宇佐神宮とヤマ信仰
上田篤(うえだ あつし)さんの、”日本の都市は海からつくられた” 海辺聖標の考察 中公新書
を読んでいて、山全体を御神体とする信仰が何処から来たのか?ヒントを与える書物であります。作者は専門は建築のエンジニアであります。工学博士なのに、民俗学に精通されている不思議な御仁である。
(海人族とランドマーク)
漁師さんは常に、何かを目印に船を操舵する。古代は元より、現代でも漁師さんはヤマを見る。沿岸航行においては、目印は陸の山である。目印のヤマの位置関係により現在地を確認する。命に関わる目標である。
そして、陸地に残した妻子とはこのヤマを通信基地としてテレパシーで通信した。漁師はヤマの磐座がなによりの、聖標であった。そして、山は妻であり漁師は山に向かい妻に話し掛けた。
(神社の形態)
神社の形態は山(ヤマ)の上に磐座が存在する。そして山宮が存在する。そして山麓に里宮が存在。集落に田宮が存在と垂直に、三種類の神社が存在する。神は海から飛来し、磐座に降臨し山宮から里宮へ下り、そして人々の住む田宮に降りてくる。
(宇佐神宮の例)
宇佐神宮をあてはめると、周防灘から望める馬城峰(御許山)に存在する大元神社が山宮である。そして、宇佐神宮が里宮であり、田宮は鷹居社、酒井泉社は田宮である。
神は磐座に飛来し、大元神社から宇佐神宮に下りてくる、そして人里の鷹居社、酒井泉社迄おりてきて人々とともに遊び、又、逆のルートを辿りお帰りになる。
里宮、田宮はお墓であるケースが多い。
(春日の大社も同じ)
三笠山の山頂の浮雲峰にある本宮神社そして里宮は春日大社、田宮は沢山、例えば佐紀神社。そして、祭られる人は概ね、女性である。比売神(ヒメ)である。それは、船に乗る夫に山の上から安否をきずかい、必死ニテレパシーを送る妻である。
(三輪山の謎)
ここからは、上田先生の論からは外れて来ます、何で三輪山が御神体であるのか?という、疑問です。
大胆な仮説としては、海人族が大和平野に入り、三輪山をヤマとした仮説です。それは、未だ大和盆地が湖で覆われていた頃大和川、木津川を遡りたどりついたマキムクに三輪山が存在した。
磐座信仰、山宮、里宮、田宮という信仰の原型が海人族のものであれば、三輪山もその延長にあると考えて不思議はない。
解決しなければならない、問題は、蛇信仰である。ヤマ信仰と蛇信仰がどのように結合したかが、未だ三輪山を解けない問題である。
蛇信仰は長江下流域の神であり、稲作の神である。
(最後に)
筆者は陳述する、日本の人口50万人以上の都市19のうち、海に面する都市は16で、海に面していなのは、京都、札幌、相模原の3都市しかない。諸外国に比較して日本の都市は海に面している割合が非常に高い。
日本は、海洋都市国家である。
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Comments
Joさん
山宮、里宮、田宮という神社の分類はおもしろいですね。
日吉神社は数回行きましたが、あそこは山王鳥居とかいうて、確かに写した写真では山形ですね。類縁あるのだろうか?
そのうち披瀝します。
さて。大掃除をしていたら、2001年の新聞がでてきて、滋賀県守山・伊勢遺跡という記事が残っておりました。
近江富士といわれる三上山を背景にして、直径220mのサークル内に、なにやら聖空間(神社原型かな)があったらしい。当然新聞では「邪馬台国に敵対した狗奴国」説がとびかっておりました。(それにしても、邪馬とか狗奴とか、ようもいいくさったもんや、しばいたろか)
近江といえば琵琶湖。日本中いたるところに、ロマンありですな、年末のJoさん。
Posted by: Mu | 2004.12.30 06:19 PM
守山、伊勢遺跡の記事ですか?一応、大事な記事はスクラップされているんですね。
弥生時代の環濠集落遺跡だそうですね、大きな勢力が存在した証ですね。クニが存在したんでしょうね。
中華思想は困りますね、周辺諸国は蛮・夷の国とみるからね。
琵琶湖周辺は文明の十字路ですぞ、非常に大事な場所だと思います。信長はそれに気がついていた。
Posted by: jo | 2004.12.30 07:33 PM