兎狩りの思い出
丁度、今の寒い季節には年中行事である、兔狩りが行われた。北河内郡大字招堤村の殿山第二小学校では全校生徒による寒中訓練である”兔狩り行事”が挙行された。
私の家内は京都教育大学付属桃山小学校を卒業したが、彼女も”ポンポン山”で全校生徒による寒中訓練である”兔狩り”を経験したという。どうややら、北河内から南山背にかけての地域では、この行事が行われていたようだ。
時代は昭和20年代である、決して明治でも大正時代でもない。戦後である。
(当時の教室)
勿論木造であり、校門を入ると、そこには二ノ宮金次郎が薪を背負い本を読みながら歩いている。結構危険ではないやろか?野つぼに落ちないか?心配なる銅像が建っていた。これは、多分に当時、何処の小学校でもこの銅像は見かけたような気がする。
木造教室は廊下で繋がれ冬といえども、暖房設備は無かった。しかし、4年生の頃には教室の真ん中に火鉢が置かれ、木炭に火がつけられていた。ガラス窓は30センチ四方の小さなガラスが木枠に組み込まれ、品質が悪いのかガラスは波打っていた。隙間風が吹く寒い教室でありました。
私はよく、廊下を靴を履いたまま走り、先生に掴まり、職員室に連れて行かれ油を絞られた。もしくは、廊下に立たされた。
(兔狩り行事)
これが、楽しかった。この行事については既に記事を書きましたので、再度の掲載となります。
北河内から南山背の地域は不思議な場所である。古代より栄えた場所であるが、不思議な風習が残っている。
兔狩りの行事はこれも、珍しいと思う。遊牧民でもないのに、身体を鍛えるのに小学生から野山にでて野生動物を捕まえる。猟師さんも必ず付き添い、雉を撃つ。
兔狩りの場所は新池という、大きな溜池の近くの山であったが、長尾に近い場所であった。例の和邇博士の場所であり、もう少し行くと筒城宮である。(継体天皇の宮) そして、洞ヶ峠も近い場所でありました。(筒井順慶ゆかりの場所)
多分私の記憶は一部間違いがあり、5年生と6年生での行事であったかも知れない。家内に聞くと、鮮明に覚えているそうなので、4年後の時代でも粛々とこの行事は遂行されていたようである。
(二ノ宮金次郎は?)
私の家の傍に小学校が二つあるが、校門を入ると定番の二ノ宮金次郎の銅像を見かけない。どうしたんでしょうか?
最近は人気が無いのでしょうか?最近の小学生の見本となる偉人は存在しないのでしょうか?
昔は、ワシントンが桜の枝を折り、正直に話した話とか、有りましたが、最近はどいな按配なんでしょうか?目標が無くなったんでしょうか?
私の故郷の小学校への提案は、是非、真冬に生徒が山を囲み兔狩りをしているジオラマを校門の近くに据え付けて欲しいです。ホンマ楽しかったんですから。
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