夢殿 八角堂
どうやら日本人程、”八”が好きな民族はいないようですね。儒教の中国では”九”の数字を尊び、仏教のインドでは”六”をありがたり、西洋キリスト教では”七”を神聖数字と崇める。日本民族固有の風習なのか?
そして、私の好きな法隆寺の夢殿の”八角堂”も何故、”八”なのか?
(宮崎興二 先生に聴く)
神戸大学から京都大学の教授になられた、建築工学の専門家である宮崎先生に聴いてみましょう。
”何故夢殿は 八角形か” 数に拘る日本史の謎 祥伝社 ノン・ポシェット 平成7年 初版
(要旨)
・生みの親は中国である。紀元前10世紀頃の”易経”における”八卦”である。陰と陽で世界は成り立ち、そして三組の陰と陽の組み合わせ”八卦”でこの世の全ては表せると考えた理論。
・日本神話は”八”が多い。大八島(おおやしま)、八尋殿(やひろどの)、スサノオの髭は八握り、八百万神(やおよろずのかみ)、八岐の大蛇、八人娘の末娘、八雲立つ(やくもたつ)。八重垣(やえがき)、八耳神(やつみみのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、・・・・・・・・・無数にある。
・京都広隆寺桂宮院、天智天皇陵、天武・持統天皇合葬陵、文武天皇陵 等 重要な古墳は八角形である。
・八角形が円、つまり伏義の持つコンパスの世界と、正方形つまり女禍(本当は女偏です)の持つ定規の世界の、中間の世界をしめすからである。陰と陽の中間のかたち、あるいはその両方を合わせた形。
・八角墳が現れる以前の日本では前方後円墳が存在した。これも陰、陽である円と方形の組み合わせである。
(感想)
仏教に深く帰依された聖徳太子さまには、単なる仏教だけでなく綿綿と続く日本人の心の源流を後世に残す、そんな大きさがおありではなかったのでしょうか。少なくとも後世の人はそう考えたと思います。
私は中国でも南の馬王タイ古墳で発掘された女性の遺体の上に覆われていた伏義と女禍(女偏)の衣服を見るにつけ、日本は古代に於いて、江南の人々との交流が頻繁であったと思います。
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Comments
JOさん
八卦はよくわからん。太公望という小説でなにか読んだな。
で、最後の江南ですが。
黒岩さんの卑弥呼では、江南からの避難民じゃなかったかな。そんな記憶がぼんやり。
見ればすぐにわかるのですが。
なんとなく、そういう航海してくる姿は、太古、よろしいので。そのままにしておきます。
Posted by: Mu | 2004.10.12 06:30 PM
八卦とは 二進法で示しましょう。0を陽、1を陰とする。
三つの組み合わせなので;
000
001
010
011
1oo
101
110
111
と八卦になるんですね。
これはコンピュータの基本である二進法になります。その後、64卦が出てきました。これは、陰3,陽3の6種での組み合わせです。
コンピュータが1,2,4,8,16,32,64,128,256,512,となると同じだそうです。
コンピュータは二進法を基本とし(0,1のビッツトのオン・オフ)あらゆる現象を解決する手法を築き上げました、しかし、紀元前の10世紀にはもうその基本が出来ていたのです。
不思議やな~~~~~。
Posted by: jo | 2004.10.12 07:47 PM
あ~~忘れてたけど。
上記3ビットによるコンピュータは”オクタル計算機”と呼ぶんです。私が、最初に勉強した230-50の計算機は”オクタル計算機”でしたよ。だから、ダンプ・シートには数字として0から7までしか存在しないんです。
その後、16ビッツトの計算機時代(バイト計算機)が主流となり0からF迄がダンプ・シートに出てくるんやね。
コンピュータの基本アーキテクチャが大昔に出来ていたんや。
Posted by: jo | 2004.10.12 08:04 PM