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風流高校生

今から41年前の高校生時代の思い出について,少し触れてみます。丁度、舟木一夫の”高校三年生”がヒットした時に私も、大阪府立寝屋川高校三年生でした。

(親友を得る)

当時の寝屋川高校は自由な校風の学校であり、今のような受験、受験で追われるような生活ではなかった。元々が女学校だったそうで、女性が幅をきかす感じがあった。

同じクラスに何時も、”ボーとしてる馬ずらの男”がいました。彼は柔道部であるが、気が弱く何時も試合では負けていました。得意は”日本史”のみ、それ以外は全く駄目な人間でした。しかし、不思議と気が合い、その後彼とは終生付き合う仲となりました。

(風流を解する会)

彼とはその後、数百通の手紙をやりとりする仲となり、彼の面白い手紙は姉や母の楽しみとなりました。時に、巻紙に墨で書いてよこす、不思議な人物でした。彼の筆名は”鴫沢隆成”という名前であり、私は”陽舜坊順慶”の筆名で往復書簡がダンボール一杯になる程でした。

ある時、”風流を解する会”を作ろうという事になり、但し会員は二名に限ると。彼の車で二人は着物を着て、生駒山にでかけ名月を鑑賞したり、私市の散策にでかけたり、百済寺にでかけたり、奈良は法隆寺に柿を食いにでかけたり、そして俳句とか和歌を作る生活を送った。

二人が憧れた世界は”方丈記”の世界であり、世捨人の世界でした。お互いに平家物語に憧れ、暗誦するくらいに平家物語を読み、漢詩をむさぼるように覚えお陰で日本史と古文だけはお互いクラスで一番でした。

二上山を仰いでは大津皇子のお姉さんの歌を詠い、三輪山では卑弥呼を遥か思い箸墓古墳では悠久の邪馬台国を語った訳です。

(彼は三浪する)

残念ながら彼は、三浪する事になります。お家は、鴫野にあり食堂と弁当屋さんをご両親はされていました。私は大学の帰りとか、山の遠征から帰ると彼の家を訪ね、弁当の配達を手伝い、お客の相手をしたり、彼の受験の相談に乗ったり・・・・・結局彼が大学に入るのは私が4年生の時になりました。

浪人中も柔道だけは続け、何回も応援に借り出され、遂に彼は柔道五段になった。その後、日本楽器に就職し合歓の里、担当になり、それからは屋久島に行き、鬼界ガ島にホテルを建て極楽鳥を飼い航空会社を買収しレジャー事業に邁進した。

(テレビ報道で驚く)

最近の話であるが、テレビを何気なく見てると不思議な光景を見てしまった。それは、九州は南のとある島のレポートである。倒産したホテルが飼育していた極楽鳥を放してしまい、今や島中が極楽鳥であふれ丸で、熱帯のアマゾンの森のようになっている。

青春の思い出は尽きないが、親より友人が大事である、特に多感な年齢はそう本当に思う。

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Comments

JOさん
 ものすごけったいな親友さんがおったんですな。
 柔道五段って、そうとうな猛者じゃないでしょうか。
 その人と、十八ころに着物、着流しで、うろうろするすがたは、イメージすると強烈ですね。

 ともかく、共通因子は、二上山とか三輪山というのも、うーむ、とあらたためて、納得です。

Posted by: Mu | 2004.09.30 05:29 PM

今も同じです。

けったいな友達しかいません。普通の人はいません。

類は友を呼ぶんでしょうね。不思議どす。

Posted by: jo | 2004.10.01 12:40 PM

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