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洞ヶ峠 の想い出

『洞ヶ峠』 子供の頃、小学校の年中行事の兎狩りや、近所の農家の友達と山遊びをした場所です。

(その頃の洞ヶ峠付近)

昭和20年代も終わりの頃の状況です。
友達に農家の子供たちが多く、洞ヶ峠近くの山によく遊びに行きました。

・百合の根堀り・・・・・茶碗蒸しに使う食材として
・柿取り・・・・・・・・・・竹の先に二股をつけて枝を挟んでくるくる廻す。柿の木は脆いので登るのは厳禁!
それでも、悪ガキは言う事を聞かず、柿の木に登り枝が折れてよく墜落した。
・芋堀り・・・・・・・・・・薩摩芋、馬鈴薯を堀りにでかけた。薩摩芋を食べると何時もお腹が弱く、熱をだした。
・竹の子堀り・・・・・・農家の親について行く、早朝でなければならない。鉄の棒の先が少し歪曲した道具。
日本でも有名な竹の子の産地であったと思う、美味である。
・松茸狩り・・・・・・・・当時は松茸が沢山採れました。これも親に同伴してもらう。
・枝豆取り・・・・・・・・普通は田圃の畦道に保水用の為に植えました。山の畑でも枝豆、そら豆はありました。
当時の枝豆は大層美味しいものでしたね、根につく球根が今とは違います、今は不味い。

・木苺取り・・・・・・・・木苺が豊富にあった。畦道には蛇苺もありこれは食べなかった。
・桑の葉取り・・・・・・箱の中で蚕を飼育して蛾になる迄生育させ、桑の葉を餌としてあげる。楽しかった。
・かぶと虫・・・・・・・・クワガタ、かぶと虫を取りに、山に入る。夏の昆虫採集の為。誘蛾灯にも飛んできた。
・霞網で補鳥・・・・・・霞網を仕掛けに山に入る。別に、鳥を食べた訳ではない。
・黒竹取り・・・・・・・・兎狩とか喧嘩用に根っこがついた、黒竹を掘る。 根は肥後守の小刀で成形し、焼く。

(順慶あれこれ)

洞ヶ峠は大和の守護である筒井順慶の日和見で有名ですね。本当は光秀が洞ヶ峠で順慶が味方につくのを、待っていたんだが可哀相に、日和見の代名詞にされてしまつた。彼の先祖は元々興福寺の僧兵であり、父である順昭が大和守護代となる。
父が死んだ時に、父の死を隠し琵琶弾き僧である『木阿弥』を影武者とした。ここから、『元の木阿弥』という言葉が生まれた。

筒井順慶、陽舜坊順慶は学識深いインテリ大名でありましたが、36歳で若死した。

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Comments

 筒井さんの洞ヶ峠もさることながら、JOさんの少年時代が走馬燈のようにイメージできます。
 私も少年時代は覚えているつもりでしたが、JOさんみたいに色鮮やかに再現はできない。
 そうそう。小学校の動物飼育檻の前の木に登って、まんまと折れて落ちました。柿か桜か、思い出せない。

Posted by: Mu | 2004.06.17 04:08 AM

子供って不思議やね? 木登りが好きなんやね。昔の猿の時代のDNAが蘇るのかね~~。二足歩行の進化する前の筋肉が子供の頃には優れているんやろね。

Posted by: jo | 2004.06.17 06:44 AM

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