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葬儀委員長談義

私は若い頃、友人の結婚式の司会をするのが仕事でありました。ホラホキ男爵ですから、司会は得意でありまして、ワンゲルの仲間の結婚式には司会を勤めました。

姫路の田舎では、年寄りばかりであり、まともな近代的な披露宴はウケなかった。お爺ちゃん、お婆ちゃんにマイクを向けると恐縮される。明らかに、不満が充満してると司会をしていて気がついた。それでも、予定を変更して御歳よりに発言の場を与えるように軌道修正はしたが、不満が残った。

しかし、私に対する爺さん、婆さんの好感度は上がり披露宴が終わると、彼らが二次会を設定し、披露宴のやり直しを命じられた。

今でも、この時の結婚式の顛末が記憶に著しい。要は、マーケテイングに失敗したというか、若者だけのドグマにいただけであり、多くの参列者の田舎の御歳よりのレクアイアメントの分析が不足してただけなのである。

ハレの舞台の演出とは、大衆に受け入れらねば意味が無い。若者だけの、狭い世界では普遍性と”何の為に披露宴”は存在するのか?基本的な事を忘れていると、痛感した。やり直しの、披露宴はシナリオの無いメチャクチャな爺と婆の世界でしたが、最後に司会の私は感謝されました。”君にはきっといい、嫁ごが来るよ!”と言われた。

(葬儀委員長の話)

最近は、数名の葬儀委員長に立候補している。先ずは、Y先生である。先生は散骨希望であり、遺言書も毎年書かれている。先生は葬儀については、何もするなと言う、しかし、残念ながら葬儀は生き残った人々が行うものであり、本人は決めることが出来ない。

私は、先生の現在乗られている高級スポーツカーを頂く積りである。毎年、この話は多くの勉強会に出席してる人々の前で私は公言している。葬儀委員長は私がやる、しかし、車は先生と思い、私が死ぬまで大事にすると。

未だ遺言状にそのように記述されたという、話は聴かない。

次は、梅安翁の葬儀委員長の話である。これは、私がやる事になっている。翁は貧乏だから、形見の品は存在しない。頂くのは、二人の思い出だけである。

(私の葬儀委員長の話)

今日は、自分の葬儀について考えていた。梅安さんは事務が出来ないので、葬儀そのものは”赤とんぼ”のクラブ葬儀にして貰いたい。私は、先輩のM翁名誉会長の葬儀は”赤とんぼ”で行う積りである。

年齢的に次は、私であり、”赤とんぼ”が葬式を仕切るのは自然である。組織はそういうものである。一番信頼できるのはS山小屋管理人であり、サポートは横浜組に頼む。名誉葬儀委員長は梅安翁であり弔事をお願いしたい。

お~~忘れていた、京都からは風雪一家のMu先生が駆けつけ、送る言葉を頂く。そして、本日家内に遺言を残したが、私のblogを10年残す事を頼んだ。これが、私の墓である。

(形見について)

私の全財産は家内に譲る積りである。(借金しかないと言う噂あり)そして、この世での関係者への形見について今日はあれこれ思案した。本日の形見わけについては以下の通りである。

無線機一式関係ハードウエアとラジコン飛行機関連のハードウエア・ソフトウエアは赤とんぼに譲り渡す。(引き受けてが無いという噂あり)

梅安さん,Mu翁への遺産贈与。以下の私が大事にしているものから、選択していただく事にする。二人が同じ物を望む場合はジャンケンで決めて頂く。

コケシ3体、これは私が叔母の旦那から頂いた名工の製作した大きなコケシである。(コケシ収集家であった)
それか、米国時代の思い出の品である、幌馬車の木工細工製品か、ミシシッピー川に浮かぶトムソーヤの外輪船の木工製品。

お~~忘れていた、デンバーの石でもいいし、西部砂漠のデザートローズでもいい。(薔薇の形をした風で出来た石)

ワンゲル仲間への形見についてどうするか?これが、問題である。昨年スイスへの旅でエーデルワイスの種を購入しておけば良かったと後悔している。これから考えますね。

高校時代の友人、H君への形見が問題やね。ともに青春時代を過ごした高校生時代は忘れる事が出来ない。ともに歴史を勉強し風流を勉強して、淀の競馬場に金杯を狙いました。貴殿に相応しい形見は何なのか?これから考えなければいけない。江戸時代の親爺から受け継いだ、寺子屋で使用した書物は如何であろうか?

(人間の始末)

昔の侍は何時死ぬか判らない。従い、常に死んだあとの事を整然と後継者にさせる指示書を書いていた。今の世の中は平和である。しかし、何時死んでもいいように、始末書を書いて、家内に託し、公にしておく事が大事と心得る。

尚、本日の記述に於いて名前が出現しなかった人、及び、どちらが先に死ぬか判らん訳ですから、今日のところは、こんな事を最近考え始めたと軽く考えて下さい。


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変な飛行機

わこちゃんが、千葉のラジコン親爺から譲り受けた、水上機が陸上機に仕様変更された。

変な飛行機写真集

(元々の飛行機は?)

元々、この飛行機は翼が胴体の上にある高翼機であった。それを、水上機にする為に天地を逆にして低翼機にして、垂直尾翼を水中舵にした。そして、フロートをつけた逆さま飛行機に改造されていた。

(わこちゃん改造)

今回、わこちゃんは、フロートを取り外し出来るようにして、フロートの変わりに車輪をつけ陸上でも飛ばせるように仕様を変更した。水陸兼用の飛行機である。しかし、変な飛行機なり。

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阿武山古墳(あぶやまこふん)

最近はNHKで正月に『大化の改新』が放送され、藤原鎌足が話題である。以前、昭和初期に発掘された阿武山古墳の被葬者のレントゲン写真が再度、調査され鎌足熱が再浮上した事件が思い起こされる。場所は継体天皇の御陵と言われる、今城塚古墳の北北西の場所である。

阿武山古墳 被葬者関連Web

阿武山古墳 関連

私が米国に駐在している時期でした、1982年ですね、京大で昭和9年の発掘時点でのレントゲン写真が偶然発見された。(当時は軍国政治で多分に隠していた?) 衝撃的なニュースが太平洋を越えて、アメリカにも届いた事を記憶している。

遺体が60歳程度で背骨と肋骨が折れていた。鎌足も狩りの時に落馬して床にふし、その時の怪我が元で死亡と伝えられてている。大織冠とみられる冠の写真。その他、玉枕とか鎌足でしかあり得ないと思われる遺物の発掘資料である。

(鹿島神宮と鎌足)

鎌足の父は鹿島神宮の祭祀であり、常陸国で生まれたと言われる。鹿島神宮は東国開拓に功のあった、タケミカズチ命を祭っている。何故に出雲を倒したタケミカズチが常陸の鹿島神宮に居を構えたか? 大和朝廷の東国の軍事拠点だったんでしょうね。

鹿島神宮

鎌足は子供の頃に鹿島神宮で過ごしたんでしょうね。その後、大和に入るわけですね、名門の中臣氏として。その後、春日大社に鹿島神宮から神様を招聘します。藤原氏の神社になります。

まだまだ、調査不足でありまして、今度は鹿島神宮に行こうと考えています。自分の足で歩かないと実感が湧かないし、新しい発見もあるかも知れない。

多武峰の談山神社も気になります。ほかもどりさんBlog

今日は、22年前の鎌足の興奮について、思い出しましたので書きました。参考にさせて頂いた、HPはよく出来て纏まっていました、感謝です。

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今日のテレビ番組

今日は何と、仰山のテレビ番組を観てしまった。飛行機にサーボモータとかエンジン搭載とか、電子部品の搭載調整とかやりながら、観てしまった。外は、寒いので飛行機飛ばすのも、尻込みした。

(トマトの歴史)

数奇な運命を辿ったトマトの話は面白かった。殆どは知っていた話であるが、それでもアステカで何故、小さなトマトの原種が大きなトマトに生長したか?この、農法に驚いた。池の上に葦で作る人工の浮遊畑を作り湖底の栄養分豊富な泥を救い上げ畑を作る。

(DASH村煎餅製作)

これも、如何に煎餅つくりは大変な工程を踏むのか、驚かされた。餅を切って焼くのではないのですね。基本は米である事が判った。米9に餅米1の割合で粉を挽き、(水車)水を混ぜてこねる。そして、蒸す。そして又、こねる。薄く延ばして数日間乾かす。水分を抜く、そして、又、囲炉裏で水分を飛ばす。

何時も感心するのは、先人の知恵ですね。稲作にしても、漁業にしても先人の知恵は大変なものだと、この歳になって驚く。人類の知恵なんですね。大事に受け継いでもらいたいと、思いました。

(義経)

今日は鞍馬寺に預けられる場面でした。もののけ姫の時のように、美輪さんが山の神として登場しましたね。神秘的な人です。それに、遂に義経の運命を決める奥州王朝の藤原氏の吉次と出会いました。源氏の親戚とも出会います。波乱の幕開けですね。

この鞍馬は日本海との交通路で大事な場所であったんですね。鯖街道とはこの鞍馬を通過してるんでしょうかね。
古代より丹後半島は製鉄の拠点でもあり、朝鮮半島との交易、及び、越の国、出雲の国との重要な交通の拠点でした。鞍馬の重要性を今日は又、知る事ができましたね。

それから、当時の人は北は魔物が住むと信じていた、と解説してました。これは、鬼門ではなく、玄武の四神思想であると思います。風水ですね。都の北には山があり、玄武が守る。蛇と亀が絡み合う神の姿です。

常盤御前から形見で頂いた、笛で今度は五条の橋で弁慶に会うんでしょうね、楽しみです。

参考 Mu義経

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週末の書斎

2005_01240004昨日より千葉のラジコン親爺から400円で購入した、中古の”スホーイ”にエンジンの搭載、サーボモータの搭載、その他、メカ類の搭載をした。

エンジンはOS FS70 アルテイメイトという最新のでかい4サイクルエンジンを搭載した。プロペラは13x6のサイズを選んだ。最初のトラブルはエンジンを搭載する、フローテング・マウントにでかいモクネジが突き刺さり、抜けないという事態でした。サビ止めのKURE 5-56をネジと金属の食い込んだ部分に吹き込み、ようやく抜けた。

皆さんも、自宅で古いネジが外れない時は諦めずに、KURE 5-56を日曜大工センターで購入し、使用して下さい。安いもんです。それでも、ネジ山が壊れたら、専用のドライバーが大工センターで販売されていますので、諦めずにネジを外して下さい。

(最近読んだ本)

週末は、飛行機の製作・修理か飛ばしに行くか、本を読んでいる。最近読んだ本は以下の通りです。

・アメリカの巨大軍需産業 広瀬隆 集英社新書
・諸君 2月号  文芸春秋
・中国と日本の歴史地図  武光誠  ベスト新書
・日本史を読む  丸谷才一・山崎正和  中公文庫
・王陵の考古学  都出比呂志   岩波新書
・記紀の考古学  森浩一      朝日新聞社

最初の二冊は現代の政治と経済に関わる本ですが、あとは大好きな歴史・考古学の本です。何回も読み直している本もあります。やはり、問題意識を持って読むか、読まないかで違うようですね。

そういう意味で、MuBlogで古代の話が出ると、ついつい嬉しくなりコメントを書き込みます。それにつられて、過去に読んだ本を引きずり出して、再度、今の自分で読み直す。しかし、考古学の先生は日々、発掘により新しい発見が有りますので、意見が変化します。

考古学の先生は、意見が変わると過去の本を修正されるわけですね。従い、古い本ではまずい訳ですね。これからのインターネット時代では、まさに、考古学の世界ではインターネットの恩恵に預かると思います。

文献をベースに研究される歴史学者の方々も、最新の考古学の発掘の成果を参考に出来る訳です。21世紀はインターネットの時代と言われる可能性が高いと思う。

しかし、未だ、まともな内容というか深く切り込んだ有益な情報は、有料の本でしか得ることは出来ない。これが、現状ですね。早く、まともな充実した本と相当するデジタル情報が得る事が出来る社会が来る事を期待しています。

(王陵の発掘)

考古学者の方々の悲願は、王陵の科学的調査と資料の公開です。箸墓古墳にしても調査が出来ません。日本の歴史を解明する上で一番に調査したい場所は何処か?と、考古学者に聴けば、必ず彼らは、箸墓古墳と言われるでしょうね。皇室にまつわる、陵墓ですから難しいと思いますが、科学的調査はなんとかならないものでしょうかね。

卑弥呼の宮殿

箸墓古墳 大市墓

何故卑弥呼は箸墓に眠るか

箸墓古墳は現在、陵墓参考地ですね、学者の立ち入りは禁じられている。周りの発掘しか許されない、しかし、戦国時代はこの古墳の上に城が築かれていたわけですね。相当に、破壊されてる可能性があると思います。早く、修復しないといけないと思いますが、難しいんですね。

箸墓古墳は私はMUさんと同じ考えで、卑弥呼(日の巫女)のお墓と考えています。前方後円墳の初期の巨大なこの古墳は日本の成り立ちを解く上で本当に重要です。箸が未だ使用されていない時代から箸墓といういうのは、おかしいという考古学者がいます。名前の由来が土師氏(はじし)というお墓を作るとか、埴輪を作る豪族ですね。出雲の野見宿禰が元祖といいます。

土師氏が製作したお墓という意味で、ハジハカが伝承され箸墓となった、という説ですね。昼は人々が作り、夜は神が作ったという伝承があり最重要古墳です。

(京都の成り立ち)

山背国と呼ばれ、未だ未開発の京都がいかに開発され、遷都するまでに発展したのか?葛城一族と秦氏、賀茂氏、の活躍と出雲、八坂氏、土師氏の関係ですね。おいおい、調べて行きたいと思います。

参考 Mu氏の優雅な日曜


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氷山のいっかく

昨日、職場をウロウロしてると、鬼軍曹が南極の航空写真を見て、心配している。

(四国のサイズの氷山が生まれた)

巨大な四国ほどの大きさの氷山が生まれている。温暖化により、南極の氷床が崩壊し巨大な氷山が漂いはじめた。
何時の話か判らんけど、写真で見る限り巨大である。

何万年も前の空気とかウイルスとか色んなものを、閉じ込めたタイム・カプセルというか、ひょっとするとパンドラの箱が開き初めている。地球が怒り始めたのかも知れない。温暖化により、海面はどれくらい上昇するでしょうか。
オランダのチューリップ畑は大丈夫だろうか。

niftyの本社のある大森駅には、大森貝塚の発掘記念の碑がある。今は、海岸線はず~~と下の方にあるが、縄文時代には海岸線はこんなに陸の上にあったんだと思う。温暖化が進むとこれは、東海道線とか京浜東北線とか危なくなりますね。

(氷山空母の話)

氷山空母ハボクック

巨大氷山で思いだしたが、第二次世界大戦の時に英国ではドイツ攻略の為に真面目に氷山空母を考えた事を思いだした。今はアニメとか空想小説で取り上げられているが、当時は真面目であった。

戦闘機を300機も搭載できる氷の空母を考えた人の頭の中はどないに、なってるんでしょうかね。今、南極から巨大氷山を牽引して日本海に浮かべるとどうなりますかね。沖縄の米軍基地は解消されるかもしれませんね。しかし、海兵隊の連中は凍傷になるな。

そうだ、この氷山に塩を混ぜて溶けないようにして、沖縄基地にして溶けたら、基地は終わりという、外交交渉はできないでしょうかね。多分、SF映画のように氷山に製氷機を建設して氷を作り続けるやろね。

(ガイア仮説)

話は、冗談ではなく真面目である。地球の環境は繊細である。ひとつの生命体である。石油の次は海洋海底のメタン・ハイドレードの発掘になるでしょうね。化石燃料とか地球が長い年月かけて固定したCO2を我々は地球上に放出始める。

冗談ではなく、タイタンみたいな星にしてしまうかもしれない。

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快晴富士

2005_01220003今日は快晴である。富士が美しい。書斎の窓から見ると、手前には鶴見川の工事現場のクレーンがあり邪魔であるが、見事である。

世俗の世界では、期末であり激しい売上の追い込みとか、利益の確保とか決算準備とか、経費の節減とか、春の人事とか、新入社員の歓迎会とか・・・・超、多忙である。

うちの会社は、特殊で公認会計士の試験が終わると、採用試験があり年末に採用する。普通の会社と異なり、22才の学卒だけを採用するシステムではない。

昨夜も、歓迎会で多少飲みすぎたようだ。そんな、朝にはこの富士の眺めがよろしいようです。さて、飛行機でも飛ばしますかね。

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カモ類の生き残りは?

本日の新聞では南極で6800万年~6600万年前のカモ類の化石が発掘されたと報道。恐竜時代から鳥類は存在した事になった。オシドリ、雁などのカモ類の鳥類は悠久の地球の激変の環境の歴史を生き延びた。

(古い連中がいる)

そういえば、オウム貝とか兜蟹とかゴキブリとか銀杏とか・・・古い生き延びた連中がいる。共通して考えられる事は地球の激しい環境の激変に適応したことですね。確かに、海の中にいるもんは環境の変化が陸程激しいものではなかったかも、知れない。

オウム貝は昼間は海底に沈んでいて、夜に浮かんでくる。進化する必要が無いほど、進化してしまった、と、誰かが云ってました。

(渡り鳥の習性)

カモ類の渡り鳥も不思議ですね、バイカル湖の西から冬になると、誰かさんの家の近くの関西、奈良のウワナベ古墳の周濠に飛んでくる。余程、昔に苦労したんでしょうね。温度の変化と食料を求めて渡りを発明したんでしょうね。
それで、6600万年も生き延びた。

寒くなると冬眠する奴もいるし、乾燥すると何年でも地中で眠る蛙もいるそうですね。蝉なんぞ、長い間地中でイモムシ状態で暮らし、繁殖のためだけに地上に出て、数日で死ぬ。そして、子孫を残す。

(何を考えているのか?)

私は人間の組織である国とか企業の生き残りとは、何なのかを自然界から学べないかと思う。私の商売は企業の生き残りに関する分野であります。

私は最近思うのは欧米流の経営手法が合理的であり、素晴らしいと思うけれど、心の何処かで”それは違う”と思うところがある。企業統治の方法論、とか手法については、欧米に学ぶ所は多い、が、何か根底の所で違いがある。

欧米流の企業統治は切り捨ての哲学である。儲かるセグメントを取り込み、儲からないセグメントを切り捨てるか、これから儲からなくなる予兆で売却、切り捨てる。国のレベルで米国のシルコンバレーのように、幾らでも、ボーフラのようにベンチャー企業が起こせる土壌があれば、これでもいいのかも知れない。

もう一つの考え方は、自分の企業が6000万年も生きることを考えずに、志ある人材が居れば別会社にして子供を作る、そしてその成長を暖かく見守る考え方である。三人の息子、娘達が出世するかもしれない。しかし、自分は老いが来ている。国際会計基準は連結で評価するので、子供が利益をだせば親も評価されるシステムである。

しかし、証券マーケッツトは未だ時代遅れというか、単独決算の親の成績で評価する。未だ、端境期である。

(再生循環哲学か自分本位哲学か)

以前にblogしたが、稲作・漁労文明と畑作・牧畜文明について安田先生の論を紹介した。私達、津々浦々連合の国々は稲作・漁労文明である。再生循環を文明として尊ぶDNAを持つ。企業という市場に於いて激しい戦いを行う集団であるが、その統治方法と哲学に於いて独自のもを創造しなければ、所詮は長い目でみて負ける。

アメリカは未だ20年は大丈夫だと思う、しかし、その先はどうするのか?鄧小平は40年で追いつくと、一国二制度を開始した、その速度はもはやもっと速いであろう。

ローマ帝国の蘇りのEUとアメリカ、そして覇権主義の中国、その中で日本は生き残る道を捜せねばならない。

そこで、鍵となるのが、かけがえのない地球環境を守る文明論である。再生循環の哲学である。地球が滅んでは文明も無い。

これが新しい宗教でもあると思う。それを、津々浦々連合は憲法として掲げ、新しい防衛・経済市場を創造してゆくのはどうだろうか?

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心の故郷(北河内) 目次編

私は、北河内郡大字招堤村で生まれ、育った。天の川が流れ、和邇博士の遺跡があり、百済寺があり、渚の宮跡があり、隣村は継体天皇即位の樟葉宮であり、石清水八幡宮がある。そして、木津川で川遊びをした。

歴史の古い故郷であり、かぐや姫伝説も隣村である。そんな、子供時代の思い出は”JO少年物語”で色々思い出を記述しています。

ここは、JO君が生まれ育った歴史的環境について記事を纏めてゆきたい。人は、現在の環境だけでは生きていない、過去の歴史も重大なる環境であります。子供の頃から、百済寺史跡で拾う、瓦の菊花紋の断片を見てるだけで、豊かな幸せを感じたものだ。

○王仁(ワニ)博士とかぐや姫伝説 2004/4/3

○洞ヶ峠の想いで 2004/6/16

○わが故郷2 2004/3/23

○古代大和と河内 2004/6/15

○大和国原望景 2004/4/3

○出雲と三輪山 2004/3/26

○ヲホド王と私の故郷 2004/3/17

○維新の女傑 2004/4/2

MuBlog 連携

○MuBlog 筒城宮

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平安京以前の京都は?

桓武天皇さまが、平城京から山背国、現在の京都に遷都される前はどんな世界でしたでしょうか。山城国風土記には色々と記述があるようなので、今度、暇なときにじっくりと読んでみたい資料です。

(山背国)

大和の国から見ると、北側には京阪奈丘陵が有りますね、山の向こうの土地という意味で、山背の国と呼ばれた説があるようです。木津川を下れば淀川に合流します、其処には古代、巨椋池(おぐらいけ)があり、北から桂川と鴨川が注いでいました。これらの河は氾濫し人の住める場所ではなかったようです。

(葛城山麓とマキムク・三輪山)

さて、話は古代の奈良盆地を見てみましょう。縄文以前にはこの奈良盆地も池だったそうです。人が住めない湿地帯だったようですね。土木技術を持った渡来系の人々が入植し、灌漑を行い少しずつ稲作できる場所を開拓して行きました。

私は三輪山、マキムクあたりのヤマト王権(日巫女)と葛城山麓の葛城王権の二つが存在したと思います。ヤマト王権は渡来系としては出雲氏、物部氏であり、葛城王権は長脛彦からの蘇我氏、葛城氏(加茂氏)秦氏ではないかと思います。門脇先生は葛城王朝について本も書いておられますね。

(山背国に入植)

奈良盆地に於いては、その後幾多の政変があり、渡来勢力同士の戦いが繰り広げられたでしょう。奈良盆地を捨てて、未開の山背国に入植せざるを得ない渡来系勢力が有りました。

現在の深草あたりと、桂川流域に入植したのが、秦氏です。鴨川に入植したのが賀茂氏です。その他、八坂氏、土師氏も入植しました。桂川は昔、葛野川(かどのかわ)と呼んだそうですね。鴨川も多分違う名前だったでしょうね。加茂(賀茂)氏が入植したので名前がついた。

葛城王朝の末裔が入植したので、葛城王朝の野(葛野 かどの)と入植者は命名したと思います。もしくは、私の生まれ育った招堤村の隣は、交野(かたの)と呼びます。今は岩船村と合併していますね、天の川の傍です。この交野の云われも参考になるかも知れません。

湿地帯ですから、潟(かた)から来たと言う説と、淀川から眺めると肩のようななだらかな土地に見えるからという説の二つがあります。以前、blogでは枚方(ひらかた)の語源に触れましたね。

(開拓者達)

大陸の政情不安から渡来した人々とか、九州から追い出された人々は関西に来ても、いい場所に住めるわけはない。自分達で開拓するしかないわけですね。川の氾濫を制御し、持ち前の土木技術を駆使する、そして鉄の土木工具と稲作工具を使い、美田を作って行くわけです。

アメリカはGo West でしたが、日本ではGo Eastだったわけです。昔は、騎馬民族征服説なんかが有りましたが、今は信ずる人は少ないです。渡来系の人々は自分達のテクノロジーで日本の湿地を開拓し、美田を開墾し、絹織物を作り、鉱山の開拓もした。感謝すべき人々だったと、思います。


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TITANとハム仲間

地球から12億8千万キロ離れた土星の惑星、タイタンに探査衛星ホイヘンスがパラシュートで着陸した。
土星とは子供の頃から不思議なワッカを持った星だと理解していた。直径は5150キロ、気圧は地球の1.6倍だそうな。90%が窒素で10%がメタンだそうな。

2004年6月30日に地球から7年もかけて旅をして来た、探査機カッシーニは土星軌道に入った。そして、写真を撮り始め、遂に、2004年12月24日クリスマスイブにホイヘンスをタイタンに落下させた。1月14日に無事着陸した。

(衛星通信とは)

私の計算によれば、12億8千万キロから、無線を飛ばすと地球まではどれくらいかかるか?電波は光の速度とすると一秒間に地球を7周り半するので、約36万キロ飛ぶ。12億8千万キロを36万キロで割れば、どれくらいの時間で電波が地球に到達するか判明する。多分60分だと計算した。

タイタンから電波を発射すると、1時間しないと地球に届かないわけですね。地球上でも赤道上に静止衛星を揚げて通信をしています。この衛星は静止してるのではなく、地球の自転速度と同じで飛んでいるので、静止してるように見えるだけです。

太平洋、大西洋、インド洋の上空に静止衛星は打ち上げられています。1つの衛星では地球の1/3しかカバー出来ないので3個は必要です。この衛星は地上から約3万6千キロの上空に存在しています。だから、皆さん衛星を利用したテレビ中継ではレポータの答えが遅くてイライラするでしょう?最低で7万キロは電波が飛んでいるんです。

7万キロと言えば、36万キロの1/5ですね、1/5秒遅延するわけです。欧州の場合は大西洋の衛星と太平洋の衛星の二個を経由して日本に到着しますので、14万キロとなります。それだけ、遅延するわけですね。

(ハムの衛星)

さて、アマチュア無線を馬鹿にしてはいけない。世界のハムは何個も衛星を持っています。日本ではJAMSAT(日本アマチュア衛星通信協会)というものがあり、衛星を持っています。

JAMSAT

ハムは昔から静止衛星及び非静止衛星を使い交信しておりました。特に、楕円形にオービットを描く衛星の軌道を計算してアンテナを衛星に目掛け電波を発射し、衛星を追尾するんです。430メガとか1ギガの周波数を使用して10エレメントの八木アンテナを4段にスタックしてビームを絞り、発射します。

コンピュータで軌道計算のソフトは世界中に配布されていますので、そのソフトを利用してコンピュータとアンテナを制御するモータ2個を連動させるんです。(仰角、左右角)

(月面反射と流星反射)

ハムの仲間では月面反射通信と流星乱反射通信を楽しむ連中もおります。これも、電波の直進性を利用して思いがけない通信を楽しむ阿呆な連中です。

しかし、アマチュア無線家を馬鹿にしてはいけない、彼らは専門の研究家である場合が多いので、とんでもない事をしでかす。

(昔の職場の通信のプロ)

彼は、無線通信のプロでした。同時にハムでも有りました。ある時にアフリカでクーデターが発生した。アフリカ在住の日本人のハムがいち早く日本に連絡する為にハムの電波を出した。世界中のハムが虚弱な信号を受けたので、一斉に同じ周波数で電波を出し、混乱の極みとなった。

○○工場の彼は、自作の放送局並出力のリニアーアンプに火を入れ、世界中の電波を蹴散らかしてその、日本人と通信する事が出来た。勿論、法律違反ではあるが一瞬である。そして、技術力が無ければそんな、リニアーアンプの製作は出来ない。

彼は、外務省から表彰された。いち早く、邦人の避難・救出とクーデターの事実をつかめたのである。

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グルメ関連 目次編

私はグルメでは有りません。しかし、料理人でありまして週末は私が買い出し、料理を担当しております。
多分に学生時代のワンゲル生活にて、野山を徘徊し、粗雑な素材で美味い料理を作る喜びに目覚めたのかも知れません。

海外生活と仕事で海外に出張する事も多かった関係上、異国の料理についても余り、拒否反応は有りません。最近の訪れた場所での料理を御紹介します。

ついでに、私の瘋癲娘がフランスに住んでいます。彼女も料理が好きなので、HPで沢山紹介しています。ご参考にして下さい。 瘋癲娘LACALACA


〇豚の丸焼き(広州) 2004・3・20

〇おなか空いた?(ステーキ) 2004・4・8

〇えつ 南蛮漬け季節料理 2004・4・13

〇私(あて) 六本木焼酎ハウス 2004・5・14

〇ミートフォンヂュー(スイス) 2004・7・27

〇安芸路 虎ノ門 2004・11・10

〇クエ料理 九絵家(大阪) 2004・11・25

クエ料理写真集

〇ベトナム料理 恵比寿(We) 2004・5・11

〇一所懸命 We若者経営者達 2004・6・7

〇虎ノ門 蕎麦『砂場』 2004・11・1

〇自由が丘 『金田』 2004・6・17

〇ロスアミーゴス(メキシカン) 2004・6・21

○2004秋合宿人気レシピ 2004/11/08

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MuBlog 10万件アクセス祝す!

遂に、MuBlogが11カ月で10万件アクセスを達成した! おめでとう!!

MuBlogは地味なサイトである。読書とデジタル平安京絵巻物、そして電子図書館(情報処理技術)、そして古代史である。

私は作者とは友人の梅安さんの御紹介でTownsを開発している頃に京都大学の長尾先生の研究会でお会いした。
以来、梅安さんの音頭取りにて、京都、奈良を御一緒させて頂く栄誉を頂いている。世間はこの三人を『風雪梅安一家』と呼んでいる。

本職は学者らしいが、なかなか起業化精神旺盛なおかたであり、大昔には会社を起こし、ゲームソフトの開発も自らされていたそうだ。その頃のソフトが最近はプレミアムがついてるらしい。(本人の言であり、不確かなり)

私は、古代史が好きでありMuBlogには多分、500件を越えるコメントを書いている。顧客第一主義の方なので、コメントすると必ず、直ぐに、返答される。真面目な方であると感心している。

私も同じ頃にblogを始めました。私は丁度、5万6千件のアクセスですから、彼の半分である。初期の頃にはMuさんと、梅安さんには、激励を頂き且つ又、記事の添削を頂きました。もともと、文章は苦手で誤字の多い私を指導して頂いた事を感謝したい。

(これからのMuBlog)

私の予測では多分4年後~5年以内には100万件を達成されると思います。私は50万件で合わせて150万件になるでしょう。梅安さん(ふうてん)の『瘋癲老人日記』は早、6年目にさしかかり、4~5年後には10周年記念となる。

問題は三人が其れ迄、生きているかが問題であるが、清く正しく生きていれば神もお助けくれると、信じている。

MuBlogはこれからも、世間の流れを無視して独自の世界を展開されると予想している。いつの間にか、世間が変わって行く事を期待する。これからも、『風雪梅安一家』を宜しくお願いします。

とにかく、MuBlog 10万件アクセス達成、おめでとう御座います!!

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日本人は何故土産が好きか?

日本では何処かに出張すれば、職場とか家族、友人にその土地の土産を買ってくる。私の職場でもその風習がある。博多の明太子、熊本の辛しレンコン、浜松のうなぎパイ、高松・松山のジャコ天・・・・それはそれは、日本国中土産物のオンパレードである。

(米国では土産物が無い)

米国時代に月に数回は飛行機に乗り、米国各地に出張していたが、土産物が無い。何処の空港でも同じものを販売している。しかも、空港のシステムが何処も同じである。これは、見知らぬビジネスマンにとり便利であり、直ぐにレンタカーを借りて目的地に行ける。

しかし、味気ない世界である。しょうがないので、米国各地のスプーンを集めることにした。土地の名前の書いてある飾り物のスプーンである。しかし、ある時に、シカゴのオ・ヘヤ空港か何処かで、米国中の各土地の名前が記入されたスプーンを販売しており、あほらしくて、それ以降やめた。

(日本では何故土産を買うのか)

そもそも、その土地でしか売らないというのは、多量生産、多量販売のビジネスモデルからは外れた考えだ。米国人にとり、考えられないビジネスモデルなんでしょうね。だけど、私のように米国の田舎に行けば、何か記念の美味いものとか、其処でしか買えない物が欲しい。

日本は江戸幕藩体制の時代が長く続いた。庶民は土地を離れることは固く禁じられていたんでしょうね。僅かにお伊勢参りとか熊野詣でとか、許可される範囲は狭いものだったんでしょうね。それと、物流と商品経済は大阪に集中して、大阪と江戸以外では他国の物産などは手に入らない状態だったんでしょうか。

それと、諸国は藩が政治を行うわけですから、独自の文化と独自の物産が開発された訳ですね。ここに多様な文化が生まれたと考えられます。今は、自由経済で日本中のものが手に入る時代です、なのに、旅行するとその土地の土産を買う習俗が残っている。

(シカゴ饅頭は売れるか)

米国時代に真面目に、米国各地の特産の饅頭を製造してビジネスマンに空港で販売する案を考えた。ミシシッピー名物のなまず饅頭とか、アトランタのタラ饅頭とか、ニューヨークのりんご饅頭とか・・・・。サンノゼの本社に戻り、米国人に相談したが、”買うのは日本人だけだ”と言われた。彼らには、その土地が特別の文化とか特産とかいう考えが毛頭ないのである。米国全土がフランチャイズされた画一した文化で覆われた町なのです。

全てが合理的に出来た、国なのだ。しかし、面白くない国である。未だ歴史が無い国だからだろうか、どうやら違うように思える。私は稲作・漁労文明と畑作・牧畜文明の根本的に異なる考え方がそうさせているように思う。自然から食料を頂き、南北に弓のように長い気候の異なる日本列島の土地と気候が影響していると思う。

21世紀は環境の時代になる。さて、これからは益々人間だけが幸せになる世界は難しくなる。日本の饅頭文化はどうなるでしょうか。

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ダウンタウンヒーローズ 映画

2005_011600042005_011600032005_01160002この映画は同僚の梶山君が私に贈呈してくれました。映画のカタログとビデイオです。私はこの映画のような世界が青春の理想でした。旧制高校のバンカラな世界を経験してみたかった。

”ダウンタウンヒーローズ” 山田洋次監督作品、原作 早坂暁 松竹映画

キャスト
中原房子ー薬師丸ひろ子 志麻浩介ー中村橋之助 オンケルー柳葉敏郎
アルルー尾美としのり ガンー杉本哲太 ホルタンー武野功雄
炊事委員ー黒崎輝(家内のいとこ) チョビンスキーー坂上忍 谷口咲子ー石田えり
ドイツ語教師ー米倉斉加年 国文学教師ーすまけい 警察署長ー加藤武
正岡公子ー樫山文枝 喫茶店マダムー淡路恵子 心理学教師ー田村隆一
校長ー久里洋二 志麻民子ー倍賞千恵子 春之助ー渥美清

”監督の言葉” 山田洋次氏語る

”こんなことで、青春を終われるか!”そんな、憤りも、激しい空腹でかき消されてしまう、何もない時代だった。
しかし、奇妙な開放感と、自由があったことだけは、しっかり記憶に焼きついている。
日本にとっても、つかのまの青春ー貴重な時代だったのではないだろうか。
旧制高校という枠にとらわれず、全員ヤングのグラフィテイをーー一度は撮るぞと思っていた夢がかなって、少し気負っています。

感想

日本が敗戦の焼け野原からやっと立ち直りかけようとしていた、昭和23年に学制改革により旧制高校が新制大学へと改編される前年のこと、最後の旧制高校生となった若者達を描いている。

松山高校の寮生活者達の奔放な生活ぶりが面白い。若者は空腹ではあるが、自由をかみしめ、精一杯に青春を謳歌している姿が美しい。

脇役を山田洋次ファミリーががっちり押さえ、オンケル役のギバちゃん、主人公の橋之助、マドンナの薬師丸を支えている素晴らしい映画に出来上がっている。

私の過ごしたワンゲル時代も多少は未だ、このような風潮が残っていた。時代は大学紛争の真っ只中ではあったが、映画で描かれている寮生活とかファイアーストームなどは、受け継がれていた。大学祭での劇がこの映画のクライマックスであるが、私達は四季おりおりの山行の合宿の終わりに行われる、ファイヤーを囲んでのスタンツと同じである。

この映画は自分の青春とダブリ何度観ても涙が出て来ます。素晴らしい映画であり、山田監督と原作の早坂さんには感謝したい。

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今日は雨 飛行機の修理

2005_01160001今日は一日冷たい雨が降る。天気予報では雪になるかもしれないと言っていた。近くの日曜大工センター迄、歩いてエポキシとボルト・ナットを買いに行く。今日は、久しぶりに飛行機の修理である。

先週の日曜日に飛ばした、”25年前のバルサ製作チェイサー”の修理と写真の”スホーイ”へのOS FS70エンジンの搭載である。

バルサ材は経年変化にて歪みがでる、それを修正し又、主脚の取り付けを補強する。
エルロン材が歪んでおり、先週はまるで酔っ払い運転のような飛行で恥をかいた。(いつもの事?)
スホーイにエンジンを搭載しようとすると、ネジが外れない。千葉のラジコン親爺から譲り受けたエンジンではあるが、フローテングマウントを新調しないと駄目な模様である。

外は雨、こんな日は自宅で静かに飛行機の製作とか修理をするのが一番幸せである。うるさい孫を部屋に入れずに、黙々と製作に励むのが良い。昼間からビールとかワインを飲み、飛行機を創る。酔っ払い、必ず何処か不具合がでる。いいんです、プロではないから。あくまで、素人の遊びですから目くじらをたてない。

明日もし晴れれば、新横浜で飛ばそうと考えている。小さな飛行機もあるので、人さまに迷惑かけない程度の飛行機を飛ばす。

今日は大学のセンター試験である。雪にはならずに良かったとは思うが、寒い。
受験生の連中と立会いの先生はたいへんでしょうね。特に、京都方面ではMuさんは試験の立会いである。寒いやろな~~と、思う、御苦労様です。

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ワンゲル時代の想いで 目次編

小学生時代はボーイスカウト、中学時代からワンゲル部に入り、大学時代は体育会ワンゲルと野外を放浪する趣味を続けてきた。

私の理想は虎さんのように、放浪する自由な世界が憧れでした。今でも、そうかも知れない。そんな世界を記事にしています。主に、大学時代のワンゲルの世界と当時の仲間との世界です。

○ワンゲル同期同窓会 2004/4/17

○雲の平の想いで 2004/5/8

○テントの中の怖い小話 2004/6/7

○屋久島の想いで 2004/6/9

○神話の島 沼島 2004/6/10

○ロスアミーゴス 2004/6/21

○覆面の馬鹿たれ 2004/06/21

○ロスアミーゴスその2 2004/6/21

○故正井君の想いで 2005/1/12

○ワンゲル同期5名 in 蒲田 2005/1/14

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JALパックのルーツ

昔、日本の高度成長の頃に庶民の我々も少しゆとりが出来、夢の海外旅行に行けるようになった。それが、JALパックという団体で安く海外旅行が楽しめる旅ではなかったでしょうか。勿論現在でも、格安で手軽にあなた任せで旅行が出来る素晴らしいシステムだと思います。

(8万円で8日間のイタリア旅行)

実は私も最近の話ですが、ニューヨークの惨劇911事件の年末に北部イタリアの旅に家族ででかけた。世界が緊迫し旅行会社は予約のキャンセルの嵐に見舞われ、海外旅行する人は激減した。そこで、或る旅行会社が赤字覚悟の8日8万のイタリア旅行の企画を出し、我が家は乗った。

(信じられない安さ)

丁度、息子がミラノでバイオリンと楽譜を買いたいというもので、三人で出かけた。年末から正月にかけての旅である。イタリア北部のミラノ、からバスでイタリア半島を南下する旅である。ベニス、フィレンチェ、パルマ、ローマへの旅行でした。飛行機料金、宿泊代、食費込みの値段である。

(パック旅行のルーツとは)

さて、この格安で団体で旅行する風習は何時芽生えたんでしょうね。どうも、日本人はこの手の旅行が安いという理由だけでなく、何か、本質的に好きなDNAを持っているように思える。

小学生の頃から遠足とか卒業旅行とかゼミ旅行とか職場での積み立て課内旅行とか・・・。ホント好きですよね。
司馬さんの”歴史の中の日本”という本で、実はこの件に触れていました。”庭遼(本当は火編)にわびの思い出”という随筆の中で語られています。

(お蔭詣り)

室町の戦乱の時代に何処の神社も疲弊した。伊勢神宮も大変疲弊し巨大な森の維持と神社の経営が危険に晒されたわけです。戦国の武将が神社の領地を侵食し収入の道が絶たれた。そこで、今までは庶民とはかけ離れた存在で皇室の縁の神社という、孤高の存在では飯が食えないとなった。

そこで、奇想天外なビジネスモデルを考えた。伊勢神宮に通じる街道沿いの宿屋と連携し地方の村々に伊勢講を組織し団体でお伊勢さんに参拝させるビジネスモデルである。それまでは、孤高な存在であったお伊勢さんを、大衆化してグンと大衆に近ずける作戦である。

この時に活躍した営業マンが御師と呼ばれる人々であり、宿屋の経営者であり、今風に呼ぶと松下電器の販売店の店主である。即ち、伊勢神宮フランチャイズの販売店である。彼らが、お札を配るとか村の講の組織作りに尽力しお金が落ちるシステムを推進した。

(ビジネスモデルは歴史にある)

今は米国企業の専売特許にあるような、フランチャイズ制度とかワンツーワン・マーケテイングとかアウトソーシングとかブランド戦略とか、言葉は新しいが、実は、日本の歴史の中では大昔から発明されてるわけです。米国とか西洋の経営を追求している学者とか経営者はもっと、日本の歴史に目を向けて欲しいと思う。

何故日本には今でも革新的と思われるビジネスモデルが存在するか?私の思うところ、神社、仏閣というものは本来国に守られてヌクヌクと生きてきたわけではない。自分の力で生きてきた歴史を持つのです。だから、現代資本主義の企業と同じ立場なのですね。どうすれば、生き延びることが出来るか?常に、考えて歴史の荒波を乗り越えてきた伝統ある会社なのです。

表題と記事の中身の関連がむちゃくちゃになりましたが、江戸時代の伊勢神宮詣でのビジネスモデルをJALパックはパリのルーブル博物館とかイタリアのフィレンチェ詣でに変えただけの話でした。

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ワンゲル同期5名 in 蒲田

Cimg00052005年1月13日(木)夜、蒲田の韓国料理屋にて再会した。ワンゲル同期であり鹿島槍ガ岳に山小屋を建設した仲間である。36年も昔の話である。

写真の真ん中の可愛い、愛嬌のある御仁はponちゃんである。大阪からの出張で東京に出て来たので、歓迎会である。奥様は同期のワンゲル部員だったメッチェンと結婚して自分だけいい目をみた顰蹙者である。早速、ponちゃんの自宅に携帯から電話して、皆で代わる代わる話をする。可哀相に、酔っぱらい相手に大変でしたね。

私とponちゃんに挟まれて、借りて来た猫みたいな御仁はキーちゃんである。彼と私は同じ京阪電車の近くの駅で長い距離の通学でした。(香里園と牧野)
そこで、本日の幹事のゴローちゃん(写真左端の親爺)が阪神電車の春日野道駅近くの親戚の長屋を紹介してくれた。

(キーちゃんと長屋生活始まる)

二人とも、初めての下宿生活である、これは楽しい生活を予感させた、胸ワクワクで引っ越しをした。先ず、驚いたたのは、ここは江戸時代の長屋の映画の撮影場所ではないか?と、思う程強烈だった。先ず、中庭にポッツリと廁がある。まるで、時代劇だ。部屋は6畳一間で土間からいきなり畳の部屋だ。これで、確か一月4~5千円だった。

ま~いいではないか、安いしこれから自由な生活が待ち受けている。キーちゃんと二人で、屋台に祝杯をあげにでかけた。

(夜が寝れない)

夜中になると、うるさくて目が覚めた、何だろうか? 目の前を巨大な猫程でかい鼠が走り廻っているではないか?こいつ達がうるさくて眠れない。おまけに、体中がかゆくなって来た。今度は、かゆくて眠れない。朝迄、眠れず、身体をみると、大変、南京虫ではないか。

遂に、私は1カ月我慢したが、私の兄貴が来て自宅に連れ戻された恥ずかしい下宿の一人立ちの失敗談でした。その後、1カ月はキーちゃんは頑張ったがやはり、兄貴により強制帰還させられた。

(大家が夜逃げ)

宴席でこの話が出た。ゴローちゃんは曰く、つい先日、その親戚は自己破産して夜逃げをしたそうだ。従い、思い出の長屋は更地になったそうな。どういう、親戚に囲まれて生活してるのか、『ゴローちゃん』。

(キーちゃん玉の輿事件)

この、長屋で下宿に失敗したキーちゃんの話である。彼は、スキーが上手く、スキー場で某有名文房具メーカーの御令嬢と知り合った。これが、うまく行くと彼は『玉の輿』のお婿さんである。同期は皆貧乏な家庭の連中ばかりであり、彼の成功を期待した。しかし、ある日からこの話は禁句となった。何があかんかったのか?皆で評定、反省会をした。

ま~~、私と阿知羅くん(写真左から二人目)についての話は後日にしましょう。

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故正井君の想いで

明日は久しぶりに大学時代のワンゲル同期の5人が集まる。

残念ながら、同期でともに山小屋を建設した副将であった故正井君は卒業を控えた、夏の山行の奥穂高岳で滑落死亡した。もう36年も昔の話しだ。会えない。その時私は、北海道の利尻富士を登り、大雪の山を登っていた。

(二人で宮之浦岳を登る)

彼との想いでの山行と旅は、屋久島の宮之浦岳と帰りの日本海沿いの汽車の旅である。鹿児島から船に乗り屋久島に渡り、三月の未だ山は雪で覆われた宮之浦岳を目指した。1935メートル九州では一番高い山である。

山を降り、安房の海岸の露天風呂に入り又、鹿児島に戻った。山のパーテイを解散し、私は故正井君と二人で関西まで二人で、日本海を眺めながらのんびり、帰路につく事にした。6人用のでかいテントを担ぎ、鍋も担ぎ、自炊旅行である。

(下関の駅で寝る)

下関の駅で二人で寝ていると、周りがうるさい、目を覚ますと通勤客と通学の学生が私達二人の周りを取り囲んでいる。イカン、急いでシュラフザックから飛び出て、駅の外に出て朝飯を作る。ホエーブスを焚き、飯盒で飯を炊き味噌汁も作る。

飯盒と味噌汁の入ったコッフェルを抱いて、山陰本線の鈍行に乗りこむ。中学生か高校生達が私達を見て、大笑いである。なんと貧乏な連中か、と。笑顔で応え、もくもくと美味しい朝飯を汽車の中で食す。

私達は体育会であり、パーテイは解いても、未だ部活動が続いている、山の制服であり肩口には大学名と体育会ワンダーフォーゲル部と文字が刻んである。しかも、主将と副将の二人である。変な行動は出来ない。

(須佐の駅で下車)

日本海の眺めは素晴らしい、夕方になりあまりに景色がいいので、途中下車することにした。駅名は須佐である。

須佐関係参考

駅員さんが余程珍しいのか、何しに来たか?と、問う。あまりに美しい景色なので感動して、下車したと言う。
彼はとても感動して、君たちは何者だと問う。ワンゲルと答える。判らん?巨大なリュックを背負い重装備である風体が異様であるらしい。

しかし、何時も笑顔の故正井君が、ところで、海を見下ろせる高台で幕営できる場所は無いか?と問う。親切な駅員さんは、私達を近くの高台の公園に案内してくれた。幸い、水道もあった。夕焼けの素晴らしい景色である。

須佐之男命のゆかりの場所である。遥か古代に想いを馳せ、二人で晩飯を作り海を見下ろしながら幕営した。

(大阪駅で別れる)

その後、山陰本線を楽しみ最後は大阪駅で別れた。彼は明石が実家であり、本当に何時も明るい笑顔を絶やさないいい男であった。

彼とは、学生時代は何回一緒に山を歩いたろうか。そして、山小屋建設という大事業を一緒に成し遂げた女房役だった。彼の写真は今でも後立山連峰の鹿島槍ガ岳の山小屋には飾ってある。そして、我々の山小屋建設を始めたときからの山小屋日誌は思い出詰めて残ている。

その後、何年も経過して私も所帯を持ち子供も出来た。息子が言う事をきかない時代があった。ある時に山小屋に連れて行った。息子はこの30年も以上昔の山小屋日誌を見つけ、親爺の学生時代の記録を読み、私に対する態度が一変した。


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電動機時代

2002年は一年間、電動飛行機に凝った。

電動機時代写真

今年は、又、電動機に挑戦する積りである。今度は、中型機に挑戦する。エンジン機で言えば、50クラス迄である。
最近の電動機の技術進歩は目覚しい。モータの進化と電池の進化と電子制御の進化である。

2002年のこの頃は、小さな電動機に触れて、面白く、自作したり、キットを購入して製作したりして、週末は朝の6時頃に新横浜の鶴見川に出かけ飛ばしたもんだ。

月に1機は製作をして飛ばし、そして墜落させて大破させていた。まだ、リチューム・イオン電池が出たばかりで、充電器も市販はなく、苦労した。横浜の赤とんぼ3人組はよく飛ばした。懐かしい。

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青色LED訴訟和解

本日、青色発光ダイオードの発明家、中村修二教授の訴訟が和解した。東京地裁が発明対価が50%で604億円。今回の二審の東京高等裁判所は本人の製品化貢献率は5%であり6億円、遅滞金で8億4400万円。

(この問題の重要性)

20世紀は多量生産多量消費の時代でした。そして、製造立国で今の日本の経済の繁栄を勝ち得た。しかし、これからの21世紀は、もはやもの余りの時代であり、知識産業が重要となり、製造は製造でも世界で誰も出来ないものを研究開発して特許で国を富ます時代である。

(パルミザーノレポート)

もう直ぐ、米国では米国IBMのCEOである、サミュエル・パルミザーノが委員長を務める重要なレポートが出る予定である。どうやら、下敷きはハーバードの有名なマイケルポータ教授とMITのスコット・スターン教授が99年にレポートしたものが、核になりそうである。

マイケル・ポータ先生はスローンスクールで経営学を教えており、日本でも有名であり、私の経営学の師匠の山田文道先生も昔からの知故の仲である。エクセレント・カンパニー、イノベーション、オンリーワン、これが彼の口癖である。

米国は現在、財政赤字と貿易赤字のダブルの赤字に悩まされ、危機的状況にある。今後の長期的な米国の優位を保つ産業、教育施策についてレポートが出る。どうやら、日経の記者のレポートによれば、鍵は”イノベーション”に於ける国際的優位にあるようだ。

これは、云われなくても、マイケル・ポータが関与したレポートならそうなる。基礎的な研究、世の中動転の技術開発、誰も真似出来ない技術開発に人材育成、企業育成を行う施策をとる。

(さて、LED訴訟)

これからの時代は、中国が製造分野で追い上げてくる。日本が生き残るには新しい技術開発で先を行くしかない。
これが、イノベーションである。米国の競争力評議会のレポートでは、日本が2005年も世界一と評価している。(イノベーション指数) 米国の敵は日本である。

そこで、結論になるが、今回の中村教授の訴訟は日本の企業と産業・教育政策に大きな提言をされていると、考えた方がよく、これからの日本の国のかたちを考える試金石である。

二審の判決文を正確に読んでいないが、何故、中村さんの貢献が1200億円のうち5%なのか?今後は、企業はどうあるべきか、研究者とか技術屋、及び、ビジネスマンの分野でもビジネス・モデル特許というものもあり、全て、知的創造物であり知的財産である。これの、報酬をどう考えるのが企業にとり、国にとり、個人にとりハッピーになるのか? 日本の今後の繁栄はこの舵取りにかかっている。

残念なのは、中村さんが、日本に失望され、日本の技術者は日本を捨てて、米国に来いと言われたそうだ。お怒りは判るが、残念だ。

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平泉を偲ぶ

数年前に平泉を観光した事がある。私の平泉に対する思いは、”兵(つわもの)どもが夢の跡”の芭蕉の句と義経の悲劇くらいでした。そうそう、藤原三代の金色堂ですね。

(奥の国)

白河の関以北は頼朝が奥州藤原氏を滅亡させるまでは、独立した国であった。蝦夷とも奥の国とも奥州王朝とも呼ばれていた。奥17万騎とも呼ばれ、且つ膨大な砂金の産出と名馬の産地にて栄えていた。司馬さんが”歴史の中の日本”において、語っていたが、源氏と平家が束になって戦争しても勝てない相手であった。

その繁栄の様子は、吾妻鏡にて”中尊寺の寺塔40余宇、禅坊300余宇。毛越寺(もうつうじ)の寺塔40余宇、禅坊500余宇”と書かれているそうだ。

(京文化への憧れ)

しかし、彼らは京の文化に憧れた。大金を持ち、京都で出かけ京文化の買い付けを行っていた。吉次が牛若丸を連れて来たのも、京文化への憧れだったんでしょうね。独立国ではあるが、大和朝廷に朝貢の関係を結んでいた。

(冬の平泉が良い)

夏草が生い茂る季節よりも、むしろ私が出かけた冬の終わり頃も風情があり、観光客も少なく良かった。どうしても、日本史は大和中心の考えで教えられているが、実は、蝦夷の地である白河の関以北の歴史に光が当たってもいいのではないかと思う。返す返すも、どうして義経を大将にして奥17万騎は立ち上がらなかったのだろうか?

そうすれば、日本の歴史は又、別の歴史が始まっていたかも知れない。

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日本人と稲作

最近千葉の八千代で飛行機を飛ばしているが、広大な面積の土地が元、水田でした。今は減反政策で荒地になっている。日本人はお米を食べなくなったんですね。

(人口と米の生産量)

1石とは180リットルで約180kgだそうで、一人が一年間、米だけで生きる必要量だそうです。ですから、加賀100万石と云えば、100万人を養えるという事ですね。

古墳時代は540万人の人口で弥生時代の9倍の人口増加。多分に米の生産量は540万石でしょうね。奈良時代になると人口は600万~700万人で700万石の生産。鎌倉時代は1200万人で1200万石。戦国時代になり鉄の農耕具の進化により、2500万人の2500万石。江戸元禄時代は3000万人で3500万石の生産です。

米の生産量を分析できれば、人口も割り出すことが可能なんですね。しかし、最近は日本人は一年間に60kg程度しか米を食わない。というか、米以外の輸入穀物を食している。

(農民は米を食せなかったか?)

テレビの時代劇で江戸時代は農民は悪代官のお陰で搾取され、米が食えないものと頭に刷り込まれている。しかし、これは嘘だと思う。鎖国の社会で3500万石の米を生産して誰が食べていたのか?金持ちは貧乏人の10倍も100倍も食べますか?おかしい。それでは、生産した米は何処へ行き、殆ど、日本酒に化けたんでしょうか?

私は時代劇が嘘だと思う。農民はしっかり米を食していたと考えます。問題は、江戸時代の貨幣経済の仕組みに謎があるかも知れない。

(大阪の米金融)

今の淀屋橋には戦国時代より江戸時代迄栄えた、米問屋の淀屋があった。彼は、日本全国の大名から米を大阪に移送させ、相場をたてて金融業を営んだ。当時の幕府は米本位制でしたが、社会はすでに貨幣経済に移行していた。各、大名はお金が必要なので大阪に米を送り、換金した。

しかし、吉宗の頃に幕府の財政建て直しのために米の増産を指揮したが、増産すればする程、米の価格は下落した。人口が爆発しない限り、需要と供給のケインズ理論により価格は下落しますよね~~。そのうち、大名は来年の米を担保に金を淀屋から借りるようになる。所謂、先物相場の成立ですね。

淀屋は20万両から50万両という膨大な金を大名に貸し付けるようになる。利子の返済額が膨大になる。しかし、これは米金融の世界であり、実態経済からはかけ離れて行く。丁度、バブルの頃に日本の土地の値段が高騰して、私が米国在住の頃ですが、計算すると日本の土地を全部売れば、北アメリカを2~3個買える金額でした。

そんな、馬鹿な話しはない。江戸時代の幕府と大名の経済政策が間違っただけです。

(西国大名の経済政策)

島津藩、鍋島藩、長州藩、等の西国で幕府の目が届かん場所の雄藩は密貿易で巨額の資金を調達した。鎖国米本位制からの脱却と開放・貨幣経済への転換である。私の親爺の実家が唐津で大規模な海外密貿易商でしたから、話しに説得力があるでしょ。

(結論は?)

お米の問題は深刻であり、現在は日本人が米離れしているが、1ヘクタールあたりの生産量でみれば小麦3トンに比較して5~7トンも生産出きる勝れた食料である。基軸食料を商品化してよいものか疑問です。そして、何時までも自由貿易ができる平和な世界が続くとも限らない。

日本人が生存できる為には1億2千万石の米は必要になる。又、世界の人口爆発と南北問題もあり、米の生産に関しては、単に、商品としてみるだけでなく、民族が生き残る最終兵器としてどうすべきか?考えるべきだと思う。


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2005年1月9日 千葉飛行会

2005_01100016朝6時に起床し、6時40分にわこちゃんが迎えに来てくれた。素早く、飛行機2機を積み込み、東神奈川のかっちんを迎えに行く。

8時には千葉の八千代の飛行場に到着。今日は寒い、霜が降りている。ほどなく、千葉のラジコン親爺と大岩先輩が駆けつけた。素晴らしい天気であるが、寒くて手がカチカチである。

飛行風景

さて、写真のエンジンは千葉のラジコン親爺から、安く譲り受けたエンジンである。飛行場での手渡しという事で受け取った。

(OS FS70 ULTIMATEエンジン)

このエンジンはOSが開発した、4サイクルのポンプ式の最新のエンジンである。11.45cc 1.2馬力、11000回転で530グラムである。プロペラは13X6をまわす。

メーカー説明

私はこのエンジンをスホーイ機に搭載予定である。スケールアクロ機である。かなり大型のエンジンであり、上級者用であるが、千葉の親爺が最高に仕上げているので、安心である。

(飛行会総括)

大岩先輩は昨年末に御引退されたので、これからは、奥様と二人で第二の人生を楽しく送られる状態で、何時でも飛行機とかヘリコプターを飛ばせ、テニス三昧である。40年間富士通に勤められた訳で、ご苦労であった。

わこちゃんは、前回の飛行会で印旛沼に墜落した”スカイ・フィッシュ”を作り直し、今回に臨んだ。が、墜落大破で終わった。

かっちんは”ストリーム25”のスタント機、私は、”Chaser"にOS FS30エンジン、”カルマート25スポーツ”の2機を飛ばし、千葉のラジコン親爺は”ACRO7",大岩さんは”サンデーアルファ50”にOS FS52搭載エンジン。特別な事はなく、無事であった。

この飛行場は広く、気分爽快である。新年飛行会は無事お昼で終了した。

参考 無人ラジコン飛行機紹介

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ハム仲間健在

年賀状を眺めていると、昔、一緒にハムを楽しんでいた友人の井上さんの賀状に目がとまった。
昨年は新しいアンテナを上げたそうだ。

井上さんのHP

彼とは同じ、東急沿線の近くの場所なので空で知り合い、アイボール・ミーテングをした。(地上でお会いする事)
当時、神奈川10メーターネットワーク(28メガ)のメンバーとして、私の家の近所の村山OM,(JM1OIA)とか、横須賀の
松本OM(JA1AYC),とネットワークを楽しんでいた。

(キュービカル・クワッド・アンテナ)

アンテナ紹介(井上氏)

どうやら、彼は沢山のアンテナを自作して20メータの鉄塔に載せているようだ。昔、近所の村山OMも自作アンテナが好きで私も助太刀で製作と組み立て、調整、クランクアップ・タワーへの取り付け、等手伝っていた。

家内が時折、私に言ったもんだ、”貴方のご主人は又、近所のお家の屋根の上に登って、巨大なアンテナいじってましたよ~~と”。そうなんです、井上さんもアンテナ自作が好きで、休みといえば、屋根に登り、そのうち、エスカレートして電動モータで高さ20メータ迄、消防署の梯子車みたいな鉄塔を買い、やっていました。

(アンテナのビームパターン)

村山さんの自宅でアンテナの調整がおわり、(この調整が難しい、デイップメータで周波数同調を取り、SWRメータで抵抗を調整)タワーに取り付けると、私は自宅に帰る。そして、144メガのトランシーバーで連絡を取りながら、村山さんは電波を発射する。

私は、村山さんが製作したのが例えば28メガのアンテナだとすると、私も28メガが受信できる八木アンテナを相手の家とは反対側を向けて、受信できにくい体制にして彼の発射する電波の強度を測定する。

受信機の電波強度インジケータを眺めて、相手の電波の強さを記録し始める。彼は、ブーム(アンテナの軸線)を少しずつ変えてゆく、例えば北から時計周りにタワー上のアンテナの方角を変えてゆく。その度に電波強度を記録してゆき、最後にビームパターンの絵が出来上がる。

ビームパターン参考

素晴らしいアンテナは電波が鋭く分散せずにアンテナを向けた方角にエネルギーを集中して発射される事である。
これが、ビームパターンを測定し描く事で判る。ヘボが作ると、電波は無茶苦茶な方角に分散してエネルギーが発射されてしまう。

そこで、何回も、アンテナの反射器、導波器を調整しながら理想的なパターンを描くまで製作は続く。これが、又、面白いのですね。なんせ、手作りですから。

(ワインのバイヤー)

井上さんはワインのバイヤーをされているようです。

フランスワイン

今度、一緒に娘のいるブルゴーニュにワインの買い付けに付き合いたいものだ。

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新春 悪巧み評定

昨夜は赤とんぼ主催の歓送会兼新年会が新横浜で開催された。送られる人は、赤とんぼと縁の深いN君であり、昔同じ職場であった。(25年以上前の話)彼は今度、長安(西安)にある開発会社の社長で赴任する。もう一人は引退する赤とんぼのO氏である。

(24年前の課長の新春抱負)

参加者は10名程度であり、皆、同じ職場にいた。課長は今のniftyの社長の古河氏である。1981年正月の年頭抱負が直筆で4ページ程記述されたのを、同期のT氏がコピーして持参し皆さんに配布した。懐かしい、この宴席にいる皆の名前が各、班ごとに存在する。

これを、眺めていて、まさに戦闘集団で有りました。戦国時代の戦いの陣形でしたね。親分が目標を決める。陣形を決める、戦いの注意を述べる、細かいことは言わない、皆自分で考えろ!任務は班で責任を持つ。個人ではない。

私は、この次の年1982年の一月には米国に赴任していた。さて、前ふりが長いが、この宴会のあと幹事団の赤とんぼ、横浜組の三人(わこちゃん、かっちん、jo)で二次会に出かけた。新横浜プリンスホテルの上に眺めの良いバーが存在する。

(悪ガキ三人の新春抱負)

実は、宴会の幹事としては最悪の赤字決算となり、2万3千円のあしを出した。気分直しに飲む事にした。さて、今年は何に挑戦するか?新春、悪巧み評定である。

○赤とんぼ”正史”編纂

汗と涙の30年の赤とんぼの正史を編纂することにした。1975年頃から1977年頃までの神話の時代から、正式に倶楽部の名前が決まり、会長も決まり活動が始まった1978年からの歴史時代へと変遷する。

膨大な機関紙と8ミリフィルム、写真、が残されており資料には事欠かない。蘇我氏、物部氏の家伝ではないが各人も資料をもっているので、供出させて正史を編纂する。

○電動機に挑戦する

2002年は一年間、電動機の小型機に挑戦した。横浜3人組は週末は朝の6半頃から日の出とともに、一年間、電動小型機を飛ばした。2005年は再度、技術革新が激しい電動機の世界に挑戦し、今度は中型機に挑戦する。

モーターはブラシレスであり、リチューム・ポリマー電池を使い、エンジン機でいう中型機である50クラス迄の馬力に挑戦する。自然に優しいクリーン路線である。そして、私は夜間飛行できるLED搭載の飛行機にも挑戦してみたいと、考えている。

電動機はエンジン機よりも、空中撮影とかGPS搭載とか電子的な路線も見えて来るかもしれない。電子機器としてのラジコン飛行機の路線である。

楽しいですね、ま~~楽しみにしていて下さい。


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鳳凰と長江稲作文明

鳳凰は皆さんよく御存知ですね。お札の裏に描かれているし、平等院の屋根の上にもいますし、お神輿の上にもいますよね。あれ、何かしってます?

子供の頃から、不思議でしたね、鶏のようで、それでいてスタイルはいいし、孔雀のような羽根を持ってるし、とさかはあるから鶏かな~~、しかし七面鳥のような冠を持つし・・・・誰かいな~~?と、疑問でしたね。

安田先生が解説していました。簡単に紹介しませう。

(鳳凰)

・七面鳥の冠、おしどりの頭、雄鶏の嘴(くちばし)、おしどりのしっぽ、鶴の身体、おしどりの足、孔雀の羽根で出来ている想像上の鳥であり太陽の化身である。

・黄河流域より遥か昔に栄えた、長江流域の稲作・漁労民族の神である。何故かというと、太陽の運行を鳳凰が両羽根で太陽を抱いて司るものと考えた。

・鳥は稲作・漁労民族にとり身近な存在であった。そして、鳥は空を飛べる。渡り鳥は稲作で大事な季節の運行と関係して定期的に決まった季節の訪れ、去る。稲作の害虫を食べてくれる。(このあたりは、joの創作)

・世界は木が握る。木が太陽を毎日創りだす。木の実と同じで太陽をつくる。これを、宇宙木と呼ぶ。扶桑の木とも呼ぶ。鳳凰がその太陽を両羽根で抱いて飛び立ち、昼間が来る。長江上流域の三星堆遺跡あたりの文明では、これがカラス(烏)となる。

・皆さん、三星堆の青銅で出来た、数メーターもある扶桑の木を見られましたか?カラスがいるでしょう。そして、扶桑の木には沢山の太陽がぶら下がっていますね。

『三星堆・中国古代文明の謎 2004/7/5』記事
参考Web 神樹

・湖南省高廟遺跡や、河拇(女偏)渡(カボト)遺跡、三星堆遺跡、に共通なのは鳥が太陽を抱えて、この二つは密接不可分である事です。

・鳥と太陽の関係に未だ、疑心暗鬼の人に、jo独自説で答えましょう。朝、太陽が昇る頃に鶏が鳴く。鶏の声で太陽は姿を現す。そして、太陽が沈むと、鳥は活動しない。ホレ、鳥目という位ですからね。え?飛んでる鳥がいる?それは、蝙蝠で鳥では有りません。

・朱雀は鳳凰の変化したものである。

(火の鳥)

安田先生は手塚さんの”火の鳥”は鳳凰であると述べています。日本の文化のルーツは鳳凰と太陽であり、再生の思想と循環の思想にあると述べる。手塚さんが最後の大きな仕事としたのは、”火の鳥”でしたね、彼は民俗学者でもないし、歴史学者でも、考古学者でもない。しかし、彼は作家としての特殊な才能により日本人の心の基底にあるのは鳳凰と太陽であると見抜いていたんでしょうね。

今回は、日本のお札の裏面であり、平等院、お神輿、である鳳凰と太陽信仰についての話でした。次回はもう一つ稲作・漁労民族の大事な神である蛇についてのお話です。

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龍の文明・太陽の文明

先日NHKの環境問題の番組で、安田喜憲(やすだやすのり)先生が登場していた。以前、blogしましたが、
長江文明の謎
安田先生の別の本の紹介をしたい。

龍の文明・太陽の文明  PHP新書 ISBN4-569-61735-2 2001年9月第一版

(先ずNHKの番組紹介)

最近は、NHKのまわしもの、みたいですが、実は、私は安田先生のファンなのです。彼は、文明論を展開するが民俗学者ではなく、理学博士なのです。湖底をボーリングして粘土を採取して各年代の花粉分析をするんです。一年単位で層を成すので、3億年前からの一年単位の地球の温度を花粉分析から割り出した。アジアモンスーン地帯の過去3億年とヨーロッパの3億年である。

2億5千年前のシベリアの大噴火による地球の酸素が急激に低下して、95%の生命が絶滅し恐竜と哺乳類の先祖が生き延びた話も面白い。恐竜には特殊な肺の構造があり、メインの肺の他に二段構えで肺を持っており、少ない酸素で活動できた話は面白かった。(いけない、これは安田先生の説ではなく、別の外人の先生でした)

安田先生の説に戻ろう、先ず、温帯モンスーンの東アジアに寒冷気候が襲った。12000年前の話しだ。東アジアの人々は稲作の発明と漁労で食料の確保を行い、絶滅から逃れた。

遅れて、ヨーロッパが寒冷気候が襲い、彼らは麦の畑作と牧畜の発明で絶滅を逃れた。ここに、世界は二つの文明が存在する事になり現在に至る。中国では最初の文明は長江流域から文明は発生した。稲作・漁労文明である。
その後、NHKの新シルクロードの楼蘭遺跡での美人ミイラの発掘でポシェットの中に麦が存在した。中国の黄河流域に麦の畑作が伝播する1000年も前の話だ。楼蘭人はヨーロッパ人であり麦をここ楼蘭に伝えた。

(稲作漁労文明の特徴)

稲作は水を必要とする。水を確保するには森が必要になる。漁労も豊かな川の水が注ぐ海に魚は繁栄する、そのためには森が必要である。自然循環型の再生と循環の世界観が生まれた。自然との共存が、食料確保の原点である。

(麦畑作と牧畜文明)

森をどんどん、開墾し畑と牧草地を拡大した。ヨーロッパは森で覆われていた土地である。それが、人間中心の畑と牧草地にしてしまった。人間中心主義が生まれた、自然より人間が頂点に立つ、文明である。その後、産業革命を経て益々、化石燃料を使い、自然を征服する文明が発達した。

(中国の歴史)

中国は実は、黄河流域の麦の畑作と牧畜の龍を神とする文明と、長江流域の稲作・漁労文明、所謂、太陽と蛇を神とする文明が存在した。太陽を神とする事はその使いである、鳥信仰であり、太陽を鳥がその運行を手伝い、特に鳳凰が生まれた。烏(カラス)は太陽で焼けて、真っ黒です。

しかし、中国では長江文明が龍の文明に制圧され龍が文明が支配する事となる。その時に、多くの長江流域の稲作・漁労民は海にでて、日本に到達した。鳥信仰の人々は鳥は龍を食べると信じていた。

(ニニギの命は稲作・漁労民)

氏は語る”日本神話に出てくる天皇のルーツ、つまり、日本神話を彩るものをみてゆくと、日本の支配者となった人物のシンボルが浮かび上がる。その一つは稲である。アマテラスは安田という田で稲を作っていた。そして、太陽を神としていた。アマテラスは太陽神であった。

そして案内したのは、ヤタガラスという鳥である。そして、トヨタマ姫はワニでだった。稲、太陽、鳥それに揚子江ワニ、これらはまさに、長江文明を代表するものである。”

(龍の中国と太陽の日本)

これから日本は、覇権主義の龍の中国と厳しい外交をすることになる。筆者は龍の覇権主義と闘うことはいかんと言う。私は、以前BLOGしたが、津々浦々連合を目指す、戦略を述べた。中国には今だ、長江流域の古の文明を持つ実利主義の人々が多い。彼らと連合すべきである。

日本は”海の文明”目指せ


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NHK 新シルクロード 楽しい(1)

NHKが25年振りに、新シルクロードの番組を開始した。流石に、NHKでしか出来ない番組である。
私は、NHKの番組で好きなのは、ドキュメンタリー番組とか自然の番組が特に優れていると思う、これは英国のBBCから学んだ精神が今だ受け継がれていると評価している。

民放の番組では予算もあり、スポンサーもありなかなか、予算を無視して番組を作る事は難しい。しかし、BBCとかNHKは本当にいい番組をつくりたいなら、其れが出来る。国民の支持を受ければ製作可能なのですね。放送とは難しい領域ですが、私はNHKの存在を支持する立場です。

(昔、BBCと協業する)

昔、富士通の英国の国策コンピュンターの会社を買収して、英国での拠点としていた頃の話ですが、英国国営放送のBBCと仕事をした経験が有ります。当時の写真がたまたま、先日、机の引き出しから出て来ました。NHKのスタッフの人達と英国で撮影した写真でした。

私は、BBCの20世紀の総括の番組シリーズについて日本での販売権について交渉していた、記憶が有ります。残念ながらNHKも共同で製作する予定が、方針上の異なる意見により別々の製作となりました。20世紀の映像ですね。

アッテンボローさんの映像についても、私は興味がありBBCの方々と製作スタッフの方々とも打ち合わせをした。その時に感じた事は番組制作に関する姿勢でした。自然相手の場合は撮影もままならない訳です、何カ月もテントを張り、1年位時間をかけて製作し妥協しない姿勢でした。これは、民間の放送会社では出来ないです。

(喜多郎と宗次郎)

シルクロードは喜多郎のシンセサイザー音楽、大黄河は宗次郎のオカリナでした。ともに高音が気持ちよく、雄大なユーラシア大陸の広がりを連想させ、広大な天空迄吸い込まれる高音の音色に共通事項が有りました。

喜多郎はその後、ニューヨークに渡り、米国では知らない人はいない程の有名なアーテイストになりました。NHKは素晴らしい人材を発掘した訳ですね。私は喜多郎が好きで、ワシントンでコンサートに出掛けた経験も有ります。

どうやら、ユーラシア大陸を表現するには、高音の透き通るような透明な音色がよさそうですね。モンゴルの草原の人々は『ホーミー』になります。これも、鎌倉さんがblogされていい記事を書かれていました。日本人にとりユーラシアは遙かなる、ロマンの世界なのです。

(楼蘭王国を掘る)

1月2日に『楼蘭王国を掘る』番組が放送され、同時に、過去の喜多郎・石坂さんの『楼蘭』も放映された。石坂さんと松平さんとの対談番組もあった。素晴らしいと思う、流石にNHKだと拍手を送った。素晴らし出来栄えである。

風化土堆群(ふうかとたいぐん)の風景の紹介も素晴らしい、まるでスフインクスのような自然に出来た土の像は『楼蘭の守護神』でした。この広大な米国西部劇に出てくるような風景は南北40キロ、東西80キロの範囲で広がるそうです。

この楼蘭は敦煌から遥か西、タクラマカン砂漠の北部にあり、ロプノール湖の近くです。今はロプノールは干上がり地上には姿が無いようですね。彷徨えるロプノールにも地球の気象異変が押し寄せているんですね。

この場所は、漢王朝の頃に匈奴との場所取り競争で、文明の十字路、楼蘭は重要なる軍事拠点であったそうだ。
多分、今でも中国の軍隊は秘密基地を沢山構えていると想像される。2100年前の漢の武帝の頃には約3000人の兵士がここに存在した。

25年前にも貴婦人のミイラが発掘された映像に驚いたたが、今回も青サギの羽を帽子に挿した、美人の女性のミイラが発掘された。今回の方が美人なように思えました。

(新撮影技術)

砂漠の風景、騎馬隊の動きを『モーターパラグライダー』で撮影していました。ラジコン趣味の私としてはこれには拍手であります。これ程の超低空を撮影しながら操縦するのは、難しいと思います、命懸けでしょうね。私の、ラジコン飛行機だと直ぐに、墜落大破で撮影機材はバラバラ。NHKのあくなき映像を追求する姿勢には偉いと思いました。

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NHK大化の改新 楽しむ

NHK大阪が作成した、正月番組”大化の改新”を楽しんだ。監修は門脇先生がされていたので、史実から離れたドラマではないと思いました。

(中臣鎌足中心)

後の、藤原鎌足が中心のドラマ仕立てであり、蘇我入鹿との友情と決裂、対決という台本で有りました。確かに鎌足は突然に、歴史に登場しますので、過去がよく判らない人物です。しかし、日本史はその後の次男の不比等により天皇家を支える氏族として繁栄します。

鎌足が入鹿と幼友達とは知りませんでしたね、これはフィクションでしょうね。そして、入鹿が斑鳩を襲うのはもう一つ、納得がゆきませんね。山背大兄皇子の謀判を阻止する為というストーリでしたが、私は、軽皇子説が黒幕と見てます。その後、入鹿暗殺でも軽皇子が活躍しますね。そして、天皇になられました。

(飛鳥のオープンセット)

彼岸花が咲き、飛鳥らしい風情であり、村の鳥居にも鳥の置物が乗っかり、ヨシヨシと思いました。しかし、鎌足の彼女の衣服で黄色い色が有りましたが、許される位なのでしょうかね?川の傍の鎌足の自宅でのオープンセットでは柵を結ぶ紐が簡単に結ばれており、アレと思いましたが、鶏が尾長鳥であり面白かったです。

確か、私達がなじみの鶏は江戸時代からですから、この頃の鶏は尾長鳥だったんでしょうね。それと、男性の衣服が今と異なり右側の衣服が上になっていましたね、これも時代考証がしっかりしてると思いました。

(大陸情勢で国内混乱)

入鹿が悩んだ、唐の高句麗侵攻ですが、これは凄まじい政治問題だったと思います。結局その後、中大兄皇子は百済救済のために新羅・唐連合に大敗するわけです。当時の日本には高句麗、新羅、百済、の人々が沢山存在したし、有力豪族の先祖は多分に高句麗、新羅、百済だった筈ですね。

(今何故 大化の改新か)

NHKの主旨は判りませんが、日本は今、平成の改新をしなければこの国の行く末が危ないと考えている人が多いと考えているからでしょうね。しかし、なかなか改革が出来ないのも事実。大化の改新と頼朝の鎌倉幕府、そして明治維新でしょうか。そういえば、NHKでは今度は義経、そして近い将来、坂の上の雲をやるそうですね。楽しみです。

大化の改新 門脇説

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2005新横浜正月風景

2005_010300012005_010200122005年正月の夕焼けです。自宅から撮影しました。

初詣は、近くの篠原八幡神社に参拝です。

神社風景

昨年は、凶でしたが、何と今年は皆さん喜んで下さい、”吉”でした。振る舞いの日本酒を飲んで、孫が綿菓子を買い、雪解けの道を自転車で帰還した。

写真は本日、夕刻、右端に富士山の下半身が覗えますね。朝も快晴で美しい富士でした。

篠原八幡神社

1月2日、快晴

今日は、孫と凧揚げと初飛行を行いました。”カルマート25スポーツ”を二回飛ばし、新横浜の新春の空に舞う。
皆様ご期待の墜落は無く、無事でした。なんせ、今年は”吉”ですからね。

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