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日本にも指南車は存在した

『古代史を語る』 朝日新聞社編 朝日選書450 ISBN4-02-259550-7 1442円

その中で『指南車』に関する記述があり記録します。

山田慶児(やまだけいじ) 京大人文科学研究所教授から国際日本文化研究センター教授

『古代技術点描』 失われた先進技術
斉明天皇四年(658) 沙門智諭(しゃもんちゆ)が『指南車を造』った。
天智天皇五年(666) 倭漢(やまとのあや)沙門智由(しゃもんちゆ)、指南車を献ず。

『この二つの記事は、指南車の用途からみて、同じ事柄を誤って二度記録したものであろう。指南車は天子の車馬行列用の車であり、はじめから献上を目的としていたからにちがいないからだ。ちなみに、指南車のほかに、車輪の回転数によって里程を刻む記里鼓(きりこ)車、漏刻(水時計)を積んだ漏車も加えられるのが、その車馬行列の慣例であった。』

実は、昨年10月1日に(株)シナンシャル・システム・コンサルテングという会社が設立され私は社長になった。
シナンシャルの語源は『指南車』からとり、同時に業務の内容から『Cyber Financial』の意味も込めて『Cynancial』という新しい言葉を創成した。

中国の古代より天子の軍団には常に南を指す車が存在し『指南車』と呼ばれた故事に由来する。
目標の無い大平原での戦い、霧の中の戦い、軍団が方角を間違わないようなランドマークを、精巧な歯車技術を駆使し制作して実際使用していたそうです。

同時に、風水の思想によれば、南は吉の方角であり気が流れる方向である。気に乗り軍団は戦う天子の軍という意味もあります。

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Comments

 このね、中国での技術史は一度目を通しておきたい。いろいろわけありでね。
 うむ。

Posted by: Mu | 2004.06.12 08:51 AM

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