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万葉の大和路 法隆寺編

大阪への出張で、新幹線のホームでKIOSKを眺めていると、面白そうな本があり購入し、往復で読んでしまった。

”中西進と歩く 万葉の大和路” ウエッジ選書 8

私の印象は万葉集の歌に詳しいだけでなく、時代背景の歴史への理解の深さと、何よりも大和を愛しているお姿がよく伝わる紀行文であった。

(斑鳩を歩く)

”斑鳩の 因可(よるか)の池の 宜しくも 
 君を言はねば 思ひそわがする” 巻12 3020

先生の解説です、”万葉びとは わが恋が実るかどうか 人の噂を気にした。この歌も、因可(よるか)の池という地名にかけて”人がよく言わない”と心配する。民衆が歌った、とても牧歌的な歌である。

万葉集には斑鳩の歌はこの一首しかないそうです。驚きですね、この池が何処か未だ判らない。私は以前法隆寺の七不思議についてblogしましたが、それは鏡池の話でした。
因可の池参考1

鏡池参考

鏡池の蛙には片方の目が無い。という話でしたね。

(再建・非再建論争)

今から50年前に法隆寺の五重の塔の修復工事がありました、その時に心柱の底が腐り柱が宙に浮いてる状態が判り少し切断して、新しい材木を土台に継ぎ足した。私は構造上は宙ずりでもいいと思います。何故かと言えば、塔はクラゲの積み木を何層にも積み重ねた構造であり、一番上の積み木から重しを付けた振り子をぶら下げて重心をとる構造ではないかと思う。これは、我が家の大きな米国で購入した”おじいさんの時計”の振り子を見ていてそう思った。

さて、最近になりこの時に切断した、心柱の材木の年輪から年代を推定する”年輪年代法”により科学的に伐採年代を推測した。594年に伐採されたことが判明した。
参考年輪年代法

法隆寺は607年に聖徳太子さまにより建立された。670年に落雷により焼失(日本書紀)し、その後再建されたというのが学会の定説でした。古い法隆寺が若草伽藍であると。しかし、そうすれば、再建が7世紀末であるので、約100年間この材木は寝かされていた事になる。

法隆寺の関係者は昔より非再建論でありました。今回の科学的調査により、この論議は又、結論を得ないで論争は続くと思う。

(宝蔵院 夢違いさん)

中西先生は悪い夢を吉の夢に変えてくれる、”夢違い観音”又は”夢たがい観音”が好きだと言われる。それは、日本的な顔だからだとおっしゃる。たしかに、百済観音は背が高く外人のようですね。美人だけど、なんか手が届かないような気がしますね。

私は、実は中西先生と違い、中宮寺の可愛いいボンボリ二つ頭につけた弥勒さんなんです。

法隆寺については、これからも何回もblogする積りです、私は好きなんです。

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Comments

 法隆寺は冬がよろしいのかなあ

 近鉄特急で京都から奈良へ行き、奈良ホテルに泊
まって東大寺やらを冷やかして奈良漬け買って帰る。
そんなのが当方の奈良への旅でした。

 50歳を過ぎてから法隆寺もいいなあと思うように
なった。
奈良ホテルで聴くと、そうですねえタクシーだと45
00円くらいでしょうねと言う。二人以上ならそれも
悪くないのだけど一人だと、じゃあ電車で行こうかと
いう気持ちになりJRで通うようになりました。

 あの駅、一応京都、奈良と並び賞される駅ですわね。
しかしそのたたずまいは限りなく四国の田舎、さよう
松山の駅などと同じです。ホームに数人しか客がいない。
この間までは奈良駅のホン近くまで田んぼがあって稲の
穂が見えました。この侘しいような鄙びた感じがすぐ近
くなのに京都とは全く違いますね。

 日本の首都を1200年前にやめた街とある意味で今
でも現役の街との違いを露骨に感じさせられます。
その対比がまことに鮮やかでいつも心を揺さぶられます。

 そいで、その鄙びたローカル線で法隆寺駅まで行き、
鄙びた雰囲気のバスで法隆寺へたどり着く。法隆寺境内
の門前に降り立った瞬間に世界が一変しますね。
鄙どころじゃない、最高に洗練された美的な精神世界の
空間の中に放り出されます。
1300年も或いはそれ以上前に、ようもあんなもの作
りましたなあ。

 当方は全くの歴史オンチでして建物や仏様たちの由来
には余り強い興味は湧かないのですが、現代の他の空間
と比べて法隆寺にしかない魅力に触れる為に訪問するよ
うになりました。歴史じゃなくて現実のものとしての受
け止め方です。例えばJOさんが書かれている夢違い観
音にしても弥勒菩薩にしても歴史知らなくても何度でも
お会いしたい魅力を持っています。

 法隆寺は12月から3月末までですね。修学旅行とか
の団体さんが少ないのが嬉しいです。12月だと客は3
人だった、なんてこともあります。不謹慎にもサントリ
ーオールドのポケット瓶持ってね。

 やっぱJOさん、余生は奈良とちゃいまっか。歴史は
やはり京都よか奈良でしょう。Muさんとお二人でね。
朝からビール飲んでね。卑弥呼さんやら(つまみ)にし
てね。その時は当方は京都の北の方に隠れ家でも作って、
辻 嘉一さんのお勧めの野菜料理でも喰おうかしら、パ
コ・デ・ルシアやら竹本住大夫など聴きもって。

Posted by: ふうてん | 2004.11.27 01:33 AM

ふうてんさん、余生は奈良ですか。
すまいは京都の北部? これはちと寒い気もしますがね。

ふうてんさんによる、法隆寺好き話は、ローカルJRから降りたって、空間の玄妙さに圧倒されるとこに、ヒントがありますね。
やはり、当時も今も、法隆寺は異世界だったと思います。

聖徳太子一族は、この世でない世界を、あの地に作ろうとしたのだと、思いました。

Posted by: Mu | 2004.11.27 03:56 AM

ふうてん さん

今度、”ふうてん老人 法隆寺をゆく”をblogします。

あんさんは、もともと歴史とか、ふる~~いもん、には御興味がございませんなんだな~。嫌々、MuさんとかJoに引率されて、ポケットにサントリー・オールドを忍ばせ、退屈そうに歩いてましたな~。

あんさんが、最初に御興味がおありだったのは、東大寺の建築物でしたな。どないして、こないな巨大な建造物を製作したのか?大仏さんを含めてね。

あんさんを、法隆寺にご案内申し上げてから、暫くすると、噂ではお一人で奈良ホテルに逗留し、しきりと法隆寺におみ足をお運びである、との、風の便りが伝わるようになりました。

私の分析によればですね、法隆寺の建立の精神がお好きなのでは、ないか?と、分析するようになりました。あの、飛鳥時代に人々が竪穴住居に暮らしていた頃にですよ、ニューヨークのマンハッタンのような街が出来た。

え?違う? 南大門のエンタシスの柱が女性の妖艶なお姿に似ておる? やっぱりな~~~、そんな事やと思うてました。

ま、よろしい、アルコールで脳細胞がだいぶ痛んでおるようやし、おみ足に気をつけて、行方知れずにならんようにお願いします。


Posted by: jo | 2004.11.27 07:11 AM

Muさん

ふうてん、親爺はほっときましょ。

あんさんと、三輪さんあたりを調査して、巨石文明と海人族のルーツを探り”新説 日本建国記”でも出版してですね、巨額の富を手に入れ豪邸、前方後円墳風邸宅を建てて、ま、未だふうてん老人が生きていれば、豪邸にご招待申し上げて、古代製法における”三輪酒”で饗応しますか?

先日、神楽坂で散骨の話になり、ふうてんどんが墓は本当に必要か?と疑問を投げかけていましたな~~。

あのおやじも、そろそろ危ないのかも知れんな~~。

Muはんが、死んだら、一部のお骨をこっそり、箸墓の日の巫女はんのお傍に埋めときまひょか?

Posted by: jo | 2004.11.27 07:26 AM

  奈良に住みながら、法隆寺には一度しか行ったことがありません。
 でも、1月に行ったので、ほとんど人がいなくて、じっくりお寺のもつ良さを味わうことができました。
 
 エンタシスの柱に、夢殿・・、いいですねえ~。

 ”ふうてん老人 法隆寺をゆく”を楽しみにしています!

Posted by: wd | 2004.11.27 10:46 AM

wdさん

ふうてんさんが言うように、季節を外すと静かな法隆寺を楽しめますね。

門前の茶店で一休みして、ビールなどを飲んで宜しいですね。
”ふうてん老人 法隆寺をゆく”は楽しみやね。多分にお笑い系を期待されておるように、推察します。

そのうちにね、気がむいたらね。

Posted by: jo | 2004.11.27 11:51 AM

懐かしいです。
法隆寺から慈光院までカメラをかついで今から37~32年前良く歩きました。私の晩期青春時代です。その後生活に没頭し、行ってません。
その頃京都の庭歩きに凝ってました。枯山水の庭の写真を撮ろうと
頑張ってました。結局一枚も気に入った写真撮れませんでした。京都はきちんと型にはまって、せせこましい感じがしました。それに控え、奈良は、ゆったり、おっとり、おおらか、で落ち着いたことを思い出しました。ズーット昔のことでした。

Posted by: | 2004.11.27 07:40 PM

コメント有難う御座います。

37年前といえば、私は大学時代で年間100日はアルプスの山々を歩いておりました。

素晴らしい、御趣味ですね、当時のカメラと言えば重くて、露光とかシャッター速度をどうするか、そして、出来上がりのわくわくしたお気持ちが伝わります。

実は、私の義理の父がカメラ・写真のマニアでして、今でも私の身の回りには古代?のカメラが沢山存在します。

奈良の良き思い出、何時までも大事にして下さい。

Posted by: jo | 2004.11.27 08:49 PM

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