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嘘をつく動物

今日、面白いニュースに遭遇した。11月29日のシカゴの北米放射線学会で、米テンプル大学医学部の発表である。
人間は嘘をつくと、脳の活動が活発になるらしい。嘘をつくと脳での反応の伝達が繊細で、複雑な脳の経路を走るらしい。

脳の前頭葉の内側の怒りや、恐れを司る領域が活発に活動する事が脳のMRI(X線断層写真)の検査で判明したそうである。この実験は、被検査人数名に模造の拳銃を発射させ、事実を嘘で対応する人間と本当の事を言う人間で検査実験をしたそうな。

(人間は何故嘘をつくのか)

だいたい子供の頃から、嘘はつきますね。親とか友達とか兄弟に嘘をつく。本能として嘘をつくのではないか?と思う程嘘をついた御記憶は有りませんか? 自分を有利な状況に置く為とか、友人を守る為とか、兄弟を守る為とか、いろんな状況で人間は嘘をつく。

嘘をつく為には、物語を構築しなければならない訳ですから、これには脳を駆使して虚構物語の創造をしなければ、ならない。簡単に嘘だと見抜かれない為に必死で脳を使う訳ですね。如何なる角度からつっ込まれても理路整然としていなければならない。

ところで、犬は嘘をつくだろうか? 犬が巨大な穴を堀り、骨とか靴を埋めるのは食料の備蓄であり、隠しているだけ。
ま~~言葉が通じないので、嘘ついてるか、ついてないか判らんけどね。

(最大の嘘つきは)

やはり、日頃から脳を鍛えていないと、嘘はつけない訳ですね。私は最大の嘘つきは『ミステリー作家』ではないかと思う。読者は作家が嘘をつく事を覚悟して、疑いながら読む。それを、裏切る訳ですからこいつが一番の嘘つきと、思う。人間は怒りとか恐怖で興奮する訳ですね、そこらをどう手玉にとるかを考えているのが、ミステリー作家ではないでせうか?

しかし、そのうちに最新のMRIマシーンでは『嘘発見器』の機能が完備され、自宅の奥様には嘘を言えない時代が来るかもしれん。恐ろしいですね~~。

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海外で飛ばす人達

私の住んでいるマンションには35年以上もラジコン飛行機を飛ばしている御仁がおられます。
業界では、『熊造さん』と呼ばれています、大型飛行機では日本、米国仲間では知らない人はいません。

(久し振りのフィリピン遠征)

どうやら、最近又、フィリピンに遠征された様子ですね。模様が、UPされていました、無断でリンクします。

『熊造さんの海外遠征』

熊造さんは、何時もは相模原の米軍基地で米国の軍関連の人と飛ばして居られる様子ですね。F18フォーネット戦闘機のパイロットなんかは、ラジコン好きが多くて一緒に飛ばしておられます。

実機の戦闘機では、ラジコンのような垂直立ちでトルクロールなんかの芸当とか、背面コブラなんぞは無理やろね。
そんな訳で勉強になるし、憧れるらしい。暫く一緒にとばしたら、イラクへ行ってしまいます。

(ガソリンエンジン機)

以前、熊造さんに『joさんガソリン機やりませんか』と勧誘されました。なんぼ、かかりますか? と質問しました。
飛行機が13万円程度で、100CCのエンジン購入、特殊強力デジタルサーボ、送信機、受信機なんやらで30万~50万ですね。

一度は飛ばしてみたいと思いますが、日本ではうるさい、ガソリンエンジン機を飛ばす場所が無いのですね。多くのラジコン飛行場ではガソリン機は禁止されています。騒音の問題なんですね。

しかし、迫力がありますね、目の前で13キロの重さの巨大ラジコンが飛んでゆくと、迫力あります。殆ど、人間が乗れますね。

『熊造さんの初飛行』

週末の早朝には時折、愛車のシボレーのワゴンに大型機を搭載して飛行場に向かわれる『熊造さん』と出会えます。

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模型飛行機 書斎占有

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あ~~模型飛行機が私の書斎を占有し始めた。

椅子の上の飛行機は今日、千葉のラジコン親爺から貰いうけたものである。エンジン及びメカ類は未だ搭載されていません。YSの64エンジン4サイクルを購入して、搭載する予定である。

パソコンの周りには、クラシックのCDが500枚以上、積まれている。これは、馬鹿息子が買い集めたクラシックのCDで最近は、親爺が聴いている。意外と、宜しいもんですね。私も大昔はバイオリンをやっていたそうですから。

(ふてん娘帰国する)

先ほど、印旛沼から帰宅すると、娘がフランスから帰国したと連絡が入り、次女が車で迎えにゆき先ほど帰宅。
何時も、家出したような荷物を持ち帰り、私の飛行機が段々と壁とか天井に追いやられているのである。

NHKの”英語であそぼ”の人形劇も2年で一応終わり、今日が解散会だそうな。急いで、私の製作した”特製お好み焼”を食べ、私の傑作”豚じる”も腹に掻きこみ、飛んで出てゆく。

ホンマ女とは元気なもんであると、感心する。

又、NHKから番組で製作された人形とか色んなガラクタを持ち帰るのではないか?と、心配である。

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印旛沼 飛行会顛末

本日、横浜3人組は千葉の印旛沼のラジコンクラブに入会し、初めての遠征でありました。既に、千葉のラジコン親爺はこのクラブに入会しており、来年春には”会長”になる予定である。

マイフォトの二箇所を参照下さい、”一本松クラブ入会””印旛沼でのお粗末”の写真集が本日の模様です。
面白いですよ~~~。


(印旛沼界隈)

印旛沼と言えば、田沼意次ではないか、江戸時代の宰相で印旛沼干拓事業を手がけた人である。千葉北インターの次のインターで降り、印旛沼に向かう。沼は二箇所に別れておるようだ。なんとか、湖畔のラジコンクラブ専用飛行場に到着する。

(わこちゃん、沼に墜落)

やはり、わこちゃんは沼に墜落しました。近所に住む会長の自宅迄車でゴムボートをピックアップに向かい、飛行場ではゴムボートを電動のポンプで膨らませ、いざ、出動です。

勿論、墜落させた本人が一人ボートに搭乗しオールで漕いで飛行機の回収に向かう。ホンマ侘しいね~~。
本人は、デジカメ構えてのんきにしてるので、会の連中から非難がでる。ハヨ ユカイかい~~。

(無事回収)

私は、飛行機よりも、わこちゃんが無事岸に帰れるか心配でありました。しかし、無事帰ってきました、約20分以上はかかりましたね。ご苦労さんでした。岸に帰還した時には誰もおらん。

とにかく、無事飛行会は終わり近くのコンビニ(こんな田舎にもコンビニはある)でおむすびを2個とお茶を買い午後2時に帰路についた。

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秋合宿2004 写真追加

わこちゃん(実術デイレクター)が秋合宿の写真を追加してくれました。

(表紙写真)

これは、29年間の長きに渡り合宿の場”ちんぐるま”山荘です。キツツキが穴をあけるので、困ります。管理人のさらたにさんが大変なんです。だから、鳥の巣箱をつくり悪さをせんようにしていますね。

(パソコンシュミレーション)

小屋の中では、千葉の親爺の持つ”フライト・シュミレータ”で徹底的に飛行機、操縦の訓練を積みます。実にリアルであり、送信機をパソコンにUSBで接続して実機を飛ばすと、同様に訓練できます。


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万葉の大和路 三輪山編

中西進先生の”万葉の大和路”の三輪山編に触れてみましょう。

”三輪山を しかも隠すか 雲だにも
 情(こころ)あらなむ 隠そうべしや” 巻1 18 額田 王(ぬかたのおおきみ)

日本が国際的に危機的状況になった。白村江(はくすきのえ)で新羅・唐帝国の連合軍に大敗し、日本が戦場になる可能性が高まり、急遽都を近江に避難した。その時に名残惜しい飛鳥への愛惜のこころを歌った。

(蛇は変身すると雷になる)

蛇の文明といえば、日本の大和の発祥の地である三輪山山麓と長江流域に共通のものがある。稲作文明の共通である。この蛇は脱皮して何回も生まれ変わるし、二匹が絡まり生殖行動をとると注連縄(しめなわ)になるし、尻尾を切断すると草薙の剣がでてくるし、空に舞い上がると龍となり口から火をふくし、そして雷になる。

中西先生曰く、雷という字は田の上に雨である。田という漢字は元々が卍と描いたそうな。そして古い字は雨の字の下に卍を三個描いた漢字が雷の字だそうな。そもそも卍は稲光を表す象形であるらしい。

田圃に雷が現れ、稲妻を光らすと空気中の窒素が固定され、田圃に栄養を供給する、ありがたいお方である。これは、近年の科学が証明した、しかし弥生の頃より人々はそれを知っていた。雷の稲光は稲に生命をもたらしてくれる夫(つま)として稲妻とよんだそうな。

(さるかに合戦)

三輪山は神のお住まいになる場所であり、山麓には野が広がり更に低地には原が広がっていた。稲作が始まる以前には未だ湖で覆われていた。人々は山麓の野に住んで山の幸で生きていた。その後、水が引き稲作も伝わり原が田圃となり人々は二種類の縄文と弥生の人々が共存した。

”さるかに合戦”の童話のルーツはここに始まった。縄文の人と稲作の弥生の人の争いである。

猿は柿の実を持ち、かにはおにぎりを持つ、そして猿は言葉巧みにかにを騙し、柿とおにぎりを交換する。そして、かにが柿の種を植えて実が実ると、今度は柿の木に登り、実を食べてしまいます。最後に青い実を投げつけてかにを殺してしまう。復讐を誓うかにの子供達が今度は、うすの力を借りて猿を殺してしまう。

最終的に弥生の連中が勝利する物語である。こんな事件がこの三輪山の野原でもいにしえには起こったんでしょうね。

崇高な三輪山の話が猿かに合戦で終わるのは不本意であるが、これも下界での歴史的な一つの事件として捉えましょう。

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万葉の大和路 法隆寺編

大阪への出張で、新幹線のホームでKIOSKを眺めていると、面白そうな本があり購入し、往復で読んでしまった。

”中西進と歩く 万葉の大和路” ウエッジ選書 8

私の印象は万葉集の歌に詳しいだけでなく、時代背景の歴史への理解の深さと、何よりも大和を愛しているお姿がよく伝わる紀行文であった。

(斑鳩を歩く)

”斑鳩の 因可(よるか)の池の 宜しくも 
 君を言はねば 思ひそわがする” 巻12 3020

先生の解説です、”万葉びとは わが恋が実るかどうか 人の噂を気にした。この歌も、因可(よるか)の池という地名にかけて”人がよく言わない”と心配する。民衆が歌った、とても牧歌的な歌である。

万葉集には斑鳩の歌はこの一首しかないそうです。驚きですね、この池が何処か未だ判らない。私は以前法隆寺の七不思議についてblogしましたが、それは鏡池の話でした。
因可の池参考1

鏡池参考

鏡池の蛙には片方の目が無い。という話でしたね。

(再建・非再建論争)

今から50年前に法隆寺の五重の塔の修復工事がありました、その時に心柱の底が腐り柱が宙に浮いてる状態が判り少し切断して、新しい材木を土台に継ぎ足した。私は構造上は宙ずりでもいいと思います。何故かと言えば、塔はクラゲの積み木を何層にも積み重ねた構造であり、一番上の積み木から重しを付けた振り子をぶら下げて重心をとる構造ではないかと思う。これは、我が家の大きな米国で購入した”おじいさんの時計”の振り子を見ていてそう思った。

さて、最近になりこの時に切断した、心柱の材木の年輪から年代を推定する”年輪年代法”により科学的に伐採年代を推測した。594年に伐採されたことが判明した。
参考年輪年代法

法隆寺は607年に聖徳太子さまにより建立された。670年に落雷により焼失(日本書紀)し、その後再建されたというのが学会の定説でした。古い法隆寺が若草伽藍であると。しかし、そうすれば、再建が7世紀末であるので、約100年間この材木は寝かされていた事になる。

法隆寺の関係者は昔より非再建論でありました。今回の科学的調査により、この論議は又、結論を得ないで論争は続くと思う。

(宝蔵院 夢違いさん)

中西先生は悪い夢を吉の夢に変えてくれる、”夢違い観音”又は”夢たがい観音”が好きだと言われる。それは、日本的な顔だからだとおっしゃる。たしかに、百済観音は背が高く外人のようですね。美人だけど、なんか手が届かないような気がしますね。

私は、実は中西先生と違い、中宮寺の可愛いいボンボリ二つ頭につけた弥勒さんなんです。

法隆寺については、これからも何回もblogする積りです、私は好きなんです。

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クエ料理 九絵家(大阪)

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マイフォト 『クエ料理 一本釣』を参照して下さい。

今日は久し振りの大阪出張で夜は、昭和44年に入社した同期で第三市が尾寮の仲間4人が集まった。ホストは岡本さんで富士通の関西の営業で偉ら~~い人、そして最近迄四国支社長で今はソレキア常務の大高さん。もう一人は東京から事業部の同期で北海道の哲ちゃん。

(クエとは)

こいつは一本釣りでしか漁獲出来ない。深海魚でもないし浅い海にいる訳でもない。高級珍魚だそうですね。
『九絵(クエ)』とは黒と白のまだら模様であり、黒い部分が九つあるそうで、それで九絵というそうな。

安い店では偽物が多いらしい、そいつはまだら模様が無いそうな。九州ではアラと呼んでいるんではないでしょうか。
とにかく、胆の刺身とかいろんな部位の刺身を食べて、水炊きの土鍋で食べました。ぽん酢系のたれで食べる。
身が引き締まり実に美味である。こんな美味い魚がこの世におるんやね。

(酒談義)

親爺の阪田さんが新潟の杜氏が自ら田圃を耕して収穫した米で製造した『純米 吉野川』を持って来た。
酒作りのプロが育てた稲で製造した、正真正銘の幻の酒である。もったいないので、冷やで飲む。

色々と酒談義となり、奈良に在住の岡本さんからも面白い話が聴けた。

・杉玉について質問した。 酒蔵の玄関に大きな杉の葉っぱを丸めた大きな、運動会の玉割りで使うような奴の正体は何であるのか?
ー親爺答えて曰く、あれは米を蒸して、麹(こうじ)と混ぜる工程がある。その時に四角い板の上で混ぜる、その板は杉の板を使う。古い杉では駄目である、新しい杉の木を使用する。
ー杉玉は、酒蔵が2月頃にお酒が出来た事を知らしめる為に掲げる事になった。最近は年中、掲げておる不埒な奴もおる。

・酒のルーツは何処だ?
ー奈良在住の岡本さんが答えて曰く、『正暦寺(しょうりゃくじ)』であると。奈良公園からバスが出てるそうやけど、それで行けるそうです。日本酒発祥の場だそうです。
ー店の親爺曰く、もともと酒は坊さんが作っていた。それを、庶民に伝えたそうな。古い製造手法では玄米をその儘使うので、液体は茶色いらしい。そして、メチャ甘いそうな。
『正暦寺』

延々と酒と魚の論議があり、私は質問する側であった。しかし、おもろい店主であった。我々と話をしていてお店はどうなっているんでせうか?心配やね。

『釣魚料理 九絵家』 クエ料理・伊勢海老料理 代表者 : 阪田敏和さん

大阪市西区江戸堀1ー27ー8
昭和江戸堀ビル1階 (あれ? 我々は2階やっつーたな~~?)
06ー6448ー6720(電話)

しかし、岡本さんお世話になりました、今度は江戸に来られる時には両国で『ちゃんこ鍋』御馳走します。
しかし、ラグビーを阪大時代から今だ続けているお姿は立派ですね。毎年、四国の松山に遠征してるそうですが、今度の英国遠征では身体に気をつけて下さいね。足の骨とか腕の骨とか前歯とか(え?既に大学時代に無い?)歳やさかいね。

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おかか 誕生会

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文京区千石に『おかか』という家庭料理のお店があります。近くには『六義園』、『文京グリーンコート』があり6年前に
私が富士通からFsolに移籍した同じ時期に、開店されたお店です。

気さくなママさんで、女の細腕?で息子を育ててきた立派な人です。息子は現在は料理人として修行にでていますが、よくできた息子さんでした。そんなママさんも、2年前に春が来て結婚されました。何時も、夜は旦那が店にでて手伝いというか、客さんと飲んでます。

(今夜は誕生会)

今夜は永田君と木村さんの二人の誕生会です。実は6年前からこのお店で私もお祝いをして頂いております。誕生を祝う歳でもないですが、職場の仲間が集まり何時も賑やかに繰り広げて来ました。

昼もここで食事をして、夜もここで酒を飲む、そんな5年間を『おかか』で過ごしました。大変お世話になりましたね。

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粟と黍(きび)

数日前の私の大好きなテレビ番組”DASH 村”で粟(あわ)と黍(きび)が登場していた。農耕の奥の深さを思い知るのであった。

(麦が生育しない)

麦畑でどういう訳かある区画の麦の生育が全く駄目である。土を調べると堅くてどうにも麦はむりであると判明する。
そこで、急遽土地改良の為に粟と黍を植えることとなる。

しかし、驚きましたな~~粟と黍はドンドン生長して背の高さより高く成長するんですね。根も二段構えで地表近くからも生え出し高い背丈を支える。台風が来ても大丈夫でしたね。

キツネの尻尾のようなフサフサした穂が出来て、私は始めて粟と黍を見ることが出来ました。黍の方が少し背丈は高いようでしたね。詳細はNTVのDASH村のホームページを参照して下さい。

(粟餅と黍ダンゴ)

粟は脱穀後に杵でついてお餅にして、おしるこで食べていました。黍は黍ダンゴにして黄色い色をしたまん丸な団子でしたね。これが、桃太郎が持参した黍ダンゴであると判りました。彼らの反応は黍ダンゴは不味そうでしたが、粟のお餅は美味しそうでした。

(土地改良)

しかし、麦も生育しない土地を粟と黍は地中深く縦横に根を張り土を耕し、窒素・燐酸・カリの栄養分も土地に取り戻し何たる素晴らしい植物であり、且つ、食料になる優れものであるのか。神様みたいな連中であると感激しました。

農耕とは本当に知恵の塊であると、毎回DASH村を観る度に感激します。三瓶さんという農業の神さんみたな老人にはほとほと感心しております。弥生の時代より綿綿と継続して蓄積された民族の知恵が目の当たりにします。

歴史学も考古学もいいけど、この生きた知恵の塊のような三瓶氏をみてると頭が下がります。

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観客民主主義

最近は仕事柄どうしても、粉飾決算とか証券取引法違反の多くの事件が起きるのか?気になる。 一番報道機関として伝えなければならない、民放、新聞社迄が法律違反をしている事実をどう考えるのか、何か根が深いのではないかと考えるようになった。

(中坊公平氏に聴きましょう)

・NHK人間講座 ”日本人の法と正義”に於いて、以下のような主旨を述べておられた。
・日本の近代民主主義は明治維新に始まる。不平等条約の改正に国家を挙げて上からの民主主義を実行し、急いで近代国家の”かたち”を構築しようとした。
・未だに国民は統治の客体であり、自分が主権者であり統治の主体である意識が薄いと考えられる。法はお上が作る、あるいは事実上官僚が作るという考えが大勢を占めている。
・本来、法とは社会を合理的に規制するための”道具”なわけですから、ノコギリ、カンナ、ノミと同じであり私達が使うものである。
・日本の近代化はとにかく、かたちだけ作ろうと走ったので、結果的に国民一人一人が統治客体意識から抜け出せないでいる。

・これを、中坊さんは”観客民主主義”と呼んでいる。

国民は批判することはあっても、自分が主役として降りてこない。即ち、国民の一人一人が自分で立つという意味において、自立もしていなければ、自分で律するといういみにおいての自律もしていない。

公共空間における、仕事が我々にはあるんだという、社会的な責務をそもそも感じている度合いが少ない。自分達が儲かればよい、うまいこと享楽生活を送れればよいということに、なりすぎてはいないでしょうか。

(中坊さんの指摘)

・中坊さんは提案します。介護であろうがボランテイアであろうがまず、人の為に働いてゆこうという行動をする事が必要であろう。そして、われわれが自分の足で立って、そして社会的な責務を感じて、自らそこに参画してゆくという姿勢が備わってゆけば、政治客体意識は主体意識に変わってゆくと述べる。

私は中坊さんの言葉は重いと捉えています、あまたの事件、即ち森永ヒソミルク、豊田商事事件、豊島産業廃棄物事件、整理回収機構社長,と彼の歴史はまさに被害者の人々に自ら自立して闘う仕事を共有されて来た。

今、東京証券取引所も厳しい規制を立法化しようと動いていると聞きますが、しかし、問題は企業の経営者と企業人の根本に問題があるんではないでしょうか。日本の民主主義は未だ、イラク同様に端緒についたばかりではないでしょうか。

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日本海海戦 第二戦隊動かず

私は司馬さんの”坂の上の雲”日本海海戦の記述の中で感動をうけたシーンが有ります。連合艦隊指令長官が誤判断をして全軍に指示を出した、しかしその判断は間違いであると判断した、第二戦隊司令長官と参謀は命令無視をした行動です。

(旗艦スワロフ操舵故障)

壮絶なる戦いはもう午後3時を過ぎようとしていた。戦場はロシア・バルチック艦隊、旗艦スワロフを先頭に北を目指す。日本の連合艦隊は旗艦三笠を先頭にロシア艦隊と並行して西側を北上し砲塔を東に向けて火を吹いていた。

突然に旗艦スワロフは北上を止め、左90度の回頭を始めた。旗艦三笠の東郷と参謀は連合艦隊に左90度の旋回指示の命令旗をマストに揚げ、急速”左八点一斉回頭”の行動に出た。第一戦隊の戦艦は続々と指示旗を掲揚し指示を伝えて行く。第一戦隊の殿艦(でんかん)は日進である。

第二戦隊旗艦、出雲には指令長官の上村彦之丞、参謀佐藤鉄太郎中佐がいた。彼らは、ロシアの旗艦の動きが変であると気ずいた、操舵故障ではないかと考えた。ロシア旗艦スワロフの折れたマストには信号旗が掲揚されていない事を確認する。つまり、ロシア艦隊は旗艦だけが、異常行動をしており続く戦隊に何の指示もしていない。

上村、佐藤の決断は軍規違反の行動にでた、明らかに東郷は誤認をした此の侭左90度の旋回をすると、ロシアの艦隊を北に逃がしてしまうと判断した。しかし、第二戦隊は装甲巡洋艦の戦隊であり戦艦の隊ではない。薄い装甲の艦隊である。しかし、運動旗の掲揚し第二戦隊旗艦に以下戦隊は続けと指示を出した。

(決死の第二戦隊)

第一戦隊、三笠、敷島、富士、朝日、春日、日進の各戦艦は波頭を揚げて左旋回の行動中でありそこに、直進する第二戦隊が突っ込む形となる。この侭では団子になるしかも、第一戦隊とロシア艦隊の真ん中に入り、第一戦隊がロシア艦隊に砲撃出来ない体勢となった。最悪の陣形となった。

上村・佐藤は決断した、面舵である(右旋回)、ロシア艦隊の前方に出て旗艦スワロフの頭を抑える。急激にスワロフと接近した距離2千メートルである。装甲巡洋艦が旗艦戦艦と戦おうというのである。幸い、スワロフは炎上しており戦える状態ではなく、戦線離脱をしてクルクル水澄ましのように廻る。

それを見た二番艦アレキサンドル三世が旗艦となり先頭で対峙、第二戦隊は一斉に近距離砲撃で相手を炎上させ、三番艦ボロジノが次に先導艦として出てきたがこれも撃破、炎上させた。

(ドイツ人評)

司馬さんは紹介していました、ドイツ人”フランク・ツイース”が書”対馬”で以下述べている。

”対馬で戦った日本人はすべて、小東郷であった”と。

組織に於いて、命令は絶対である。しかし、上司が確実に間違いを犯したと判断した時には、身体を張って正しいと思う行動にでる。軍律違反は死刑である、しかしそれでも責任逃れの行動で本来の目的を逃す行為はいけない。
これは組織が正常かどうかを判断する、いい事例である。

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瘋癲老人日記 晩秋の頃編(感想)

週1回の瘋癲老人日記も早、5年近くなる。 もともとはMuさんと、明石の人麻呂さんと私の3人への私信である。
月曜日はこのエッセイが楽しみで過ごして来た。これからは、時折、感想文をblogに掲載する事にする。

(鍋の季節到来)

梅安さんは最近、近所の暇な親爺を自宅に招待して宴会をしている模様である。鍋宴会の模様のようである。
彼は近くの一橋大学に留学している、アジアの女学生を時折夕食に招待したり、一時、中国語の家庭教師もお願いしていたようだ。

その中国語の勉強も、本人は真面目に言語を勉強するでもなく、中国文化・風習について学んでいたようだ。これは、正統派の外国語を学ぶ姿勢であると、私は密かに考えていた。しかし、何年たっても餃子の作り方とか、中華包丁の使い方とか、そこらへんから核心に進まない様子であった。

今度は、近所の親爺を捕まえて酒席を楽しんでいる。彼の海外駐在経験のある人に対する見解で、サバサバしていて話が面白いという事が書いてある。少し、解説をしてみたい。

(駐在経験者の特徴)

先ず、サバサバして面白い理由についてである。それは、例えば米国に赴任しましょう、英語を話さないといけない。もともとまともに話せない人間は、先ず、話す前に論旨を確認する癖がつく。起承転結を考え、少ないボキャブラリーでどう論理的に、異文化の野郎に伝えるか? 言葉が稚拙でも論旨がはっきりしていれば、通じるものである。

これは、日本という国で論旨が論理的でなくても、気持ちで判らせる高度な文明に育った私達とは異なる外人には所詮無理な会話手法である。幾ら、英語が出来ても全く通じない日本人に出会う。必ずこいつらは論理的説明が出来ない、そして話をする前に起承転結を考えていない連中である。

面白いというのは、ユーモアがあるかどうかである。だいたいが3分に1回は冗談を言えという格言がある。この点は関西人は外人との会話で得をする。もともとが、おもろいから外人に受けるのである。常に、おもろい事を自分の引き出しの中に蓄えておく事である。

以前、記事にしましたが、関西人の英語の発音は西洋人に近い。アフタービートであり、語の後ろの抑揚が上がる。
可哀相に関東以北の連中は演歌発音であり、語の頭にビートがある。これは、英語には存在しない。したがい、関東以北の人で英会話を学びたい場合は、先ず関西弁を勉強すべきである。それから、英会話の勉強やね。

ついでに、関西人のおもろい話に執着する姿勢も学んでおいた方がよろしいようです。これは、本当の話なんです。
え? 関西人でも英語が喋れん奴がいる? そいつは、もともとNativeな関西人ではない、移住者やね。

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キトラ古墳 被葬者論議

昨夜のNHKの『石室開封』においても、キトラ古墳の被葬者について数名に絞られていた。
以下候補者を挙げてみる。考古学検証により時代が絞られ以下の候補者が有力。

(1) 百済王 昌成(しょうじょう) 50歳没

(2)右大臣 安部御主人(みうし) 69歳没

(3)高市皇子 太政大臣 43歳没

・現在、遺骨より歯の磨耗状況から老齢者である事が条件になる。しかし、当時の平均年齢は50歳程度であり43歳の高市皇子でも不思議でない。

・NHKでは安部御主人を最有力に推していたように思う。理由は古墳の場所が安部山と古代より呼ばれている事実。
そして、壬申の乱では天武天皇を助け大活躍し、右大臣迄昇り詰めた人物である。

(安部氏とは)

安部倉梯麻呂、安部仲麻呂(遣唐使)、安部比羅夫(蝦夷成敗)、安部晴明と綿々と続く大豪族である。
拠点は桜井であり、その後は大阪の阿倍野に拠点が移る。安部比羅夫は水軍を率いて蝦夷を攻め、その後東北は安部氏が支配し豊富な砂金を財源に大和朝廷と対抗する勢力を築く。

注目したいのは、安部晴明である。陰陽道である。キトラ古墳の天井には見事な星宿が描かれている事実である。
北極星を中心に赤道、黄道が描かれ星座が描かれている。世界を支配するには天を支配しなければならない。

安部氏は平安時代に晴明を輩出するが、もともと陰陽道と関係の深い氏族ではないかと想定される。従い、古墳天井に描かれた天文図が安部氏を強く示唆するのかも知れない。

しかし、たかが官僚(最高の官僚地位、右大臣)の立場で星宿図を描く事が許されたのか?これが、最後の難関である。

(補足)
・安部御主人は『かぐや姫』にでてきますね。『かぐや姫』の舞台は京田辺の地です。隣は大住荘(大住隼人移住地)
『かぐや姫』伝説にはモデルの女性が京田辺に存在しました。物語そのものは南方系の説話ですね。
・安部御主人が献上した品は海洋を越えた舶来の品でした。海部族である可能性が強いです。
・元々が桜井が拠点ですので、出雲族である可能性が大きいです。天智天皇の時代の白村江の闘いではあまたの海部族が駆り出され、新羅・唐連合軍に大敗を喫した。どれだけの、犠牲を海部族は受けたか。
・壬申の乱での安部御主人の活躍には、日本史の未だ解明されていない、謎が有ります。

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キトラ古墳 祈りの空間

昨夜のNHKの番組『石室開封』をみた梅安さんが、感激のメールを3人によこした。狭い石室での緊張した作業とそれに、使命を帯びた女性の土壇場の活躍。梅安さんは成功した時に涙が出たそうな。

(考古学は文科系か?)

歴史学は文献を基に研究する学問ですが、考古学は遺物で考える学問であります。証拠品が無ければ、研究にならない訳です。今や地下の遺跡を見つけるにしても、地中探査レーダを使いますし、古墳の正確な測量は土木工学です、そして花粉分析、プラントオパール分析で稲の分析、トイレ跡からの貴重な当時の人々の健康状態の分析、骨の分析から被葬者の推定、衣類の切れ端から染色材料の分析、はたまた、水中考古学での海底発掘、湖底発掘・・・・。

今や、総合科学であります。文学部考古学科はプロヂューサを育てる学科であります。プロジェクトを組んで、梁山泊を集め集団で究明にあたる。話は飛ぶが、教育学部もこれからはプロデユーサを育成した方が良い。学校の廻りには優秀な面白い人材が存在しています、教育の使命感に燃えた優秀な人材を生かす方法はないのでしょうか?

話は、脱線しましたが考古学は総合科学であるという事です。昨夜の壁画修復でも梅安さんが言うように、歴史学者は何も具体的に出来ない。出来るのは修復専門の職人集団である。

(祈りの空間)

場所はお墓である。お墓が1300年経過しているとは言え、今だに埋葬された個人の遺骨が残る場所である。
救われた光景は、壁画を剥がす作業の前に職人の人々がお花を手向けてお祈りをしていた事である。何時も古墳の発掘・保存ではこの死者に対する畏敬の念が問題ですね。

四神図が奇跡的に残存していたのは、何か不思議な力を感じますね。まさに、死者を守る神々は朽ち果てずに、もう剥がれそうになっても死者を守る為に、頑張っていました。本当に御苦労さんといいたい。そういう意味では、今回の壁画剥離の修復作業は、死者を1300年間守り続けた四神像と天井の星宿、そして12支像の守り神に元気を与え、又、修復の後 何千年も死者を守って欲しい。

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キトラ古墳 舶来の香り

本日夜、NHKはキトラ古墳の特別番組を放送する。楽しみである。多分今夜は壁画の保存についての話が中心と想像している。その前に、少しキトラ古墳について知識を得て下さい。

明日香村教育委員会
奈良新聞
奈良文化財研究所

キトラ古墳は桧隈の地にあり藤原京の朱雀大路の延長線上にあり、天武・持統天皇陵もあり天武王権に関係のある身分の高い人々のお墓が密集する領域である。高松塚もこの領域にあります。

私が大学を出て就職した頃に高松塚の発掘があり、見事な壁画に日本中が驚きました。私はその時に壁画の写真絵を買い付け額に入れて長く飾っておりました。今回のキトラの壁画も高松塚の壁画に劣らない絵画であります。
特に、四神図(玄武、青竜、朱雀、白虎)の図は同じ型紙ではないかと思われますね。

(高句麗の影響)

今回のキトラの天井に描かれた星宿図は東アジア最古の天文図と言われています、赤道、黄道、星座、これらは正確であり、新聞報道によれば図の元になったのは、高句麗時代の今のピョンヤンだそうです。星座は私も昔Towns時代に札幌のソフトハウスさんと”Hyper Planet"作品を製品化でき、あらゆる時代のあらゆる地球上の場所のその時の星座を再現する、教育用の製品でした。

高松塚の女性のスカートは高句麗の影響が大きいです、以前、高句麗の古墳の壁画を見ましたがギャザースカートはまるで似てます。今回のキトラでは人物の服装が描かれていませんが、高松塚と兄弟のようです。

(東漢(やまとのあや))

この桧隈の地は東漢氏(やまとのあやし)の地盤であります。応神天皇20年に阿知使主(あちのおみ)が17県の人々を連れて日本に渡来し、この桧隈の地に移住しました。その後も時代は過ぎ、多くの渡来人が朝鮮半島より渡来し新漢(いまきのあや)と呼ばれました。

大化の改新に於いて、蘇我氏と東漢氏は衰退したと言われるが、天武天皇時代はどうであったのか?がこれからの課題です。天武天皇は百済一辺倒の天智天皇の政権を倒し、新しい統一新羅と唐帝国に対抗した王権です。
私は、高句麗の渡来系の豪族が色んな意味でその後も活躍したのではないかと思います。

とにかく飛鳥時代は国際情勢に翻弄された国際都市でした。

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敵前回頭 日本海

司馬さんは戦闘模様を描かないので有名ですね、戦争の悲惨さを自分のポンコツ戦車隊から身にしみて感じておられた博識であると思う。しかし、”坂の上の雲”では日本海海戦の模様を詳細に描かれた。

(丁字戦法)

ロシア艦隊は対馬海峡を北上している、沖ノ島の近くである旗艦スワロフを先頭に縦2列の変則隊列。日本の連合艦隊は旗艦三笠を先頭に南下する。私は何時も不思議なのは一番偉い人が先頭に立ち、一番危険な部署に位置する海軍の世界共通の戦い方である。

陸の戦い方は大将は安全な後方にいる、それに対して海軍は大将が何時も先頭で最初に砲弾を浴びる場所にいる。海の戦いは陸の戦い方とは根本的に異なると思う。これには理由があると思う、今後、秋山真之が勉強したように歴史上の海戦を勉強する必要がありますね。

敵距離8千メートルで東郷司令長官が発した言葉は”取り舵一杯”です、左に旋回する指示ですね、面舵は右旋回の海人族の言葉です。これが、西洋人が言う”アルファー運動”であり日本人は丁字戦法と呼ぶ。この戦法の欠点は鶴翼の陣形が出来る迄無防備状態が暫くかかる、且つ先頭の旗艦が相手の集中砲火を浴びる欠点がある。

しかし、利点は戦形が整うと艦隊全砲塔を相手の旗艦に向けて集中砲火を浴びせる事が出来る。肉を切らせて骨を切る危険な戦法です。東郷さんは薩摩の示現流です、唐竹割りという真っ直ぐ上に構えた剣を全体重をかけて上段から切り下ろし、自らは傷を負うが相手を必ず仕留める剣法です。

全滅しても良い、しかしバルチック艦隊の一隻でもウラジオストックには入れない相打ちの戦い方でした。その為には司令長官の旗艦が火達磨になる、そんな覚悟が距離8千メートルの距離迄戦法を決めなかった心の動きと思います。

理由は、北上する艦隊とすれ違いで従来通りの戦いをすれば、連合艦隊は相手を追尾する戦いになる訳ですね。秋山真之が考えに考えた7段戦法は約が立ちませんでした、結局は司令長官の東郷が一人で決めた。

(連合艦隊解散の辞)

司馬さんが最後で紹介したのは、”連合艦隊解散の辞”の名文である。米国のルーズベルトは全文を翻訳させて陸海軍の全員に配布したほど感銘を受けた。最後の文章は以下の通リだそうです。

神明はただ平素の鍛錬につとめ、戦はずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平にやすんずる者よりただちにこれを奪う。古人曰く、勝つて兜の緒をしめよ、と。

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陣形について

古来集団同士が戦う場合には合理的な闘う形が存在した、これを陣形と言う。戦う地形、相手の陣形、人数の都合、武器の状況、等々のその時の状況に応じて陣形を決めるのですね。

(雁行の陣)

一番好きな陣形で且つ合理的な陣形であると私は、考えています。この形は今でも企業で使われます、事実以前の会社の社長はこの陣形組織で素晴らしい業績をあげました。

この陣形は無敵の軍隊と言われた秦の始皇帝の軍団と時を同じくしたローマを破ったハンニバルの軍団がこの陣形を得意としました。

陣形は主力部隊が中央に陣取ります、そして左前方に1/4の勢力の機動部隊が位置します。飛び道具と騎馬と戦車部隊ですね。ハンニバルは機動部隊として象を使いました。敵と対面し全軍が全速力で接近します、先ず左翼の機動部隊が敵の左翼に突っ込み横腹を攻撃します、同時に主力部隊が清々粛々と真っ直ぐに前進して乱れた敵陣を掃除します。

企業に置き換えてみますと、主力部隊が今利益が出ているビジネス集団です、左翼の機動部隊は先行投資の新しいビジネスモデルを開拓する部隊であり研究開発部隊であります。この陣形を差配するのは社長ですね。

(魚燐の陣)

これは、武田信玄が得意とした騎馬軍団の能力を最大限発揮させた陣形です。三方ガ原の戦いで信玄が家康と戦った陣形が魚燐の陣形です。相手が鶴翼の陣で対峙した場合に騎馬の小集団がサッカーの試合で次々と後方から前方に突撃するように絶え間なく、攻撃する陣形です。グラインダーの歯が騎馬小集団でこれが、絶え間なく敵を攻撃し相手を削いで行きます。

信玄は川中島の戦いに於いて、勘助のキツツキ戦法が不発に終わり、少数の軍団で謙信の大部隊と闘わざる得ない苦い経験がありました。このときの謙信の軍団は圧倒的な数の優位の元に、”車掛りの陣”で戦いました。

車掛りの陣は大きな水車が横向きで絶え間なく攻めてくる陣形ですね、信玄は鶴翼の陣形にして戦いました。この敗戦が信玄にのちの魚燐の陣形を考えさせたと言われます。

(さて現代)

企業組織論は古来、戦いの陣形になぞらえられます、科学技術の進歩でこの陣形、組織も変化しています。最新の軍隊の戦い方が企業組織に取り入れられているのが現状ですね。前線の兵隊さんが一番情報装備をしているのが現代の軍隊です。最近は、ラジコン偵察飛行機を背中に担いでイラクでは米兵が戦いましたね。

しかし、古来の基本的な戦法と陣形には深い意味があります。次回は日本海海戦のアルファー陣形に触れます。

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今週の読書(信玄、慶喜)

今週は以下二冊を読んだ。

・”最後の将軍” 司馬遼太郎 文春文庫 再読 

・”信玄戦旗”  松本清張   角川文庫 

(徳川慶喜)

今、NHKは新選組を大河ドラマで放映中である。そして、最後の将軍も出てくる場面で皆さんの非難を浴びている。
1998年NHKは同じく大河ドラマで”徳川慶喜”を放映した。原作は司馬遼太郎である。多分モックンが主演した。

司馬さんは誰もなりてのない将軍を引き受けた水戸の慶喜に同情的であった。あの時代、確かに頭脳明晰で決断力のある慶喜以外には将軍候補は無かった訳だ。

土佐山内容堂、越前福井松平春嶽、伊予宇和島伊達宗城(むねなり)、薩摩島津久光での四賢候会議でも慶喜が一人奮闘であった。しかし、時代の流れを食い止める事は出来なかった。もともとの水戸学は勤皇である。

しかし、司馬さんはイデオロギーに支配された人間を一番嫌う性癖があった。その面では時折、厳しい視点で慶喜を描いている。しかし、本木君が上手く演じていたような記憶がある。特に勝海舟と火消しの連中との関係ですね。

(清張歴史小説)

清張さんはミステリーと古代史しか読んだことがない。今回は初めてである。

流石に、清張さんはよく武田氏の歴史と信玄を調べている。甲斐源氏としての由緒正しい武田の系譜の説明だけで延々と続く。面白いのは家康も座右の銘とした信玄の領国支配の法度である。細かく記述されている。企業経営者は読んだほうがよさそうである。

山本勘助軍師との会話も面白い。清張さんは詳細に場面を描かれる、川中島の戦いもそうである、しかし、司馬さんとの違いは感情移入が出来ない。清張さんはあくまで、現場検証の検事であり殺人を犯す犯人の感情と距離を置くように感じた。

しかし、勉強になった武田の歴史、治世の手法、組織論、戦争のやり方、等々面白かった。

しかし、私も暇ですね電車の中、布団の中、BLOGの合間、よう暇があると思う。

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LACALACA改装

フランス在住の『ふうてん娘』のホームページが改装されました。一度、暇なひとは覗いて下さい。特に、『食い物』に御興味のある方には面白いと思います。

(フランス料理)

私達日本人はフランス料理というと、バターが仰山使われたコテコテの料理を思い浮かべ、高級料理とか値段が高いとか、少し距離を置いて、覚悟してレストランに向かいますね。実際は違うんです、えらい田舎料理が主流で中華で言えば、満漢全席?だけが中華ではないのと同じと思います。

『ふうてん娘』が紹介している料理は、ブルゴーニュ地方の貧民の料理とパリの金の無い若い女性が好んで食べる料理に的が絞られています。

フランス人は豊かな農業国であるとともに、長い歴史を持つ国ですからあまりセコセコしないし、のんびり生活を楽しむ気風があります。皆さん定年退職を指折り数えて、老後の生活を楽しみにして生きているようです。退職して船を購入して夫婦でヨーロッパの川旅を楽しむ人々も多いようです。

(私の印象)

LACALACAは食い物の話かおもろい事件の報道に尽きます。誰に似たのかな~~と、自分のBLOGを振り返り、似たようなもんやな~~と思います。親子揃い世間に恥を晒しているようですが、まあ勘弁して下さい。

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本格OS搭載 送信機

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12月号”ラジコン技術”に遂に、本格的OSであるWindows CEを搭載したラジコン無線送信機が登場した。

(仕様紹介)

・世界初の14チャンネル操作系を搭載している。要は、幾つもの機体の操作仕様を記憶させ、各機体毎の飛行演技プログラムを記憶させる事が可能。同時に、14個の指示を機体に同時に転送可能。

・WMAミュージックファイルの再生機能を持ち、音楽を聴きながら飛行制御が出来る。スピーカでもイヤホンでも可能である。これは、最近の演技は芸術であり音楽にあわせて飛行機が演技をするのです。

・新PCM Generation3を搭載。動作分解能は2048である。従来のものは1024である。微妙な操縦桿の動きに対応可能である。

・バックライト付き大型フルカラー液晶モニターはタッチパネルセンサーを採用。画面で指で操作可能。

・プロポ本体にマイクを装備し、音声録音可能。必要なコマンドを入力しておき、フライト中に音声のプレイバックが可能である。

・コンパクトフラッシュを搭載し、実質的なモデルメモリは無制限に。最新のソフトウエアにも、CFメデイアを通し簡単にアップグレード可能である。

・シンセサイザー方式を採用し、クリスタル交換は不要で、送信機からワイヤレスで周波数を変更できる。

・送信機電源は7.4ボルト2200mAH大容量リチュームイオン・バッテリーを搭載。

・価格 294000円

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天武王権の覚悟

私は以前より、『日本書紀』において、何故に2系統の皇孫系譜を認めたのかが疑問でありました。この正史は天武天皇の詔により編纂され712年に完成したと言われる。どうも、天武天皇の強い或る意思が働いていると思います。

(ニニギとニギハヤヒ)

日本書紀によれば、神武天皇(イワレヒコ)が東遷し大和にはいろうとすると、既に、大和には天孫のニギハヤヒが降臨していた。イワレヒコは九州の高千穂に降臨した天孫のニニギのそ孫である。ニギハヤヒはニニギのお兄さんにあたる。

ニギハヤヒは天孫として、哮ケ峰(いかるがのみね)に磐船に乗り降臨していた。これは、私の故郷の近く、私市(キサイチ)の磐船である。多分、大阪湾が今の枚方迄食い込んでいたので、そこから天の川を遡上したと考えられますね。

ニギハヤヒは大和に入り、土着の豪族の長脛彦の娘を妻にして暮らしていた。その大和にニギハヤヒの弟の孫のイワレヒコが攻めて来た訳です。ニギハヤヒは長脛彦を裏切り、殺しイワレヒコを受け入れます。

ニギハヤヒはイワレヒコに仕え、物部氏の祖となりました。これは、不思議な話ですね、兄貴が弟の孫に政権を譲った事になります。二人の兄弟が降臨し、それぞれ異なる場所に降臨して弟の筋に王権を譲る訳です。

(天武王権の正統性)

私は、古代の大戦争である壬申の乱で大海皇子は兄貴である天智天皇の息子と闘い、王権を手にした訳です。
日本の歴史において、神武天皇の成立過程を兄貴筋からの奪取という事実で自分の正統性を歴史に示したいと考えても無理筋ではないように思う。

天武王権は大陸の大国である唐と新羅の連合軍に破れた、前政権に対してなんとしても、新生ヤマトを印象ずけたかった。従い、国の名を倭より日本に変え、大王を天皇と変え、歴史書を作り、・・・・と懸命であったと考える。

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雪虫の話

先日、自由が丘の山口瞳さんが、愛した”金田”で食事をして、”八甲田”に久しぶりに蝦夷地出身の黒ちゃんと出かけた。

お店は、相変わらず偏屈親爺が一人生きていた。時間が未だ早いので、奥さんは未だ居られない。齢を重ねた三人で色々面白い話が出来た。

(雪虫論議)

黒ちゃんに、そろそろ会社もクビだから、故郷の蝦夷地に帰らんのか?という、話を持ち出した。彼は冬がたまらんから、帰らんと言う。拍子を打って八甲田出身の頑固親爺がそうだそうだと言う。関西出身の人間が弘前藩、斗南藩の冬の暮らし、蝦夷地の冬の生活なんか理解出来ないとのたまう。

とにかく、年寄りだけでは生活は大変であると言う、自宅の前の道を雪上車が走ると家の庭は雪の山が出来る、そして氷になるそうな。しかし、この親爺どもは遥か35年以上昔の話であるから、信用は出来ない。

そこで、話題を切り替え昆虫とか植物の話に転換した。そこで、話だしたのは偏屈親爺である。関西人は雪虫を知るか?と来た。私は、雪の結晶が虫のように見える話かと、文学的にはぐらかしたが、違うと。

白い羽根を持つ昆虫が群れで飛ぶ、それがまるで雪が舞うような風情であるらしい。ホ~~えらい詩人のような心境やな。と、相打ちを打つ。違う違う、これからが如何に自然の生き物が知恵が有るかを開陳すると言う。

(冬の積雪量を予測)

親爺曰く、関西人よく聴けという、この雪虫はこれから来るべき冬の積雪量を予測する能力があると言う。毎年、雪虫が産みつける卵の位置の木の幹の高さが異なるそうな。積雪量が多いと幹の上の方に産む、積雪が少ないと予想すると下の方に産みつけるそうな。

これを、地元の住民は観察して来るべき冬の積雪量を学び冬の準備をするそうな。要は、虫に人間は教えを請うている。

北国を知らない、関西人は雪の北海道とか弘前とか斗南に憧れる。そして、冬の海峡のマグロに憧れる。しかし、どうやら大変であるらしい。しかし、北国の人は辛抱強いと何時も思う、このご両人とも長い付き合いであるが、辛抱して私と付き合ってくれている。

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涙のプロジェクトX

久し振りに、『プロジェクトX』を昨夜拝見した。 涙が止まらんかったですね。日本サッカーの歴史である。

『病床からのキックオフ Jリーグ誕生秘話 』

(木之本氏、永井氏)

私は日本代表選手で名フォワードと呼ばれた、古河電工の永井選手には記憶が有りました。話は、当時の古河電工サッカー部(1972年~5)頃に木之本興三という選手がいた。彼は、上手ではないがまとめ役の抜群の能力があった。
ある日、不治の病である『グッドバスチャー症候群』に罹病し腎臓摘出の手術を受ける。闘病5年間、週3日の人工透析が必要な生活になる。

彼は、当時の閑古鳥の鳴く実業団サッカーの限界を感じ、日本にプロリーグを作ろうと決意する。古河電工もクビになり苦闘が始まる、そして永井選手との心の交遊が始まるのですね。何とか、こいつをプロの世界で活躍させたい。

(川淵三郎登場)

元、古河電工サッカー部の川淵氏に相談し、地元密着のプロサッカーの創設の夢を追い始める。彼は、何時命が尽きるか判らない、だから時間が無い。地方の自治体、企業を巡り交渉に拍車を掛ける。

鹿島の住友金属が鹿島の田舎では若者が集まらない、何か地元に若者を魅了するものが欲しかった。しかし、2部リーグのチームでありプロの世界からは程遠いチームでした。そのうちトヨタが企業名をつけなくて良いと言い出し、一気に企業スポンサーが動き始めた。

(ジーコ神様動く)

この鹿島のチームは2部以下であり、誰もがプロとしては無理だと考えていた。しかし、神風が吹いた、ブラジルからジーコが日本の片田舎の鹿島のクラブの創設の合力に来たのである。これが、日本のサッカーの祖はクラマー氏でありプロの祖はジーコとなる。(日本蹴球史 編纂 司馬jo)(冗談笑)

それからの、日本のJリーグについては皆様御存知の通りであります。私は腎臓を失い週に3日、人口透析している人でさえ、この様な偉業をなせる精神力に涙が止まらなかったです。Jリーグ発足時に戦友の永井氏はジェフの監督として迎えられていた。古河電工サッカー部OBの大活躍の物語でもありました。

日本は次回のワールドカップに中興の祖、プロの祖であるジーコ氏に率いられてドイツに臨む。結果はどうあれ、これは運命である。こうでなければ、ならない。

(注)   木之本興三氏 日本プロサッカーリーグ専務理事
(注)   永井良和氏  ジェフを始め数々のJリーグ監督歴任

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地震・雷・火事・親爺 続編

もともと、何でこんな事を書こうかと思ったのは、天災と親爺はよく似たものだと言う事であります。

子供にとり、親爺は天災そのものなのです。しかし、最近というか団塊の世代の諸君は子供の頃の雷親爺の天災から何とか逃れようとして、そして食料も少ない貧乏な時代を過ごし、子供達にはそんな苦労をさせたく無い、そんな気持ちで企業戦士をして来た。そして、家庭では優しい親爺を演じて来た。

(52万人の若者が働かない)

今、問題は団塊の世代に有ります。自分達が育てた子供達が、大人になり青年になって、52万人の若者が働かない時代を作ってしまいました。

私は米国に対して厳しいですが、しかし、米国は今だに西部開拓の精神を失なっていない。交通事故で障害を受けても、厳しいリハビリを迫ります。それは、シゴキでは有りません、世の中の為に、社会の為に、社会人の一員として役立たねば、いけないという暗黙の風習が出来ている。

元々は、米国は貧乏な国なのです、清教徒が追われ、ジャガイモの全滅でアイルランドから救いの地を目指しボート・ピープルとして流れついた子孫なのです。日本が焼け野原から必死で再建してきた歴史とダブります。

人間は一人では何も出来ない弱い存在です。社会生活の中で助け合う事でしか生きることは出来ないのです。
米国では子供に勝手に、ただではお金を親は与えません。必ず、仕事をしなければ与えない。小学生でも家の仕事なり、何か社会の為に役立つ事をしない限りお金は渡さない。

中学生はよく、Baby シッター のアルバイトをします。私の、米国時代の経験でも何回か、中学生の女の子に仕事を頼みました。子供の頃から、社会人の基礎教育をしているんですね。

(団塊の世代はしばし引退無用)

だいたい、私を含めて、団塊の世代は52万人の若者が働かない世界を作ってしまいました。この、青年達が気がつく迄は引退してはいけない。そうで、なければ日本は沈んで行きます。

自戒の念でこんな記事になりました。

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地震・雷・火事・親爺(その1)

この言葉は我が家では風化した言葉である。皆さんのお家では如何な按配でしょうか?

(地震について)

神戸地震から今年の新潟中越地震での災害は本当に恐ろしいですね、被災者の方々には何とも言葉が尽くせない気持ちでおります。今回は、ささやかにniftyの災害チャリテイーに参加させていただきました。

私の母校は神戸大学の六甲台キャンパスです、そこには神戸震災で亡くなった学生達の墓碑銘が沢山刻まれております。数年前には約3年間ほど、経営学部の非常勤講師をしておりまして、六甲台のキャンパスを訪れておりました。今は群馬大学の社会情報学部の非常勤だけにしております。

地震の予知は何とかならんのか?常日頃考えています。神戸震災の折には、後で色んな事前兆候についてテレビでも報道されましたが、その後は何ともメデイアも報道しませんね。

私は、素人ですが地震は地下で岩盤同士が凄まじい力で押し合って、遂に炸裂してしまう訳ですから物理学で何とか兆候を感知出来ないのか不思議です。岩は鉄とかケイ素とか炭素とか色んな元素から形成されているわけですから、凄まじい圧力のプレートの衝突から熱も発生するし、音波も出るし、モータが回転するように電流も流れるし、電磁波も出るでしょうから判るのではないでしょうかね?

池の鯰が暴れたり、鳥がおかしな行動をしたり、犬猫が人間の聞こえない音波を察知したり、電磁波が空で電離層と反応したり、色々ありそうに思いますがね。地震列島の日本が一番科学的に解明・予知する技術を発明しないといけないですね。若い科学者に是非、お願いしたと思います。

(雷)

雷は子供の頃に一番怖い存在でしたね。小学校の帰り道の田圃の畦道で出会うと、恐怖で目をつぶりただただ、一目散で前に向かって、足元だけを見て走りました。泥だらけになり、泣きそうになり自宅の工場が見えると嬉しくなりやっと命が助かったと思いました。

この。雷も科学では何とかならんもんでしょうか?積乱雲ですよね、所謂、入道雲ですね。要は静電気の親玉みたいなもんですから、リチューム・イオン電池か何かに充電できんもんでしょうか?若い、科学者に期待したです。

続編につながります

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鴫立つ沢の秋の夕暮れ

本日、瘋癲老人日記の梅安さんが、懐かしいエッセイを掲載した。『秋の夕暮れ編』です、参照下さい。

(状況説明)

瘋癲老人は寄る年波に勝てずに、お忘れの御様子ですが、場所は二子玉川のお蕎麦屋さんです。時折、この蕎麦屋さんでお酒を飲んでおりました。梅安さんは"ハルピン・キャベツ"が好きで、少し酸っぱいキャベツの一夜漬けのようなものがお好きでした。

そこで、おしながきで『茄子のシギ焼き』のメニューを見つけ、お互い評定になりました。何処に鳥がおるんや? 何で茄子がシギなんや? 誰が命名したんや? 関東の風習か? ・・・・・・・お店の人に詰問するが要領を得ない。

今から思えば、恥ずかしい二人でしたね。精進料理ではそう言えば、豆腐を使いお肉料理"見立て"が沢山、京都方面では有りますね、これもその一種であると、何故早く気がつかなかったか? ですね。

(鴫立つ論議)

『こころなき 身にもあはれは知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ』

西行法師の解釈論に話が進みました。私は、高校時代からの親友が当時、大阪の鴫野(しぎの)に住んでおり高校時代からこの詩には興味があった。昔、鴫野は大坂城の近くの湿田地帯であたり一面にあし(葦)とかよし(葦)が生い茂る沼地でありました。

瘋癲老人の歌の解釈は素晴らしいものです、何か西行はんの生まれ変わりみたいですね。そこで、もう一つの解釈を紹介しておきます。

第一の瘋癲老人の解釈は、大勢の渡りの鴫の群れが飛んで来て、楽しそうに沢で林立している。楽しそうややな~~、それに引き換え私は一人で寂しい~~。

第二の解釈は、渡の鴫の群れが飛び立つ、私一人を残して・・・・・寂しいな~。

そこで、第三の解釈です。
基本的には第一と解釈は同じで立つを、Standingと解釈します。場面は以下のシーンを想定します。

いつの間にか、日は釣瓶落としで急に暗くなり始めました、西行さんはぼ~と真っ赤に輝く夕焼けを見ておりましたね。そこに、一羽の鴫(しぎ)が一本足でたたずんでいるではないですか。まるで、修行僧のような風貌で一人孤高な鴫ではないですか。群れない鴫に西行さんは心を打たれ、まるで私のようだ! そんな、解釈もあります。

梅安さんと酒場でどれだけ、おもろい話をして来たか、忘れがたい。

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新札発行

この度、新札が発行された。千円は野口英世博士で、一万円は福沢諭吉はんですが、新しいフォログラムの技術が駆使された新札、そして、未だお目にかかっていない、樋口一葉女史。

(感想)

新しい一万円札は気持ち、薄く感じます。千円札とも比べて下さい、薄いです。透かしは真ん中の肖像画と右側に縦に三本の透かしがありますね。裏は鳳凰になりました。宇治の平等院の屋根の上にいますね。表は日本語で裏は英語でまるで、私の名刺のようですね。

最大の特徴は左下にあるフォログラムでしょうね。色んな角度で10000とか日本銀行のマークとか桜の花びらが見えます。左右の端には横線が沢山印刷されています、これも初めてですね。

千円は野口博士ですね、裏が富士五湖に映る富士山と桜の花ですね。一万円札と高さは同じですが、横の長さが少し短いです。面も裏も印鑑が押してあります。

このように、見ると私も世界のお札を見てきたが、日本のお札は素晴らしいです。美しいし、デザインも素晴らしい、そして紙の質もいい。米国では、ドル札を貰うと、クシャクシャで青いちり紙がまるまった感じで、もっと札を大事にしろといいたい。

さて、これから世界の偽造団との戦いは始まりましたね。フォログラムは難しいそうですね。しかし、公には発表していない隠された技術が仕組まれている筈ですね。

私は札の番号と模様に特別の仕掛けがあるのではないか?自動販売機とかATMとか機械で読み取る装置を開発しているメーカは沢山ありますが、実は肝心要の判断する回路のLSI(集積回路)は極秘である。リバースエンジニアリング出来ない回路技術が使われていると、想像する。

しかし、考えてみると難しいお札の偽造するより、簡単な札を偽造する方がコストが少なくてすみますね。従い、実は各国はよその国より難しい札を製造する事になる。これは、目に見えない国家間の競争なのですね。

(基軸通貨の運命)

今はドルとユーロと円が基軸通貨であります。基軸通貨の条件は経済力と流通版図が重要で、広く使われていないとそうはなりません。日本は財政が破綻近い状況ですから、極めて危険な状況ではあります。

日本のお札は日本だけのものでは有りません、他国で使われるものとの認識が必要なのですね。日本は過去に於いて長く中国のお金を使用して来ました。東アジアでは中国のお金が基軸通貨でありました。永楽通宝とか。

(日本の通貨歴史)

明日香で通貨の製造場所が発掘されました。長く平城京跡でも発掘されていた、”和同開珍”が最古の鋳造貨幣と言われていましたが、明日香時代に既に鋳造貨幣は製造されていました。しかし、流通しなかったようです。

ところで、大昔の中国では通貨として、子安貝が使われていたのを、御存知ですか?え?小学校で勉強しました?
そうですか、事実なんですね。南方の国でしか採取できないので、持ち運び便利で利用されたんでしょうね。

従い、白川先生ではありませんがお金に関わる漢字には、貝がつきものなのですね。通貨、財産、貧乏、etc

今日は、新しいお札が手元に来ましたので、少しお金について、お話しました。あぶり出しのお札は世界中でないんでしょうかね。

参考Web 最古貨幣『富本銭』

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飛鳥自転車サイクリング

私は友人と又、家族で飛鳥周遊の自転車散策を時折行った。ご参考になるかどうか、かなり強行軍になりますが面白いですよ。一日がかりの旅になります、覚悟が必要。

(カシワラ神宮駅でレンタ・サイクル)

・畝傍山の麓であるカシワラ神宮の駅で下車して下さい。駅前に自転車を貸してくれる大きなお店があります。
家族で出かけたときは真夏でした、お茶とかお水を買い一路北を目指します。

・道には案内の看板が出ていますので、簡単です。目指すは箸墓古墳です。民家を抜け、田んぼの道を道標に従いペダルを漕いで下さい。ヤマトトトビモモソヒメ(日の巫女?Mu説)にお参りして遥か邪馬台国の時代の建国を想いそして、魏の使節を迎えた激動の東アジアの時代を想像しましょう。

・一路、南下します。目指すは、甘樫の丘です。三輪山を左手に眺めて南下します。田んぼの道で楽しいです。丘の上まで自転車で登れます。結構厳しいのぼりですが、頑張ってください。此処まで来れば、眼下は明日香の村々です。蘇我氏はこの丘の上に宮殿を建てていました。

・山を下れば、飛鳥寺に到着します、途中、飛鳥川を横切ります。飛鳥寺で休息です。ここの茶店で甘酒を飲むとかビールをのむとか、一時休息です。そして100メータ位のところに蘇我入鹿の首塚が田んぼの畦道沿いに有ります。

・目指すは酒船石です。最近は発掘により石畳の祭礼施設が出現しました、亀のお風呂みたなものですね。斎明天皇の関連施設と言われています。その見上げる山の上に酒船石があります。この山は全て石垣で覆われていたそうです。斎明天皇さまは土木工事が好きで、沢山の土木工事をされたそうです。

・酒船石に腰をかけて、休息し、ひとしきりこの謎の石について説明して、直下の祭礼施設との関係を説明する。昔は、推理作家の松本清張はんは、この石で麻薬を調合したと述べておられましたね。

・さて、昼飯です、石舞台古墳に向かいましょう。最近は(8年前だけど)整備されましたね、昔は何も無い単なる岩山みたいでした。中に入れます、大きな岩組の羨道から石室を見ることが出来ます。

・すぐ傍に大きな、レストランがあります、自転車を留めて昼飯です。未だ未だ厳しい自転車の旅は続くので、お腹一杯食べましょう。私はビールがあればよろしい。

・さて、腹も満腹、今度は坂を下り橘寺に向かいましょう。聖徳太子さまゆかりのお寺です。ここでも、石像は必ず確認必要です。二人の顔が彫られています、土の下に隠れている怪しいものは見れません、残念。

・さて、次は民家のクネクネ道を登ると田んぼの交差路にひょうきんな”亀石”どんがお座りです。こいつが、向く方向が変わると洪水が起きるので、気をつけましょうね。亀とも別れ、鬼の俎板、雪隠の石造を見ましょう。可愛そうに、誰かの墓が暴かれたんですね、巨大な石室ではなかったでしょうか?蘇我氏崩壊の折に、災難に遭った蘇我氏関連のお墓でしょうかね。

・さて、もう一息頑張って高松塚迄行きましょう。今は博物館になっていますので、閉館時間に間に合うように行きましょう。本当に、小さな古墳ですね、まさか壁画が描かれているような貴重な古墳であるとは思えません。

・ここは、藤原京の朱雀大路の延長線上にある、”聖なるライン”に位置します。天武・持統合葬陵も高松塚の傍にあります。最近は又、この近くの古墳で壁画が発見されましたね。このあたりは、東漢(やまとのあやし)氏の拠点ですね、大陸の香りがします。最近の発掘で藤原京は平城京より巨大であったと判りましたね。

・さて、吉備姫の墓にある猿石を見る寄り道をして、一路カシワラ神宮の自転車屋さんを目指します。疲れ切っているので、交通事故に気をつけて帰りましょう。

以上は、20年前頃から数回、家族とか友人を騙して連れて飛鳥の里を巡る私の旅の断片です。飛鳥三山と三輪山が大事ですよ、しかし、疲れますので覚悟してついて来て下さい。

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山の掟 集団が生き延びるには

私は中学生の時代からワンゲルのクラブに入り、大学でも4年間ワンゲルで生活した。少数でパーテイを組み山を縦走する訳ですが、南アルプスとか北アルプスの奥地では事故が発生すると、里に下りるには最低1日は必要になる。

天候の急変、自然災害とか危険と隣り合わせで生活します。私が、学んだ山の掟の中で集団がどう行動すべきかについて、少し述べます。理由は最近の企業集団、そして、この国のかたちが少し歪みつつあると思うからです。

(縦走経験からの事例)

・朝の3時起床、暗いうちに縦走を開始し午後の2時頃には目的地に到着する。アルプスでは午前中しか天候は安定しないからです。幕営地には水場が無い場合があります、千メートル下らないと無い場合もあった。誰かが、ポリタンクをサブザッツクに詰め、降りて行く。

・夏山では台風に見舞われたり、春山では突然の吹雪に遭遇する、そうすると数日間、沈(チン)となる。(動けないこと) 食料が底をつき始める、そうすると食料担当が腹の調子が悪いと言って食わなくなる。

・山の坂で違うパーテイと遭遇すると、必ず下山途中のパーテイが足を止め、登りのパーテイを通過させて下山する。
そして、エールをお互いに送る。

・仕事はだれも指示しない。自らがパーテイのメンバの行動を見ながら、仕事を探す、そして辛い仕事を元気な奴がやる。

・責任者は荷物を持たない。これは、シゴキではない、怪我や事故、病気のメンバが出たときにそいつの命を守る為である。私も岩で怪我をしたメンバを医療センターのある山小屋まで、担いだことがある。

・誰の代わりでも出来ねばならない。天気図もラジオを聞きながら図面を書く技術がなければならない。低気圧、高気圧の気団の等高線を描くのが難しい。

欧米流の組織論は個人の仕事の範囲が明確であり、ボスの指示に従う。しかし、私はこの山で学んだ組織論の方が優れていると確信している。世界情勢は刻々と変化するし、どうせ仕事をしない奴は存在するものだ、そして予定通りには仕事は進んだ験しがない。臨機応変が必要であり、チームで考える集団は強い。

私はインセンテイブも必要だと思うが、仕事の出来る奴には仕事で報うのが健全な組織であると思う。日本を米国のような貧富の差が多い社会にしたいのか、それとも長い歴史をもつ日本人の優しい社会を維持するのか?

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何故卑弥呼は箸墓に眠るか

日本の国家政体が動乱に見舞われるのは、国内情勢だけではない、国際情勢の必然性がそうさせて来たのではないでしょうか?

日本史を振り返ると、強大な隋王朝の成立と聖徳太子さまの中央集権国家の建設、大化の改新による唐帝国への対抗できる国家作り、新羅・唐連合への海戦での敗北での近江への遷都避難、時代はくだり欧米植民地主義の勃興と明治維新での国家存続への動き、そして第二次大戦による敗戦による米国覇権主義への追従。

日本の歴史は、世界の動きに翻弄される歴史を辿ってきたのではないでしょうか。そこで、日本の古代史を考えると今以上に国際的な波に晒されていたのではないか?日本は島国という考えは江戸時代だけの話である。海洋という古代のハイウエイを考え、朝鮮半島との身近な距離にいる日本にとり中国、朝鮮半島とは目と鼻の先の出来事であり常に大陸の動きに翻弄されて来た。

今日朝起きてみると、MuBlogでは”卑弥呼の宮殿跡”が決まったと、決意の記事があった。且つ、卑弥呼の墓は箸墓であると。私も、記念すべき日に是非、一言、卑弥呼について記述しておきたい。

(卑弥呼擁立国際情勢)

さて、今日は3世紀初頭の日本を見てみましょう。2世紀までの日本は安定した漢帝国の国際秩序の枠に入り、北九州の奴国、伊都国という国が中心であり安定していた。しかし、漢帝国が崩壊の道を辿る頃から情勢は一変する。

遼東半島に公孫氏が勃興し朝鮮半島の楽浪郡を配下に制圧、南の帯方郡迄制圧する。日本にとり国際情勢が激変したのである。漢帝国の秩序は乱れ、日本の秩序も乱れる、所謂、倭国大乱である。

中国は漢帝国が滅亡し、三国鼎立の時代となる、魏・呉・蜀の時代の到来である。日本は公孫氏の朝鮮半島政権、そして中国の新秩序の成立に、北九州では危険である。場所として選ばれたのは大和である。多くの、北九州の勢力は瀬戸内海を東に移動した。

日本の動乱を収束させたのは卑弥呼である。卑弥呼は公孫氏と関係を結び日本の安定を模索する。この当時の公孫氏から頂いた鉄刀、環頭太刀は東大寺山古墳に眠っていた。卑弥呼の外交戦略は矢継ぎ早に打たれる。

卑弥呼は世界情勢を分析し、魏の国と結び公孫氏を挟み撃ちにする、そして遥か古代に長江下流域より日本に土着していた呉の国の先祖達の豪族も使い、呉と連携も模索する。

魏の国の倭国の認識は南北に長い東方海上に存在する海軍力の強い国という認識である。対、公孫氏戦略、対呉国の孫権を牽制する重要なる国である。卑弥呼はこれを、最大限に利用した。魏志倭人伝にあるように、わざわざ外交使節が卑弥呼に会いに来ている。

景初2年(238年)の8月に公孫氏(公孫淵)は魏に滅ぼされる。卑弥呼の外交は早い翌年6月には魏に使節を送っている。これで、日本を激動する世界情勢から守ったのである。大陸から少し距離を置いた場所に政治を置き、そして冷静に世界情勢を分析した帰結である。

(大和朝廷の基礎を築いた)

前方後円墳の形状は日本独自であり且つ大和王権のシンボルであります。その中で箸墓古墳は古く、最近の巻向
、鍵遺跡等の一連の発掘により土器の形状による編年法で定説となっていた箸墓は100年時代が古くなった。

伝説ではヤマトトトビモモソヒメの墓と伝承のある箸墓を除いて、日本の動乱を救い、外交手腕を如何なく発揮して東アジアで日本を守り、大和王権の基礎を築いた、卑弥呼のために巨大な前方後円墳を築いたと考えて無理はない。

書紀においてヤマトトトビモモソヒメは、8代孝元天皇の娘又は妹となっているそうですが、9代開花天皇は弟である。未曾有の国際・国内動乱期に遭遇して卑弥呼は弟を助け、政治を指揮し大和王権の基礎を築きそして、開化天皇の息子である10代祟神天皇に国を任せたのではないか。

箸墓は昼は人が作り、夜は神が作ったと伝承があります。これだけの伝承と巨大な前方後円墳はMuBlogと同じく、卑弥呼のお墓にしたい。

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メキシコ模様

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メキシコはカリフォルニアと接している。サンデイエゴからは車で直ぐに、テイファナに入ることが出来る。

米国は全て道路は舗装されているが、メキシコに入ると舗装の無い道となる。貧しさが迫る。

カリフオルニアは元々、スペインの植民地です。地名を見れば、判りますね。サン・ホセ、サン・デイエゴ、ロスアンゼルス、・・・・・元々スペインの植民地でした。サンタクルズに首都が有りましたね。

エルカミノリアルという南北に連なる道がカリフォルニアにあります。これは、王様の道という意味ですね。サン何とかというのは、聖何々というカソリックの聖者の名前ですね。

この、メキシコに私の娘は長く住んでいました。この、額はメキシコのお祭りの模様を絵にしたものです。娘が持ち帰りました。

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2002年度 S44同期会

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2002年11月20日に渋谷、中華料理屋にて同期会があった。大学紛争激しき折り、昭和44年4月に富士通に入社した。
このメンバは基本的に、田園都市線の市が尾という駅に存在した、『第三市が尾寮』に収監された同期のメンバなり。

(第三市が尾寮秘話)

・当時は青雲の志を抱き、上京した。田園都市線は名前の如く、東京の郊外の田園地帯を走るローカル線で、所々に藁葺き屋根の農家が点在する田舎であった。

・市が尾駅を下車すると小山が近くにあり、坂を登ると建設途中の飯場風建物があった。壁を塗っている大工さんに、『この近くに富士通の寮は有りませんか?』と声を掛けると、おじさんが、ここやでと言う。仰天でんがな、未だ、壁を塗ってる最中やないですか! しかも、傍を野うさぎが走り抜けてゆく。

・木造バラック3階建てのにわか建設のまるで、飯場である。部屋は6畳一間でそこに二人が住む。私は、3階なので、階段を登り3階に荷物を揚げた。

・聴こえて来る言葉は、関西弁ばかりである。片側6~7部屋で廊下を挟んでもう一組で12~14部屋があったでしょうか?私の同室の御仁は豊中出身の阪大出身の藤田君でしたね。

・どうやら、関西人はうるさいのと、悪影響を廻りに与えない為に、第三市が尾寮に収監した様子である。これでは、まるで関西の大学のボロ学生寮である。

・同室のF君と部屋で相撲をとったが、私は投げ飛ばされて足が壁にあたり、早速、大きな穴をあけてしまった。しかし、外で壁を塗ってる大工さんがいるので、安心、直ぐに壁は塞がれた。

・皆で、1階の食堂で晩飯を食い風呂にワイワイ騒ぎながら風呂に入ったが、大事件が勃発した。

『突然に風呂に入ていると壁が剥がれて落下して来た! 皆さん泥だらけ!』

これは、 あまりに関西人の新人を会社は苛めていると、考え、会社側と団体交渉をする事にした。当時は学生紛争のさなかであり、我々の中にも得意な奴が大勢いた。

・結果、担当の厚生課か勤労の課長は左遷されて行ったそうだ。楽しい、貧乏(月給2万円代の時代)だけど、青雲の志でガムシャラに働いた時代であった。

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ローパス飛行

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2004秋合宿の模様です。操縦者は千葉のラジコン親爺、操縦補助は大岩先輩です。

(ローパス解説)

・ローパスとは飛行機を地上すれすれで、目の前を通過させることです。写真の飛行機は”ジャイルス・202"という機体です。

・YS(山田産業)の中型の4サイクル・エンジンを搭載したスケール・アクロ機であります。白煙を吐きながら、目の前を通過するのは迫力あります。

・この親爺はこの飛行機で飛行機を垂直に立てて、停止させてゆっくりと廻る、”トルクロール”演技をこなします。

・天気は快晴、信州の11月とは思えぬ暖かい日でした。例年は、11月下旬に開催していましたが、何時もみぞれが降る中で歯をガタガタさせて飛ばしていました。

背景の山並みは全山紅葉です、素晴らしい景色ですね。

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ラジコン内部構造

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これは、ラジコン飛行機の内部の写真です。機体の胴体内部の構造です。

(解説します)

・この飛行機は翼が胴体の下部につく低翼機であり、翼を外したところです。長いパイプが下部に写っていますがこれは、エンジンのマフラーであります。チューンド・サイレンサーと呼びます。

・写真の右側に2個のサーボ・モーターがありますね。この二つのサーボで尾翼にある垂直尾翼のラダーと、水平尾翼のエレベータを駆動します。

・もう一つのサーボはエンジンと接続されており、バルブの制御をします。バルブを開くと、エンジンの回転数が上がり閉めると回転数が落ちます。これは、針金が細いビニール・パイプの中を通過しています。

・受信機が黒く箱で写っています。この受信機は電池電源とサーボ・モータと接続されます。ここに有りませんが、主翼のエルロン・サーボを駆動する為の接続もあります。

・一番左に少し、オイル・タンクのお尻が写っていますね。300CCの燃料が入ります、メタノール80%,ニトロメタン、ひまし油であります。

・本来は、受信機は衝撃を避けるために、柔らかなもので包まれます。今、写真のために外しました、受信機用の電源も外しました。

大事なことは、ラジコン飛行機は激しい動きをしますので、これらメカ類が動かないことです。と、同時に動くと重心が移動しますので、危険です。機体の設定で一番大事なのは、重心が正確である事です。

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2002 クリスマス

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一足、早くクリスマス模様です。実は、2002年クリスマスの模様でした。

場所は、文京区のグリーンコートです。以前勤めておりました会社のビルの庭です。敷地は元々が理化学研究所の跡地なのです。今でも、アイソトープ研究所が敷地にあります。

毎年、この電飾を見ながらイタリアンのお店でワインを会社の仲間と飲んでいましたね。環境の素晴らしい場所でした。

隣は、柳沢吉保の邸宅跡の『六義園』です。桜の季節は夜にライトアップがされて、美しいです。素晴らしい、環境で5年間仕事をしました。

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斎王の葬列 ミステリー

今週は内田康夫さんの、浅見シリーズの『斎王の葬列』を読んだ。

(舞台背景)

・近江の国と伊勢の国を結ぶ、鈴鹿峠が舞台である。旧東海道の箱根に次ぐ難所である。

・古代に於いて天皇家では若い皇女を伊勢神宮と賀茂神社に斎王を送り続け、祭祀をさせた歴史を踏まえている。

・伊勢神宮の少し、北に斎宮が営まれ巨大な斎王の為の宮が存在した。天皇の代が変わると、新しく若い皇女が斎王として選ばれ、嵯峨野の野の宮で1年間ほど潔斎修行にはいり、5泊6日の斎王の旅が始まる。

・新しく、選ばれた斎王は多くの従者を連れて伊勢路に赴くわけですね、何が因果か巫女さんにさせられた、皇女は万感胸に赴任します。

・斎王が宿泊される場所が、屯宮である。滋賀県の野洲川上流の鈴鹿峠に向かう場所に垂水屯宮(跡)が存在します。
舞台のメインはこの場所であります。土山町付近、田村神社のまわりであります。

(人形代 ひとかたしろ)

・舞台演出として人形代(ひとかたしろ)というこけしをスライスしたような、人形が登場します。これは、平城京跡の遺跡からも、井戸跡とか側溝跡とかから多量、発掘されています。病気の時とか怪我した時とか、災いを受けた時に
本人に代わり難儀を引き受けてくれる、便利な人形です。

・皆さんがお好きなのは、丑の刻に藁人形に五寸釘を打ちつける奴ですね。これは、呪いの人形です。

(斎王の不思議)

・皆様がよく御存知なのは、悲劇の皇子『大津の皇子』のお姉様が斎王でしたね。弟の反逆罪により解任されて、彼女は大和に戻ります、二上山に葬られた無念の弟を偲んで歌を詠みましたね。

・皇室の祖先神である天照大神が大和ではなく、遥か離れた伊勢にあるのか? そして、何故に人質のように皇女を巫女さまとして、赴任させるのか? 諸説ありますが、不思議な歴史的事実であります。

・私は、先日MuBlogの三輪山紀行の記事において、コメントしました、そしてMuさんの見解も纏まって記述されていますので、参考にして下さい。私の意見は以下です。

ー元々は三輪山周辺において出雲王権が栄えていた。卑弥呼、台与の巫女さん政治の時代。そこに、崇神さまが来られ、出雲王権を打ち倒し、新しく『崇神王権』を樹立した。

ーしかし、疫病が流行し人口が激減するほどの危機的状況が生まれ、出雲の祟りであると民衆は考えた。そこで、天照大神を申し訳無いけど、三輪の近くの元伊勢から伊勢の国に移し、大和では出雲の子孫を探し祭司として任命し三輪大神を祭る事で国難を逃れた。

ーそれ以来、大和から遥か遠ざけられた伊勢神宮の天照大神さんが機嫌を損なわないように、皇女の巫女さまをお傍に置くようにした。

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安芸路 虎ノ門

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最近は虎ノ門の『安芸路』にお世話になっている。昨夜も、お世話になった。

(ヒバ牛 ほうば味噌焼き)

写真は、安芸の国が自慢する、『ヒバゴン』の肉では無く、『ヒバ牛』のほうば味噌焼きである。私の味覚では少し、お肉が堅めかな~~と思いましたが、美味でありました。

このお店は懐石料理屋でありますが、場所柄、政界関係の人々で安芸の国の関係者が客層として多そうですね。
これからは、名物、牡蠣が美味しい季節が来ますので、楽しみですね。

仲居さんも、安芸出身の方が多いようで、故郷を思い出すと、ついつい安芸の国の出身者はお店に引き寄せられるんでしょうね。

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昆虫親爺 来訪する

昨日、昔からお付き合いしてる、某有名経済新聞の雑誌部門の営業の親爺が来た。(確か彼は部長か課長か忘れた)

随分、お付き合いしてるけれど、この親爺が『昆虫マニア』というか、昔『ファーブル少年』であったらしい。初めて、彼は白状した。よほど、長い箸を持って野山のうんちを探してその付近の昆虫を探索・研究していたのが恥ずかしいというか、変人扱いされるのが怖かったようだ。

彼の話を聴いていると、大変面白い、羽根が美しいコガネムシみたいな奴は大体、うんちが好きなようだ。彼の語る、
昆虫の生態について、少し、開陳する。

(うんちの処遇)

一般的な黄金虫はうんちを見つけると、その下に縦穴を堀り、せっせとうんちを地下に運ぶそうだ。そして、大きな部屋にうんちを蓄えるそうだ。部屋はピカピカに磨いて、美しい姿のうんちを鎮座させるという。

昆虫の種類により、うんちの形状は異なるそうだ。洋梨形態は一番に水分が逃げにくくすぐれた形状であるらしい。
その他、いろんな形状があると、言ってたな~。

日本では一種類の糞ころがしがおるそうな。そいつは、糞を転がして廻りに土とか砂を付けて、安全な場所迄転がして、そして、穴を堀りその中に運ぶそうです。廻りの、土の付いた汚い部分(?)は彼が食べて、綺麗な部分だけで見事なうんちを地下の部屋に鎮座させるそうです。

そして、卵を産みつけて、孵化した子供がそれを食べて生命を繋ぐそうですね。

(寄生する昆虫)

或る昆虫は無数の卵をお花畑で散乱させ、卵を花に一時逗留させるそうな。そして、蝶々か蜂かわすれたけど、彼等が来ると卵は彼等に引っつく。彼等は自分の巣に戻り密とか花粉で団子を作り、其処に卵を産む。

昆虫は、先に孵化して先ず、彼等の卵を食べて、そして廻りの餌を食べて育つ妙な昆虫もおるそうな。

(玉虫の厨子)

私は、尊敬する聖徳太子さまの『玉虫の厨子』のあの、七色に輝く厨子の材料がうんち黄金虫で無い事を、祈った。
幸い、あの昆虫は腐った木を食べるそうでした、安心した。

最後に、彼はこれらの昆虫が存在しなければ、野山は鳥や獣達のうんちで覆われてしまうと。なる程な~~。

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アボリジニー 習俗

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わこちゃんが、豪州土産で買って来ました。豪州は原住民のアボリジニーが信ずる、幸運と富を招くお守り袋です。

(説明書による)

・これは、カンガルーの雄の特定の部分の皮で出来ている。

・アボリジニーは昔より首からこの袋をぶら下げており、大事な物を入れて何処に行くにも身につけていた。
そして、幸運と富を自分にもたらすものと、考えていた。

・或る、部族間の争いに於いて、敵のやりが飛んできて若者の首を直撃した。しかし、この袋のお陰で彼は命拾いをした。それ以後、益々アボリジニーの世界に於いて、信仰が深まった。

・15オーストラリア・ドルである

昔は、5ドル程度で販売されていましたね。私はblogの品が落ちるので、相当悩みましたが、異文化を特殊な見方をするのは、いけないと思い公開します。

MuBlogでは大和は畝傍山を背景にトンボのまぐわりの二匹の写真がありましたので、”ま、え~かな?”と思いました。

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2004秋合宿 人気レシピ

今回の、合宿での自炊も楽しいものでした。総料理長は三浦先輩です。

その中で好評であったものを、紹介します。

(鮭の山の幸ホイル焼)

・ホイルに少し、サラダオイルを敷きます。その上に玉ねぎを敷きます。その上に生鮭を寝かせましょう。
・その上にバターの小片を置く。そして信州の秋の山で採集された山の幸であるキノコを沢山載せます。
・ここから、三浦方式と”わこちゃん”方式の2種類を製作しました。

(1)三浦方式・・・レモンを輪切りにして載せる、塩コショウをしてホイルを包む、そしてフライパンにホイルを敷き、包んだ本体を3個ほど乗せホイルで覆い蓋をして15分間焼きます。

(2)わこちゃん方式・・・・味噌だれを作る、味噌に出汁と砂糖と混ぜて鮭の上にかける。そして、三浦さんと同じ方式で15分間焼く。

皆さんは、どちらを選びますか?そうですね、どちらも食べたいですね。これは、好評でした。イタリア赤ワインが似合うレシピでありました。

(焼きおにぎり)

・御飯を炊きます(当たり前やね)。そして、私が持参した関西風の田作り(これは、即席の田作りキットが販売されています、親戚の紀チャンが障害者の皆さんが製作販売している、ジャコ、鰹節、焼きごま、たれ、等が含まれる)をおむすびの中に入れます。

・両面に出し味噌を塗ります、そして、オーブンで焼きます。これは、二回も製作して好評でしたね、日本人に生まれて良かったです。

その他、子供達にはハンバーグを作り、お好み焼きを作り美味しかったです。

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2004秋合宿 初日

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今年も、無事合宿を迎えることが出来た。17機の参加機であり盛大であった。場所が、今回は田んぼであり広い滑走路を必要とする、大型機体は参加出来ない。

しかし、各自2~3機を持参しての合宿であった。詳細の機体説明については、マイフォトを参照して下さい。

奇跡的に天気に恵まれ、雪を抱いた白馬三山と紅葉の前山に囲まれ暖かな日差しの下で飛行機を飛ばした。

農道に並べた機体は各自が製作したもの、購入したもの、オークションで購入したもの、海外から取り寄せたもの、色々である。しかし、赤とんぼは結成されて、29年目である。もう会員は齢を重ねているが、今だに飛行技術については進化している。

何時までも、元気で飛行機を製作出来て、飛行機を飛ばせる事が出来るのは幸せである。そして、山小屋で日頃の料理の腕前を披露して美味しい料理を仲間に振舞うのも幸せである。

素晴らしい仲間をもてて、人生本当に楽しい、何時までも続く事を願うばかりである。

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2004秋合宿 終了

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マイフォト”2004秋合宿”を暇な人は見て下さい。面白い写真が多数あります。

本日、無事2004年秋合宿は終了した。白馬全山真っ赤な風景、毎日快晴に恵まれ、暖かく、無事故にて(墜落大破機多数発生したが)終わった。

(合宿 総括)

・今回の参加機体は17機と多分合宿史上、最大数の参加であった。しかし、生き残った無傷の機体は数機のみという惨憺たる結果であった。(特筆すべきは、jo機は3機とも無事であった、これも珍しい事件である)

・夏合宿に引き続き、西郷先輩が”なつめぐ”にチェコの強力ブラシレス・モータっを搭載したグライダーで参加されたが、残念ながら浮上しなかった。

・誰かが合宿初日の朝3時迄かけて、飛行機の製作を行い、呆けた状態で送信機と工具箱を自宅に忘れ、中央高速で気がつき、又、取りに自宅迄引き返した人がいた。それで、半日の時間的損をしました。

・最大のイベントは4人(大岩、わこちゃん、かとちゃん、jo)による同時空中戦であった。4機は10メータのリボンを機体に接続してプロペラで敵のリボンを切る、バトルロイヤルである。

これは、壮絶なる空中戦であり、4機が狭い空域で大バトルを行った。殆どの機体は宙返りをしながら、敵の背後に着くそして、リボンを切るのである。

次々と機体は操縦を誤り、墜落してゆく。なんと、最後に残ったのは、私(jo)と、かっちんであった。かっちんは”フラミンゴ”機であり、私は”バレリーナ”でした。かっちんは、運悪く、操縦を誤り墜落した。私の優勝で幕が下りた。

・今回は、富山から田谷さん(元電気屋、元暴走族)が息子と娘を連れての参加である。可愛い、ハーフのお子さん達と3年ぶりに再会した)。

・残念なのは、山小屋管理人が風邪で不参加、会長も仕事で不参加、群馬のトリさんも村の秋祭りで不参加、君島君も顔を見せなかった。

無事、会長不在、管理人不在でもなんとか、無事合宿を終える事が出来たのは、良かった。記録は、私とかっちんがデジタル・ビデイオで2時間の記録をとり、写真は多数、各自が撮影した。ご苦労さまでした。

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アマリリス

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すみません、横向きの『アマリリス』です。 顔を横にして観て下さい。

確か2002年の秋の頃に誰かに鉢を頂き、2003年の2月2日に写真の如く、立派に咲きました。

その後、今年の2月には咲かずじまいでした。しかし、捲土重来、来年の2月には咲きそうな『予感』がするんです。

ベランダで現在、葉っぱも健在で意欲満々な感じなのです。さて、来年が楽しみやね。

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変な親爺パイロット

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そういえば、この”エクストラ300L ノーザン・ライト”の飛行機もありました。

(変な親爺パイロット)

確かこの人形は米国の西海岸に出張した時にお土産で購入したものです。当時米国では流行していたんですが、日本では人気が無く、誰も貰い手がなくて、飛行機に乗るはめになりました。

私は結構気に入っていたんですが、受けないようです。

(お尻が重い)

この飛行機はOS 46FXという中型のエンジンを搭載しているんですが、お尻が重くて、エンジン部分に文鎮を巻き付けてみっともなく、頭が重くなるようにしています。そんなわけで、格好悪くて人前では飛ばせないのです。

そのうち、文鎮はやめて、鉛を使い、人様から見えない場所に重りをセットして飛ばします。

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JR X378送信機

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これは、ラジコン飛行機の送信機です。

(解説します)

・頭にあるのはアンテナですね。リボンがぶら下がっていますね40メガの79番周波数を示す。(40.79メガ)

・真ん中に二本のステイックが突き出ています。右側のステックを上下に操作すると、エンジンの出力制御になります。左右に操作すると、主翼にある動翼(エルロン)を上下に両翼を反対に動作させて機体を左右に傾けます。

・左側のステックは上下操作で尾翼にある動翼(エレベータ)を上下に動かし、機体のお尻を上げたり、下げたりします。左右に操作すると、尾翼にある垂直尾翼の動翼(ラダー)を左右に動かし、機体を傾けます。

・下に、デイスプレーが存在します。コンピュータですので操作画面が全てここに、表示されます。液晶です。
液晶左右の入力キーを使い、コンピュータ操作します。

・上の方に沢山のスイッチがありますが、説明しても難しいので止めます。専門的になり一つのSWの説明で10分位必要になります。おいおいね。(実は、私もあまり知らん、爆笑)

裏側に水晶クリスタルがあります。水晶を変えて、周波数を変更します。40メガと72メガの二つの周波数を使用します。

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合宿準備

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秋合宿が近い、最後の機体調整に入る。

(機体紹介)

・右端が”カルマート25スポーツ” OS25FX エンジン搭載
・次が、”バレリーナ20" 新作の初飛行予定 OS25FXエンジン
・水上機”BACCARA 30" OS32SX エンジン搭載
・25年前のバルサキット 新作”CHASER20" OSFS30 4サイクル
・”フライフィッシュ”ファンフライ機の主翼
・”スカイリンボー・スピード”主翼

主翼だけが、二枚あるが、これは赤とんぼの仲間が同機種を飛ばすので、墜落破損時の予備翼となる。
ほんま、優しい私である。

これから、全ての機体のエンジンテスト、メカ類の動作・強度の確認テスト、動翼の動作角度調整、等々を行う。
そして、コンピュータ送信機の各種、設定確認、動作確認テストを行う。

色々と大変なんです、デジタル・ビデイオの充電、受信機のバッテリーの充電、スターターのバッテリーの充電、プラグ・ヒーターの充電、オイルの詰め替え。修理、工具の用意、予備部品の整備、特にプロペラの予備は10枚は用意する。プラグの予備も2サイクルエンジン。4サイクルエンジンで異なる。

宴会材料の用意も必要、既に、高級シャンパン2本は用意完了、田作りも用意、ホンマ大変なのだ。

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大統領選挙始まる

世界が注目する米国大統領選挙が始まる。英国とか日本のように女王とか天皇さまがおられない国ですから、本当に重要な国民の決断である。

(米国とはどんな国なんだろう?)

昔、英国では、特にアイルランドではジャガイモの病気が流行した。清教徒達は新天地を目指して米国大陸に上陸した。ニーナ・ピンタ・忘れたがもう一隻の船合計三隻で上陸した。(思いだした、サンタ・マリア号でしたね)

食料が無い、野菜穀物を植えるがそれまでは、イロコイス・インデアンに助けられ生き延びた。今も、収穫祭は米国民にとり忘れられない先祖の思い出である。

英国の植民地として過ごすが、ボストンでのTea Boatの襲撃で口火を切り英国との独立戦争を起こす。13州はまとまり戦い独立を勝ち取る。

米国は歴史が無い、だから、司馬さん曰く、大いなる実験国家であると。しかし、故郷を別々に持つ人々が集まり国をなしている。日本のように氏神様はいない、だから、大統領は時折々に国の方針を示さないと何もない国になる。
国益と正義である。

米国は、世界の歴史に参入するのは第二次大戦からである。ルーズベルトからである。それまでは、モンロー主義である、世界に介入しない主義である。戦後、50年、米国は世界に介入し続けた。米国の歴史にとり特異な事だと思う。もともと、米国以外はどうでもよいと考える人々が多いと思う。

それは、豊かな国土と資源を持つ国であるからである。米国西海岸に住んでいて、思うのはテレビで米国以外の国のニュースは殆ど放映されない。不思議な国だな~~と思った。CNNなんかは最近の話である。

英国と日本は似ている。島国であり、資源をもたない小国である。海外情報に敏感である。海洋民族として似ている。NHKも英国BBC放送を手本として学んできた。放送の伝統手法を英国に学んだ。

(国論が分かれているそうだ)

1億人の米国の民がイラク戦争に反対である。結果はどうあれ、これは事実でしょう。日本はこの国論が割れた米国の選挙前の事実に戦略を立てるのか?本当に自由経済を守る為にはどうすべきか?

もう、数時間で結論は出る。しかし、益々日本の舵取りは難しくなりつつある。日本の1億の民と米国の半分の1億人の民を足せば2億になる。これで、選挙は勝てるはずだが!

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連結経営

昨日、丸の内ビルにて記者発表をしました。

・日経産業新聞
・電波新聞
・日経BP オンラインニュース
Web記事

本日、上記メデイアにて報道されました。今後も、随時詳細についてはメデイアさまの御協力にて、情報公開をして行きます。今後とも、宜しくお願いします。

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白川先生 文化勲章

私の、友人の”ふうてん老人日記”の梅安さんが、素晴らしいエッセイを書きました。是非、私のblogからも飛んで行けます。白川 静先生の記事です。

(学問とは何か)

白川先生の研究者としての道のりは、筆舌に尽くせぬ茨の道であったと思います。当時の甲骨文字の研究は現物が殆ど京都大学が独占していた。先生は、立命館大学でしたが、京都大学に通い甲骨文字の現物を全て、自分の手で写した。

先生曰く、何回も何回も、そして膨大な甲骨文字を写していると、次第に文字が語りかけて来たと言われています。どうして、一つ一つの文字が出来上がったのか?何故、古代の中国の民はその文字を創作したのか?その為には当時の中国の民の世界観、人生観、生活環境、宗教観、自然環境、諸々を理解し究明しないと文字の発生を理解出来ないと。

(全学連の頃)

安保闘争激しき折り、立命館大学も大学紛争に巻き込まれた。全学が封鎖され角棒とヘルメッツトの全共闘のメンバーが占拠していた。しかし、彼らは決して何時までも夜遅くまで蛍光灯の光が燈る、白川先生の研究室だけには迷惑をかけないようにした。イデオロギーとか正義とか政治とかそんなもん、関係無い恐れ多い先生として既に存在されていました。

(世界の宝)

白川先生の中国古代歴史、甲骨文字に始まる漢字の歴史、宗教史、風俗史、ありとあらゆる人間を取り巻く古代中国の歴史の知識は世界の宝であると、私も思う。

漢字の始まりは先生曰く、神との契約事項の記述から始まったと言われる。一文字、一文字に魂が篭っている。
だから、書道がある。梅安さんが言うように、我々日本人は漢字を輸入して初めて、歴史を残せ万葉集を残せ、そして大和言葉を記述する為にかな、カタカナを発明し日本は世界に誇る、文化文明を築く事が出来た訳ですね。

94歳で文化勲章は本当に遅い、よく生存されておられた、本当に嬉しい出来事でした。

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丸の内 丸ビル8階

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きょうのお昼は、記者発表とレセプションでした。果物のお皿です。(見れば判る! そうやね)

久し振りに、友人の記者さん達と再会した。楽しい、一時でした。

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虎ノ門 蕎麦『砂場』

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虎ノ門が誇る、名門の蕎麦屋さん、『砂場』です。コンクリートのビルに挟まれ、あたかも『ゲゲゲの鬼太郎』のお家か
砂かけ婆のお家のような木造のお店です。大きな、木の看板が玄関の上に掲げられ、砂場というお店である事が判明します。

(もともと大阪のお店)

元々は大阪城の普請現場に出来た、今で言うファーストフードのお店だったそうです。江戸城の時代となり、江戸のお城の普請現場に進出して、今にあるそうです。司馬遼太郎さんも好きなお店でだったそうで、『街道を行く』にこのお店のエピソードが色々書かれておられます。

(焼き味噌)

しゃもじにお味噌が張りついており、それを表面焼いた『焼き味噌』が何時も、最初に出てくるんです。田園調布の駅の近くの、日本航空のスチュワーデスさんがよくお見えの『高山』では、『ほうば』の葉の上に味噌を乗せて焼く、『ほうば味噌』は経験が何回かありますが、しゃもじは初めてでした。

(宴会は八時終了)

私は、よくこのお店の二階を貸し切り、宴会をしますが、閉店が夜八時という早さです。どうも、年寄りばかりで経営されてるからか、教育上の配慮(?)か、とにかく早く終わる。今時珍しいお店である。

一度、お昼時間は混むので時間を避けて、一度、お越し下さい。(私は、お店と何の関係も有りません、念の為)

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