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(故)筒井六広君 追悼の辞

昨夜 恵比寿の”We”で同窓会をしている時に携帯に哲坊からメールが入り、筒井六広君の身罷りの報を受けた。
月曜日がお通夜だそうだ、三島だけど、是非ともお別れに会いに行きたいと考えている。

(彼との出会い)

私がシリコンバレーに赴任したのが、1982年の1月であるが確か、彼は1年後位はあとに千谷さんの後任として東海岸のニューヨークに赴任して来た。私よりは4~5才若いと思う。優秀な明るいソフトウエア・エンジニアで有りました。

前任は同期の千谷さん(現在 日本大学三島の教授)でありまして、豪快な方で私が、ニューヨークに出張すると激論を戦わせ、論戦を挑む硬派でありました。この千谷さんとは実は未だ時効にならない大事件があり、何れ、密やかに歴史を記述したい。この事件は社外に当事者がおられ、日本中が大騒ぎになった事件の引き金を千谷さんは仕掛けました。私には当事者として苛酷な運命がその後、襲いました。

六広君は明るく、優しい、常に冷静でそれでいて、ユーモアのある素晴らしい人物で有りました。前任の粗野な親爺と異なり、紳士であった。西海岸のシリコンバレーでも彼の歓迎会を挙行し、本多副社長を始めソフト仲間の中尾君、池田君、林君、CEの宮井さん、ハードの松村君、等々で歓迎会をした。

(二人の筒井)

その後、西海岸に筒井、東海岸に筒井jr(ジュニアー)という布陣で米国をカバーする事になった。日本側ではどちらの筒井が活躍してるか、時折判断が出来ず、影武者というかお互いの成果は自分のものになり、一人の大きな筒井駐在員という虚像が出来上がった。

同時期に筒井は西海岸に出没し、又、東海岸でも活躍する。まるで、役小角(えんのおずぬ)のような大活躍であった。時折、サボッテいても、もう一人が活躍するので、目立たないのである。日本は遠いので、判らん訳です。

私達は週に最低4~5人の日本からの出張者とは会うので、月に20人くらいとはお会いする。年間で250人位にはなるでしょう。東海岸の筒井jrも同じ程度お会いしてるので、二人合わせて500人である。

日本に帰国後、富士通の色んな部署の方が米国でお世話になったと、申される。半分は筒井jrと間違われている。

(その後)

彼はその後、数年のニューヨーク駐在を終えて、帰国し、再度、今度は西海岸のシリコンバレーに赴任した。私は国内の仕事が忙しく西海岸で彼と会う機会はなかった。

今日も、ふうてんさんより自宅にメールが来た。彼の死についてである。古(いにしえ)より人は言う、いい奴ほど早く身罷る。残るのは?ですね。

筒井六広君の死は早すぎました、50を過ぎた頃でしょう、これからの時に残念でならない。無念である。

(追記)

今手元には、今年の正月に受け取った、彼からの年賀状がある。何時もは版画の賀状であるが、今年は、版画風の家族の絵である。

本人と奥様、下には、眼鏡のぼくちんと、娘さんの顔である。明日は、この賀状を持参で別れの挨拶に行く。

(追記)

通夜模様 元ニューヨーク駐在員集合

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