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久しぶりの無線の話

久しぶりに、アマチュア無線の話をします。もう暫くラジコンが忙しく御無沙汰してます。

(団塊の世代の無線)

我々の年代にとり、アマチュア無線は身近な存在でした。先ず、子供のころに鉱石ラジオの組み立てが、科学との具体的な接点でありました。ラジオ番組が聴けるというのは、子供にとり驚愕の存在でありました。

ラジオ少年の博物館

中学生の時代になれば、真空管を使用したラジオ受信機の組み立てです。私は田舎で育ちましたので、そんなラジオを製作する知識もなければ、道具も廻りには有りません。

私が、アマチュア無線に入ったのは、30才を越えてからでした。きっかけは、ラジコン飛行機の倶楽部”赤とんぼ”からです。しかし、多くの団塊の世代の人々は中学生の頃から送信機の製作、受信機の製作を手がけていました。
今でいう、ハイテクのコンピュータに相当します。

(30才の手習い)

ハムの免許をとり、赤とんぼのメンバと秋葉原の九十九電器とかラジオ会館に通い、安定化電源の素材部品を買い込み、自宅に集まりトランスに電線を巻き、ハンダゴテで時折、火傷をしながら製作。

もうその頃には真空管だけでなく、半導体の発信機が製品化されて、いました。TRIOとかICOMが製品を出し、確かYAESUもありましたね。周波数をスキャンするとHF帯では海外のハムの声も聞こえます。これは、衝撃でしたね、海外の人と話ができる。

(海外通信に夢中になる)

とにかく、今度はアマチュア2級の免許に挑戦し、電信(モールス通信)に挑戦する。100ワットまでは出力が出せるので、ガンガン夜中に通信を始めた。

私のマンションの専用バルコニーに巨大なアンテナを建設した。地上20メータにブーム長10メータ、エレメント5メータ程度の6エレメントの巨大アンテナを、モータで回転させて、世界中の連中と通信を始めた。

おかげで、電信の腕も上がり、SSB(シングル・サイド・バンド)でも英会話能力は急激に上達した。当時、カンボジアのゲリラと通信したのには、驚いた。

(米国で派手にやる)

1992の1月にカリフォルニアのサンノゼに赴任すると、直ぐに、サンフランシスコに出向き、米国のアマチュア・無線の免許の試験を受けに行く。N6IHEが私のコールサインでした。電信では短点の多いコールサインになります、従い高速に電信を打てました。これは、ツート、ツートトトト、トト、トトトト、トとモールス記号では打ちます。

電信を聴いていると、そのうちに音楽を聴く気分になります。美しく電信を打つ人、下手な奴、気分屋のやつ、短気な奴、これが判るんですね。人間、言葉を失っても短点と長点の組み合わせの信号だけでも、会話は出来るんです。

コミュニケーションとは、相手を思いやる事なんです。相手が下手であれば、それに合わせる。決して自分のペースで通信をしてはいけない。私は、この世界で多くの人間としての振る舞いを勉強しました。

私は、米国で多くの友人はこのアマチュア無線で作りました。問題は無線で電信もやる人はお爺さんばかりである事が欠点でしたね。若い女性とは無縁でありました。


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