸国の感じである。だから、セリエAではクラブ同士の戦いが激しく、ホームでの応援は凄まじい。

(国と料理)

世界の各国の料理を楽しむ時には、やはりその国の自然環境と歴史を知らねば、本当に理解することは出来ないと思う。昔、中華料理屋にゆくと何で何時も巨大な中華鍋で凄まじい火炎の中で料理するんやろ?と不思議でしたね。
ひとつの中華鍋で全てを製造する、素晴らしいシステム。

中華は火炎の料理、日本料理は刀の料理ですね。切れ味鋭い刀で魚肉を引いて切る。細胞を壊さずに生かした料理を作る芸術。中国人は中華鍋を背負い料理修行へ、日本人は包丁一本さらしに巻いて料理修行。

そこで、判らんのが大英帝国である。七つの海を支配し、産業革命を起し、かの日露戦争ではバルチック艦隊との戦いでご恩のある大英帝国の料理が判らない。

かつて、ロンドンにて地元に人にロンドンで一番美味いものを食わせてくれと、頼んだ事がある。連れてゆかれたのはインド料理屋でありました。そうか、昔、インドは英国の植民地でありましたな~~と、複雑な気持ちでしたね。

そして、ふうてん翁と二人で、英国から出張してきたビジネスマンと食事をした時の話であるが、彼はこう言いましたね。英国の料理で一番はシチューであると。一週間ほどゴトゴト煮込んだ田舎料理のシチューが世界一であると。

何れにせよ、酒と料理は文化であり、その国の自然環境と歴史と文化レベルに相関しているのでしょうね。


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故郷の道

誰にでも思い出の、通いなれた道があると思います。嬉しかった時、悲しかった時、病気の時、土砂降りの時、炎天下の時・・・・・・。私にとり故郷の牧野駅から片鉾神社の杜を過ぎ葛神神社を過ぎ招堤村を過ぎ長尾村の王仁博士の場所に通じる道が心の故郷の道である。

(道の有難味)

私はこの道を大学を卒業するまで、歩いた。保育所の頃は姉の自転車に乗せて貰い通い、小学生の頃は小学校に通い、そして、大人の自転車を”となりのトトロ”に登場する小学生の男の子のように、サドルに乗れば足が届かないので、斜めに乗る。

道は考える時間であると思う。誰も何も考えずに歩きはしない。小一時間ほどを考えながら歩く。貴重な人間にものを考えさせる時間である。小学生の頃は悪い成績を貰った時は帰るの嫌だった。おのずと、歩みは遅くなる。言い訳を考えたり、あれやこれやと頭の中は駆け巡る。

幼児の頃には犬のメリーと家の前の道で夕方に兄弟が帰ってくるのを、待ち続ける。座り込んで、少しずつ暗くなり始める、当時は街灯が無いのでいきなり夕闇が迫る。遥か彼方の足音をメリーが聞き分ける、誰かが帰宅するんだと、嬉しくなる。

(土曜の楽しみ)

とりわけ、土曜日は父が帰るのが楽しみであった。竹の皮で包まれたお肉か長崎カステラを下げて、帰宅してくれた。これが、楽しかった。お肉の場合はすき焼きである。週に一度の豪華な食事である。

父は変わっていて、現役を引退するまでこの習性を続けられた。当時私は、大学受験中であったが、猛勉強していると、何時も長崎カステラなのである。他に無いものかと考えるが、明治生まれの父にとり、カステラが一番高級な菓子であったようだ。

土曜日の夜の食事は家族が揃い、6人の家族で楽しい時間が過ぎた。

(冬の夕方の家事)

冬の夕方は忙しい。私の仕事は、先ず炭を燃やしてその上に練炭を載せる。そして、家族6人分の豆炭を真っ赤になるまで、炭火で燃やす。そして、アンカの中に豆炭を入れる。オコタである。それを、布で巻き各自のお布団に入れる。そして、お風呂の薪をくべなければならない。五右衛門風呂でしたが、薪で燃やしていた。

母と私はこの家事仕事を何時も一緒にやっていた。4歳上の兄貴はあまり家事はやらなかった。竹のふいごでお風呂を焚いていたが、この時の経験がその後のワンゲルで役がたつ事になる。

(古代への夢)

この牧野と招堤村、葛葉村、交野村、長尾村、という領域は古代に栄えた場所である。私が古代史に興味を抱き始めたのは、高校生の時代からである。兄の友人が専門は土木工学であったが、古代史が好きでいつもボランテイアで古墳の発掘の測量担当で現場にでかけていた。

私の家が金持ちであれば、間違いなく私は大学は考古学を選んだと思う。しかし、今ではその後悔は無い。趣味で続ける事が出来るし、一生の間、すき放題勉強も出来る。しかも、今の考古学はむしろ理科系の人々が活躍している。これからは、海中考古学とか航空考古学とか益々に技術系が必要になっている。

私の故郷への思いは自分の過ごした時間軸だけでなく、古代にまで広がり素晴らしい世界である。

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東京大空襲 M69焼夷弾

先日NHKの番組で東京大空襲の番組があった。正直こんなむごい戦争のやり方は国際法に触れないのか?と正直に感じた。東京だけでなく、日本の主要都市をアメリカはこのM69焼夷弾(しょういだん)で攻撃した。

(東京下町の惨劇)

一晩に米軍はB29爆撃機を300機投入し、特定区域である下町を火の海にした。何本もの筒を束ね、中にはナフサと椰子油で混合したゼリー状の油を詰め、地上近くで爆発させて数十本の円筒状の火の筒を木造家屋の屋根を突き破り家の中から燃やす。

一晩で10万人が焼き殺された。東京の下町は火の海となり、激しい上昇気流と下降気流が発生した。B29のパイロットの証言では凄まじい、乱気流に遭遇し正確な爆弾投下が出来なかったそうだ。下降気流は火の海を広げ熱風で多くの下町の老人、子供を含む市民を皆殺しにした。

戦争は悲惨である、しかし、原爆の問題とこの焼夷弾による無差別の市民の皆殺し戦術は歴史上本来は国際的に裁判をするべきではないのか?と、思う。敗戦国は何も言えないのか?疑問である。

(戦争というおろかな行為)

現在でも地球上ではいたる所で戦争が絶えない。幸い日本ではこの東京大空襲から約60年間戦争のない平和な時代を過ごすことが出来た。私の母も弟とその家族をこの空襲で失った。戦後は捜し尽くした、しかし、遂には見つける事と生存を確認出来なかった。

アメリカはベトナム戦争においても、この焼夷弾の進化した爆弾を作り、ベトナムの森と町とベトナム人を焼き尽くした。そして、戦争に失敗して多くの代償と汚点を歴史に残したのがアメリカである。西海岸には多くのベトナム人を受け入れた場所がある。

戦争をして幸せが訪れた歴史は存在しない。なのに、武力で解決をしてしまう人間が情けないと思う。

(縄文時代は戦争が無い)

佐原真(さはらまこと)さんという、考古学者であり国立歴史民族博物館の館長をされていた人ですが、縄文時代には戦争が存在しなかった、と述べておられた。鏃(ヤジリ)の研究とか武器の研究により縄文時代の武器では人を殺せないそうである。

彼の説は、農耕の発明と宗教の発明により戦争社会が訪れたと結論されていた。

話は唐突になるが、戦争はザリガニと同じで共食い行為である。なんとか、共存できる道が無いものだろうか。知恵がないのかと思う。今、東アジアでは危険な兆候が沢山存在する。知恵をだしあい、共存の道を探らねば本当に又、悲惨な世界が待ち受けている。

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日本の現状 大きな踊り場(2)

企業について考えてみましょう。私達が馴染み深いのは株式会社である。

(株式会社のルーツ)

東インド会社にルーツを求める説が有力である。船を建造する、そして貿易の品を用意する必要がある。その為には資金が必要になる、そこで株式を発行した。リクスの多い投資である、しかし無事航海が終わり船が帰国した時には膨大な利益が生じる。

これが、現在の会計の決算という概念である。現在の企業は3ヶ月とか半期とか年度決算と呼んでいる決算はこの、航海の終わりを踏まえている。この頃は数年を必要としたであろう、過去の決算は今や月次決算、忙しい企業は月次決算である。

以前、私の会社のお客様である有名企業を訪問させて頂いた時に、部屋にはガラスのケースに守られた大きな分厚い総勘定元帳が飾ってありました。確か1900年の年号でありました。坂本竜馬の海援隊を受け継いだ、多分、日本では一番古い株式会社でしょうね。

(ベンチャーのルーツ)

私がシリコンバレーに赴任した1982年には既に、ベンチャーがシリコンバレーでは雨後の竹の子のように存在した。
ベンチャーに関しては、当時、富士通の鵜飼氏より何回も講義を受けた。彼はNHKのプロジェクトXでも登場したが、アムダール氏と池田敏雄の指揮下でベンチャー企業の”AMDAHL”を創設サポートをしていた。

鵜飼氏は多くのベンチャー企業に関する論文を残されており、特に、起業家に関する論文は素晴らしい。書かれた年代は1970年代である。コンピュータの方式設計の世界のトップクラスである技術者が米国のベンチャーと起業家に興味を抱いていた。今でも読み返せば素晴らしい、現在も通じる論文である。

スタンフォード大学の位置するパルアルトに最初にHP(ヒューレットパッカード)のベンチャーが生まれた。輝かしいベンチャー企業群の草分けの誕生である。その後、企業群は南下して今のサンノゼまで広まってしまった。

アメリカを支える電子工業と通信工業そしてソフト産業はここに開花した。凄まじいベンチャー企業のエネルギーが渦巻き、東海岸のボストン工業地帯を蹴落とした。勿論ボストンのルート128の連中も頑張ったが、この西海岸のシリコンバレーの勃興の若い力の前では太刀打ち出来なかった。

(技術のベンチャー)

私が赴任した時代のベンチャー企業は殆どが、技術系のベンチャーでした。資本投入を持ちかけられた企業に対して富士通とのパイプ役を数多く手がけた。この時にアドバスをくれたのは鵜飼氏と古河氏でした。

例えば、SGI(シリコングラフィック)の草創期の頃、会社を訪問して開発途上のマシーンの説明を富士通の吉岡氏と受ける。吉岡氏は当時、富士通の本体事業部の親玉でした。ORACLEからは、資本の投入を求められ、訪問する。

当時富士通はアムダールのベンチャー企業を支援して、成功しており米国のベンチャー企業からは、理解ある企業として認められていた。特にコンピュータ、半導体、磁気装置の分野では富士通は多くの米国ベンチャー企業を支援した。

殆どが技術系のベンチャーであり、起業家は技術系の人間であり、夢を語り楽しい未来を語り合った。技術で勝負するのが当時のベンチャーでしたね。私は、忘れてはならないのは、光り輝く技術をベースに起業家が生まれる風土が好きです。最近の、日本の起業家を見てると、目立つ人は金融起業家のような気がする。

(優良企業を創り出す風土)

日本が決定的に米国より不利にあるのは、ベンチャー企業を生み出す風土と支援システムの欠如であると思う。企業は競争の世界にあり、しかも世界を相手に戦う宿命にある。次々と、若い新しい企業を生み出さねば、明日の国は存在しない。起業家が一度の失敗で生涯立ち直れないような風土では、明日の国のかたちは無い。

日本の踊り場の10年は賞味期限の切れた会社を守りすぎたのでは、ないでしょうか。多分に米国人の目からは不思議に見えるでしょうね。企業には賞味期限が存在する。

私は日本の踊り場から、新しい階段を創造してゆく連中と仕事をしたいし、自分も何が出来るのか、これからも考えてゆきたい。


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日本の現状 大きな踊り場(1)

最近、ふうてん親爺からメールを頂いた、彼は現状の日本と自分の事も重ね合わせ”大きな踊り場”と表現していた。登るべき階段を見出せないでいる日本と個人の心の問題である。

この問題は軽軽しく取り扱える問題ではない。これからの日本の行く末と個人の希望との重大事項である。しかし、古代史とラジコンでblogを済ませていては、いけないかも知れない。少しは、真面目な問題に取り組んでみたい。

(最近の受賞文学作品)

先日NHKのクローズアップ現代の番組で若者が次々と文学賞を受賞している現状とその背景について報道されていた。私は文学については、残念ながら見識を語れるほどの素養も才能もありません。しかし、時代を一番感じてそして、これからの世界を切り込んで行くのが文学の世界ではないか、そんな感性の優れた恵まれた天才が活躍する世界であると考えている。

番組によれば、若者は今、目標が存在しない時代であるという。昔は文学の世界では巨匠が存在した、如何に巨匠の壁を打ち破るか?邁進した。今はその壁も存在しない。そして、日本の行く末も見えない。精神的に不安の海の中で浮遊している。

若者は携帯電話のメール手法とか、アニメとか身の周りの手法を使い大胆に表現して行く。これが、若者に活字の世界を普及させる威力を持つ。最近の出版業界は深刻な不況であり、若者が活字離れしているのを、文学賞を受賞する若者が歯止めをかけている。

携帯電話のメールで使用されている、若者の文章は時折テレビで紹介されるが、私は判読不能である。これは、昔の女子生徒がポケベルで数字だけで、伝達していた世界に近い。(ハムの電信の世界)

この現状を見ると、平安時代での女性のひらがなによる文学の勃興を思い起します。漢文の決まりきった男の世界では、自由な表現が出来ない。女性がひらがなにより、新しい世界を切り開いた。今、携帯電話とかパソコンのメールでの自由な幅の広い表現手法を創り出し、挑戦している。

先の見えない踊り場では、色んな階段を創造してゆく時代が今後続く。しかし、私の好きな文学の世界の階段としては、新しい世界を描いていても、忘れていけないのは、その世界を支える古代の精神世界である。森鴎外でもいくら西洋の世界を描きながら実は、精神世界は古代の日本の説話の世界とか、しっかりした土台があった。

私はロンドンで悩んだ漱石の気持ちが少しはわかる。西洋の歴史と日本の歴史は精神世界では異なる。しかし、壁にぶち当たらない限り、本当の悩みは生まれない。

私は日本の若者が従来の漢字とかひらがなとか文字の世界だけでなく、マルチメデイアを駆使して新しい日本の文学を創造してゆく世界を夢見ている。しかし、である、一番肝心なのはDNAである。2000年の日本の心の美を忘れては一時のうたかたで終わる。

(経済という文明の世界)

最近は企業買収で世間は騒がしい、しかし、こんな話は昔から米国では日常茶飯事の出来事であり、買収される側も油断があっただけの話である。

以前にBlog記事を書きましたが、これからの課題は企業と国家とさまよえる資本の関係です。企業は生命体であり限りない増殖を求める、国境は存在しない。企業は国が統治出来ない存在である。もう一つ、厄介なのが国際的に利潤を求めて動く資本である。

これからの構図は企業と国家と国際資本の三すくみで物語は進んで行く。

先ず国家から考えましょう。現在は世界で国家は概略4個+その他しか存在しない。4個とは新ローマ帝国のEUと米国、日本、そして中国である。ロシアには申し訳ないが、もはや経済力の観点でも政治的にも過去の国である。

日本は米国の傘下にあり、正確には3国と表現した方が正しい。EUと米国、中国の三カ国である。この世界環境で日本が最大の国益を上げる戦略が必要になる。そこで、昔と環境が激変してるのは企業が国家の配下でない事である。多分に日本の国際企業数社により海外輸出の殆どを占める状況である。

私の持論は以前記事にしたが、”津ツ浦々連邦構想”である。海の民の連合連邦経済軍事安全保障グループの形成である。韓国、日本、長江文明圏、ASEAN、英国の連合連邦経済安全保障国家である。これぐらいの構想を持たねば21世紀以降は難しい。

・・・・・・続く・・・・・・・

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冬合宿について

赤とんぼのクラブでは、突然に冬合宿の企画が持ち上がり、敢行することが決まった。世間では、もう春が来る御時世ですが、赤とんぼの世界では、冬合宿だそうだ。

(冬の定義)

信州は白馬・岩岳・栂池方面では3月末といえど、雪に覆われている。スキー場ではまだスキー客が楽しんでいる。
飛行機を飛ばしたり、ヘリコプターを飛ばし、スキーを得意とする赤とんぼのメンバーにとり、雪が存在する事事態が冬という定義であるようだ。

(雪の飛行機)

今回の飛行場は長野オリンピックのクロスカントリーの舞台になった、佐野坂での飛行となる。雪田地帯である。
飛行機は全て、水上機の仕様にしてフロートを付けて、雪の中から飛行機を滑走させて離陸させる。

この季節ではザラメの可能性もあり、雪質が問題である。パウダースノーであれば、問題ないがザラメ雪では、氷の上の滑走するので、離陸が難しそうである。

しかし、新雪の雪の地面から雪を吹き飛ばしながら、飛行機が離陸して、遥か後立山連峰を目指して飛んでゆく飛行機は、美しいと思う。車輪の代わりに、フロートをつけて飛び立つ。考えただけで美しい。

(着陸が難しい)

問題は、着陸である。雪田に着陸させる場合は地平線がはっきりしない。アバウトである。私の場合に想定されるのは、雪の中に潜り込む危険である。この場合は捜索が極めて困難になる。場所が判らん。私の飛行機は何処に消えたか?

ワンゲル時代に山スキーを経験している。新雪のスキーは難しい。40キロの荷物を担いでシールを外して、スキーをするが、幾ら後ろ加重でスキーを操作しても潜り込む。ズブズブズブ・・・・・と、気がつくと全身が雪の中である。

多分に飛行機が雪田に着陸する時はその、危険が大きい。且つ、少しでも傾いて着陸すると完璧に雪の中に埋もれてしまう。

(雪山の思い出)

この季節にワンゲル時代には山に登った。テントは夏用では駄目であり、かまぼこ型の二重のテントが必要である。雪の中で設営するので、強烈な風と零下の世界で生活が必要である。オフォーツクで育った人には負けるけど、これも楽しい。

お餅をバターで焼いて食べるのが、美味しいのだ。とにかく、エネルギーを補給しないと雪に負ける。雪の塊をコッフェルにつぎ込んで水を作るが、効率が悪い。カマボコテントの外は強烈な風が吹く。幸せな、テントの中である。

スキーの板にはシールをつける。動物の毛皮であり、逆戻りしないので、坂道を上るのに便利である。皆さんは雪山賛歌を御存知か? シール外して、パイプの煙~~~。 これは、山を登りきり、頂上に達したので、もはや、シールは必要ないんですね。あとは、下るだけ。だから、一服するんです、パイプを吸いながら休憩なんですね。

ともかく、3月下旬に冬合宿が敢行されます、どんな結果が出るでしょうか? 楽しみですね。


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海外在住者の会合

Cimg0002Cimg0001先日、面白いメンバでの会合があった。4名の会合である。新宿のとある鮨屋での集まりでした。非常に面白い話が沢山聴く事が出来た。特に中国についてである。

(メンバ紹介)

・Mさん: 海外、特にオーストラリアでの仕事を若い頃に行ない、私は彼と数回シドニー、キャンベラに出張ベースで御一緒した。何時も明るく、前向きで、熱血マメタンクと私はアダナをつけていた。その後、主戦場を中国に移し、上海、北京、西安を中心に8年間、中国に駐在し社長をしていた。

・Sさん: 昔の部下でMさんJoの三人で一時期、豪州のビジネスをしていた事がある。その後、米国のシリコンバレーに8年位は駐在し、その後は英国に移り現在はロンドンで活躍中である。パソコン、ソフトに関わる海外子会社の経営にあたる。

・Sさんの兄貴: 私と同期であるらしい、某大手、生命保険の会社に長く勤め特に香港、中国でのビジネスを中国でされた。今は早期退社をされ、夜間の大学院に通い修士をとり異なる仕事に挑戦中である。中国語が得意である。

(人脈と金)

中国でのビジネスでは人脈と金がセットにならねば、うまく行かないそうだ。中国人は人脈で仕事をするそうだ。
例えば、日本から重要人物が中国の子会社に来訪するとする。すると、社員の中から公安当局に人脈のある者を選び、彼に北京空港からホテル迄のパトカー誘導を依頼する。

日本から到着した重要人物は空港からホテル迄、パトカーに先導されて全ての信号を青に換えながらホテルに到着する。お金と、人脈があれば可能であるそうだ。

そういえば、私も米国駐在時代に経験した。購買担当の人が中国人でしたが、いつの間にか納入業者は中国系の会社ばかりになりました。というか、彼の人脈の付加価値を増大させた訳ですね。

(北京は四声に厳格)

日本人は多少の中国語が話せても、北京では英語を話す方が賢明であるそうだ。理由は2点あるそうである。
・北京ではまず四声に厳格であり、発音が正確でなければ理解して貰えない。特に舌を折り曲げて発音する、日本には存在しないザラザラ音(舌の両側から音が震えて出て行く音)は難しいそうだ。

・北京では外国、特に英語圏の国家に対して尊敬の風潮が存在するらしい。従い、ホテルとか公共の場では英語を喋るのが得策であるそうだ。

(長江文明圏はいいかげん)

上海、重慶、蘇州等の長江文明圏では四声に厳格ではなく、いいかげんな発音でも通じるそうだ。中国の歴史は南下の歴史であり北の黄河文明は南に進出し征服した。今のベトナム(南越)あたりまでは南下したそうだ。

東南アジアの国々では漢民族の南下を今でも恐れているそうだ。それにつけても、最近の中国の軍事力拡大路線はアジアの国々にとり脅威であろう。

(豪州、南北鉄道開通)

豪州好きのMさんは、今度、是非チャンスを作り豪州南北鉄道の旅をすると話していた。エアーズロックを通過する南北鉄道は週に一二回は走るそうだ。ロックで2泊程過ごして観光し、あとは汽車で豪州を縦断する。

ここに集まりし3人は、豪州では楽しい経験を沢山した。最大の楽しみはゴルフで、小型のカンガルーをギャラリーにしてのんびりとゴルフ。高い松の木の上からは、クックバウ(ドウ)という大きな阿呆な鳥が巨大な松ボックリを投げてくる。それを、よけながらゴルフをする。

蠅は無茶苦茶存在し、白いシャツを着るともう駄目、群がり来る。背中が真っ黒になる程集まるのである。


終始、熱血漢のMさんが話をリードし、Sさんの兄貴がそれに付き合い、JoとS君は聴き役に廻った。このような、殆どの会社生活を海外で過ごした連中は酒を飲んで話をすると面白いものです。楽しかったです。

今度は、S君から英国と欧州の話を聴きましょう、次回を約束して店を離れた。

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歯痛の話

先週から、歯痛が始まり辛抱強いjoは我慢していた。しかし、遂に週末の激痛には我慢出来ずに月曜日のお昼にいつもの医者を訪問した。私は、身体は何処も悪くないが、歯だけは子供の頃から、医者に大変に世話になっている。

(温めるか、冷やすか)

子供の頃に歯が痛くなると、父と母で意見が異なり、往生した。父は温めろと言う、母は冷やせと言う。洗面器にお湯を沸かしタオルをアツアツに熱して、頬に当てる。強烈な熱で顔中が燃えるようになる。不思議と、痛みが消えて行く。

子供の頃は、父に軍配を上げてというか、冷蔵庫が無い時代でしたから、熱湯を使う療法であった。母の療法に切り替えたのは、中学に進み冷蔵庫という文明の利器が我が家に到着してからである。勿論、小学生時代でも氷屋さんが運んでくる、1貫目、2貫目という氷を使う冷蔵庫は存在した。

しかし、それは、夏の季節だけであり、歯痛は年中おかまいなしで発病する。従い、私の子供の頃の歯痛の記憶は熱湯に漬けたタオルの記憶である。

(今治水)

虫歯にはとにかく、今治水(こんじすい)という、水溶の薬を使用していた。これが、本当に効いたかどうか判らない。
子供の頃の薬では、この歯痛の今治水と腹痛の奇応丸しか記憶にない。奇応丸は万能薬でありました。

(笑気ガス)

米国駐在にゆく頃に渡米前に、虫歯を全て完治処理しようと、近くの高名な歯医者に通った。この親爺はアメリカナイズされたような歯医者で、やたら笑気ガスを使用する。ガスを吸い始めると意識はあるが、感覚が無くなるのである。

巨額の金を払い、笑気ガスを相当に吸わされた。しかし、腕は素晴らしく、数年間は一度も米国では歯痛にならなかった。

(米国で歯医者は高額)

米国はシリコンバレーで部下のH君が歯医者に世話になった。費用は200万から300万必要になり、彼は貧乏になった。米国で歯医者だけはかからない方が良い、高額である。必ず、日本に帰国して日本の医者にかかる方をお勧めする。

(子供の歯にまつわる風習)

日本では、子供の乳歯が抜けると、したの歯は屋根の上に投げ、上の歯は土に埋める。再生の祈りである。

米国では、枕の下に入れる。そうすると、朝起きると25セントに換わっている。

面白いですね。

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文明と老人

定着をしない遊牧の民にあっては、老人はどのように扱われたのであろうか?昔から、気になっていた事柄である。

(遊動的な狩猟生活)

足腰の弱った老人は、明日からの移動に足手まといになり、仲間全体の飢餓を招く恐れがある。老人は静かに自ら身を隠すか、家族会議の決議に従い、いくばくかの食料とともに置き去りにされた。と、”縄文人の精神世界”で小林達雄氏は述べている。

(縄文時代の日本)

日本の縄文遺跡では、定着している。木の実と山菜、川の魚、海の魚と海草と貝が豊富である。友人の道産子哲のBlogを読んでいると、オホーツクのサロベツ原野での生活はまさに、縄文時代其の侭である。

日本は自然の恵みに恵まれていたのである。移動しなくても、食料は手に入る。これは、世界にも類の少ない恵まれた自然環境である。私は、サロベツ原野での哲ちゃんの、生活はどれほど食料面では苛酷であったのか?と、今まで想像していた。しかし、すくなくとも、北河内よりはグルメな食料事情であったようだ。

(定着生活での老人)

定着生活では老人には仕事が沢山存在する。先ず、子供達の面倒と教育である。若者は採集漁労に出かける、老人は子供達の面倒を見る。知恵を教え込むことが出来る。そして、夜は子供達に昔の物語を語り聴かせる。集団としての知恵の蓄積と子供達への知恵の伝播が出来るようになった。

(老人を大事にする思想)

老人を大事にする思想は世界中に存在する。長老が大事にされる。特に儒教においては厳しい。農耕民族にとり老人は大事でしょうね、私はテレビのDASH村の三瓶老人をみてると尊敬する。知恵の塊である。日本は自然に恵まれているが、しかし気候変動も激しい。危機に直面する。そんな時に、経験と知恵が危機を打開する。

(核家族化による深刻な問題)

日本は今、深刻な老人介護の問題とか若者が年寄りを大事にしない風潮を感じている。この原因は私は核家族化の生活様式が影響あると考えています。子供達の教育におじいちゃん、おばあちゃんが関与しなかったからである。

(理想の家族 サロベツ原野)

私は、哲ちゃんのサロベツ原野での極北のランプ生活の分校の校長先生を親に持った哲ちゃんの環境は理想に思える。一部屋だけに暖房とランプが燈り、大家族が集い子供達がその日に吊り上げた、ヤマメを100匹を捌き、焼いて保存食にする。ラジオもテレビも勿論存在しない世界では、年寄りが知恵を子供達に授ける。

生命力の無い子供は深夜に、零下30度の便所に落ちて死の危険と背中あわせに緊張した生存の闘いに晒される。
ヒグマと遭遇して動物としての、生存方法を学ぶ。山菜でも何が食べれて何が毒草であるかを学ぶ。

私の好きな、西部劇とか”大草原の小さな家”とかは、古き良きアメリカ人の生き方を見ることが出来る。自然にもっと接する生き方が出来ないものでしょうか。

(老人を大事する文明を)

私は、21世紀に於いて日本からは、世界に是非とも日本は老人を大事にする文明国であると発信して欲しい。それには、これから老人になろうとする人々の心構えと行動が大事である。

定年を迎える団塊の世代の人々は是非、海外に行きアジアの人々に生産技術であるとか、自分の今までの知恵と技術を伝える仕事をするとか、国内に於いても現役を退かず、若者を縁の下で支える仕事をして欲しい。若者の斬新なアイデアと気迫を影で支える役回りを団塊の世代はしなければいけない。

そして、益々少子化の進む国難の日本を支える仕事をすることで、自然と老人を大事にする日本のイメージが出来るのではないでしょうか。

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巡礼の旅について

私は母が亡くなった時に四国巡礼の88箇所の印鑑を頂いた着物を被せて、見送りました。姉二人にもこの巡礼の印鑑を頂いた着物を残した。

(ヨーロッパの巡礼)

私の長女が住んでいるフランスはブルゴーニュのベズレーから、千キロ離れたスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラ迄の長い古道(Camino)を人々は歩く。人々は長い杖にほたて貝のマークをつけて歩く。巡礼者を受け入れる場所にはほたて貝のマークがある。

中世にはペストが欧州を蹂躙し、多くの人々が死に絶えた。そんな、不安な世相でこの巡礼は始まったそうです。今は日本の若い女性も数多く、歩かれるそうです。私も一度は、一部分でも歩いてみたいと思います、欧州の田舎の古道であり、歴史の街道でもあります。

(四国の巡礼)

会社の同期会を数年前に、四国支社長をしていた大高さんが主催して、松山で開催してくれた。伊予松山は道後温泉である。宴会の翌日は彼が、3箇所の巡礼寺を案内してくれた。彼は巡礼しているそうである。私はお寺の傍の、みかん売り場で伊予みかんを購入して宅急便で自宅に郵送した。

空海の道である。

同行二人である。空海さんと自分である。手に持つ長い杖は道で行き倒れた時の墓標になる。日本の場合は終着駅は無い。勿論札所に番号はついている。しかし、サンチャゴ・デ・コンポステーラは存在しない。

(山の縦走)

私は学生時代に多い時は年間に100日は日本アルプスの山々を縦走していた。日本には山岳信仰というものがあり、私が巨大な荷物を担いで自宅を出るときに、母は拝んでいました。勿論、息子の無事を祈る心境もあったと思いますが、むしろ、修験者を祈るようにも思えました。

標高三千メーターの稜線をひたすら歩いていると、確かに段々と下界の娑婆の世界が忘れてくる。雲と、霧と、風と、雨と、岩肌だけの世界である。時折、雷鳥に出会うと”美味そうな奴やな~~”と、煩悩が生まれる。しかし、殆どが娑婆の世界から遮断された世界である。

空気も希薄であるので、論理明快とは行かないのである。私は信仰心が殆ど無い人間でありますが、論理回路が働かない世界では何故か、山は美しいとか、朝焼けが美しいとか、稜線を吹き抜ける風が気持ち良いとか、素直になれる。

私は巡礼とは、全てのものを捨てて、無我の境地になりたい、娑婆を捨てたい気持ちがそうさせるのではないか?その為にはやはり、辛苦の千キロ程度は歩いてもらわんと、あかんようにも思います。

肉体を痛めつけない、巡礼などはやはり存在しないのではないでしょうか。それで、救われる人々が世界共通で存在する事を歴史は証明している。

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岩岳 ”ちんぐるま”想いで

岩岳地図

ちんぐるま(花)

今から28年前になる、職場の仲間で結成したラジコンクラブ”赤とんぼ”が正式に合宿した最初の場所がこの、信州は白馬の岩岳スキー場にある山小屋”ちんぐるま”である。

その後、毎年、春合宿とか夏合宿とか秋合宿をこの、”ちんぐるま”で挙行してきた。このクラブが存続できたのは、この”定点”である、”ちんぐるま”が存在したからである。

山小屋 ちんぐるま

この山小屋は、クラブの要である更谷さんの持ち物である。北海道の出身でありスキーのベテランでもあります。快く何時もこの山小屋を貸して頂き、我々は自炊で誰に迷惑をかけるでなく、家族のようなクラブを育んでくれた。

(昔は辿り着くのが大変)

小杉にいた頃であるが、会社が終わると、クラブで購入したバンである”キャラバン”に多量の氷と酒を積み込み、そして、飛行機を積み込み一路、信州を目指す。

最初の頃は車数台を連ねて中央高速を走り、談合坂のパーキングエリアを目指した。ユーミンの中央高速の歌が流行した頃である。各車にはCB(シチズンバンド)の無線機を備え、交信しながら走行した。今のような携帯の無い時代である。しかし、出力が弱く数百メートル離れると交信が出来ない。

遂に、全クラブ員でアマチュア無線の免許を受験し、コールサインを取得し、144メガのアマチュア無線機で交信しながら信州を目指すシステムに変革した。これで、数百キロ離れていても互いに交信が出来、スムースに軍団は行動出来る事となった。

(諏訪湖と塩尻峠)

深夜に高速道路も終わり、諏訪湖の廻りの道路を走行し、厳しい塩尻峠越えである。わこちゃんは時折、運転しながら眠り、危険な事が多発した。運転を代わり無線で元気な声を出しながら、深夜の塩尻峠越えを敢行した。

峠を越えれば松本盆地である。険しい山道をくねるように走行しながら峠を下り、松本から大町を目指す。

(仁科三湖)

仁科三湖を通過して、朝の3時頃に岩岳の山小屋”ちんぐるま”到着である。荷物を小屋に運び込み、石油ストーブに点火する。冬とか晩秋とか春でも寒い、とにかくストーブで部屋が暖まるまでは、ストーブを囲みとにかく、ビールを飲む。酒は豊富に運搬してきてるので、安心である。

次々とキャラバン部隊は到着してくる。無線で連絡をしながら各車の位置を把握して無事全員の到着を待つ。兎にかく、疲れた。昨晩は徹夜で計算機を使いプログラムのデバッグをしていた連中とか、北陸銀行のトラブルを抜け出て内緒で来てる大先輩とか、メチャクチャな激務で忙殺されていても、何食わぬ顔で参集する。これが、素晴らしい。
皆の笑顔を見て安心して、二階の寝床にもぐりこむ。

(キツツキで又やられた)

数時間の仮眠を取り、朝に起きて、山小屋を出ると又、壁はキツツキで沢山の穴を穿たれている。だいたい、バッグを外に放置しておくと、必ずキツツキで穴をあけられる。

小屋 鳥の小屋

山小屋の壁面上部には数多くの鳥の巣箱を設置しているが、それでは、すまない。いたずら好きのキツツキである。

早朝の栂池の雰囲気は好きである、山の中腹から上には霧がかかり、林には静かな風が流れる。静寂の山里の雰囲気は天国である。そこで、草むらでおしっこをする。生きてる、証である湯煙が立つ。素晴らしい世界である。

(自炊の素晴らしさ)

我々は誰も指示しないが、自然と朝飯の支度は進む。誰かが何かをしている。ハムエッグを作る人、トーストを焼く人、サラダを作る人、スープを作る人、皿を用意する人、昼のおむすびを作る人、便所掃除をする人、コーヒーを作る人、これが司令官が必要ない、究極の山仲間の姿である。原始共産主義社会?

最近は、三浦長老が食事のメニューにはウルサイので、一応、伺いはたてるようである。私は組織の理想の姿がここにあると思う。人が行う姿を見て、他に自分は何をすれば良いのかを考える。各個人の自主を尊重し、他の付加価値を自ら見つけ行動する。これが、私が、大学時代のワンゲルでも経験した山の仲間の組織である。

この、”ちんぐるま”での28年間の生活が”赤とんぼ”のクラブを形成した。

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デイスク容量300メガ 先ず有り難い

遂に、cocologも300メガに増量されて、嬉しいです。有り難い、とにかく、1年で150メガにはなるので、今後の10年を考えると最低、1.5ギガは必要になります。

レスポンスを保証しながら、容量増大を許すのは、技術的に難しいのは、一応、私も専門家の端くれなので判ります。
しかし、1年後にはギガを期待します。

(Blogの無限の可能性)

私は、光の時代には今のメデイアが激変すると考えています。現在のテレビ局も激変すると考えています。私がJoBlogで将来実現したい事は以下の通りです。cocologさん参考にして下さい。

・フライト動画を見れるようにしたい。

今は、静止画だけですが、やはり、飛行機の醍醐味は飛んでる処をみせないと話にならんです。そして、現場の会話
も臨場感があり、紹介したい、そして、音楽もミキシングしたいです。

・航空写真、航空動画を見せたい。

飛行機にデジカメとかデジタルビデイオを搭載して、飛行機から見た風景をお見せしたい。古墳の上空写真とか動画が見たいという、希望者もおられるので、是非、挑戦してみたい。

・実況中継をしたい。

合宿の模様を山小屋とか後立山連峰でのフライトの模様をリアルタイム中継をしてみたい。雪の田圃での雪上飛行機の模様とか、秋の栂池高原でのグライダーの飛行の模様とか、墜落の模様、捜索の模様とか・・・・・。

・海外からBlogしたい。

年に一度か二度は海外に休養に出掛けたいので、その時は海外からBlogをしてみたい。海外特配員の積り。

・コメント欄をマルチメデイア化する。

今は文字しか書き込めないが、写真、音声、動画、全て可能にして貰いたい。

・ラジコン飛行機とかガラクタを販売したい。

Blogで簡単にガレージセールをしたい。私は、墜落した飛行機とか、エンジンとかプロポとか無線機とかいらなくなった趣味のガラクタ。お~~そうだ、本を書くかも知れない。(笑)


たいした事は考えていませんが、以上のような事が出来ると自分は楽しいな~~~と思います。趣味とは人が楽しいかどうか関係ない世界ですから、私は自分が楽しめる事がやりたい。

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瘋癲老人 特別寄稿『同僚の死につき編』

 瘋癲老人日記 同僚の死につき篇


  昨日アナザー筒井の通夜で三島へ行った。
 ニューヨーク駐在員の仲間たちが集まった。
 アナザー筒井が東海岸、JO筒井が西海岸ということで
 アメリカ全域をカバーしていたらしい。

  55歳で〇〇〇で診断から3カ月で亡くなった。
 去年の夏、裾野の小川別邸のワインの会の時は元気だっ
 た。
 ふうてんなどよりは余程若くてエネルギーに満ちていた。
 10月に診断を受けて余命3カ月と言われたという。

  通夜に出て焼香を済ませニューヨーク駐在員+JOさ
 ん、部外者のふうてん合わせて10人ほどで居酒屋には
 いった。
 HAL事件の時の当事者(千谷さん、JOさん)などが
 口火を切り、1980年前後のアメリカ駐在時代の話に
 花が咲いた。ニューヨーク時代アナザー筒井の後輩だっ
 た小川、富田の両君は奥さん同伴だった。
 当時ふうてんもちょくちょくニューヨークを訪ねていた
 のでアナザー筒井、小川、富田の諸君とは面識が出来た。

  千谷、鎌倉、小川、富田、JOさん、みんなよく喋っ
 た。(あの頃は楽しかったなあ)と最後の頃JOさんが
 言った。
 その通りだと思うし、集まって当時の話に花を咲かせた
 のはアナザー筒井への最高の手向けではなかったかと思う。

  三島駅へ歩きながら鎌倉さんに、55歳は10年早い
 けど死に方としては羨ましいですね、と言った。
 鎌倉さんは、元気でコロリという意味ではいいけど、余
 命3カ月と言われた時、どう思ったのだろうなあ、ちょ
 っと考えられないなあ、と答えた。

  三島から喫煙組のJO、ふうてんは皆と別れ二人でこ
 だまの3号車に乗った。
 うまくもない缶ビールを飲みながら、自分たちの葬儀は
 どのようになるのだろう?という取り止めのない話にな
 った。

              3月1日 ふうてん


JOさん

  少し尾ひれをつけてJoBlogに載せていただいて
 結構です。
 文責はJOさんですから。

  ほんと、駐在員仲間の団結は強固ですね。
 南武線沿線を35年間もフラフラしていた我々とは違います。
 同じところにいるから空気のようなものでね。
 従って仕事が終わるとまた空気のようにいなくなるのでしょうね。

  やはり駐在員として外国に派遣される人はそれなりの能力を
 持ってないと、送り出した方の能力が問われるわけでね。
 そういう連中が外国のカルチャー・ショックの洗礼を受けるのです。
 そのなかで数年やると鍛えられますわね。

  僕なんか出来るだけ若いのをアメリカに出張させました。
 ショーでも交渉事でも何でもいいんです。
 ともかく(行け)と。
 二十歳過ぎのやつが一度海外出張すると確実に成長します。
 牛若くんなんかも初めての海外出張は僕が引率しましてね。
 アトランタのコンピュータショーとかモントリオールのLogo社
 とかニューヨークとか引きずり回しましたが、新しく買った靴が
 痛いとか嘆いてました。
 さしもの牛若丸も海外だ、てんで靴を新調したのですね。

  駐在員仲間、それはJOさんにとって宝物や思います。

              3月1日 ふうてん

『追記』 JoBlog:瘋癲老人作者原文のうち、病名については〇〇〇と伏せ字にしました。又、特定企業名が出るので名前を変えました。本人の了解を得ていません、私の責任と判断にてそのようにしました。


関連 お通夜模様写真

記事 『(故)筒井六広君 追悼の辞』

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