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針葉樹の谷

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植物園の帰りの登山電車からの車窓です。深い針葉樹の谷に霧がかかります。

登山電車から見下ろす風景も素晴らしいです。吸い込まれてゆきそうですね。

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スイス高山植物園

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インターラーケンから登山電車に乗り約40分、標高2000メータの場所に”シーニゲ・プラッテ”高山植物園があります。山歩きで見つけた花がどういう名前の花であるか?確認できますので、便利ですね。

私は花の名前に音痴なのと、ラテン語なので雨の中、もっぱらデジカメで撮影しました。しかし、高山植物をデジカメで撮影するには、特別の装置か腕が必要なのが判明しました。ピントが後の看板とか、ピントが合いません。

高山植物に御興味のお方は是非お立ち寄り下さい。

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新田次郎記念碑

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アイガー北壁を目の前に臨む、クライネシャイデックの登山鉄道の駅の近くにアルプスを愛した新田次郎さんの碑があります。

”アルプスを愛した日本作家 新田次郎 ここに眠る”

学生時代学園紛争が激しい頃、大學構内はヘルメットと角棒と鉄パイプを握った学生が充満していた。私は体育会ワンダーフォーゲル部主将として後立山連峰、鹿島槍ヶ岳に山小屋を建設する大事業に奔走していた。御互いイデオロギーは異なるが一生懸命であった。

私は、新田次郎さんの山岳小説を愛読していた。特に、白馬を舞台にした”強力伝”とか芳野満彦さんをモデルにした”栄光の岩壁”は感動でした。当時は芳野さんといえば有名で、高校生の頃に八ヶ岳で遭難し幸い救助されるが両足の指を全て凍傷で切断し、それでも山への夢を断ち切れず挑戦する。

昭和40年に芳野(服部)さんは日本人としては初めて、マッターホルンの北壁の直登ルートを攻め成功する。登山家としては致命傷とも思われた、両足の全ての指を失いながら世界的偉業を達成したアルピニストの彼に勇気をいただいたものです。

新田次郎さんの作品は”アイガー北壁”、”銀嶺の人”、”孤高の人”、”八甲田山 死の彷徨”、等多くの山岳小説を残された。

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アイガー メンヒ

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左の山がアイガー北壁で、右の山がメンヒ(4099メータ)です。
インターラーケンから登山列車とロープウエイを乗り継ぎ、メンリッヘンに到着。ここからクライネシャイデック迄なだらかな山道をハイキングします。

この2時間ばかりのハイキングは楽しいです。高山植物も沢山、堪能できるし目の前には常にアイガー北壁とメンヒの豪快な山を拝めます。御年寄りでも十分に楽に歩く事ができますので、是非ご年配の方々にお勧めします。

アイガー北壁は私が学生時代に注目の壁でした。写真でアイガーの左側の稜線を登るルートは簡単で既に、冬季に登られていました。しかし、北壁を冬季に真っ直ぐ攻撃するルートは未開拓でした。日本の登山家はこの場所に来て望遠鏡を構え、この北壁と向かい合い何とかルートは無いものか・・・・研究をしたのです。

このアイガー北壁を見ると日本のクライマー”加藤保男”を語らずにはおれません。彼は私が大學を卒業した年にこのアイガー北壁の直登ルートの開拓に成功し世界で初めて冬季に登頂しました。日本のクライマーが世界から注目を浴びました。今でも”日本ルート”として輝かしい歴史をこの北壁に標しています。

その後、彼はヨーロッパ三大北壁、グランドジョラス北壁、マッターホルン北壁を征服した。クライマーとして世界の尊敬を一身に受けた。

しかし、彼を伝説のクライマーとしたのは、その後昭和48年にヒマラヤの最高峰”チョモランマ”の南西壁を攻撃し成功、登頂。再度、”チョモランマ”登頂に成功するが、高所にてビバークを余儀なくされ、凍傷にて両足の指を全てと右手指、3本を第一関節から失う不幸に見舞われた。

しかし、彼は又も”チョモランマ”に挑戦し登頂に成功するが下山時に行方がわからなくなった。

このような登山家が日本に存在した事を今は知る人が少ない。このアイガー北壁は彼の世界への挑戦の第一歩の記念碑である。

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シヨン城

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シヨン城web参考

クロワッサンのような形をした、氷河が作った美しい湖があります。レマン湖です。

西の端がジュネーブで数年前に仕事で来ました。今回は休暇で東の端シヨン城です。小さなありきたりのお城ですが詩人”バイロン”により有名になりました。宗教戦争の嵐の出来事だそうですね。

この城での発見は地図です。描かれたこの地方の地図が古代に於いて、南が上を向いて描かれている事実です。
これは、中国と同じですね、日本も古代はそうでしたが、”高島易”の本では方位がそのように今でも標されています。指南の考えは中国から遊牧民を経由して伝わったんでしょうか?今後の研究課題です。

ここで、美味しいスイスワインに出会いました。スイスは自国で消費する程度しか生産出来ません、しかしこの、レマン湖そばで作られる葡萄から素晴らしいワインが出来ます。昨年は欧州のコンテストで金賞を頂いたそうです。
美味しいワインは地元で飲んでしまうんですね、不味いやつしか輸出しないのと違うでしょうか?

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氷の宮殿

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アイガー北壁を目の前で眺め、登山鉄道に乗ると凄まじいです、アイガーの岩山を刳り抜いて鉄道のトンネルは登ります。

本当に、アイガーの神には申し訳ないと思う。終着駅はユングフラウ・ヨッホです。そこから、エレベータで登ると雹(ひょう)が降っていました。でかい氷の粒で危険なので、建屋に非難です。

氷河をくり貫いた”氷の宮殿”があります。周りは全て氷河です。足が滑ります、ツルツルと流されます。悪趣味ですね~~又、”熊”の氷河オブジェに出会いました。

これは、やりすぎではないでしょうか?けど、冷静に考えるにこれは観光用ではなくて軍事用の要塞であると考えれば納得がゆきました。ヨーロッパのど真ん中に座り、フランス、スペインの西の彼方、東はドイツ、オーストリア、ソビエト、南はイタリアの天王山に位置する軍事要塞なのです。

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アルプス稜線の花

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ツエルマットから登山列車でマッターフォルンを観るためにゴルナーグラート展望台に行く。4000メータ級のマッターフオルン、モンテローザ、リスカムを目の前で見ることが出来る。

帰りは登山列車に乗らずに、高山植物の見学です。これは、是非とも専門家のガイドさんと歩かれる事をお勧めします。私達には専門の高山植物に詳しいガイドさんが同行して下さいました。

写真は”アルペン・ローゼ”です。ツツジですね、それが2100メータ以上の高地でのみ特殊に進化したそうです。名前は”アルプスの薔薇”です。女王ですね。

高山植物は花が5ミリ程度しか有りません、デジカメで撮影は難しかったようです。日本アルプスは北アルプスの雲の平では沢山の高山植物に学生時代はお会いして来ました。しかし、花の名前だけは苦手です。いつも勝手に”みやまXX”と独自の名前をつけていました。

興味のある方はマイフォト”アルプス稜線の花”を御覧下さい。

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スイス バイク・自転車事情

スイスの山道をバスの窓から眺めていると、やたらとバイク・自転車野郎が多い事に気がつきますね。
凄まじい山道をツール・ド・フランスのような格好というか競輪選手の格好した人々が通過する。暴走族のような格好のバイク中年のグループも多く走行している。これは、米国・日本とは異なる風景である。

(何故自転車が好きなんだろう)

確かこの時期には『Tour de France』が行われている筈ですね。フランス一周自転車大レースですね、大層な人気だと聴きました。全長3~4千キロに及ぶ平地あり山岳コースありの過酷なレースですね。マイヨジョーヌを最終パリで獲得した英雄は歴史に刻まれます。

このスイスの山道は格好の山岳賞を獲得する為の練習コースなのでしょうか? 多くの、競輪選手の格好の集団とすれ違いました。日本とかアメリカでは何故に大衆的なスポーツとして定着しなかったんでしょうか? それとも、これから若者に流行るんでしょうか?

(中年バイク族が多い)

日本ではバイクと言えば、若者の暴走族が有名ですが、こちらでは『格好いい中年バイク族』が沢山います。かなりすれ違いましたし、レストランの駐車場でも高価そうなバイクが駐車していました。米国でも時折、ハーレー族を見かけましたがスイスでは格好いい中年(ナイス・ミドル)のバイク族です。

そう言えば、梅安さんが好きなMr. Hondaが挑戦したバイクレースは英国はマン島でしたね。モータリゼーシヨンに関してはやはり、西欧に定着しているんですね。

中国・日本・ベチナム・タイ 等のアジアの国では毎日、仕事で自転車を利用しているので、休日に『自転車でスポーツ』という気持ちになれないんでしょうか?

そういえば、『ママチャリ』は見かけなかったな~~~。

ツールド・フランス速報: フランスのMISAYOが”ラカラカ日誌”でツール・ド・フランスの速報記事載せてます。この画面の左側に”フランスMISAYO”をクリックしてね。

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ゴミ収集車

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ツエルマットはガソリン車は禁止である。自転車と電動自動車と大八車、リヤカーしか許されていない。

しかし、私は見ましたよ、”ゴミ収集車”は明らかに、ガソリン車です。巨大な鉄のゴミ箱を二本のアームで持ち上げて背中にゴミをほり込んでいます。しかし、滑稽なマシーンですね思わず、吹き出しました。

米国はカリフォルニアに住んでいた時も、似たような車が公園とか数軒単位で道傍においてある、巨大な鉄のゴミ箱を両アームで持ち上げて中のゴミだけを清掃車のお腹にほり込んでいましたね。

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氷河特急

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サンモリッツからアンデルマット迄”氷河特急”にて展望を楽しむ。氷河特急とはサンモリッツからツエルマット期間を走る鉄道を指し、氷河が削り取った跡地を走るので、その名がある。アンデルマットはその途中の駅である。

人気の鉄道でライン川を眺め、且つ鉄道としては最高峰のオーバーアルプ峠2044メータの地点を通過する。

写真はランドバッサー橋を通過する瞬間を捉えている。見事なローマ水道橋のような橋の上を通過する。後ライン川からローヌ川に沿って鉄道は走る。貧乏な私は2等車で旅をしたが、まるで鈍行であった。しかし鈍行の方が価値があると思う。

(事件発生)

途中の駅に停車している時に、食堂車から自分の席に帰る途中の御婦人が私の車両を通過して次の車両で転倒。 腰を強打し動けない事態が発生した。場所は深い渓谷の中の小さな駅である、心配していたが10分ほどで医者が車で駆けつけて来た。その後20分程経過して病院の車が駆けつけて来た。鼻からチューブを入れ、携帯心電図のマシーンを持ち、タンカで救急車まで運んでいた。

丁度、この小さな駅前にカヌー教室があり鉄道の近くではカヌー教室を開いていた。4~50分程度緊急停止していた汽車も動き始めた。駅近くで心配そうに眺めていたカヌー教室の連中から思わず拍手が沸いた。

心配そうに、付き添って行った、歳老いた旦那さんが印象的でした。

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スイスの材木について

スイスは材木が豊富である。貨物の汽車で材木を運ぶ姿を何回も目撃した、しかし日本と明らかに美意識の差がある事に気がついた。

スイスは標高2100メータ位までは針葉樹が繁る。それ以上は、高山植物の世界ですね、要は針葉樹が材料となります。そうすると、松とか杉が原材料として利用されるんでしょうね。それ以外、の針葉樹もあるでしょう。

(ホテルの部屋の板は節だらけ)

天井から,壁板から、家具から全てが節だらけである。最初は違和感に気ずかないでいたが、どうも節だけが色が濃いので多くの『目玉』がこちらを見ているようで、不気味になり気がついた。日本の家屋では考えられない世界である。

(汽車からの観察)

氷河特急に乗り、窓からボ~~~と、針葉樹の森を眺めていると確かに、枝が沢山でている。然も、枝の葉っぱも下を向いており枝も下を向いて伸びている。雪が多いんだろうな~~と思う。雪が積り、枝はしょっちゅう折れるんとちゃうか?と思う。過酷な自然の為に折れては、枝を出し、折れては枝のだすんだろうか?

(北山杉の手入れ)

さて、日本の場合は北山杉に代表してもらいましょう。高さ、20メートル位迄は枝が無い! 元々、杉がこんな形態をしてる訳が有りませんね? 下枝を刈るのですね、腰からベルトを杉の幹に引っかけてヒョイ、ヒョイと手入れのおじさんが木を登り降りします。杉が小さい時から下枝を刈り、節が出来るのを防いでいるんではないでしょうか?

私は植物と建築の専門家ではありませんので、確かな事は判りませんが、スイスでは製材して、板を中心にお家を建てる文化ではなく、丸太の儘組み上げて行く建築手法が中心であったんでしょうか? 古い、スイスの伝統家屋を眺めていると『正倉院』の校倉作りのような家が沢山ありました。

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山歩き(ガイドつき)

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ゴルナーグラート(約3000メートル級)ではガイドと二人ペヤで山歩きをする連中と会いました。一応、完全装備で雪と氷の世界に飛び出します。

登山靴の上にアイゼン(鉄の爪がついた西洋ワラジ)を履いて、非常食を背負い、カラビナでペアのガイドとロープで結合して氷の尾根に向かいます。ピッケルも最近は小さくなりましたね。写真に写っていますが、ツルハシのような形をした杖です。

万が一、アイゼンが氷から外れ、足を滑らすとその瞬間に全体重をかけてこのピッケルを氷の斜面に打ち込みます。数メートル滑落する以内に打ち込みが成功しないと単独では死が待っています。その間にロープを流して、ガイドがピッケルを打ち込み先行する滑落する人を何とか食い止める。しかし、ロープが短いとガイドも巻き込まれ二人は谷底に落ちて行きます。

神々が存在する山は歩くにも慎重さと神を敬う気持ちがないといけませんね。

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山の品格について

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山には”品格”というものがあります。

今回のスイス紀行で4000メータ級の山々を眺めて来ましたがマッターフォルン(4478メートル)が一番に品格がありました。山々を従えて孤独に天に聳える姿は神々しい姿です。幸いホテルのベランダからはマッターホルンを眺めることが出来ました。朝の5時頃から起きて、ベランダで彼が姿を現すのを待ちました。

次々に姿を変えて、変化する御姿はマイフォトを御覧下さい。暗闇から少しずつ、姿を現し最後には朝日を浴びて金色のベルトを帯びてゆきます。朝食までの3時間は寒いベランダで眺めていました。

私は学生時代に後立山連峰の鹿島槍ガ岳の麓にワンゲル仲間と山小屋を建設しました。鹿島槍は後立山連峰の中でも抜きん出て孤独で山々を従えた明峰であると思います。マッターフォルンは人々を寄せ付けない、毅然たる姿が好きです。まさに、神が宿る御姿であります。

昔、深田久弥さん(アルピニスト、日本百名山作者)が書いていました、西洋人はヒマラヤで人の名前を山につける!とんでもない話である、恐れ多い事をするんもんだ!大層に御怒りでしたね。少しでも、山を経験した人であれば誰も”エベレスト”とは呼びません。気持ちはよう~~わかりますね。宗教観の差でしょうか?

注: チベットでは”チョモランマ”、ネパールでは”サガルマータ、中国では・・・忘れた?一応、チョモランマと我々は呼んでいました。イギリス人の測量技師の名前なんか誰が呼ぶか。

山は神々が宿る神聖な場所なのです。自然に両手を合わせて拝む気持ちは、本来、世の東西変わらず同じ筈であると確信しております。

ツエルマットはガソリン自動車は禁止です、電動自動車しか許しません。静かなアルピニストが集う場所が未だありました。

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ミートフォンデイユー

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ツエルマットでの晩飯は写真の”ミートフォンデユー”です。普通ポピューラーなのは”チーズフォンデイユー”ですね。
チーズを溶かして、その中にパンの小片を入れて、舌を焼けどしないように食べるやつ。

ところが、これは、オイルを煮立ててその中にテンプラみたいに肉片を二股の槍のようなもので突き刺して突っ込むんです。そろそろかな~~と思うと、オイル鍋から取り出して”マスタードとマヨネーズの混ぜたようなもの”に付けて食べる。

これが、”オイルフォンデイユー”というそうどす。いちいち、槍で肉片を突いて鍋に入れるのが、面倒臭い!レヤーな感じで食べるのが美味しいようです。

しかし、この時は夜の7時頃でやっと、外ではマッターフォルンが姿を現し始めた様子で食事はホッタラカシでレストランの外に何回も出て、マッターホルンが顔を出したか?確認と撮影の為に出たり、入ったりで・・・大変でした。
夜の9時過ぎ迄明るくマッターホルンを観測出来るんです。

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アルプスの少女ハイジ

チューリッヒから車で130km、約3時間程南の山間に入ると”マイエンフェルト”の村に着きます。
ここは”アルプスの少女ハイジ”の村です。

スイスのチューリッヒで生まれた、作家”ヨハンナ・スピリ”が1880年頃に名作”アルプスの少女ハイジ”をこの村に滞在してイメージを膨らませたと言われています。

観光資源として利用され、今はハイジの生まれ育った家とか村役場とか、再現というか当時の農家はこのようであったという、再現がされています。地下はワインの製造とか貯蔵庫で、1階は牛とか羊とか動物の住まい。2階から住居になります。3階までありあとは屋根裏です。

1階に動物を住まわせる事で冬の暖房の手助けとしたそうです。マイフォトを御覧頂ければ、様子が判ると思いますね。トイレはポットン便所で、日本と同じですが洋式でした。

しかし、一人の作家の力でこの村は”ハイジブランド”で未来永劫に観光で飯が食えます。バブルの頃に日本では各地で色んな箱物を作り、観光にしようとしましたね。殆どが失敗でした。若手の作家を各地に誘致して作品を書かせた方がまだ、よかったんでしょうか?京極夏彦さんを無理やり、連れてきて”その土地の怪談小説”を書いて貰うとか、そういえば、境港はゲゲゲの親爺さんが観光資源を供給されていますね。

日本のアニメをこちらに持ち込んだ時に髪の色を金髪に変えたそうです。しかし、スイスは人種的に複雑ですね、大昔はケルト人の国でしたが、その後、フン族の大移動により”ゲルマン大移動”が発生し、ゲルマンが侵入した。そして、フン族の一部はスイスのある場所に定住して今もアジア人の末裔が存在しているそうです。

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スイス山を眺める旅から帰還

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9日間に渡り、私としては長期の休暇を頂きスイスの山を眺める旅をして来ました。

学生時代に少しは山を愛した人間ならば、一度は岳人の故郷である”ツエルマット”、”インターラーケン”、”シャモニー”、”サンモリッツ”を訪れ、スイスの本場アルプスを眺めたいのが夢でした。

幸い、天候にも恵まれマッターホルン、アイガー、メンヒ、ユングフラウ等の4000メータ級の山々を近くから眺める事が出来ました。

高山植物も沢山出会え、雲の平の本場アルプス版が堪能出来ました。色々な思いがあり、今回は偵察の意味もありました。何処を拠点にすべきか?次に、本格的に山行をするには何処がいいか?色々調べて来ました。

これから、時折”スイスアルプス編”をblogしたいと思います。静止画250枚、動画5時間の映像を取材して来ました。

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扇子の話(続編)

前回、『うちわ』と『扇子』についてblogしましたが、梅安さんより連絡があり次の参考Webを見なさいとの事。

『扇子』参考Web

この記事によれば、『扇子』は平安時代に日本(京都)で発明され、その後、大陸に渡り、再度日本に輸入されたそうです。

平安時代には独自の日本独特の文化が創造されましたね、『扇子』もその一つだったそうです。

日本の『扇子』の殆どが京都で製造されているそうです。どうりで、関西人は『扇子』をいつも持っている訳なんですね。

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平安時代とは何だろう?

最近になり梅安さんが、しきりに平安時代に興味があるとのたまう。源氏物語絵巻とか大和文化が花開いた独自文化に御興味があるそうな。すこし、私も平安時代について調べる事と考えることにした。

(平安時代とは)

明らかに平安京に遷都して、大国”唐帝国”が健在な時代は遣唐使などが通い、外国文化を輸入する時代が続いたと思う。しかし、仲麻呂はんが玄宗皇帝、楊貴妃にお仕えした時代を最後に急激に鎖国状態となり日本の独自文化が開花した。ひらがな及びカタカナの発明でしょうね。漢詩から和歌への転換ですね。女流文学の勃興ですね。

(女性が時代を変える)

源氏物語、徒然草、更級日記、蜻蛉日記、そうそうたる女流文学の勃興です。男は何時も社会とか職場とか見栄とか色んなことに気を使います。私は思うに女性は恋とか一途なものに全力を傾ける事が出来るのではないか?
元々、政治は巫女はんがご宣託を述べて野郎どもが従っておりましたので、日本の伝統かも知れません。

(開国と鎖国)

開国することにより、多くの刺激的な異文化が流入し視野を広め咀嚼する。そして、今度は鎖国する事で今まで仕入れた異文化を独自のものに進化させる。何か、勉強と似てますね、学ぶだけでは駄目で考える事が必要ですね。そういう意味では平安時代と江戸時代は考える時代だったんでしょうか。創造的時代と表現出来るかもしれない。

(日本もそろそろかも)

戦後50年経過した。敗戦という屈辱的な場面を先輩諸氏は経験した。臥薪嘗胆で米国を見習い経済大国に登りつめた。そろそろ創造的な時代を迎える必要があるかも知れませんね。

日本にはいい言葉があります。”守・破・離” 異文化のいい所の本質を掴み(守)、その本質を打ち破るものを見つける(破)、そして新しいものを創造する(離)  これですね。

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スイス 事前調査(2)

日本人はスイスが好きですね。日本も国土の80%を山岳地帯が占めていますので、似てると言えば似てますね。
違いはスイスは海とは縁が無い事ですね。

(CD ROM 世界の車窓から)

以前コンテンツ時代にNHKのデイレクターを辞職して我々の仲間に来られた、古賀さんという御方がおられました。つい先日に自由が丘の『金田』でSSLの水野部長と一緒に再会出来ました。

古賀さんが最初に手がけられたのが、『CD ROM 世界の車窓から シリーズ』でした。テレビ朝日とテレコムスタッフの方々と協力して膨大なテレビ番組の素材を利用してCD ROMを制作しようという企画でした。

『CD ROM 世界の車窓からしりーズ』

『CD ROM 世界の車窓から スイス編2』

(スイス編1、2)

最初に手がけられたのは、スイス編でした。いざ、CD ROMを制作しようとしても静止画が有りません。再度、テレコムスタッフの方々と取材班を組み当時の『世界の車窓班』はスイスに取材旅行に出掛けました。担当責任者は現在CECの社長をされている宮原社長の娘さん夏子さんでした。テレビ番組を作る事とCD ROMのような検索型のコンテンツを作る事は異なります。やはり、シリアルメデイアと制作手法も異なる事を学びましたね。

その後、多くの車窓シリーズは制作・出版されましたが遂に、『スイス編』を抜く事は出来ませんでした。抜群の人気があるんですね。日本人にスイスは特別な感情がある事がこのコンテンツ制作を経験する事で発見しました。

久し振りに、古賀さんと再会が出来ました、もう引退されていますが最近のNHKの番組に話が及ぶと厳しい意見がでました、やはり気持ちは現役なのです。

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スイス事前調査

スイスの国について事前に少しは、調べておきましょう。学生時代には憧れの国というより、著名な名峰が鎮座する恐れおおい場所として、認識していました。

(バチカンでのスイスとの遭遇)

以前イタリア紀行をしていましたが、バチカンでその衛兵は古来、スイスの傭兵であると聴かされ、ヨーロッパ最強の武者なりと聴かされました。永久中立国スイスのイメージはその時に、平和ボケした我が日本人が抱く『中立国』とは明らかに異なると直感しました。

その後の調べにて、今でも皆兵制であり誰でも家庭には機関銃が備えれれており、4日で60万人の民兵を集合させる事が出来る国であると。自分の国は自分の腕で守るという考えである。

(遥か太古のスイスは?)

1万年前の氷河期は国全てが1500メータ以上の氷に覆われていた。それが、解け氷河となり土地の豊かな表層を削り尽くした。残ったのは三カ月湖だらけの土地と穀物の出来ない痩せた土地である。レマン湖を代表とする幾多の湖は氷河の遺物である。

(ケルト人の文明)

以前私はblogでケルト人について記述しましたが、スイスもケルト人が文明を開花させた土地です。『ハルシュタット文明』というそうです。背の高い屈強な肉体に恵まれた民族ですね。北のバルト海とイタリアを結ぶ琥珀街道の要の土地として歴史で活躍する事になります。

ヨーロッパの地図を眺めると確かに、スイスの峠を越えねばバルト海と北イタリアは通商出来ませんね。西ヨーロッパと東ヨーロッパの通商においてもスイスの峠を越える必要があり重要な場所としてクローズアップされる事になります。

(出稼ぎ傭兵国家)

国は痩せているし、資源は有りませんので産業革命が起こる迄は、出稼ぎ傭兵として生きてゆきました。悲しい歴史ですね。まるで、伊賀の忍者・甲賀の忍者・雑賀衆のようですね。

その後、精密機械工業である時計とかオルゴールとか観光事業とか付加価値の高い産業が成立したのは最近の話なのですね。

(霊峰の峰々)

マッターホルン、ユングフラウ、モンテローゼ、ドーム、アイガー北壁、等々の4000メートルを越える霊峰が40座以上鎮座する国です。コンテンツ時代に私は日本の山を紹介するCD ROMをシリーズで出版しました。今井通子さん、田部さん、等の御協力で出版出来たのは懐かしい思い出です。

数日後には私もチューリッヒを起点にスイスの山々を眺めて来ます。ラジコン飛行機はしばし、休みです。

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2004夏合宿 二日目(土曜日)

夕方より雷雨激しく、凄まじい稲妻と豪雨に見舞われる。明日のフライトは大丈夫だろうか?

(早朝 快晴 フライト日和)

朝食はパンを焼き、わこちゃんがハム、ベーコン、入りのスクランブルエッグを作る。ついでに、サラダもつくる。コーンポタージュも飲み物として用意。今回の朝食は洋食となる。

本日快晴、さて西郷さんの『木の上のグライダー』はどうなったか? きがかりである、昨夜の雷雨と豪雨では幸い雨風の力で木から墜落しておればいいが? とにかく、小屋から脚立とロープ、のこぎりを準備し万全の態勢で飛行場に向かう

(回収成功)

幸い、飛行機は地上3~4メータ位の場所迄落下して枝にひっかかっていた。ロープを枝に投げて引っ張る。そして、無傷で回収できた。サーボ、受信機、スピードコントローラ全ての電子機器は大丈夫でした。

(フラミンゴ快調)

かっちんの『フラミンゴ15CVA』の機体は快調で、特にエンジンの調子が空気が薄いせいか絶好調であり、まるでパイロンスピード機のように高速で飛行する。新横浜で飛ばすのと、1.5倍は早く飛ぶ。

(入道雲トルクロール)

千葉の親爺の『プチGeeBee 入道雲』も快調に飛ぶ。飛行機を上空で停止させ、トルクロールの演技に酔いしれる。
しかし、この親爺は上達したものだ、日頃の訓練の賜物である。

(花火、カルマート25スポーツ快調)

色々、苦戦した『プチGeeBee花火』私の機体は最後には何とか、飛行出来た。千葉の親爺のようにホバリングは出来ないが普通の演技は(ロール、ループ、背面、キューバンエイト、等)出来た。
『カルマート25スポーツ』も多少の不手際があり、墜落したり、エポキシで強引に接着したりしたが、無事飛行できた。『GeeBee』のエンジン制御のサーボが壊れており、千葉の親爺から急遽サーボを借り受け交換した。

(プレーリ号快調)

三浦先輩の『プレーリ号 540モータエルロン機』も無事飛行できた。三浦さんも、ショミレータのお蔭で最近は飛行機を墜落させなくなった。上達したものだ。

(零戦 離陸せず)

わこちゃんの『零戦』は注目の的であった。元々は仕様ではエンジン10~15クラスの飛行機を仕様変更し540のモータを搭載し電動機仕様にした。
やはり、推力不足にて離陸出来ず、墜落し『鼻モゲラ』になりました。(写真参照)
次回はエンジンに載せ代えて再挑戦だそうです。

(管理人プレーリ号霧の中)

山小屋管理人更谷さんの飛行機は出力が出ない儘、突然にゲレンデは霧に覆われ、10メータ程度しか見えなくなる。かっちんが操縦するが、如何せん、機体が見えなければ操縦が出来ない。その儘霧のなか彼方に飛んで行く。
捜索結果、沼に墜落しており泥だらけ。幸い、小破ですんだ。一瞬のうちにここは山の上なので、霧に包まれる。

モータグライダーはスピコンの調子が悪く、モータの回転が上手く行かない。又、管理人の飛行機はプロペラのサイズが小さ過ぎ出力不足はそれが原因と判明する。

今回はパラグライダーの初心者教室とゲレンデが重なり、思うように飛ばす事が出来ませんでした。しかし、栂池の素晴らしい高原の自然に囲まれ、楽しいフライトが出来た。

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夏合宿初日(夜編)

さて、飛行機の回収作業でヘトヘトになり、且つ,傷だらけで山小屋に帰る。今から,スーパーに買出しにでかけ、そして小屋の前の温泉に行き、それから晩飯の準備である。

(鳥のから揚げとポテトサラダ)

三浦師匠の指示は鶏肉を20g~25gに均等に切りなさい。 せんせ、20gなんて判らん? と質問する。スーパーの袋を見なさいと叱られる。 そういえば、400gとか350gと書いてある。鳥のブロックは先ず半分で切れるようになっている。だから、ブロックを半分で切り、200g~175gになればそれを、何個に分割すれば20g~25gになるか計算出来るでしょ!

かねてより、私は三浦先輩を尊敬し我が師と仰ぐ人であるが、この話には参った。大きなブロック 2個を指示通りに切る。 先輩、風呂にゆく間薬味に漬けたいですが、御指示は? 答えは君に任すでした。 生姜(しょうが)をすり、ニンニクは買い忘れたので省略、ネギを切り、胡椒(こしょう)、お酒、みりん、醤油、胡麻油少々、を入れてボールの中に肉を入れかき回す。そして、寝かせる。

(温泉痛い)

岩岳の湯(温泉)は山小屋から歩いて、200歩程度の近距離である、スリッパで行く。回数券を買い、皆さんに渡す。三浦さんは未だ、暫く料理の仕込みがあるとおっしゃり小屋に残す。
温泉に脚を入れると強烈に痛い! 短パンで森と茂みの中で捜索活動をしたので、ススキやイバラやうるしにやられ『痛い~~~~』 ホンマ、辛い合宿になったもんだ。

(唐揚げ本番)

三浦先輩は圧力釜で馬鈴薯を茹でておられる。私は、圧力釜の使い方がよく判らない。汽笛が鳴り、お鍋の帽子がクルクル廻る。
さて、ビニール袋に片栗粉を入れて、その中に肉を放り込もうとすると、底が抜けており、台所が片栗粉だらけ。失敗である。でかい、鍋に片栗粉をいれて、まぶす。 それでは唐揚げの開始です。三浦先輩から指示が飛ぶ!

先ず180度の温度で1分40秒揚げなさい! そして、4分間揚げた肉を寝かせ、その後、高温で40秒揚げよ!
えらい、面倒くさい指示やね~~。要は、二度 揚げろという指示やね。180度なんて判らん? 小さな材料を放り込むとすぐに中華鍋の底から浮上してくると180度やそうです。

ガンガンとにかく、肉を放り込みます。適当な時間で中華鍋から引き上げ、全ての肉の最初の揚げをやる。とにかく、今日は7人分を作ればいい。三浦さんの目を盗み、適当に揚げる。誰かが肉の寝かせたボールにネギとか生姜の固まりがありこれも、唐揚げにする。

ともかく、枝豆、そして三浦さんのポテトサラダと私の、『唐揚げ』が完成した。 美味かった、師匠はうるさかった!

明日はメインイベントなので、鉄板を使う、焼肉、焼きそば、ゴーヤチャンプル、あたりか? スペアリブの甘酢煮込みは今回はパスである。Joさんのオフランス料理もパスである。

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2004夏合宿 無事終了(初日)

2004年度 ”赤とんぼ”夏合宿は無事終了しました。
マイフォトに写真を掲載しました。

(7月9日 早朝より信州に向う)

早朝5時30分に起床して、三浦先輩の車にて一路、岩岳を目指す。中央高速にて”ユーミン”のカセットを聴きながら向う。府中競馬場を右手に左手にサントリーの工場(ユーミンの歌の通リやね)。双葉サービスエリアで他の部員と落ち合う。

千葉のラジコン親爺は昨夜徹夜でファンフライ機の仕上げをしたそうで、朝少し仮眠をして遅れて到着。今回は西郷先輩も参加された。35年振りにラジコンを再開され参加。

(栂池スキー場)

お昼過ぎに現地到着。栂池スキー場で飛ばす。先ず、西郷さんのグライダー(モータ付き)を飛ばすが、上空でラダーのリンケージが外れ、制御不能状態になり、遥か彼方の森の木の上(地上20メータ位)に不時着。

機体捜索時に私は運悪く、短パンでしたので、ススキとか雑草に足は傷だらけ。おまけに、森の中はサウナ状態。
ロープの先に車の工具スパナとか鉄のハンマーをククリつけて木の枝に投げる。ロープを引っ張り、木を揺らそうとするがびくともしない。地上3メータ位までは枝がなく登れない。

ロープを投げる時に私は、投げた瞬間にバランスを崩し、数メータ下の崖に頭から突っ込む。幸い、めがねも壊れず怪我もありませんでした。

とに角、その日の半日は木の上に引っかかったグライダーの回収作業で終わる。夜に風が吹き、雨が降り飛行機が木から落ちるのを、神に祈るのみ。現場を引き上げた。

  プロローグ編でした

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明日より日曜まで休館日

明日?今日かな? 金曜日早朝より信州は白馬にて”赤とんぼ”合宿の為に休館します。
日曜の選挙が可能な時間までには帰還し、来週は”阿呆な親爺ども”の生態と実態について報告します。

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カリフォルニアの小学生

シリコンバレーのサンノゼの小学生の娘達の生活について、記憶を辿ります。
私の二人の娘達は1年生と3年生でした。

(スリーピングオーバー習慣)

先ず、寝袋を買わされます。子供達は友人と約束して週末に泊り込みで遊びに行きます。勿論、信頼できる親のおうちです。子供達は床で寝ます。私のおうちにも、よく子供達が泊りがけで寝袋を下げて親が連れて来ました。
早い話が家の中でキャンプをする感覚です。アメリカの子供は躾が厳しく、日本の子供のように甘やかされて育っていません。礼儀は正しいでしたね。

(ハロウイン)

もう日本でも御馴染みになりました。先ず、南瓜(カボチャ)畑に巨大な南瓜を買いに2週間前頃に出掛けます。子供達が自宅の玄関と家の中に飾る南瓜を探します。ランタンを作るんですね、頭のヘタを削ぎ落とし中身の果肉を取り出し・・・・此処までは親の仕事です。そして、子供の芸術性を発揮させて目、眉毛、口を切り取らせます。一人二個程度は製作させて玄関前のフロントヤード(芝生の前庭)にローソクを入れて飾ります。

子供の衣装は大変です、お母さんたちが1ヶ月も前から製作します。子供の希望を聴いて、製作です。小学低学年の女の子供達は可愛いい”天使”を希望するのが常ですね。高学年になると、魔法使いのお婆ちゃんとか怖い悪魔の姿とかを希望します。

”Trick or Treat" お菓子をくれないと、いたずらしますよ!と脅しながら近所のお家を廻ります。ここで、玄関に南瓜のランタンが灯されていないお家を訪問してはいけない規約があります。親のどちらかは子供について後の方から安全を確かめながらついて行きます。片親は何時近所の子供が訪問するか判らないので、自宅で待機です。

(ジャズダンス)

米国では女の子にはジャズダンスを習わせるのが常識です。日本で言えば学芸会みたいなもんです。これが派手でありまして、発表会は親は着飾り子供はレオタード姿で且つハデハデな格好をして舞台で踊ります。
これが、訓練のかいあり見事なものなのですね。このあたりの”SHOW"に対する真面目さ?これは妥協を許さん世界観があるようです。どうりで、ブロードウエイは見事ですね、子供の頃からの鍛え方が半端でない。

色々、ありますが今日はこれぐらいにします、又続きはそのうちに。

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伯耆大山 山麓 古代の世界

学生時代に3~4回は伯耆の国『大山(だいせん)』に登った。中国山地の蛭がせんから登ったり、日本海側から登ったり、志賀直哉の『暗夜行路』の場面を想像しながら日本海の夜明けを眺めたり楽しんだもんです。

(上淀廃寺遺跡)

1991年5月に衝撃が走りました、白鳳期の彩色壁画発掘のニュースでした。法隆寺と同じ形式の塔と金堂が横に並ぶ伽藍の『上淀廃寺』の発掘でした。このあたりは歴史は古く、朝鮮半島特に、高句麗・新羅の国から船に乗るとこの大山が大きな標識になり行き来が有りました。飛鳥朝廷が大和で花が咲いていた時代、負けずにこの日本海の大山山麓に見事な文化が花開いていたのです。

上淀廃寺Web
淀江町歴史民族資料館

金達寿さんの説によれば、『日本書記 宣化紀』に新家連(にいのみのむらじ)という渡来人の名前があり、古代淀江の支配者は新家の一族であり『上淀廃寺』は彼等の氏寺ではないかと。

(妻木晩田遺跡)

四隅突出型古墳の大がかりな発掘の成果もでました。淀江ですね、当時会社の同僚で清水さんという人がおられまして(今でも時折宴会してますが)友人がこの発掘をされた佐古和枝先生でした。前方後円墳の謎を解くこの特異な古墳群は注目を浴び当時、国立歴史民族博物館館長の考古学者の(故)佐原先生も注目されておられました。

妻木晩田遺跡佐古先生
妻木晩田遺跡Web
佐古先生Web

文化の中心としての大和思考からは、この日本海(大陸から見れば表日本)に面した因幡・伯耆の国に強力な権力と素晴らしい文化がある事を理解できないが、それは誤った発想かも知れません。

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団扇と扇子

机の上に団扇(うちわ)と扇子(せんす)があり、部屋が暑いので何時もこの二つを使っている。

(団扇は涼しくない)

まず,使いにくい。腕を身体から遠ざける必要がある。それに、扇子に比べて涼しくない。しかも右手の指三本が不自由なので、あおぎにくい。それに比べ、扇子は少し力もいれずパタパタするだけで、涼しい。

(何故か)

私の分析によれば、扇子はヒダヒダがありどうも,風を抱き込むようだ。逃がさない。おまけに、扇形は効率が良い。
しかし、昔の人は良く科学的に考えたもんである。携帯にも便利であるし、形も美しい。
それに扇子は扇ぐ時に面が波を打つように揺れる、ここが大事なように思える。

(関西人は何故扇子をもつか)

私の分析では、関西のサラリーマンはかなりの人が扇子を携帯している。私のいる、霞ヶ関のサラリーマンは殆ど見かけない。関西はやはり、東京に比較して暑いのでしょうか?それとも、訪問先のお客さんに冷たいものを、催促しているんでしょうか?道を歩きながら、扇子であおいで涼しいのでしょうか?電車の中で扇子を使い、自分に少しでも冷たい空気を呼び寄せているんでしょうか?

私の結論として、関西人のサラリーマンが団扇であおいでいるのを、見たことがない。従い、扇子が経済的、効率的であるとの結論である。

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Jazz Bar

Cimg0013.jpg

六本木のJazz Bar 『IZUMI』の吉井オーナー御夫婦です。
何時頃からお世話になっているか、判らない。すくなくとも、バブルの頃よりは前で1985年頃だと記憶する。

最初は、会社の大先輩の小野さんだったと思います。生バンドでJazzを聴かせて頂いた。当時は、ホテルオークラのBarに小野先輩はボトルが置いてあり、ここでもJazzを楽しんだものです。

六本木『IZUMI』

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押す文明と 引く文明

アメリカ駐在の頃の話です。トイザラスとか幼児の玩具売り場に行くと、日本とは異なる文明というか文化の違いに出くわしました。

(アメリカは押す文明である)

子供の玩具は殆ど全て、手で押すものが多いです。日本では殆ど、手で引っ張る玩具が多いのと明らかに異なります。これは、子供の世界だけではなく、大人の世界でもそうなんです。例えば、鋸も日本では挽く事で木を切りますがアメリカでは押すことで切ります。力が必要な時は米国では押す、日本では引くです。

とにかく、物事に懸命になる時の英語は”push push"と言います。子錦(元大関)は口癖ですね。まさか、”pull pull"
とは言いません。

(何故か?)

私のトンデモ説は日本人のルーツに関わるものと考えています。それは、倭人は元々海洋民族の血を引いているからと思います。それと、稲作文明ともおおいに関係が深いと考えています。船の櫓を漕ぐときは手前に引きます。
船と関係が深いとにらんでいます。又、稲作での雑草の引き抜く作業も大変ですね。昔は、農薬が有りませんので水田での雑草始末は大変な作業であったと思います。

要は、漁労・稲作文明は人間に引く力を鍛えさせたのではないか?と考えます。

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三星堆・中国古代文明の謎

『三星堆・中国古代文明の謎ー史実としての(山海経)』 あじあブックス 徐朝龍 ISBN4469231436 大修館書店

(目次)

1章: 奇書『山海経(せんがいきょう)』

2章: 三星堆文明の素描

3章: 不思議な縦目青銅仮面

4章: よみがえる崑崙

5章: 神樹伝説の源流

6章: 西王母と三星堆王国

三星堆博物館

中日文化交流 三星堆遺跡Web

三星堆遺跡 Web

1993年7月に『謎の古代文明 三星堆遺跡は何を物語るか』 徐朝龍 & NHK取材班 NHK出版 が当時、NHKの特別番組と連動して読まれました。

とにかく、巨大な青銅の目玉が飛び出た仮面、巨大な青銅で出来た神樹 等 度肝を抜いた長江文明の衝撃でした。
長江中流、下流に比較して文明の萌芽は新しいが、明らかに稲作・漁撈長江文明の傑作の発掘でした。

中国の北の黄河の龍の文明、小麦・牧畜文明とは異なる文明が同時に花開いていた事がわかったのは最近なのですね。実は、この北の文明と南の文明が衝突し東アジアの独特の文明が形成されてゆくのです。

私はアーモンドの形をした目と渦巻き文様に中米、南米の文明との共通点が気になっています。

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遂にGeeBee飛ぶ

本日、早朝 何時もの御爺ちゃんのゴルフ練習のあと、来週末の合宿で飛ばすGeeBeeの試験飛行に挑戦した。

(初回失敗)

最初の離陸では昇降舵を撃つと垂直に機体はなり、エンジン出力不足で機体は回転、再度、昇降舵を打つと又、垂直状態になり、最終的に緊急着陸。
どうも、重心が後のようですね。確認するが、それほどの重心が後ではない。其の侭、再挑戦する。

(二回目挑戦)

やはり、同じ状況になり、少し着陸時機体が壊れる。昇降舵、エルロン舵、ラダー舵の有効角度を小さく設定することにする。調整する。エンジンの出力も其れほど、回転数があがらない。

(三回目挑戦、四回目挑戦)

ともに離陸時に滑走路を離脱し、草むらに突入する。離陸時に微妙にラダーを操作し、且つ機速がつく迄は前のめりにならないように、昇降舵のupを打ちラダーで離陸進行方向を制御し、同時にエンジンの出力を制御する。
聞いてて、大変でしょう?そうなんです、離陸は面倒なんです。(着陸はもっと面倒ですが)

(五回目の離陸挑戦)

遂に、機体は速やかに上昇を始めました。慎重に舵を打ちます。演技周回航路に機体を誘導します。エンジンの回転が極めて順調です。水平飛行で機体の癖を調査します。概ね大丈夫なようですね。水平に飛行します。これが、一番基本です。水平に飛行することが一番難しい。2~3回水平飛行で機体の癖を見ながら、次に、ハーフキューバンエイトの演技で機体の状態を検査します。45度の角度で上昇しエルロン舵を打ち機体を裏返しにして、昇降舵を打ち宙返りをさせる。この飛行機はファンフライ機なので、微妙な舵打ちで敏感に反応する。翼に上反角がないので
自ら安定した飛行はしない、舵の通りしか飛行しない。中級、上級の機体である。

その他、ロール演技、宙返り、キューンバンエイト、背面飛行、等を試み機体が大丈夫である事を確認した。

(成功と反省)

ともかく、成功した。しかし、機体の胴体にひび割れが出来、翼の端が少し損傷した。オイルタンクもプレッシャー部分に問題がある。エンジンの振動でイロイロがたがでている。致命傷になるので、全て今日中に対策をたてて、修理し完璧にする。

飛行機は正直である。手を抜くとすぐ暴れるし、最悪は墜落する。重力と風を相手に平和に飛行するのは大変なのです。昔の零戦とか隼とか電子機器が未だ存在しない時代のパイロットは大変だったと思う。機体の癖があるでしょうから騙し、騙し操縦しなければならない。通信は翼を振りながら仲間に伝言する、孤独なコクピットで大空に夢を描いた。そして、多くの若者が死んでゆきました。

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エンジン調整完了

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3タンク分の燃料でエンジンの慣らし運転を完了する。4サイクルは振動が大きいので、排気、給油のビニールパイプの接続部が直ぐに、振動で外れる。自宅に帰り、100円ショップで購入した締めるバンドできつく、締める。

両側のエルロンが水平でないので、これも調整が必要。とにかく、朝の7時を過ぎると暑い!ゴルフの練習の親爺が未だ帰らないので、離陸は止めた。

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エンジン調整

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本日、新しいエンジンに乗せ換えブレークイン(馴らし運転)を行う。
先週、エンジン調整中に動かなくなったエンジンは、昨夜分解し原因究明した。
エンジンの頭のカバーをはずし、タペットの動作を確認するが、不具合(バルブ弁)を発見。修理に出す事にした。

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スイス紀行 予告

来る、7月17日より9日間スイスの山のトレッキングに遠征します。
昨年は仕事が忙しく、夏休みも取れない事情があり、個人的には2年分の夏休みをとります。

毎年、ふうてん娘のパリとブルゴーニュに出向いていますが、今年はブルゴーニュから山を登るとそこは、スイスアルプスです。

一応、大學時代はワンゲルで年間100日は山に籠もる生活をしていましたので、多分身体はボロボロですが、薄い酸素には慣れているはずです。

楽しい、美しいスイスアルプスの写真と紀行文を掲載しますので、お楽しみにしておいてください。ついでに、パトラッシュの犬がおれば報告します。

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夏合宿予告

遂に、来週末は信州、岩岳の山小屋”ちんぐるま”にて赤とんぼ合宿が挙行されます。
概要について予告致します。

(参加メンバー予定)

名誉顧問の三浦大先輩。電動機2機を携えての参加です。2機ともに飛行する事は実証済みであります。
息子さんの”コウ君”も勿論参加です。正式メンバーです。この赤とんぼの阿呆な親爺どもの合宿が何時も楽しみだそうです。

会長の中村さん御夫婦。彼は、仕事が多忙であり日帰りでの参加です。スポーツカーで三島から岩岳往復と、ハードなスケジュールとなります。

山小屋管理人の更谷さん。三島から参加です。一人で大きなワゴン車で霧降高原を越えて参加です。飛行機の修理は間に合ったでしょうか?彼は、岩岳、栂池、白馬の地元の人々との渉外担当です。地元の人々が優先で、子供達の観覧、誘導、栂池高原の現場の人々との交渉、スーパー買出し、蕎麦屋さんの顔つなぎ、ありとあらゆる地元の交渉にあたります。山小屋のオーナーでもある。

特別参加の西郷大先輩。モータグライダー2機を携えての初めての赤とんぼ合宿参加。高校時代はラジコンクラブ所属だったそうです。当時はシングル・プロポの時代ですね~~。西郷従道、明治の元勲の孫として恥がないように飛行機は飛ぶでせうか?

千葉のラジコン親爺。横浜三人組の四人は勿論参加。

(今回参加出来ない人)

富山の元暴走族の田谷さんと御子息達。奥様が療養中の大岩先輩。群馬のセッタの鳥さん。そして、三島の君島君。最近参加の玉耳のご両人。

(予想)

平均年齢は多分55歳程度でしょうから、飛行機を飛ばすというより、宴会中心と温泉でのんびりして終わりそうです。宴会は全て、自炊ですので日頃の料理の腕が試されます。テレビもラジオも何も無い、この世と隔絶した世界で数日過ごすのです。

私は2機で参加です。1機は”カルマート25スポーツ”という実績のある空中戦用の飛行機です。もう1機は未だ飛行していない、”プチGeeBee 花火”です。4サイクルエンジンが先週末の調整で壊れたので、新しく買い替えました。
1万5千円の出費は痛いです。ついでに、燃料4リットルを購入2450円です。これも痛い。プロペラは予備10枚は持参予定。あらゆる、予備器は持参します。現場で置換できるように予備の部品は必須である。そして、事故に備えて保険書も勿論持参、ラジコン保険書も持参(1億円保険)、サングラス、帽子、日焼け止め、持病薬、等々は必ず持参する事が義務ずけられています。

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長江文明の謎

『古代日本のルーツ 長江文明の謎』 安田善憲(よしのり) 青春出版社 ISBN4-413-04061-9 2003年6月

(帯情報)

長江文明に遺されていた日本文化の痕跡・・・・・。
その衝撃の真相を 環境考古学の第一人者が解く!

(概要)

・中国には二つの文明が存在した。黄河流域の麦作、牧畜文明と長江流域の稲作、漁撈文明である。
・北の文明は龍を神とする。南の文明は太陽とそれを運ぶ鳥、そして蛇を神とする。
・地球環境の激変により北の民族は南下を始めた。そして南の民族を征服し、一部四散した。今苗族に残存する。
・『史記』によれば、夏王朝の時代南下した記録がある。その時に長江下流域の人々は船に乗り九州南端と対馬海流に乗った連中は出雲、丹後半島、能登、所謂『越』の国に漂着した。(長江下流域は越と呼ばれ、日本の越前、越後、越中の土地の名前はここからきている)
・日本建国神話の降臨神話の高千穂峰は彼等が漂着した九州南端の思い出を語っている。そして、神武東征神話は九州から大和へ向かう。
・皇孫『ニニギノミコト』が天孫降臨されたのは、南九州『笠サの岬』である。木の花咲耶姫に出会う。
・従来の縄文文明から弥生文明の始まりである。ここで、縄文に弥生が重層する。
・麦作・牧畜文明は崇神天皇から大和で始まる。ここで、崇神天皇5年に結核病(牛から)が大陸からもたらされ、半数の国民が死ぬ。その後、天然痘。インフルエンザ、ジフテリア等の北方民族の疫病が古墳時代に始まる。
・そこで、又、三輪山を崇める。
・継体天皇は再度、南の文明に王朝を交代させた。稲作・漁撈・海洋民族が権力を奪還する。
・天武天皇の英断。 北の牧畜民の文明である唐帝国と新羅連合にたいして、北の文明の素晴らしい国家体制であるとか、いいところを取り入れ、中央集権国家を目指し、精神世界では南の文明、太陽・鳥・蛇を残した。和魂洋才の始まりである。

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