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木津川流域 隠された王朝

やはり素人の古代趣味の人は、自分の生まれ育った場所が世界一だと考えるようです。私もそうかも知れない。
一昔前ならば、邪馬台国は招堤村にあったとなるでしょうね。

(客観的な故郷整理)

先ず、交通網である、古代は船による物資輸送が大動脈であり、淀川と木津川と桂川と宇治川、小椋池の交差路である。
石清水八幡宮が合流地点の山の上に存在する。宇佐八幡と比肩する八幡信仰の拠点である。八幡信仰は息長タラシヒメ(神功皇后)から息子の応神天皇、河内王朝を開祖した人物である。

麓には樟葉村があり、継体天皇即位の場所である。応神天皇から仁徳天皇、雄略天皇、等の倭の五王の河内王朝から変革した王朝を築いた。越の国と琵琶湖西岸の息長氏の勢力が中心の天皇である。ヲホド王と呼ばれる。

男山丘陵を東に木津川に沿い進んで見ましょう、大隈隼人が移り住んだ隼人荘があり、彼らが崇めた甘南備山が存在する。そして、崇神天皇の息子のイクメイリヒコ(垂仁天皇)の奥様になったカグヤヒメの村がある。そして、継体天皇の宮が存在した筒城宮がある。

そして、息長山普賢寺という古代大伽藍を誇った息長氏の寺がある。ここから、長尾の方面に向かうと和邇博士の拠点になる。千字文を伝えた大豪族、和邇氏の拠点がここから奈良の北部、盾列古墳群から天理和邇村へと続く。

先日、天理の和邇では田圃の下から400基以上の古墳が発掘された。和邇氏の巨大勢力を垣間見ることが出来ますね。しかし、この和邇氏は崇神天皇側について南山背のタケハニヤスヒコと大戦争を行った。

大和古代ニュース

元に、戻り、今度は石清水八幡宮から木津川に沿い男山丘陵の川沿いを東に向かいましょう。宇治川に別れ、宇治川を遡ると宇治の平等院へと続く。しかし、話は古代であり、MuBlogで詳細な記事のある宇治天皇が拠点である。
応神天皇の末息子で仁徳天皇と皇位を争った悲劇の兔道稚郎子の墓がある。或る説では宇治天皇として応神天皇崩御後、即位したという説がある。

再度、宇治川と木津川の合流地点に戻り木津川を遡上してみましょう。この川では崇神天皇と天下分け目の大戦争が行われたタケハニヤスヒコが戦った場所である。タケハニヤスヒコは南山背を拠点にヤマトから和邇坂を越えて攻めてくる軍勢と戦った。そして、敗戦した。古代では大戦争であったらしい。

特筆すべきは、タケハニヤスヒコの奥様は隼人系の女性であり吾田媛、河内からヤマトを攻めた。女性が戦闘集団を率いるのはどうやら、隼人系の特徴であるそうだ。しかし、イサセリ彦の軍勢に敗戦する。

さて、もう少し木津川を遡上すると、椿井大塚山古墳が鎮座する。この古墳は三角縁神獣鏡33面を出土し卑弥呼が魏の皇帝より下賜されたものではないか?と言われている。権力の中枢が此処に存在した可能性がある。

(今後課題)

今後の課題としては、三輪山周辺のなら盆地、葛城周辺の王権と京阪名丘陵をはさんだ、山の背の、海道の国、海人族の強大な国際貿易国家が存在したのではないか?もしくは、大和王権を左右する国が存在したのでは無いかと考えるようになった。

今後、古代史を南山背を中心に見直す事を始めてみたい。

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Comments

MublogとJoblogで南山城を注目されている理由が理解できなかったんですが、本屋で「古代天皇の都」(学研M文庫)の「樟葉宮」の項を立ち読みし、私なりに理解しました。(結局購入しました。)私の住んでいる近くに「正道官衙遺跡」と名づけられている、なんでも奈良時代の郡役所跡と飛鳥時代の建物跡と推定されているところがあります。その後廃れていた山野の新開地に、大江山の麓から、「向都離村現象」に乗っかって出てきた私が住んでいるのが不思議だったんです。それでも、南山城地方は昔栄えていたが、何らかの理由で廃れ、山野になっていたと考えれば納得です。これを機会に、私の新しい故郷に興味を持ってみようと考えるようになりました。

Posted by: hisaki | 2005.02.15 09:11 PM

hisakiさん

そういえば、南山城の城陽にお住まいでしたね。

正道官ガ遺跡は知りませんでしたが、奈良時代の郡役所ですね。

自分の故郷は誰よりも、愛着がありますし、深く知りたいものですね。日本全国には郷土史を研究されてる在野の研究者の方々が多くおられます。

彼等の研究は中央の学者さんよりも、時には素晴らしい成果をだされていると聴きます。

是非、Muさんも一緒に南山城と北河内を調べましょう。

Posted by: jo | 2005.02.16 08:30 AM

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Tracked on 2006.02.13 05:12 AM

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