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赤城山 お蕎麦

先週と今週の二回、前橋の群馬大學に赴いた。田村教授の企業論の非常勤の講師の仕事です。

(企業価値)

今回の二回の講義は”企業価値”について講義をした。一般教養の単位なので、工学部、医学部、社会情報学部、
教育学部、等々の生徒さんが参加する。私は、学者じゃないので学問的な話は出来ないが企業実務の現場にいるので、具体的な話をすることで参考になればと思い行った。

昨年10月1日に新しい会社をスタートさせたが、その時の具体事例が参考になると思いあくまで具体的な事に徹した。しかし、難しい題を選んだと悔やんだ。そもそも、企業とは人間生命が或る”旗”の下に集まった集合生命体である。その価値を論ずるには池の中で生存してるか、大海で棲んでいるのか、地中で生活してるか・・・そこから話をしないといけない。

明治維新より列強の仲間に入る為に資源も土地もない国が僅かな資本を集中させて、効率良く官僚制度を利用して成長して来た。第二次大戦後は米国の庇護のもと経済を拡大してきた。団塊の世代の活躍が大きい。
しかし、空白の10年を経過し環境は激変した。インターネットの普及と国際会計基準の黒船である。これは、”新資本主義”の始まりである。

私は歴史が好きだ、今明治100年日本の資本主義は180度転換を余儀なくされている。どう変化したか?

・連結決算で企業は評価される
・間接金融から直接金融に移行せざるを得ない
・株の持ち合いの解消
・CASH FLOW重視の経営
・資本の国際化
・情報の国際化と瞬時アクセス可、独占できない
・EUに始まる経済圏のブロック化
・中国の台頭
・環境対策の重要性
・持たない経営の効率性
・人材の流動化

等々、数えればきりがない。これは、環境の激変である。その中で、日本独特のオンリーワンを創り上げる必要がある。知恵の或る民族であるので、悲観はしないが成功体験は役にたたない。厳しい環境にいる。若者にもこの危機意識を共有して欲しいので、教壇に立った。

(赤城山麓 蕎麦)

田村学部長の運転で赤城山麓まで連れてもらい、美味しい手打ち蕎麦を御馳走になった。目の前は赤城山である。榛名山も近く前橋は盆地であり、京都以上に夏は灼熱のフライパンとなる。

先生に利根川は近くですか?と質問する。大学のキャンパスは元々、利根川の堤防の上にありましたとの事。
私の頭の中は、あの雄略天皇(ワカタケル大王)の名前が刻まれた鉄剣が出土した稲荷山古墳の事で一杯でした。確かそれほど離れていない場所ではないかと推測する。

弥生時代後期、海部族は利根川を遡上し埼玉、群馬のこのあたり利根川上流を開拓した筈である。そして、稲作を営み大きな集落を築き力を蓄え、5世紀の倭の五王の河内王朝の時代にはここの豪族の力は親衛隊を勤める事が出来る程強力な力があったんだと、思う。鉄剣の金象嵌の文字はそれを語っている。

もう、この田村学部長さんに頼まれ群馬大學の非常勤講師は5年になる。毎回、異なる講義をする事にしている。

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ブルゴーニュのラジコン親父

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瘋癲娘のMISAYOからのレポートです。
ブルゴーニュのボーヌ地方を旅していると、いました!
ラジコン親爺です! 私を思いだしたそうです。

世界中にラジコン飛行機を飛ばす人はいるんですね?

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ガチャガチャ

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フランス在住の瘋癲娘MISAYOからのレポートです。
実は、日本の話です。ガチャガチャのキャラとしてMISAYOのデザインした製品が5月末から市場にでているそうです。

実は、NHK教育テレビの番組『英語であそぼ』のキャラクターの制作のお仕事しています。
番組を観て下さい。人形劇のキャラを制作しています。

製品はバンダイさんから発売されてるそうですが、NHKの関係者もマラカスの人も、バンダイの人も、何処で発売されてるか捜索中との事です。

一番人気はタマネギの『オニオン・ボーイ』だそうです。
私は、掃除機のキャラが好きです。

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新茶の作り方 思い出

 夏も近つ”く八十八夜、茶摘が終わると新茶の製作ですね。子供の頃お茶の製造工場でもありましたので、思い出が多いです。
すこし、お茶の出来るプロセスを子供の目から垣間見てみましょう。

(圧力釜で蒸す)

巨大な、ガスタンクのような、球体の機械の中にお茶の新芽をほりこみます。子供の頃、この球体によじ登り途中で感電して、右手が金属に引っ付いてしまい、取れなくなり危うく大事故になる事件を起こしました。幸い、身体の中を電気が流れず右手の一部だけが、通電し命を救われました。通電すると、引っ付いて離れません。

さて、どういう仕掛けは判りませんが、とにかく、蒸していました。蒸し終わったお茶の新芽は巨大なフロアー一杯に籠の中に入れられ、空気に触れさせます。この時の香りが素晴らしくいい香りが工場の中に充満します。この香りだけは、今でも忘れる事が出来ません。皆さんが嗅ぐ焙じ茶の香りとか、新茶を飲むときの香りとか、番茶を飲むときの香りとはおおよそ異なる香りです。

(乾燥釜に入れる)

次の工程は攪拌乾燥機に、投入したと思います。ここからは、皆さんご存知のお茶の香りがします。

もともと、奈良時代に輸入された薬としてのお茶は正倉院にもあるそうですね。確か、乾燥した塊みたいなものであったと記憶します。アッサム地方から江南地方へそして日本に迄、お坊さんによりもたらされたお茶。
今は静岡が明治維新後本格的に栽培され有名になりました。

お茶畑を見ると、子供の頃の思い出がめぐってきます。あの硬いお茶の実で色んな、遊びをした記憶があります、けど、どういう遊びをしていたか?思いだせません。

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金魚鉢 思い出

最近、金魚を飼育された御仁がおられると、風の噂で聞きました。

(ガラスの歴史)

ガラスの製法は17世紀初頭にオランダ人が日本に伝えたそうです。浮世絵切手で有名な『ビードルを吹く女』が有名ですね。当時は高価で庶民とは関係ない貴重品でした。ギヤマンとか呼ばれ、大名クラスしか手に入らないものでした。製品そのものは弥生時代の遺跡から首飾りのような、ガラス玉が出土しますし、正倉院にも『瑠璃碗』がありますね。遥かシルクロードを経由して東の果て日本に辿り着いたのでしょうね。

(金魚鉢)

江戸時代後期に金魚鉢をガラスで製造する方法が開発されたそうです。
参考Web 金魚鉢

ガラスの中の金魚がレンズ効果で大きく見えて、ファンタジーな世界を作りあげました。夏の風物詩として、形態は朝顔の花のようです。日本人の美意識は素晴らしいと思いませんか?

子供の頃、近くの小川から甘藻を採集してきて中に入れ、小さな綺麗な小石を入れて楽しみました。毎日、毎日生き物が傍にいるのは楽しみです。お尻から5ミリ程度の糸のような糞を引っ張りながら泳いでいました。
夜店での金魚すくいは定番でしたので、必ず夏の間は金魚がいました。

(大和の金魚)

瘋癲老人、Muさん、と奈良を訪問しますが電車の窓か、バスの窓から『金魚養殖』の生簀を散見する事がありますね。金魚は大和郡山ですよね? 中国から伝わった金魚と西洋から伝わったガラス製法、を見事に日本の夏の風景を日本人は創作しました。

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エンジン不調 飛行不可

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今日は、ファンフライ初飛行!
最初、エンジンは始動するがニードル調整中にエンスト。
以降、一切エンジンが臍を曲げて、かからない。

プロペラを手で動かしても、スカンスカン!抵抗が無い!
これは、相当にヤバイ。

残り、二週間 初飛行出来ない飛行機が2機となり、飛ぶ飛行機は一機のみ!
絶不調続く。

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漫画の話

私は”植田まさし”さんが好きです。

(読売新聞)

朝刊に”コボちゃん”の四コマ漫画があるので、新聞は読売である。単行本もほぼ全て持っている。路線としては伝統的な”さざえさん”と共通する家庭ものである。おじいちゃんとおばあちゃん、入り婿のちょっと若いお父さん。
居候の学校の先生。それと、いい味だしているのが、ポチ(犬)とタマ(猫)である。途中からレギュラー化したキャラとして庭にいる蛙である。御爺ちゃんと孫との関係は”ちびまるこ”の漫画でも重要な柱である。”さざえさん”ではタラちゃんとの関係しかり。これは、人間の普遍性を押さえている。

(まさしくん)

これは、貧乏三流大學生のボロアパートが舞台であり、彼の次々とこなしてゆく”アルバイト”先で事件が起こる。
まさしくん、の漫画を見てると殆ど私の大學時代の風景と重なる。
隣の部屋に住む、落第生の先輩のキャラも面白く、必ず”そうそう・・・大學時代にいた、ウスノロの先輩”という同意できる場面ばかりが登場します。

(おとぼけ課長)

家庭と職場が舞台である。奥さんと娘、息子の亭主関白家庭である。しかし、本当は奥さんが握っているという典型的な日本の風土を踏まえている。オッチョコチョイの課長でいつもヘマばかりしている。

その他、”キップくん”(駅員が主役)、”かりあげくん”(最大のヒットか?)の漫画を楽しませていただいている。
私は漫画家がどうして、あんな面白い事を考えつくのか不思議である。頭の中を覗いてみたい。

特別用語:バーロー (馬鹿たれ) 

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今日も墜落

新規製作した飛行機を今日早朝、5時30分に7回目の試験飛行。
墜落して壊れた。
7回も飛ばそうとして、飛ばない飛行機は初めてやね。
絶不調なり。精神的に迷いがあるんやろか?飛行機は正直やからね。

もう1機、新作の”ファンフライ機”あるので、今日か明日初飛行に挑戦する。
今日墜落機は根性いれて、修繕する。

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BYOB二次会(1)

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鎌倉明神はんと千谷はん。
千谷さんは同期、私が西海岸で彼はニューヨークに駐在していた。
彼は今、三島の大學の教授です。

BYOBとは理科大學経営学部大学院の山田教授を囲む勉強会です。
座長は鎌倉さんで、私は6年欠かさず出席しています。
Bring Your Oun Bottleという意味と山田文道さんの名前から塾名と
なりました。

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BYOB二次会

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今日は玉井の旦那も出席でした。

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またコーヒーショップ出来た!

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会社の傍に、またコーヒーショップが出来ました。
このあたりは、会社をさぼってお茶する人々が多いのでしょうか?

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Jo君の 夏休み宿題

夏休みが近ずくと楽しみでした。唯2~3厭な事があった。それは、宿題とラジオ体操。

(ラジオ体操)

首からカレンダーの紙切れを紐で吊るし、毎朝広場に行かねばならない。そして、その日の欄にハンコを頂く。
単に丸い輪の形をしたハンコですから、今から考えると簡単に偽造は出来たと思う。
体操行くというより、ハンコを貰いに毎朝でかけたように記憶にある。ときおり、ズル休みの分を"あれこれ、智恵を絞り嘘の理由を作り、ハンコのおにいちゃんを騙した"。そして、最後は何時も、皆勤のハンコが並んでいた。最後にご褒美を貰うが何時も、面白くもない、ノートブックだった。

(宿題 三種の神器)

絵日記、ドリル、昆虫採集か自由工作。この三つは必ず、夏休みの厭~~な宿題であった。総て、宿題は夏休みの終わる直前に仕上げた記憶がある。

『昆虫採集』・・・・先ず夏休みが始まるとすぐに、昆虫採集セットを買いに行く。注射器と殺虫防腐液である。ともかくこれだけは、最初に必要である。当時はわざわざ、昆虫採集に出掛けんでも夜になると、虫が山程飛んでくる。
かぶと虫、くわがた、幾らでも飛んできて縁側とか窓とか、下手すると蚊帳に引っかかっている事があった。
登校日が近ずくと、定番のくわがた、かぶと虫、あぶら蝉、つくつく帽子、ミンミン蝉あたりをメインにピンで止め、あとはそこらに落ちてる得体の知れん虫をかき集めて、廻りに設置して終わり。1時間で完成である。

『絵日記』・・・・・これは、手ごわい。大体毎日異なる絵など描けない。毎日同じ生活であるから、本当に酷な宿題であった。一体何故この宿題があったか? すぐに、絵は必要なくなり日記だけになったと記憶している。
最後に、夏の天気の調査が大変でした、お姉ちゃんに聴いたり、親に聴いて提出最後の日に纏めて記述した。
ただ、夏休みに一度位は何処かに出掛けるので、その日だけは一生懸命に書いた記憶がある。

『自由工作』・・・・これは、好きでしたね。定番は母の裁縫箱から使い終わった糸巻の丸い円筒形の木で出来たものを貰う。両端の丸い部分を小刀で削り、歯車形状にする。ゴム紐を円筒形の真ん中に通して片方を木片で固定し片方にプロペラではなく、棒で固定する。『戦車』の出来上がりである。
その他、箸を継ぎ足してゴム鉄砲を作るのも北河内では流行していた。(輪ゴムを飛ばす、学校では禁止されていたが男の子は皆鞄の中に持っていた)

ともかく、クーラも無い、冷蔵庫も無い、(かちわりはあった)、扇風機も無い、蚊とり線香も無い(除虫菊をいぶした)
暑くて勉強など出来ない、夏休みでした。蚊帳を吊るのが楽しみでした、ダンボールが湿ったような匂いがして、今日は何処に孔があいているか、調査するのが子供の仕事でした。

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磁気装置と狂気の機械屋達(1)

MuBlogでは自作パソコンの達人が毎年、一台のパソコンを制作している。Seagateのバルクーダに頬ずりして喜んでいる。私は是非、ここで、一連の磁気装置を作り続けてきた狂気の機械屋どもを、側面から記述したいと思いました。
何回のシリーズになるか判りませんが、今後、数年かけてBlogしましょう。私も、少なからず磁気装置とは関わりがありました。可哀相な『周辺機』という呼ばれ方をした磁気装置、今は『主役』ですね。

(昭和44年の頃の磁気装置風景)

主役は磁気テープです。大容量で装置は簡単、安価で計算機の記憶媒体としては磁気テープが主役でした。失礼ながら装置が簡単といいましても、巨大な冷蔵庫以上の大きさでリール2本が目玉のように目の高さに着いており、テープが左右二カ所のポンプ吸い口を通過して、掃除機のようなもんでテープを引っ張る装置でした。
映画ではコンピュータといえば、この磁気テープが仰々しいので何時も、全面に出て『コンピュータの顔』でしたね。
『2002年宇宙の旅』でしたかね、『HALコンピュータ』の顔としてもでていました。

私は銀行の巨大オンラインシステム関連の開発現場でしたので、数十台並んだ磁気テープ装置が一時間百万件のトランザクションを記憶してゆくので、しょっちゅうテープを切り換える必要がありました。片手にテープの輪っかを5本も7本も腕にかけて計算機室を走り回っていました。

(ちゃぶ台が廻る)

磁気テープはシリアル記憶装置ですが、ランダムにアクセス出来る記憶装置が必要ですね。最高速度が必要なのが主記憶装置で当時はフェライトコアに線を巻き付けた『コアメモリ』で超高価でした。電流を流す方向でプラスとマイナス、0と1を一時記憶する理論ですね。同時に当時世界初として富士通はLCM(Large Scaled Core Memory)という
アクセス速度はコアメモリより遅いが充分に、主記憶装置の補助として使えました。

補助記憶装置として当時、主役は磁気ドラムと磁気デイスクが登場していました。先ず、浜松町にある計算機センタに入ると、驚きは『巨大なちゃぶだいが縦方向に回転』している風景でした。凄まじい振動と騒音でした。これは何だ!
当時、記憶密度が粗い為に円盤はちゃぶ台程度になり水平に廻す事が出来ませんでした。従い、縦方向に数枚のちゃぶ台を同時に廻すもんですから、機関車の歯車が廻るようなもんです。アクセスコマンドを受けるとアームが動きます、シーク動作(目的シリンダー目掛けて動く)が素早くカキカキと動いていて楽しかったです。

(銀色に輝くファーストランド・ドラム)

こんな、事で驚いてはいけない。部屋の片隅には異様な光を放つ巨大な銀色のドラム缶が回転しているではないですか。UNIVACのファーストランドドラムでした。これには、度肝を抜かれたました。軍事用に開発された磁気ドラムの初期の装置でした。銀色に輝きながら高速に横向きで回転しています。
当時のTBSの選挙予測はこの計算機センターで稼働していました。(と記憶しています)

当時の計算機室は戦艦ヤマトの機関室のような風景でした。

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田村せんせ

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群馬大學、社会情報学部 学部長の田村せんせです。
優しい人ですが、厳しい先生です。私は、4年前くらいから学部の企業論の非常勤をさせていただいています。
今日は久し振りに、朝5時起きで群馬の前橋の学舎まで出掛けました。

せんせは京都方面の大学をでて、トロントの大學に進み富士通におられました。その後、群馬大學に転身され教壇にたたれておられます。

来週また、灼熱の前橋に行きます。ダルマ弁当のお土産を何時も購入して帰ります。美味しいです。

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関西人は何故 タコ焼きが好きか?

私はもう10年以上関西より関東の方が長く生活している。不思議なことは
・年末のスーパーでは何故か関東で刺身を多量に販売している。
・関東では男同士でお好み焼き屋に行きたがらない。
・関東では、タコ焼き器を持つ家庭が稀有である。

(基礎知識)

・タコ焼き、お好み焼き、ホルモン焼きともに歴史は浅い。一度、昔タコ焼きの歴史を調査した事があるが詳細は忘れた。しかし、明石焼きが原点である事は確かである。戦後の食料難の時に上記、食品は産声をあげたと記憶する。

・司馬さんの説によれば、関東武士が強いのはその食材にあると結論。関西は干物とか保存食が中心で生ものを食べない習俗が強い肉体を作らなかった。関東では、生ものを食べ馬に跨り武蔵野を駆け巡っていた。

・関西は粉文化が早く開花した。”うどん”である。小麦粉の文化である。これも、歴史は浅いがおこのみ焼き、タコ焼きの基盤である。

(トンデモ説)

・私の結論は関西人の男と女のコミュニケーション習俗に関係が深いと分析する。

・おこのみ焼きは男と女がお店に入り、擬似夫婦関係をシュミレーションできる環境である。かいがいしく、相手の為に食事を作る。女が強ければ、男が作る、女が狐を被る場合は女が、可愛いい新妻のように振る舞い作る。

・神戸のクラブやBARが密集する場所で夜遅くまで、路上でタコ焼きを販売している。男はお姉さんの為に関東では考えられない”タコ焼き”をお土産に買う。

・私は気取らないタコ焼き、おこのみ焼きは男女の関係を親密にさせる仲人役の役割を負わされているんではないか?そのように、考えると物事がハッキリ見えるようになった。

・関東では何故、駄目か? 気取るんですね、これが、銀座の夜の路上では、お腹の足しにならん”風鈴”なんぞが定番である。

私はタコ焼きが好きである。今年のお正月の横浜でのとある近所の神社。てき屋の親爺がタコ焼きを焼いているが、手元がなんと下手か!思わず、”代わらんかい”と言いたくなった。

御神籤は”凶”でした。

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W杯開幕 イン・ソウル紀行

ワールドカップ・サッカーの開幕戦はソウルで開催された。私は、二日前にチケットが入手出来る事が判り、突然に開催当日ソウルに飛んだ。

(友人と会えない)

私は始めての韓国旅行である。友人は前日からソウルに入っており、ロッテワールドで落ち合う約束であった。
この友人はハワイ生まれの米国育ちのR君(リチャード)です。彼のイタリアの友人がW杯のスポンサーで切符が入手出来た。空港から漢江を渡りホテルに到着し、R君と落ち合う積りであったが、フロントにメモがあり、場所が変更である、ダウンタウンのロッテホテルに変更である。ホテルのシャトルで又、ダウンタウンに向かう。

(厳戒警備の会場)

なんとか、落ち会え地下鉄で会場にその儘向かう。厳重警備である、席はR君と異なるので会場で別れ、別々の席に向かう。忍者のようなスナイパーが天井に張りついている。彼等は屋根上から観客席に銃を向けている。韓国特殊部隊でしょうね。

(同席の韓国家族に世話になる)

隣の席には韓国のお父さんと息子、娘達が陣取る。私は、早朝から成田経由ソウルに入りあちこち動き廻り少々腹が減っていた。この韓国のお父さんはとても優しく、私に食事を勧めてくれる。いろんな話を英語で出来たのが、幸いでした。巻寿司迄貰い、韓国にも巻寿司がある事を知る。席が良くないので、家族に連れられ、移動する。

(開会式)

緊張した、日本の国歌が流れる時程緊張したのはない。しかし、韓国の人々は歓迎してくれた、嬉しかった。

(フランス・セネガル激闘)

セネガルが番狂わせ、勝ちました。終了の笛が鳴り響いた時セネガルの全員がグラウンドに倒れた。もう、立つ事も出来ない程、限界を越えてプレーしていた事が判った。フランスの元植民地の民族が勝ったのだ! 涙がでた瞬間だった。

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ロス・アミーゴス

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今日は大学時代、ワンゲル先輩 萩原さんの定年退職祝い。
横浜、関内のメキシカン”ロス・アミーゴス”にて集う。

マスターは元、日立造船。奥様はメキシコ育ち。家庭料理が自慢。

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覆面 馬鹿たれ

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今日の、アレンジは覆面の馬鹿たれ同期の”吾朗ちゃん”。

マスターは元、彼の部下。メキシコ出張で彼女と知り合い、結婚。
会社を辞めて、レストラン経営。

マスターは因島生まれ、育ち。専門は造船技術。特に、戦艦に詳しい。

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ロス・アミーゴス(その2)

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メキシコでは骸骨が身近である。お祭りでも、家庭でも骸骨を飾る。
ところで、戦艦の話。マスターの知識開陳。

戦艦は昼間太陽のあたる側と反対側では金属の伸びが異なる。従い、3000メータの射程の大砲を撃つと右舷と左舷の大砲では異なる。

従い、深夜金属が右舷、左舷ともに同じ状況の時点で、月を目指し砲撃し照準器を修正する。

だそうです。

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夏の水遊び

Jo君シリーズです。夏の水遊びの風景についてお話します。
当時は小学6年生になり始めて学校にプールが出来ました。それ迄は、プールという近代的なものは有りません。

(木津川で水遊び)

近くのため池『新池』は危険ですので、夏のレジャーと言えば、石清水八幡宮の近くの木津川で泳ぐ事です。
淀川との合流地点に近く、浅瀬が沢山あり子供が水遊びするには格好の場所。当時は、京都南部、北河内の家族連れが訪れる『一大レジャーランド』でした。(と言っても、設備はなにも無い)

兄貴は友人とため池で泳いでいるので、もっぱら姉二人と母に連れてもらい、泳ぎに行きました。自動車のチューブを浮輪にしたものがあったように記憶します。疲れて、帰りは何時も姉に背負われて帰宅したそうです。(二人の姉の証言による、延々と数キロを私を背負い歩いたそうです。)

(浜寺 臨海学校)

姉が公務員でしたので、時折『浜寺』の臨海学校に連れていって貰いました。今で言う民宿みたいな場所で、公務員の家族が泊まれて、水泳指導も受けれる場所です。姉の友人のうるさいお姉さん達に混じり、泊まり込みで数日過ごすのです。関西の女性でしかも、かなり年齢が過ぎた人は『うるさい』。これが、子供の頃の印象です。

早朝に叩き起こされ、海岸の砂浜にあるポールに旗を掲揚する儀式があるのです。何の旗を揚げてるのか記憶には有りません。これで、一日が始まるのですね。当時は、『黒ネコ』という真っ黒な三角の小さな布を付けます。
又は、六尺ふんどしです。これは、真っ白なさらしの布を使います。海水パンツは私が、中学にゆく迄は存在しませんでした。

もう浜寺は工業地帯になったのか、露岸工事か知りませんが、存在しないそうですね。(堺の近く)

(定番 たらい遊び)

真夏の暑さが厳しいと、庭でたらいに井戸の水を汲んで裸で水遊びです。ついでに、冷やしていた、トマトもたらいに入れてかぶりつきながら、遊びます。赤とんぼが目立ち始めると・・・・

夏の終わりがちかずいており、宿題 『夏の友』が気になり始めるのです。

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Blog 4カ月経過

今年3月よりBlogを始めて、4カ月経過しました。

(概況)

・記事 200件
・42メガ消費
・講読 毎日200件・・・・殆ど、身内ばかり。
・コメント・・・・・常連1名(Muさん) 時折、Muさんの常連さんWdさん、羊さん二名。
・添削・・・・・・・梅安さん、Muさんに添削受ける。最近は少し、進歩したとお褒めのお言葉。
・業界へのインパクト・・・まるで無し。無害なBlogらしい。
・嬉しかった事・・・・・73歳の元パイロットの方でラジコン飛行機、マチュア無線の御趣味の方より、何度もメールを
 頂きお知り合いになれた事。

(自己評定)

・記事200件はよく頑張ったと思う。(内容は人畜無害なものばかりだが)
・内容は当初は日本の経済界への提言を含めた実業界を視野に考えたが、全く記事は無し。
 ラジコンと古代史と北河内の昭和20年代後半の田舎の風景描写のみ。
・人間、自分を飾ろうとしても『あかん』事を認識する。毎日1件以上の記事を書こうとすると、大変だ。
・Muさん及び、他数名に『子供の頃の風景』が面白いと評価を頂いたが、多分団塊世代以上でないと判らん時代の風景であるから、普遍性はない。
・本棚の整理が始まる。古代史に絡んで、記事を書く度に本棚の棚卸しが始まった。Blogのお蔭で過去に読んだ本を再読する機会が増えた。古書の再利用が出来てる。
・書く事の難しさを改めて、認識する。Blogは公開が前提ですので、言葉を選ぶ癖がつきはじめた。

(今後のこと)

継続は力なり! ということで続けます。 7月上旬には岩岳、栂池、白馬合宿があり、中旬からヨーロッパ紀行があります。8月は何も予定が有りません。楽しみにして下さい。

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フライBaby 水上機

沖川親爺からのレポートです。

フライBaby 水上機 離水の瞬間

沖川親爺は今は『水上機』に凝りまくりです。

報告では、離陸は成功し飛行のあと、着水で失敗し『フロートが木っ端微塵』という哀れな最後だったそうです。
阿呆やね!

ちなみに、フロートは、電動機ですので、発砲スチロールで出来ているそうです。

なんまいだぶつ。 合掌!!

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海外移住のお勧め

私は日本の国土が好きだ。日本の歴史を愛している。
この素晴らしい、日本人と国土を理解するには海外で一度は移住される事をお勧めする。

(空気は見えない)

当たり前のことは考えませんよね?これが、国際社会では問題になります。例えば、子供がおりこうさんをすると、頭を撫でますが、中東では危険です。頭は神が宿る神聖な場所ですので、他人が触れることは侮辱になります。

一度、異国で生活をすると”WHY”と思う事柄にどんどん出くわす事になります。そこで、日本では何故違うのか?と考えるようになります。そうすると、深い歴史的な背景があることに気がつきますし、異国の文化、歴史を勉強してお互いの文化の違いを理解する事が出来ると思います。

(ブルゴーニュの田舎)

私は米国シリコンバレーで約4年生活しました。米国でも技術の先端の場所です。多くの人々がコンピュータに関わる人々でした。しかし、娘の住むフランスのブルゴーニュで何回か夏休みを過ごすことで又、アメリカとは異なる生活が存在する事に気ずきました。

痩せてはいるが、広大な場所があります、畑を皆さんやります。自分の食料というか、口に入れる物に関して厳格です。無農薬で畑に作物を作り、それを食べます。農業は工業化化して本当にいいのだろうか?基本的な事に疑問が湧きます。子供の頃にたべていた熟したトマト、田圃の畦道の枝豆の美味しい事、根性の曲がった胡瓜の美味いこと・・・・・・・・。日本は世界で二番目の経済大国だそうですが、生活は本当に豊かであるのか?豊かとは何か?美味しい自然の作物を食べれる事が単純な私の豊かさを感じる至福の時です。

(ブランド品とは何か)

米国西海岸でもフランスでも、女性がブランド品を着ているのは見たことが無い。
シリコンバレーでは、女性は安物のペラペラの服を着ています。有名ブランド品などは一度も見たことが無い。
すこし、日本はおかしいと思います。人と差別化するのは素晴らしいことだと思うし、否定しないけど、それがブランド品を身につける事でしょうかね。

面白い話をしましょう、信長は全国を統一始めたがだんだん、恩賞の土地が無くなり始めた。そこで、茶器に目をつけてこれは、山城一国の価値がある茶器であると。その後、秀吉もこれを受け継ぎ、千利休を使いブランド価値を決める存在を作り出し、戦国武将の恩賞に対する対価を作り出した。

(移住の効用)

そうそう、移住の話でしたが、それてしまいました。国際化とは他国を知ることです。それを、認めることです。
それには、一度他国に住んでみないと判らん!のが、結論です。そして、自国の素晴らしさ、悪い所を発見できると思います。私のプロフィールにフランスで住む、MISAYOの日記が掲載しています、日頃の日本人が見た異国のアレコレが楽しめると思います。今日は、父の日、フランスから感謝の電話が有りました。

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プチGeeBee完成

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台風の影響で風強く、週末は飛行機製作に没頭した。
この機体は”プチGeeBee"ファンフライ入門機である。

OS 4サイクルエンジンを搭載し、最小の30クラスを搭載している。
特徴は動翼が巨大である事、舵角が60度という風に大きく舵を切ります。中速以下の速度で飛行し、飛行機を空中で停止させます。エンジンの出力を調整しながら垂直演技をする事が可能なのです。

私は腕がなくて出来ませんが、夏合宿で練習する為に製作しました。
7月初旬に岩岳、栂池、白馬で飛行機を飛ばしている集団がいましたら、”赤とんぼ”です。
合宿が楽しみです。

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黄泉の国の考古学

”黄泉の国の考古学”  辰巳和弘 講談社現代新書 ISBN4-06-149330-2 650円 1996年11月 

(帯情報)
海沿いの洞穴遺跡から出た舟形の木棺は何を意味するか。
古墳壁画に描かれた霊船や太陽や馬は?
”遥か彼方”に他界を見た古代人の心を再現し、考古学の常識を覆す画期的論考。

(目次)

・くつがえる古墳時代観
・舟形木棺の発見
・”籠もり”と”再生”の洞穴
・他界への旅立ち
・船葬論争
・古墳壁画の世界
・天翔る霊船
・霊魂を運ぶ馬
・形象埴輪の思想
・彼の国・常世の国

(死後魂は何処へゆくか?)

さて、死んだあと魂は何処へ行くのでしょう? 葬送儀礼とかお墓の造り方にそれは現れると思います。葬送儀礼とかお墓はなかなか時代が変化しても、保守的で民族は変えようとしません。

遥か海の彼方にあの世がある。天空にあの世がある。山の中にある。 地中奥深くにある。概略以上の範疇に分類されといいます。著者は多くの誌面を割いて船葬を論じておられますが、別に古代人は色んな”あの世観”を持っていたと論じています。

海の彼方であれば、棺桶を船の形にして葬送しますね。今も沖縄ではお盆では先祖が海から来られます。
感動的なのは、子供のお墓で”アジサシ”を抱いて葬送した例が記述されていました。天空の彼方に導いて欲しいのか、又、アジサシのように蘇って来てくれるのを願望したのか、判りません。

(前方後円墳 論考)

氏は前方後円墳について、”壺形の宇宙”説を述べています。始皇帝の時代、蓬莱・方丈・えい州という仙人が棲むといわれる三神山の思想がありました。この三神山は三壺山とも呼ばれそれぞれ、蓬壺・方壺・えい壺と呼ばれた。壺のような形をしていたからだそうです。不死の理想世界は東海に浮かぶ壺形の山であると。

同時に、葺き石を古墳には敷設したので、磐座信仰とも関係が深いと論じています。

(滋賀とある田舎の葬送儀礼)

私の家内の親戚が滋賀の安土近くのとある、村であるが、不思議な葬送儀礼に立ち会う事になった。
20年以上も前の話ですが、親族の男ははだしになり、白の装束にて頭には白い三角の鉢巻をして、棺桶を担ぎ野辺の道を行きます。土葬ですね、最後に墓場では蓋を開け最後の別れの儀礼をして沈めて行きます。

自分の意思で葬式は決める事が出来ますが、さて、葬式は周りの人々がするもんですね。これが難しいです。

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キトラ古墳 頭骨・歯発見

昨日、文化庁は奈良県明日香村のキトラ古墳の石室から、被葬者の頭部のものと見られる骨片と歯が計10点、木棺を飾っていた金具1点が出土したと発表した。

人骨から年齢や性別などが判別する事が期待され、被葬者の特定に近ずくか。
頭骨の破片は最大で長さ3~4センチ、歯は4本で1本は顎の骨がついていた。

木棺の金具は6弁の花びら形で、直径3.7センチ。釘隠しの飾り金具らしく、正倉院宝物の長櫃の金具に似ている。
近くの高松塚古墳でも類似の円形金具が出土した。

(高松塚とキトラ)

さて、歯が見つかれば歯の磨耗状況により年齢が判りますね。骨があればDNAの分析が出来そうです。
30年以上前に発掘された高松塚古墳の被葬者も未だ、未解決です。すぐ近くの古墳ですね。

天武天皇の聖なるラインに位置する皇族もしくは東漢(やまとのあや)氏の地盤です。どなたが、お眠りなのでしょうか?

見事な星宿画が天井にあり、太陽と月の軌道が示され四方の壁には四神が描かれ”黄泉の国”の世界で眠るお人はどなたでしょうか?

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熊造はん今日も出陣

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早朝、5時30分から鶴見川で飛行機を飛ばして、帰宅すると熊造はんが出陣準備中。

このせんせは大型ガソリンエンジン機を飛ばしてる親爺である。
写真は、80CCのガソリン機の胴体である。後が、デカGeeBeeのグローエンジン機の一部が見える。
このガソリンエンジン機は重量13Kgだそうです。先日、トルクロールで地上の草をラダーで掃除して遊んでいたら、墜落したそうです。

このおじさんは、”熊造”はんと言いましてラジコン歴35年のベテランどす。
最近は、相模原の米軍飛行場で米軍の戦闘機乗りと一緒にラジコン飛行機を飛ばしている。

私も勧められているが・・・・・。

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まっか瓜は何処へ

昭和20年代後半の夏の畑の風景です。
自宅の家庭菜園の様子は以下のようであった。

(家庭菜園 風景)

・胡瓜・・・・・棒を建てて胡瓜の軸を固定し、根性の曲がったような風体の胡瓜がぶら下がる。真っ直ぐなもの稀有。

・トマト・・・・・大きさは不揃いであるが、井戸で冷やした真っ赤なトマト。かぶりつく、じゅわ~~!美味い。

・西瓜・・・・・こいつの世話も結構面倒臭い。受精もせんといけないし、お尻に藁の座布団を敷いてあげないとお尻が真っ白になる。これも、井戸で冷やして車座の真ん中で割る。銀色というか黄色の西瓜もあったな。

・茄子・・・・・あまり好きではなかったので、印象が少ない。ヘタがトゲトゲで注意が必要でしたね。

・枝豆・・・・・今より遥かに美味しかった。

・まっか瓜・・これが私の最高の御馳走でした。黄色くて楕円形で香りが強く、とにかく甘い。一番美味しいのは種だらけの内臓みたいなやつ。大人は面倒なので捨てるので、それを回収して食べていました。21世紀の今、何処へ行ってしまったんでせうか?私は、マスクメロンより好きです。

・へちま君・・こいつは食べれないけど、子供にとっては相棒のような関係でしたね。”へちまコロン製作”では茎を切り瓶に切り口を差し込み、へちま君の美容液を収集する。巨大になれば、それを乾燥させて水に漬けて、最後に種を多量に回収する。そして、お風呂のタワシになる。

夏の畑は本当に、子供にとり ”高級レストラン”でありました。

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水鏡の塔 匠魂

法隆寺は好きです。(故)西岡常一棟梁はもう伝説の人になりました。彼の書かれた本、及び、彼に関わる本を読むにつけ何時も、感動を受けます。

(水鏡の塔 薬師寺東塔)

常一棟梁は子供の頃に、祖父の常吉棟梁に連れられ、薬師寺を訪れた。
西塔は16世紀に筒井順興の戦乱で焼け落ち、今は礎石と舎利孔が残存しているだけである。その孔に溜まった水に映る東塔の姿は薬師寺の最高の眺めと言われていた。

祖父曰く『薬師寺東塔は水に映る五重塔が水面が揺れる姿、各層が大きくなったり、小さくなったりする、美しい。それを見事に三重塔プラス裳こし、六重の塔にみえる美しい塔をつくったんや。』

この常一棟梁は遂に、この薬師寺西塔を再建する事になった。今は、二つの塔が並んでいる。

(宮大工の誇り)

宮大工は民家を建てない。自分の家も自分が設計すると五百万以上かかる。大工なら三百五十万で出来る。百年もつ家はいらない、二十年持てば良い。徹底した宮大工の誇りを祖父、常吉棟梁から学んだ。

私は彼の生きざまを知るにつけ、物作りの基本が彼の言動、行動、哲学にあると確信している。飛鳥時代の匠が建造した法隆寺にはそれを乗り越えるのは尋常ではない。しかし、木は永遠の命ではない、後世の匠が補修しなければならない。補修するには、飛鳥時代の匠の技量を越えるか、同じレベル迄達しなければ出来ない。

物作りは私の経験でも、頭でだけ考えても物は出来ないと思う。物に触る事が大事である。木に触れる事で全ての五感で感じる事が大事と思います。エンタシスの柱を触れば、槍カンナの削ったぬくもりが伝わります。

(霞が関ビル)

私の事務所は霞が関ビルの近くにあります。日本最初の超高層ビルは法隆寺の五重塔の柔構造に学んだ。
これは、有名な話ですね。クラゲを積み重ねたようにすれば、地震が来ても破壊されない。技術は進歩するが発想は古代の匠に学ぶ事が多いのですね。

私は法隆寺が好きです。総てが好きであります、それは千年も二千年近くも法隆寺を守る人々に支えられて存在するからです。それは何だと思われますか?

西岡常一棟梁関連資料:
・『木に学べ』 『法隆寺を支えた木』 『斑鳩の匠・宮大工三代』 『蘇る薬師寺西塔』
『古寺再興』 等々

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自由が丘 金田

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自由が丘”金田” 山口瞳さんが愛したお店です。
二階には山口さんの、記念の書もあります。
自由が丘は昔、今のように若い女性が集まる上品な場所だけではなかったようです。

作家連中が集まり、肩と肩を寄せ合うワイワイ、ガヤガヤの居酒屋がありました。

このお店は本当に美味しいです。

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酒学校60周年

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平成八年 ”金田酒学校” 60周年記念。
生徒一同より。 歴史です。

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下駄と草鞋(わらじ)

下駄と草鞋は世界広しといえど日本独特の稲作文化の結晶である。

(基礎知識)

下駄は元々が『田下駄』と申しまして、田圃で足がズルズル沈んで行かんように、開発されたそうな。考古学では弥生時代の田圃遺跡からこの、田下駄が発掘されている。

草鞋も原材料が稲ですから、これも田圃と関係が深い。稲刈りのあと、藁を叩いて柔らかくして縫い上げてゆく。軽くて滑らずによく出来た履物である。

(登山用具でもある)

山登りで沢登りを行う場合には草鞋を今でも使います。岩に付着したヌルヌルの苔に足を取られるのを、防止する為に草鞋を靴の上に履きます。滑りません、よく出来たものです。軽いし、携行に便利だし、使い捨て出来るし本当によく考えられた代物です。

(下駄の歯)

元々は田下駄には歯が有りませんでした。しかし、田圃の中で滑るので誰かが歯を付けたんでしょうね。そして、不精者がその儘、自宅迄陸上を歩き始め、『これは、便利。地上でも使える』と発見されたんでしょうね。

天狗が何故一本歯か私は知らない。多分、トンデモ説としては武芸の訓練の為でしょうね。大学時代に柔道部の連中が鉄下駄を履いて粋がっていましたが、同じような部類ではないでしょうか。それとも、中世の頃の市井の絵を見ると一本歯の高下駄履いている人がいますので、風習があったんでしょうか。

(靴は騎馬民族の文化)

さて、目を世界に向けると靴ですね。これは、元々が騎馬民族が乗馬で使用したんではないでせうか? 確かでは有りません、モンゴル帝国がヨーロッパ迄版図を拡げてから、北欧の木靴などが出来たのではないでしょうか。

司馬さんの説では、バックルの発明は騎馬民族だそうです。日本の古墳時代のお墓からは馬具とともに出土します。高温多湿の日本には向かない履物ですね。だから、日本人は水虫の人が多い?(不確か情報)
そうそう、ついでですがボタンの発明も騎馬民族だそうですよ、これは確かな情報です。

(オリンピックの夢)

日本のアスリートが草鞋を履いてギリシャで活躍する。世界中のメデイアがこれを報道する。如何に日本の伝統技術が素晴らしいか?
そして、表彰台に下駄を履いて登る。素晴らしいですね。

子供の頃には沢山あった下駄屋さんがめっきり少なくなりました、寂しいですね。

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洞ヶ峠 の想い出

『洞ヶ峠』 子供の頃、小学校の年中行事の兎狩りや、近所の農家の友達と山遊びをした場所です。

(その頃の洞ヶ峠付近)

昭和20年代も終わりの頃の状況です。
友達に農家の子供たちが多く、洞ヶ峠近くの山によく遊びに行きました。

・百合の根堀り・・・・・茶碗蒸しに使う食材として
・柿取り・・・・・・・・・・竹の先に二股をつけて枝を挟んでくるくる廻す。柿の木は脆いので登るのは厳禁!
それでも、悪ガキは言う事を聞かず、柿の木に登り枝が折れてよく墜落した。
・芋堀り・・・・・・・・・・薩摩芋、馬鈴薯を堀りにでかけた。薩摩芋を食べると何時もお腹が弱く、熱をだした。
・竹の子堀り・・・・・・農家の親について行く、早朝でなければならない。鉄の棒の先が少し歪曲した道具。
日本でも有名な竹の子の産地であったと思う、美味である。
・松茸狩り・・・・・・・・当時は松茸が沢山採れました。これも親に同伴してもらう。
・枝豆取り・・・・・・・・普通は田圃の畦道に保水用の為に植えました。山の畑でも枝豆、そら豆はありました。
当時の枝豆は大層美味しいものでしたね、根につく球根が今とは違います、今は不味い。

・木苺取り・・・・・・・・木苺が豊富にあった。畦道には蛇苺もありこれは食べなかった。
・桑の葉取り・・・・・・箱の中で蚕を飼育して蛾になる迄生育させ、桑の葉を餌としてあげる。楽しかった。
・かぶと虫・・・・・・・・クワガタ、かぶと虫を取りに、山に入る。夏の昆虫採集の為。誘蛾灯にも飛んできた。
・霞網で補鳥・・・・・・霞網を仕掛けに山に入る。別に、鳥を食べた訳ではない。
・黒竹取り・・・・・・・・兎狩とか喧嘩用に根っこがついた、黒竹を掘る。 根は肥後守の小刀で成形し、焼く。

(順慶あれこれ)

洞ヶ峠は大和の守護である筒井順慶の日和見で有名ですね。本当は光秀が洞ヶ峠で順慶が味方につくのを、待っていたんだが可哀相に、日和見の代名詞にされてしまつた。彼の先祖は元々興福寺の僧兵であり、父である順昭が大和守護代となる。
父が死んだ時に、父の死を隠し琵琶弾き僧である『木阿弥』を影武者とした。ここから、『元の木阿弥』という言葉が生まれた。

筒井順慶、陽舜坊順慶は学識深いインテリ大名でありましたが、36歳で若死した。

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古代大和と河内

『日本の歴史』 03巻 大王から天皇へ 熊谷公男 講談社 ISBN4-06-268903-0 2200円

(ヤマト・河内の古墳分布図) 白石太一郎氏作成図

古代のヤマト・河内の地図を見ていると大和盆地が昔は湖であったであろうと思えるし、今の大阪市は河内湖の底であり殆ど大阪は海底である。木津川と巨椋池、そして鴨川が合流し淀川となる。この川と湖の廻りは殆ど、何処が川か判らん状況であった。

高台は石清水八幡宮のある男山から南に続く丘陵地帯、京阪奈丘陵、生駒山、葛城、二上山と続く高台が河内の海と大和の湖にはさまれて存在しているようである。縄文の頃から初期弥生の時代には未だ土木技術と鉄による耕作道具が無く、この低湿地帯は人間が住めそうにない。そんな、気持ちにさせます。

それを、裏付けるように古墳群を見てみると丘陵と低湿地の境界に存在する。
大和・柳本古墳群は大和盆地の東南丘陵に、北の丘陵に佐紀古墳群、西南丘陵に馬見古墳群、河内側では東南に古市古墳群、西南に百舌鳥古墳群、河内湖の北に三島野古墳群である。

(トンデモ仮説)

エジプトのピラミッドの建造をみるとナイルの船着場の近くの高台に建造されている。日本の巨大古墳の建造も巨石の運搬が必要でした。石室の巨石、膨大な葺き石、等々。従い、これら古墳群のある場所は必ず近くに船着場が有るはずである。地図を見る限り、低湿地と丘陵の境界に古墳群が存在する。

(鉄器の到来と稲作土木技術)

崇神天皇の時代より、鉄器の耕作器具と水路を整備し、干拓し、稲作地を低湿地に開墾始めたのではないでしょうか。大和川を整備して大和盆地の水を河内平野に逃がし、大規模な大和の干拓と稲作を開始した。
渡来系の技能集団が開拓したのではないか、と、想像されますね。
出雲族は鉄と航海に長けた民族ですが、それ以外の渡来系、稲作技能集団が大和に入植したんでしょうね。

(京都は加茂氏、八坂氏、他渡来系氏族)

京都は同じく、低湿地でした、大和に遅れて干拓が始まりました。桓武天皇が遷都される頃には充分に整備が完了していたんでしょうね。

私の生まれ育った枚方(潟)、牧野の渚、樟葉、このあたりは以前のblogで記述しましたように、淀川、木津川、巨椋池、鴨川、の合流地点であり、水路を使った交通路の要でした。

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筒のルーツは海人族

私の母と親爺は共に、先祖は海人族である事が判明した。
母は渥美半島の渥美藩でその後、山形に移封され、旧姓は”渥美”である。霞町育ちであり、昔から渥美=安曇であり出雲と同じ海部族の子孫である事は判っていた。

(親爺は佐賀、唐津の海外貿易商)

親爺は江戸時代から海外密貿易を生業とする家系で、明治の親爺の時代も裏庭に貿易船が入ったという話を本人及び、書生であった人々から話を聞いていた。名前は”筒井”である。

(筒の起源について)

谷川健一先生の”日本の地名”によれば、筒は海人族であると。しかも海人族の親玉だそうです。
先生の論旨を纏める:

・古事記によればイザナキはイザナミの黄泉の国から帰り、水の底で身をすすぐと、綿津見(わたつみ)神が生まれた。これは、安曇連の祖神である。次に、筒之男命(つつのおのみこと)が生まれた。墨江の大神である。
・筒之男命の正体は、イザナキが奥さんを死に至らしめたカグツチを斬つた時に剣の先からしたたり落ちた血から生まれた磐裂神、根裂神、磐筒男命である。
・すなわち、雷神または、剣の神の類縁である。ところで、雷神は蛇神でもある。
・黄泉の国にいるイザナミの死体の周りに八つの雷がいた。ツツも又、円筒形であるところから、筒之男の筒は雷=蛇である事がわかる。
・日本各地の筒の地名と古事記、万葉集の歌の分析が続いて雷神=剣神=海神=筒神 と導く。

昔より、父の故郷と生業から海人族の末裔ではないかと思っていたが、谷川先生の分析で海人族である事がわかり両親ともに海人族であり、私は正真正銘の海人族の末裔である事ガ判明した。

みなさんも、自分のルーツを探る旅にでませんか?

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竈あれこれ

皆さん、と言っても団塊の世代か田舎で育たれた皆様にですが、『竈』有りました?
私の田舎にも土間に竈が数個有りました。

(東と西の風習)

東日本は竈の傍の柱に『竈神』の張り紙か、天狗の様なお面がありましたよね。ひょっとこ面のほうが表現として適合でしょうか?

西日本では『荒神様(こうじんさま)』と呼んでいますね。中国地方では陰陽師の関係か『土公神(どくうじん)』と呼んでいるそうですね。

(火の神)

弥生の頃には百円ライターもないし、火をおこすのは大変でしたでしょうね。『竈』の火を絶やさずに維持しなければならずに、大変でした。

京都では大晦日に神社にお参りして、神社で火縄に火を貰い、クルクル廻して自宅に持ち帰り、竈に新しい火をおこします。年末行事ですね、稲作では自然のサイクルに生活を合わせ、自然に逆らわない。大晦日で年次決算を行ない総て水に流す。108の煩悩も総て無かった事にしましょう。考えてみると、気楽な人生観ですね。

そうそう、竈でしたね、昔は竈の数が家の富と関係が有りました。沢山の竈があるお家は金持ちなのですね。
貧乏な家は竈が一つ。DASH村には何個有りましたでしょうか?

東日本は囲炉裏の文化ですから、自在鉤が上から吊るされていますね。この前のDASH村でも制作していました。
あれに『魚』の彫刻したものを使いますね。何でしょうね。
谷川健一さんの説では、よく魚の絵はその発音から富を連想させ、(中国から伝わった思想で)豊かな家庭を招福する縁起ではないかと。中国語で魚と富の発音が似てるそうです。(確か谷川さんだと思う?記憶曖昧)

東日本のひょうっとこ面は何でしょうね? トンデモ説としては『製鉄の民』の顔ではないでせうか?
顔をまっ赤にして、口を尖らせて火を吹く、目がまっ赤・・・・・・これは、製鉄と関係がありそうですね。

奥州一ノ宮である『塩竈神社』に昔、拝礼したが、この神は奥州の人々に塩の作り方を教えた人をお祭りしてるそうでした。

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水上機 紹介

私の同期の友人に沖川さんがいます。
彼は、
グライダーの専門家でして、同時にサイレント・フライトのクラブも運営されています。
『サイレント・フライト』とは、エンジンを使用せず、モータを動力として、静かなフライトを楽しみます。

最近は、彼、水上機に凝っていて、発砲スチロールからフロートを制作します。
是非、ご参考に。

沖川さんのHP 水上機

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日本の地名

”日本の地名”  谷川健一  岩波新書 ISBN4-00-430495-4 1997年4月 初版

(帯)

地名に秘められた名もなき人びとの物語。

地名は、それに接する物に顕微鏡をのぞいてはじめてわかるようなミクロの世界を提示する。
(・・・・・・)地名はこのように”いと小さきもの”であるが、一方それは大きな世界とつながっている。
ここに地名の逆説があり、それこそが地名の最大の魅力でもある。

(目次)

第一章 地名の旅・・・・黒潮のながれに沿って

第二章 地名と風土・・中央構造線に沿って

第三章 地名を推理する・・・白鳥伝説の足跡を訪ねて

 ・こふの原
 ・物言わぬ皇子
 ・足を痛めた英雄
 ・金屋子神のゆくえ
 ・鳥取という地名
 ・北の白鳥伝説

第四章 固有地名と外来地名・・・・”波照間”論争をめぐって

結語

民俗学が御専門の先生ですね。古くから残る地名を頼りに歴史の旅に出る。今は市町村合併とか明治の時に県の名前ももうすこし歴史を踏まえた、ネーミングがされていれば・・・と思います。静岡県?駿府県の方がいいと思うし、福島県もなんやろね?概ね、明治政府に反抗した地方は今だに県の名前も県庁所在地も徳川時代のものから変更された。

本から外れてしまいましたね、第三章だけ詳細な目次を掲載しましたが、私もヤマトタケルには興味があり、応神天皇から始まる河内王朝と卵から生まれた伝説を持つ、同じく物部氏の関係について面白く読ませていただいた。

物部氏と出雲の鳥取(とりかいべ、飼鳥部)とその一族の東日本での活躍の史跡、そして東北地方一帯に広がる白鳥伝説の跡。

著者が述べておられますが、小さな地名を顕微鏡で覗けば雄大な歴史ガ見えてきますね。

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今日も墜落

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今日は四度目の初飛行、未だ”スカイビンボーJr"は飛んでいない。
どうも、エンジンの調子が悪い。しかし、離陸させた。

(エンジン 停止)

離陸はしたが、方向を変える態勢に入ると、エンジン停止。鶴見川の上空である。何とかゆっくり旋回して
滑走路の方に誘導しようとする。

(オオブタクサの茂みに墜落)・・・葦ではなく、オオブタクサだそうです!

川に落ちたか、岸の葦の茂みに墜落したか?微妙であった。急いで、橋を渡り、対岸から川に墜落したかどうかを確かめる。幸い川には墜落していない。

葦は2メータを越えるブッシュの状況であり、其処までたどり着くのに沼状の湿地帯を泥だらけで渡る。
膨大なブッシュであり、ほぼ諦める。
が! 気を取り直して送信機を持ち、サーボモータを送信機から動かし、かすかな飛行機のサーボの音を頼りに捜索を開始する。

根性やね~~、遂に、サーボの音がかすかに検知できた。回収成功でありました。泥だらけ、傷だらけ、あ~不調なり。

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プチGeeBee 組み立て完

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こいつが、神戸のホクセイモデルから取り寄せた、”プチGeeBee"花火というファンフライ機の生地です。
妙な格好してますね、90度機体をロールしても胴体が翼のようになるから、ナイフエッジ飛行も楽です。
それでは、皆さん期待してください。

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プチGeeBee 到着

二週間前にインターネットで注文していた、飛行機が到着した。

(プチ GeeBee ファンフライ機)

以前、Muさんが不思議な飛行機だと言われていた、”空飛ぶ ビヤ樽”が実機。
そいつの、板プラ版のファンフラ機 ”プチGeeBee 花火”が到着。

こいつは、殆ど完成している飛行機で模様が花火が打ちあがったようなデザイン。
こいつに、OS 4サイクルエンジンFS30を搭載する。Blogやる暇が無い。
昨日、嫁はんに内緒でサーボ・モータも仕入れ、へそくりも底をつきそうである。

(来週には飛ばす)

こいつは、夏合宿で飛ばす予定であるが、来週から試験飛行を行う。
あ~~その前に3回も試験飛行して、飛ばない縁起の悪い飛行機もあったな。

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草原の記

”草原の記” 司馬遼太郎  新潮文庫 ISBN4-10-115237-3 400円  平成7年10月 初版

(扉)

史上空前の大帝国をつくりだしたモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。

少年の日、蒙古への不思議な情熱にとらわれた著者が、遥かな星霜を経て出会った一人のモンゴル女性。
激動の20世紀の火焔を浴び、ロシア・満州・中国と国籍を変えることを余儀なくされ、いま凛々しくモンゴルの草原に立つその女性を通し、遊牧の民の歴史を語り尽くす感動の叙事詩。

司馬さんとツベクマさんとの出会いから、彼女の過酷な歴史を振り返り、司馬さんは彼女に惹かれてゆく。
彼は13世紀に世界を制覇した、オゴタイ・ハーンと現代のツベクマ女史を対比させ、不思議なモンゴル民族の歴史を愛情と憧憬をもち語る。

常に風の如く暮らし、奇跡的なほど欲望すくなく生きてきた民族に惹かれる作者があります。
私達、日本人のDNAには少なからず、このモンゴルの民族の一部が入っています。

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日本人とは何か

”日本人とは何か”  日本の古代 別巻 岸 俊男・森 浩一・大林太良 編 中央公論社   ISBN4-12-402549-1 2200円  1988年10月 初版 

監修
貝塚茂樹 江上波夫 司馬遼太郎

1.東アジアのなかの日本民族の形成と文明の曙
 ・・・・・・・江上波夫

2.日本の文字文化を銅鏡にさぐる
 ・・・・・・・森 浩一

3.王権の系譜ーーー大嘗祭と磐井
 ・・・・・・・大林太良

4.万葉挽歌の世界
 ・・・・・・・和田 卒

5.古代日本人と銭貨
 ・・・・・・・栄原永遠男

6.日本古代の人口
 ・・・・・・・鎌田元一

7.日本のなかの律令制
 ・・・・・・・狩野 久

8.古代史と身辺雑話
 ・・・・・・・司馬遼太郎


実は日本の古代 全15巻 が編纂された。しかし、これは最後の別巻として”日本人とは何か”という学者の世界だけでは解決出来ない未来に向った、というか、若者にまだまだ、判らん事ばかりだよ~~~と、呼びかけた記録である。

日本人を考えることは簡単ではない、複雑な民族の移入の連続であり、私が考えるにユーラシアの東の終着点であり且つ、融合しなければ生きてゆけない、他に行く所が無い世界でした。
このように、大陸では考えられない終着点の環境が日本人の精神構造と社会システムを作り上げて来たと考えます。

この別巻はそういう意味で、変な、学問とは少し距離がある本として作らざるを得なかったようなそんな本でした。

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異国での注文方法

私の実体験の失敗談からの教訓をお話しします。

(米国赴任 初日)

サンノゼに赴任しました。先ず、自宅を決める迄は安モーテル住まいです。性癖の悪い先輩がいると”Water Bead”の部屋を予約されたりして、夜はプカプカして眠れんおしおきの洗礼に会います。
私の場合は素晴らしい、紳士の先輩連中でしたので、免れました。さて、晩飯を一人で食べに、出掛けました。

(安そうなレストランに入る)

とにかく、高級なレストランは敷居が高いので、適当に安そうな、うらびれたレストランに入りました。

(メニューは 見知らぬ文字)

ミミズがニョロニョロ這ったような、変な文字のメニューなのです。廻りを見渡すと中東のイラン・イラクというか遊牧民なのですね。私は、”English Menue”プリーズと言いましたが、かぶりを振ります。
しょうがないので、適当にメニューに指をさして注文した。相手は変な顔をしましたね。

(生の玉葱 コロン)

本当の話です。お皿に生の玉葱が一つ、そのまま、剥いたものがコロンと出てきました。

(教訓)

メニューが判らん時は、廻りを見渡し、よさそうなものを食っている連中のお皿を指で指して、”あれ くれ” と言いましょう! 間違いないです。玉葱コロンよりましです。

これは、本当の実話です。恥を忍んで書きました。

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杜甫の 旅

『杜甫の旅』 田川純三 新潮選書 ISBN4-10-600435-6 1200円 1993年4月 初版

(帯)

生涯を旅に終えた漂泊の詩人杜甫。その旅は、例えば安禄山の乱を避け、
妻子を伴って長安を脱した黄土の道で、泥濘に足を取られ飢えと寒さに
見舞われるなど、艱難多いものであった。
それから、千二百年後、黄河取材をはじめとする、度重なる私の中国の旅
のなかで、杜甫の旅は他人事ではなくなっていた。
そして今、中国理解の為には何よりも歴史と現代の対話を、と心がけている
私にとって、杜甫はたしかで手ごわいキャッチボールの相手となっている。

田川純三

・終始中国関連の番組を多数手がけ、『シルクロード』、『大黄河』の二大
特集番組のチーフデイレクターをつとめた。
・平成元年退局し、静岡精華短大で中国文化史、中国文学を講じた。

シルクロードも大黄河もともに大好きな番組でした。デイレクターが番組を現場
で指揮する役目です。 その人が杜甫の恵まれない人生模様と彼を取り巻く
中国の歴史を描写して、そして、その時の気持ちを表現した、『杜甫の詩』を
記録した。

楽しませて頂いた本です。

(春 望)

国破山河在 国破れて、山河あり
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濯涙 時に感じて花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金にあたいす
白頭掻更短 白頭 掻けば更に短く
揮欲不勝簪 すべて 簪にたえざらんと 欲す

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幻のケルト人

”幻のケルト人” ヨーロッパ先住民族の神秘と謎 柳 宗玄・遠藤紀勝  社会思想社 ISBN4-390-60370-1
5800円  写真集

(帯)

ヨーロッパ文明には二つの流れがある。
誰もが良く知るギリシャ・ローマの文明と、
今だに謎に包まれたケルト人による文明の流れである。

ギリシャ・ローマの古典文明は、文字による記録や文学を数多く
残したが、ケルト人は文字を持たず、彼等の歴史を全く書き残していない。
又、地中海の文化が”石の文化”であるのに対し、ケルト人の文化は
基本的に”木の文化”であったため、それは時を経て姿を消し、
幻と化してしまった。

しかし、地中から発見された金工品や陶器、後代のキリスト教美術
に参入して花開いた写本画など、いまもかろうじて残る彼等の足跡から
神秘の古代人ケルト族の姿を垣間見ることが出来る。

(西洋文明の二つの根)

古代ギリシャ・ローマの文明に対してケルト文化が存在する。
もともと、ドナウ川の北方、アルプスの北方、イベリア半島などに
居を構えていたスキタイ、ケルトイ、イベレスなどの諸民族である。

現在は、ケルトの伝統が、息ずいているのはアイルランド、スコットランド
、ウエールズなどに神話が残る。

(私の興味)

私が関心があるのは二点である。
(1)巨石文化特にストーンヘンジ と日本のストーンヘンジ及び磐座信仰

(2)ヨナヌキ音楽の共通 ・・・・・日本の明治の小学唱歌とスコットランド民謡、日本の流行歌はヨナヌキである。
      今でも音楽歌謡界のプロの世界ではヒットを飛ばしたい時、使う奥の手とか?

この民族は遊牧民ではないか?遥かユーラシアと繋がる民族ではなかったか?私の仮説です。

注:ヨナヌキ音楽とは西洋音楽に対して四番目の音階ファと七番目の音階シが抜ける事を言います。半音階が
  抜けるというか、存在しない。

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ラジコン 潜水艦

何方かが、ラジコン潜水艦に御興味がおありでしたので、御紹介します。
どの様に制御してるか判りませんが、一応商品がありました。

参考 通信販売Web

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神話の島 沼島(ぬしま)

淡路島の南に小さな,神話の島『沼島』がある。学生時代には夏に遠泳訓練の為にキャンプを張った。

(神話の島)

日本書紀、古事記によれば淡路島が最初に出来た事になっています。しかし、実はこの『沼島』が最初に出来た島であると伝説があります。

(おのころ神社)

山全体が御神体でありますが、天地創造をされたイザナギ、イザナミさまを祭神とされています。

(奇岩多し)

海岸には奇岩が多く、『龍宮の表門』と呼ばれる、高さ30メートルの槍の穂先のような岩が特に有名。

(遠泳 訓練)

船を出し、遠泳の訓練を行います。特に、夕方からの遠泳は幻想的であり、指の間が夜光虫の為に水を掻く度にキラキラ光輝き素晴らしい。 まさに、神話の龍宮城の海で泳ぐ感覚になります。

参考Web 沼島(1)

参考Web 沼島(2)

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張継 『楓橋夜泊』

張継 『楓橋夜泊』

月落烏鳴霜満天 月落ち烏鳴き 霜 天に満つ
江楓漁火対愁眠 江楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外の寒山寺
夜半鐘声到客船 夜半の鐘声 客船に到る

注: 霜は当時空から降るものと考えていたそうですね。寒山寺は有名です、拾得はんが住んでいた。
姑蘇は蘇州の古い名前

この、漢詩は中学か高校の教科書で学んだ筈ですが、私の母方の叔父さんの床の間に飾られており
印象が深い。

この叔父さんは戦前に上海に15年の長きに渡り、武田薬品の現地責任者として滞在していました。
蘇州は芸者さんが美人で『蘇州芸者』は京都の祇園の『芸者はん』と遜色無しと。
話は戦前の話ですから、皆さん信用しないで下さいね。

私はこの七言絶句の詩が好きで、高校生の頃叔父さんの床の間の掛け軸(多分石碑の拓本)
を一気に歌うと、嬉しそうな叔父と叔母の顔がこちらを向いていました。

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日本にも指南車は存在した

『古代史を語る』 朝日新聞社編 朝日選書450 ISBN4-02-259550-7 1442円

その中で『指南車』に関する記述があり記録します。

山田慶児(やまだけいじ) 京大人文科学研究所教授から国際日本文化研究センター教授

『古代技術点描』 失われた先進技術
斉明天皇四年(658) 沙門智諭(しゃもんちゆ)が『指南車を造』った。
天智天皇五年(666) 倭漢(やまとのあや)沙門智由(しゃもんちゆ)、指南車を献ず。

『この二つの記事は、指南車の用途からみて、同じ事柄を誤って二度記録したものであろう。指南車は天子の車馬行列用の車であり、はじめから献上を目的としていたからにちがいないからだ。ちなみに、指南車のほかに、車輪の回転数によって里程を刻む記里鼓(きりこ)車、漏刻(水時計)を積んだ漏車も加えられるのが、その車馬行列の慣例であった。』

実は、昨年10月1日に(株)シナンシャル・システム・コンサルテングという会社が設立され私は社長になった。
シナンシャルの語源は『指南車』からとり、同時に業務の内容から『Cyber Financial』の意味も込めて『Cynancial』という新しい言葉を創成した。

中国の古代より天子の軍団には常に南を指す車が存在し『指南車』と呼ばれた故事に由来する。
目標の無い大平原での戦い、霧の中の戦い、軍団が方角を間違わないようなランドマークを、精巧な歯車技術を駆使し制作して実際使用していたそうです。

同時に、風水の思想によれば、南は吉の方角であり気が流れる方向である。気に乗り軍団は戦う天子の軍という意味もあります。

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ミュンヘン博物館

今は昔、ドイツのジーメンス社との協業の仕事をしていた頃、真冬の二月にミュンヘンを訪問した。辺り真っ白で何も見えない空港に降り立った。仕事のあと暇な時間にイザール川中州に聳える博物館を訪問した。

(分厚い鉄板に大砲の弾頭)

いきなり、厚さ30~50センチの鉄板に弾頭が突き刺さったものを見せられた。如何に、ドイツの鉄は凄いか! ハイハイ!
次は、Uボートの輪切りの展示である。 しかし、やる事が大胆である、船首から船尾にかけて真っ二つに輪切り。
戦闘機も沢山展示してある。第二次大戦の頃、この博物館から少し離れた場所にBMWの本社があり、エンジンのシリンダーの形をした円筒形を数個束ねたようなビルがある。ここから、日本迄高速艇のBMWエンジンを運んだ。日本の技術屋はそのシリンダーとピストンの製造技術と正確さに驚愕したそうです。とにかく、ドイツ人は技術を自慢したい模様である。

(V2ロケットもある)

有名な、ロンドンを狙ったV2ロケットの展示がある。フォンブラウン博士はその後宇宙ロケット迄開発する事になる。
戦後の自動車の展示も面白い、まるで、飛行機みたいな自動車が多い。前二輪後ろ一輪とか・・・。
多分、飛行機の設計者が戦後平和な自動車の設計をする事になったんでしょうね。日本は新幹線の設計ですね。
参考Web1
参考Web2

恐竜も沢山いたし、とにかくばかでかい博物館である。出来れば、夏に訪問したかった。なぜなら、近くのイザール川ではヌーデイストが集まる場所が有るらしい(駐在員のはなし、20年前)。

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屋久島の思い出

大学時代、春合宿で九州最高峰『宮ノ浦岳』に登山をした。この山は海抜零メータから一気に2千メータ近く聳え立つ特殊な山である。縦長の日本列島の季節をこの山は自分一人で実現している。
そして、三千年、四千年と生きてきた屋久杉は遥か鹿児島の南方海上から日本人の歴史を見下ろして来た。

(残雪豊富な花之江河)

屋久島は月に40日雨が降ると覚悟をして登山したが、春三月というのに雪に見舞われ、おまけに雪だらけ。
花之江河(はなのえごう)で沈没する事になった。廻りの杉は白骨化しておりこれを、枯存木と言うらしい。気持ち悪い風景である。過酷な環境でよくま~数千年も生きているんや? 不思議である。縄文杉は今は囲われて、触れないが35年前は自由に触れた。こいつは年齢が判らん、三千年から七千年という説がある。ウイルソン株なんぞは多分もっと生きていたんやろ。土地が痩せているので、生きるのは大変だと思う。しかも毎日雨とか雪ばかり、のんびり日本列島の人間どもの阿呆な暮らしを見聞してる暇が無い。

(安房 温泉につかる)

宮ノ浦岳から鹿児島を見下ろそうとしたけど、元々無理な話だそうで、且つ、雪に見舞われ早々に下山した。
安房の海岸で幕営する事になり、海岸を歩いていると、なんと、引き潮になると温泉が出来る。
パーテイ全員で裸になり、岩間の窪みに出来た温泉に入り、登山の疲れを癒す。
阿呆な魚もいるもんで、引き潮の時に逃げ後れたやろ、プカプカ浮いとる。夕闇せまる時刻である、この安房の海岸は屋久島の東南にあたる場所である。
突然に、ドカドカと地元のおばあちゃん連中がこの狭い、我々純情な学生が入っている場所に裸で来られた。
これは、まずい、全員逃げる事にして一目散に関わらないうちに脱兎の如く逃げた。後ろからおばあさん連中の声がした。

私の家の箪笥は全て屋久杉である。今はもう買いたくても買えないと思います。毎日いい香りが布団の枕元からする。

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夷の狸のお話し うなぎの風俗

以前に巣鴨の狸村で夷の狸”てつ坊”のお話しをしました。気になる事を言っていたので、メモります。

(うなぎ基礎知識)

先ず、うなぎの料理作法として関西では腹を割く。関東は武家国家なれば、腹切りを嫌い背から割く。
たれは両国ともに変わらないが、関西は勿論純粋大豆より製造される醤油であるが、関東は野田,銚子の小麦粉が混ぜられた醤油である。数十年甕に新しいたれを継ぎ足しては使うのも同じ風習である。

(北海道にもうなぎは存在した)

私は、うなぎは赤道近くの深海で成長してそして又、故郷の川に戻ると聞いている。このあたりは鮭とか鱒の習性と似ている。しかし、うなぎは西日本と関東、東北あたりまでしか存在しないと思い込んでいた。しかし、実は北海道にもいるそうです。子供の頃の思い出話をしていると、彼もうなぎ捕獲をしていたらしい。

(左側通行である)

どうやら、北海道のうなぎは川を遡上する時は左側のみを通行するそうである。従い、川での仕掛けは左側にのみ仕掛けるそうです。関西方面では聞かない風俗である。

皆様の土地では如何でせうか?

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招堤村のJo君大いに遊ぶ

敗戦から10年経過 、日本も復興への兆しが見えはじめJo君の田舎も明るさがみえはじめていた。
廻りが田圃に囲まれたのどかな村で少年達はいろんな遊びをしていた。少し、覗いてみましょう。

(ポンポン船)

神社の夜店では『ポンポン船』が少年達には人気が高かった。ブリキで出来た小さな船で小さなローソクを釜の下に設置すると、片方の管から水を吸い込み蒸気と共に片方の管から吐き出す。ブリキの釜がペコンペコンとリズムよく膨張収縮し船を推進させる。文明の凄さに感動するのであった。時折、ザリガニを船に乗せたり、蛙を乗せたりして遊んだ。
参考Webポンポン船

(日光写真)

とにかく、不思議である複写が取れるのである。時折、少年雑誌の付録についていたりして好きな、鉄人28号とか赤胴鈴の助の姿を複写出来た。印画紙と感光紙をセットして縁側の太陽が眩しい場所にセットする。日光写真のネーミングは素晴らしい。
参考Web日光写真

(笹船)

推力をつける為に杉の実とか石鹸の小片とかを船の端に付けると、勢いよく走る。
参考Web笹船

(空気銃)

これは当時お兄ちゃん達とか大人が使用していた。子供には危険で禁止されていたが、時折親の目を盗んで使用した。二種類あり、中折れ式のものは銃を真ん中で折り曲げ、バネを絞ってバネの力で鉛の玉を押し出す。もう一つはポンプ式の銃であり、空気を圧縮する。2~30メータしか飛ばないけど、凄い威力であった。
雀を狙い撃つがあたったためしはなかった。

(とんぼ取り)

紐の両端に小さな石ころを親爺のタバコの銀紙で包み結ぶ。1メータ位の両端に銀の玉をつけた形になるが、此れを
トンボが群れ飛ぶ上空に投げる! 赤トンボとかギンヤンマがひっかかり捕獲するのである。私は、下手くそで何時も失敗していた。

(霞網)

今は禁止されているが、当時はこの網で鳥を捕獲した。

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飛行機は何故飛ぶか?

私は長く、飛行機の飛ぶ原理としてベルヌーイの法則であると信じていた。しかし、最近のラジコン飛行機はこの原理を無視している。しかしそれで、見事に飛んでいる。何故か?

(クラーク Y の翼原理)

学校で勉強した翼の形は下が水平で上の形が蒲鉾形で丸く膨らんでいる。従い、翼の先端部から風を受けると下の翼の後縁部までの距離は短いので上の翼を流れる風は急がないと,下を流れる風に追いつかない。よって、翼の上を流れる風は速度を速めて下を流れる風と合流しようとする。そこで、翼の上の気圧が下がり翼は浮くのである。所謂、浮力の原理である。機体の重量に比較して、高出力馬力が出せるエンジンが開発されるまではこの原理がもっともであった。

(大馬力エンジンの出現)

星型エンジンのレシプロ方式ではなく、ジェットエンジンの出現により馬力を得る事が出来た。従い、翼の浮力に期待しなくても、海の中を泳ぐ”まぐろ”のように翼は浮力が必要なく、むしろ抵抗が無い方がベターであると。必要な時に翼の仰角を変えて力学的に上の方角に力を向ける方式となった。皆さん、F18フォーネット戦闘機の翼はクラークYですか?違いますね。海の中を高速で泳ぐ、マグロの胸鰭、尾びれの格好です。

(ファンフライ機 失速系ラジコン飛行機)

最近のラジコン業界ではファンフライ機が全盛です。翼は平らな板でいいんです。水平に移動する時はお尻を落として翼に仰角をつけて力の方向を斜めうえに向ければ宜しい。これを、コブラ演技と呼ぶ。
飛行機を垂直に立ててプロペラの浮力だけで機体を支える。(高出力エンジンが必要)所謂、フォバリングと呼ぶ。
実際の飛行機では経済的に機体の重量に比較して不経済な高出力エンジンを搭載しなければならないので、無理である。

何を、言いたいのか? 今まで、飛行機はベルヌーイの翼の浮力原理で飛ぶと信じていたが、流体の中で飛行する魚とか、ファンフライ機の翼を見てこれは、違う世界があると感じたた。

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一所懸命 We若者経営者達

恵比寿のベトナム料理のお店”We"については以前紹介しました。私も約70名のベンチャー企業を経営しているが若者経営者に学ぶ事が多い。

(ベトナム研修旅行)

経営者の若者T君はベトナム駐在の経験があるが、社員の人は経験が無い。”ベトナム料理”の看板を掲げている限り社員の全てがベトナムについて文化を理解しない限り料理は出せない。定期的にT君は社員を連れてベトナムに行く。安いホテルに皆で一緒に泊まる。

感激したのは、お店で使うお皿とか食器類を現地で買い求め、全員が自分の手で日本迄持ち帰る事である。
輸送すれば簡単である、しかし日本に帰国後その食器を使うのである。自分達が大事に日本迄持参した食器には愛情が籠もる。決して粗末には扱わない。お客様に出す時も丁寧にテーブルに置くでしょう。私は若者T君の話を聞いて感激した、サービス業とは奥が深いと。みかけだけサービス業ですと体裁を作っても、中味の精神構造が出来ていなければ意味が無いし、直ぐにお客にバレてしまう。

(ゴルフはもったいない)

T君、休みはゴルフをするかい?確かご両親はお好きだと聞いていますが?彼はこう答えましたね。
”ゴルフは好きだけど、お金がかかります。草野球チームを結成していて、年間1万円の会費で楽しめます”
参りました。私は今年の二月にラジコン飛行機のプロペラで右手指3本を痛め、クラブを握れなくないゴルフは断念しましたが、この若者は合理的である。

(企業研修の講師で出掛ける)

先日お店に顔を出すと、蒲田の有名な”インクス”という金型の世界屈指の会社の社員研修の講師に招かれたと言う。お前、何教えに行ったんや?
はい! 社員皆さん経営者になった積もりでお店を開いて、席の数とか諸々条件設定して、損益分岐のシュミレーションをやらせました。
確かに、こいつは慶応の藤沢を出た男やけど、たいした人物やと思う。

今年の春頃にお店に顔を出して、お客様の到着をお待ちしてると、こいつが出勤してきて背広姿である。
お前どないしたんや~~?そないなサラリーマンみたいな格好して~~?
はい、先輩、税務署の帰りですとさ。  嬉しいね!昔の関東侍 ”一所懸命”をみさせてもらった。

解説:一所懸命 ・・・・広辞苑解説 賜った一箇所の領地を生命にかけて生活の頼みとする事。また、その領地。
             物事を命がけですること。必死。

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テントの中の怖い小話 抜けないペグ編

小学生の時代はボーイスカウト、中学からはワンダーフォーゲル部に入り、遂に大学時代迄、体育会ワンゲルに属すという野山を彷徨う瘋癲生活を経験した。

何時の頃か忘れたが、テントの中では時折夜、先輩が怖い怪談をしていた記憶がる。全ては、山に関係する話であり下界の娑婆の世界の話ではない。今回はその中で一つ御紹介します、怖い話なので心臓の悪い人は読まないようにお願いします。

(抜けない ペグのお話)

季節は初夏の頃、後立山連峰を縦走していた、もう一週間も縦走を続けており野口五郎岳を過ぎもうすぐ、雲の平の幕営地に着こうとしていた。
しかし、急激に天候は変わり、稜線はガスに包まれ激しい雨が足の下から吹き上げ身体を吹き飛ばす勢いになった。風速30メートルは超えているんだろう、キレットのガレキ場は危険なので、稜線上の這い松が所どころに背丈5~60cmで群生している場所で身をかがめ、風の勢いが少し収まるのを待つ。

単独行であるのだが、どうも人の気配を感じるようになって来た。しかし、廻りを見渡しても誰もいない。存在するとすれば這い松の根っこに身を潜めている雷鳥くらいだろう。
天候好転の見込みが無いのと、夕暮れも迫っているので、少し前進して水晶岳のコルでビバークをする事に決める。そこなら、残雪も多く残っており雪を溶かせば水の心配も無い。

雪渓の上に一人用の冬季用の蒲鉾型のテントを設営する。この天幕は風速50メータであろうが耐える事が出来る二重張りのテントである。コッヘルに雪渓の雪をぶち込み、ガソリンの炊飯器ホエーブスを点火する。外の雨と風は止みそうにない。簡単な味噌汁を作り、そこに餅をほりこむ。
気のせいか時折、かすかな人の声が聴こえる気がする。
非常食のチョコレートも出し、明日早朝3時頃には雲の平から黒部五郎越えで薬師岳のコルに抜けるか、最悪は水晶の隣の赤牛岳から一気に山を下り針ノ木沢に避難する。明日の幾通りかのルートを五万分の一の地図を懐中電灯で照らし、作戦を立てる。

寝袋に入っても、微かに、人の声が聴こえる、風の悪戯だと判断して寝る。次の日の朝丁度3時に起床する、幸いに雨と風の勢いが無く、なんとか縦走は出来そうである。

テントの撤収を行うが、どうしても1本のペグ(注: テントの設営時に紐を固定する為の金属杭) が抜けない。
おかしい、雪渓の上に設営しているので、抜けない筈は無い。

しょうがないので、小型のシャベルを取り出し、ペグの廻りを掘り始めた。あ~~これからの話は恐ろしくて出来ない。

『信州山岳警備隊の証言』

雪を掘り出してみると、ペグをしっかり手で握った遭難者が発見された。冬季、後立山連峰を縦走すると言って行方不明になった登山家でした。

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プロフィール MISAYO追加

私のプロフィール 欄にふうてん娘のMISAYOを追加しました。フランス、メキシコ、日本で頑張っています。
最近の数年はフランスに在住し時折、日本に来て仕事をしてます。
lacalaca ではフランスの田舎ブルゴーニュの生活風景、パリの生活を日誌で見れます。
maracasでは彼女の作品を楽しめます。

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墓参 マイフォト

一年ぶりに墓参。懐かしい故郷の訪問でした。

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長寿雑誌 ラジコン技術

最近はビジネス雑誌を始め、多くの雑誌が廃刊になり、又、雨後の竹の子のように新しい雑誌が生まれる。
しかし、専門の雑誌は長生きである。私の趣味で言えば
・CQ誌
・将棋世界、近代将棋
・ラジオ技術
・ラジコン技術
・丸
・山と渓谷・・・・・・・1946年(昭和21年) より~
・岳人 ・・・・・・・1953年(昭和28年)より~

(ラジコン技術)

昭和39年からからであるから、かれこれ40年続いている。多分にニッチ市場であるので、参入する雑誌がそんなに存在しないだろうし、部数が突然に増えるわけでもない。しかし、それなんりに継続してるという事はビジネスになっているんだろう。
殆どの頁が広告であるが、それが楽しい。不特定多数に販売する場合の雑誌の場合は読者が広告を楽しみにしてる話はあまり聞かない。しかし、ラジコン趣味の人しか読まない雑誌では、ラジコン製品に関する広告は重要な情報源として読者に歓迎される。

(製作記録)

バックナンバーも重要である。多くの、ラジコンマニアは色んな模型飛行機を製作する。過去に自分の製作したい飛行機の製作記録の記事があると、大助かりである。従い、雑誌は読んで棄てられる運命であるが、ラジコン技術は何時までも保管される。バルサ材から製作するラジコン飛行機のキット製品は数十年販売されるのが常である。

(近代経営)

多量生産、多量販売のビジネスモデルは今後も勿論基幹産業モデルとして存在するが、国際会計基準や海外投資家が東京証券取引所で一部上場企業市場で50%近く占める時代には、利益率が重要になる。
今日は、墓参りで京都に帰省して帰って来たが、多くの京都の老舗のお店は利益率重視の経営をして来た。
顧客を選ぶ、無闇に事業を拡大しない、固定客を大事にする、利益を重視する。企業の存続よりも短期的にどれだけ利益を得て、拡大出来るが重要と考える米国シリコンバレーの経営と対極にある。

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墓参と六地蔵

久し振りに墓参に帰省した。

(六地蔵便利)

京都駅でJRで六地蔵に行こうとすると、快速奈良行き。車掌に聞くと六地蔵は二番目の駅だそうです。其の侭乗車してれば、奈良迄は30分位で着きそう。昔は、京都駅から近鉄奈良線に乗り、丹波橋で京阪電車に乗り換え、中書島で降りて、又、京阪の宇治線に乗り換え六地蔵で降りていた。京都駅から7分位で六地蔵に着くこと可能。
しかも、今度、地下鉄が六地蔵の駅に出来るそうな。昔に比較して大層便利になり申した。

(墓参と菅原神社)

土曜日は早朝より京阪電車の樟葉駅で下車し、長尾駅までバスに乗る。私がBlogで書かせて頂いた子供の頃の思い出が閉じ込められた場所を通過し、お墓に向った。途中、姉と昔懐かしい思い出話をしながら墓参した。
そうそう、姉の家を出る時にバス停留所で近所の有名な能舞台で横笛を吹く先生と奥様にお会いした。お二人とも昔は大学の教授をされていた方々だそうで、姉の懇意にさせて頂いているお人だそうです。
姉も今日は源氏物語の研究会をサボり私に付き合っています。

(菅原神社)

お墓の前に神社があり、ついでに参拝した。

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巣鴨の狸村 だんだら狸の巻

この太った、両国部屋力士のような狸は、新撰組の故郷 日野の大地主の息子である。

(豪快な酒豪)

とにかく、新撰組をこよなく愛し、本人は今も隊士のひとりであると考えている。残念ながら彼の言う事を聞く手下は自宅にいる愛犬ポン太のみである。
彼の酒の特徴は赤ちょうちん専門である、そして仕事の話か新撰組の話しかしない。
この狸の頭の中にはこの二種類の記憶装置しかない。従い、高尚な文学の話、下世話な色物の話などには見向きもしない。

(ニューヨークに出掛ける)

突然、何を思ったのか若手を従えニューヨークに視察の旅にでられた。時は冬である、マンハッタンの厳しいビジネスの世界は厳冬期の五番街のマンホールからスチームが立ちのぼり、顔を切り裂くような高層ビルを吹き抜ける風に身を晒さねばいけない。若手の隊士にはそれを教えたい、そう考えるのであった。
おお~底冷えのする幕末京都の見回りもこうであろうと思うのであった。

先輩、お腹が空きました。 夕餉は如何いたしましょう? 後ろを歩く隊士が問う。
そうじゃ、今日は『おでんを食いたい』
・・・・・・後日談として聞き及ぶにマンハッタンの五番街で『おでん屋』を二人は捜し回ったそうです。

(独立する)

サラリーマンは自分に合わないと悟り、独立する事となった。
私がコンサルをする事となり、社名は私が独立用に用意していた社名を横取りされる事になる。 英語で西部開拓時代の孤高の保安官を指す言葉である。彼がいたく気に入り、日野の畑で取れたトマト一箱で奪われてしまった。
次は、会社のマークである。
これも私と、友人で必死に考え、イメージとして 槍ヶ岳の頂上で孤高の狼が月に向かい吠える風景。
この提案は本人大満足であっつた。最後に、新撰組の羽織のだんだら模様も入れてくれ! と言われた。

今恵比寿の近くの狸村の屯所で社長(局長?)をやっている。

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日本語の起源

『日本語の起源』 新版 大野 晋 岩波新書 ISBN4-00-430340-0 700円 1994年6月 第一刷発行

(扉)

日本語とはどこに起源を持つ言葉なのか。 旧版(1957年刊)では答え得られなかったこの問いに、数多くの単語、係り結びや五七五七七の短歌の形、お米や墓などの考古学的検証、さらにカミ、アハレ、サビなど日本人の精神を形作る言葉の面から古代タミル語との見事な対応関係を立証して答え、言語と文明の系統論上に決定的な提起を行う。

(目次)

第一章 同系語の存在
1. 探索のはじまり
2. 探索の方法
3. 南インドのタミル語を選択する
4. 単語の対応ーー 語根の比較
5. 文法の比較
6. 五七五七七の韻律

第二章 対応語と物の世界
1. 稲作のはじまり
2. 墓と墓地
3. グラフィテイと記号文
4. 金属の使用
5. 機織のはじまり

第三章 対応語と精神の世界
1. 生活の慣習
2. 精神の世界の支点
3. 精神生活の根幹

第四章 南インドの言語・文明と日本・朝鮮
1. 日本語とタミル語の同系
2. 私の説に対する質疑


この本は梅安さんに勧められて、購入した。NHKでも番組が企画されたと聞いています。インドの南端東部とスリランカ北部の地域の人々が日本語と同系統の言語を持つ。
人の移動無くては実現不可であり、遥か太古において海のシルクロードを通じ交流があったと考えざるを得ません。
古代インドにアーリア人の侵入が起こり、海のシルクロードに活路を開いたと著者は語る。縄文晩期に彼等は日本に辿り着いたとみる。それにしても、雄大なロマンである。

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十六の話 司馬遼太郎

『十六の話』 司馬遼太郎 中央公論社 ISBN4-12-002251-X 1993年10月 初版 1300円

(帯)

『歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことども 』
を豊かに伝える司馬遼太郎の最新文集

(目次)

・文学から見た日本歴史 ・・・・・・英国ケンブリッジで開催された英国日本学研究会に於ける講演
・開高健への弔辞・・・・・文学界1990年3月号
・アラベスク ・・・井筒俊彦氏を悼む・・・・中央公論 1993年3月号
・『古代史』と身辺雑話・・・・・・・・・日本の古代別巻
・華厳をめぐる話・・・・・・・・・・・井上博道撮影”東大寺”中央公論社
・叡山美術の展開・・・・・不動明王にふれつつ
・山片ばん桃のこと
・幕末における近代思想
・ある情熱
・カイリン丸誕生の地
・大阪の原形・・・・日本におけるもっとも市民的な都市
・訴えるべき相手がないまま
・樹木と人
・なによりも国語
・洪庵のたいまつ…・・・小学国語5年下
・二十一世紀に生きる君たちへ・・・・・小学国語6年下

司馬さん最晩年の作品群です。司馬さんの作品を解説できる度量は有りません、しかし好きなんです。
この本は日本の歴史を苦手な文学(彼は語り部)の切り口から異国の人に語り始め、漱石で締めくくり、最後は
子供達に語ることで、バトンタッチをしてあの世に行かれました。彼は風の如く爽やかなモンゴルの人々と貧乏清廉潔白な日本人を愛してやまない人でした。

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雪景色 ベニス紀行

馬鹿息子がミラノでバイオリンと楽譜を買いたいと言い出し、ミラノで用事をしてついでなので、ベニスを訪問する事にした、時期は正月休み、季節は冬。

(途中、ベローナ立ち寄る)

ミラノからベニスに向かう途中、『ロメオとジュリエット』で有名なベローナの土地に立ち寄る。
石畳の街路に面した館があり、ここが例の有名な現場『ロメオ~~~、ジュリエット~~~』であると、解説を受ける。
それより、路上で販売している『焼き栗』の方が興味があり、小雪が降る異国でしばし暖をとる。

(ベニスは浮遊都市)

渡し船で約10分位か、ベニスに向かう。お~これが『ベニスを見て死ね、See Venice and die』なのか。西ローマ帝国が滅び、北の民族が攻めて来た9世紀頃か? 民は逃げてこのアドリア海に注ぐ河川の干潟に、杭を打ち込みその上に石を乗せて巨大な浮遊都市を創ったんだ。北の民族ゲルマンは泳げないので、こないな近い距離なのに攻めて来なかったそうな。なんか、我が祖国日本に漢民族が攻めて来なかったのに似てるな~~。

(大阪とベニス)

憧れの、映画『旅情』を思い描き、雰囲気を作り上陸する。寒い、小雪が降り始めロマンチックどころではない。定番のゴンドロラは何処におるんや~~? いましたね、乗合で遊覧させて頂く。狭いキャナルを大きなゴンドラは進む。最近、NHKの深夜番組でベニスの番組してましたが、何でこないな大きな長いゴンドラを作るんや? 狭い水路を曲がるのが苦労する。答えは、伝統だそうな。昔からそうしてる。陸上は自動車禁止、バイク禁止、大八車禁止、・・・・。
117の島からなり、150の運河をもち、400の橋をもつベニス。大阪は808橋やさかい勝ったな~~、と息子に話しかける。しかし、寒い、雪が本降りになってきた。

(烏賊墨 スパゲッテイ)

腹がへったので、郷に入れば郷に従え、で『お好み焼き』ではなく、『烏賊墨スパゲッテイ』を注文する。
だいたい、日本にいる時からこいつは余り、好まん、食事中の連中が皆、江戸時代のお歯黒さんに見える。ともあれ、腹もなんとかなり、観光の定番を御紹介

(観光 定番)

・レトルト橋(橋の中にお店有り これ、何処でも古い橋はお店あり)
・サンマルコ広場 、 鐘楼(土台が杭やさかい、重い寺院を建てると傾く)
・ガラス工房 (ベネチアングラス )
・カメオ( 貝細工、ペンダント、ブローチ 上品である)
・ベネチアン仮面、カーニバル仮面(2月にカルネバアーレお祭りあり)
・ムール貝
・べにすの商人博物館(貞操帯コレクション)

この国際的商人の都市ベニスも1453年トルコがインスタンブールを陥落させたから、凋落が始まった。しかし、世界を股にかけ活躍したマルコポーロ。会計学、経営学の基礎となる複式簿記の発明や、今日の企業経営に必要な基礎理論を彼等は残した。

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日本史七つの謎 松本清張他

"日本史七つの謎” 松本清張他  講談社 ISBN4-06-206038-8 1992年11月 第一刷 1500円

(帯)

今歴史が面白い! 大化改新は本当にあったのか?から
高度成長経済は何故可能だったのか? まで
小説家と学者が解く、日本史七つの謎。

(目次)
1.大化改新は本当にあったのか・・・・・・
     松本清張
     門脇禎二(京都府立大学名誉教授)
     佐原 真(奈文研 埋蔵文化財センタ長)
2.短詩形文学は何故日本文学の中心なのか
     丸谷才一
     大岡 信(詩人)
     山崎正和(劇作家)
3.武家政権は何故、天皇を立て続けたのか
     永井路子
     今谷 明(横浜市立大学助教授)
     五味文彦(東大教授)
4.織田、豊臣、徳川が何故、天下をとれたのか
     遠藤周作
     朝尾直弘(京大教授)
     山室恭子(東大史料編纂所助手)
5.薩長は何故、徳川幕府を倒せたか
     中村真一郎
     石井寛治(東大教授)
     井上 薫(学習院教授)
6.太平洋戦争は何故、始まったのか
     井上ひさし
     森本忠夫(評論家)
     大江志乃夫(茨城大教授)
7.高度成長は何故、可能だったか
     伊東光晴(京大名誉教授)
     香西 泰(日本経済研究センタ理事長)
     森谷正規(技術評論家)

この企画が面白いのは学者だけでは面白くない、むしろ作家が歴史の専門分野で鋭い洞察力と推理が迫る。
特に清張さんの鋭い切り込みは迫力がありました。今でも、ここで議論された内容は通じます。
     

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清張はん 二冊

MuBlogにて松本清張はんの、記念館や『火の路』の記事があり、書斎の戸棚を眺めると沢山の清張はんの古代史関連の本が並んでいる。

二冊、『火の路』の背景になった本を紹介します。

1. 『日本史 謎と鍵』 付 創作ノート 松本清張 平凡社 0021ー826120ー7600 昭和51年11月 初版 1400円

(帯)
松本清張史学の最新版! ! 日本史の謎に常に精力的に挑み続ける著者が、邪馬台国、古事記、聖徳太子、写楽の謎を検証する力作! !
併載の『火の路』創作ノートは、巨匠の創作の秘密を興味深く伝える。

(目次)
・邪馬台国の謎を探る
・古事記の機能
・聖徳太子の謎
・北ベトナム古代文化の旅
・イラン高原の『火』の旅から
・小説『火の路』創作ノート
・写楽の謎の『一解決』 ある講演

2.『ペルセポリスから飛鳥へ』 松本清張 日本放送出版協会 ISBN4-14-018005-6 700円
1988年5月20日 第壱刷

(扉)
飛鳥の地に点在する奇怪な石造物は古代ペルシャの拝火教に関連があった・・・・
この大胆な仮説をもとに、著者松本清張が、イラン踏査によって、古代史の謎に挑む! !
イランの骨董屋で手に入れた、正倉院宝物と同形の瑠璃碗をきっかけに、著者の推理の旅は展開された。
ペルセポリスの遺跡に立ち、砂漠の水路を歩きながら、冷厳な検証の眼が光る。
古代日本と古代ペルシャとのあいだの『失われた線』は、この本でついに解明された。

(謎の飛鳥 石造物)

飛鳥の里を歩いていると、石造物は多いですね。不思議でした。清張さんはペルセポリスで石柱の頭部に獅子の頭の姿を拝見し、飛鳥の亀石は制作途中でありきっと、このような獅子の頭を制作しようとしていたと推理される。
猿石の下半身には一物がついていますが、これも戦士の石像物との類似を指摘。天皇家の菊花16弁の文様が古代ペルシャの太陽信仰に源流を見る。

(最近の発掘)

石舞台古墳、蘇我馬子の墳墓と言われてる近くの、山の中腹に酒舟石があります。最近その山の裾野を大規模な発掘がされ、石畳のローマの劇場のような施設跡と亀の形をしたお風呂のような石造物とそれに導水した関連の石造物が次々と発掘されたのは皆様御存じ。
清張さんが斎明天皇さまがゾロアスター教に御執心であったと推理されていました。これが、証明された訳では有りませんが大規模な土木工事(石を使う)をされていた事実は証明されました。

現在の酒舟石のある山は全て石垣でピラミッドのように建造されており、水の儀式がこの山の裾の円形劇場のような石畳の場所でなされたと考古学者は考えている。

参考Web 古代の学舎(酒舟石遺跡)

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