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万葉の大和路 三輪山編

中西進先生の”万葉の大和路”の三輪山編に触れてみましょう。

”三輪山を しかも隠すか 雲だにも
 情(こころ)あらなむ 隠そうべしや” 巻1 18 額田 王(ぬかたのおおきみ)

日本が国際的に危機的状況になった。白村江(はくすきのえ)で新羅・唐帝国の連合軍に大敗し、日本が戦場になる可能性が高まり、急遽都を近江に避難した。その時に名残惜しい飛鳥への愛惜のこころを歌った。

(蛇は変身すると雷になる)

蛇の文明といえば、日本の大和の発祥の地である三輪山山麓と長江流域に共通のものがある。稲作文明の共通である。この蛇は脱皮して何回も生まれ変わるし、二匹が絡まり生殖行動をとると注連縄(しめなわ)になるし、尻尾を切断すると草薙の剣がでてくるし、空に舞い上がると龍となり口から火をふくし、そして雷になる。

中西先生曰く、雷という字は田の上に雨である。田という漢字は元々が卍と描いたそうな。そして古い字は雨の字の下に卍を三個描いた漢字が雷の字だそうな。そもそも卍は稲光を表す象形であるらしい。

田圃に雷が現れ、稲妻を光らすと空気中の窒素が固定され、田圃に栄養を供給する、ありがたいお方である。これは、近年の科学が証明した、しかし弥生の頃より人々はそれを知っていた。雷の稲光は稲に生命をもたらしてくれる夫(つま)として稲妻とよんだそうな。

(さるかに合戦)

三輪山は神のお住まいになる場所であり、山麓には野が広がり更に低地には原が広がっていた。稲作が始まる以前には未だ湖で覆われていた。人々は山麓の野に住んで山の幸で生きていた。その後、水が引き稲作も伝わり原が田圃となり人々は二種類の縄文と弥生の人々が共存した。

”さるかに合戦”の童話のルーツはここに始まった。縄文の人と稲作の弥生の人の争いである。

猿は柿の実を持ち、かにはおにぎりを持つ、そして猿は言葉巧みにかにを騙し、柿とおにぎりを交換する。そして、かにが柿の種を植えて実が実ると、今度は柿の木に登り、実を食べてしまいます。最後に青い実を投げつけてかにを殺してしまう。復讐を誓うかにの子供達が今度は、うすの力を借りて猿を殺してしまう。

最終的に弥生の連中が勝利する物語である。こんな事件がこの三輪山の野原でもいにしえには起こったんでしょうね。

崇高な三輪山の話が猿かに合戦で終わるのは不本意であるが、これも下界での歴史的な一つの事件として捉えましょう。

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Comments

JOさん
 この三輪山編は数回立ち寄って読んでみては、首をかしげておるのです。

 中西はんの書評かな?
 額田の歌が来て、蛇と雷がきて、猿蟹合戦(縄文vs弥生)。
 みんな三輪山のことなんは、わかるけどな。

 JOかMuのどっちゃかが、疲れているのかな。

Posted by: Mu | 2004.11.27 08:13 PM

Muはん

これは、中西さんの書評です。

蛇が龍になるのは異論あり。蛇が雷になるも異論あり。

ただ、雷と稲作の関係と猿かに合戦は、三輪山とは直接関係無く一般的な縄文から弥生への移行時期の話として捉えて下さい。

蛇と龍は元々、黄河と長江の異なる文明であると私は捉えています。雷については、蛇との関係は不明です、しかし雷と稲作は関係があると思います。

多少、疲れているかな?

Posted by: jo | 2004.11.27 08:41 PM

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