涙のプロジェクトX
久し振りに、『プロジェクトX』を昨夜拝見した。 涙が止まらんかったですね。日本サッカーの歴史である。
『病床からのキックオフ Jリーグ誕生秘話 』
(木之本氏、永井氏)
私は日本代表選手で名フォワードと呼ばれた、古河電工の永井選手には記憶が有りました。話は、当時の古河電工サッカー部(1972年~5)頃に木之本興三という選手がいた。彼は、上手ではないがまとめ役の抜群の能力があった。
ある日、不治の病である『グッドバスチャー症候群』に罹病し腎臓摘出の手術を受ける。闘病5年間、週3日の人工透析が必要な生活になる。
彼は、当時の閑古鳥の鳴く実業団サッカーの限界を感じ、日本にプロリーグを作ろうと決意する。古河電工もクビになり苦闘が始まる、そして永井選手との心の交遊が始まるのですね。何とか、こいつをプロの世界で活躍させたい。
(川淵三郎登場)
元、古河電工サッカー部の川淵氏に相談し、地元密着のプロサッカーの創設の夢を追い始める。彼は、何時命が尽きるか判らない、だから時間が無い。地方の自治体、企業を巡り交渉に拍車を掛ける。
鹿島の住友金属が鹿島の田舎では若者が集まらない、何か地元に若者を魅了するものが欲しかった。しかし、2部リーグのチームでありプロの世界からは程遠いチームでした。そのうちトヨタが企業名をつけなくて良いと言い出し、一気に企業スポンサーが動き始めた。
(ジーコ神様動く)
この鹿島のチームは2部以下であり、誰もがプロとしては無理だと考えていた。しかし、神風が吹いた、ブラジルからジーコが日本の片田舎の鹿島のクラブの創設の合力に来たのである。これが、日本のサッカーの祖はクラマー氏でありプロの祖はジーコとなる。(日本蹴球史 編纂 司馬jo)(冗談笑)
それからの、日本のJリーグについては皆様御存知の通りであります。私は腎臓を失い週に3日、人口透析している人でさえ、この様な偉業をなせる精神力に涙が止まらなかったです。Jリーグ発足時に戦友の永井氏はジェフの監督として迎えられていた。古河電工サッカー部OBの大活躍の物語でもありました。
日本は次回のワールドカップに中興の祖、プロの祖であるジーコ氏に率いられてドイツに臨む。結果はどうあれ、これは運命である。こうでなければ、ならない。
(注) 木之本興三氏 日本プロサッカーリーグ専務理事
(注) 永井良和氏 ジェフを始め数々のJリーグ監督歴任
Comments
ジーコの一言
久しぶりに当方もプロジェクトX見ました。Jリーグの歴史知らなかったので、へぇ~、そうやったんや、世の中捨てたもんやないなあ、と感心しました。
中で印象的だったのは、来日を請われたときのインタビューでジーコが(これは神が決めたことだ、と思って鹿島へ行った)と語っていたことです。
神さん信じるのもええなあ、と思いましたですよ。
Posted by: ふうてん | 2004.11.17 05:56 PM
今、日本代表はジーコに率いられて、シンガポールと闘っています。
ふうてん親爺も昨夜は観ておられましたか。私も歳のせいか、涙脆くなりました。最後迄、涙が止まらんかったです。
日本蹴球の歴史はクラマーさんに基本を教えていただき、釜本選手とか杉山選手とか、実業団からオリンピックで銅メダルをとり、そして、本格的な世界を視野にいれたプロのジーコ神様に教えを請い
羽ばたこうとしている。
私は仕事で今一緒で仕事仲間の吉沢君と中田英寿さんのホームページを開設した経緯が有ります。彼は今や世界のNAKATAです。
しかし、これも木之本さんとか、ジーコさんが無くては彼も存在しなかった。日本も捨てたもんではないですね。
Posted by: jo | 2004.11.17 07:46 PM