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山田先生との対談

ハーバードビジネスレビュー 1月号が発売された。

僭越ながら理科大学経営学部大学院 教授の山田先生と私の対談が掲載されました。140ページ141ページ。

(山田先生との出会い)

私が、1982の1月に米国に赴任して、2ヶ月後の事です。会社のボスである中原天皇(当時はそう呼んでいました)が米国に出張に来られる。私は、アテンドのためにシカゴに飛びました。真冬のシカゴです、五大湖からの寒風は吹きすさぶオーヘヤー空港に着き、待ち合わせのホテルに向かう。

二人の紳士がおられた、一人は中原親分でもう一人が、ニューヨークから駆けつけて下さいました、日本開発銀行の山田さんでした。これが、山田文道先生との出会いです。

(シカゴの銀行に行く)

いきなり、中原さんは私に通訳をやれと命令される。私は、米国駐在して2ヶ月しか経過していない、判る英語はアマチュア無線の英語しか判らない。相手は、100程喋るが私は1~2しか判らない。しかも金融に関する専門用語である。わからん。それでも、一言二言通訳?する。

中原さん、何か相手はもっと何か言ってるんと違うか?と、質問される。私は判らない。チンプンカンプンである。
冷や汗がだんだん流れてくる。

山田さんは、にこにこしてこちらを見ておられる。

あとで、判明したが、山田さんは開発銀行の人である、専門である。しかし、富士通の会社の若い人間が上司と仕事をしている、介入するのを憚れた。

(富士通総研社長となる)

その後、中原さんは年に2~3回は米国に来られる、私は。通訳をやらされた。飛行機はパンナム、酒はJB,料理は中華のスペアリブ、ホンマ往生した。しかし、毎回、私の英語力が上達してるかを、定点観測されていた。決して私の英語が関西弁であるとか、わけの判らん吉本風であるとか、批判はしない。ジット我慢されていた。

そのうち、山田さんは富士通総研の初代社長として来られた。多くの社員をその後、大学の教授として送り出され、本人も10年間社長を務め、理科大学の大学院の日本の統計学の権威である、奥野教授に招聘され教授として赴任された。

(門下生となる)

鎌倉さんが座長で山田塾を理科大学で開催している、私も6年前に生徒として入門を許された。丁度、私が神戸大学の経営学部の非常勤をしている頃である。山田先生の大学院の生徒の修士論文の批判と、奥野先生のご意見を伺う勉強会と宴会が続いた。

私は本当の教育は教室であるとは、思わない。塾である。山田先生はもう70歳を超えている、しかし、今でも年に何回も海外の辺境にでかけ、又、スキューバで海に潜られる。

或るときは、モンゴルの草原に立ち、中東の戦火に出かけ、秘境に行かれる、流石に坊主の息子であると思う。怖いものがない。

そんな、人生を教えいただいている、先生との生意気な対談である。穴があれば入りたい。

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